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特別展「和様の書」を楽しむために─鑑賞編3 「散らし」の美

特別展「和様の書」を楽しむために 鑑賞編の3回目は「散らし」の美についてです。

散らしとは、その名のとおり、文字を散らして書くこと。
たとえば、行の頭や行と行の間をそろえず、さまざまな変化をつけて書くことです。字の大小もさまざま、斜めに書いたり、余白をとったり、なかには、あっちにいったりこっちにいったり、かなり遊んでいるものもあります。

この作品を見てください。
小さな四角い色紙に和歌を一首記したものです。

升色紙「いまはゝや」  伝藤原行成筆  平安時代・11世紀  東京国立博物館蔵
升色紙「いまはゝや」  伝藤原行成筆  平安時代・11世紀  東京国立博物館蔵
[展示期間:2013年8月6日(火)~9月8日(日)]


すっきりと美しく、えもいわれぬ風情があります。

これを見てください。
先ほどの作品の行頭と行間をそろえてみたものです。

行頭と行間をそろえた升色紙
「東京国立博物館ガイド 本館編 一歩近づいて見る日本の美術」(東京美術)より

字のうまさや線の美しさという意味では同じはずです。
でも、なんだか面白みが無い。面白くないだけなく、単調で躍動感がない。

どうでしょう。散らして書いたからこその美しさ、おわかりいただけましたか?
しかし、「きれいだなあ」とは思うけれど、それがなぜなのか、どこが見どころなのかよくわからない、という方も多いのではないでしょうか。


では、なぜ散らして書いたものは美しく、心地よく見えるのか、そのヒミツを探ってみましょう。


散らしのヒミツ其一 まるで絵のような・・・ 遠近感と奥行きの美

升色紙 よみくだし文つき

(1) まずはたっぷりと墨を含んだ筆で1行目を書きました。

(2) すこし墨が薄くなって線も細い2行目。

(3) 余白をとって消え入るような細い線の3行目。

(4) その3行目に絡まるように再び少し濃く太い4行目


一行目から順に、近景、中景。 少し離れて、遠景、そして中景に。
まるで絵のような奥行きと立体感を感じませんか?


散らしのヒミツ其二 響きあう行間 余白の美
2行目と3行目の間がほかと比べて広く空いています。この加減も絶妙です。
もうあと1センチ広かったら、2行目と3行目はそっぽを向いてしまい、互いの関係性が感じられなくなるでしょう。行と行が響きあうぎりぎりのところまで間を開けているのです。

散らしのヒミツ其三 脇役も大切です  調和の美
たとえば、一行目の「や」は大きくて形も個性的ですぐに目に飛び込んできます。しかし、その次の「こ」はむしろ個性がなく控えめです。
三行目の「たのめし」は消え入るような線ですが、次にくる「いのち」の濃い線によって、むしろその個性が引き立ってみえます。
脇役として控えることによって主役を引き立てたり、文字と文字との関係によってそれぞれがより引き立って見えたり。全体の調和を大切にする日本人独特の美学が感じられます。

散らしのヒミツ其四 うねってまとめる  空間の美
最後の行の末尾「なりける」の4文字は、右に曲がって3行目の下に入り込んでいます。さらに最後の一文字「る」はより一層中に入り込んでいますね。
これによって紙面の外の、ある1点に4行が収束していくような構成が生まれ、全体としてのバランスとまとまりがとれているのです。

もちろん、散らしのヒミツはこれだけではありません。作品ごとにさまざまな工夫やしかけがあるでしょう。しかし名品といわれるものに共通しているのは、文字と文字、行と行、下絵のあるものは、書と絵が美しく響きあっているということです。
会場では、その美しい響きに耳を澄ましてみてください。

ちなみにこの歌の意味は
恋しくていますぐに死んでしまいそうだけど、またあいましょうといってくれたあなたの言葉だけが私の命を支えているのです
といったところでしょうか。
意味がわかればなお楽しく、かといって意味がわからなくても散らしの美は味わえます。
今回のように、まずは読まずに書を楽しんでいただければと思います。


ここで、散らし書きの作品を楽しむための、とっておきの方法をお教えします。
最後の一行を頭の中の消しゴムで消してみてください。
さて、あなたならどう書きますか?

下絵のある作品であれば、文字を消してみましょう。

たとえば、この作品。等伯が余白を大きくのこした檜林を描き、その上に近衛信尹が奔放な大字を書き付けています。

(三輪の檜原に)の部分は絵に代用させている点も面白い作品です。

檜原図屏風 書:近衛信尹 画:長谷川等伯
檜原図屏風 書:近衛信尹 画:長谷川等伯 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 京都・禅林寺蔵
[展示期間:2013年8月6日(火)~8月25日(日)



さあ、あなたならどう書きますか?

 

*広報室より、特別展「和様の書」関連番組のお知らせです。
NHK総合 2013年8月3日(土) 15:05~15:56
トーハク女子高 夏期講習 カワイイのルーツは平安にあり!?

「和様の書」展の会場で行われた、とある女子高の夏期講習にTVカメラが潜入。
テーマは「カワイイのルーツを探せ」。
架空のトーハク女子高の生徒たちとカワイイのルーツを探っていきます。
本ブログを執筆した島谷副館長が、校長先生として登場します。

※ただし 近畿 8月4日(日) 16:00~、九州・沖縄は未定
※国際(ワールドプレミアム)でも放送 8月5日(月)15:15~(日本時間)
 

カテゴリ:2013年度の特別展

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posted by 島谷弘幸(副館長) at 2013年08月02日 (金)

 

学芸員に挑戦!

学芸員(トーハクでは研究員といいます)にはたくさんの仕事があります。
文化財の調査研究や展示は、学芸員ならではの仕事といえるでしょう。
とはいっても、いずれもお客様には見えない部分の仕事。
そこで、その「見えない部分」をすこしだけ体験していただくのはどうだろう?と思いつき、7月28日、ワークショップ「学芸員に挑戦!」を開催しました。


まずは、学芸員の仕事の真骨頂、展示を見に本館展示室へ。

展示見学
展示の工夫の話に興味津々。

ここでお話しするのは作品解説ではなく、作品の展示の工夫です。
みなさんから小さな声がもれてきます。
「えー、そんな細かいことを気にしているんですか・・・」
そうそう、展示って、いつも同じように、ただ並べるだけではないんです。
「作品を展示するための道具に注目したのははじめて!」
そうでしょう、そうでしょう!道具にも色んな工夫があるんです。
作品を安全に、見やすく展示するために専用の道具が使われることがあります。

演示具
錫杖や鏡を展示するための道具。木でできていたり、フェルトが貼ってあったり。展示室でご確認ください。

展示の構成、順序、方法には、いろんな工夫が隠れているんです。それこそまさに、学芸員の腕の見せ所。

見学のあとは作品の取扱体験です。(今回はレプリカを使用しました)
作品をきちんと扱えなければ大切な文化財を傷めてしまう、細心の注意が必要な仕事です。
取り扱う際の決まりごとを聞き、デモンストレーションを見て、実際に・・・
たとえレプリカと知っていても、緊張するものです。
特にお茶碗をいれた箱の紐の掛け方、御物袋の扱い方にみなさん四苦八苦。
大丈夫、学芸員だって緊張します。


取り扱い体験
お茶碗のほか、絵巻の取り使いも体験。鳥獣人物戯画の絵も楽しみながら扱いました。


博物館で働いている学芸員を身近に感じてもらいたい、という気持ちもありました。
取り扱い方を通じて、文化財が守り伝えられてきたことのありがたさを知ってもらいたいという気持ちもありました。
そして、この体験を通じて、「展示の楽しみ方が増えました」といっていただけたことがなによりもうれしいです。

「学芸員になりたかった夢が叶った」と笑ってくれたおとなの方、また、こんな機会を設けることができればと思っています。楽しみにしていてくださいね。
「いつか学芸員になりたい」と終了後も熱心に取り扱いの練習をしていた中学生、いつか一緒に働ける日が来るのを東博の学芸員は待っていますよ。
みなさん、暑い中、ご参加いただきありがとうございました。
 

カテゴリ:教育普及催し物

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年08月01日 (木)

 

断簡―掛軸になった絵巻―(2)「断簡」に秘められたドラマ

断簡は絵巻が分断されて、その一部分(部分図)が掛け軸などに仕立てられたものです。
絵巻が分割されるに至った事情は様々です。書の分野では室町時代、茶道の隆盛のなかで茶掛けとして飾って鑑賞するために、積極的に能書をバラバラにしてしまったことも数多くありました。絵画の場合はもともと完全なかたちであった絵巻が、戦乱や災害など、所蔵者の望まない状況で分けられてしまったものが多いようです。

「佐竹本 三十六歌仙絵巻」が切れ切れになってしまったエピソードは広く知られています。佐竹本は、久保田(秋田)藩主の佐竹家に伝来したもので、「万葉集」の時代から平安時代までに活躍した歌人36人を描いた絵巻で「歌仙絵」の代表的なものです。
大正6年(1917)に佐竹家から離れ、実業家のコレクションとなりますが事業に失敗し、絵巻は再度売りに出されます。そのとき、三井財閥の創立に関わった実業家で、大茶人であった益田孝(鈍翁)が音頭をとり、大正8年(1919)12月に財界きっての茶人たちが集まりました。絵巻があまりに高価すぎたため、歌仙ごとに分断して、それぞれの歌仙図を各人が購入しようということになりました。茶掛け(掛け軸)にして茶会で披露することも目的のひとつだったのかもしれません。 この時、どの歌仙を手に入れるか、くじ引きによって決められたのですが、その会場は鈍翁の自宅、御殿山(東京都品川区)にあった応挙館でした。現在、応挙館は寄贈、移築されて東京国立博物館本館北側の庭園にあります。


重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(住吉大明神)鎌倉時代・13世紀
重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(住吉大明神) 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵(松永安左エ門氏寄贈)
下巻巻頭の扉絵です。(展示未定)



重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(壬生忠峯みぶのただみね) 鎌倉時代・13世紀
重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(壬生忠峯) 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵(原操氏寄贈)
(2013年8月6日(火) ~ 9月16日(日) 本館3室 宮廷の美術―平安~室町にて展示)

コレクターたちにとって、地味な男性歌仙図は不人気でした。


今回、特集陳列でとりあげる「狭衣物語絵巻断簡」の場合も、絵巻がバラバラになってしまった事情は劇的です。徳川将軍家のコレクションであった「狭衣物語絵巻」は、戊辰戦争の時、江戸城宝物庫から上野の寛永寺中堂(上野公園の噴水辺り)へ疎開していました。そして絵巻は幕府の彰義隊と新政府軍が戦った慶応4年 (1868)5月15日の上野戦争の戦火で灰塵に帰したものと思われました。しかし、瓦礫のなかから奇跡的に絵巻の一部が出現し、6幅に分けられコレクターの手に渡るのです。ちょっとよくできた話ですが、そのうち5幅は現在、東京国立博物館の所蔵となっています。戦火にさらされた絵巻が、救い出されたその場所で大切に保管されている不思議な縁のようなものを感じます。

「狭衣物語」は11世紀に成立した物語で、「源氏物語」にも並び称されるほど好評を博した物語です。主人公の狭衣は「源氏物語」の光源氏のように、次から次へと女性遍歴を繰り返すわけでなく、貴族であるが故に、その身分からの逸脱もできない、優柔不断な男です。ですが、当時の貴族の典型的人物像ともいえ、全体に物悲しさが漂う物語で、読者(貴族たち)は感情移入できていたのかもしれません。「源氏物語」の光源氏のふるまいは、現代からみれば 「とんでもない」の連続ですが、この狭衣もたいへんなものです。機会があれば、日本文学全集などで、ぜひ確認してみてください。

この二つの絵は、もともと一場面です。バラバラにみても何が描かれているかよくわかりません。画面下部に戦火にさらされた跡が痛々しく残っています。この場面は、宮中で管弦の遊びがあった時、狭衣が笛を吹くと、紫雲がたなびいて天稚御子(あめわかみこ)が天下り、狭衣を天国に連れていこうとします。帝たちに引きとめられ狭衣は誘いを断り、天稚御子は天上に帰っていきます。「狭衣物語」にはSFファンタジーの一面もあります。


重要文化財 狭衣物語絵巻断簡
(左)重要文化財 狭衣物語絵巻断簡  鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(A-11951)
(右)重要文化財 狭衣物語絵巻断簡  鎌倉時代・14世紀
 東京国立博物館蔵(A-10491)
狭衣吹笛、天稚御子降下の場面。




狭衣物語絵巻 筆者不詳 江戸時代・17世紀
狭衣物語絵巻  筆者不詳 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵(A-10131)
絵巻の往時の彩り豊かな画面を彷彿させる。


江戸時代に模写された絵巻によって、往時の絵巻の全体像を知ることができますので、本来、一続きの場面であったものが、現在は2幅の断簡となっているのがわかります。また湧き出した雲を見上げる人々の左には前栽があったことも模本によってわかります。断簡では、その部分は失われているのですが、丁寧に修理されたことも理解できるでしょう。
「狭衣物語」に親しんだ人々は、この断簡をみたときに、「ああ、この場面は狭衣が天国へ誘われる場面だ」と理解できるでしょう。現存する「狭衣物語絵巻断簡」の諸場面は、物語のはじまりの部分(巻一)です。今は失われてしまったこれに続くシーンを人々は、頭のなかで想像して、往時の絵巻に思いを馳せるのです。確かに戦乱や災害などで、多くの文化財は失われています。その歴史のなかで「断簡」という形態によってその一部が保存され、未来へ大切に受け継がれていきます。そして失われた部分も人々の心のなかで、悲哀を秘めた物語(ドラマ)とともにしっかりと語り継がれていくのです。



 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 松嶋雅人(特別展室長) at 2013年07月26日 (金)

 

「つくり方」都々逸-リョウシシッポウニンギョウカガミ 見方がわかる 見方が変わる

いよいよミンミンゼミが鳴きはじめ、夏真っ盛りといったこのごろ、今年もやってきました、「日本美術のつくり方」シリーズ。伝統的な日本美術の技法をとりあげ、実際の作品とともに、作品ができあがってゆくプロセスを追った工程見本や、道具・材料などを展示し、日本美術にいっそう親しんでほしい。そういう願いで始まったこの展示も、第4弾目をかぞえることとなりました。今回のテーマは、料紙装飾・七宝・人形・銅鏡の4つ。(タイトルの都々逸-どどいつの意味、おわかりになりましたか?後半がちょっと、字余りですけど)その中から、いくつかご紹介しましょう。

まずは、ずらっと並んだ首たち。「人形の胡粉仕上げ」の工程見本です。木を彫って形をつくり、カキの貝がらを粉末にした胡粉(ごふん)を、ていねいに塗りかさね、色を付け毛を植えるなどして、顔がしだいに整えられていきます。有名な人形師であった、原米洲(はらべいしゅう 明治26~平成元年 1893~1989)さんが制作した技術記録。これまであまり展示されることのなかった、貴重な記録です。恐がらなくても、大丈夫。このお顔は、五月人形でもおなじみ「神武天皇(じんむてんのう)」。子供の成長をしずかに見守る、力づよい表情が、表わされているのです。

人形の胡粉仕上げ 工程見本
人形の胡粉仕上の技法製作工程見本  原米洲作  昭和42年(1967)

次は、銅鏡とその鋳型(いがた)。平安時代後期(12世紀)ころの鏡づくりを、復元したものです。数年前にその存在に気付き、それいらい注目していたものでした。というのも、鏡には「秀真」の文字が記されており、作者が香取秀真(かとりほつま 明治7~昭和29年 1874~1954)さんと考えられるからです。香取氏は、金属工芸の作家や、研究者たちにとっては、知らない人がいないだろうというほどの、金工の研究、制作、収集の大家です。これらの資料も、従来ほとんど展示されたことがなかったようですが、当時の鏡鋳造(ちゅうぞう)を、かなり忠実に復元しているように、私には思われます。


雙鳥芍薬鏡鋳型  香取秀真作  昭和時代・20世紀

会場には、江戸時代の柄鏡(えかがみ 取っ手のついた鏡)も展示しています。今のガラス鏡と違って、むかしの鏡は銅でつくられていました。ホントに顔が映るのか?ぜひ、確認しにきてください。


映っているかな?
南天樹柄鏡 平安城住青盛重作 江戸時代・18世紀 徳川頼貞氏寄贈




親と子のギャラリー「日本美術のつくり方IV」(本館特別2室、2013年7月17日(水)~8月25日(日))

 

カテゴリ:教育普及

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posted by 伊藤信二(教育普及室長) at 2013年07月23日 (火)

 

断簡―掛軸になった絵巻―(1)再会する絵巻

7月17日(水)から本館2階特別1室で開催している特集陳列「断簡―掛軸になった絵巻―」(8月25日(日)まで)。この陳列では、当館所蔵品を中心とした物語絵巻の断簡を5つのテーマからご紹介しています。

そもそも「断簡」とは、もとは巻子装だった絵巻などを掛軸に仕立て直した作品のこと。絵巻は物語を記した詞書とともに制作されますが、断簡となることによって詞書と分かれてしまい、何を描いているのか分からなくなってしまった作品も少なくありません。

例えば今回展示している男衾三郎絵巻断簡。
男衾三郎絵巻断簡
男衾三郎絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵

愛らしいこの小さな断簡は、もともと「千代能姫之画」という名称で伝来しました。千代能姫は鎌倉時代の御家人安達義景の娘で、夫である北条実時の死後に出家。谷間で水を汲んでいた際、悟りを開いたとされる人物です。千代能姫が水を汲んだのは谷間のはずなのに、この断簡では女性二人が井戸で水を汲んでおり、千代能姫の説話内容とは若干異なります。
そこで細部によく目を凝らしてみると、井戸の左手、秋草にすだく虫が描かれていることに気付きます。


男衾三郎絵巻断簡に描かれた虫(右は拡大)

中世の多くの絵巻の中で、このように虫を描く作品はそう多くありません。そんな虫を描く数少ない作品の一つ、男衾三郎絵巻に描かれた虫と見比べてみると、 実によく似ていることが分かります。そんな観点で改めて二つの作品を見比べてみると、草の描き方、女性の表現などもそっくり(この点は会場でぜひ お確かめ下さい。井戸のわきには小さなカニも描かれています。こちらもご注目)。


男衾三郎絵巻に描かれた虫(右は拡大)


いっぽう、男衾三郎絵巻の第六段と第七段の詞書は連続し、第六段の絵が失われています。この第六段では、慈悲という姫君が父の死後、叔父の男衾三郎の家に引き取られた後、女性の美の象徴とされる長い髪を切られ、「馬の麻衣」を着せられ、日夜井戸で厩の水を汲まされたと記されています。短い髪、粗末な衣をまとう姫君の姿は、まさにこの内容に合致します。
あわせて、男衾三郎絵巻(模本)には、「原本には見えないが、別の模本にあるのでここに挿入する」と注記された厩の図があり、慈悲が厩の水汲みをしたという内容にも一致することから、この第六段を描くものであったと考えられます。

男衾三郎絵巻断簡(部分) 男衾三郎絵巻(模本)
(左) 男衾三郎絵巻断簡(部分) 髪を切られ、「馬の麻衣」を着す慈悲
(右) 男衾三郎絵巻(模本) 狩野晴川院〈養信〉ほか模  江戸時代・文化13年(1816) 東京国立博物館蔵


つまり、失われたはずの男衾三郎絵巻第六段の絵は、断簡と模本によって往時の姿を復元することができるというわけです。


男衾三郎絵巻 第六段の詞書に相当する模本と断簡

ちなみにこの断簡は、絵巻の模写などで知られる田中親美の旧蔵で、いまからおよそ60年前、田村悦子という研究者によって男衾三郎絵巻の断簡であることが明らかにされました。
男衾三郎絵巻のうち、第六段の絵が分かれてしまった理由は分かりません。しかしながら、往古の絵巻作品を愛で、断片となりながらも断簡として伝えようとした先人たちの想いがあったからこそ、分かれてしまった絵巻と断簡はいま、私たちの前で再会を果すことができたのです。

特集陳列「断簡―掛軸になった絵巻―」には、このような絵巻の伝来をめぐる様々なドラマが盛りだくさん。この陳列にあわせ、本館3室仏教の美術では華厳五十五所絵や過去現在絵因果経、同宮廷の美術では鳥獣人物戯画や馬医草紙など、絵巻断簡を多く展示しています。あわせてご覧下さい。

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室研究員) at 2013年07月20日 (土)