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宇豆柱のいざない

今回、特別展「出雲-聖地の至宝-」(2012年10月10日(水)~11月25日(日))で展示している作品の中で多分二度と島根県から外へ出ることはないだろうと思われるものは、特別5室の中央にある鎌倉時代の出雲大社の本殿の宇豆柱です。


重要文化財 宇豆柱 鎌倉時代・宝治2年(1248)  出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵
重要文化財 宇豆柱 鎌倉時代・宝治2年(1248)
出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵


この柱は、平成12年(2000)の発掘調査で出土したものです。三本が近接して出土し、しかもその下に石がぎっしりと詰まっている状態でそれは発見されました。材質は杉です。この柱が出土した時はホントビックリしました。だって、出雲大社の宮司千家国造家に伝わるいにしえの出雲大社の本殿の設計図と一致したわけですから。


金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず) 鎌倉~室町時代・13~16世紀 島根県・千家家蔵
金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず) 
鎌倉~室町時代・13~16世紀 島根県・千家家蔵

(注)こちらの作品は11月4日(日)で展示が終了しています


そこには、まさに3本の柱が1本に束ねられて、それが9セットで出雲大社の本殿が立つように描かれていたのです。
古代の出雲大社の本殿が、今よりもずっと高くて日本一高い建物だったという伝承は事実だったのか。
いろいろと想像したくなりますが、まずは実物をごらんいただき、その迫力を体感してください。
1本の柱の直径は、1.3メートルもありますよ。それが3本束ねて1本の柱となり、それが9セットで出雲大社の本殿となる。その様子を想像してみてください。
めっちゃ高い建物のように思えてきませんか。さて想像にひたるだけではなく、冷静にケース内の柱を観察しましょう。

おや、穴があいている。これは発掘調査であいた穴?



いえいえ違います。この柱を運んできて柱穴に落として立てる時に、縄を引っかけるためにあけた穴だったのです。
それから表面を削った後がある。猫がひっかいたのかって?違いますよ。手斧(ちょうな)と呼ばれる工具で加工した痕なのです。柱、それ自体を観察するといにしえの大社本殿の巨大性だけではなく、本殿そのものがどのように建てられたのか、その一端を知ることもできるのです。実物のもつ重要性、おわかりいただけましたでしょうか。

でも、この宇豆柱、保存処理がなされているとは言え、とてもデリケートなものなのです。本来、遠くまで旅するものではないんです。それは、あたかもルーブル美術館からモナリザを東博へ運ぶようなものです。

では、なぜ島根県は宇豆柱を県外で展示したのか。それは、全国の人々が集うこの東博で宇豆柱をたくさんの人々に見てもらって、「神々の国」に足を運んでもらいたいからです。
そのために私達は、出雲大社のご理解のもと、宇豆柱を東京まで持ってきました。
どうか、この島根県の心意気を受けとめ、多くの方々の来県をお待ちしています。

そうそう、大事なことを言うのを忘れていました。肉眼では確認できませんが、この宇豆柱、ベンガラが付着していたんですよ。
ということは、鎌倉時代の出雲大社の本殿は朱色だったのです。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 森田喜久男(島根県立古代出雲歴史博物館専門学芸員) at 2012年11月08日 (木)

 

書を楽しむ 第25回 「うたあわせ」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第25回です。

本館3室(宮廷の美術)で国宝「寛平御時后宮歌合」が展示中です(2012年11月18日(日) まで) 。

国宝 寛平御時后宮歌合(十巻本歌合)(部分) 伝宗尊親王筆 平安時代・11世紀
国宝 寛平御時后宮歌合(十巻本歌合)(部分) 伝宗尊親王筆 平安時代・11世紀

国宝なのにずいぶん地味な作品だな~、
なんて、思いませんでしたか?
これが、よく見ると、
やっぱり仮名が美しいです!

(左)拡大、(右)筆者のエンピツ写し
(左)拡大、(右)恵美がエンピツで写しました。

エンピツで、「ゆきの」と「やまの」だけ
写してみました。
「ゆ」や「の」がゆったりと丸くて、
やわらかい、優しい気持ちになる字です。

エンピツで写しつづけて、
形は似るようになりましたが、
エンピツと筆とは大きな違いがあります。
それは、筆の弾力です。
筆の弾力で、
リズムや筆力が生まれて、
美しい線が表現されます。



この「寛平御時后宮歌合」は、
「十巻本歌合」(じっかんぼんうたあわせ)の一部です。

「十巻本歌合」とは、
平安時代、関白の藤原頼通(よりみち、992~1074)が編纂させたものですが、
これは草稿なので、
朱や墨の加筆や訂正があります。

以前、「書を楽しむ」第18回でお伝えした、仮名の王様「高野切」(こうやぎれ)。
覚えていますか?
「十巻本歌合」は、「高野切」と近い時期に書写されたので、
中に、「高野切」と同じ筆者の字もあります。

ところで、
「歌合」とは、なんでしょう。

画像に「右」や「左」と書いてあるのが見えますよね。
右の歌と、左の歌で、競い合う催しです。
一番古い記録では、仁和年間(885~89)の歌合があります。

今回展示している場面は、
冬の歌の歌合の部分ですから、
「ゆき」、「しらゆき」の字がたくさん見えます。

ゆったりと優雅な「ゆき」を探して、
真っ白い雪景色を想像してみませんか?

 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年11月07日 (水)

 

トーハク仏像選手権 途中経過

東京国立博物館140周年特集陳列「館蔵仏像名品選」(本館11室、12月2日(日)まで)にあわせて開催中の「トーハク仏像選手権」。
みなさまは投票いただけましたか?

投票期間も半ばを過ぎましたので、ここで現在の投票状況を確認してみましょう。
現在の投票状況

1~3位は大接戦!
これからも刻々と順位が変化しそうで、目が離せません。

そこで、上位の3作品にについて、みどころポイントをあらためて紹介いたします。


まずは、鎌倉時代に南都諸寺院の造像に携わった仏師善円の作風に近いといわれる菩薩立像です。
こちらは「唇」にご注目ください。まるでリップグロスを塗ったかのように、つやつやした輝きを放っています。
唇に薄い水晶を嵌めているのは大変めずらしい作例です。

 
重要文化財 菩薩立像 鎌倉時代・13世紀
唇にご注目ください。


次に、奈良の内山永久寺(廃寺)に伝来したことが知られる愛染明王坐像です。
像の彩色から厨子の絵画まで、鎌倉末期の造像当初のものを良好な状態で残しています。
特に瓔珞や台座、厨子の天蓋などの装飾の美しさはみごとです。


重要文化財 愛染明王坐像  鎌倉時代 13~14世紀

展示では厨子から出していますが、厨子に納められた状態の写真で天蓋や厨子内部の絵とのバランスをご覧ください。


最後に、京都府加茂町の浄瑠璃寺にあったと伝えられる十二神将像です。
躍動感あふれる姿や個性的な表情に目が行きがちですが、
展示では下から当てている照明により、繊細な衣の模様や彩色もよくご覧いただけます。


重要文化財 十二神将 京都・浄瑠璃寺伝来  鎌倉時代・13世紀
衣の模様や彩色をじっくりご覧ください。


ところで、トーハクの総合文化展で、個人利用にかぎって写真撮影(寄託品など一部撮影禁止マークのついている作品以外)ができることは、意外と知られいていないようです。
今回の特集陳列はすべて館蔵品のため、お寺などではなかなか撮影できない仏像をご自由に撮影いただける貴重な機会となっています。


お気に入りの仏像をみつけたら、とっておきの表情をカメラに収めてお持ち帰りください。
そして、トーハク仏像選手権への投票もお忘れなく!
 

カテゴリ:ウェブおすすめコンテンツ彫刻

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2012年11月06日 (火)

 

特別展「出雲―聖地の至宝―」の“奇妙な”銅鐸

お蔭様で多くの方々にご覧いただいている特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)、本館特別5室・4室)。
今回は、その2章「島根の至宝」の作品のなかから、実に奇妙な銅鐸をご紹介しましょう。
2章の入口を入ると正面に鈕(吊り手)が欠けた小さな銅鐸が展示してあります。
皆さん、展示ケースに近づいてこの銅鐸をよーくご覧ください。特に、身の上半にあけられた二つの丸い孔(あな)の間にご注目! 

何か見えませんか?

銅鐸 伝出雲出土 弥生時代中期 島根・八雲本陣記念財団蔵
島根県指定文化財 銅鐸 伝出雲出土 
弥生時代中期 現存高 22.3cm
島根・八雲本陣記念財団蔵


「よく見えないよ!」
 
「ちょっと待って! 眼のようなものが・・・。 あっ、顔だ!!」

部分拡大

その通り!

ライトに照らされて浮かび上がる妖しげな顔。
眉とともに目尻が極端に長く表現された特徴的な眼。そして大きな鼻。そこには口の表現はありません。静かに何ものかをにらみつけているかのようなその独特な眼は、悪霊や邪悪なものすべてをにらみ威嚇する「邪視(じゃし)」を表現したものとも言われています。
こうした邪視文をもつ銅鐸は、明治24年(1891)に、最初に広島県福田(木ノ宗山)で発見されたことから「福田型銅鐸」とも呼ばれています。その数はきわめて少なく、中国地方から4個の発見が知られるのみでした。しかし、昭和55年(1980)、佐賀県鳥栖市教育委員会の発掘調査で、これと同型式の銅鐸の鋳型が発見されました。これによって、これまで銅鐸分布圏外にあった九州でも銅鐸の生産が行われていたことが明らかとなってきました。そして平成10年(1998)、佐賀県吉野ヶ里遺跡から待望の銅鐸が発見。その型式は福田型であり、しかもこの伝出雲銅鐸と同じ鋳型で鋳造された同笵銅鐸であることがその後の調査で明らかとなりました。こうした一連の発見により、佐賀地域で福田型銅鐸が製作され、それが出雲まで運ばれたことが指摘されるようになってきたのです。
これらの銅鐸に表現された邪視文は、ここに見られるような写実的なものからはじまり、次にその眼のみが表現され、やがて本来きわめて重要であったはずのその眼も消え去り、その空間のみが存在するという変遷をたどります(下図参照)。

出雲銅鐸実測図
岡山市上足守出土銅鐸実測図
左:福田木ノ宗山出土銅鐸実測図、右:伯耆国出土銅鐸実測図
井上洋一 福田型銅鐸の再検討 福田型銅鐸 『古代青銅の流通と鋳造』鶴山堂1999より


神の顔とも表現されるこの邪視文は、その下に表現された水鳥とともに、銅鐸の謎を解く重要な鍵となっています。

ところで、この銅鐸は、長く木幡家に「花器」として伝えられてきました。
なんと、銅鐸が花器に使われていた!?

銅鐸の周囲には魚の鰭のように飛び出した部分があります。その左右の鰭の下方に注目すると、そこには孔が開けられた痕跡がみられます。この孔(今は埋められています)に紐や針金などを通し、銅鐸を逆さに壁や柱などに吊るし、花器として用いていたようです。このように銅鐸を花器に変身させた例は他にもありますが、その多くは、江戸時代ころに改変されたのではないか。奈良文化財研究所の難波洋三さんの見解です。
それにしても銅鐸を花器にしてしまうとは・・・。時の趣味人には脱帽ですね。

特別4室入ってすぐ正面に展示しているこちらの銅鐸をぜひご覧ください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古2012年度の特別展

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posted by 井上洋一(学芸企画課長) at 2012年11月02日 (金)

 

酒井抱一筆「夏秋草図屏風」がコロタイプ印刷により再現!

にわか雨に見舞われた夏草と、強風になびく秋草を描いた酒井抱一の最高傑作「夏秋草図屏風」。酒井抱一は、姫路城主酒井家の次男として江戸に生まれ、酒井家に縁のあった尾形光琳を慕って江戸琳派とよばれる画風を打ち立てました。文政4年(1821)に描かれ、トーハク館蔵品のなかでも特に人気の高いこの作品が、コロタイプ印刷と最新の印刷技術により、複製としてよみがえりました。

高精細6,000万画素のデジタルカメラにて撮影された画像データが、コロタイプの版にそのまま再現されています。
コロタイプとは、撮影された写真の情報をそのまま版に反映させる技法で、国宝や重要文化財などの文化財の複製に活用されています。
本複製は受注生産であり、多色刷コロタイプ技法を有する唯一の工房である便利堂が、職人の技と感性に支えられた昔と変わらぬ手作業で、一枚一枚丹精込めて仕上げていきます。

原寸大の複製ほか、原寸の50%の複製も制作しました。現代のライフスタイルにもなじむサイズで、夏秋草図屏風の美しさを存分にご堪能いただける大きさです。

ぜひ、夏秋草図屏風(複製)をお手元に置かれ、江戸琳派の雰囲気を間近にご鑑賞ください。

 

商品仕様
二曲一双屏風
技法: コロタイプ10色刷(背景の銀地はグリッター技法)
寸法: 原寸大複製 各 縦1,650㎜ 横1,820㎜
            50%複製 各    縦825㎜  横910㎜
本紙: 和紙(鳥の子紙)
仕立: 二曲一双屏風(縁はカシュー塗り)
販売価格: 原寸大複製 1,470,000円(税込)(2013年3月末迄の140周年限定価格)
               50%複製    525,000円(税込)
製作: 株式会社便利堂
販売: 東京国立博物館協力会
監修: 東京国立博物館

2012年10月23日(火)より、東京国立博物館ミュージアムショップにて受注受付中

 

カテゴリ:news

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posted by 長澤由美子(総務課) at 2012年11月01日 (木)