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1089ブログ

徽宗コレクションから乾隆帝コレクションへ―故宮文物に出合う喜び―

私が國立台湾大学に留学していた10年以上前のこと。先生の一人が、日本はいつ故宮展をやるのか、と聞いてきました。ちょうどドイツでの展覧会が始まろうとしていたからです。当時、日本で故宮文物が見られないのは言わば“常識”でしたから、何も知らない大学院生だった私は、「僕が生きている間には無理なんじゃないですか(笑)」と答えていました。
しかし、東博の先輩方は当時から、いやその遙か昔から、20年以上の時間をかけて、今日の日にむけての準備を、着々と進めてくださっていたのです。
そして、いま、台北 國立故宮博物院が誇る最高の文物が、東京にやってきています。故宮文物とともにあるとは、なんと素晴らしい毎日でしょう!


奇峰万木図頁(きほうばんぼくずけつ) (伝)燕文貴筆 南宋時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵 坐石看雲図頁(ざせきかんうんずけつ) (伝)李唐筆 南宋時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵
(左) 奇峰万木図頁(きほうばんぼくずけつ) (伝)燕文貴筆 南宋時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵
(右) 坐石看雲図頁(ざせきかんうんずけつ) (伝)李唐筆 南宋時代・12世紀
 台北 國立故宮博物院蔵

故宮文物は、特別なものです。
そのような多くの人々の夢のつまった歴史的な展覧会で、どのような展示をするのか、館内では長い議論が続きました。作品個々の美しさを最大限に引き出すとともに、それらが文物として多くの人々の手によって守り伝えられてきた歴史を展示したいというのが、今回のワーキンググループの願いだったからです。
そのためにとられた手法が、素材別・時代別に並べるのではなく、作品の「意味」ごとに10のゾーンに区切る展示法です。たとえば、青銅器玉器など考古遺物からはじまり、絵画は絵画、書は書、磁器は磁器というふうに、素材別の名品展が連続するのも、一つの展示の仕方です。しかし今回は、コレクションとして同じ意味を持ったものを、違った素材であっても一つのゾーンにまとめ、展示することによって、会場全体に変化をもたせ、同時に故宮文物が美術作品としてだけではなく、「文物」として伝来してきた意味を感じていただく構成といたしました。


散氏盤(さんしばん) 西周時代・前9~前8世紀 台北 國立故宮博物院蔵 散氏盤(さんしばん) 西周時代・前9~前8世紀 台北 國立故宮博物院蔵
散氏盤(さんしばん) 西周時代・前9~前8世紀 台北 國立故宮博物院蔵
展示の一点目は、故宮文物の「意味」を代表する「散氏盤」からはじまります。国家が最も重視した国境を定める故事が書かれています。


作品にたてば、今回来日している作品たちがただの美しい美術品ではなく、人々の社会と密接に結びついた「文物」であることに、気がつかれることでしょう。展示が必ず「散氏盤」から始まらなければならなかった理由も、ここにあります。


展示空間 展示空間
徽宗の宝物の御殿であった「宣和殿(せんなでん)」をイメージした、小さくて瀟洒な、北宋の美学を象徴する展示空間。

そこから「皇帝コレクションの淵源」を通って入ると「徽宗(きそう)コレクション」のコーナーです。
東洋のルネサンスと呼ばれる徽宗の時代、士大夫たちの精緻な古代研究と美意識が合致して、東アジア芸術史上類い希なる芸術品が生み出されました。その一つが汝窯(じょよう)であり、士大夫の書画です。


汝窯 
最新のLEDと有機ELで照らされた汝窯は、台北の展示場とは違った輝きを持っているのもわかります。

この時代の宮廷文物は、日本ではほとんど見ることができません。それは北宋時代と日本との交流が限られており、日本あるのはほとんどが仏教文物であったからです。足利時代から日本人が「徽宗皇帝の御殿」と憧れてきた徽宗コレクションを、眼前で見ることができるとは、なんと幸せなことでしょう!


展示空間 展示空間

同じ空間は南宋時代の展示でも繰り返されています。やや淡い色の官窯と清朝の倣古青磁。研ぎ澄まされた高い精神と南宋宮廷絵画がよくマッチした空間になっているのがわかると思います。

青磁輪花鉢 官窯 南宋時代・12~13世紀 台北 國立故宮博物院蔵 太液荷風図頁 馮大有筆 南宋時代・13世紀 台北 國立故宮博物院蔵
(左)青磁輪花鉢 官窯 南宋時代・12~13世紀 台北 國立故宮博物院蔵
(右)太液荷風図頁 馮大有筆 南宋時代・13世紀
 台北 國立故宮博物院蔵


龍文玉盤 北宋または遼時代・10~11世紀 台北 國立故宮博物院蔵
龍文玉盤 北宋または遼時代・10~11世紀 台北 國立故宮博物院蔵
台北では見ることができない、透かし彫りに両面からあてられた照明の美しさもご堪能ください。

第二室に入ると、皇帝を象徴するような正面に雄大な北方山水画と龍の玉皿が皆様を出迎えます。そしてその右側には朝廷に出仕した人、左側には出仕せず隠棲した文人たちの書画が取り囲んでいます。まさに中国の世界観を示す展示空間となりました。


赤壁図巻 武元直筆 金時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵
赤壁図巻 武元直筆 金時代・12世紀 台北 國立故宮博物院蔵

同じ古物であっても、時代によって環境によって、その意味は変化していきます。どのような展示をするかによっても、その意味は変わっていきます。そして今回の展示では、最後の多宝格の展示空間へと、徽宗から乾隆帝コレクションへと続いていく構成になっています。
故宮文物は特別な意味を持っています。そしてそれを迎える私たちも、人生で一度しかないであろう、特別な時間を過ごしていることを、喜んでいます。少なくとも、千年前からの日本人にはなかった、特別の体験をしていることは、何度も考えなくてはならないことです。
日本でしか味わえない、故宮文物の展示空間を、個々の作品の美しさとともに、お楽しみくだされば幸いです。

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2014年08月23日 (土)

 

中国漆芸の魅力

マーケットでの中国美術の高騰が騒がれて、久しくなります。当初は単に、投機目的の人々が増えて価格が上がったと思っていたのですが、そればかりではなくて、近年は世界中で中国美術の人気そのものが高まり、収集家や愛好家、研究者が増えているように感じます。

日本の歴史の中で中国の美術工芸品は、唐物とよばれて珍重され、将軍を筆頭とする有力武家や大寺院など、ごく限られた権力者や富裕層のものでした。近代以降も、青銅器や陶磁器のコレクターなど、中国工芸の愛好者と言えば、経済界で成功を収めた大実業家のイメージです。

ところが最近、若い女性達などの間で、もう少し気軽に中国の工芸が鑑賞されるようになってきたようです。特に人気なのが、清朝磁器。彩度の高い鮮やかな色調と精巧無比な造形は、まるで手わざとは思えないくらい。均質性の高いところなど、工業製品に囲まれて生活している現代の我々にとって、かえって親しみやすいのかも。

私の担当している漆工品はというと、彫漆の天目台や盆など、お茶を嗜む方々には格式の高い道具としておなじみですが、若い世代の方々の認知はまだこれからといった感じです。
ここでは、中国の漆芸装飾の主流を占めた「彫漆(ちょうしつ)」による出品作品で、その魅力をご紹介しましょう。堆朱や堆黒など、漆を塗り重ねた厚い層を彫刻して文様を表わす技法を、「彫漆」とよんでいます。



花卉堆朱長頸瓶(かきついしゅちょうけいへい)    明時代・永楽年間(1403~1424)
塗り重ねた漆の層は厚く、文様は立体的に量感豊かに彫り出されています。表面には、漆特有の滑らかな艶があります。



双龍堆朱碗(そうりゅうついしゅわん) 明時代・嘉靖(かせい)年間(1522~66)
小さな曲面に隙間無く龍涛(りゅうとう)文や瑞雲(ずいうん)文を表わし、龍の頭部や鱗、鬢髪(びんぱつ)に至るまで、精細に彫り出しています。


 
双龍彫彩漆長方盆(そうりゅうちょうさいしつちょうほうぼん) 明時代・万暦(ばんれき)17年(1589)
こんどは地の部分にも、ご注目下さい。このように大変細かい地文を彫り込むのは、万暦年間の彫漆の特徴です。地文にもこだわりが感じられます。



八宝文堆朱方勝形箱(はっぽうもんついしゅほうしょうがたはこ) 清時代・18世紀
台脚の足先など曲面の細い部分にまで地文を彫り込んでいて、実に精巧な作行。ここに到ってはもはや、地文の方がインパクト強いです。

年代順に見てきましたが、いかがでしょう?
彫刻がどんどん細密になって行くのが、お分かりいただけたかと。
清時代には、彫漆のみならず象牙や竹、胡桃の殻などの細工の分野でも、細密彫刻が流行しました。
これらは単に高度な彫刻技術を顕示しているのではなく、気が遠くなるほどの手間と時間の集積を、視覚的に表現しようとしたものではないかと思うのです。

日本では伝統的に、漆の質感を大事にしますので、花卉堆朱長頸瓶のような、明時代前期の作品の方が好まれてきました。私自身もこれまではそうだったのですが、今回故宮の漆器を間近に拝見して、考えを改めたところがあります。皆様にも是非、実際の作品で見比べていただけたらと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 竹内奈美子(工芸室長) at 2014年08月18日 (月)

 

神技!台北 國立故宮博物院の「染織絵画」

世界4大博物館とも称される台北 國立故宮博物院。
その理由の1つは、中国美術の頂点といわれる宋時代の名品の数々が数多く所蔵されているからであり、書画や陶磁器の名品をご存知の方も多いことでしょう。しかし、その所蔵品の中に、織物や刺繍の名品があることをご存知の方は少ないのではないでしょうか。台北故宮を訪れる日本人は多くても、その展示室で、織物や刺繍の作品が展示されることはほとんどないのですから。
織物や刺繍といった染織作品は、すべて天然染料で染められていますので、光に当てすぎると褪色してしまいます。また、絹という脆弱な繊維素材でできていますので、完全な状態で後世に遺されることは大変に難しいものです。そういった保存の問題から、台北故宮で数少ない古い時代の染織を常時展示することはできないのでしょう。
実は、台北故宮でも見ることのできない織物や染物の名品が、東京国立博物館で開催中の「神品至宝」展では20点展示されています。今回は、当館での展示を逃しては見ることができないであろう素晴らしい名品を、このブログでしか見られない画像とともにご紹介します。



刺繍九羊啓泰図軸(ししゅうきゅうようけいたいずじく) 元時代 13~14世紀 台北 國立故宮博物院蔵
「九陽消寒、春回啓泰」という言葉を絵画的に表したもので、中国のお正月である「春節」に飾られるものです。春の到来とともに、九つの太陽が世の中をあまねく照らし、すべてのことが思い通りにかなうという意味があります。遠目には絵画のように見えますが、実は、すべて刺繍です。宋~元時代の絵画にもしばしば描かれた画題ですが、それを刺繍で表現した、という点にこの作品が制作された意図があります。
刺繍の技法は、背景の奇岩や地面などを彩る技法と、人物や羊などを表わす技法と大きく二つに分かれます。


刺繍九羊啓泰図軸(部分図)
背景の刺繍技法をアップにしました。織物のように見えますが、じつは、紗と呼ばれる織目に隙間がある薄手の絹地に、一目ひとめに色糸を刺す戳紗繍(たくしゃぬい)という中国独特の技法が用いられています。


刺繍九羊啓泰図軸(部分図)
中央の牧童の目や耳もすべて刺繍です。


刺繍九羊啓泰図軸(部分図)
牧童が着用する上着(袍)の胸には、龍の文様が!君子の証です。


刺繍九羊啓泰図軸(部分図)
牧童が持つ梅が枝の先に掛けられた鳥籠。鳥籠や鶯も細かく刺繍されています。

この時代、絵画は水墨画が主流でした。絵画はモノクロームですが、刺繍で表わされた絵画は、天然染料特有の透明感のある絹糸で彩られます。春節の慶事を華やかに飾ったことでしょう。




緙絲海屋添籌図軸(こくしかいおくてんちゅうずじく) 南宋時代 12~13世紀 台北 國立故宮博物院蔵

「緙絲」とは、日本でいう「綴織(つづれおり)」のことです。これも、遠目には絵画のように見えますが、実は絹糸で織られたものです。「緙絲」で絵画を表わすことは、唐時代より行われていましたが、その技術が最高に達したのは宋時代のこと。沈子蕃のような有名な作家もいます。この作品には、元時代の綾に記された賛があります。賛の主は元時代の文学者・虞集(1272〜1348)。「皆、宋時代の緙絲をまねるが、宋時代のものには及ばない。小さいながらすべてが備わっている。実に珍しく貴重な作品であるから、大切にするように」と述べています。


絲海屋添籌図軸(部分図)
3cm四方を拡大してみました。絹織物であることがお分かりいただけますでしょうか。




刺繍咸池浴日図軸 南宋時代 12~13世紀 台北 國立故宮博物院蔵
『淮南子』にある「日出于阳谷 浴于咸池(日は暘谷より出でて、咸池に浴す)」を刺繍で表しています。是非、ご覧いただきたいのが、絹糸の光沢と質感を活かした波の表現。




刺繍咸池浴日図軸(部分図)
微妙な色糸の変化や糸を刺す方向から生まれる流れなどを駆使し、絹の光沢が見事に生かされ、今にも動きそうな躍動感にみなぎっています。




刺繍西湖図帖 (全十図の内「平湖秋月」) 清時代 18世紀 台北 國立故宮博物院蔵
現在、無形文化遺産にもなっている名勝は、古くから中国では「西湖十景」として知られ、絵画に描かれ、詩にも詠まれました。これは、清の刺繍が最高の技術に達した乾隆帝の時代に制作されたもの。西湖が大好きだった乾隆帝が作らせたのかもしれません。




刺繍西湖図帖 (全十図の内「平湖秋月」部分図)
建物の柱の輪郭、松葉の1本1本まで、色糸で刺繍しています。拡大鏡を覗きながらでないと、こんな刺繍はできません。乾隆帝が1枚1枚繰りながら、その技の素晴らしさに微笑む姿が想像されます。


これら台北故宮の染織の特徴は絵画を織物や刺繍といった染織技術で表わした作品であること。明の董其昌は『筠清軒秘録』の中で、宋繍は「佳なるものは画にくらべ更にまさる」と述べました。素晴らしい「染織絵画」の数々が「神品至宝展」にせいぞろいしました。会場で、中国染織の本当のすごさを実感してください。


【参考文献】
國立故宮博物院 蒋復璁編『國立故宮博物院 緙絲・刺繍』学習研究社、1970年刊
※台北故宮に所蔵されているすべての染織作品が掲載されています。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 小山弓弦葉(教育普及室長) at 2014年08月13日 (水)

 

展示室で歩く聖地・春日野

いま、本館の特別2室で「春日権現験記絵模本 I―美しき春日野の風景―」(2014年8月31日(日)まで)と題する特集の展示を行なっています。
春日権現験記絵とは、奈良市に鎮座する春日大社に祀られる神々の利益と霊験を描く絵巻で、三の丸尚蔵館が所蔵しています。全20巻から成るこの絵巻は、鎌倉時代の後期、時の左大臣西園寺公衡の発願により、高階隆兼という宮廷絵所の絵師が描いたもので、多くの絵巻作品の中でも最高峰の一つに数えられています。

この絵巻、永らく春日大社に秘蔵されてきたのですが、江戸時代の終わりに民間に流出してしまったようなのです。関係者の努力により絵巻は回収されましたが、こうした貴重な絵巻が紛失した時にそなえ、模本を作ろうという動きが出てきました。その命を下したのが紀州(和歌山)藩主徳川治宝(とくがわはるとみ)。治宝は幕末において様々な文化的な営みを主導した、まさに「文人お殿様」。この絵巻の模本を作ることで、いにしえの有職故実の研究にも役立てようとしていたようです。林康足、原在明、浮田一蕙、冷泉為恭、岩瀬広隆といった復古やまと絵師たちによって写されました。
模写にあたっては「復元模写」という、絵の具や絹などが剝落した箇所を復元し、彩色などをする方法がとられました。発色の良い絵の具が眼に栄えます。今回この特集で展示しているのは、この時写された模本です。模本といって侮ってはいけません。原本制作当初はこうした発色だったとも思われます。


春日権現験記絵模本 巻第19
春日権現験記絵模本 巻第19(部分) 冷泉為恭他模 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
この雪山の表現は原本でも模本でも、全場面中白眉の表現。


さて、今回の特集は「美しき春日野の風景」をテーマに、験記絵模本の中から、春日野を描く場面を選りすぐって展示しました。
春日社は藤原氏の氏神として多くの崇敬を受け、人びとは春日社の朱塗りの美しい鳥居や社殿を前に祈りを捧げてきました。ただ、春日の神々への祈りは社殿など目に見えるものではなく、目に見えぬ神々、そして神々の鎮座する春日野という「場」へ捧げられたものでした。春日野そのものが聖なる祈りの対象であるという認識です。こうした考えから、「春日宮曼荼羅」など、春日野の景観を一望にする作品が多く制作されました。


春日宮曼荼羅
春日宮曼荼羅図 鎌倉時代・13世紀(8月11日(月)で展示終了)
こうした聖地春日野の景観をふんだんに描き、その聖性を絵巻に込めたのが春日権現験記絵でした。


展示している各場面の詳細な説明は出来ませんので、一場面を取りあげます。
この絵巻の最終巻であり最後の絵である巻第20です。


春日権現験記絵模本 巻第20
春日権現験記絵模本 巻第20(部分) 冷泉為恭他模  江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵

春日の二の鳥居から本殿へ至る参道が長大な画面に描かれています。春日社を主題とするこの絵巻の中でも、これほど長く春日野を描いた箇所はありません。まさにこの絵巻のハイライトと呼べるシーンです(一方、物語の内容は春日の怪異をめぐるお話。詳細は会場で)。

展示室は多くの「美しき春日野の風景」であふれています。ぜひともお運び頂き、その清澄で美しい春日野の景観に思いを馳せて頂ければと思います。
最後に、展示室の作品には、どこにもかしこにも多くの鹿が描かれています。愛らしい鹿たちを探すのも、この特集の楽しみ方の一つです。


春日権現験記絵模本 巻第12
春日権現験記絵模本 巻第12(部分)  冷泉為恭他模  江戸時代・19世紀  東京国立博物館蔵(8月12日(火)から展示)
鹿に囲まれる牛車。これには深い訳があります。答えは会場の解説に。ぜひお越しください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室研究員) at 2014年08月12日 (火)

 

超絶技巧 清の皇帝コレクションの陶磁器

このたび開催中の特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」の準備にあたり、3回にわたって台北故宮を訪問し、作品を調査させていただく機会がありました。
 


中国・宋(960~1279)、明(1368~1644)、そして清(1644~1911)の皇帝たちのためにつくられた第一級の作品を、実際に手にとる。心臓が止まりそうなくらい緊張しましたが、研究員冥利に尽きる至福の時間でした。

それらを手にとって驚いたことは、想像していた以上に軽かったり、重かったり、大きかったり、小さかったり、そして光を通すほどに薄かったということです。

たとえば汝窯(じょよう)青磁。一般的に青磁は、素地の灰色半磁質の胎土のうえに、ガラス質の釉がかかったやきものです。日本に数多く伝わっている江南、浙江(せっこう)南部にひろがった龍泉窯(りゅうせんよう)青磁の胎は堅く密に焼き締まっていて、とくに底部が厚く、安定した造形が特徴です。青磁釉は時に何層も重ね掛けされるものもあり、手にとると小さな作品でもしっかりとした重みを感じるものです。ところが、汝窯の輪花碗の場合、さらさらと乾燥した軟質の胎土で、釉はごく薄くかかっており、素地は均一に薄いため、手にとるとふわっと軽いのです。


青磁輪花碗(せいじりんかわん) 
汝窯 北宋時代・11~12世紀 台北 國立故宮博物院蔵
 
また、見込みは吸い込まれるように深く、写真で見るよりずっと大きく感じます。輪花形の碗は、北宋時代(960~1127)に陶磁器や漆器、金属器にひろく流行した形で、見込みの深いものは湯をはって酒注を入れ、燗をするための「温碗(おんわん)」と考えられています。このように汝窯青磁は、それぞれたしかに実用に適ったシンプルな形をしています。しかし輪花碗を実際に両手にとってみると、まるで日本の楽茶碗(らくちゃわん)のように胴部の丸みがしっくりと手になじみます。北宋の皇帝、そして清(1644~1911)の乾隆帝(けんりゅうてい)はこうして手になじませてその形と色を楽しんだにちがいない。その悠然とした姿に「皇帝の器」という貫録を感じるとともに、いわゆる量産品にはない繊細さがあることがわかりました。

軽さ、薄さといえば、明時代(1368~1644)初期の景徳鎮(けいとくちん)官窯の器も驚異的です。永楽(えいらく)年製(1403~1424)の銘を持つ白磁雲龍文高足杯は、展示室のケースのなかで明るい照明を受けて、息を飲むような美しさで輝いています。


白磁雲龍文高足杯(はくじうんりゅうもんこうそくはい) 
景徳鎮窯 明・永楽年間(1403~1424) 台北 國立故宮博物院蔵

紙のようにごく薄い胎には雲龍文が刻まれていますが、肉眼でもなかなかよく見えません。光に透かすとようやく見えてくるこのような装飾は「暗花(あんか)」と呼ばれます。まさに超絶技巧、とても贅沢なやきものです。

この作品のほか、宣徳(せんとく)年間(1426~1435)、成化(せいか)年間(1465~1487)につくられた青花・五彩の器には、白磁の胎が玉のようにつややかで美しく、そしてきわめて薄いものがみられます。とても陶磁器とは思えない軽さで、手に持っているのに心もとない気持ちがします。このように繊細な作品は、戦前、明初の景徳鎮窯器の実体がまだよく知られていなかった時代に形成された東京国立博物館の中国陶磁コレクションにはほとんど見ることができません。

予想以上に小さくて驚いたのは、藍地描金粉彩游魚文回転瓶です。景徳鎮窯に派遣された役人、督造官(とくぞうかん)の唐英(とうえい)が、乾隆帝のために開発した究極の陶磁器です。今回の展覧会の注目作品の一つです。


藍地描金粉彩游魚文回転瓶(らんじびょうきんふんさいゆうぎょもんかいてんへい) 
景徳鎮窯 清・乾隆年間(1735~1795) 台北 國立故宮博物院蔵

吹きつけ技法による藍地の上に極細の金彩が覆う豪華な瓶。頸部を回すと、内心部に描かれた愛らしい金魚がのぞきます。この作品は対でつくられ、花器として使用する瓶であったと伝わりますが、その大きさはちょうど手におさまるサイズ。乾隆帝は手のひらにのせてくるくると回しながら、おもちゃのように遊んだに違いありません。

碗や皿を手に持たず、卓上に置いて食事をとることが基本的なマナーとされる中国や韓国とは異なり、日本では器は手を添えて使うもの。日常的にやきものの重さを感じ、ざらざら、つるつる、その質感を楽しむことを知っている日本人こそ、中国の皇帝を虜にした陶磁器のさまざまな魅力を深く味わうことができるのではないでしょうか。

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 三笠景子(保存修復室研究員) at 2014年08月08日 (金)