展覧会のみどころ
プロローグ 埴輪の世界
古墳時代の3世紀から6世紀にかけて埴輪(はにわ)が作られました。日本列島で独自に出現、発達した埴輪は、服や顔、しぐさなどを簡略化し、丸みをもつといった特徴があり、世界的にも珍しい造形として知られています。ここでは東京国立博物館の代表的な所蔵品のひとつである「埴輪 踊る人々」を紹介します。この埴輪は、東京国立博物館が創立150周年を機に、文化財活用センターとクラウドファンディングなどで寄附をつのり、2022年10月から解体修理を行いました。2024年3月末に修理が完了し、本展が修理後初のお披露目となります。
埴輪 踊る人々
埼玉県熊谷市 野原古墳出土 古墳時代・6世紀
東京国立博物館蔵
埴輪といえばこれ!と思われる方も多いですが、実は時代が新しく、表現の省略が進んだ姿です。その反面、埴輪がもつ独特な「ゆるさ」を象徴する存在でもあります。王のマツリに際して踊る姿であるとする説のほかに、近年は片手を挙げて馬の手綱(たづな)を曳(ひ)く姿であるとする説も有力です。
第1章 王の登場
埴輪は王(権力者)の墓である古墳に立てられ、古墳からは副葬品が出土します。副葬品は、王の役割の変化と連動するように、移り変わります。古墳時代前期(3~4世紀)の王は司祭者的な役割であったので、宝器を所有し、中期(5世紀)の王は武人的な役割のため、武器・武具を所有しました。後期(6世紀)は官僚的な役割を持つ王に、金色に輝く馬具や装飾付大刀が大王から配布されました。このほか各時期において、中国大陸や朝鮮半島と関係を示す国際色豊かな副葬品も出土します。ここでは国宝のみで古墳時代を概説し、埴輪が作られた時代と背景を振り返ります。
国宝
金製耳飾
熊本県和水町 江田船山古墳出土 古墳時代・5~6世紀
東京国立博物館蔵
水滴形および円錐形の飾りの付いた三連のチェーンをぶら下げた金製耳飾りで、一部に銀やガラス製の部品が使われています。揺れ動くたびにダイナミックにきらめき、音を奏でる最先端のアクセサリーでした。朝鮮半島南部にあった古代国家、加耶(かや)で製作され、熊本の豪族にもたらされたものでしょう。
国宝
金銅製沓
熊本県和水町 江田船山古墳出土 古墳時代・5~6世紀
東京国立博物館蔵
金銅板を鋲で留めて作られた全長34センチメートルの沓で、亀甲文で飾られ、各交点には小さな飾りが付けられていたと推定されます。死者のための沓で、底は全面に突起があり、実際に履いて歩くことはできません。朝鮮半島の百済で作られました。沓は耳飾りとともに朝鮮半島から伝来した新しいファッションのひとつで、人物埴輪の装いにも見られます。
第2章 大王の埴輪
ヤマト王権を統治していた大王の墓に立てられた埴輪は、大きさや量、技術で他を圧倒しています。天皇の系譜に連なる大王の古墳は、時期によって築造場所が変わります。古墳時代前期は奈良盆地に築造され、中期に入ると大阪平野で作られるようになります。倭の五王の陵(みささぎ)としても名高い、大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は世界文化遺産に登録されています。そして後期には、継体(けいたい)大王の陵とされる今城塚(いましろづか)古墳が淀川流域に築造されます。本章では、古墳時代のトップ水準でつくられた埴輪を、その出現から消滅にかけて時期別に見ることで、埴輪の変遷をたどります。
家形埴輪
大阪府高槻市 今城塚古墳出土 古墳時代・6世紀
大阪・高槻市立今城塚古代歴史館蔵
3つのパーツを組合せてつくられた巨大な家形埴輪で、屋根の上部と床下の高床部分が別づくりになっています。屋根の上には現代の神社建築にも通じる千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)がのせられており、大王にふさわしい建物であることがわかります。
重要文化財
円筒埴輪
奈良県桜井市 メスリ山古墳出土 古墳時代・4世紀
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵
日本最大の埴輪。メスリ山古墳では、後円部中央の竪穴式石室を取り囲むように多数の巨大な円筒埴輪がたてられました。この円筒埴輪はそのうち最大のものです。2メートルを上回るその高さ、大きさもさることながら、2センチメートルほどしかない薄さにも注目です。
第3章 埴輪の造形
埴輪が出土した北限は岩手県、南限は鹿児島県です。日本列島の幅広い地域で、埴輪は作られました。それらの埴輪は、当時の地域ごとの習俗の差、技術者の習熟度、また大王との関係性の強弱によって、表現方法に違いが生まれています。その結果、各地域には大王墓の埴輪と遜色ない精巧な埴輪が作られる一方で、地域色あふれる個性的な埴輪も作られました。ここでは各地域の高い水準で作られた埴輪や、独特な造形の埴輪を紹介します。
馬形埴輪
三重県鈴鹿市 石薬師東古墳群63号墳出土 古墳時代・5世紀
三重県蔵(三重県埋蔵文化財センター保管)
馬は、古墳時代に朝鮮半島から渡来して急速に普及し、農耕や軍事、儀式などに用いられました。馬形埴輪の大半は、数多くの馬具を身に付けた「飾り馬」です。この埴輪も飾り馬を忠実に模していますが、頭部の表現が独特です。被りものか、たてがみを垂らした状態を表したと思われ、全国的に見ても類例のない珍しいものです。
重要文化財
埴輪 天冠をつけた男子
福島県いわき市 神谷作101号墳出土 古墳時代・6世紀
福島県蔵(磐城高等学校保管)
写真:いわき市教育委員会提供
美豆良(みずら)を肩まで垂らしたヘアスタイルに、両手を前に捧げ胡坐(あぐら)をかいて座る端正な顔立ちの男性です。三角形の冠のひさしの先端には7つの鈴が上下に揺れています。左腰には大刀と弓を射る時の防具である鞆(とも)を下げた盛装のいでたちです。衣服や冠、頬は赤く彩色されており、威儀(いぎ)を正し拝礼する若き王の姿をほうふつとさせます。
第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間
埴輪として初めて国宝となった「埴輪 挂甲の武人」には、同じ工房で作成された可能性も指摘されるほど、兄弟のようによく似た埴輪が4体あります。そのうちの1体は、現在アメリカのシアトル美術館が所蔵しており、日本で見られる機会は限られています。今回、5体の挂甲の武人を史上初めて一堂に集め、展示します。なお、国宝「埴輪 挂甲の武人」は近年修理と調査研究を行い、『修理調査報告 国宝 埴輪 挂甲の武人』(2024年、東京国立博物館発行)として報告書を刊行しました。ここではその最新の研究成果も紹介します。
国宝
埴輪 挂甲の武人
群馬県太田市飯塚町出土
古墳時代・6世紀
東京国立博物館蔵
重要文化財
埴輪 挂甲の武人 (部分)
群馬県太田市成塚町出土
古墳時代・6世紀
群馬・(公財)相川考古館蔵
埴輪 挂甲の武人
群馬県太田市出土
古墳時代・6世紀
アメリカ、シアトル美術館蔵
埴輪 挂甲の武人
群馬県伊勢崎市安堀町出土
古墳時代・6世紀
千葉・国立歴史民俗博物館蔵
重要文化財
埴輪 挂甲の武人
群馬県太田市世良田町出土
古墳時代・6世紀
奈良・天理大学附属天理参考館蔵
埴輪 挂甲の武人(彩色復元)
令和5(2023)年 原品:群馬県太田市飯塚町出土
古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵
制作:文化財活用センター
国宝「埴輪 挂甲の武人」には、表面に色が塗られていた痕跡が各所に残っています。平成29(2017)年から平成31(2019)年に実施した解体修理に際し、詳細な観察と分析を行いました。その結果、白、赤、灰の3色が全体に塗り分けられていたことがわかりました。このたび実物大で彩色復元を行い、製作当時の姿をご覧いただきます。
第5章 物語をつたえる埴輪
埴輪は複数の人物や動物などを組み合わせて、埴輪劇場とも呼ぶべき何かしらの物語を表現します。ここではその埴輪群像を場面ごとに紹介します。例えば、古墳のガードマンである盾持人(たてもちびと)、古墳から邪気を払う相撲の力士など、多様な人物の役割分担を示します。また、魂のよりどころとなる神聖な家形埴輪は、古墳の中心施設に置かれ、複数組み合わせることで王の居館を再現したのではないかと考えられます。このほか動物埴輪も、種類ごとに役割が異なります。この章の動物埴輪は、従来にないダイナミックな見せ方で展示します。
鹿形埴輪
静岡県浜松市 辺田平1号墳出土 古墳時代・5世紀
静岡・浜松市市民ミュージアム浜北蔵
後ろを振り返ったポーズをとる、いわゆる「見返りの鹿」です。大きな角を持った牡鹿で、胴部には焼く時に空気を抜く穴があけられています。鹿の埴輪は犬や人物とセットになって狩猟場面を構成し、この古墳からも弓を持つ人物が出土しました。後の世の武士が愛好した鷹狩のように、狩猟は常に権力と結びついていました。
エピローグ 日本人と埴輪の再会
古墳時代が終わると埴輪は作られなくなりますが、江戸時代に入ると考古遺物への関心が高まり、埴輪がふたたび注目を浴びるようになります。著名人が愛蔵した埴輪、著名な版画家の斎藤清が描いた埴輪、埴輪の総選挙(群馬HANI-1グランプリ)でNo.1になった埴輪など、芸術家や一般市民など幅広い層で埴輪が愛されています。ここでは近世以降、現代にいたるまで埴輪がどのように捉えられてきたかについて紹介します。
武人埴輪模型
吉田白嶺作 大正元年(1912年)
東京国立博物館蔵
明治天皇陵に埋められたとされる武人埴輪の模型です。江戸時代以降に国学が発達したことで、古い祭儀への関心が高まり、皇室に関係する場面にも古墳の要素が取り入れられることがありました。幕末の孝明天皇陵は円墳になり、明治天皇陵では埴輪が作られたことが知られています。