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1089ブログ

奈良時代の息吹を感じる大安寺の仏像

本館11室の展示風景(入口付近)

本館11室では特別企画「大安寺の仏像」が開催中です。

奈良・大安寺は日本で最初の国立寺院です。飛鳥時代の藤原京に壮大な伽藍を構えた大官大寺(だいかんだいじ)を前身とし、奈良時代の平城京移転後には、インド、ベトナム、中国などから来日した僧侶や、中国へ留学して帰国した日本人僧侶が住む国際色豊かな環境で、仏教研究の拠点として営まれました。まさに日本仏教の源流ともいうべき歴史ある寺院です。
本展では8体の仏像を展示していますが、そのうちの7体はいずれも一木造(いちぼくづくり)で、中国から日本へ正式な戒律を伝えに来た僧・鑑真が住んだ唐招提寺と並び、奈良時代の数少ない貴重な木彫群です。

 

重要文化財 多聞天立像(四天王立像のうち)の胸の拡大写真

突然ですが、こちらは何の写真かお分かりになりますか。冒頭の展示風景の手前のケース内に展示されている像の胸の拡大写真です。この装飾豊かな浮き彫りは日本に類例がなく、中国・唐時代の像に見られ、大安寺の木彫群にも随所にほどこされています。

 

重要文化財 楊柳観音菩薩立像(ようりゅうかんのんぼさつりゅうぞう) 奈良時代・8世紀 奈良・大安寺蔵

 

このブログでは大安寺の木彫群の代表作である楊柳観音菩薩立像を例に、大安寺の仏像の特色をお伝えします。

 

目尻を吊り上げ、口を開いた厳しい表情の楊柳観音菩薩立像

慈悲の仏である菩薩でこんなに厳しい表情は珍しいですが、このような厳しい表情の仏は、仏教の一つである密教の仏であることが多いです。
平安時代に体系的な密教がもたらされる以前の奈良時代には、呪術的な要素の色濃い密教が中国から断片的にもたらされていました。国際色豊かな環境であった大安寺は、そうした新しい情報をいち早く取り入れることができたようです。
というのも、楊柳観音像の厳しい表情から、この像が密教の存在を背景に造られた像であることを物語っているからです。

 

重要文化財 楊柳観音菩薩立像の全体の姿
重要文化財 楊柳観音菩薩立像の全体の姿

全体の姿をご覧ください。
バランスよく整ったプロポーションが目をひきます。胸や下半身のほど良い張り、腰のわずかなくびれなどが美しさを際立たせています。正面だけでなく、360度どこから見ても崩れのない優れた造形感覚がうかがえます。とくに斜めから見たときのポーズが様(さま)になるのは、体の幅や厚みのボリューム感が適切に表現されているためです。

 

重要文化財 楊柳観音菩薩立像の顔

顔に注目してみると、口を開ける動きに連動して頬が張り、こめかみの筋肉が盛り上がっていることがわかります。実際の人間と同じように表情筋にまで意識がおよんでいる点に驚かされます。本像が厳しい表情なのにどこか品の良さを感じるのは、こういった筋肉の繊細な表現からかもしれません。
このように、身体のバランスや筋肉の動きを意識した表現は、奈良時代の仏像の特徴です。

 

重要文化財 楊柳観音菩薩立像の胸の飾り

楊柳観音菩薩立像の胸の飾り 拡大写真

次に、胸の飾りや腹の帯に注目してみましょう。
どちらも体と同じ木から彫り出しています。同じ木から彫り出すということはやり直しがきかない作業ですから、緊張感のあるなか高い技術によって刻まれたことでしょう。胸の飾りの花や珠のかたちが繊細に彫り出されています。

 

重要文化財 楊柳観音菩薩立像の腹の帯

ミリメートル単位で密に刻まれた格子状の文様
日本には他に例がありません

腹の帯には斜めの格子(こうし)状の文様が密に刻まれています。線を一本一本丁寧に刻んだであろう様子がうかがえます。
またお腹のあたりに帯を結ぶ形式は非常に珍しく、中国・唐時代の形式を取り入れたものとみられます。先ほど述べました通り、奈良時代の大安寺には中国から来日した僧侶や、中国へ留学した日本人僧侶が多く住んでいたため、大陸から最新の仏教文化が伝わっていたのでしょう。
また唐招提寺に住んだ鑑真の一行のなかには、鏤刻(るこく。金属や木に文字・絵などを彫り刻むこと)の工人がいました。本像にみられる緻密な彫りの背景には、彼ら工人がもたらした鏤刻の技術があるのかもしれません。

 

本館11室の展示風景(出口付近)

楊柳観音菩薩立像をはじめとする大安寺の仏像では、身体表現を意識した奈良時代彫刻の伝統と、大陸からの新しい形式が融合しています。

大安寺の仏像が醸し出す奈良時代の息吹をぜひご堪能ください。

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カテゴリ:仏像特別企画

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posted by 増田政史 at 2023年02月17日 (金)

 

ワシントンハイツと1964年東京オリンピック

現在公開中の話題の映画「イン・ザ・ハイツ」は、ニューヨークにあるドミニカ移民を中心とする居住地区「ワシントンハイツ」が舞台となっています。
今回はかつて東京にあった「ワシントンハイツ」と1964年東京オリンピックの関係について、特別企画「スポーツ NIPPON」の展示作品よりご紹介します。



ワシントンハイツ(Washington Heights)は、第二次世界大戦後、アメリカ軍が代々木に有していた、兵舎と家族用住居などからなる軍用地です。1946(昭和21)年に建設され、1964(昭和39)年に日本へ返還されました。同地は現在、代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターなどを含む広大な敷地です。

「1964年東京大会 代々木選手村模型」は、ワシントンハイツ返還後、オリンピック選手村として既存の木造住宅や鉄筋コンクリートのアパートを修築して、選手、役員の宿舎とした際に制作されたものです。スケールは1/2000、丹青社の制作で、緑豊かな代々木の姿が再現されています。
この模型ですが、表面は漆塗りに金箔を散らした豪華な装丁で、持ち運びを意識して、蓋付きのトランク型につくられています。つまり、1964年東京大会の招致に際して、選手村の概要を海外向けに宣伝するために制作されたものなのです。


1964年東京大会 代々木選手村模型
昭和37年(1962) 秩父宮記念スポーツ博物館蔵



蓋の裏面には、「YOYOGI OLYMPIC VILLAGE」として、英語で紹介文が記されています。メインスタジアムである国立競技場に近く、924,000㎡の敷地を有し、男子選手6,500名、女子選手500名、役員600名が収容可能で、大食堂や映画館、教会が完備されていることなどが記載されています。また、木造住宅、アパートと内部の様子が写真で紹介されています。



ちなみに、模型の右上には、最近、国の重要文化財(建造物)の指定を受けた、丹下健三設計の代々木競技場の姿も見えます。1964年東京大会では、第一体育館は水泳、第二体育館はバスケットボールの会場として使用されました。



1964年の東京オリンピック招致の資料、「1964年東京大会 招致用アルバム『東京』」は競技施設などを写真で紹介しています。
また、「『第18回オリンピック競技大会開催都市に対する質問への回答書』および附図」は、国際オリンピック委員会(IOC)からの質問に対して、大会の準備状況や運営体制などについて説明しています。
附図には、国立競技場とはじめとする神宮外苑地区、代々木選手村、駒沢公園など、オリンピック関係施設の整備状況がカラーの図で示されています。


1964年東京大会 招致用アルバム「東京」
昭和34年(1959)秩父宮記念スポーツ博物館蔵


『第18回オリンピック競技大会開催希望都市に対する質問への回答書』および附図
昭和33年(1958) 秩父宮記念スポーツ博物館蔵







今回ご紹介した模型をはじめ、1964年東京大会に際して整備されたこれらの施設は、永く人々の記憶に残る大会のレガシー(遺産)といえるでしょう。

 

東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

 

カテゴリ:特別企画

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posted by 青木祐一(秩父宮記念スポーツ博物館アーキビスト) at 2021年08月31日 (火)

 

浮世絵にみる日本のスポーツ~お江戸はスポーツざんまい~

東京2020オリンピックも無事に閉幕し、8月24日(火)からはパラリンピックが開幕します。
特別企画「スポーツ NIPPON」も、まもなく折り返し。8月17日(火)から後期展示がはじまりました。

今回は後期に展示する作品のなかから、浮世絵版画を中心にご紹介します。


特別企画「スポーツ NIPPON」展示風景

江戸の町人文化を代表する浮世絵は、美人画や役者絵のほかにも、多彩な題材を取り扱っていました。とりわけ、当時のスター力士の姿を描いた「相撲錦絵(すもうにしきえ)」は、浮世絵の主要ジャンルを形成しています。
相撲は古代から続く日本の伝統的な格闘技ですが、18世紀末には一大スポーツ興行として発展し、熱狂的な人気を集めました。人々は見物料を支払って相撲小屋に出向き、人気力士の取組みをこぞって観戦しに行ったのでした。現代にも続く、プロスポーツとしての大相撲の興行が、この時期すでに成立していたことは注目されます。勝負が「賭け」の対象となっていたことも、庶民の娯楽として人気を博した一因だったようです。
そうした相撲人気を背景に刊行されたのが、力士のブロマイドともいうべき相撲錦絵です。勝川春章(かつかわしゅんしょう)や喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)といった当代一流の浮世絵師たちが腕を競い合い、相撲人気にさらに拍車をかけたのでした。


加治ケ浜 関の戸 行司木村庄之助(かじがはま せきのと ぎょうじきむらしょうのすけ) 
勝川春章筆 江戸時代・天明4年(1784) 東京国立博物館蔵 
展示期間:8月17日(火)~9月20日(月・祝)

ちなみに今回の特別企画では、浮世絵のコーナーとは別に、相撲にちなんだ作品を紹介する「組む/相撲」という展示コーナーもあります。解説パネルには、当館のデザイン室が作成したオリジナルのピクトグラムを表示しており、互いに正面から取っ組み合う様子をシンプルかつ的確に表しています。
ほかにも、馬術や弓術、剣術を表したピクトグラムを解説パネルにつけていますので、こちらのピクトグラムにもご注目ください。


「組む/相撲」解説パネルのピクトグラム

続いてご紹介するのは、歌川広重の代表作として知られる「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」の1枚、「平塚 縄手道(ひらつか なわてみち)」です。
東海道沿いの53の宿場町を旅情豊かに描いた著名なシリーズですが、この絵のいったいどこがスポーツにかかわるというのでしょうか。


東海道五拾三次之内・平塚 縄手道
歌川広重筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 
展示期間:8月17日(火)~9月20日(月・祝)

画面には、こんもりとした高麗山(こまやま)の後ろに富士山が描かれ、前方にはジグザグに伸びるあぜ道が見えます。注目したいのは、画面中央下付近、小包を肩にのせてあぜ道を走る「飛脚(ひきゃく)」の姿です。
飛脚は、手紙や金銭、小荷物を運ぶ役目を担った人のこと。元々は、道沿いに30里(約16km)ごとに駅馬・伝馬を置く古代の交通制度に由来し、一定区間を走り継いで運送にあたりました。宿駅制度が整備された江戸時代にはとくに発展し、「継飛脚」、「大名飛脚」、「町飛脚」などが身分や用途によって使い分けられていました。
宿場間を数人でバトンタッチして走る姿は、お正月に定番のあのスポーツとよく似ています。そう、「駅伝」です。
日本で最初に開催された駅伝競走は1917年に実施された「東海道五十三次駅伝徒歩競走」で、京都から上野までの約500kmを23区間に分け、3日間にわたって行われたといいます。このとき、主催者によって付けられた名称が、古代の駅馬・伝馬の制度にちなんだ「駅伝」だったのです。
駅伝は日本発祥のリレー競技といわれ、海外でも「EKIDEN」と呼ばれています。

浮世絵にはほかにも、古今東西の風景やさまざまな文化や習俗を描いた作品があります。
「諸国名所風景 相州 江島 漁船(しょこくめいしょふうけい そうしゅう えのしま ぎょせん)」では、江ノ島付近の海に潜って貝や海藻などをとる、いわゆる「海女(あま)」の姿が描かれています。水中を自由自在に泳ぐ姿は、まさにスイマーそのものです。


諸国名所風景 相州 江島 漁船 
二代喜多川歌麿筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 
展示期間:8月17日(火)~9月20日(月・祝)

日本では古くから、武芸のひとつとして発展した独自の泳法・水術がありました。現在は「日本泳法」や「古式泳法」と総称され、神伝流・水府流・向井流など13の流派が日本水泳連盟に公認されています。戦闘や護身のための実用に即した水術ですが、なかには現在のアーティスティックスイミングや水球などに通じる技術も含まれ、世界的にみてもきわめて高度な水泳技術が発達していたのでした。
近代以降の日本の水泳選手の目覚ましい活躍も、おそらくはこうした下地があったからともいえるでしょう。とくに1932年のロサンゼルス・オリンピック大会の水泳では、日本は男子6種目中5種目で金メダルを獲得し、水泳は「日本のお家芸」と呼ばれたのでした。


1932年ロサンゼルス大会 日本代表水着 
昭和7年(1932) 秩父宮記念スポーツ博物館蔵 

さて、日本に「スポーツ」の概念が移入されるのは明治時代以降であり、今回展示する浮世絵でも、厳密には「スポーツ」と呼べない作品も含まれています。しかし、身体能力を活かした仕事や遊び、武芸に秀でた歴史的人物を描いた浮世絵には、心身を鍛え、自身の技を磨き上げるような、現代スポーツの理念や形式にも通じ合う作品も多くみられます。



本展が、日々の生活のなかにたくさんのスポーツの要素を見出すきっかけになれば幸いです。
 

東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

カテゴリ:特別企画

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posted by 高橋真作(文化財活用センター企画担当研究員) at 2021年08月17日 (火)

 

自身の経験をもとに開発、金栗四三の「マラソン足袋」

 特別企画「スポーツ NIPPON」は、第1章「美術工芸にみる日本スポーツの源流」と第2章「近現代の日本スポーツとオリンピック」の2章構成となっています。今回は、第2章の「マラソン足袋」を通して、スポーツ用具の開発についてご紹介します。

マラソン足袋 明治~大正時代・20世紀 秩父宮記念スポーツ博物館蔵 
 
日本が初めて出場したオリンピック大会は、1912年ストックホルム大会です。出場選手は2名、マラソンに金栗四三(かなくりしそう)、短距離に三島弥彦(みしまやひこ)。ここから、日本のオリンピック参加の歴史が始まりました。長距離選手の先駆者として知られるのは金栗四三です。彼はストックホルム大会に足袋を履いてマラソンに臨みました。
 
(1)金栗がオリンピックに出場した時と同モデルの足袋
 
(1)は金栗が最初に用いたものと同じ形状のものです。足底は布製で、足首が長くて、日本の「直足袋(じかたび)」そのものです。日本の地面を走るのにはこれで十分でした。しかし、ストックホルムのマラソンコースは石畳があり、底が布製の足袋では、滑って大変だったようです。また、石畳の硬さは直接足に伝わります。さらに、足首全体を「こはぜ」と呼ばれる薄い金具で固定する足袋では、足首をうまく使うことができませでした。
 
(2)足首が短くなった足袋
 
(2)は足首を自由に動かすために、足首部分を短くしたモデルです。これは「金栗タビ」という名で販売され、金栗に限らず、当時のマラソン選手も使用したようです。
 

(3)ゴム底になった足袋
 
(3)は足底の布をゴム製にし、さらにクッション性をもたせたモデルです。ゴム底は滑らないように、溝が彫られています。金栗の経験をもとに、確実に改良されていることがわかります。
 
(4)ひも靴のような足袋
 
(4)は最終形ともいえるマラソン足袋です。「こはぜ」を足首の掛ひもに引っ掛ける留め方をやめて、足の甲で紐を縛るようになっています。足によりしっかりと密着するようになり、ほとんど靴のような形に進化したといえるでしょう。
 
金栗は、1912年ストックホルム大会後、1920年アントワープ大会、1924年パリ大会と、合わせて3つのオリンピック大会に出場しました。金栗は選手として語られるのがほとんどですが、彼は同時に用具の改良にも努めました。彼のスポーツ人生には、足袋を制作した「ハリマヤ」運動具店の店主とともに足袋の改良を続けた、共同開発者の顔もあったのです。
 
東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

カテゴリ:特別企画

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posted by 新名佐知子(秩父宮記念スポーツ博物館学芸員)  at 2021年07月29日 (木)

 

展覧会で見る、日本スポーツの歴史と文化

特別企画「スポーツ NIPPON」では、日本スポーツの歴史と文化について、秩父宮記念スポーツ博物館と当館の所蔵品により紹介しています。



最初に本題から少し外れますが、これまでに日本国内の博物館・美術館で開催された、日本スポーツを取り上げた代表的な展覧会をご紹介します。

まず挙げられるのが、1964年東京大会にあわせて、日本体育学会と毎日新聞社が主催して東京池袋西武百貨店で開催された「日本スポーツ史」展です。
この展覧会では、日本スポーツを原始スポーツ、貴族的スポーツ、武家的スポーツ、庶民的スポーツ、近代スポーツに部門分けし、さらに正倉院御物(しょうそういんぎょぶつ)・鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)、狩猟、相撲(すもう)、登山等の四部門を別個に設けました。
総数225件もの考古資料、文献史料、美術工芸品などによって日本スポーツの歴史を総合的に紹介しています。
これほどの規模で日本スポーツに関する展覧会が開催されたのは初めてのことであり、当時の関係者たちの意気込みが伝わります。

次にご紹介するのは、1994年に徳川美術館で開催された「美術に見る日本のスポーツ」展です。
武士の武芸や貴族の宮廷行事、庶民の遊戯の中から弓術(きゅうじゅつ)・相撲・剣術・蹴鞠(けまり)・打毬(だきゅう)などを日本の伝統的スポーツと位置づけ、これらを題材にした国宝・重要文化財を含む86件の美術工芸品が展示されました。
伝統的スポーツが日本美術における画題や意匠のひとつになっており、日本文化を理解する上でも重要なものであることを示した点が高く評価されています。

最近では、2019年に江戸東京博物館にて特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」が開催されました。
日本の伝統的スポーツが江戸時代には競技や娯楽としての性格を強めつつ、庶民層まで浸透していたことを起点として、明治時代以降の西洋スポーツの普及と伝統的スポーツの近代化、日本選手のオリンピックへの挑戦と活躍、戦時下でのスポーツ事情、そして1964年東京大会の誘致から開催までの流れを、196件の展示資料によって様々な切り口で紹介した優れた内容となっています。

本展は、展示作品数50件と、規模的には上記の展覧会ほど大きなものではありませんが、秩父宮記念スポーツ博物館と当館が協力することにより、日本スポーツの歩みを原始・古代から近現代まで通観し、その魅力をわかりやすく紹介することを目指しました。

さて、本題に戻りまして、本展の第1章「美術工芸にみる日本スポーツの源流」より、私のおすすめ作品をご紹介します。

日本の伝統的スポーツのうち、剣道や居合道は、武士の武芸として重視された剣術にそのルーツがあります。
日本の剣術は、日本独自の刀剣である日本刀が誕生した平安時代後期(11世紀)頃から、刀剣を自在に操るために発達したと考えられます。
大規模な戦乱が全国に広がった室町時代後期(戦国時代)には、より実戦的な剣技を体系化した剣術流派や、宮本武蔵(みやもとむさし)に代表されるような剣豪が登場し、その理念や奥義を図解した秘伝書がまとめられるようになりました。

「愛洲陰流伝書(あいすかげりゅうでんしょ)」はそのひとつです。
愛洲陰流は、室町時代に伊勢国(三重県)の愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)が編み出した剣術流派で、陰流(影流)ともいい、新道流(しんとうりゅう)・念流(ねんりゅう)とともに兵法三大源流のひとつとされます。
本作品では、「猿飛(えんぴ)」、「猿廻(えんかい)」、「山陰(やまかげ)」、「月陰(つきがげ)」、「浮舩(うきふね)」など、様々な剣技が図示されています。


愛洲陰流伝書(部分) 室町時代・16世紀写 東京国立博物館蔵


右から「山陰」、「月陰」、「浮舩」が描かれています。

天下泰平となった江戸時代においても、刀剣は武士の象徴であり、心身の鍛錬としての性格を強めつつ、様々な剣術流派が派生しました。
「北斎漫画(ほくさいまんが)」は、江戸時代を代表する浮世絵師の一人、葛飾北斎(かつしかほくさい)による絵手本(スケッチ画帳)で、人物、動植物、風景、器物、建物、妖怪など様々なものが取り上げられています。
今回は、剣術や槍術などの武芸が描かれた場面を展示しており、江戸時代の剣術稽古の様子や道具がよく分かります。


北斎漫画 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵

また、江戸時代には実際に刀剣を使う機会が少なくなったことから、試し切りによって刀剣の切れ味を評価することも行われました。
「刀 長曽祢虎徹(かたな ながそねこてつ)」は、優れた切れ味で名高い長曽祢虎徹が製作したもので、よく鍛えられた刀身に冴えた刃文(はもん)が光ります。
茎(なかご)には「四胴(よつどう)」の金象嵌銘(きんぞうがんめい)があり、試し切りの名手であった山野加右衛門(やまのかえもん)が、この刀で罪人の遺体4体を重ね切りしたことが記されています。


刀 長曽祢虎徹 長曽祢虎徹作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵


「四胴」の文字が金象嵌銘で記されています。

このように、本展の前半は、日本の伝統的スポーツについて当館所蔵品を通して紹介しています。
また、江戸時代の浮世絵に描かれた様々な画題の中から、心身を鍛え、ルールのもとで互いの技を競い合うという、現代のスポーツやオリンピック精神にも通じるような内容のものを選んで展示しています。
これらについては、次回以降の1089ブログでご紹介しますのでお楽しみに。
 

東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

カテゴリ:特別企画

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posted by 佐藤寛介(登録室・貸与特別観覧室長) at 2021年07月21日 (水)

 

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