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イノシシ 勢いのある年に

こんにちは、ユリノキちゃんです!
ほほーい! ぼくトーハクくん!


 今日は本館特別1室・特別2室で開催中の、特集「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」(1月27日(日)まで)を見にきたんだほー

 亥年にちなんだ作品がたーくさん展示されているのよね。

 中でも「野猪」がオススメね、ユリノキちゃん。

 その声は、皿井研究員!

 こんにちは、トーハクくん、ユリノキちゃん。二人は動物の彫刻を見たことある?

 もちろんあるほ。鮭をくわえた熊だほ。

 おみやげっ(どこで見たの?)

 私は、本館18室・近代の美術のコーナーで「老猿」や「馬」を見たし、いまなら「牝牡鹿」も見られますよね。

 そう、近代の美術よね。
そもそも古い彫刻には動物作品はあまりなくて、近代になってモチーフのバリエーションを広げていく中で、ここにある「野猪」やユリノキちゃんが見た「老猿」といった作品が生まれてきたの。
とりわけ「野猪」は、日本の彫刻史全体の中でもイノシシをモチーフにした珍しい作品なのよ。


野猪 石川光明作 大正元年(1912) 石川光明氏寄贈

 なんだか、いじらしいほ。

 うん、可愛い。

 イノシシって、現代ではどっちかというと害獣で獰猛なイメージだけど、この「野猪」は横座りしてシナをつくった感じが、妙に可愛いってイメージよね。
作者の石川光明はもともと、根付とかの牙彫の職人として技術を学んだ人なの。根付ではいろんな動物を彫るのは普通のことなので、それを木彫でも制作したいっていうのは、彼の心の中に常日頃からあったのかもしれない。

 ふーん、根付のような可愛らしさが自然と表れたのかな。

 可愛いだけじゃなくて、牙彫作家らしい細かい彫りの技術も見てほしいな。細かい毛並み、動物らしい毛並みが実に巧みに表現されているの。可愛らしさと写実がギュッと凝縮されている作品なのよ。

 皿井さん、ここには他にもイノシシさんがいますね。

 ぼくの友達もいるほ。

 そうよ。例えばこの中国の「玉豚」は、ものすごく抽象化されていて、死者の手に握らせていたと考えられているものです。イノシシは多産や富の象徴として、死んだ後も幸せにいられるよう、お墓の中に一緒に埋葬されることがあったのね。


玉豚 中国 前漢~後漢時代・前2~後3世紀

 それと、そのほかの中国の作品を見ると、逆に小さいながらもイノシシの力強さがよくあらわされていて、中国の人たちの対象物を見て、それを写し取って造形化する技術力、造形把握能力ってものすごいと感じるけど・・・。


灰陶豚 中国 前漢時代・前2~前1世紀 広田松繁氏寄贈


褐釉豚 中国 唐時代・8世紀


 ん、なんだほ?

 一方で日本の「埴輪 猪」を見ると、あれ?って。これでよかったの?って。
縄文時代は、イノシシは狩猟の対象として身近だったからよーく観察されていて、「猪形土製品」のような形をちゃんと写し取った作品はいっぱいあるのに、それが埴輪になると一気にゆるキャラ化して・・・、形もこんな足が長い。馬みたい。


重要美術品 猪形土製品 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(後~晩期)・前2000~前400年


重要文化財 埴輪 猪 群馬県伊勢崎市大字境上武士字天神山出土 古墳時代・6世紀

 なな、なんてこと言うんだほ、皿井さん。

 ふふ。中国の造形に対する関心のあり方と、日本の対象物をどう造形化するか、この違いが浮き彫りになって、すごく面白い。皆さんにはそういうところも見てほしいと思います。

 しくしく。「埴輪 猪」の立場が・・・。

 じゃあ、どうして足が長いのか、私に説明させてください。

 あ、あなたは、河野研究員!

 ほほーい! 河野さん、たのんだほ!

 はい。まずこの重文「埴輪 猪」、縄文時代や東洋考古のイノシシと比べると極めて足が長いのが奇妙でして、イノシシというには不思議な体形ですね。
よく見ると足の先の後部が半円形にくりぬかれて、馬の蹄と同じようになっています。日常的にイノシシを見ている人が作ったのなら、偶蹄類なのでつま先は二つに分かれるはずなのに。
つまり、馬形埴輪を作っている人がイノシシをよく知らないまま作ったんではないかと思われます。




 えーっ、そういうことあるんですか?

 古墳時代になると、縄文時代にくらべて、人が生きる上での生業がいろいろ多様化していますし、山など自然からは離れて生活している、そういう人たちも沢山いたと考えられます。
イノシシ狩りは王様の狩猟儀礼みたいなものに変わってしまっているだろうし、イノシシと犬の埴輪でそれを古墳内に再現する際も、そこにはあまり写実性が求められてなかった、そんな背景があるんじゃないでしょうか。

 なるほどぉ。

 王様にとってイノシシを狩るというのは、突進してくる獰猛な存在をやっつけるということで、自身の権威を高めることになりますね。狩ったということを表現しようとして「矢負いの埴輪」も作られたと考えられます。古墳に眠る人の権威のほどを示したわけです。


埴輪 矢負いの猪 伝千葉県我孫子市出土 古墳時代・6世紀

 ほんとだ、“←”が付いてる! 現代のやじるしと全くおんなじ。

 この矢の形(←)というのは誰かが考えて広めたというものではなく、動物を狩るような尖ったものを表現する際、人類が普通に思い浮かび知らずしらず共有されている、時間と場所も超越する、そんなサインなのかな。だから、この埴輪でも使用されたんじゃないかと思います。

 そーそー、超越したサインなんだほ。

 埴輪を研究している身としては、この大阪の堺市から出土した「埴輪 猪」も、ぜひ見てほしいですね。


埴輪 猪 大阪府堺市出土 古墳時代・5~6世紀 伊藤福次氏・橘喜一郎氏寄贈

 微笑ましい表情で、私も大好き。

 ゆるキャラ具合もそうだけど、重文「埴輪 猪」と見比べてみて、どっか違うところないかい?

 ほ?

 こっちのは足の側面に穴が開いてるでしょ。これは近畿地方の埴輪の特徴です。埴輪の地域性が見て取れますね。



 ほんとだほ。お尻以外に足の付け根にも穴があるほ。ね、ユリノキちゃん。

 ほんと、お尻以外にも穴が空いてるわ。



 河野さん、言っておくけど、ぼくもユリノキちゃんも極めてマジメだほ。

 はい(汗)

 ところでトーハクくん、こっちには絵画作品もあるわよ。

 そうだほ。あれは、特集のメインビジュアルをつとめる「猪図」だほ。
もう、“猪突猛進”感だしまくり、ビューって向かってくるほ。


猪図 岸連山筆 江戸時代・19世紀 ハーディ・ウィルソン氏寄贈

 ふふふ。やっと私の出番がきたわね。

 大橋研究員!

 「猪図」もいいけど、私のオススメはこれよ。その名も「大小暦類聚」。

  だいしょうごよみるいじゅう?


大小暦類聚 寛政3年(1791)

 大黒天様の打ち出の小槌からイノシシさんがいっぱいでてきてる。よく見ると、大きいのと小さいのがいて、お父さん、お母さん、子供たちみたい。

 ほう。でも、大きいイノシシは2匹だけじゃないほ。叔父さん叔母さん、従妹たち、親せき一同が集まって、いったい何の騒ぎだほ?

 二人ともすばらしい観察力ね。これは適当に大小があるんじゃなくて、ちゃんとした、っていうか、江戸の時代のユーモアが隠されてるのよ。

 どういうことだほ?

 作品名を見てみて。大小の暦の類をあつ(聚)めたってことで、これは暦を描いているの。

 そうなんだ。

 江戸時代の暦は現代と違って、月の満ち欠けを基にした、大の月(30日)と小の月(29日)が年ごとに変わる、そういう暦だったの。

 ほー。

 お正月になると、その年の月の大小を示す絵暦を交換したりして楽しむようになって、デザインに干支を表わすおめでたい図柄も多く採用されたってわけ。
これもイノシシの大小によって月の大小がわかるというユーモアあふれる絵暦なのよ。




 じゃぁこれは、亥年の暦ってことですね?

 そう、200年以上前の寛政3年(1791)の絵暦です。

 暮らしぶりが粋なんだほ。

 うん、江戸時代の人たちは、いろいろと粋なことをして楽しんだのよ。
この「見立富士の巻狩」もそう。


見立富士の巻狩 葛飾北斎筆 享和3年(1803)

 葛飾北斎さんだほ。

 本来は、源頼朝の富士の裾野での狩りを題材にした「富士の巻狩」っていうのがあって、その中に頼朝に向かって突進してきたイノシシを退治した話があるんだけど、それを北斎は七福神がしているように見立てたわけ。つまり・・・

 パロディー!

 大黒天がイノシシに跨って、打ち出の小槌でしっぽを切ろうとする仕草が描かれていて、昔の人もパロディーを楽しんだっていうのが分かる作品なのよ。



 大橋さん、こっちは? イノシシの団扇を持っている人に蛇のオモチャでいたずらしてる人が描かれてますよ。

 むっ、悪さをする子は、ぼくが許さないんだほ。


浮世七ツ目合・巳亥 喜多川歌麿筆 江戸時代・19世紀

 二人とも十二支は言える?

 はい。子ぇ、丑、寅、卯ぅ、辰、巳ぃ

 午、未、申、酉、戌、亥ぃ・・・

 あ、巳年、蛇もでてくるわね。

 そう、この作品は「浮世七ツ目合・巳亥」といって、亥年のイノシシと巳年の蛇がモチーフになってるの。

 どうして、この組み合わせなのかしら?

 ある干支と、それから数えて七つ目の干支の組み合わせは幸運を招くとされていたからなのよ。亥年から七つ目は巳年なの。
この喜多川歌麿の作品は、いたずらしてるように見えて、じつは幸運を招く縁起の良さが描かれているのね。

 ほ! 巳年から数えたら七つ目は亥年だほ。この浮世絵はきっと、7年後の特集展示にも出てくるほ。

 トーハクくんて、ときどき妙にピントが合ったこと言うのね(まぁ、数えるなら6年後だけど・・・)。

 トーハクくん、イノシシさんの楽しい見方がいっぱい詰まった特集展示ね。

 ユリノキちゃん、そうなんだほ。みんなにもぜったい見てほしいんだほ。

 うん。じゃ、そろそろほかの展示室に行こうか?


 ちょっと待ったぁー!!!

  強烈に聞き覚えのある声。

 おいおいおい。水くさいじゃないか二人とも。

  井上副館長!

 そうだよ。井上副館長だよ。

 井上さん、そんなに興奮して、   ここにある国宝、目につかないかい? 国宝「袈裟襷文銅鐸」だよ。

 (食い気味にきたほ)画数の多い漢字は苦手だほ。


国宝 袈裟襷文銅鐸 伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀

 この部分にイノシシが描かれているんだ。見てごらん。



 あっ、ほんとだ。ほかに小さい動物と人間もいますね。

 そ、これはもう弥生絵画の傑作だよ。
いいかい、まずイノシシ、それに立ち向かっていこうとする5匹の犬。そして矢を放とうとする人間。つまり当時の犬追い狩猟の様子の在りのままがここに再現されているんだ。
縄文時代はリアルなイノシシだって皿井さんが言ってたように、この弥生時代の銅鐸に描かれたイノシシもまた、イノシシそのものをうまく表現している。素晴らしいだろ?

 イノシシらしい鼻先、耳、しっぽ。イノシシにしか見えないわね。

 銅鐸にイノシシが描かれることは非常にめずらしい。多く描かれているのは鹿なんだよ。縄文時代の土製品などはイノシシが大変多いんだが、それが弥生時代に入ると、イノシシに代わって鹿が多くなるんだ。

 どうしてだほ?

 それには縄文時代と弥生時代の生業の違いが関係しているようだね。縄文時代は狩猟・漁労・採集といったものが人々の生活を支えていたんだ。ところが、弥生時代になると大陸から米作りが伝わり、人々の生活は大きく変化する。

 そうなんですか?

 おそらく、縄文人は獰猛で多産なイノシシにパワーを感じ、弥生人は稲作のシンボルとして田の豊穣をもたらす神、ひいては子孫の繁栄をもたらす神の象徴として鹿にパワーを感じていたんだな。稲作が始まって、狩猟採集から食料の栽培生産へと変化したために対象獣も変わったんだよ。
時代は変われど、人間は動物にさまざまな願いを託していたことを分かって欲しいんだ。そして大切なことは、この絵画が示すように、弥生人は稲作を始めたからと言って狩猟というものを止めたわけじゃないんだよと。

 たったこれだけの中に、それだけの情報が詰まっているのね。

 そう。ただし、他の遺物との比較があってのことだけどね。

 比較から、そういう考察が生まれるよってことだほ。

 そう、考察が生まれ、え?

  (トーハクくん、どうしちゃったの?)

 ん、二人ともなんだほ?

 だから、絵画、彫刻、歴史資料、いろいろなイノシシが会場にはいるけれど、ぜひこの銅鐸も見ていってほしんだな。

 うん、分かった。井上副館長、いろいろ教えてくれて、どうもありがとうなんだほ。

 皿井さん、河野さん、大橋さんもどうもありがとうございました。
さてトーハクファンのみなさん、私たちの紹介で、この特集に興味を持ってくれたかしら?

  特集「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」は1月27日(日)までです。
みなさんのご来館をお待ちしてまーす!

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開トーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくんとユリノキちゃん at 2019年01月15日 (火)

 

特集「大判と小判」について

新年明けましておめでとうございます。
本年もトーハクは、「博物館に初もうで」と銘打って1月2日より開館。お天気に恵まれたこともあり、たくさんのお客様をお迎えし、幸先よいスタートをきることができました。新しい年明けをここはひとつ景気良く、ということで、「大判と小判」という特集の展示を本館14室にて2月3日(日)まで行っています。

折しもこのお正月、2日と3日の夜に、門井慶喜さん原作の「家康、江戸を建てる」がテレビドラマ化、放映され、特に3日の「金貨の町」は、京の金工家、後藤家の職人であった橋本庄三郎(後藤庄三郎光次)が家康のもとで小判を作ることをメインテーマに据えた内容。なんとタイムリー!これは必見と思っていたのですが、年末から続く飲み疲れか、不覚にも眠ってしまい見逃しました。再放送やっていただけないものでしょうか。 

大判・小判は、金工家であった後藤家が製造を担いました。大判は豊臣秀吉が天正16年(1588)、御用金工家であった後藤家の5代、徳乗(とくじょう)に造らせた天正大判に始まり、後藤家はその後、江戸幕府の金工家も務め、必要に応じて大判を製造しました。また小判は、徳乗の門人で、徳川家康の命により徳乗の代理として江戸に下った後藤庄三郎光次(みつつぐ)が造ったのに始まり、金座で製造がなされました。金貨といっても純金ではなく、銀をまじえた合金を素材とします。それは金が高価であったことに加え、金のみでは柔らかすぎるためであったと考えられます。例えば享保大判の場合、金67.7%、銀27.68%、銅4.62%。元禄小判の場合、金57.37%、銀42.63%の合金とされます。これほど銀が多いと、普通は白っぽくなってしまうのですが、そこで色付(いろづけ)、色揚(いろあげ)と呼ばれる表面処理がなされました。それは何種類かの薬品を塗った後に加熱し、水で洗い流すことにより、表面では銀成分が溶け流され、濃度の高い金が現れるというものです。

今回は展示していませんが、当館には後藤家が小判を製造している様子を描いた巻物「小判所並後藤ニテ小判仕立絵図」(江戸時代19世紀 東京国立博物館蔵)があり、そこでは文様や極印を打ったり(画像1)、色付をしている工人の様子が描かれています(画像2)。

模様や極印を打つ
画像1:模様や極印を打つ
色付(色揚)をする
画像2:色付(色揚)をする

大判小判はよく時代劇やマンガにも登場します。いっとう私の印象に残っているのは、テレビアニメの「ルパン三世」の、いわゆるファーストシリーズ(ルパンのジャケットは緑。セカンドシリーズが赤だったので、リトマス試験紙の変化になぞらえて、青→赤は三世つまり酸性、と覚えた人もおられましょう)の最終回。発掘された大判小判をルパン一味はまんまとせしめるのですが、あまりに事が上手く運んだことに、ルパンは不審を抱きます。「次元、その小判、かしてみな。」カリッと噛んだ小判は割れて、中から銭形警部の仕込んだ発信機が出てくるのでした・・(テレビの話ばかりで恐縮です)

本物の山吹色の輝きを、ぜひご覧にお運びください。お待ちしています!

本館14室の展示の様子
本館14室の展示の様子

特集「大判と小判」チラシ

特集「大判と小判」
2019年1月2日(水)~2月3日(日)
本館14室


※「博物館に初もうで」は1月27日(日)まで開催

特集「大判と小判」ビジュアル

特集「大判と小判」
2019年1月2日(水)~2月3日(日)
本館14室

※「博物館に初もうで」は1月27日(日)まで開催
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 伊藤信二(博物館教育課長) at 2019年01月10日 (木)

 

トーハクくん、童子切安綱で刀剣の凄みを知る!

ほほーい、ぼくトーハクくん。
今日は刀剣の部屋に来たんだほ。この間の「大包平」にも負けず劣らずの、すごい刀剣が展示されてると聞いて、さっそく、すっかり友達、酒井研究員に会いにいくんだほ。


ごめん、トーハクくん。ちょっと仕事がたてこんでて、「童子切安綱」を案内する時間がないんだ。また今度にしてくれる?

(ガーン)せっかく来たのに、それはないんだほー!

トーハクくん、僕でよかったら案内するよ。

ほ!? その声は10月にトーハクへ来た佐藤研究員!
やったほー、これでまた刀剣に詳しくなれるほ。

それじゃあ大包平と並び “日本刀の横綱” といわれる天下の名刀、「童子切安綱」を見に行くほ!

(なんだかこの人、ノリが良さそうだほ…)

トーハクくん、これが今回ぜひ紹介したい国宝「太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱)」です。
さて、この題箋に書かれている名前、どう読むか分かるかい?

国宝 太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱) 平安時代・10~12世紀



むっ、佐藤研究員、こう見えて僕は広報大使なんだほ。トーハクの文化財のことは任せてほ。えーと…
こくほう たち はく(うーん)なんとかかんとか めいぶつ なんとか?

正解はルビにあるとおり、「こくほう たち ほうきやすつな(めいぶつ どうじぎりやすつな)」だよ。

(ズコっ。ルビがあったほ)
ということは、古備前包平ふうに考えると、伯耆の安綱さんっていうこと? 伯耆ってなんだほ?

うん、その「ふう」の考えは間違ってないね。「ほうきやすつな」、伯耆は地名で安綱は人名。
安綱は、今から約千年前、平安時代の終わり頃に、伯耆国、現在の鳥取県西部で活躍した刀工です。
実は伯耆国は、備前国(岡山県)や山城国(京都府)のような、メジャーな刀剣産地ではないんだけど、ここは良質な鉄の産地で、その素材の良さが名工・名刀を生み出したんだね。

茎に打たれた銘「安綱」

ふーん、いい素材がある地にはいい刀工…、うん納得だほ。
じゃあ、そのあとの「名物 童子切安綱」っていうのはなんだほ?

まず、名物っていうのは分かるかい?

むっ、佐藤研究員まただほ! 見くびってもらっては困るんだほ。
その土地にしかないような特産品、早い話が、おいしいお菓子のお土産のことだほ。

 ・・・

(ちょっと空気が変わったほ)

  「名物」というのは、江戸時代に八代将軍徳川吉宗が、家来に命じて作らせた名刀リストである『享保名物帳』に掲載された刀剣のことを指すんだ。

 あの暴れん坊がそんな刀剣カタログを作ってたんだほ。

そう、暴れん坊が作った刀剣カタログ。そこには「名物 ○○」と名刀がいくつも記載されているんだ。
トーハクくんは、酒呑童子って聞いたことあるかい?

お酒が好きな子供? まあまあ不良だほ。

惜しい(わけない、全然)。童子切安綱の童子は、丹波国(京都府)の大江山にいたという酒呑童子と呼ばれた鬼のこと。

 鬼?

そう。藤原道長に仕えた武将源頼光が、この安綱の太刀で酒呑童子を斬ったという伝説が名前の由来なんだよ。

 童子を切った安綱… えーっ! 今ここに展示してあるのは、酒呑童子を斬ったホンモノなんだほ!

でも、すごく大きかった大包平に比べると、安綱さんが作ったこの太刀は細い感じがするけど…

そうだね、でもよーく見てみて。
まず姿。すらりとした刀身が強く弓なりに反って緊張感のある曲線を描いている。そして地鉄と刃文。パッと見は地味に見えるけど、じっくり見ていくと複雑で細やかな変化に富んでいることが分かる。
目が肥えると見えてくることがたくさんある、通好みの作風ともいえるんだよ。
展示室にはこの童子切安綱のほかにも、それぞれに特徴がある刀剣が多く展示されているから、見比べてみてほしいな。


小乱(こみだれ)と呼ばれる不規則で複雑な変化に富んだ波文

うんうん

安綱の作風には、備前刀工の躍動美、山城刀工の端正美とは異なる、いい意味での素朴さ、野趣があるといわれてるんだ。その最高傑作がこの「童子切安綱」。

ぼくにも見えてきたほ。でも、通好みだから国宝になったほ?

酒井研究員に聞いたと思うけど、国宝に選ばれる文化財は、美術品として優れているだけでなく、華麗なる由来伝来を持ち合わせているんだよ。
「童子切安綱」は安綱の最高傑作であり、その造形の素晴らしさが酒呑童子伝説と結び付いたっていうのは今言った通り。そして、 “天下五剣” の一つとして古くから名高く、足利将軍家→豊臣秀吉→徳川家康・秀忠→越前松平家→津山松平家と伝えられてきたという。
さらに保存状態が抜群にいい。その証拠に茎(なかご)の目釘穴が一つしかなくて、製作当初の姿をほぼ留めていることが分かるね。これは文化財としてとても重要なことなんだ。
いかに大切にされてきたか分かってもらえるかな。

童子切安綱の茎には目釘穴が一つしかない


重要文化財 太刀(部分) 備前景依 鎌倉時代・12~13世紀
拵(こしらえ)が作り直されるたび、柄を固定する目釘の穴があけられている
[本館13室(刀剣)にて、2019年2月17日(日)まで展示中]


うん、分かるんだほ。それで、実際に手に取った感じはどうなんだほ?

「童子切安綱」は数十口ほど現存する安綱の作刀の中でも群を抜いた、いわば破格の造形。だからこそ作風や由来伝来に応じた名前「童子切安綱」が付けられたんだけど…。
うーん、そういうものには神が宿る。
僕には刀身から何か気が放たれているように感じるよ。実際、展示するときに鞘から抜いた瞬間、ビビッとくるからね。
「童子切安綱」や「大包平」など「名物 ○○」のような名前が付けられたものは、もう単なるモノではなくて、この世で一つの命を吹き込まれた存在とも言えるんじゃないかな。

なんだか、とーっても凄みを感じる刀に見えてきたほ。もっとトーハクファンのみんなに教えたいほ!

そうだね。またとない機会だから、僕もぜひみんなに見に来て欲しいんだほ。

良い作品は良い研究員を育てる。ついでに、トーハクくんに触れた研究員はトーハクくんのファンになる。佐藤研究員が熱くなるのもムリないほ。

国宝「太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱)」は、本館13室(刀剣)で2019年2月17日(日)まで展示してるから、年末年始にトーハクに遊びに来たときは、ぜひ見ていってほしいんだほー!


※東京国立博物館は、年末は2018年12月25日(火)まで、年始は2019年1月2日(水)から開館します。
 

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posted by トーハクくん at 2018年12月21日 (金)

 

斉白石作品のたのしみかた

現在、東洋館第8室では、北京画院所蔵の斉白石(1864~1957)作品が展示されています。
この北京画院は、斉白石が最晩年に名誉院長を務めた美術アカデミーです。日本で、いわば「本場」の斉白石作品がまとまって見られる機会はなかなかありませんので、ぜひ足を運んでいただければと思います。

といっても、斉白石は現代日本ではさほど有名な画家ではなく、今回初めてその作品を見る、という方も多いのではないでしょうか。
そんな方々のために、本ブログでは、斉白石作品をどのようにたのしむかについて、「重なり」をキーワードにご紹介したいと思います。

1 ジャンルの「重なり」をたのしむ

斉白石は湖南省湘潭の貧しい農家の生まれで、はじめは家具に木彫をほどこす指物師として世に出、その後、画家、篆刻家、書家、と活躍分野を広げていきます。
それぞれの分野において、別の分野での経験が活かされており、作品の中にこれまでの芸術家としての経歴が複層的に「重なって」みえるのが白石の魅力の一つです。

例えば、白石の人物画には、指物師として立体物を作っていた経験をみることができるのではないでしょうか。

「清平福来図」に描かれるずんぐりむっくりした老人は、どこか漫画的でユーモラスですが、肩や腰回りは木彫りの人形のように丸味があり、しっかりとした量感を備えています。
簡略な筆致ながら、対象の立体感をおさえる、熟練した職人のまなざしが感じられます。


No.72 清平福来図
No.72 清平福来図 

また、よくいわれるのが、篆刻の彫り方と指物師の経験との関係です。

白石は篆刻において、線の片側のみから彫る単入刀法を多く用いています。
両側から彫ってなめらかな線を作る双入刀法と比べ、単入刀法の線はギザギザとしており、豪快で力強い印象を与えます。
このような彫り口は、指物師として刀に親しんでいた白石ならではの好みといえるでしょう。
本展には残念ながら白石の木彫作品は出陳されませんが、印面からその刀さばきを想像していただければと思います。


No.100 「中国長沙湘潭人也」白文方印
No.100 「中国長沙湘潭人也」白文方印 

篆刻の制作は、絵画の構図法にも影響を及ぼしたかもしれません。

白石の印の字配りは、疎密をわざと偏らせ、朱色と白色の対比を強調するところに特徴があります。
絵画においても、モチーフを片方に偏らせ、描き込みの多い部分と少ない部分を対比させる構図がしばしばみられますが、これは優れた篆刻家ならではの美意識といえるでしょう。


  
(左)No.98 「吾孤也」白文方印
(右)No.23 
葫蘆小鶏図 

また、中国伝統の考え方である「書画同源」が、白石の作品についても指摘できます。

画家として白石は、水分を多く含んだにじむ筆線と、乾いてかすれる筆線を交互に用いながら、ごつごつとした松の幹や枝の質感を表しています。
拡大してみれば、筆墨の抽象的な美しさを楽しむこともできるでしょう。

白石は同様に、書においても、時には演出過剰でないかと思えるほど、にじみとかすれを重ね、純粋に筆墨の美を追求したような作品を残しているのです。


  
(左)No.6 松図(部分)
(右)No.76 
篆書四言聯(部分)

2 個人的思い出の「重なり」をたのしむ

白石は、一般的な画題に自分の個人的思い出を「重ねて」、作品の伝えるメッセージをより味わい深いものにしていました。

例えば、蝦や蟹は、伝統的な吉祥モチーフとして知られています。
腰を自在に湾曲させる蝦は、物事が順調に進むことの寓意であり、蟹は甲羅の「甲」が、科挙の第1位合格者を示す「一甲一名」と通ずることから、立身出世の象徴でした。

白石の描く蝦や蟹の特徴は群れて重なり、時には画面からはみでるほど生き生きと動き回る姿で描かれる所にあります。
ここには、幼いころから農村で生きた蝦や蟹に親しんでいた、白石の思い出が投影されているとみることができます。


  
(左)No.49 蝦図(部分)
(右)No.55 
蟹図(部分)

さらに、蝦や蟹は白石にとっては、日々の生活を彩る食材でもありました。
「工虫画冊」では「独酌」と題して、ぽつんと置かれた酒杯と一緒に、脚のとれた茹で蟹を描いています。

酒菜としての蟹を、個人的感慨を込めて描くという行為は、明時代の文人画家・徐渭(1521~1593)に先例が見いだせます。
例えば当館所蔵の「花卉雑画図巻」は、酒を携えてやってきた知人のために、やや酔っぱらいながら一気呵成に仕上げたと、徐渭自ら記す作品です。
白石は徐渭に私淑しており、「工虫画冊」にみられる、輪郭線を用いず、色面のにじみだけで蟹を造形する手法は、徐渭の系統に連なるものです。


  
(左)No.37 工虫画冊(第2図)
(右)
花卉雑画図巻(部分) 徐渭筆 東京国立博物館蔵 
※本展には展示されていません


白石の工夫は、文人風の、草々とした筆致による蟹に、非常に精緻に写されたコオロギを組み合わせた点にあります。
この小さな虫のリアリティにより、「工虫画冊」にはまさに目の前の情景を写した、という実感が備わり、鑑賞者は斉白石をより身近に感じることができるのです。

白石作品は、蟹というモチーフについて、吉祥モチーフとしての伝統的意味、農村の思い出、徐渭を学んだ記憶、「今」の生活の一コマ、といった、意味の「重なり」合いを提供しています。
その複層的な味わいもまた、斉白石の魅力の一つといえるでしょう。



No.37 工虫画冊(第2図)(部分)

「中国近代絵画の巨匠 斉白石」展は、11月27日(火)より後期展示となり64作品が新たに展示されています。
前期をご覧になった方も是非、もう一度ご来場いただき、ご自分なりの「斉白石作品のたのしみかた」を見つけていただければ幸いです。

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ「中国近代絵画の巨匠 斉白石」中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室研究員) at 2018年12月11日 (火)

 

特集「松山・徳島の考古学」について

こんにちは。考古室研究員の山本です。
今回がはじめてのブログ登場です。皆さまどうぞよろしくお願いいたします。

ただいま平成館企画展示室では、特集「松山・徳島の考古学」(~12月25日(火))を開催しています。
この展示は考古相互貸借事業により、当館から作品をお貸出しするかわりに、松山市考古館徳島市立考古資料館の所蔵する考古資料をお借りして展示しています。

入り口付近からみた西側ケース
入り口付近からみた西側ケース

この展示では地域の特性に触れることができるのも見どころのひとつ。両館からは、縄文時代から平安時代まで、多岐にわたる作品をお貸出しいただいています。

それでは同じ四国(高知)出身の私から、ふだん考古展示室でお目にかける機会のない魅力的な作品をご紹介しましょう。
まず松山市からは、大渕遺跡の彩文(さいもん)壺形土器です。大渕遺跡は縄文時代晩期の遺跡で、松山平野に水田稲作が定着する過程を知るうえで重要な遺跡です。

彩文壺形土器
彩文壺形土器 愛媛県松山市 大渕遺跡出土 縄文時代(晩期)・前1000~前400年 松山市考古館蔵

夏の縄文展で、いろんな土器をご覧になって縄文土器に強くなった皆さんも、この壺を見ればびっくりするのではないでしょうか?
まん丸なフォルムに、短い口。口の周りの黒い模様は、まるで茄子の“へた”のようですね。個人的には、地元の高知の美味しい秋茄子を思い出してしまいます。この模様は土器を焼くときに、こうなることを意図して炭素を吸着させたものと考えられます。つまり狙ってナスビのように仕上げたのです。

これは似たような土器が朝鮮半島からも見つかっていますが、全く同じものはありません。水田稲作が行われるようになる時期に突然あらわれた、謎の多い土器なのです。


次に、徳島市からは弥生時代に製作された木偶(もくぐう)です。

木偶
左:木偶 徳島市 庄遺跡出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀 徳島市立考古資料館蔵

ちょっとこわいリアルな表情の顔に、棒のような胴体部分。胴の部分は別の素材で組み合わせていたとも考えられています。
皆さんは縄文時代の土偶はよくご存知かと思いますが、この木偶は弥生時代のものです。こうした弥生時代の人形表現は、男女が対になるものが多くみられます。夏の縄文展でも、弥生時代の土偶形容器など男女一対になるものがありましたね。この木偶にもパートナーがいたかもしれません。パートナーはどんな姿だったのか、そもそもこの木偶さんは女性なのか男性なのか・・・興味は尽きません。

この他にも見どころたっぷりの展示となっていますので、ぜひ足をお運びいただけますと幸いです。

また、今回の展示で興味を持っていただけましたら、ぜひ松山と徳島へも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。どちらもより多くの魅力ある考古資料、・・・そして美味しいお酒と海の幸が皆さまをお待ちしていることと思います。

出口側から見た東側ケース
出口側から見た東側ケース

毎年おこなってきました東京国立博物館での考古相互貸借事業も、今年度が最後となります。これまで楽しみにしてきてくださった皆さま、どうもありがとうございました。今後とも、当館所蔵資料での特集陳列は続けてまいりますので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特集・特別公開

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posted by 山本 亮(考古室研究員) at 2018年11月27日 (火)

 

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