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写実を超えたリアルさを求めてー人形作家・平田郷陽

生人形をご存じでしょうか。
「生」を「なま」と読む方も多いのですが、「いきにんぎょう」と呼びます。「活人形」と書かれることもあり、つまり「生きているように見える人形」のことです。
幕末には、見世物興行の1つとして人気を博し、等身大の人形を制作して、いかに生身の人間に見えるかを技の見せどころとしました。
浅草で初めて生人形の見世物興行を開催した松本喜三郎(まつもときさぶろう、1825~1891)や、安本亀八(やすもと かめはち、初代:1826~1900、二代:1857~1899、三代:1868~1946))といった作家が名手として知られていました。眉毛やまつ毛、瞳や歯のリアルさにはびっくりですよね(図1)。


(図1)生人形足利時代将士体立姿(いきにんぎょうあしかがじだいしょうしたいたちすがた)
三代安本亀八作 明治時代・20世紀 日英博覧会事務局寄贈


二代平田郷陽(ひらたごうよう、以下郷陽)の父である初代平田郷陽は、高名な生人形作家・安本亀八に弟子入りしました。生人形作家となった父の後を継ぎ、郷陽も14歳の時から生人形制作に携わりました。
本館14室で開催している特集「人間国宝・平田郷陽の人形―生人形から衣裳人形まで―」(9月1日(日)まで)では、郷陽の創作人形を多数展示しています。
郷陽が制作する人形は、「普段私たちが目にしている伝統的な日本人形とは何かが違う」と思われるでしょう。例えば「薬玉」(図2)。元禄風の風俗を振袖の模様にいたるまで丁寧に仕立てられ、一見すると伝統的な衣裳人形です。しかし、肌の生々しい色合い、手足の先の爪にいたるまでの細部の写実性、目の周りにはまつ毛まで植え付けられていて、衣裳人形でありながら生人形のリアリズムを併せ持っています。


(図2)薬玉(くすだま)
二代平田郷陽作 昭和8年(1933) 平田多惠子氏寄贈


郷陽は子どもと女性の造形にこだわった作家でした。その中でも有名な作品がこの「泣く子」(図3)。木彫彩色とは思えない写実性。注目すべきは、まだ歯が生えていない歯茎や舌の表現、眉間や頬の皺、動きある手足の表現です。展示室で実際に見ていただくことをお勧めしたい、超絶技巧です。


(図3)泣く子(なくこ)
二代平田郷陽作 昭和11年(1936) 平田多惠子氏寄贈


「これまで玩具や年中行事の飾り物として扱われてきた人形を、芸術として高めたい」という思いが郷陽にはありました。リアリズムはその1つの手法だったのでしょう。
しかし、戦後になると、郷陽の造形に変化があらわれました。これまでの写実性から離れ、人体に量感を持たせ大胆にデフォルメした木彫に、手足を彩色で、胴部分を木目込み(きめこみ、これも伝統的な日本人形の手法です)にして、現代的な造形を求めるようになりました。この時代には特に女性像を得意とし、母性や女性の心情などを見事に表現しました。
かつては一人の女優の生人形を制作するために、目の前でその女優の顔のパーツを採寸したというエピソードがあるほどに、写実性にこだわりを持ってきた郷陽。しかし、晩年の郷陽の作品には、真正の女性の姿はリアリズムではなく、そのしぐさやたたずまいにあるということを見ることができます。「抱擁」(図4)で母親が赤子に唇を寄せる姿、手札を眺めつつ思案する「おんな」(図5)の姿勢など、1つ1つの造形には、女性の心情にまでイメージが膨らみます。

 

(図4)抱擁(ほうよう)(部分)
二代平田郷陽作 昭和41年(1966) 平田多惠子氏寄贈
(図5)おんな
二代平田郷陽作 昭和39年(1964) 平田多惠子氏寄贈

 

特集「人間国宝・平田郷陽の人形―生人形から衣裳人形まで―」は、ご遺族のご意向により、当館に一括で寄贈を受けたことで実現しました。小さな展示室ですが、郷陽の代表作の数々をご覧いただける貴重な機会です。
ぜひ展示室で、郷陽の技が生み出す美をご覧ください。


特集「人間国宝・平田郷陽の人形―生人形から衣裳人形まで―」の展示風景

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 小山 弓弦葉(工芸室室長) at 2024年07月23日 (火)

 

特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」開幕!

 創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」がいよいよ7月17日(水)より開幕しました。


平成館エントランスのバナー

本展は824年に正式に密教寺院となった神護寺(じんごじ)創建1200年と、空海生誕1250年を記念するものです。


神護寺の金堂

空海が密教を学ぶため唐へ留学して帰国したあと、当時の都である平安京で活動するために住んだお寺が、京都の高雄にある神護寺(当時は高雄山寺)でした。
神護寺は、空海が密教という新しい教えを披露したメジャーデビューの場所、つまり「はじまりの地」といえます。

では、さっそく会場の様子を見てみましょう!


会場入り口

入り口で皆さまをお迎えするのは、神護寺 谷内弘照(たにうちこうしょう)貫主が揮毫(きごう)した大きな看板。
制作の様子は神護寺展の公式Xでご覧ください。

入ってすぐの場所には、国宝「観楓図屛風」と秘仏である重要文化財「弘法大師像」が展示されています。


(右)国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ) 
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)


重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう) 
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示


会場は、草創記の神護寺からはじまり、だんだんと時代が下っていく構成になっています。
第1章の第1節では空海や初期の神護寺にまつわる品々をご紹介しています。


国宝 金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(こんどうみっきょうほうぐ、こんごうばん・ごこれい・ごこしょ)
中国 唐時代・8~9世紀 京都・教王護国寺(東寺)蔵 通期展示
 
書の名手であり、この時代の三筆のひとりと称される空海直筆の作品も必見です。


国宝 灌頂暦名(かんじょうれきみょう) 
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 京都・神護寺蔵 展示期間(7/17~8/25)
 


会場を進んで第1章の第2節「院政期の神護寺」では、有名な神護寺三像(右から国宝「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」)が登場。


(右から)国宝 伝源頼朝像(でんみもなもとのよりともぞう)、国宝 伝平重盛像(でんたいらのしげもりぞう)、国宝 伝藤原光能像(でんふじわらのみつよしぞう) 
すべて鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日) 

そして振り返ると…


4メートル四方の大きさの国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が掛けられています!


会場奥に国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が見えます


国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)のうち胎蔵界(たいぞうかい)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)※金剛界は後期展示(8月14日~9月8日)

神護寺展ならではの贅沢な空間です。
空海が制作に関わったとされる、現存最古の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」。曼荼羅の世界に包まれてください。

第1会場の終わりには「映像で解説する高雄曼荼羅」のコーナーがあります。
金泥、銀泥で描かれた仏の姿を細部までご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください。
 

続いて第2章では、通称「神護寺経」と呼ばれる「大般若経(紺紙金字一切経)」と、お経を包む経帙(きょうちつ)をご覧いただきます。


重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(だいはんにゃきょう まきだいいち、こんしきんじいっさいきょう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示


(手前)紺紙金字一切経経帙(こんしきんじいっさいきょうきょうちつ) 
平安時代・12世紀 京都・細見美術館蔵 通期展示


美しい色糸で組まれた竹のすき間から雲母がきらめいています。ぜひ間近でご覧ください


第3章では中世神護寺の隆盛がうかがえる絵図や、密教空間を彩る作品をご紹介します。


重要文化財 十二天屛風(じゅうにてんびょうぶ) 
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 ※場面替えがあります


第4章の「古典としての神護寺宝物」では、幕末に活躍した復古やまと絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)によるもうひとつの「伝源頼朝像」が展示されています。


伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう) 
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
 

古画が大好きな為恭は絵画技術を学ぶため、神護寺宝物を模写しました。
ぜひ会場でふたりの頼朝を見比べてください。


そして最後の第5章では、1200年の歴史の各時代につくられた神護寺の彫刻が一堂に会しています!


国宝 五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示 



(中央)国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう) 
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示 
(右)重要文化財 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(左)重要文化財 月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)
どちらも平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
 


会場ならではの横からの姿にもご注目ください!


十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
吉野右京、大橋作衛門等作 [酉神、亥神]室町時代 15~16世紀 [子神~申神、戌神]江戸時代 17世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
 


前期展示は8月12日(月・休)まで、後期展示は8月14日(水)~9月8日(日)です。
金曜・土曜日(8月30日・31日を除く)は19時まで(入館は18時30分まで)の夜間開館も実施しています。

神護寺三像など、前期のみの作品もありますのでお見逃しなく!
夏休みはぜひ神護寺展へお越しください。

特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」 公式サイト
 


二天王立像(にてんのうりゅうぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵
撮影スポットもあります。ぜひ記念の一枚を撮影してください!

 

 

カテゴリ:news彫刻絵画工芸「神護寺」

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年07月19日 (金)

 

わたしのカミは左利き?

「十年一昔」といいますから「二昔」前のことですが、「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」として、奈良県の吉野・大峯(おおみね)、和歌山県の熊野及び高野山を中心とする地域が、平成16年(2004年)に世界文化遺産に登録されました。アテネでオリンピックが開催され、樋口一葉、野口英世のお札が登場し、微笑(ほほえ)みの貴公子・ヨン様が日本を席巻した年です。

私は初任地である奈良国立博物館にこの年に採用されましたので、今年で在職20年ということになります。それを記念して・・・ではなく、勝手に世界遺産登録20年記念に便乗した企画なのですが、特集「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」という小さな展示の企画・構成を担当し、現在本館14室で開催しております(2024年7月15日(月・祝)まで)。
当館が所蔵する金峯山経塚(きんぷせんきょうづか)出土品、那智山(なちさん)経塚出土品の一群に、奈良・大峯山寺(おおみねさんじ)から寄託されている大峯山頂出土品を加えた構成で、普段はお目にかけないようなもの(図1・2)も展示してますが、吉野・大峯信仰を代表する蔵王権現(ざおうごんげん)像が多数展示されているのが目を引くことと思います(図3)。

 

(図1)永承七年銘金具残片(えいしょうしちねんめいかなぐざんぺん)
奈良県吉野郡天川村金峯山出土 平安時代・12世紀
永承七年銘金具残片の裏面
会場では裏面を展示しています。

 


(図2)重要文化財 鉄錠(てつじょう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・12世紀 奈良・大峯山寺蔵



(図3)特集「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」(本館14室)の展示風景

蔵王権現は日本で創出された修験道(しゅげんどう)独自の尊格で、「権現」(仮の姿で現れる)と記されるように、インド以来の仏教の仏が変化(へんげ)した存在で、釈迦(しゃか)、千手観音(せんじゅかんのん)、弥勒(みろく)の三つの仏尊の徳を合わせ持つとされています。役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山で修行中に、過去の存在である釈迦、現在の存在である千手観音(阿弥陀の化身)、未来の存在である弥勒に続き、盤石(ばんじゃく)の中から涌出(ゆじゅつ)したとされており、過去・現在・未来を司る特別な存在と目されています。その姿についてはインド由来の仏のように経典に記されてはいないのですが、南北朝時代に記された『金峯山秘密伝(きんぷせんひみつでん)』という書物には次のように記されています。
「顔が一つ、目が三つ、腕は二つで、色は青黒く、顔は忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)。頭に三鈷冠(さんこかん)をいただき、左手は剣印(けんいん)を結んで腰に置き、右手は三鈷杵(さんこしょ)を持って頂上に上げ、左足は盤石を踏みしめ、右足は空中を踏む」(図4)


(図4)重要文化財 銅板鋳出蔵王権現像(どうばんちゅうしゅつざおうごんげんぞう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・11~12世紀 奈良・大峯山寺蔵


なるほど、涌(わ)いて出てきただけあってなかなか大胆なポーズで、思わず真似してみたくなります。右手に邪悪なものを破砕する三鈷杵を持つので、きっと右利きなのでしょう。昔の人はだいたい右利きです。右手でさっと抜けるよう、刀は左腰に帯びました。
金峯山寺蔵王堂(本堂)には秘仏の巨大な蔵王権現像が3体並んでいますが、揃って右手・右足を上げています。同じ姿の仏像が3体並ぶ(しかも大きい)のはなかなかおもしろいものです。

ところが会場を眺めると、逆向きの方がいらっしゃいます(図5・6)。しかも複数。 左右を間違えて作ってしまったのでしょうか。それとも鏡に映した姿でしょうか。

 

(図5)重要文化財 銅板鋳出蔵王権現像(どうばんちゅうしゅつざおうごんげんぞう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・12世紀 奈良・大峯山寺蔵
(図6)重要美術品 銅板鎚出蔵王権現像(どうばんついしゅつざおうごんげんぞう)
奈良県吉野郡天川村金峯山出土 平安時代・12世紀

 

密教(みっきょう)では鏡に尊像を思い浮かべる修行があり、そこから派生して鏡に尊像を彫り表したのが鏡像(きょうぞう)ですので、鏡に映した姿を表したと考えることもできますが、他の尊像ではこうした例はまずありません。私も解説などを書いていてよく間違えるので、同じような人がやっぱり間違えちゃったのかなとも思われるのですが、実は蔵王権現は、元は左右一対(いっつい)で表されることもあったと考えられています。
滋賀・石山寺には蔵王権現のような形の奈良時代の仏像の心木(しんぎ)があります。この石山寺の当初(奈良時代)の本尊の姿を描いたと考えられる平安時代の図像(図7)が残っていて、それを見ると本尊・如意輪(にょいりん)観音(二臂・半跏踏み下げの古い形式)の向かって右下に蔵王権現のような姿の天部形(てんぶぎょう)、向かって左下にそれを反転させた姿の天部形が描かれています。


(図7)重要文化財 諸観音図像(しょかんのんずぞう) 第17紙 如意輪観音(部分)
平安時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
(画像提供:奈良国立博物館)


蔵王権現のルーツについては、はっきりとは解明されていないのですが、この金剛力士(こんごうりきし、仁王)と思われる如意輪観音の脇侍(わきじ)も起源の一つと考えられていて、それを踏まえると、対(つい)になるように左手・左足を上げた方もいらっしゃったということになります。当時の礼拝法もよくわかってはいないのですが、石山寺と同じように左右向かい合うようにして用いられた可能性も考えられますし、古い形式が残ったことも考えられます。

いずれにしろ、左利きの蔵王権現は、左右を間違えちゃったわけではなく、ちゃんと由緒を持った姿ということが確かめられるのですね。
私は野球世代なので、希少な左利きには憧れがありました(右利きです)。投げる方はダメでしたが、打つ方は時々左で打ってみたりして、中日ファンだったので、打席でバットをグルグル回す田尾選手の真似をしてみたり、構えた時にお尻をキュッと投手の方へ向ける谷沢選手の真似をしてみたり・・・。
恐らく希少な存在の、左利きの蔵王権現がどのように見られてきたことか・・・。 仏様の前でポーズは取ってみなかったとは思いますが、気になるところではあります。

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 清水健(工芸室) at 2024年07月04日 (木)

 

神護寺散歩

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」(2024年7月17日~9月8日)の開幕まで、いよいよあと1か月。


正門前に設置された神護寺展の看板

前回のブログでは展覧会のみどころについてご覧いただきました。
今回は「神護寺」についてご紹介します。

京都市右京区の高雄にある神護寺は、紅葉の名所として古くから知られてきました。


京都市地図

国宝「観楓図屛風」には清滝(きよたき)川のほとりで紅葉狩りを楽しむ人々とともに、神護寺の伽藍(がらん)が描かれています。

国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ) 
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)

京都駅から西北へバスで約1時間、山道(やまみち)を進むと最寄りのバス停「高雄駅」へ到着します。
「高雄駅」バス停

今の時期は新緑がまぶしく、秋とはまた違った美しさがあります。

清滝川に架かる高雄橋を渡り...


参道の長い石段を登りきると...

ようやく神護寺の入り口、楼門(ろうもん)にたどり着きます。

楼門

広い境内を進むと、その先に金堂があります。



金堂

金堂には神護寺のご本尊である国宝「薬師如来立像」がいらっしゃいます。

国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう) 
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示

1200年以上の歴史を持つ神護寺は、和気清麻呂(わけのきよまろ)が建立した高雄山寺(たかおさんじ)を起源とします。
天長元年(824)には、高雄山寺と、同じく清麻呂が建立した神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり、正式に密教寺院として神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ、略して神護寺)が誕生します。

神護寺の前身寺院にまつられていた「薬師如来立像」を本尊として迎えたのが、高雄山寺を拠点として活動をしていた空海です。

重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう) 
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
大師堂に本尊としてまつられている秘仏です


大師堂(だいしどう)
空海が住んだ納涼房(どうりょうぼう)に由来する建物

厳しく威厳のあるお顔、そして重量感あふれるご本尊。
日本彫刻史上の最高傑作です。

国宝 薬師如来立像(部分)

特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」は、お寺以外でご本尊の荘厳さにふれていただく初の機会となります。
まさに1200年越しの奇跡といえるでしょう。

さて、金堂の先に進むと、神護寺名物の厄除け祈願「かわらけ投げ」を体験できます。


遠くへ投げ、その先で割れると厄除けになるといわれています



かわらけとは素焼きの盃(さかずき)のこと


眼下には清滝川が見えます

ご紹介したのはほんの一部ですが、神護寺の神聖な雰囲気を感じていただけたでしょうか。

神護寺展では国宝「薬師如来立像」を初め、空海が唐から請来(しょうらい)した曼荼羅をもとに制作された4m四方の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」など、空海が生きた時代を感じさせる名品をご紹介します。

国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示(8月14日~9月8日)、右の【胎蔵界】は前期展示(7月17日~8月12日)

調査により、紫根(しこん)という高価な染料が使われていたことが分かりました

また、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる国宝「釈迦如来像」、日本で最も有名な肖像画のひとつである国宝「伝源頼朝像」といった、神護寺に受け継がれる寺宝の数々を一堂に展示します。

国宝 釈迦如来像(しゃかにょらいぞう) 
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日)
 
鮮やかな衣には細かく切った金箔がキラキラと輝いています


国宝 伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう) 
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)

前期には国宝「伝平重盛像」、国宝「伝藤原光能像」とともに三像揃って展示します

本展は半世紀ぶりに開催される神護寺展です。

現在前売り券を販売しています。シンガーソングライターのさだまさしさん、「ルパン三世」峰不二子役や、「HUNTER × HUNTER」クラピカ役などでおなじみの沢城みゆきさん(声優)が出演する音声ガイド付き前売り券も注目です!

特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」 公式サイト

この夏、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、貴重な文化財を上野でご覧ください。

そして、ぜひ神護寺にも足をお運びください!

五大堂と毘沙門堂


 

 

カテゴリ:news彫刻絵画工芸「神護寺」

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年06月17日 (月)

 

おひなさまと日本の人形

東京国立博物館では、毎年、この季節になりますと3月3日の桃の節句(上巳の節句)にちなんで、当館のコレクションの中から雛飾りを展示しています。


特集「おひなさまと日本の人形」(3月31日(日)まで)の展示風景

本館14室に入り向かって右側にある大きなケースには、毎年、恒例の三段飾りをしています。
この雛壇には、古来より宮廷貴族の間でもちいられてきた「天児(あまがつ、男の子)」、「這子(ほうこ、女の子)」といった原初的なスタイルの人形から、紙で胴体を形作った「立雛(たちびな)」、室町時代の宮廷風俗を模したとされる「室町雛(むろまちびな)」、上方で流行したまあるいお顔の「次郎左衛門雛(じろざえもんびな)」など、ひな人形の歴史をたどることができる展示をしています。

 

天児
江戸時代・19世紀
這子
江戸時代・18世紀

 

立雛(次郎左衛門頭)(たちびな じろざえもんがしら)
江戸時代・18~19世紀
古式次郎左衛門雛(こしきじろざえもんびな)
柴田是真旧蔵 江戸時代・17~18世紀

 

また、ミニチュアだからこそ日本の卓越した工芸の技を存分に発揮できる、雛道具の数々も見どころです。
この雛壇の展示作業を一日で行うのがとっても大変なのですが、この度、その様子を動画で紹介しています。ぜひ、ご覧ください。

 


特集「おひなさまと日本の人形」ができるまでのタイムラプス

特集「おひなさまと日本の人形」ができるまでのタイムラプス

 

雛飾りばかりではなく、特に江戸時代に飛躍的に発展、成熟を遂げた、日本の伝統的な人形も、毎年テーマを変えて展示しております。
今年のテーマの1つは「嵯峨人形(さがにんぎょう)」。江戸時代前期に嵯峨在住の仏師(仏像を彫刻する職人)が、余技で始めたのがその始まりだと言われています。
木彫りした人形に胡粉(ごふん)といわれる白い塗料を塗り、黒紅(くろべに)と呼ばれた赤黒い色で着物の地色を塗り、その上に仏像に施されるような細密な金彩色を着物の模様として施す点が特徴です。
猿廻し、人形使(にんぎょうつか)い、遊女など、江戸時代のさまざまな職業の風俗を表しました。


嵯峨人形 人形使い(さがにんぎょう にんぎょうつかい)
江戸時代・17世紀~18世紀 野村重治氏寄贈


また、今回の注目は頭を後ろからつつくと首が前後に動き、舌がぺろっと出てくる子どもの姿を表した「嵯峨人形 首振り(さがにんぎょう くびふり)」です。江戸時代には人気の仕掛け人形だったようで、いくつもの例が遺されており、子だくさんを願う子犬を小脇に抱えています。展示されている人形は動きませんが、動いている様子を本館14室のモニターで見ることができます。


嵯峨人形 首ふり
江戸時代・17世紀


嵯峨人形は、着せ替えのできる「裸嵯峨(はだかさが)」と呼ばれる子どもの人形へと変化し、それが御所人形へと発展していったと言われています。
今となっては伝世品の少ない「裸嵯峨」や、愛らしい赤子姿の「御所人形(ごしょにんぎょう)」も本館14室でご覧いただけます。


御所人形笛吹き童子(ごしょにんぎょう ふえふきどうじ)
江戸時代・19世紀 尾竹越堂氏寄贈


特集「おひなさまと日本の人形」は本館14室にて3月31日(日)まで開催しています。
現代の生活では大きな雛壇の雛飾りが難しくなってきたこの頃、ぜひ、当館で華やかな伝統の雛祭りの様子をご体感ください。

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 小山 弓弦葉(工芸室室長) at 2024年03月13日 (水)

 

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