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1089ブログ

夏休みは親子で仏像を楽しもう!

本館1階11室に入ると、おなじみの文殊菩薩騎獅像および侍者立像が見えます。


重要文化財 文殊菩薩騎獅像および侍者立像 康円作 興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
重要文化財 文殊菩薩騎獅像および侍者立像 康円作 興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)

でもいつもの展示と何かが違う…
仏像が正面向きではなく、斜め向きに展示され、台には波が描かれています。
じつはこの文殊菩薩像は、4人のお供を従えて、海を渡っているのです。
おそらくこのお像が造られた鎌倉時代の人々は、この波があるとわかったうえで見ていたのでしょう。
でも今では、文殊菩薩像が海を渡るということを知らない人も増えました。
そのため、その仏像がどんな仏像なのかを理解するための仕掛けとして、斜めに置き、歩いていることを印象付け、波を表して場面を伝えるようにしました。
波の上を歩きながら、まっすぐ前を見つめる姿に強さすら感じます。


14室に進むと、仏像が展示されているケースの中に水色と紫色のリボンが敷かれています。


十二神将
十二神将像の展示

水色のリボンの上の仏像と、紫色のリボンの上の仏像とでは、なにか違いがあるのでしょうか?
それぞれの色のリボンの上の仏像とを比べてみてください。ヒントは仏像の足元の小さなパネルです。

例えば写真は十二神将。京都浄瑠璃寺に伝わったものと、神奈川の曹源寺所蔵のものから、姿勢や持物が似ているものを隣同士に並べています。
じつはそれぞれ、貴族の好みと、武士の好みが表れていると考えられる作品です。
顔つきや着ているものを比べながら、どちらが貴族好みでどちらが武士好みかを考えてみてください。

いつもと違った展示室に驚かれる方も多いかもしれません。
これは、おとなもこどもも「なんだろう?」を「なるほど!」にできる展示「親と子のギャラリー」。
暑さが厳しくなり、学校はそろそろ夏休み…という時期に合わせ、毎年おこなっている特集です。
今年は仏像をテーマに、8月31日まで、本館11室と14室で行っています。
お子様対象のワークシートも、仏像を鑑賞するときのヒントになるでしょう。

ワークシート
ワークシートは11室入口にあります。
こちらのページからPDFダウンロードも可能です。


夏休みのひととき、仏像を楽しんでみてはいかがでしょうか。


展示情報
親と子のギャラリー「仏像のみかた 鎌倉時代編」 2014年6月10日(火)~8月31日(日)  本館11・14室

関連事業
講演会「夏休みの宿題 -わたしの仏像自由研究―」 2014年8月23日(土)13:30~15:00 平成館大講堂
   

カテゴリ:研究員のイチオシ教育普及仏像

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2014年07月21日 (月)

 

乾隆帝を魅了した汝窯青磁


青磁輪花碗 中国・汝窯 北宋時代・11~12世紀 台北 國立故宮博物院蔵


青よりも白く、やや灰色を帯びる。この青磁の色は「雨過天青」、つまり雨上がりのしっとりと水気を含んだ空の色と称されます。それは観る者の気持ちを静めるような穏やかな青色です。

台北 國立故宮博物院には、清(1644~1912)の乾隆帝(在位1735~95)が苦心して集めたといわれる北宋の汝窯青磁が21点収蔵されています。じつは、汝窯青磁の作品は、いま世界にわずか70点余りしかのこっていません。台北故宮が世界に誇るその貴重な汝窯青磁が、いま「神品至宝」展において公開されています。

南宋時代(1127~1279)に周煇(しゅうき)によって著わされた『清波雑志』(せいはざっし)という書物によると、汝窯とは北宋の宮廷が命じて青磁を作らせた窯であり、その釉には瑪瑙(めのう)の粉を入れたといいます。また、宮廷に納めるために厳しく選別され、適わなかったものは民間において売ることが許されたが、周煇の生きた時代(つまり南宋時代早期)にはすでにとても稀少な器であったと記されています。

北宋時代は、陶磁器がその魅力を余すところなく開花させた時代です。とくに華北地方では、定窯(ていよう)や耀州窯(ようしゅうよう)、磁州窯(じしゅうよう)といった一大生産地において、白磁、青磁、白釉陶器などのそれぞれ個性豊かな器が生み出されました。無駄なく洗練された形、力強さと繊細さを兼ねそなえた気品高い彫り文様をともにそなえるそれらは、芸術の盛期であった北宋時代を象徴する陶磁器として評価されています。



白磁蓮花文盤 中国・定窯 北宋時代・11~12世紀 横河民輔氏寄贈 東京国立博物館蔵
器面いっぱいに、流麗な蓮花文が彫りあらわされています。定窯白磁、北宋時代の優品です。




白地黒掻落し牡丹文枕 中国・磁州窯 北宋時代・12世紀 横河民輔氏寄贈 東京国立博物館蔵
陶胎に白土をかけ、さらにその上に黒い土をかけて文様を彫り、表層の黒土のみを削り落して白と黒のコントラストによる装飾をあらわす、いわゆる搔落としの器。巧みな造形・装飾表現に、気品が漂います。


都汴京(現在の開封)に近い汝州(河南省中西部)も、民間向けの白磁や青磁、黒釉陶器などをさかんに生産していた地域でした。そして1980年代後半、宝豊県の清凉寺(せいりょうじ)に窯址が発見されます。発掘にあたった河南省文物考古研究所によって、北宋末、およそ哲宗(在位1085-1100)・徽宗(1100-25)の治世にあたる時期に、とりわけ上質の青磁を焼造していたことが報告されました。現在のところ、この清凉寺窯は文献にいう「汝窯」にあたると考えられる有力な窯の一つです。

あらためて汝窯青磁をみてみると、先に挙げたような北宋時代の陶磁器の中にあって、ただ深遠な青一色の釉調で人々を惹きつける汝窯青磁は別格といえます。底部の見えないところまでゆきとどいた丁寧なつくりで、器形にはどこかおっとりとしたところがみられます。金属器のように鋭く、潔い造形を魅力とする他の陶磁器とは別の、堂々たる風格を感じさせます。



青磁槌形瓶 中国・汝窯 北宋時代・11~12世紀 台北 國立故宮博物院蔵蔵

同底部
乾隆帝がその釉調の美しさと、北宋末の皇帝徽宗の運命を想って詠んだ詩が刻まれています。底まで釉が総掛けされ、汝窯特有の小さな支釘痕が5つのこっています。


汝窯青磁は、現存作例がきわめて少なく、その発生と展開についてまだわからないことが多くのこされています。ところで、その稀少な汝窯青磁が、じつは日本にも伝わっていました。(東洋館5室特集「日本人が愛した官窯青磁」において展示中)



青磁盤 中国・汝窯 北宋時代・11~12世紀 個人蔵 川端康成旧蔵 
10月13日(月・祝)まで東洋館5室にて展示
かつて文豪川端康成(かわばたやすなり)が愛蔵した器としても知られるものです。



この作品は、日本人がまだ故宮コレクションの汝窯青磁についてよく知らなかった1950年代に、日本で見いだされたものです。もちろん、清凉寺窯の本格的な調査も行なわれていない時代です。

このように、中国青磁にひろく親しみ、大切にまもり伝えてきた日本には、中国ではなかなかみることのできない意義深い貴重な青磁作品が今日まで伝わっているのです。清の乾隆帝を魅了した汝窯青磁と、海を越えた奇跡の汝窯青磁。この機会にぜひ、合わせてご覧ください。
 

関連展示・記事
特集「日本人が愛した官窯青磁」  2014年5月27日(火)~10月13日(月・祝) 東洋館5室
1089ブログ日本人が愛した官窯青磁

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 三笠景子(保存修復室研究員) at 2014年07月17日 (木)

 

伊能忠敬の日本図

6月23日(火)から平成館企画展示室で、特集「伊能忠敬の日本図」を開催しています(~8月17日(日))。展示室では、皆さんガラスに顔をこすりつけるようにして見入っておられます。私はいつも、申しわけないなあと思いながらその横を通り抜けています。展示ケースのガラス面から展示している壁までの距離がかなり離れているからです。

展示風景
展示風景

当館の伊能図を展示する機会は少なく、2003年の特別展「伊能忠敬と日本図」で所蔵する全点を展示した他は、長期に貸し出していた九州国立博物館や他館の展覧会での展示を含めても、この10年ほどの間で数えるほどしかありません。それらの機会に原品をごらんになった方々の共通の印象は、その巨大さと精細さ、そして美しさです。

伊能図は巨大です。縦がいちばん長い関東地方の図は3m近くあり、ふり仰いで見ることになります。この大きさの感覚は、原品でなければなかなか実感することができません。
その一方で伊能図は精細です。忠敬たちが十数年にわたって測量した道程が髪の毛ほどの細い朱色の線でくねくねと書き込まれ、文字どおりゴマ粒のような地名がびっしりと図を埋めています。この厖大な情報が歩き続けることによって得られたという事実に気づく時に、私たちはあらためて忠敬がなぜ偉大であるのかを理解できます。
地図作りには最後に、蓄積された情報を取捨選択し、限られた平面の中に埋め込んで、わかりやすく見せるという、ある意味ではいちばん難しい作業が待っています。伊能図はこれに最も成功した事例の一つで、その美しさの源になっています。

とは言え、最初に申し上げたとおり展示ケースの中の図をガラス越しに見ているのでは、なかなかわかりづらいのも事実です。三つほど解決策をご紹介しましょう。

一つは、ミュージアムでの美術鑑賞を愛好される方はよくごぞんじですが、単眼鏡持参で来館されることです。空から日本を見下ろしたような感覚も味わうことができます。二つめはデジカメで撮影してみることです。伊能図は館蔵品なので、フラッシュを使わなければ展示品を撮影していただくことができます(撮影の際は他のお客様にご配慮をお願いします)。さすがにスマートフォンのカメラでは精度が追いつかないようですが、光学ズーム機能のあるデジカメであれば、望遠で多少手ブレがあっても、これくらいに写ります(執筆者撮影)。

デジカメでズーム撮影した伊能図
展示室にてデジカメでズーム撮影した画像

三つめは最新のデジタル技術で作成された超高精細画像を楽しんでいただくことです。
東洋館地下のミュージアムシアターでは、9月28日(日)までの水~日曜日にVR(バーチャルリアリティ)作品「伊能忠敬の日本図」を上映しています。伊能図の美しさ、面白さがもっとよくわかります。夏休み期間中(7月16日(火)~8月31日(日))、小・中学生は無料です。自由研究応援イベントもありますので、親子連れ、お孫さん連れでぜひ足をお運びください。

VR作品チラシ画像
VR作品「伊能忠敬の日本図」詳細
(TNM&TOPPANミュージアムシアター ウェブサイト)
 

【関連事業】
講演会「伊能忠敬の日本図」 2014年7月19日(土) 13:30~15:00 平成館大講堂

ミュージアムシアター自由研究応援イベント「見て、知って、歩いて、伊能図を体感しよう!」
インタラクティブ映像展示「不思議なライトで伊能図を見てみよう!」 2014年7月16日(火)~8月31日(日)
伊能忠敬 歩測ワークショップ「めざせ伊能忠敬!トーハクをはかろう!」 2014年8月1日(金)~3日(日)
伊能忠敬 歩測ワークショップ「めざせ伊能忠敬!トーハクをはかろう!」 2014年8月15日(金)~17日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 田良島哲(調査研究課長) at 2014年07月15日 (火)

 

来舶清人とその交流―豊かな地域文化に触れる―

多くの人々の長年の努力によって開催の運びとなった「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」。同時期に東洋館では名品を公開しています。この記念すべき歴史的展覧会で、東洋館では何を展示すべきなのか、迷った末に選ばれたのが「来舶清人」というテーマでした。

江戸時代の日本に最も影響を与えた画家は、「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」展で展示されている趙孟頫(ちょうもうふ)でも倪瓚(げいさん)でもありません。彼らの真筆は國立故宮博物院が開院するまでほとんど見ることができなかったからです。その代わり、日本に大きな影響を与えたのは、「来舶清人」(らいはくしんじん)と呼ばれる、長崎にやってきた中国の文人たちでした。

展示風景
日本にやってきた中国画家たち─来舶清人とその交流─」の展示風景(東洋館8室にて、7月27日(日)まで展示)


彼らには大きな特徴があります。ほとんどが浙江や福建(閩浙(びんせつ)地方といいます)の出身なのです。当時、政治文化の中心であった北京とは遠く離れた、いわば、「地方」文人ということになります。


富士真景図
富士真景図  方済(ほうさい)筆 中国 清時代・18~19世紀 個人蔵
富士山を得意とした中国人画家・方済による作品。安房の国(千葉)に漂流する途中で富士山を見たと言われています。
中国人が富士山を描くなんて、不思議な気分ですが、当時の日本人も珍しがって求めたのでしょう。



蘭竹石図
蘭竹石図 羅清(らせい)筆 中国 清時代・光緒元年(1875) 個人蔵
羅清は広東省出身の文人画家。来日し、なんと浅草寺で、友人の松本良順のために描いた作品です。「指頭画(しとうが)」とよばれる、筆ではなく「指」で描いた作品です。


絢爛たる北京の書画に見慣れた私たちの眼にうつる彼らの作品は、とても個性的です。たとえば沈南蘋(しんなんぴん)。その画風は、北京で流行していた清廉な正統文人画と比較すれば、濃彩を多用した、保守的なものです。しかし江戸時代の日本人は、宋から明の花鳥画の趣を残した沈南蘋の画風を愛し、積極的に受容しました。


鹿鶴図屏風
「鹿鶴図屏風」 沈南蘋筆 中国 清時代・乾隆4年(1739) (山崎達夫氏寄贈)
中国にも残っていない沈南蘋の代表作! 中国にはない日本屏風の形式であることからも、帰国した沈南蘋に日本から「注文制作」された作品と考えられています。

禽獣図巻(模本)
「禽獣図巻(模本)」 模者不詳 明治13年(1880)
その画風が明治初年まで大きな影響を与えていたことは、東博に所蔵される模本類からも知られます。

また、浙江省の出身の張莘(ちょうしん)。清初に一世を風靡した惲寿平(うん じゅへい)の画風にならう華麗な花鳥画は、その後、椿椿山(つばきちんざん)らの絵画に影響を与えました。しかし、彼らは中国ではほとんど無名の地方画家たちなのです。浙江・福建と長崎を通じた日本との交流。ここで重要なのは、絵画史は北京にだけにあるのではなく、その周辺の地域や地方にも豊かな絵画文化が息づいているということでしょう。


 石榴図、牡丹図、雑花果蔬図
(左)石榴図、牡丹図(2幅)  張莘筆 中国 清時代・18世紀(林宗毅氏寄贈)
台湾出身の実業家でコレクターであった、
林宗毅氏による寄贈。林氏の来歴は、8室映像トランクでも紹介しています。
(右)雑花果蔬図 椿椿山
筆 江戸時代・嘉永5年(1852) (2014年10月28日(火)~12月7日(日)まで本館8室にて展示予定)
椿椿山は張莘から清朝花鳥画の描法を学んだといわれています。



東京国立博物館にはたくさんの中国絵画の名品が所蔵されていますが、世界各地からご来館される皆様に見ていただきたいのは、中国絵画の歴史だけではありません。それを守り伝えてきた私たちの地域の歴史もまた、絵画の重要な歴史の一部分として、ご覧になっていただきたいと思っています(そのことは2013年の「江戸時代がみた中国絵画」でも展示してきました)。
國立故宮博物院がある台湾には、中華文明だけではない、豊かな地域文化が息づいています。来舶清人の故郷である福建は、台湾に多くの移民を送り出し、今でも同じ閩南(びんなん)語が話されています。これら来舶清人たちの作品は、地域の交流の歴史を教えてくれる、重要な証人と言えるでしょう。

中国文人の書斎展示風景
「中国文人の書斎」展示風景
   

書斎展示作品
(左)蔬菜竹彫筆筒  「芷巌周灝」銘 中国  青山杉雨旧蔵 清時代・18世紀 (青山トク氏寄贈)
(右)蟠夔鼎(
はんきてい) 中国 清時代・19世紀
中国文人の書斎」のコーナーでも、「
台北 國立故宮博物院―神品至宝―」展にあわせて、「白菜」の筆筒と「人と熊」と同じ技法の作品が、取り合わせてあります。


アジアの歴史を、一つだけの原則や、統一された一つの価値観で語ることは、決してできません。「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」展とともに、東洋館で出会うアジア美術、そして日本に伝えられた中国絵画からは、そのような複眼的なアジアが、豊かな地域文化が息づくアジア世界の姿が、きっと見えてくるに違いありません。
 

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2014年07月05日 (土)

 

特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」10万人達成!!

特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」(6月24日(火)~9月15日(月・祝))は、
7月3日(木)午後に10万人目のお客様をお迎えしました。
多くのお客様にご来場いただきましたこと、心より御礼申し上げます。

10万人目のお客様は、墨田区よりお越しの坂本貴美子さんとお孫さんの吉田梨奈さんです。
坂本さんには、東京国立博物館長 銭谷眞美より、記念品として特別展図録を贈呈しました。


10万人セレモニー
特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」10万人セレモニー
吉田梨奈さん(左)、坂本貴美子さん(中央)と館長の銭谷眞美(右)
7月3日(木)東京国立博物館 平成館エントランスにて



坂本さんは書家として活動されているとのことで、
「(10万人目の来場者となったことについて)本当にびっくりしました。
本日は『草書書譜巻』を目当てに来場しました。主に仮名をやっていますが、仮名のもとは草書。
台北で『草書書譜巻』の展示を見たこともあり、ふだんから同作品の複製で練習をしています。
今日は久々に本物を見たくて来場しました。」
と、お話いただきました。

本展覧会の目玉の一つ、「翠玉白菜」は、7月7日(月)まで、
同作品の展示期間中は連日20時まで開館しています。
(入館は閉館の30分前まで、ただし7/7(月)は特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」会場のみ開館)
「翠玉白菜」の展示期間も残すところ、あと3日。

どうぞお見逃しのないように、ご来館をお待ちしています。

カテゴリ:news2014年度の特別展

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posted by 田村淳朗(広報室) at 2014年07月04日 (金)