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断簡―掛軸になった絵巻―(2)「断簡」に秘められたドラマ

断簡は絵巻が分断されて、その一部分(部分図)が掛け軸などに仕立てられたものです。
絵巻が分割されるに至った事情は様々です。書の分野では室町時代、茶道の隆盛のなかで茶掛けとして飾って鑑賞するために、積極的に能書をバラバラにしてしまったことも数多くありました。絵画の場合はもともと完全なかたちであった絵巻が、戦乱や災害など、所蔵者の望まない状況で分けられてしまったものが多いようです。

「佐竹本 三十六歌仙絵巻」が切れ切れになってしまったエピソードは広く知られています。佐竹本は、久保田(秋田)藩主の佐竹家に伝来したもので、「万葉集」の時代から平安時代までに活躍した歌人36人を描いた絵巻で「歌仙絵」の代表的なものです。
大正6年(1917)に佐竹家から離れ、実業家のコレクションとなりますが事業に失敗し、絵巻は再度売りに出されます。そのとき、三井財閥の創立に関わった実業家で、大茶人であった益田孝(鈍翁)が音頭をとり、大正8年(1919)12月に財界きっての茶人たちが集まりました。絵巻があまりに高価すぎたため、歌仙ごとに分断して、それぞれの歌仙図を各人が購入しようということになりました。茶掛け(掛け軸)にして茶会で披露することも目的のひとつだったのかもしれません。 この時、どの歌仙を手に入れるか、くじ引きによって決められたのですが、その会場は鈍翁の自宅、御殿山(東京都品川区)にあった応挙館でした。現在、応挙館は寄贈、移築されて東京国立博物館本館北側の庭園にあります。


重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(住吉大明神)鎌倉時代・13世紀
重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(住吉大明神) 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵(松永安左エ門氏寄贈)
下巻巻頭の扉絵です。(展示未定)



重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(壬生忠峯みぶのただみね) 鎌倉時代・13世紀
重要文化財 佐竹本 三十六歌仙絵巻断簡(壬生忠峯) 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵(原操氏寄贈)
(2013年8月6日(火) ~ 9月16日(日) 本館3室 宮廷の美術―平安~室町にて展示)

コレクターたちにとって、地味な男性歌仙図は不人気でした。


今回、特集陳列でとりあげる「狭衣物語絵巻断簡」の場合も、絵巻がバラバラになってしまった事情は劇的です。徳川将軍家のコレクションであった「狭衣物語絵巻」は、戊辰戦争の時、江戸城宝物庫から上野の寛永寺中堂(上野公園の噴水辺り)へ疎開していました。そして絵巻は幕府の彰義隊と新政府軍が戦った慶応4年 (1868)5月15日の上野戦争の戦火で灰塵に帰したものと思われました。しかし、瓦礫のなかから奇跡的に絵巻の一部が出現し、6幅に分けられコレクターの手に渡るのです。ちょっとよくできた話ですが、そのうち5幅は現在、東京国立博物館の所蔵となっています。戦火にさらされた絵巻が、救い出されたその場所で大切に保管されている不思議な縁のようなものを感じます。

「狭衣物語」は11世紀に成立した物語で、「源氏物語」にも並び称されるほど好評を博した物語です。主人公の狭衣は「源氏物語」の光源氏のように、次から次へと女性遍歴を繰り返すわけでなく、貴族であるが故に、その身分からの逸脱もできない、優柔不断な男です。ですが、当時の貴族の典型的人物像ともいえ、全体に物悲しさが漂う物語で、読者(貴族たち)は感情移入できていたのかもしれません。「源氏物語」の光源氏のふるまいは、現代からみれば 「とんでもない」の連続ですが、この狭衣もたいへんなものです。機会があれば、日本文学全集などで、ぜひ確認してみてください。

この二つの絵は、もともと一場面です。バラバラにみても何が描かれているかよくわかりません。画面下部に戦火にさらされた跡が痛々しく残っています。この場面は、宮中で管弦の遊びがあった時、狭衣が笛を吹くと、紫雲がたなびいて天稚御子(あめわかみこ)が天下り、狭衣を天国に連れていこうとします。帝たちに引きとめられ狭衣は誘いを断り、天稚御子は天上に帰っていきます。「狭衣物語」にはSFファンタジーの一面もあります。


重要文化財 狭衣物語絵巻断簡
(左)重要文化財 狭衣物語絵巻断簡  鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(A-11951)
(右)重要文化財 狭衣物語絵巻断簡  鎌倉時代・14世紀
 東京国立博物館蔵(A-10491)
狭衣吹笛、天稚御子降下の場面。




狭衣物語絵巻 筆者不詳 江戸時代・17世紀
狭衣物語絵巻  筆者不詳 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵(A-10131)
絵巻の往時の彩り豊かな画面を彷彿させる。


江戸時代に模写された絵巻によって、往時の絵巻の全体像を知ることができますので、本来、一続きの場面であったものが、現在は2幅の断簡となっているのがわかります。また湧き出した雲を見上げる人々の左には前栽があったことも模本によってわかります。断簡では、その部分は失われているのですが、丁寧に修理されたことも理解できるでしょう。
「狭衣物語」に親しんだ人々は、この断簡をみたときに、「ああ、この場面は狭衣が天国へ誘われる場面だ」と理解できるでしょう。現存する「狭衣物語絵巻断簡」の諸場面は、物語のはじまりの部分(巻一)です。今は失われてしまったこれに続くシーンを人々は、頭のなかで想像して、往時の絵巻に思いを馳せるのです。確かに戦乱や災害などで、多くの文化財は失われています。その歴史のなかで「断簡」という形態によってその一部が保存され、未来へ大切に受け継がれていきます。そして失われた部分も人々の心のなかで、悲哀を秘めた物語(ドラマ)とともにしっかりと語り継がれていくのです。



 

 

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posted by 松嶋雅人(特別展室長) at 2013年07月26日 (金)