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1089ブログ

「出雲―聖地の至宝―」展より、尼子氏ゆかりの甲冑と刀剣

特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日))、2章「島根の至宝」の作品のなかから、
戦国時代の出雲の大名、尼子氏ゆかりの甲冑や太刀についてご紹介いたします。

No.37の色々糸威胴丸は、16世紀の初め、出雲を拠点に中国地方11カ国に領土を拡大した尼子経久(あまごつねひさ)が
佐太神社に奉納したと伝えられています。
紅糸を中心に、青や白の糸で威した華やかな甲冑です。

色々糸威胴丸
重要文化財 色々糸威胴丸(いろいろいとおどしのどうまる)
室町時代・16世紀
島根県・佐太神社蔵


兜の前立には、中央に「天照皇大神宮」、鍬形には「八幡大菩薩」「春日大明神」の神号が切透かされて、
当時の武将の信仰の一端がうかがえます。

色々糸威胴丸


No.26の兵庫鎖太刀は、鎌倉時代に武家に好まれた拵の1つで、この太刀も鎌倉時代の作品です。

兵庫鎖太刀
重要文化財 兵庫鎖太刀(ひょうごくさりのたち)
鎌倉時代・13~14世紀
島根・須佐神蔵社(11月4日(日)まで展示)


太刀を腰に下げる帯取に、針金の輪を2つに折って繋げた兵庫鎖を用いています。

 兵庫鎖太刀

拵を納めた箱には、尼子経久の孫の晴久が、天文21年(1552)に須佐神社に奉納したことが記されています。
なお、島根県立古代出雲歴史博物館では、10月26日(金)から12月24日(月・祝)まで企画展「戦国大名 尼子氏の興亡」が開催されます。
出雲へお出かけの方は、是非ご覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 池田宏(上席研究員) at 2012年10月18日 (木)

 

特集陳列「動物埴輪の世界」の見方7─馬形埴輪2

前回に引き続き、今回の特集陳列「動物埴輪の世界」(2012年7月3日(火)~10月28日(日))の重要なテーマの一つ、馬形埴輪について考えてみたいと思います。
馬形埴輪は出土数も多く、ほかの動物埴輪には見られない多様な装具や装飾(馬具)を備え、(また大型で見栄えもしますので・・・)どこの埴輪の展覧会でも、人物埴輪と並んで埴輪の代表として欠かすことの出来ない存在です。
現代でも馬は時代劇や競馬などでお馴染みですが、そもそも馬はいつ頃から日本列島に棲んでいたのでしょうか。

動物埴輪展示全景
展示全景(左から:鳥形埴輪、犬・猪・鹿形埴輪、馬形埴輪、装飾付須恵器)

人と馬の関係は「乗馬」に象徴されているともいえますが、その起源は西アジアのイラン地方で始まったとされ、次第に人間が乗る「鞍」と馬をコントロールする「手綱(たづな)や轡(くつわ)」が整備されました。
その明確な例は、紀元前1000年頃から西アジアのアッシリアの浮彫などに見られます。
やがて、中央アジアのスキタイ民族(B.C. 6~3世紀)などの影響で広くユーラシア大陸に拡がり、紀元前5世紀頃にはローマ軍でも重装歩兵と騎兵が一般的な存在となっていました。

ちなみに、我々がよく目にする馬のシンボルともいえる蹄鉄(ていてつ)は、蹄が冷湿な環境では歪みや裂けを生じて炎症を起こすことから生み出されたものです。
ローマ時代には蹄のサンダル(!)が考案されており、(通説では)9世紀頃になって釘で固定する蹄鉄が発明されたそうです。

一方、お隣の中国では、殷代(BC.1600~1100年)後期に(ローマの戦車によく似た)2輪車の戦車の使用が始まり、西周(BC.1100~756年)末期の紀元前8世紀頃から青銅や鉄製の轡がみられます。
やがて春秋・戦国時代(BC.770~221年)末期の紀元前4世紀頃から、騎馬戦法を駆使する北方遊牧民族の匈奴(B.C.4 ~A.D.1世紀)が中原にしばしば侵入するようになり、紀元前3世紀以降、漢代(B.C.206~A.D.8年)には中国の農耕民族と激しく対立していました(あの万里長城建設の“原動力”ですね)。

紀元後の後漢代(A.D.25~220年)になると、(乗馬が不得手であった・・・)農耕民族が乗降り用の鐙(あぶみ)を発明して、現在の馬具の形が完成されたと考えられています。
東アジアの乗馬の風習と馬具の源流はここに起源が求められ、4~5世紀には中国東北地方や朝鮮半島に馬の飼育を伴って拡大し、やがて日本列島にも伝えられました。

このようにして生まれた馬具は、 (少々堅苦しくて恐縮ですが…) 機能面から大きく四つに分けられます。

馬具の名称と馬形埴輪
(左)馬具の名称 (世界考古学事典・上「馬具」平凡社、1979年より:モデルは今回展示されている埴輪 馬 (埼玉県熊谷市上中条日向島出土 古墳時代・6世紀)です)
(右)埴輪 馬  群馬県大泉町出土 古墳時代・6世紀


第一は、馬を制御する轡・手綱と、これらを繋(つな)いで頭に固定する面繋(おもがい)です。
第二は、乗馬用の鞍・鐙および障泥(あおり)などと、これらを固定する胸繋(むながい)・尻繋(しりがい)があります。
第三はさまざまな装飾具で、面繋・尻繋の交点に付ける雲珠(うず)・辻金具をはじめ、純粋に装飾として付加された杏葉(ぎょうよう)や馬鐸・馬鈴などがあり、第四には戦闘用の馬冑・馬甲などの馬鎧(うまよろい)などがあります。

日本列島の馬具は、弥生時代中・後期の西北九州地方で(“王墓”とも呼ばれる)多数の副葬品をもつ有力な甕棺墓などから出土する稀少な輸入品の馬鐸や車馬具を除けば、古墳時代の4世紀末頃から古墳の副葬品として現われ、5~6世紀に広く普及しました。
このように、馬は古墳時代の途中から、新来の“最先端の乗り物”として登場したことが判ります。


それでは、馬形埴輪の特徴を見てゆきましょう。
比較する馬具は、前回(第5回)でもご紹介した考古展示室奥の馬具展示コーナー[古墳時代V・地方豪族の台頭](見取図:★2)と、特集陳列展示ケースの前にある覗きケース(見取図:★3)に展示されています。

考古展示室見取図
考古展示室見取図(I-4~6:古墳時代 I~III[3~5c]、Ⅰ-8:古墳時代V[7c])、II-7:テーマ・埴輪と古墳祭祀、II-9: テーマ・実用馬具の変化─改良と機能の向上─)

まず頭部ですが、口の両脇には轡が外れないように先端に鏡板が付けられ、そこから後方に引手(ひきて)と手綱が表現されています。
また、轡・鏡板を固定するベルトと、その交点に付けられた辻金具もリアルに表現されています。
鏡板はもっとも目立つ部分ですので、実用的なリングだけの素環(そかん)鏡板のほか、鈴付やf字形などのさまざまなバリエーションがあります。



馬形埴輪と馬具1:(上左)重要文化財 埴輪 馬(頭部) 埼玉県熊谷市上中条日向島出土 古墳時代・6世紀、(上中)鈴付鏡板付轡、(上右)辻金具とベルト飾金具、(下左) 埴輪 馬(頭部)  群馬県大泉町出土 古墳時代・6世紀、下中)素環鏡板付轡、(下右) f字形鏡板付轡

ちなみに、頭の天辺(てっぺん)にある先が平たい棒状の飾りのようなものはタテガミの先端を束ねたもので、首筋まで続く部分も先端をカットして(おそらく・・・)“立てている”様子がうかがえます。
ほかに長い髪のままの(“ロン毛”の)馬形埴輪も見つかっていますので、(もちろん古墳時代の馬が短髪な種であった訳ではなく)まさにモヒカン刈りのような・・・パンク(?)な髪型に整えられていたらしいことには驚かされます。

次に、胴部中央に載せられる鞍と、胴体に巻き付けられる胸繋と尻繋はどうでしょうか。
古墳時代の鞍は(人間が乗る自転車のサドルにあたる)2または4本の居木(いぎ)と、前輪・後輪(しずわ)から成る前後の鞍橋(くらぼね)から構成されることが特徴です。
その鞍からは乗馬に必要な輪鐙が吊り下げられ、両脇部には泥除けの障泥(あおり)が装着されています。

鞍を固定する前後の胸繋・尻繋のベルトには、たくさんの馬鐸・馬鈴や鈴付杏葉が吊り下げられています(ガラガラと・・・ずいぶんと賑やかそうですね)。
尻繋のベルトの交点にはやはり辻金具が付けられ、ベルトがもっとも交差する中央部分には、多脚の雲珠が取り付けられていた様子が表現されています。




馬形埴輪と馬具2:(上左) 重要文化財 埴輪 馬 埼玉県熊谷市上中条日向島出土 古墳時代・6世紀、馬具:(上中)馬鐸、(上右)輪鐙、(中左・下左)埴輪 馬(胸部・尻部)  群馬県大泉町出土 古墳時代・6世紀、(中中)小型馬齢・大型馬齢、(中右)剣菱形杏葉、(下中)鈴付杏葉、(下右)雲球

このように見てくると、埴輪に表現された馬は金銀で飾られた実に煌(きら)びやかな各種の馬具で飾られていたことが判ります。
これらは「飾り馬具」と呼ばれる装飾性が高い特別な製品で、当時輸入に頼っていた金銀などの稀少な貴金属をふんだんに使用した“豪華な”馬具ということができます。


さて、人類は乗馬の他に、古来、耕作や牽引・戦闘などのさまざまな場面に馬を利用し、それぞれに相応しい馬具を使い分けてきました。
たとえば、東アジアで戦闘に用いられた馬には馬鎧(馬冑・馬甲)が装備され、文献記録や高句麗の古墳壁画は5世紀頃の中国東北部や朝鮮半島における騎兵同士の激しい戦闘の様子を伝えています。

ところが、日本列島の馬形埴輪には耕作・牽引などに適した馬具は付けられていませんし、ましてや大陸の騎兵にみられるような激しい戦闘に耐えるような装備はほとんど見当たりません。
古墳から出土した少数例の馬冑(見取図:★4)なども稀少な舶載品とみられ、馬具としてはごく少数の特殊な例にすぎません。
大多数の馬形埴輪からは、少なくとも古墳時代の馬が農耕や戦闘に従事していた様子をうかがうことはできません。


(左)高句麗の古墳壁画(朝鮮民主主義人民共和国・5~6世紀)[福尾正彦論文2005『東アジアと日本の考古学』III、同成社より]
(右)模造 馬冑(原品=和歌山県大谷古墳出土・古墳時代・5~6世紀)・蛇行状鉄器(奈良県団栗山古墳出土・古墳時代・6世紀)


こうしてみると、埴輪に象(かたどら)れた馬は乗馬に最大の「関心」があったようです(といっても馬の特性でもあるスピードが重視された様子はありません…)。
それも金銀に彩られたさまざまな馬具を鏤(ちりば)めた豪華な“いでたち”です。
ほかの動物埴輪と比べても、著しく“人の手が加わった”姿が特徴で、特定階層の人物と(まさにベタベタの・・・)深い関係にあったことは否めません。

おそらく当時の人々も、古墳に樹(た)てられた馬形埴輪を見ることによって、葬られた人物が(最先端の…)豪華な“乗り物”を所有することができた社会的地位の高い人物であることを容易に想像できたことでしょう。
現代ならば、さしづめ(やや古いですが・・・)戦後のロールスロイスか、キャデラックといったところでしょうか。
やはり、馬形埴輪の場合でも「動物埴輪の“キーワード”」を通して、その性格を読み取ることができそうです。


動物埴輪は鳥類や哺乳類・魚類など、実にさまざまな動物が採り上げられていましたが、その種類は人間社会と関係の深い動物が選ばれて造形されていました。
その背景には、古墳時代の人々の時間や生命(魂)に対する考え方や王権や神に関する世界観が隠されていることがうかがえます。

さらに、社会的地位の象徴などの意味も含まれていたと考えることができました。
これまでに見てきましたように、動物埴輪はいわば当時の社会の“鏡”のような存在であったことがお解かり頂けたことと思います。

このような視線(“眼”)でもう一度、(一見?イヤよく見てもやはり、かわいらしい…)動物の埴輪たちに込められた当時の人々のメッセージを読み取って頂ければ幸いです。
 

これまでの記事
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方1
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方2─鳥形埴輪・鶏編
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方3─鳥形埴輪・水鳥編
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方4─犬と猪・鹿の狩猟群像
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方5─番外編
特集陳列「動物埴輪の世界」の見方6─馬形埴輪1

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2012年10月15日 (月)

 

トーハク劇場へようこそ!

2012年の8月と9月、東京国立博物館が劇場に変身しました。

…といっても、本当に館内にステージを作ったわけではなく、
「トーハク劇場へようこそ!」と題された子ども向けガイドツアーと、
ファミリーツアーが、計8回行われたのです。

「劇場」と名のつくとおり、演劇仕立てのツアーです。
子どもたちと一緒に本館展示室を回っていくと、
次々に俳優さんが現れ、役に扮してお話をしてくれます。

子どもたちがそろったら、まずは本館2階の1室へ向かいます。
階段を上りきると、なにやら裸足の男性が、照明器具を珍しそうにいじっています。
髪はぼさぼさ、ワンピースみたいな服を着ています。
こちらと目が合うと、「☆○?*+>」と、
聞いたことのない言葉で話しかけてきました。
さっそくツアーを率いるわたくし藤田が、秘蔵の「ほんやくタブレット」を
一粒あげると、やっと彼の言っていることが私たちにも理解できるようになりました。

縄文人
(c) RYO ICHII

彼は縄文人。
縄文時代の人々は、狩をしたり、木の実を拾って食べものにしたりと、
自然の力に大きく左右され、それを畏れ敬う暮らしを送っていたこと。
その中で、土器や土偶など、
「大きな力に対する祈りの造形」ともいうべき品々が作りだされたこと。
そんな話をしてくれました。

おや!?縄文人が手に持っていた土偶(縄文のヴィーナスのレプリカ、
原品は茅野市尖石縄文考古館所蔵)と、
ツアー進行役の藤田のおなか、なんだか似ていませんか…?
女性は、赤ちゃんを産む人。命を生み出す存在という意味からか、
土偶は、女性の形をしたものが多いのです。
これも、目に見えない大きな力に対する縄文人の畏敬の念を
表わしているのかもしれません。


(c) RYO ICHII

縄文人とはここでお別れ。
次は、1階の11室、彫刻のお部屋です。


11室の奥に進んでいくと、ぼんやりと照らされた一角に、
見慣れない仏像が一体。

(c) RYO ICHII

子どもたちが周りを囲んで見ていると…
仏像が、目を開けました!

(c) RYO ICHII

釈迦如来像が、私たちに語りかけてくれました。
自分はもともと博物館にいたわけでなく、
平安時代に「仏師」の手によって作られ、京都のお寺にいたこと。
釈迦如来像のモデルとなったお釈迦さまが悟りを開いた瞬間のこと。
なぜ、頭にぼつぼつがあったり、大きなこぶがあったり、
おでこのまんなかにも大きなつぶがついているのか、ということ。
この手の形には、「ねがいをかなえましょう」「こわがることはないよ」
というメッセージが込められていること、など…。


(c) RYO ICHII

釈迦如来像のような仏像は、
人々の祈りを受け止め、また人々にメッセージを発する存在として
作られた、ということです。

全て話し終わると、釈迦如来像はすうーっと目を閉じ、
また動かなくなってしまいました。
私たちも、ひっそりと釈迦如来像に別れを告げ、
最後のお部屋に移動しました。


最後の1階18室に着くと、ある絵の前で、
着物姿に帽子をかぶったヒゲの紳士が立っていました。
そのお姿は、もしや、横山大観さん!


(c) RYO ICHII

勇気を出して話しかけてみると、
横山さんはやさしく、ご自分の絵についてお話してくれました。

これは「瀟湘八景」といって、中国の有名な風景を描いた8枚セットの絵であること。
自分はこの絵を描く前の年に、実際に中国旅行をしたので、
その時の印象や感じたことを絵にこめることができたこと。
8枚のうち、2枚ずつが「春・夏・秋・冬」いずれかの季節を表現していること。
(これを聞いて、子どもたちは熱心に、どのペアがどの季節なのか、探していました)
また、自分の絵の先生である岡倉天心先生は、
見たそのままを描いているようでは芸術とはいえない、と話していたこと。
天心先生との出会いは、
ここ上野にある東京美術学校(現在の東京藝術大学)であったこと、など。

…と、ここまで話したところで、横から大きな咳払いが。
ふと見ると、なんとすぐそばに、岡倉天心先生がいらっしゃるではありませんか!
横山大観さん、尊敬する先生との偶然の出会いにあわてふためいています。


(c) RYO ICHII

岡倉天心先生からは、描いたその人がどんな考えや理想をもっているかが
絵には表れる、だからどんな人物になるかが大切、
ということを教わったという横山さん。
「画は人なり」というのだそうです。

久しぶりに再会した二人は、仲良く谷中方面へと去っていきました。

 
(c) RYO ICHII

私たちの「トーハク劇場へようこそ!」ツアーはここで終わり。

このツアーでは、博物館にある古いものが、さまざまに姿を変えて、
話しかけてきてくれました。
時代が変っても、いろいろな人が、いろいろな祈りや気持ちをこめて
作っているもの、それがトーハクに展示されている文化財です。

これからは、ガラスケースの向こう側の作品を見るとき、
「どんな人が作っていたのかな」「どんな気持ちで作っていたのかな」ということを
想像して見てもらえたら、こんなにうれしいことはありません。


最後に、このツアーが誕生した経緯を少々。

今回、縄文人や横山大観を演じ、演出もされた大谷賢治郎さんから、
昨年のある日、藤田の元にメールが届きました。

イスラエル、テル・アヴィヴの美術館に行ったら、
展示室のドガの踊り子の絵の前で、
子どもたちがバレーのレッスンをしていたというのです。
どうやらそれは、俳優さんが、踊り子を演じたり、
画家を演じたりしながら子ども達を案内する
ミュージアム・シアターというタイプのツアーだったようです。

欧米では実践事例の多いこの演劇仕立てのツアーですが、
なんとイスラエルでも、20年以上もこうした実践が続いているとのこと。
ここ日本ではまだあまり行われていません。

大谷さんと、ぜひ日本で、トーハクで、
この試みをやってみたい!という気持ちで
もうお一人、原田亮さんという俳優さんに声をおかけして、
実現したのが、このツアー「トーハク劇場へようこそ!」でした。

役者さんがいなければ、劇場の幕はひらきません。
トーハクに劇場が生まれたこの日の、記念すべき1枚です。


右:大谷賢治郎(横山大観に扮する)、左:原田亮(岡倉天心に扮する)

これからも、「トーハク劇場」は続きます。
次はどんなドラマが生まれるか、楽しみにしていてください。

カテゴリ:研究員のイチオシ教育普及催し物

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posted by 藤田千織(教育普及室) at 2012年10月13日 (土)

 

豪華!2つの特別展が同時開催!

本日、特別展「中国 王朝の至宝」(~12月24日(月・休))と、特別展「出雲―聖地の至宝―」(~11月25日(日))が開幕しました。
平成館特別展示室と本館特別5・4室で、2つの特別展が同日に開幕するのはトーハクでは初めてのことです。
 
まずは特別展「中国 王朝の至宝」の展示室内からご紹介します。

ポスターやチラシで見ていた文物ですが、ほんもののパワーは凄いです!

虎座鳳凰架鼓(こざほうおうかこ)は思っていたよりもずっと大きくて迫力があり、
虎座鳳凰架鼓
一級文物 虎座鳳凰架鼓 戦国時代・前4世紀 湖北省・荊州博物館蔵

犠尊(ぎそん)は前側から見るとたまらなく愛らしく、
犠尊
一級文物 犠尊 
山東省淄博市臨淄区商王村出土 斉国故城遺址博物館蔵


跪射俑(きしゃよう)は存在感があり、りりしく彼方を見つめています。
きしゃ俑
一級文物 跪射俑
陝西省西安市臨潼区始皇帝陵兵馬俑2号坑出土 秦始皇帝陵博物院蔵


当たり前のことですが、百聞は一見にしかず。ほんものだけがもつ凄まじいパワーを、ぜひ体感してみてください!


そしてもうひとつの特別展「出雲―聖地の至宝―」。
こちらも出雲のパワーを感じられる作品がたくさんあります!

古代出雲大社の復元模型はライティングによって浮き上がって見え幻想的です。

出雲大社本殿復元模型
島根県・出雲市蔵

こちらの銅鐸は両面どちらからも見ることができ、シカ・トンボ・ウミガメ・人物の顔の表現がわかります。

国宝 銅鐸
弥生時代・前2~前1世紀
島根県・加茂岩倉遺跡出土 文化庁蔵

笑った口元・歯が見えてとても微笑ましい表情です。

島根県指定文化財 摩多羅神坐像
覚清作 鎌倉時代・嘉暦4年(1329)
島根県・清水寺蔵

 
この他にもおすすめの作品がたくさんあります。
1089ブログでは、作品のみどころや研究員のおすすめについてもご紹介していきますので、どうぞお楽しみに!
 

カテゴリ:news2012年度の特別展

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posted by 広報室 at 2012年10月10日 (水)

 

「尚意競艶―宋時代の書―」が始まりました!

10月2日(火)から、東京国立博物館&台東区立書道博物館の連携企画「尚意競艶―宋時代の書―」(平成館企画展示室、11月25日(日)まで)が始まりました。

平成館企画展示室の入口
平成館企画展示室の入口

今年は、宋時代の書の世界で、四大家のトップバッターに立つ蔡襄(さいじょう、1012~1067)の生誕1000年にあたります。こんなにキリのいい節目など、なかなか遭遇するものではありません。しかも蔡襄の肉筆を所蔵しているのは、日本で東京国立博物館と書道博物館だけなのです。これを逃す手はないと、記念すべき10回目の連携では、蔡襄をクローズアップし、一般にはシブいといわれる、宋時代の書の華やかな魅力をみなさんにご紹介することにしました。

1000歳になった蔡襄がお出迎え!
1000歳になった蔡襄がお出迎え!

展覧会のみどころは、なんといっても蔡襄の名作、“2つの「楷書謝賜御書詩表巻(かいしょしゃしぎょしょしひょうかん)」”です。今回初めて同時に展示しています。見比べると、行間の空きや線の太さなどに違いがみられます。同じものが2つ存在する理由…これは、清書と手控えではないかと考えられていますが、みなさんはどう思われますか?

楷書謝賜御書詩表巻
左:楷書謝賜御書詩表巻 蔡襄筆 北宋時代・皇祐5年(1053) 台東区立書道博物館蔵
右:楷書謝賜御書詩表巻 蔡襄筆 北宋時代・皇祐5年(1053) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵

(2012年10月28日(日)まで東京国立博物館にて展示、10月30日(火)~11月25日(日)まで、台東区立書道博物館にて展示)


さて、台風一過で気温も30度を越した快晴の10月1日、報道内覧会が行われました。
やはり記者さんたちも、トーハクで展示されていた2つの蔡襄に釘付け。

2つの「楷書謝賜御書詩表巻」を取材する報道陣
2つの「楷書謝賜御書詩表巻」を取材する報道陣

会場を移動し、書道博物館に入ると、真っ先に目に飛び込んでくるのが、真っ赤な蔡襄のどでかい拓本。まさに「蔡襄1000歳、おめでとう!」の祝賀モードです。


楷書泉州万安橋碑  蔡襄筆 北宋時代・嘉祐5年(1060) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
(台東区立書道博物館にて全期間展示)



作品鑑賞後には、連携企画10回の歩みを感慨深く振り返りつつ、今回の展覧会ウラ話などを交えて、書道博物館のお庭でレセプションを行いました。


トーハクの島谷副館長、これまでの連携企画を振り返る

一般の方々には、まだまだメジャーではない宋時代の書ですが、身近に感じてもらえるよう、書道博物館では「週刊瓦版」を配布し、個性派文人たちの競艶を魅力たっぷりにお伝えしています。ぜひこの機会に、東京国立博物館&書道博物館でご鑑賞ください。



「尚意競艶 ―宋時代の書―」 2012年10月2日(火) ~ 2012年11月25日(日)
東京国立博物館(平成館企画展示室)・台東区立書道博物館
両館展示一覧 (2ページ PDF:100KB)

関連事業
列品解説 宋時代の書
2012年10月23日(火) 14:00~14:30 平成館企画展示室
講師:富田淳(東京国立博物館列品管理課長)

上野の山文化ゾーンフェスティバル 講演会シリーズ(11) 尚意競艶-宋時代の書-
2012年11月23日(金) 13:30 ~ 15:00 平成館大講堂
講師:鍋島稲子(台東区立書道博物館主任研究員)、 富田淳(東京国立博物館列品管理課長)

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2012年10月09日 (火)