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呉昌碩のミ・リョ・ク《続編》

このたび、15回目の節目を迎えた東京国立博物館と台東区立書道博物館連携企画「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―」(両館ともに2018年3月4日(日)まで)では、清時代の末から中華民国の初めにかけて一世を風靡した文人・呉昌碩の書・画・印や、硯・拓本を一挙に公開しています。呉昌碩の為人(ひととなり)と各世代の名品を概説した前半のブログを受けて、ここではピンポイントで呉昌碩のエピソードをご披露しましょう。

呉昌碩写真
僕の姿、全部見せます!
呉昌碩写真、中華民国10年(1921)、(呉昌碩78歳)
台東区立朝倉彫塑館蔵
展示:2018年1月4日(木)~3月4日(日)台東区立書道博物館


太平天国の乱で多くの家族を喪(うしな)い、辛うじて父と二人で生き延びた呉昌碩でしたが、25歳の時に父が逝去。その4年後に、呉昌碩は施酒(ししゅ)と結ばれるものの、安穏(あんのん)と郷里に暮らす経済力もなく、各地を転々として多くの師友と交わり、見識を広めていきました。模索時代の呉昌碩に、精神的にも技芸においても、温かい手を差し伸べた師友の一人が楊峴(ようけん)です。
楊峴もまた、太平天国の乱で次女以外の家族を喪い、捕虜となった次男の鴻煕(こうき)は行方が分からなくなる艱難(かんなん)を嘗(な)めていました。詩文書画はもちろん、鑑定にも造詣が深い楊峴を呉昌碩は師と仰ぎ、師弟の契りを結びたいと申し出ますが、楊峴は友人の関係が良いと、婉曲に断りました。楊峴は25歳年少の呉昌碩に、息子の姿を重ねていたのかも知れません。楊峴と意気投合した呉昌碩は39歳の時に家族を連れて、何と蘇州の楊峴の隣に転居、二人は創作の理念から体調不良時の漢方の処方に至るまで、ありとあらゆる事象を語り合いました。

行書缶廬潤目横披
明朗会計、この価格でお引き受けします。
行書缶廬潤目横披、楊峴筆、清時代・光緒16年(1890)、(呉昌碩47歳)
個人蔵
展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日)東京国立博物館


呉昌碩は44歳の時に、友人の資金援助を受けて上海県丞(けんじょう)の官職を買い、上海に転居します。しかし、小官の俸給だけでは生活もままならず、売芸によって糊口を凌いでいました。そんな呉昌碩を、楊峴が側面から支えた作例が行書缶廬潤目横披(ふろじゅんもくおうひ)です。潤目とは価格のことで、この価格一覧表には、例えば印は一文字6銭、極大印や極小印、質の悪い印材は受け付けない。書斎名の揮毫(きごう)は4円、ただし過大なものは受け付けない、などと書かれています。晩年、70代の呉昌碩は地位も名誉も手に入れ、何度も潤目を増訂していますが、この潤目は呉昌碩47歳、現存する最も若い作例です。書家・詩人として盛名を馳せていた楊峴が、若い呉昌碩のために揮毫した潤目は、大きな訴求力があったことでしょう。

牡丹図軸
楊峴先生の自宅で描きました。
牡丹図軸、呉昌碩筆、清時代・光緒21年(1895)、(呉昌碩52歳)
東京国立博物館蔵
展示:2018年1月30日(火)~3月4日(日)東京国立博物館

呉昌碩は56歳の時に、彼の官歴の中では最も高い地位となる安東県(江蘇省)の知事となりました。しかし、世事に疎(うと)い呉昌碩は上司や有力者への挨拶を怠ったため軋轢(あつれき)が大きくなり、わずか一ヶ月で辞職してしまいます。呉昌碩は、80日で官を辞した陶淵明(とうえんめい)の故事を踏まえて、「一月安東令」(一ヶ月だけ安東の知事を拝命した)という印や、「棄官先彭沢令五十日」(陶淵明より50日も早く辞職した)という印を書画に押して、芸苑を沸かせました。呉昌碩にとって、書画印のみで生計を立てる決意は大英断だったと思われますが、呉昌碩の書画はその後数年の間に、格段の進歩を遂げました。

「一月安東令」(『缶廬印存』より)
僕は一ヶ月で辞めました。
「一月安東令」(『缶廬印存』より)、呉昌碩刻、清時代・光緒25年(1899)、(呉昌碩56歳)
東京国立博物館蔵
展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日)東京国立博物館


張瑞図後赤壁賦識語
襟を正して書きました。
張瑞図後赤壁賦識語、呉昌碩筆、中華民国2年(1913)、(呉昌碩70歳)
台東区立書道博物館蔵
展示:2018年1月4日(木)~3月4日(日)台東区立書道博物館


70代は作品の注文が殺到し、中には凡庸な作も見受けられます。しかし歴代の書画に記した行草書の識語は、謹厳な書きぶりに玲瓏(れいろう)な響きをたたえる傑作ばかり。呉昌碩は、歴史の中の自分を見つめながら書いていたのでしょう。

今回の連携企画では、呉昌碩が渦中にあった19歳から、没年にあたる84歳まで、各世代の作品を展示しています。西欧から近代的な思想が輸入され、多くの知識人が新旧の相克に悩んでいた時、古き良き伝統の護持者となった呉昌碩。書・画・印など多分野にわたる作風の変遷を通して、激動の時代に生まれ合わせた呉昌碩が何を見つめ、筆墨に何を託そうとしたのか、清朝最期の文人と称される呉昌碩の琴線に触れてみてください。

図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―
図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―

編集・編集協力:台東区立書道博物館、東京国立博物館、台東区立朝倉彫塑館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
呉昌碩の書斎の立体見取り図など、付録も充実!
ミュージアムショップにて販売中。
※台東区立書道博物館、台東区立朝倉彫塑館でも販売しています。

 

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
トーハク、朝倉彫塑館、書道博物館の学芸員が書いています。展覧会を楽しく観るための一助として、ぜひご活用ください。

関連事業
「台東区と朝倉文夫」 2018年3月7日(水)まで。
台東区立朝倉彫塑館にて絶賛開催中!
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 富田淳(学芸企画部長) at 2018年02月02日 (金)

 

呉昌碩のミ・リョ・ク

このたび、15回目の節目を迎えた東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画「呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―」(両館とも2018年3月4日(日)まで)では、清時代の掉尾(ちょうび)を飾る文人・呉昌碩(ごしょうせき)にスポットをあて、若き模索時代から最晩年までの作品と、その関係資料を紹介しています。
展示総数は両館あわせて176点! 前期(2018年1月28日まで)と後期(2018年1月30日~3月4日)で、書、画、印、硯、拓本を一挙公開!! というスペシャル企画です。
当ブログでは、2回に分けて呉昌碩の魅力をお伝えいたします。
前半戦では、呉昌碩の人となりについて概観したいと思います。

呉昌碩像軸 任伯年筆 清時代・光緒12年(1886) 個人蔵
親友・任伯年に描いてもらった僕の姿
呉昌碩像軸 任伯年筆 清時代・光緒12年(1886) 個人蔵 (呉昌碩43歳)
[展示:2018年1月30日(火)~3月4日(日) 台東区立書道博物館]


呉昌碩は、清時代の道光24年(1844)8月1日(新暦9月12日)、湖州安吉(あんきつ)県(現在の浙江(せっこう)省湖州市安吉県)で生まれました。
初名を俊(しゅん)、のちに俊卿(しゅんけい)といい、中華民国元年(1912)、69歳の時に昌碩(しょうせき)と改めました。字(あざな)は蒼石(そうせき)・倉碩(そうせき)、号は苦鉄(くてつ)・缶廬(ふろ)・大聾(たいろう)のほか20余種を用いました。
サブタイトルにある苦鉄は41歳から用いた号で、「苦鉄」と自ら刻した印の側款(そっかん)に、「苦鉄は良鉄なり」とあります。
呉昌碩は幼少から私塾に通い勉学に精を出しますが、17歳の時に太平天国の乱が起こり、21歳まで凄惨(せいさん)な避難生活を強いられます。

斉雲館印譜 呉昌碩作 清時代・光緒2年(1876) 東京国立博物館蔵
壮絶な避難生活にもめげず、高いこころざし!
斉雲館印譜 呉昌碩作 清時代・光緒2年(1876) 東京国立博物館蔵 (呉昌碩33歳)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]

しかし苦難の中でも学問への熱意は忘れず、芸苑の名士たちと交流を持ち、古印や書跡、青銅器などを鑑賞する機会を得て少しずつ見識を広めていきました。
不屈の精神で次第に書・画・印の才能を開花させていくその姿は、まさに苦鉄は良鉄なりの言葉そのものです。

彝器款識冊 呉昌碩筆 清時代・光緒12年(1886)頃 個人蔵
楊峴(ようけん)先生と一緒に鑑賞
彝器款識冊 呉昌碩筆 清時代・光緒12年(1886)頃 個人蔵 (呉昌碩43歳頃)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 台東区立書道博物館]


56歳で安東(あんとう)県(現在の江蘇(こうそ)省漣水(れんすい)県)の知事となりますが、腐敗した官界に耐えられず僅か1ヵ月で辞職します。
その頃すでに盛名を馳せていた呉昌碩は書画篆刻(てんこく)で生計を立て、旺盛な創作を展開しました。
上海に定住してからの16年間は老練の筆致が燦然(さんぜん)と輝き、時代を画する活躍を見せます。

墨梅自寿図軸 呉昌碩筆 中華民国14年(1925) 東京国立博物館蔵
ハッピーバースデー僕 With P(Plum)
墨梅自寿図軸 呉昌碩筆 中華民国14年(1925) 東京国立博物館蔵 (呉昌碩82歳の誕生日)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]



中華民国16年11月6日(新暦11月29日)、上海北山西路吉慶里(きっけいり)の自室にて84歳の生涯を閉じました。

行書王維五言句横披 呉昌碩筆 中華民国16年(1927) 個人蔵
最期にたどり着いた、悟りの境地
行書王維五言句横披 呉昌碩筆 中華民国16年(1927) 個人蔵 (呉昌碩84歳)
[展示:2018年1月2日(火)~3月4日(日) 東京国立博物館]


呉昌碩は、終生にわたって紀元前5世紀ごろの古代文字である石鼓文(せっこぶん)の臨書に励み、その風韻(ふういん)を書・画・印に結実させました。
また、若い頃に鑑賞した多くの金石資料にも刺激を受けて、自分なりの作風を築き上げています。
今回の展示では、呉昌碩が石鼓文以外の金石拓本にも幅広く目を向けていたという新資料を公開し、新たな呉昌碩像をお示しします。

臨散氏盤銘軸 呉昌碩筆 清時代・19~20世紀 個人蔵
ウブな僕の金トレ時代
臨散氏盤銘軸 呉昌碩筆 清時代・19~20世紀 個人蔵
[展示:2018年1月2日(火)~1月28日(日) 台東区立書道博物館]


呉昌碩は安吉という地方出身であり、田舎特有の泥臭さが詩・書・画・印において生涯染みわたっていますが、その不器用さとスケールの大きさ、そしてそこに金石の気が加わり、剥蝕(はくしょく)の味わいをもって新しい自分を見出して突き進んでいったところが呉昌碩の良さであり、凄さなのだと思います。
呉昌碩の師である楊峴が、そういう生き方でいい、自分のやり方で伝統をつくり、それを押し通すことが大事なのだ、と後押ししてくれたことも、心の支えになったことでしょう。

かつて篆刻家の小林斗盦(とあん)は、呉昌碩を「偉大なる不器用」と評しました。
呉昌碩のたくましい生きざまと作品に見え隠れする退廃的な美は、華やかだった清朝の文化が崩れていく最期のひと花だったのかもしれません。
清朝最期の文人は、多くの人々を魅了しつづけ、今日に至っています。

 

図録 呉昌碩とその時代-苦鉄没後90年-
図録 呉昌碩とその時代―苦鉄没後90年―

編集・編集協力:台東区立書道博物館、東京国立博物館、台東区立朝倉彫塑館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
ミュージアムショップにて販売
※台東区立書道博物館、台東区立朝倉彫塑館でも販売しています。

 

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
トーハク、朝倉彫塑館、書道博物館の学芸員が書いています。展覧会を楽しくみるための一助として、ぜひご活用ください。

関連事業
「呉昌碩と朝倉文夫」2018年1月5日(金)~2018年3月7日(水)
台東区立朝倉彫塑館にて絶賛開催中!


 

 

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2018年01月10日 (水)

 

画禅室ものがたり-董其昌の光と闇-

東京国立博物館東洋館8室と台東区立書道博物館で開催中の連携企画「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―」も、いよいよ終盤戦! (東京国立博物館:~2月26日(日)、台東区立書道博物館:~3月5日(日))。
1089ブログでは、本展の見どころを3回にわたってお伝えしています。第1回「明末清初の絵画の楽しみ方」、第2回「明末清初の“連綿草”の魅力」に続き、最終回では真打ち登場!!今回の主役である董其昌の人となりを4期に分け、“ものがたり調”でお届けいたします。

【第1期】受験勉強時代(幼少期~34歳)
これは、今から400年ほど前の中国・明時代のお話です。
董其昌は、嘉靖34年(1555)1月19日(新暦2月10日)、松江(しょうこう)府の上海県に生まれました。字を玄宰(げんさい)、室号を画禅室(がぜんしつ)といいます。
父は、郷里で家庭教師をしていました。息子には将来優秀な官僚になってもらいたかったのでしょう。中国の歴史書『資治通鑑(しじつがん)』の一節を毎晩、枕元で読み聞かせていました。その甲斐あって、13歳の時に童試を受けて優秀な成績をおさめ、才名は大いに高まりました。
17歳の時、1つ年下の甥である董原正(とうげんせい)と郷試を受けます。試験官は董其昌の答案を1位にしたものの、字が下手であったために、董原正がトップ、董其昌は2位に落とされました。董其昌はこの屈辱に発奮し、本格的に書を学ぶことを決意します。
18歳の時、松江の名士である莫如忠(ばくじょちゅう)の家塾に入り、息子の莫是龍(ばくしりゅう)とともに勉強します。莫是龍は書画に造詣が深く、早くから画の南北論を唱えており、その著『画説』は後に董其昌が提唱した南北二宗論(なんぼくにしゅうろん)の礎となりました。
26歳の時、明時代屈指の大収蔵家である項元汴(こうげんべん)が息子の家庭教師として董其昌を招いたことで、項元汴の書画コレクションを鑑賞する機会を得ます。コレクションには歴代の真跡が多く、それまで拓本を拠り所にしてきた董其昌は、真跡の持つスゴさに、ただただ驚くばかりでした。
項元汴の没後、董其昌は項元汴の息子に墓誌銘を依頼され、往時を偲びながら心をこめて書きました。完成したのは項元汴が亡くなって45年後、董其昌81歳の時でした。


行書項墨林墓誌銘巻
心から項元汴先生に感謝いたします
行書項墨林墓誌銘巻 董其昌筆 明時代・崇禎8年(1635)81歳 
東京国立博物館蔵(東京国立博物館で2月26日(日)まで展示)



【第2期】第1次 官僚時代(35歳~44歳)

幾度かの受験の末、34歳でようやく郷試に合格し、35歳で科挙に及第して高級官僚となります。官僚のエリートコースである翰林院に入り、そこで教官の韓世能(かんせいのう)と出会います。彼は収蔵家としても知られ、自分の書画コレクションを携えて、教習の合間に門生に披露していました。

顔真卿 自書告身帖跋  自書告身帖 顔真卿筆
韓世能先生のコレクション、襟を正して拝見
(左)顔真卿 自書告身帖跋 董其昌筆 明時代・16世紀
台東区立書道博物館蔵(台東区立書道博物館で3月5日(日)まで展示)
(右)参考:自書告身帖 顔真卿筆 唐時代・建中元年(780) 台東区立書道博物館蔵

翰林院では、書物の編修や太子の教育係、地方試験の監督などを歴任しました。この頃、董其昌の名声はすでに世間に知れ渡っていたので、収蔵家たちは鑑定をしてもらうことでコレクションに箔をつけようと、董其昌を訪ねてくるようになります。本来の仕事よりも鑑定に重きを置いていた董其昌は、そのことをとがめられます。政治が次第に腐敗していく中、各地で暴動も起き、宮殿が焼失するなど、この頃は明王朝が大きく揺らいでいた時期でもありました。董其昌は官界との軋轢に嫌気がさし、44歳で武昌に転出を命じられると、病と称して辞職します。翰林院に属していたのはわずか10年でした。


【第3期】江南時代(45歳~67歳)

45歳で郷里に帰った董其昌は、江南地方で書画に没頭する生活を送ります。中でも親友である陳継儒(ちんけいじゅ)との交遊は、最大の楽しみの1つでした。2人は歴代の書画を鑑賞し、名品を収集し、自らも書画を制作しました。鑑識にくわしい2人は、名品に跋や識語も書きつけています。
董其昌は晋・唐の書を学び、平淡を理想としながらも、一方では躍動感に満ちた連綿趣味を好みました。画は唐の王維を祖とする文人画の伝統を継承しましたが、単なる模倣ではなく、歴代の画家たちの様式を抽出し、それらの様式を用いた創造的な模倣でした。
また、評論にも傑出していました。南方に行われた文人画を尊ぶ南北二宗論は、明末以降における文人画の方向性を決定づけました。董其昌は歴代の名品に真摯に対峙し、自らの思索を深め、修練を積むことで、実作においても理論においても、偉大な功績を残しました。


行草書羅漢賛等書巻
興に乗るにつれ、ほとばしる情熱
行草書羅漢賛等書巻 董其昌筆 明時代・万暦31年(1603)49歳
東京国立博物館蔵(東京国立博物館で2月26日(日)まで展示)


62歳の時、董其昌は襲撃を受け、家を焼かれます。実はこの事件、董其昌の横暴な官僚としての報いを受けたものでした。董其昌は郷里で書画三昧の生活を送りながら、その後も幾度となく官への復帰と辞職を繰り返していました。官僚としての権力を濫用して、土地の立ち退きを迫り、高額な税金を搾取し、高利貸しで金儲けをし、脱税で蓄財して、それらを書画の収集など自らの趣味に費やしました。こうした董其昌の目に余る行為が人々の反感を買い、ついには自宅を襲撃されるに至ります。このように、現在では董其昌の闇の側面についても明らかになっています。


【第4期】第2次 官僚時代(68歳~82歳)

泰昌元年(1620)に光宗が即位した際、董其昌は翰林院時代に光宗の教育係を担当していたことが縁で、官に復帰します。しかしわずか1ヶ月で光宗が急死したため、しばらくの間、董其昌は名ばかりの官職にありました。
68歳で太常卿となり、神宗(万暦帝)と光宗(泰昌帝)の実録の編纂に従事します。董其昌による実録は、歴史的な事実を正確に踏まえて編集されるため、資料的価値のたいへん高いものでした。編纂の仕事は性に合っていたとみえ、これまでのように途中で辞することなく最後まで信念を持ってやり遂げました。
71歳で南京礼部尚書という高官を拝します。しかし宦官の魏忠賢(ぎちゅうけん)の党禍が激しくなると、72歳で辞職して郷里に帰り、歴代の名品と向き合いながら再び書画制作に没頭します。

書画合璧冊
私のヒミツの手控え帳を見よ!
書画合璧冊 董其昌筆 明時代・崇禎2年(1629)75歳
東京国立博物館蔵(台東区立書道博物館で3月5日(日)まで展示)


臨懐素自叙帖巻
形骸化した書に狂草で喝ッ!
臨懐素自叙帖巻 董其昌筆 明時代・17世紀
東京国立博物館蔵(台東区立書道博物館で3月5日(日)まで展示)


78歳から再び官に復帰しますが、数年で辞職して郷里に戻り、崇禎9年(1636)、11月11日(新暦12月8日)、董其昌は82年の生涯を閉じました。


草書書論冊
最期のチカラをふりしぼって…
草書書論冊 董其昌筆 明時代・崇禎9年(1636)82歳 
東京国立博物館蔵(東京国立博物館で2月26日(日)まで展示)



董其昌の書画に対する深い理念と理論は、清朝においても受け継がれ、康熙帝(こうきてい)や乾隆帝(けんりゅうてい)は董其昌の書画を愛好し、董書は朝野を席捲しました。やがてこの流れは日本に及び、江戸期の書画にも董其昌ブームが起こります。
董其昌の書画における数々の功績は、16世紀から17世紀にかけて文化の爛熟した時代に生まれ合わせたからこそなし得た偉業といえるでしょう。時代の申し子として翰墨(かんぼく)に耽溺し、「芸林百世の師」と称賛される董其昌は、没後380年を経た今もなお、書画の世界に大きな影響を与え続けているのです。めでたし、めでたし。
 

 

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

展覧会図録

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

編集・編集協力:台東区書道博物館、東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
ミュージアムショップにて販売中
 

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。トーハクと書道博物館の学芸員が順番に書いています。展覧会を楽しくみるための一助として、ぜひご活用ください。

 

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2017年02月16日 (木)

 

明末清初の「連綿草」の魅力

東洋館の4階、8室で開催中の、台東区立書道博物館との連携企画「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―」は、1月31日(火)から後期展に入り、会期も残すところ1か月を切りました(東京国立博物館:~2月26日(日)、台東区立書道博物館:~3月5日(日))。
陳列替えを経た両会場では、絵画を中心に新たな作品がお目見えしております。

1089ブログでは、本展の魅力を3回にわたってお伝えします。今回は、「明末清初の絵画の楽しみ方」に続く第2回目です。
ここでは、董其昌の理念を受け継ぐと言っても過言ではない、明末清初の時期に展開した「連綿草」という書のスタイルの魅力について、ご紹介しようと思います。

連綿草と言っても、楷書や行書、草書などと違って、一般的にあまり聞き慣れない言葉かと思います。
連綿草とは、筆の勢いを切らさずに複数の文字を続け書きする「連綿」を駆使した草書のことを言います。

草書五言律詩軸 草書五言律詩軸(部分拡大)
草書五言律詩軸 傅山筆 清時代・17世紀 東京国立博物館蔵
東京国立博物館で2017年2月26日(日)まで展示
(右)部分拡大


傅山筆「草書五言律詩軸」は、本展で展示する書のなかでも、ひときわ目をひく作品です。一見して、目が回ってしまうかのような、「クネクネ」「グルグル」とした、なんとも奇怪な作品だと思われるのではないでしょうか。

上下左右に筆を振幅させながら、下へ下へと息長く書き進められた線は、あたかも変幻自在に動く縄のように、次々と多様な造形の文字を生み出していきます。
それぞれの字は整った造形ばかりではなく、左右に傾いたり、縦に伸ばされたり、あるいは、つぶれて扁平になったものまで、実に様々な表情を見せます。
太さの変化していく線が湾曲、交差して一字をつくり、そうしてつくられた大きさ・形・墨量の異なる文字がこの作品を構成することで、観る者に奥行きや立体感すら覚えさせます。

筆者の傅山(1607~84)は、明朝の滅亡後に、黄冠朱衣を身に着けて諸方に流寓し、明の遺民として清朝への抵抗の意を示した人物です。
書に対しては、すぐれた人物であれば自ずと書もまた奥深いものとなるという考えを示し、技巧がもつ作意や虚飾といったものを排して、自然にありのまま書くことを主張しました。

草書五言絶句四首四屛
草書五言絶句四首四屛 傅山筆 明〜清時代・17世紀 東京国立博物館蔵(青山杉雨氏寄贈) 
東京国立博物館で2017年2月26日(日)まで展示


草書五言絶句四首四屛(部分拡大)
部分拡大

例えば「草書五言絶句四首四屛」では、奔放自在に筆を走らせ、時にいびつさをも伴う奇異な造形を生み出しています。紙面構成や墨の使い方、そして連綿の用法などを見ても、意の赴くままに書写していることが窺えます。
巧拙を超えた、大胆極まりないこの字姿には、観る者の心に迫る、筆者の精神が表れているように思われてなりません。


傅山とともに、連綿草をよくした代表格として挙げられるのが王鐸(1592~1652)です。
王鐸は明朝滅亡に際して、清への恭順を余儀なくされ、明清両朝に仕えた弐臣として、後世に厳しく非難された人物です。書に対しては、王羲之・王献之を主として、専ら『淳化閣帖』の臨摸により研鑽を積みました。
臨書は原本に近似するものから、大胆な改変を行うものまで実に幅広く、王鐸にとっての臨書が、様々な表現の実験の場であったものと思われます。「書画合璧巻」における『淳化閣帖』の臨書は、前者に相当しますが、形似に終始しない態度が窺えます。

書画合璧巻(部分) 
書画合璧巻(部分) 王鐸筆 清時代・順治6年(1649) 大阪市立美術館蔵 ※現在は展示しておりません

書画合璧巻(部分拡大)
部分拡大

王鐸の草書の魅力として、連綿の多様さが挙げられます。例えば「草書詩巻」に見られるように、連綿がただ文字をつなぐのみに止まらず、太さや長さ、曲直の具合など多様な線を駆使して、運筆に緩急をつけ、造形や紙面構成に安定と変化をもたらしています。
この多様な連綿が臨書による成果だとすれば、王鐸は古典の文字と文字の間、即ち連綿に表れる筆者の息づかいや筆意をも学びとろうとしていたことは想像に難くありません。

草書詩巻(部分)
草書詩巻(部分) 王鐸筆 明時代・永暦元年/清時代・順治4年(1647) 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で2017年3月5日(日)まで展示

草書詩巻(部分拡大)
部分拡大


一般的に、「書は線の芸術」と言われます。連綿草の魅力は、表情豊かな文字造形もさることながら、様々な質感の線が一つの書に混在することのように思います。
本展では、王鐸や傅山をはじめ、張瑞図、黄道周、倪元璐といった、連綿草をよくした諸家の書を展示しています。彼らの書を前に、墨線を目でたどって、当時の書きぶりを追体験してみてはいかがでしょうか。

関連事業

連携講演会「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―
日程  2017年2月4日(土)
時間  13:30~15:00 *開場は13:00を予定
会場  平成館 大講堂
講師  鍋島稲子(台東区立書道博物館)、富田淳(当館学芸研究部長)
定員  380名(先着順)
聴講料 無料(ただし当日の入館料が必要)

 

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

展覧会図録

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

編集・編集協力:台東区書道博物館、東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:900円(税込)
ミュージアムショップにて販売中
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(登録室アソシエイトフェロー) at 2017年01月31日 (火)

 

董其昌とその時代─明末清初の絵画の楽しみ方

董其昌は、明時代も終わりに近づいた1555年、現在の上海地方に生まれました。
さほど裕福な家の出身ではありませんでしたが、勉学に励み、数え35歳で難関の科挙に合格、官僚生活をスタートします。その後は、一時的に官を退くことはありましたが、ほぼ順調にキャリアを積み上げ、南京礼部尚書の地位まで昇りつめます。
郷里では地位を活かして豪勢な生活を送り、82歳の長寿を全うしました。まずまず幸せな一生を送ったといえるのではないでしょうか。

董其昌がその名を歴史に刻んだのは、政治家としての業績よりも、書家・画家としての腕前、古今の書画に対する鑑定家・評論家としての知識・卓見によるところが大きいでしょう。
彼の遺した作品や理論は、後の書家・画家たちに広く影響を与えました。

渓山仙館図
渓山仙館図 董其昌筆 明時代・天啓3年(1623) 東京国立博物館蔵 (2017年1月29日(日)まで展示)

台東区立書道博物館との連携企画第14弾「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―」では、東洋館8室(2017年2月26日(日)まで)と書道博物館(2017年3月5日(日)まで)の2会場で、董其昌と彼の生きた時代の書画を特集展示しています。
当ブログではこれから3回にわたって、この展覧会の魅力を紹介していきますが、第1回目の今回は、明末清初の絵画の楽しみ方についてお話しようと思います。
キーワードは、「古」と「奇」です。


東洋館8室展示風景
東洋館8室展示風景

董其昌のような知識人の制作する絵画において、なぜ「古」が大事であったか、これは、彼らにとっての文章を書く、という行為と比較するとわかりやすいかもしれません。
科挙の答案に始まり、皇帝への意見文、同僚・地元の名士との交流に必須の詩文、知人から頼まれる祝賀あるいは追悼の言葉など、知識人は日々多くの文章を書きます。
彼らに求められているのは、文章の中に彼らの教養を反映させることです。すなわち、この答案のこの部分は、孔子先生が述べられたあの言葉を踏まえている、あるいは、この詩のこの言葉は、李白のあの有名な句を踏まえている、といった具合です。
このために、彼らは2000年以上にわたる「古典」を猛勉強するわけです。

知識人の作る絵画は文章と同じく、作り手の優れた内面を伝えるものであるべきと考えられました。とすると、当然そこには「典拠」が散りばめられることが期待されます。
明末清初の絵画に「古の誰々に倣う」という題がしばしば見られるのは、このためです。

倣黄公望山水図
倣黄公望山水図 王鑑筆 明時代・崇禎11年(1638) 京都国立博物館蔵(2017年1月29日(日)まで展示)

ここで問題となるのは、明末という時代の特性です。
都市経済が空前の発展を遂げた16世紀後半、まちには様々なレベルの知識人が溢れていました。董其昌のように高級官僚になれるのはほんのひとにぎり、多くは自分の教養を売りに、詩人、戯曲家、編集者、評論家、そして書家あるいは画家として生活しなければなりませんでした。
知識人が需要過多となった社会の中で、彼らは、他に比べて自分の教養、内面こそが優れていると証明しなければならず、そこに古典解釈の正統性を競う苛烈な競争が生じました。

この競争の中で重視されるようになったのが、「奇」という概念です。
董其昌もしばしば作画にあたっての「奇」の重要性を説きますが、これは当時にあっては、「個性」とも解釈できる言葉で、人と同じ倣古ではだめだ、自分の独創性を表現しなければならない、という主張が成されています。

今回の展示では、このような明末の熱気の中で制作された、自分オリジナルの「奇」を競う絵画が多く並びます。ここでは、1月15日までしか見られない名品2点を紹介しましょう。

渓山絶塵図   渓山絶塵図(部分)
天目喬松図 藍瑛筆 明時代・崇禎2年(1629) 個人蔵(2017年1月15日(日)まで展示)
(右) 部分拡大


藍瑛(1585-1666)は浙江・杭州出身、様々な古典を勉強して自分なりの倣古山水画様式を確立した画家です。
「天目喬松図」は浙江省にある道教・仏教の聖山、天目山を描きます。10・11世紀の華北画壇では、このような下から湧き上がる堂々とした高山の姿が好まれました。藍瑛の天目山イメージはこれへのオマージュとも解釈できるでしょう。
一方で、山肌を走る筆線は、10世紀の江南で活躍した董源に発するとされる「荷葉皴」に近く、赤や白の鮮やかな樹葉は、6世紀のやはり南の画家、張僧繇が描いたと伝わる濃彩の青緑山水を思わせます。
剛毅・峻厳な北の画風に、温厚・甘美な南のエッセンスを取り入れたところに、藍瑛の「奇」が光っています。

渓山絶塵図   渓山絶塵図(部分)
渓山絶塵図 呉彬筆 明時代・崇禎2年(1629) 個人蔵(2017年1月15日(日)まで展示)
(右) 部分拡大


呉彬(?-1567-1617-?)は福建出身、古画に取材した怪異な風貌の人物を描いた画家として有名です。
「渓山絶塵図」では、藍瑛と同様、10・11世紀の華北画風を学んで、俗人を近づけない、まさに「絶塵」の厳しさを持つ大山を描いています。
眼を引くのは、第一に、上に聳えるだけでなく、横に伸び、垂れ下がり、ねじ曲がって絡み合う山の形です。第二には、光沢のある織り方をした絖と呼ばれる素材を活かして、そこに筆墨で明暗を付け、複雑な線描を施した山の肌合いが挙げられるでしょう。
詳しくは展覧会図録に書きましたが、造形・質感におよぶ呉彬の「奇」は、当時流行していた奇石愛好趣味からインスピレーションを得たものといわれています。空洞や突起を多く備え、複雑な文様と滑らかな肌を持った珍奇な石は、人々に幻想的な大山のイメージを抱かせるものでした。それを画面に写したのが、呉彬ということになります。

この他にも、「董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―」展では、明末清初の絵画の名品が並んでいます。この機会を逃さず、トーハクと書道博物館で「古」と「奇」の世界を楽しんでいただければ幸いです。

 

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

展覧会図録

董其昌とその時代―明末清初の連綿趣味―

編集・編集協力:台東区書道博物館、東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
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posted by 植松瑞希(東洋室研究員) at 2017年01月12日 (木)

 

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