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特別展「中国 王朝の至宝」―仙人と仏(ほとけ)―

現在開催中の特別展「中国 王朝の至宝」(2012年10月10日(水)~12月24日(月・休)、平成館)は、中国各地の14の地域の30余りの機関から文物を借用するという、スケールの大きな内容となっています。ここには、日本の多くの方々がこれまであまり目にしたことがないような文物が多数展示されています。ご紹介したいものはたくさんありますが、ここはまず、ちょっと不思議な壺を取り上げてみましょう。


一級文物 仙人仏像文盤口壺(せんにんぶつぞうもんばんこうこ)
三国(呉)時代・3世紀 江蘇省南京市雨花台区長崗村M5墓出土 南京市博物館蔵


これは、三国時代の3世紀に作られたものと考えられます。全体の形は、とくに変哲のないものですが、ここで注目していただきたいのは、表面に描かれた文様の方です。写真の中央上寄りに、少し浮き上がった部分がありますが、これは蓮華の上に座った仏像を表したものです。


仏像部分拡大

頭の周りに仏像の印である円形の光背が付いているのがおわかりいただけると思います。台座の両脇に見える獣は、どうも獅子を表しているようです。蓮華と獅子との両方が仏座に付くのは珍しいことですが、全体で仏像を表したものであることは間違いありません。

さらにびっくりするのは、この仏像のまわりには、長い棒のようなものを持って横向きに立つ人物が何体もシルエットのように描かれていることです。


描かれている仙人

これらの人物の周囲に波のように描かれているのは、雲気(うんき)と霊芝(れいし、仙界の草)です。そして、シルエット状の人物の背中やお尻にも注目ください。なんと毛のようなものが伸びていますね。じつはこれ、羽を表したものです。羽の生えた者、つまり中国古来の仙人がここに描かれているのです。ふつう仙人というと、長い髯(ひげ)を生やした老人の姿を思い浮かべますが、もともとの仙人は、「羽化登仙(うかとうせん)」すなわち羽が生えて仙界(天上界)へ登ることができるようになった者のことをいいます。仙界へ行くことを昇仙するといい、中国では不老不死の世界へ行くこととほぼ同義のことでした。ここでは仙界を象徴する仙人や雲気・霊芝などによって、天上世界の様を表現しようとしたことがわかります。

こうして見てくると、この壺には、中国古来の仙人とインドから来た仏(ほとけ)に対する信仰が共存していることになります。外来の神であった仏(ほとけ)も、その法力が認識されるようになると、ここに見るように、伝統的な仙界の図像の中に取り入れられ、仙人とともに、広大な神威の発現が望まれるようになったのでしょう。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 松本伸之(学芸企画部長) at 2012年10月30日 (火)

 

特別展「出雲-聖地の至宝-」展に荒神谷遺跡出土の銅剣がずらり!

島根県出雲市斐川町神庭の荒神谷遺跡から出土した銅剣は全部で358本。一遺跡からの出土数は全国最多です。
1984(昭和59)年、農道の建設に先立って行われた発掘調査によって発見されました。翌年の1985(昭和60)年には、7m離れたところから、銅鐸6個、銅矛16本が一緒に出土しています。

史跡 荒神谷遺跡 (銅剣発掘調査時の状況)
史跡 荒神谷遺跡 (銅剣発掘調査時の状況)

銅剣は、埋納坑(銅剣を埋めるために掘られた穴)に四列に整然と並べられていました。各列の本数は、写真手前からA列34本、B列111本、C列120本、D列93本です。出土状況をみるかぎり、木箱などに入れられた形跡はありません。

銅剣はすべて中細形銅剣c類と呼ばれている型式で、その圧倒的な数から「出雲型銅剣」と呼ばれることもあります。
出雲で製作された可能性が高く、製作年代は紀元前2世紀末から紀元前1世紀、埋納された時期は紀元前後から紀元後の1世紀と推定されます。

全長の平均は51.65㎝。最長はC109号の53.9㎝、逆に最小はC93号の48.1㎝(どちらも推定長)です。重量はおおむね500グラム程度です。

今回の展覧会では、358本の銅剣の中から、所有者の文化庁が平成22年度から行っている再保存修理の完了した42本を展示しています。下の写真の右側2本(右からA32号、A33号)も展示しています。

国宝 銅剣
国宝 銅剣 (右からA32,A33,B62)
弥生時代・前2~前1世紀
島根県・荒神谷遺跡出土 文化庁蔵


358本の銅剣のうち一本だけ研磨を施していない銅剣もありました。写真左端のB62号です。これと研磨を加えたその他の銅剣と比較すると、形状がほとんど変わらないことがわかります。

国宝 銅剣 荒神谷C67号
国宝 銅剣 荒神谷C67号
(今回は展示していません)


銅剣を詳細に観察すると、写真のように、茎にタガネ状の工具によって打ち込まれた「×」印の刻印が発見されました。荒神谷銅剣にはすべての銅剣に「×」印の刻印をしようとした意志が読みとれます。観覧の際は、是非銅剣の茎部分を目をこらしてみてください。


荒神谷遺跡の銅剣は、基となるモデルをそのまま写し取るのではなく、銅剣のもつ特徴を理念的に描きながら、比較的短期間のうちに製作されたと思われます。


島根県立古代出雲歴史博物館の銅剣展示

島根県出雲市大社町にある、島根県立古代出雲歴史博物館では、この荒神谷遺跡の銅剣の残りを展示しています。荒神谷遺跡出土の青銅器が、いつ、誰によって、なぜ埋納されたのか、実は今もその明確な答えは出ていません。まずは、特別4室で出雲の青銅器の特色に触れていただき、さらには、ぜひ出雲で荒神谷遺跡の現地や博物館の銅剣をみながら、その謎解きに挑戦してみてはいかがでしょうか。


特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)) 本館特別5室・4室で開催中!

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 足立克己(島根県立古代出雲歴史博物館学芸部長) at 2012年10月26日 (金)

 

出雲展 おすすめショップグッズのご紹介

特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)) は連日多くのお客様にお越しいただいています。
誠にありがとうございます。

今回は、特別5室を出たところにあるショップの人気&おすすめ商品をご紹介します!



今、1番の売れ筋はこちら!

 
お香 特別展 出雲-聖地の至宝-オリジナルグッズ
630円(税込)

この特別展のために作られました。とてもいい香りです!

おすすめ商品は・・・


ぽち袋 特別展 出雲-聖地の至宝-オリジナルグッズ
1枚60円(税込)

画像では3種ですが、10種類以上あります。おみやげに人気のようです。

そして、こちらは金太郎飴。かわいく鹿が描かれています。ぶどう味でおいしいです!

   
金太郎飴 特別展 出雲-聖地の至宝-オリジナルグッズ
420円(税込)

今回この特別展の主催でもある島根県古代出雲歴史博物館のグッズも人気のようです!
特に売れているのが、こちらの勾玉ストラップ。


勾玉ストラップ 特別展 出雲-聖地の至宝- 古代出雲歴史博物館グッズ
左から2,300円(税込)、1,600円(税込)、1,100円(税込)、1,000円(税込)

勾玉に使われている石は他の種類もあります。

この他詳細は、特別展「出雲-聖地の至宝-」公式ホームページのグッズページをご覧ください。

図録も販売しています。展覧会をご覧になったあと、ぜひショップにもお立ち寄りください。

*ショップのグッズは売り切れる可能性もあります。ご了承ください。
鹿のグッズのモチーフになった「重要文化財 埴輪 鹿」は京都展に出品されたものです。当館では展示していません。
 

カテゴリ:2012年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2012年10月24日 (水)

 

書を楽しむ 第24回 「湯!!」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第24回です。

今回はこれです。

禅院牌字断簡「湯」 無準師範筆
禅院牌字断簡「湯」 無準師範筆 中国  南宋時代・13世紀 広田松繁氏寄贈
(本館4室
東京国立博物館140周年特集陳列「広田不孤斎の茶道具」にて11月25日(日) まで展示中)

かっこいい!!すかっとしている!! と思いませんか?

サンズイの勢いのあるハネ、
右上角の鋭い曲がり(転折)、
最後の線も、力強く長い。

一文字だけど、こんなに力があるなんて、すばらしい!

これを書いたのは、無準師範(ぶじゅんしばん、1176~1249)、
中国、南宋時代の高名な禅僧です。
彼のもとで学んだ日本人僧、円爾弁円(聖一国師)(えんにべんえん、しょういつこくし)に
与えた書の一つです。

円爾は東福寺の開山第一世となりました。
東福寺の「普門院」の印が斜めに押されているのも、
いい味わいを出しています。

昭和11年(1936)に、
この「湯」を写した人がいます。


「湯」(写し)、『茶道三年』(上巻、飯泉甚平衛発行、昭和13年)より転載

写したのは、松永耳庵(まつながじあん、1875~1971)。
本名は松永安左エ門、電力王として著名で、
大コレクターでした。
その耳庵が参加した茶会の記録(茶会記)に、
この「湯」の字が紹介されていました。

たぶん、茶会が終わってから思い出して書いたのでしょう。
「普門院」の印の位置も違うし、
「湯」の字も、それほど力強くないです。

でも、わざわざ写して記録するのは、
よほど気に入ったのでしょう。
茶会で見た「湯」の感動が、にじみ出ている気がします。

「湯」という一字だけに、
茶の湯の世界でも珍重されてきました。
この作品を当館にご寄贈くださったのも、
広田不孤斎(ふっこさい、1897~1973)という茶人。
本名は広田松繁、古美術商だった方です。



当館でこの作品を管理している富田列品管理課長から
「湯」に付属品の掛幅があることを教えてもらいました。


禅院牌字断簡「湯」付属品

江戸時代の俳人、松永貞徳(まつながていとく)が、
「さん水のうへにちょぼ々々三つあるはたぎる茶釜の湯玉なりけり」
と詠んでいます。
サンズイの最初の画に、ちょぼちょぼちょぼと三つあるのは、
茶釜の湯の玉だとたとえています。

江戸時代にもこの作品は、茶の湯の世界で親しまれていたようです。

「湯」の字は、いま、本館4室(茶の美術)で、
広田不孤斎の茶の湯の道具と一緒に並んでいます。
本館3室から4室を見わたすと、
遠くからでも、「湯」!!と主張していますよ。
遠くから眺めてから、
近くへ寄ってじっくり御覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年10月23日 (火)

 

特集陳列「動物埴輪の世界」の見方8─装飾付須恵器

今回の特集陳列「動物埴輪の世界」(2012年7月3日(火)~10月28日(日))では、コーナーの最後に、装飾付須恵器を展示しています。
装飾付須恵器は、古墳時代後期(6世紀頃)に古墳における葬送儀礼に用いるために製作されたもので、人物や動物の小像がつけられています。
しばしば群像のような表現であらわされ、当時の人々の何らかの世界観を反映したものと考えられています。
  
展示全景・須恵器部分
(左)展示全景、(右)須恵器部分

大きく、インパクトのある動物埴輪と比べて、装飾付須恵器は小さく形も地味で、印象は薄いものかもしれません。
けれども、装飾付須恵器の小像群は動物埴輪とは、また違った古墳時代の人と動物の関わりを物語ってくれます。


埴輪では犬、猪、鹿などによって狩猟の場面があらわされていますが、装飾付須恵器でも同様の場面があらわされている場合があります。
岡山県赤磐市可真(かま)上出土の装飾付須恵器には、動物埴輪と同様に猪を追い立てる犬の姿があらわされています。

子持装飾付脚付壺 岡山県赤磐市可真上出土 古墳時代・6世紀
子持装飾付脚付壺 岡山県赤磐市可真上出土 古墳時代・6世紀


ところが、猪に向けて矢を射る人物の姿は表現されていません。
そのかわり、巨大な猪の背中に飛び乗った人間の姿があらわされています。

猪は非常に頑丈な動物で、矢を射ただけでは仕留めることができないことはもちろんです。
ちなみに、静岡県浜松市の蜆塚貝塚からは鹿のお尻の骨が出土していますが、石鏃のまわりを覆うように骨が再生しています。
矢で射られながらも一度はうまく逃げのびたものの、二度目には仕留められてしまったようです。

やはり、猪を仕留めるためには、埴輪の狩猟場面で表現されているように矢で射るだけではとても無理です。
貝塚などから出土する猪の頭骨は、眉間(みけん)のあたりが壊されていますが、これは最終的に仕留めるために加えられた打撃の跡と考えられます。
このように考えてくると、装飾付須恵器にあらわされている巨大な猪に飛び乗った人物は、まさに猪を仕留めようとする場面をあらわしているのでしょう。
こうした生々しい場面は、なぜか埴輪では表現されていません。

一方、同じく岡山県可真上出土の装飾付須恵器には馬上から鹿を射る人物の姿も表現されています。

子持装飾付脚付壺(部分) 岡山県赤磐市可真上出土 古墳時代・6世紀
子持装飾付脚付壺(部分) 岡山県赤磐市可真上出土 古墳時代・6世紀

こうした場面も埴輪には表されません。どういうことでしょうか。


しかし、さまざまなモチーフが描かれたことで知られる装飾古墳の中にも、狩猟の場面を表していると考えられる例があります。
装飾横穴墓として著名な福島県泉崎4号横穴では、同様に馬上から鹿を射る人物の姿が描かれているのです。
 
福島県泉崎村泉崎横穴壁画部分
福島県泉崎村泉崎横穴壁画部分[佐原真論文1995 『装飾古墳が語るもの』 国立歴史民俗博物館より]

遠く離れた岡山県の装飾付須恵器と福島県の装飾古墳という相互に関連する可能性の低い資料において、共通する場面が表されていることは、大いに注目すべきでしょう。
これらの事実は、6世紀の日本列島において、広く馬上から鹿を射る狩りが行われていたことを示していると考えられます。


装飾付須恵器には古墳時代の人と動物との日常的な関わりが、稚拙ながらも躍動感のある姿で表されているといえます。
その一方で、埴輪にあらわされた動物たちは、王の儀礼を象徴的に示すものに限定されていたのではないかと考えられます。


「動物埴輪の世界」と題して展示した埴輪群像は、古墳時代の人と動物との関わりを表現しているというよりも、古墳時代の特定の人々にとっての動物観をあらわしたものであったと考えられます。
しかし、彼らが動物と関連づけてイメージしていた「世界」を復原するには、まだまだ研究が必要な段階にあるといえます。
皆さんも今回の展示資料をご覧になって、柔軟に考えてみて頂けたらと思います。
 

これまでの記事
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方1
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方2─鳥形埴輪・鶏編
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方3─鳥形埴輪・水鳥編
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方4─犬と猪・鹿の狩猟群像
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方5─番外編
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方6─馬形埴輪1
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方7─馬形埴輪2

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 山田俊輔(考古室研究員) at 2012年10月20日 (土)