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1089ブログ

琉球列島の自然や景観を伝える、沖縄各地の出土品

特別展「琉球」は、6月26日(日)までと、あと1週間ほどになりました。

日本列島の長さのうち三分の一を占めるのが、本展の舞台となる奄美・沖縄・先島諸島からなる琉球列島です。本展の出品作品のなかでサンゴ礁の海に囲まれた当地の自然や景観、本州島や九州島とのかかわりをよく示すのが沖縄各地の遺跡から出土した貝や動物の骨などで作られた作品です。
今回のブログではこれらの作品を紹介していきたいと思います。
 
展示風景
 
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サンゴ礁の海は豊かな海の象徴です。ヒシ(干瀬)と海岸の間に広がるイノー(礁地)は天然の生け簀と呼ばれるほどに、多くの恵みを琉球列島に暮らす先史時代の人々に与えました。その恵みを象徴する一つがジュゴンなどの骨で作られた蝶形骨製品で、沖縄の先史時代を代表する装身具です。最も古いものは石で作られ、後にイノシシやクジラ、そしてジュゴンの骨で作られるようになり、大形化していきました。
本展で出品されている読谷村吹出原遺跡出土の蝶形骨製品(ちょうがたこつせいひん)はなかでも最大級のものです。
本例は本来一対となるものではありませんが、羽ばたく蝶を想起させるに優美な造形で、素材となったジュゴンの骨の形を生かして作られています。九州島以北の縄文文化には蝶をモチーフとした造形はなく、当地の独自性を示すものでもあります。
 
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蝶形骨製品(ちょうがたこつせいひん)
縄文時代晩期・前1000~前400年 沖縄県読谷村吹出原遺跡出土 沖縄・読谷村教育委員会蔵
展示期間:通期展示
ジュゴンの骨の大きさ、厚み、形を生かして作られています。
 
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このほかに沖縄の個性を示す装身具としてはサメ歯製垂飾(しせいすいしょく)があります。
サメ歯製垂飾は縄文時代早期から晩期まで、北海道から沖縄にかけての各遺跡から出土していますが、沖縄諸島が群を抜いて数多く出土しています。沖縄諸島から出土したサメ歯製垂飾の素材となったサメ歯はメガドロン、ホホジロザメ、アオザメ、イタチザメ、メジロザメなどさまざまですが、その多くが実は化石化したもので、当時の人々が海で捕獲したサメから入手したものではありません。
沖縄諸島ではサメ歯製垂飾は、沖縄本島中部・南部に広がる琉球石灰岩(珊瑚や貝殻などが堆積して固まった岩石)と分布が重なることから、その関係性が指摘されています。
また当地のサメ歯への志向は強く、貝などで作られたサメ歯製垂飾模造品も注目です。糸満市摩文仁ハンタバル遺跡から出土したサメ歯製垂飾とその模造品をぜひ見比べてみてください。
 
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(左)サメ歯製垂飾(さめしせいすいしょく)
(右)サメ歯製垂飾模造品(さめしせいすいしょくもぞうひん)
縄文時代後期・前2000~前1000年 沖縄県糸満市摩文仁ハンタ原遺跡出土 沖縄・糸満市教育委員会蔵
展示期間:通期展示
ホホジロザメとイタチザメのサメ歯で作られた垂飾とそれを真似て作られた垂飾です。
 
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弥生時代前期後葉以降、北部九州はじめ西日本各地の有力者の墓には貝輪(かいわ:貝製腕輪)が副葬されますが、その供給地となったのが貝塚時代後期の沖縄諸島です。
 
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貝輪(かいわ)
弥生時代(中期)・前2~前1世紀 福岡県朝倉市平塚字栗山出土 東京国立博物館蔵
※平成館考古展示室にて9月4日(日)まで展示
有力者の墓から出土した貝輪です。
 
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交易品となったのは奄美諸島以南を主な生息地とするゴホウラやイモガイなど肉厚で大きな巻貝です。盛んになった貝交易を反映して、沖縄本島にはこれらの貝をあつめた集積遺構がいくつも残されています。
本部町アンチの上遺跡では、117個(4号貝集積遺構)と77個(3号貝集積遺構)を集積した遺構が隣り合って確認されました。
今回は3号貝集積遺構から代表的なものをお借りし展示しています。また磨製石斧や青銅鏡、ガラス玉など弥生系遺物が出土し、当時の交易の拠点遺跡と考えられるうるま市宇検貝塚出土品もお見逃しなく。
 
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貯蔵イモガイ(ちょぞういもがい)
貝塚時代後期・前5~5世紀 沖縄県本部町アンチの上貝塚出土 沖縄・本部町教育委員会蔵
展示期間:通期展示 ※展示は20個です。
弥生時代の北部九州の有力者たちを魅了した貝製腕輪の素材です。
 
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このような琉球列島と本州との関りを示す交易品は『日本書紀』にも見られ、赤木(あかぎ)や檳榔(びんろう)、そしてヤコウガイなどが南島の産物として記されています。
奈良・平安時代以降の南九州以南はときの中央政権から夷狄(いてき)とされ、朝貢や服属を迫られていました。福岡県太宰府市太宰府跡や、奈良市平城宮跡からは調庸で納められた品々に付されただろう木簡に奄美大島や沖永良部島、そして種子島などの島名が記されています。
奄美市小湊フワガネク遺跡からは本州から持ち込まれた土器や鉄器とともに大量のヤコウガイで作られた貝匙(かいさじ)の未完成品が出土したことから、製作(工房)跡と考えられています。平安時代の辞書『和名類聚抄』や清少納言が記した随筆『枕草紙』には、ヤコウガイで作られた盃を「夜久貝」や「螺盃」・「螺杯」と呼び、公卿や殿上人が宴で用いた様子が記されています。
当時の上流貴族をも魅了した螺鈿の輝きを残す貝匙をぜひご覧ください。
 
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重要文化財 貝匙(かいさじ)
貝塚時代後期・6~7世紀 鹿児島県奄美市小湊フワガネク遺跡出土 鹿児島・奄美市立奄美博物館蔵
展示期間:通期展示
すくい取る機能と美しい輝きを備えた貝匙です。
 
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琉球列島でも先島諸島(宮古・八重山列島)の先史時代は奄美・沖縄諸島とは歩みが異なります。当地の先史時代は下田原期と無土器期に分けられますが、両期の間には約千年程度の空白期があります。土器のある時代から土器のない時代へと独特な変遷をたどりますが、その文化の系統関係は明らかになっていません。
無土器期を特徴づける利器の一つにシャコガイ製の貝斧(かいふ)があります。宮古島市浦底遺跡は200本以上の貝斧が出土したことでも著名です。これらの貝斧は現生もしくは化石化したシャコガイの蝶番部・開口部・放射肋を利用して作られています。同じような貝斧を使用するフィリピン島嶼部との関係が古くから指摘されていますが、当地では石斧に適した石材が不足したためにシャコガイを素材とした斧が作られたと考える自生説も出されています。
 
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貝斧(かいふ)
先史時代・前5~3世紀 沖縄県宮古島市浦底遺跡出土 沖縄・宮古島市教育委員会蔵
展示期間:通期展示 ※展示は15個です。
大きさや刃部の形が異なる貝斧です。
 
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本展の第3章では南北1200㎞を超える琉球列島のスケール感を知ることができるよう、各地の出土品を集めて展示しています。島々の自然や景観を思い浮かべながら展示をご覧になっていただければ幸いです。
 

 

カテゴリ:「琉球」

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posted by 品川欣也(教育普及室長) at 2022年06月17日 (金)

 

琉球の船が運んだもの

みなさん、こんにちは。現在開催中の特別展「琉球」も残すところ2週間ほどとなりました。
沖縄好きな人も沖縄には行ったことのない人も、琉球・沖縄の歴史、文化芸術をまるごと感じていただける展覧会です。ぜひお運びください。

ここでは琉球の船と、その船が運んだものについて紹介したいと思います。
 
琉球王国は中国の冊封体制下の朝貢国としての立場を活用して、中国と東南アジア、日本、朝鮮を結ぶ交易の中継地として栄えました。
『明史』に基づいた琉球の朝貢回数は171回(明時代の270年間)。明朝に最も頻繁に朝貢使節を派遣した国のひとつでした。時代によって朝貢品の内容は変わりましたが、国内で産出する馬と硫黄、螺殻(らかく:螺鈿細工に使用する夜光貝の殻)などが贈られています。また、日本の刀、屛風や扇、東南アジアの珍しい品々、たとえば象牙や各種の香木や胡椒などが献じられました。そのほか、随行使節団(中には商人も)が滞在費等を得るための交易品として、蘇木(そぼく)、胡椒、錫なども大量に運びました。これらは東南アジア諸国との交易で得たものです。
 
琉球の外交文書『歴代宝案』には、諸外国に運んだ品々が記録されています。
1425年の条は、中山王尚巴志(しょうはし:在位1422-1439)が暹羅(シャム)の王に宛てた文書の控えです。
 
歴代宝案(れきだいほうあん)
昭和8~10年(1933~35)写 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:通期展示(会期中、ページ替えあり)
写真は琉球国王からシャム国への国書 ※この場面の展示は終了しました。

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その内容は、琉球船が運んだ陶磁器をシャムの役人に一方的な値段で買い占められ、琉球が求める蘇木や胡椒等については自由な買取が許されず、大きな損害を被ったことを訴え、事態の改善を求めるものです。また、琉球からはるばる海を渡ってきた者たちが求める品物を得て無事帰国できるようお願いし、国王へ贈る礼物が記されています。
その目録の筆頭は明から輸入した高級織物、さらに青磁は大小の盤、碗あわせて2千個を超えています。ほかには琉球産の硫黄、日本の扇や刀が見えます。
こうした貢物のほかに交易に使用する品物もありましたから、さぞかしたくさんの品々を積載したはずです。

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こうしたものを運んだ琉球の海船は、中国のジャンク型に属する帆船で、唐船(とうせん)とも呼ばれます。
 
唐船(進貢船)図(とうせん(しんこうせん)ず)
明治16~17年(1883~84) 東京国立博物館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)

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この唐船(進貢船)図は19世紀に描かれたものですが、長さ十一丈五尺、幅二条七尺三寸(船身約34.8メートル、幅約9.7メートル)と船の大きさが記されています。乗船人数は100名前後だったようです。この絵のような近世の唐船にくらべ、古琉球期は格段に大きな船でした。明との朝貢関係が成立して以後、琉球は明から大型船を下賜され、その数は洪武・永楽年間(1368-1424)だけでも30隻におよびました。
岡本弘道氏の研究によると、16世紀はじめ頃までの琉球の海船の乗船人数は、平均でも200人台後半、時には300人を超える場合もあったそうです。15世紀後半には、琉球側が費用を負担し福州でなお大型海船を建造しましたが、16世紀以降は、機動性の高い小型船へ移行していきます。
大事な交易品を積載し、安全に航海するための船は、琉球王国の生命線のひとつだったといえるでしょう。

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浦添市指定文化財 琉球交易港図(りゅうきゅうこうえきこうず)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:6月7日(火)~6月26日(日)
 
琉球交易港図(部分)
那覇港内に入港してきた進貢船や冊封使を乗せた冠船をはじめ、さまざまなタイプの船が描かれています。中央にみえるのは船のドックでしょうか。造船中(修理中?)の船の様子が描かれています。


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ところで、琉球の船が大量に運んだもののひとつ、蘇木(そぼく)はどのように使われたのでしょうか。
蘇木は熱帯地方に産する豆科の常緑樹です。
 
 
蘇木の若木
出典:http://kplant.biodiv.tw/%E8%98%87%E6%9C%A8/%E8%98%87%E6%9C%A86.jpg
 
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その心材は赤色もしくは紫色の染料(蘇芳(すおう))として日本では古くから知られています。また中国では染料のほかに血液の流れを促進させる漢方薬や鎮痛剤として珍重されました。たいへんかさばる商品ですが、船の底荷(バラスト)としても有用でした。
 
 
赤色:媒染に明礬を用いた赤

藤紫色:媒染に灰汁を用いた紫
出典:山崎 1961: 17.


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 『歴代宝案』には、シャムで蘇木を得るための苦労が垣間見えますが、15世紀初頭、鄭和(ていわ)の大遠征に三度にわたって随行した馬歓(ばかん)が記した『瀛涯勝覧(えんがいしょうらん)』暹羅の条には、シャム産の蘇木の色合いが他の国のものよりも勝っていることが記されています。シャム産の蘇木は苦労しても手に入れたい、商品価値の高い産物だったようです。たとえば、1470年の進貢船には6千斤(約3.6トン)もの蘇木が積載されていました。琉球と東南アジアとの交易が途絶えた16世紀末以降も、蘇木は中国を経由して琉球に輸入されていたようです。
 
大量に運ばれたはずの蘇木が、琉球国内においてどれだけ使用されていたかは定かではありませんが、沖縄本島から西方98kmにある久米島では、琉球に運ばれた蘇木を管理していたことが知られています。久米島は、中国や東南アジアへ船出する際に強い新北風(ニーミシ)を風待ちする島として、航海者たちにとって大事な島です。
 その久米島の染織品の中でも王府に贈られた久米島紬に、蘇芳と推定できる赤色染料が認められています。久米島紬の多くは島の豊富な植物染料によって染められましたが、王府に納める特別な赤色については、貴重な輸入品であった蘇芳で染められたのでしょう。

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国宝 黄色地破格子文様絣紬袷衣裳〔琉球国王尚家関係資料〕(きいろじやぶれこうしもんようかすりつむぎあわせいしょう)
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
絣部分の赤色染料に蘇芳が認められています。
※展示は終了しました。

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【参考文献】
岡本弘道『琉球王国海上交渉史研究』榕樹書林、2010年
山崎斌『日本草木染譜』月明会出版部、1961年

 

 

カテゴリ:「琉球」

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posted by 原田あゆみ(企画課長) at 2022年06月09日 (木)

 

琉球の漆工

沖縄は伝統工芸の宝庫として知られていますが、琉球時代には漆工や染織の工芸品が中国皇帝に贈られており、
これらは琉球を代表するものとして自負されていたように思われます。

染織については、すでに別にブログが書かれましたので、ここでは漆工について書きましょう。

 

琉球時代から沖縄では漆工が盛んなのですが、はたして沖縄で漆が栽培されていたかは議論がありますが、古い文献に沖縄で漆を栽培していたことを示す記事があることから、近年では栽培されていだのだろうと考えられています。その漆工の技法や意匠は、日本の本土よりも中国に似ていますが、まったく中国と同じというのでもありません。本土で漆器といえば、漆黒(しっこく)という言葉もあるように、黒塗りが基本ですが、琉球では朱塗りの漆器も多くつくられました。首里城正殿(しゅりじょうせいでん)の塗装にも漆が用いられており、「巨大な漆器」などといわれることもあります。

 
首里城公園 首里城正殿(平成26年(2014)撮影)
画像提供:一般財団法人 沖縄美ら島財団
2019年に焼失した首里城正殿。当日の朝のニュースを見て、あまりの衝撃に呆然としました。再び、あの赤い宮殿を見る日が来ることを願っています。
 
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沖縄の漆工の技法は多様で、螺鈿(らでん)、沈金(ちんきん)、密陀絵(みつだえ)、箔絵(はくえ)、堆錦(ついきん)などがあります。
 
螺鈿は、貝殻の内側の白く輝く部分を薄く加工して、漆器に貼り付ける技法です。
沖縄のあたりでは夜光貝(やこうがい)という大きなサザエのような巻貝がいて、その貝が材料になります。
 

沖縄県指定文化財 黒漆雲龍螺鈿大盆(くろうるしうんりゅうらでんおおぼん)
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:通期展示
中国皇帝を象徴する五爪龍の文様を螺鈿で表わした大型盆。北京の故宮博物院には、琉球から贈られた同じ意匠の螺鈿盆が所蔵されています。
 
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沈金は、漆器の表面に彫刻刀で文様を彫り描き、その凹んだところに金箔を押し込む技法です。
 
浦添市指定文化財 朱漆山水人物沈金足付盆(しゅうるしさんすいじんぶつちんきんあしつきぼん) 
第二尚氏時代・16~17世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:通期展示
中国の教養人が好んだような、山間で琴棋書画を愉しんで幽居する情景を沈金で表した足付の盆。このような形状の盆は、琉球の特徴的な器物です。
 
朱漆山水人物沈金足付盆 見込部分
 
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密陀絵は、顔料を油で練って絵具を作り、それで漆器の表面に文様を描く技法です。油でなく、漆を使って絵具をつくった場合には漆絵(うるしえ)といいます。
 
沖縄県指定文化財 朱漆花鳥螺鈿箔絵密陀絵机(しゅうるしかちょうらでんはくえみつだえつくえ)(天板部分) 
第二尚氏時代・16~17世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)
横長の天板には、まるで中国の花鳥画のような図様が密陀絵で表されています。雌雄の鳥が鳴き交わし、太湖石のあたりには大輪の牡丹が咲き誇っています。
 
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箔絵は、漆器の表面に漆で文様を描き、そこに金箔を貼り付ける技法です。
 
朱漆牡丹唐草箔絵茶弁当(しゅうるしぼたんからくさはくえちゃべんとう) 
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・浦添市美術館蔵
展示期間:通期展示
琉球から清に派遣された通訳が用いた朱漆塗の弁当。蓋裏には「琉球人」、底には「大船大通事」という墨書があります。琉球の国際交流を生き生きと伝える歴史資料です。
 
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堆錦は、漆と絵具を練り混ぜて餅(もち)状のものをつくり、これを切ったものを漆器に貼り付けて文様を表す技法です。
 
朱漆菊堆錦食籠(しゅうるしきくついきんじきろう) 
第二尚氏時代・19世紀 東京国立博物館蔵
展示期間:通期展示
菊花を黄漆の堆錦餅で立体的に表し、唐草を緑漆の堆錦餅で平面的に表しています。赤地に黄と緑が映える色彩感覚など、デザイン性の高い作品です。
 
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かつて琉球王府には、貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)という役所があり、工房を管理していました。貝摺などという名前からすると、もっぱら螺鈿漆器の製作を担当していたように思われますが、この奉行所では螺鈿以外の漆器のほか、絵画や染織品の下絵などを製作する職人まで抱えていました。
貝摺奉行所は沖縄県の設置とともに消滅しましたが、奉行所があったとされる場所には、現在では沖縄県立芸術大学が建ち、沖縄における美術工芸の活動の拠点となっています。

沖縄県立芸術大学(貝摺奉行所跡)
画像提供:沖縄県立博物館・美術館 伊禮拓郎氏
かつて琉球王府の貝摺奉行所があった跡地には、現在は沖縄県立芸術大学が建っています。たとえ王朝は消滅しても、その芸術の精神は引き継がれています。
 
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特別展「琉球」では、さまざまな琉球漆器を展示していますので、技法にも注目してご覧ください。
本展は、平成館2階特別展示室にて、6月26日(日)まで開催しています。
 
 
 

カテゴリ:「琉球」

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posted by 猪熊兼樹(特別展室長) at 2022年05月31日 (火)

 

織の国、琉球

約450年の歴史を持つ琉球王国の中で、その風土を生かし、独自にはぐくまれたのが、染物や織物です。
中でも紅型は、ヴァリエーションに富んだ型紙を用いて、南国の陽光に映える鮮やかな色彩と、さまざまな文化を融合した華やかな文様を染め、世界中から注目されています。

紅型も素敵ですが、琉球染織の魅力は「織物」にあります。今回は、特別展「琉球」に展示している作品の中から、琉球独特の織物の数々について、お話ししたいと思います。

【芭蕉布(ばしょうふ)】
「唐ヲゥーつむぎ、はたを織る」と歌われるように、沖縄に自生する糸芭蕉の茎から生まれた糸を用いて、手織りにした芭蕉布。琉球藍(青)やテカチ(焦茶)で絣や縞を織り出した素朴な風合いを思い浮かべる方も多いでしょう。


糸芭蕉(鈴木芭蕉布工房にて)


芭蕉の糸

琉球王国時代には「煮綛芭蕉(にーがしーばさー)」と呼ばれる、芭蕉の糸を紅や藍など華やかな色彩に染めた華やいだ芭蕉衣も用いられました。


国宝 黄色地経縞枡形文様絣芭蕉衣裳〔琉球国王尚家関係資料〕(きいろじたてじまますがたもんようかすりばしょういしょう)
第二尚氏時代・18~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月12日(日)

芭蕉布は「繊維が固い」というイメージがあるかと思います。ところが、細く均一な芭蕉糸を、撚りをかけずに平織にして砧で打つことにより、絹のような柔軟さと苧麻のような涼やかな肌触りとを兼ね備えた芭蕉布となります。


黒地香袋桜牡丹文様描絵芭蕉衣裳(くろじこうぶくろさくらぼたんもんようかきえばしょういしょう)
第二尚氏時代・19世紀 愛知・松坂屋コレクション J.フロントリテイリング史料館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)


黒地香袋桜牡丹文様描絵芭蕉衣裳(部分)の顕微鏡画像

ちなみにこの衣裳は琉球王国の神事をつかさどっていた神女(ノロ)が首里王府から下賜された「絵描の御羽(えがきのみはね)」。現在では、この黒地香袋桜牡丹文様描絵芭蕉衣裳と黒地桐鳳凰文様描絵芭蕉衣裳(愛知・松坂屋コレクション J.フロントリテイリング史料館蔵 展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日))の2領しか遺されていない、伝説の芭蕉衣です。

【花織(はなおり)】
沖縄方言(うちなーぐち)では「はなうぃ」と称します。首里で織られる首里花織は気品のある美しい浮織物ですが、庶民が愛好した木綿の花織には地域によって特徴が異なります。例えば、緯糸を浮かせて文様を織り出すのは読谷山花織(ゆんたんざはなおり)。経糸を浮かせて文様を織り出すのは知花花織(ちばなはなおり)。琉球藍で染めた紺地(くんじ)に愛らしく並ぶ赤・白・黄色の粒の浮き文様に心が癒されます。


(読谷山花織の衣裳)
紺地格子小花文様花織木綿袷衣裳/黄色地傘紅葉文様紅型木綿裏地(こんじこうしこばなもんようはなおりもめんあわせいしょう/きいろじかさもみじもんようびんがたもめんうらじ)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)


紺地格子小花文様花織木綿袷衣裳(部分)の拡大画像


(知花花織の衣裳)
紺地格子小花文様絣花織木綿袷衣裳/緑地小桜葉繋文様紅型木綿裏地(こんじこうしこばなもんようかすりはなおりもめんあわせいしょう/みどりじこざくらはつなぎもんようびんがたもめんうらじ)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)


紺地格子小花文様絣花織木綿袷衣裳(部分)の拡大画像

【手花手巾(てぃばなてぃさーじ)】

展示室にひっそりと展示されている手の込んだこの布、紺地手花芭蕉木綿手巾には、深い想いが込められています。「ウミナイティサージ(祈りの手巾)」「ウムイヌティサージ(想いの手巾)」と呼ばれるように、遠出をする親兄弟の道中の安全を祈り、愛する人への想いを託して、沖縄の女性たちが一つ一つの文様を縫取織にしたのですから。


紺地手花芭蕉木綿手巾(こんじてぃばなばしょうもめんてぃさーじ)
読谷 第二尚氏時代・19世紀 東京・日本民藝館蔵
展示期間:通期展示


紺地手花芭蕉木綿手巾(部分)の拡大画像

【桐板(とんびゃん)】
「幻の織物」と言われる桐板。製法が途絶え、どのような素材でどのようにつくられていたのかが、いまだに明らかになっていません。
琉球王国時代には、首里を中心に用いられた夏向きの織物です。
一説には、中国・福建省で龍舌蘭(りゅうぜつらん)の幹から採取した糸と伝えられています。他に類のない、ガラスのように透明感のある繊細な糸の質感をぜひ、展示室でご覧ください。


白地緯絣桐板衣裳(しろじよこがすりとんびゃんいしょう)
第二尚氏時代・19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)
※5月31日(火)~6月26日(日)では、白地経緯絣桐板衣裳(沖縄・那覇市歴史博物館蔵)を展示します。


白地緯絣桐板衣裳(部分)の拡大画像


白地緯絣桐板衣裳(部分)の顕微鏡画像

本展では、他にも、首里で士族が用いた手縞(てぃじま)や、島々で織られた宮古上布、八重山上布、久米島紬などを見ることができます。それぞれの織物を彩る琉球絣の文様にも、さまざまな意味があります。

織物を通して、はるかなる琉球への旅路をお楽しみください。

カテゴリ:「琉球」

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posted by 小山 弓弦葉(工芸室長) at 2022年05月26日 (木)

 

扁額 「高牖延薫」と神猫図

みなさん、こんにちは。沖縄美ら島財団の上江洲安亨です。先日は、特別展「琉球」Twitter生配信「#MUSEUMonLIVE」でもお世話になりました。
引き続き今回は、特別展「琉球」の展示作品の中から、筆者注目の2作品についてご紹介します。

一つめは、愛知県岡崎市に残された琉球の扁額(へんがく)です。
この扁額「高牖延薫(こうゆうえんくん)」は、かつて首里城正殿の北側にあった北殿という建物にあった扁額です。
 
扁額「高牖延薫」(へんがく こうゆうえんくん)
全魁筆 第二尚氏時代・乾隆21年(1756) 愛知・岡崎市美術博物館蔵
展示期間:通期展示
 
尚穆王(しょうぼくおう)を冊封(さくほう)するため1756年に来琉した全魁(ぜんかい)という人の書を木製の扁額にしたものです。
 
模写復元 尚穆王御後絵(もしゃふくげん しょうぼくおうおごえ)
東京藝術大学保存修復日本画研究室(制作) 令和2年度 一般財団法人 沖縄美ら島財団蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)
 
1853年に首里城を訪れたペリーも、目撃したことが『ペリー提督日本遠征記』の記録と挿絵からもわかります。
 
ペリー提督日本遠征記(ぺりーていとくにほんえんせいき)
フランシス・リスター・ホークス編 1856年刊 九州国立博物館蔵
展示期間:5月31日(火)~6月26日(日)
建物の奥に扁額らしき描写があります。
 
沖縄県設置以降の所在は不明ですが、1905年に来沖した地理学者で政治家であった志賀重昂(しがしげたか)に寄贈されたようで、出身地の岡崎市で大切に保管されていました。
高牖延薫とは、「高い窓から薫る風が招き入ってくる」という意味です。首里城北殿で、音楽の演奏や料理のおもてなしをしてもらった雰囲気を示していると思われます。
 
最近はメディアの発達でそうでもないですが、琉球・沖縄は、「文化の違う遠いところ」という、イメージがあるのではないでしょうか?
それでも、実は、岡崎市の「高牖延薫」のように、みなさんの地域にも、お寺・神社だったり、博物館に琉球人の扁額やお墓、書跡、漢詩集が残っていたりします。
 
徳川将軍や琉球国王の代替り時に薩摩藩の参勤交代と一緒に琉球人使節も江戸までやって来ていたのです。特に鹿児島、瀬戸内の山陽道、大阪、京都、岐阜、東海道沿いには琉球関連の史跡や文化財が、多く残っています。
 
「高牖延薫」の見学をきっかけに、みなさんの地域に残る「琉球」を探してみてはどうでしょうか?
 
 
2つめは、琉球の人々が愛した「ネコ」の絵です。
この絵は、「神猫図(しんびょうず)」といって、1725年、山口宗季(唐名:呉師虔)(やまぐちそうき(ごしけん))という絵師が描いたネコです。
 
沖縄県指定文化財 神猫図〔横内家資料〕(しんびょうず よこうちけしりょう)
山口宗季(呉師虔)筆 第二尚氏時代・雍正3年(1725) 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
展示期間:5月3日(火・祝)~5月29日(日)
 
山口は、京都で摂政・関白を歴任した近衛家煕(このえいえひろ)など、作品を京都の公家にも献上していた絵師です。尻尾が黒い長毛種の白猫で、とてもエキゾチックな不思議な描写です。
 
琉球王国には、15世紀の漂着した朝鮮人の記録にネコがいたとあり、グスクの遺構からもネコの骨は出てくるので、家畜としてのイエネコは生息していたと思います。幕末、琉球に滞在した宣教師も王府にネコを飼うことを所望した記録があります。(愛玩用ではなく、ネズミ除けのためですが。)
そんなイエネコも、こんなエキゾチックではなかったと思います。おそらく、瑞祥の生き物、まさに神猫として描いていたのではないでしょうか。
 
王府の絵師たちは、山口だけでなく武永寧(ぶえいねい)筆の同じ神猫図2作品があり、明治に入ってから、王府の絵師だった仲宗根眞補(唐名:査丕烈)(なかそねしんぽ(さひれつ))が山口の神猫をアレンジした「月下神猫図」を描いています。その図像は現存作品3点、古写真1点が今に伝わります。代々、長毛種のネコを描き続けていたようです。
 
(おまけ)
最後に筆者の家にいた「神猫」です。
 
猫の画像
 
山口の神猫に似ていますね。
親類からは、筆者が文化財の仕事をしているから、やってきたのでは?といわれました。
病気で、また天に召されてしまったのですが、いつか、再び現れるのでは?と思っています。
 
特別展「琉球」は平成館2階特別展示室にて6月26日(日)まで開催しています。

【参考文献】 
上江洲安亨「志賀重昂が残した琉球の宝 ~首里城北殿 扁額『高牖延薫』について~」(『琉球の美』 岡崎市美術博物館 2019年5月)
上江洲安亨「呉師虔筆「神猫図」をめぐる一考察」(『國華』第1487号 國華社 2019年9月)
 
 
 

カテゴリ:「琉球」

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posted by 上江洲安亨(沖縄美ら島財団副参事) at 2022年05月24日 (火)

 

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