特集陳列「断簡―掛軸になった絵巻」で展示されている作品の様々なドラマをご紹介しているブログの第3回目。今回は「絵巻が断簡になるとき」と題して、巻子だった絵巻が、どういった理由で掛軸の断簡となったのかを、今回展示している紫式部日記絵巻断簡をめぐるドラマティックなエピソードとともにご紹介したいと思います。
さて、絵巻が断簡になるのはいくつかの理由が考えられるのですが、大きく分けて二つの理由が考えられます。一つは不可抗力により絵巻が断簡となった例。もう一つが人為的に断簡となった例です。
一つ目に関しては、経年による糊離れなどによってバラバラとなってしまい、一紙あるいは数紙分を断簡に仕立てた例。第1回目のブログ「断簡―掛軸になった絵巻―(1)再会する絵巻」でご紹介した男衾三郎絵巻や、今回展示している住吉物語絵巻とその断簡も、おそらくこの理由から断簡となったと思われます。戦災により分かれてしまった狭衣物語絵巻(この絵巻をめぐる数奇な運命は第2回ブログ「断簡―掛軸になった絵巻―(2)「断簡」に秘められたドラマ」を参照)もこの範疇に入ると思われます。
左:重要美術品 住吉物語絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀
右:重要文化財 住吉物語絵巻(部分) 鎌倉時代・13世紀
もとは一つの絵巻でありながら、詞書は失われ、絵のみが巻子と断簡に仕立てられています。
いっぽう、二つ目の例、人為的に断簡になった絵巻でもっとも有名な事例が佐竹本三十六歌仙絵巻の切断です。このエピソードに関しても、第2回ブログでご紹介しているのでぜひご覧いただきたいのですが、この絵巻切断を主導した益田鈍翁という人物。彼は今回展示している紫式部日記絵巻が断簡となるきっかけをつくった人物でもありました。
紫式部日記絵巻は大正期頃には数巻が確認されていましたが、大正8年(1919)頃、名古屋の森川勘一郎が発見した一巻は絵と詞各五段から成る巻子でした(このことから旧森川家本と呼ばれています)。東博の断簡は森川家本の第三段に当たるのですが、なぜ絵巻の真ん中に位置する段が掛軸になっているのでしょうか。
重要文化財 紫式部日記絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀
森川は他の美術品を処分してまでこの絵巻を入手したとされていますが、昭和に入り絵巻を手放すことになった際、それを買い受けたのが益田鈍翁でした。その折、鈍翁は全五段のうちの第五段目を切断し森川に残しました(現在は掛軸となって個人蔵)。
この段階ではいまだ四段から成る巻子だったのですが、昭和8年(1933)、現在の天皇陛下ご誕生の折、宮様方をお招きしての祝いの茶会を催すに際して、鈍翁は東博断簡に当たる第三段を切断し、掛軸にしたといいます。この段が、藤原道長の娘・中宮彰子の産んだ敦成親王(のちの後一条天皇)の五十日の祝の場面であったためとも伝えられています(残る三段分の詞と絵はその後分割、額装され、現在、五島美術館所蔵)。
なお、この断簡は通常の掛軸とは異なる収納法で保存されています。普通、掛軸は巻いた状態で保存されますが、この断簡は桐箱に拡げた状態で保存されています。鈍翁がかかわった掛軸(とりわけ茶掛け)にこういった収納法が多いそうです。
紫式部日記絵巻断簡の保存法
さて、これら森川家本紫式部日記絵巻分断をめぐる秘話ともいうべきエピソードを残しているのが、絵巻などやまと絵の模写で知られる田中親美(1875~1975)です(竹田道太郎「田中親美翁聞書(5)―「紫式部絵巻」をめぐる争奪戦―」『芸術新潮』125号、1960年)。
親美はこの絵巻の発見から所蔵の流転、その後の伝来など、様々なエピソードを語っているのですが、鈍翁が森川へ残す一段分を分けようとした際、「一段残すということは切断することですから私は不賛成です」と述べたということはきわめて印象的です。
実は、先述した大正8年(1919)の佐竹本三十六歌仙絵分断の際、親美は相談役として立ち会い、模本の制作をおこなっています。その折の、切断を止められなかったくやしさのような想いが、この短い一文に込められているように思えます。
なお、第1回ブログでもご紹介しましたが、男衾三郎絵巻断簡は田中親美遺愛の品で、紫式部日記絵巻断簡とともに、同じ会場で展示していることに不思議なご縁を感じざるをえません。(あわせて、この特集陳列会場の大階段を挟んで反対側の特別2室「日本美術の作り方IV」(8月25日(日)まで)では親美模写の平家納経なども展示されていますので、あわせてご覧ください)。
田中親美旧蔵の男衾三郎絵巻断簡(鎌倉時代・13世紀)
こんなドラマ盛りだくさんの本特集陳列も8月25日(日)で閉幕です。ブログでは書ききれない、断簡をめぐる数々のエピソードは、8月24日(土)開催の月例講演会「絵巻物残欠愛惜の譜」(13:30~、平成館大講堂)でご紹介するつもりです。どうぞお運びください。
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 土屋貴裕(平常展調整室研究員) at 2013年08月21日 (水)
書の作品の見どころは、なんと言っても筆跡そのものです。
ですが、今回の展覧会では、書そのものと同じくらい、場合によっては書よりも、それが書かれている紙に目を奪われることがあります。
色、文様、質感もさまざま、絢爛豪華なものから、愛らしくてかわいいもの、シンプルだけれど重厚感漂うものなどいろいろな紙があります。
今回は、そんな紙に焦点をあてながら、作品を見ていきたいと思います。
まずは、和様の書の祖といわれる小野道風のこの作品から見てみましょう。
国宝 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書 小野道風筆 平安時代・延長5年(927) 東京国立博物館蔵
延暦寺第五世座主であった円珍が亡くなって36年後に、法印大和尚位と智証大師というおくり名が醍醐天皇から授けられました。そのときの勅書、つまり正式な文書です。
たっぷりとゆたかで気品がある道風の名筆です。
ところで、この紙、なんだか不思議な色だと思いませんか?
実はこれ、漉き返し(すきかえし)と呼ばれる紙で、古い紙を使って作ったいわば再生紙なのです。
一度使った紙を反故(ほご)にして水に溶き、墨のかたまりを丁寧に取り除き、さらに、この紙の場合は0.01ミリ~0.03ミリ程度に短く切断、あるいは磨りつぶしたと思われる藍染めの繊維を混ぜて漉き返しています。再生紙というと、質の悪いもののようなイメージがあるかもしれませんが、大変手のこんだ物です。その結果、この少し青みを帯びた深いグレーが生まれたのですね。
この作品のように、天皇が出す文書には「宿紙」という漉き返しの紙が使われた例があります。また、亡くなった清和天皇の供養のために、生前に送られた手紙を漉き返し、藤原多美子がそれにお経を書き写した話が伝わっています。「宿紙」には、なにかしら深い思いが込められていたことは間違いなさそうです。
そんな紙に書かれていることを知ってみると、筆跡に漂う道風の緊張感が一層リアルなものとして迫ってくるようです。
今回の展覧会の出品作品のうち、料紙の美しさ、華やかさでナンバー1を選ぶとしたら、古今和歌集(巻子本)でしょうか。会期前半は大倉集古館の所蔵作品が、後半は文化庁の所蔵作品が展示されています。
国宝 古今和歌集 序(巻子本) 藤原定実筆 平安時代・12世紀 東京・大倉集古館蔵 [8月12日(月)までで展示終了]
重要文化財 古今和歌集 巻第十三(巻子本) 藤原定実筆 平安時代・12世紀 文化庁蔵 [8月13日(火)~9月8日(日)展示]
中国で作られた色とりどりの唐紙を、わざわざ半分の幅に切ってつなぎ合わせ、華麗な色変わりを楽しむという贅沢な趣向です。
これらの紙の原料は竹です。繊維をほぐして漉いたあとに布を押し当てて布目をつけ、そのうえに鮮やかな色をつけた胡粉を均一に塗って(具引き)色紙を作ります。さらに、雲母(きら)の粉末を布海苔などで溶いた絵の具で、さまざまな型文様を摺りだします(雲母摺り)。色紙の下に版木を置いて強くこすり(空摺り)、文様を出す蝋箋(ろうせん)も混ざっています。
この美しい料紙にダイナミックに筆を運んでいるのは、三跡のひとり行成のひ孫にあたる、藤原定実です。
こんな紙にさらさらと和歌を書くのはさぞや気持ちよいだろうなあ。
と、思われたあなた。実は大間違い。
実は、これらの料紙の表面には布目や版木の跡がしっかりと残っており、普通の人ならとても筆を運べないくらいでこぼこしていているのです。そんな凹凸をものともせず、思い通りに筆を運ぶ技術を持ったものだけに、このような華麗な紙に書くことが許されたのです。
ズームでみると、ほら、こんなにでこぼこ。紙は立体なのです。
当館所蔵の古今和歌集(元永本)も、同じく定実が書いたもの。
こちらは日本製の唐紙を使っており、雲母摺りと空摺りでさまざまな文様をあらわした表面と、色を引いて金銀の切箔や野毛をちりばめた裏面が交互に出てくる冊子本です。
国宝 古今和歌集(元永本) 藤原定実筆 平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵 [9月3日(火)~9月8日(日)展示]
雲母摺りの文様が美しいページ
紫の色紙に胡粉をぼかし、さらに金銀箔を散らした豪華なページ [8月12日(月)までで展示終了]
紙の色の濃いところや、金銀箔を散らした部分は、それに負けぬような太い線で書いています。
紙の文様と散らしのバランスにもご注目ください。
定実の巧みな技量と優れた美意識を感じられるのではないでしょうか。
豪華で華麗な料紙になればなるほど、書き手にはいろいろな苦労があったことがわかりますね。
書の作品をご覧になるときに、その筆跡だけでなく料紙にも注目してみると、作品がより味わい深いものになるかもしれません。
最後に、鑑賞のコツをひとつだけ。
雲母摺りの文様は見る角度によって輝きがかわります。是非、上下・左右、角度を変えて見てください。
ほんものの輝きをその目でご覧いただく貴重な機会です。
展覧会も会期後半となりました。皆様のご来場をお待ちしております。
※特別展「和様の書」関連番組のお知らせ
NHKEテレ「日曜美術館」アートシーン
8月18日(日) 午後20:45~21:00(※朝の放送は高校野球のためございませんのでご注意ください)
NHK「トーハク女子高 夏期講習~カワイイのルーツは平安にあり?!」
九州・沖縄地方の放送日時が決まりました。
8月21日(水) 午前9:05~9:53 (※その他の地域での放映は終了しております)
カテゴリ:2013年度の特別展
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posted by 高橋裕次(博物館情報課長) at 2013年08月16日 (金)
ほほーい!ぼくトーハクくん!
今日は井出研究員に、“じょうもん土器先輩”のところへ連れて行ってもらうほ。
どんな先輩なのか…土器土器するほー!
こんにちは!トーハクくん。
井出さん、今日はよろしくお願いしますほ!
その前に…。そもそも土器って、なんだほ?
土器とは、粘土をこねて形を作り、焼いてできたうつわのことだよ。素材はトーハクくんと一緒だね。
土器が発明されたことによって、煮る、炊く、蒸すといった基本的な調理ができるようになり、人々の食生活は大きく改善され、暮らしが安定するようになったんだよ。スープを食べられるようになったのも、土器のおかげなんだよ。
ほー。僕もうつわにされていたら、「踊るはにわ」ならぬ「踊るうつわ」なんてよばれていたかもしれないほ…。
じゃあ、「じょうもん」というのは、どういう意味なんだほ?
縄文時代に使われた土器が縄文土器と呼ばれているよ。
ちなみに縄文土器の呼び名は土器の表面の縄目の文様に由来しているんだ。
縄目以外にも、竹や木、貝がらなどを加工して使ったり、そのまま押しつけたりした文様もあるよ。
なわめ?もんよう? むー、いったいどんなふうに作られているんだほ?
(キリッ)縄文土器は、粘土をこねて、ドーナツ状のわっかをつくり、それをだんだんと重ねてうつわの形をつくります。
土器がある程度乾いたら、表面に、縄を転がしたり、押し付けたり、竹や木、貝がらなどを使ったりして、いろいろな文様を飾ります。日陰でしばらく乾かしてから、野焼きで焼いて完成です。
中には、さらに赤い顔料で模様を描いたり、漆を塗って表面をコーティングしたりと入念に仕上げているものもあります。
ほほー。ドーナツ… いや、縄で文様をつけるから、「じょうもん」なんだね!
ところで井出さん、ここにいる“じょうもん土器先輩”たちは、人間の顔や動物の形みたいなものがついているけど、なんでだほ?
(ふたたびキリッ)縄文時代には土器のほかに、人をかたどった土偶や動物の形の土製品があります。
これらは粘土で作った、いわば縄文時代のフィギュアともいえるでしょう。現代のフィギュアと大きくちがうのは、縄文時代の土偶や動物形土製品は、おもにお祈りやまじないといった特別な場面で使われた可能性が高いのです。たいていの土偶がバラバラの状態で発見されるのは、こうした場面でわざと壊されているからだと考えられています。
人や動物の姿を土器に飾るのは、縄文時代はじまりの頃までさかのぼります。最初は小さな飾りだったものが、しだいに土器の目立つ部分に、大きく、はっきりと飾られていくようになります。今から4500年位前の勝坂式土器(かつさかしきどき)とよばれるものは、そういった人物や動物文様が流行した頃の代表例です。
ほほー。こちらの山梨県北杜市出身の“じょうもん土器先輩”たちは、カツサカシキ?から選ばれし先輩たちなの?
そうだね。まずはこの土器から見ていきましょう。
顔がふたつ、見えるほ?
土器の口のところと胴のところに、顔のような装飾が見えるよね。顔以外にも土器の表面の盛り上がった部分や線状の文様をよくみると、人間の体をまねたような文様があるよ。
胴のところの顔は、その人体をあらわしたような文様からこちらをのぞきこんでいるようにも見えるね。
この土器は、赤ちゃんがお母さんのおなかからまさに生まれ出ようとする、その瞬間をあらわしているとして「出産文土器」とも呼ばれているんだ。土器の口の部分についた顔が、お母さん、胴のところの顔が赤ちゃんというわけなんだ。
縄文人の安産祈願や豊饒への願いが込められていると考えられているよ。
顔面把手付深鉢形土器 山梨県北杜市 津金御所前遺跡 5号住居跡出土
縄文時代(中期)・前3000~前2000年 山梨・北杜市教育委員会蔵
後ろ側にも同じような顔の文様がついているんだ。
展示室では見られない、後ろ側
なんと!生命誕生の神秘! じょうもんの先輩たちは、土器に祈りを表現したんだね!
次は、こちら。
こ、これは!ぼくの大好物のクッキーみたいだほ!!おいしそうだほ~(ヨダレ…)
トーハクくん、食いしんぼうなんだね…(汗)。
たしかにクッキーみたいなのが、前と後ろに二つけられているよ。
人形装飾付深鉢形土器 山梨県北杜市 寺所第2遺跡 T-11号住居跡出土
縄文時代(中期)・前3000~前2000年 山梨・北杜市教育委員会蔵
(左が展示室でご覧いただける姿、右は後ろ側)
二つの顔は表情がまったく違うんだ。
一方の顔は、眉をひそめてつりあがった目元、口を一文字につぐんで見るからに怒っているようだね(下の右側の写真)。もう一方の顔は、目尻が垂れて口元は弓なりに上がって、まるで微笑んでいるように見えるね(下の左側の写真)。この土器のように、一つの土器に、対照的な顔や人体の文様が二つ以上、施されることがあるんだ。
右が展示室では見られない、後ろ側。表情を見比べてみてください。
それは男女の違いや、カミとヒトなどを対照的にあらわしているとも考えられているんだ。
この土器のほかにも、展示室には、一方はお尻が大きく、もう一方は小さく表現された二つの人体文様をもつ土器もあるよ。これは男女の違いを表しているのかもしれないね。
おや、こっちは、ずいぶんとフクザツなかたちをしているほー?
重要文化財 人形装飾付異形注口土器 北海道北斗市茂辺地出土
縄文時代(後期)・前2000~前1000年 東京国立博物館蔵
これはボールのような丸い胴体に、橋をかけたような頸(くび)がついている、見るからに変わった注口土器(ちゅうこうどき)だね。
注ぎ口の部分がなくなってしまっているけれど、前後に顔、左右に人形、合計4人の顔が表されているんだ。
(展示室ではこの土器の細部を三次元計測機によって計測し展開させた図面を掲示しています)
チューコー土器?
注口土器は土瓶(どびん)や急須の形に似ていることから、液体を注ぐ容器だったと考えられているよ。
ほほー。井出研究員だったらお酒を注ぐところだほ…(ニヤニヤ)。
ん?何か言った?
ところで、この土器は配石遺構(はいせきいこう)という、石で囲まれた特殊な遺構の周辺で発見されたんだよ。
配石遺構は、人が亡くなった際に行われた儀礼で使われた場所とも考えられているんだ。
今も昔も亡くなった人を偲んでお酒をのむのにかわりがなかったのかな?
土器についている顔は、亡くなった人の顔に似ているのかな?
(最後にキリッ)今まで見てきたこれらの土器に、わざわざ多くの時間と労力をかけて、人や動物をあらわした装飾を施すはっきりとした理由は残念ながらよくわかっていません。
しかし、土偶や土製品ではなく、あえて、うつわに装飾を施したことに縄文人からの強いメッセージを感じます。
こうした土器が、どのような場面でどのように使われたのか、最新の発掘調査の成果を見ながら考えてゆかねばなりません。
井出研究員がそのナゾを解き明かしてくれるのを期待するほ!
今日はいろいろな“じょうもん土器先輩”を紹介いただき、ありがとうございました!
井出研究員お気に入りの“顔面把手先輩”たちと記念撮影
特集陳列「縄文土器に飾られた人物と動物」
平成館 考古展示室 2013年7月9日(火) ~ 2013年10月27日(日)
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posted by トーハクくん at 2013年08月10日 (土)
今年1月から2月に期間限定で実施いたしました託児サービスは、
お客様からご好評をいただきました。
そこで、再び託児サービスを実施することになりました。
現在開催中の特別展「和様の書」(2013年7月13日(土)~9月8日(日))、
今秋開催される特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」(2013年10月8日(火)~12月1日(日))、
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」(2013年10月1日(火)~11月24日(日))にあわせて
託児サービスを実施いたします。
託児サービスは特別展をご観覧になるお客様はもちろん、総合文化展をご観覧のお客様もご利用いただくことができます。
0歳児には専門のシッターが必ず1人専属でお世話する「マンツーマン託児」、1歳児には2名様で1人、2歳児以上には3名様につき1人の専門のシッターがお世話いたします。
詳細は下記のご案内のページをご参照ください。
料金は0~1歳児2,000円、2歳児以上1,000円、事前予約制です。申し込みはお電話で。
東京国立博物館 託児サービスのご案内(ご利用可能日・時間帯をご確認ください)
子育て中のお父様、お母様も安心して展示をご覧いただけるよう、小さいお子様も責任を持ってお預かりいたします。
定員には限りがございますが、8月以降の予約状況にはまだ空きがございます。
お申し込みはどうぞお早めに。
今年の夏は『親子でトーハク』を合言葉に、お子様とトーハクまで足を運んでみてはいかがでしょうか。
皆様のご来館をお待ちしております。
カテゴリ:news
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posted by 石坪直紀(総務課) at 2013年08月06日 (火)
特別展「和様の書」を楽しむために 鑑賞編の3回目は「散らし」の美についてです。
散らしとは、その名のとおり、文字を散らして書くこと。
たとえば、行の頭や行と行の間をそろえず、さまざまな変化をつけて書くことです。字の大小もさまざま、斜めに書いたり、余白をとったり、なかには、あっちにいったりこっちにいったり、かなり遊んでいるものもあります。
この作品を見てください。
小さな四角い色紙に和歌を一首記したものです。
升色紙「いまはゝや」 伝藤原行成筆 平安時代・11世紀 東京国立博物館蔵
[展示期間:2013年8月6日(火)~9月8日(日)]
すっきりと美しく、えもいわれぬ風情があります。
これを見てください。
先ほどの作品の行頭と行間をそろえてみたものです。
「東京国立博物館ガイド 本館編 一歩近づいて見る日本の美術」(東京美術)より
字のうまさや線の美しさという意味では同じはずです。
でも、なんだか面白みが無い。面白くないだけなく、単調で躍動感がない。
どうでしょう。散らして書いたからこその美しさ、おわかりいただけましたか?
しかし、「きれいだなあ」とは思うけれど、それがなぜなのか、どこが見どころなのかよくわからない、という方も多いのではないでしょうか。
では、なぜ散らして書いたものは美しく、心地よく見えるのか、そのヒミツを探ってみましょう。
散らしのヒミツ其一 まるで絵のような・・・ 遠近感と奥行きの美
(1) まずはたっぷりと墨を含んだ筆で1行目を書きました。
(2) すこし墨が薄くなって線も細い2行目。
(3) 余白をとって消え入るような細い線の3行目。
(4) その3行目に絡まるように再び少し濃く太い4行目
一行目から順に、近景、中景。 少し離れて、遠景、そして中景に。
まるで絵のような奥行きと立体感を感じませんか?
散らしのヒミツ其二 響きあう行間 余白の美
2行目と3行目の間がほかと比べて広く空いています。この加減も絶妙です。
もうあと1センチ広かったら、2行目と3行目はそっぽを向いてしまい、互いの関係性が感じられなくなるでしょう。行と行が響きあうぎりぎりのところまで間を開けているのです。
散らしのヒミツ其三 脇役も大切です 調和の美
たとえば、一行目の「や」は大きくて形も個性的ですぐに目に飛び込んできます。しかし、その次の「こ」はむしろ個性がなく控えめです。
三行目の「たのめし」は消え入るような線ですが、次にくる「いのち」の濃い線によって、むしろその個性が引き立ってみえます。
脇役として控えることによって主役を引き立てたり、文字と文字との関係によってそれぞれがより引き立って見えたり。全体の調和を大切にする日本人独特の美学が感じられます。
散らしのヒミツ其四 うねってまとめる 空間の美
最後の行の末尾「なりける」の4文字は、右に曲がって3行目の下に入り込んでいます。さらに最後の一文字「る」はより一層中に入り込んでいますね。
これによって紙面の外の、ある1点に4行が収束していくような構成が生まれ、全体としてのバランスとまとまりがとれているのです。
もちろん、散らしのヒミツはこれだけではありません。作品ごとにさまざまな工夫やしかけがあるでしょう。しかし名品といわれるものに共通しているのは、文字と文字、行と行、下絵のあるものは、書と絵が美しく響きあっているということです。
会場では、その美しい響きに耳を澄ましてみてください。
ちなみにこの歌の意味は
恋しくていますぐに死んでしまいそうだけど、またあいましょうといってくれたあなたの言葉だけが私の命を支えているのです
といったところでしょうか。
意味がわかればなお楽しく、かといって意味がわからなくても散らしの美は味わえます。
今回のように、まずは読まずに書を楽しんでいただければと思います。
ここで、散らし書きの作品を楽しむための、とっておきの方法をお教えします。
最後の一行を頭の中の消しゴムで消してみてください。
さて、あなたならどう書きますか?
下絵のある作品であれば、文字を消してみましょう。
たとえば、この作品。等伯が余白を大きくのこした檜林を描き、その上に近衛信尹が奔放な大字を書き付けています。
(三輪の檜原に)の部分は絵に代用させている点も面白い作品です。
檜原図屏風 書:近衛信尹 画:長谷川等伯 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 京都・禅林寺蔵
[展示期間:2013年8月6日(火)~8月25日(日)]
さあ、あなたならどう書きますか?
*広報室より、特別展「和様の書」関連番組のお知らせです。
NHK総合 2013年8月3日(土) 15:05~15:56
トーハク女子高 夏期講習 カワイイのルーツは平安にあり!?
「和様の書」展の会場で行われた、とある女子高の夏期講習にTVカメラが潜入。
テーマは「カワイイのルーツを探せ」。
架空のトーハク女子高の生徒たちとカワイイのルーツを探っていきます。
本ブログを執筆した島谷副館長が、校長先生として登場します。
※ただし 近畿 8月4日(日) 16:00~、九州・沖縄は未定
※国際(ワールドプレミアム)でも放送 8月5日(月)15:15~(日本時間)
カテゴリ:2013年度の特別展
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posted by 島谷弘幸(副館長) at 2013年08月02日 (金)