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1089ブログ

トーハクくん、密教彫刻に驚く



・・・ほっ! これは、チャンスだほ。

また、本館14室では特集「密教彫刻の世界」を6月23日(日)まで開催しております。
トーハクが誇る密教彫刻の数々を、ご寄託品も含めて大公開!
特別展「国宝 東寺」を見終わったら、本館にもぜひお立ち寄りください。

今後1089ブログでも取り上げる予定なので、あわせてご覧いただければ幸いです。


-1089ブログ
【国宝 東寺展】仏像曼荼羅の歩き方より-

 

 

 

ほほーい! ぼくトーハクくん。いま本館14室の特集「密教彫刻の世界」を見にきてるんだほ。
西木研究員がブログで予告してた特集を、ぼくが紹介しちゃえって展示室に来ちゃったほ。



ほー、密教彫刻がたくさん並んでるほ。腕がたくさん、お顔がいっぱい。おっ、こっちのは怒ってるほ?
なんだかちょっと変わった形の仏像ばっかりほ。


特集「密教彫刻の世界」展示会場の様子


(チラッ)

ほー、こっちはえーっと・・・
うーん、広報大使としてがんばろーと思ったけど、作品のことがよくわかんないほ。
やはり西木研究員と一緒にくれば良かったほ。

あれートーハクくん、ここで何してるの?

ほほーい、西木研究員(嬉)!
特集「密教彫刻の世界」を紹介しようと思ったんだけど、一人じゃ無理だったほ。

紹介してくれるのかい。嬉しいな。わかんないことがあったら何でも聞いて。

ありがほー。早速だけど、密教ってなんだほ?

うん、そっからだと思ったよ。
密教は秘密仏教の略で、特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」で紹介されている空海が説いた仏教のことだよ。
秘密じゃない、いうなら普通の仏教のことを顕教というけど、空海はこの顕教と対比させて、自分が中国で勉強してきた仏教のことを秘密の教え、“密教”と言っていたんだ。

じゃ、密教は空海さんが日本に広めた仏教、って覚えればいいんだほ。

おー、さすがはトーハクくん。それがね・・・

ほ?

この特集でみなさんにご覧になっていただきたいのは、まさにそこなんだ。
密教=空海、それだけ? ってことさ。

つまり・・・

密教は、ヒンドゥー教が主流のインドの地で、5世紀ごろから始まった仏教なんだよ。
その歴史は5世紀から12世紀ごろまで、経典が書かれた時期の違いから初期、中期、後期に大きく分けることができて、空海の密教は中期密教にあたるんだ。
この中期密教がいわゆる日本の密教イメージなんだけど、本当はその前にも後にも密教がある。この特集ではそこを紹介したくて、全部ひっくるめた密教を感じてほしいと思って企画したんだよ。

ほー確かに。東寺展の仏像曼荼羅は作品リストをみると9世紀の作品が多いほ。つまり中期ってことだほ。

そう。でもね、この十一面観音菩薩立像を見てほしいんだけど、これは中期密教以前に中国で作られ、7世紀にはすでに日本に伝わっていたものらしい。日本に現存する密教彫刻では一番古い仏像だよ。


重要文化財 十一面観音菩薩立像 中国奈良・多武峯伝来 唐時代・7世紀

7世紀っていったら、鐘が鳴るなり法隆寺の時代?

そうそう。東寺の仏像も制作されたのは平安、鎌倉時代だけど、形自体はもっと早い時期に伝わっていたわけ。ただ、当時の人はこれが密教の教えのものだとは認識してなかった。

昔を振り返ってみたら、これも密教だったのか、ってこと?

そうだよ。この展示室の仏像でざっというと、十一面観音、不空羂索観音、如意輪観音、千手観音、これらは初期密教の教えにある仏様。
密教といえる所以は、頭がたくさんあったり、腕が何本もあったり、千手観音なんて手が千本。こういう通常の人体と異なる表現をしていることがもう、密教の仏様の特徴なんだよ。


如意輪観音菩薩坐像 鎌倉時代・13世紀


千手観音菩薩坐像 南北朝時代・14世紀

そっか、ちょっと変わった形の仏像だなって思ったのはつまり、密教の世界を体感しちゃってたってことだほ。

そうだよ。さすがだね、トーハクくん。

もう何年も広報大使やってるんだほ。
ところで西木研究員、空海さんはこの初期密教の仏像を見て、“おー、これは密教だ”って分かったのかほ?

うーん、分からなかったと思う。空海は当時、中国からすでに日本に入ってきた密教経典を読んで、これをちゃんと本場で勉強したいという決意で中国に渡ったといわれているんだ。
そして空海は中国で勉強して思いを強くしたんだね。これは密教として日本に持ち帰ろうって。

そーなんだほ。それで、時代的にそれが中期密教だってのは大体わかったほ。
じゃあ、初期密教と中期密教の経典だと何がちがうんだほ?

大日如来、不動明王、愛染明王、この辺が全部、中期密教の経典になって新しく出てくる仏様だよ。
この時代の密教では、大日如来が中心。大日如来がすべての仏、世界そのものを生んだ源にある、そういう考えなんだ。


重要文化財 大日如来坐像 平安時代・11~12世紀


重要文化財 愛染明王坐像 鎌倉時代・13世紀

でもなんか、この展示室には名前が漢字じゃないカタカナの仏像もあるほ。

うーん、やはりさすがだねトーハクくん。話が進めやすいよ。
初期密教、中期密教ときて残るのは・・・

後期密教!

インドでは、空海が勉強した時点の密教よりもさらに先に進んだ、発展していった密教があって、カタカナの仏像たちはまさに後期密教の代表なんだ。
いうなれば、われわれ日本人が知らない密教の到達点といえる存在だね。

ぜんぜん見たことない形の仏像だから、ちょっとびっくりしたほ。

そうだよね。後期密教はインドやネパール、チベットで発展したんだけど、清時代の中国でも盛んに信仰されたんだ。ところが、日本にもこの後期密教は断片的に入ってきてたけど、一切目にしてはいけない秘義として隠され、排除もされてきた。つまり受け入れられなかったんだね。

なんでだほ?

後期密教の仏像には初期密教、中期密教にはない強烈な特徴があるからかな。

おっ? いったいなんだほ?

インド風さ。

インドふう?

そう。一番わかりやすいのが、頭がたくさんあったり、腕が何本もあったりという異形の姿、人とは異なるその形だよ。

それは、初期密教も中期密教もそうだほ。

後期密教の仏像は本当にインドっぽい、インパクトのあるビジュアルが特徴で、これが密教彫刻の一番の魅力といってもいいくらい。
密教はそもそもインド起源の宗教なので、インド風ていうのがすごく大事なんだ。

インド風が濃厚って、例えばどんなことだほ?

さっき見せた初期密教の十一面観音菩薩立像は、本面(正面の顔)以外の顔が小さくて飾りみたいになってる。本面の上に頭上面がくるっと配置されてるの対し、一方、後期密教の八臂十一面観音菩薩立像を見てみると、頭上面はもっと大きい顔だし、上に積み上げていく造形でしょ。


十一面観音菩薩立像の頭上面

 
八臂十一面観音菩薩立像 中国 清時代・17~18世紀、頭上面

トーテムポール見たいだほ。

3面づつ3段だよ。見るからに、うぉーって形をしてる。
日本人からすると顔がどんどん上に重なっているの、すごい違和感があると思うよね。

うぉー

どうした、トーハクくん。

西木研究員、このバジャバジャなんとかってのはもう、怪獣にしかみえないほ。


ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像 中国 清時代・17~18世紀 東ふさ子氏寄贈

ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像だよ。これは男性の仏ヴァジュラバイラヴァと奥さんである女性の仏が抱き合ってる姿なんだ。
少し話したけど、中期密教では大日如来がほかの仏さまを生みだす存在だったよね。
後期密教ではもっと現実的な考え方になって、大日如来が仏様を生むとか抽象的な感覚で説いていたのも、本来は男女の営みがないと生まれないじゃないかっていう話に変わっていったんだ。

??

子どもがいるところには、お父さんとお母さんがいるでしょ、ってこと。
経典の主役になる本尊(男性の仏)とあわせて、その配偶者が想像されるようになり、両者セットで信仰されるようになった。それがこんどは、経典に出てくるほかの仏様たちが生まれてくるのを表現するために抱き合っている形になって、この抱き合った姿こそが最強の姿だとして信仰されていく。
これには、当時インドで爆発的な人気を誇った女神信仰の影響もあったみたい。

ふーん。ってことはインドやチベットの人みんな、この密教界最強の仏像を崇拝したのかほ?

ううん。それがそうじゃなくって、決して一般的なわけではなかったんだよ。
やっぱり、きわどい表現だということで、普通の人が立ち入れるエリアには安置されなくて、あるいは安置されても腰から下に布をかけられて結合部分が見えないようにしてあったんだ。

配慮されてたんだほ。

そう、秘仏だったんだね。ただ、限られた僧侶とかには、こういうもののほうが力があると信仰されていた。

力がある?

力があるんだよ。
トーハクくん、怪獣みたいっていったよね。ヴァジュラバイラヴァのこの顔は水牛で、この水牛はヒンドゥー教の死神ヤマの象徴なんだ。


ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像の顔

西木研究員のブログに書いてあったほ。東寺展の大威徳明王騎牛像の水牛も確か・・・

そ、どっちも同じ死神ヤマを象徴したものだよ。水牛に乗っかっちゃったのが大威徳明王騎牛像、いっそ顔にしちゃえってのがヴァジュラバイラヴァだね。
結局、ヒンドゥー教よりも優れていることを広めるために、こうやって相手の概念を使わないと説明できなかったわけだ。

ヴァジュラヴァイラヴァはさらに奥さんも参戦したってわけなんだほ。

このチャクラサンヴァラ父母仏立像の足元もぜひ見てほしいなぁ、トーハクくん。
こっちは、ヒンドゥー教のシヴァ神夫婦を踏んでいる。

 
チャクラサンヴァラ父母仏立像 中国・チベットまたはネパール 15~16世紀 服部七兵衛氏寄贈

ヒンドゥー教のシヴァを踏んづけているってことで、ヒンドゥー教より優れた仏教だというのを表現したほ?

分かってきたね。
ヒンドゥー教の影響をうけて密教ができた、あるいはヒンドゥー教に対抗して密教ができた。
ここに皮肉があって、インドではヒンドゥー教のほうが圧倒的だったのは火を見るよりあきらかなのに、対抗してても結局その表現を借りないと、密教の優位性を説明できない。
けど、その時点でもう優位性がないってことになっちゃう。
この特集に展示してある仏像はすべて、そういう概念のもとに生まれた仏像なんだよ。

なんか密教の背景をちょっと知っただけで、もっとじっくり見たくなってきたほ。
西木研究員、抱き合ってる姿が最強ってことは、5歳のぼくが言うのもなんだけど、愛が最強かほ?

愛、ラブ、・・・(ふふっ)どうだろう。それについては秋にでもまた、お話ししたいね。
さあトーハクくん、広報大使として締めくくりの時間だよ。

ほほーい! 特集「密教彫刻の世界」は本館14室で6月23日(日)まで開催だほ。
初期密教は日本現存最古の十一面観音菩薩立像、中期密教の大日如来坐像、後期密教ならではのバジャバジャ父母仏立像(ヴァジュラバイラヴァね)などなど、まさに密教彫刻の世界が満載!
東寺展を見る前でも後でも、ちょーオススメだほ。

みなさんのご来館を、お待ちしてまーす!


カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻特集・特別公開トーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくん at 2019年05月17日 (金)

 

トーハクくん、10連休に興奮する

ほほーい、ぼくトーハクくん。


いま、広報室のみんなと今後の広報戦略について話していたら、すごいことを聞いちゃったほ。

今年のゴールデンウィークは10連休!!(ババーン)

えっ、良い子のみんなはそんなの知ってるって?

夏休みでもないのに10連休って、かなり興奮しちゃうほ。

なのに、世の中のパパとママはちょっと困り顔、みたいなことを言ってる人がいるらしいほ。
きっと家族サービスのことを気にしてるんだと思うけど…

でも大丈夫。そんなお家のみんなには、ぜひトーハクに遊びに来てほしいほ。


まずは、特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」!

展示会場に出現した仏像曼荼羅、そしてイケメンすぎて撮影OKの帝釈天と、スペクタクルで大興奮の東寺展を開催中だほ。
#東寺展をみれば、“そりゃもう街は大騒ぎさ!“っていうの、分かってもらえるほ。


東寺講堂の21体からなる立体曼荼羅のうち、15体の仏像で構成された仏像曼荼羅


国宝 帝釈天騎象像 平安時代・承和6年(839) 京都・東寺蔵
この作品にかぎり、撮影できます。※フラッシュ禁止等、注意事項をお守りください。



そして、本館の特別展!

4月29日(月・祝)までは本館特別4室・5室で特別展 御即位記念「両陛下と文化交流-日本美を伝える-」が開催されているほ!
天皇皇后両陛下ゆかりの作品などが展示されていて、平成の締め括りにピッタリの展覧会だほ!


特別展 御即位記念「両陛下と文化交流-日本美を伝える-」 会場入り口の様子

続いて、5月3日(金・祝)からは本館特別5室・4室・2室・1室で特別展「美を紡ぐ 日本美術の名品ー雪舟、永徳から光琳、北斎までー」を開催するほ!
なんといっても、狩野永徳が書いた「唐獅子図屏風」、国宝「檜図屏風」が同時に見れるのはとっても贅沢だほ!
そのほかにも日本美術の名品が大集合! この特別展も、“そりゃもう街は大騒ぎさ!“ 間違いなしだほ。


国宝 檜図屏風 狩野永徳筆 安土桃山時代・天正18年(1590)


ちょっと待って、こっちも見どころ満載ほ、総合文化展!

総合文化展は、本館なら、東寺展つながりで密教の彫刻を紹介する特集「密教彫刻の世界」や、今年新しく国宝や重要文化財になる作品を展示した特集「平成31年 新指定 国宝・重要文化財」をやってるほ。
東洋館なら、特集「中国の青磁―蒐集と研究の軌跡」。青磁に目がない人は絶対、立ち寄ったほうがイイほ。


本館14室で開催中の、特集 密教彫刻の世界
東寺展・仏像曼荼羅と似たような異形の彫刻が並びます



本館8室の特集 平成31年 新指定国宝・重要文化財、本館8室会場の様子
新指定される彫刻は本館11室で展示しています



東洋館5室で開催中の特集 中国の青磁-蒐集と研究の軌跡


親子で楽しもう、親と子のギャラリー!

動物のツノが主役だほ。たまにユリノキちゃんにもついてる、あのツノだほ。
親と子のギャラリー「ツノのある動物」には、小さなツノや彫刻されたツノ、神聖なツノもあるし、あんなツノにこんなツノが。
ツノだらけの展示室で親子の会話が弾むこと、間違いないほ。
水滴(水さし)、かわいいほ♡


平成館企画展示室で開催中の、親と子のギャラリー ツノのある動物
端から端まで全部、ツノ



ツノの影もやっぱり、ツノ
右:牛水滴 江戸時代・18~19世紀 渡邊豊太郎氏・渡邊誠之氏寄贈
左:水牛水滴 江戸時代・17~18世紀


それから、庭園でお散歩!(陽気なお天気だったらね)

10連休中も庭園開放でお庭をお散歩できるほ。ただしお空がグズったら中止だほ。
トーハクの庭園はいま、緑が真っ最中(文法が正しいかどうかは、おいといてほしいほ)。
桜が終わって、こんどは葉っぱがまぶしいほ。
薄かったり濃かったり、緑にもいろんな色があって、ぼく、ちょっと感動しちゃったほ。




そしてそして、5月1日(水・祝)は、総合文化展の観覧料が無料!

トーハクウェブサイトのトップにある”お知らせ”に書いてあったほ。
「5月1日(水・祝)は、天皇陛下の御即位を慶祝し、総合文化展を無料でご観覧いただけます。※特別展『国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅』のご観覧は、有料となります。」
ほー! この日を逃す手はないほー。


結局のところ、10連休中もいつものとおり、トーハクは盛りだくさん。
つまり、ゴールデンウィークのうちの1日くらい

みんな、トーハクに遊びにおいで!

っていう簡単な話なんだほ。
みんなの笑顔、待ってるほー!

――――――――――――

ほーぅ。久しぶりに広報大使の仕事をしちゃったほ。

トーハクくん、広報室でお菓子もらってくるって張りきってたけど、おいしそうなクッキーでももらったの?

あっー! ユリノキちゃん、何いいだすんだほ。
今後の広報戦略について話してたことになってるんだほ。

ん?

ところでユリノキちゃん、“スペクタクル”とか、“街は大騒ぎさ”とか…どんな意味か知ってるほ?

どうしたの? うーん、よく分からないけどなんか、オジサンっぽい。

(今度からは広報室のちがう人とお茶するほ。)
 

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくん at 2019年04月25日 (木)

 

イノシシ 勢いのある年に

こんにちは、ユリノキちゃんです!
ほほーい! ぼくトーハクくん!


 今日は本館特別1室・特別2室で開催中の、特集「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」(1月27日(日)まで)を見にきたんだほー

 亥年にちなんだ作品がたーくさん展示されているのよね。

 中でも「野猪」がオススメね、ユリノキちゃん。

 その声は、皿井研究員!

 こんにちは、トーハクくん、ユリノキちゃん。二人は動物の彫刻を見たことある?

 もちろんあるほ。鮭をくわえた熊だほ。

 おみやげっ(どこで見たの?)

 私は、本館18室・近代の美術のコーナーで「老猿」や「馬」を見たし、いまなら「牝牡鹿」も見られますよね。

 そう、近代の美術よね。
そもそも古い彫刻には動物作品はあまりなくて、近代になってモチーフのバリエーションを広げていく中で、ここにある「野猪」やユリノキちゃんが見た「老猿」といった作品が生まれてきたの。
とりわけ「野猪」は、日本の彫刻史全体の中でもイノシシをモチーフにした珍しい作品なのよ。


野猪 石川光明作 大正元年(1912) 石川光明氏寄贈

 なんだか、いじらしいほ。

 うん、可愛い。

 イノシシって、現代ではどっちかというと害獣で獰猛なイメージだけど、この「野猪」は横座りしてシナをつくった感じが、妙に可愛いってイメージよね。
作者の石川光明はもともと、根付とかの牙彫の職人として技術を学んだ人なの。根付ではいろんな動物を彫るのは普通のことなので、それを木彫でも制作したいっていうのは、彼の心の中に常日頃からあったのかもしれない。

 ふーん、根付のような可愛らしさが自然と表れたのかな。

 可愛いだけじゃなくて、牙彫作家らしい細かい彫りの技術も見てほしいな。細かい毛並み、動物らしい毛並みが実に巧みに表現されているの。可愛らしさと写実がギュッと凝縮されている作品なのよ。

 皿井さん、ここには他にもイノシシさんがいますね。

 ぼくの友達もいるほ。

 そうよ。例えばこの中国の「玉豚」は、ものすごく抽象化されていて、死者の手に握らせていたと考えられているものです。イノシシは多産や富の象徴として、死んだ後も幸せにいられるよう、お墓の中に一緒に埋葬されることがあったのね。


玉豚 中国 前漢~後漢時代・前2~後3世紀

 それと、そのほかの中国の作品を見ると、逆に小さいながらもイノシシの力強さがよくあらわされていて、中国の人たちの対象物を見て、それを写し取って造形化する技術力、造形把握能力ってものすごいと感じるけど・・・。


灰陶豚 中国 前漢時代・前2~前1世紀 広田松繁氏寄贈


褐釉豚 中国 唐時代・8世紀


 ん、なんだほ?

 一方で日本の「埴輪 猪」を見ると、あれ?って。これでよかったの?って。
縄文時代は、イノシシは狩猟の対象として身近だったからよーく観察されていて、「猪形土製品」のような形をちゃんと写し取った作品はいっぱいあるのに、それが埴輪になると一気にゆるキャラ化して・・・、形もこんな足が長い。馬みたい。


重要美術品 猪形土製品 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(後~晩期)・前2000~前400年


重要文化財 埴輪 猪 群馬県伊勢崎市大字境上武士字天神山出土 古墳時代・6世紀

 なな、なんてこと言うんだほ、皿井さん。

 ふふ。中国の造形に対する関心のあり方と、日本の対象物をどう造形化するか、この違いが浮き彫りになって、すごく面白い。皆さんにはそういうところも見てほしいと思います。

 しくしく。「埴輪 猪」の立場が・・・。

 じゃあ、どうして足が長いのか、私に説明させてください。

 あ、あなたは、河野研究員!

 ほほーい! 河野さん、たのんだほ!

 はい。まずこの重文「埴輪 猪」、縄文時代や東洋考古のイノシシと比べると極めて足が長いのが奇妙でして、イノシシというには不思議な体形ですね。
よく見ると足の先の後部が半円形にくりぬかれて、馬の蹄と同じようになっています。日常的にイノシシを見ている人が作ったのなら、偶蹄類なのでつま先は二つに分かれるはずなのに。
つまり、馬形埴輪を作っている人がイノシシをよく知らないまま作ったんではないかと思われます。




 えーっ、そういうことあるんですか?

 古墳時代になると、縄文時代にくらべて、人が生きる上での生業がいろいろ多様化していますし、山など自然からは離れて生活している、そういう人たちも沢山いたと考えられます。
イノシシ狩りは王様の狩猟儀礼みたいなものに変わってしまっているだろうし、イノシシと犬の埴輪でそれを古墳内に再現する際も、そこにはあまり写実性が求められてなかった、そんな背景があるんじゃないでしょうか。

 なるほどぉ。

 王様にとってイノシシを狩るというのは、突進してくる獰猛な存在をやっつけるということで、自身の権威を高めることになりますね。狩ったということを表現しようとして「矢負いの埴輪」も作られたと考えられます。古墳に眠る人の権威のほどを示したわけです。


埴輪 矢負いの猪 伝千葉県我孫子市出土 古墳時代・6世紀

 ほんとだ、“←”が付いてる! 現代のやじるしと全くおんなじ。

 この矢の形(←)というのは誰かが考えて広めたというものではなく、動物を狩るような尖ったものを表現する際、人類が普通に思い浮かび知らずしらず共有されている、時間と場所も超越する、そんなサインなのかな。だから、この埴輪でも使用されたんじゃないかと思います。

 そーそー、超越したサインなんだほ。

 埴輪を研究している身としては、この大阪の堺市から出土した「埴輪 猪」も、ぜひ見てほしいですね。


埴輪 猪 大阪府堺市出土 古墳時代・5~6世紀 伊藤福次氏・橘喜一郎氏寄贈

 微笑ましい表情で、私も大好き。

 ゆるキャラ具合もそうだけど、重文「埴輪 猪」と見比べてみて、どっか違うところないかい?

 ほ?

 こっちのは足の側面に穴が開いてるでしょ。これは近畿地方の埴輪の特徴です。埴輪の地域性が見て取れますね。



 ほんとだほ。お尻以外に足の付け根にも穴があるほ。ね、ユリノキちゃん。

 ほんと、お尻以外にも穴が空いてるわ。



 河野さん、言っておくけど、ぼくもユリノキちゃんも極めてマジメだほ。

 はい(汗)

 ところでトーハクくん、こっちには絵画作品もあるわよ。

 そうだほ。あれは、特集のメインビジュアルをつとめる「猪図」だほ。
もう、“猪突猛進”感だしまくり、ビューって向かってくるほ。


猪図 岸連山筆 江戸時代・19世紀 ハーディ・ウィルソン氏寄贈

 ふふふ。やっと私の出番がきたわね。

 大橋研究員!

 「猪図」もいいけど、私のオススメはこれよ。その名も「大小暦類聚」。

  だいしょうごよみるいじゅう?


大小暦類聚 寛政3年(1791)

 大黒天様の打ち出の小槌からイノシシさんがいっぱいでてきてる。よく見ると、大きいのと小さいのがいて、お父さん、お母さん、子供たちみたい。

 ほう。でも、大きいイノシシは2匹だけじゃないほ。叔父さん叔母さん、従妹たち、親せき一同が集まって、いったい何の騒ぎだほ?

 二人ともすばらしい観察力ね。これは適当に大小があるんじゃなくて、ちゃんとした、っていうか、江戸の時代のユーモアが隠されてるのよ。

 どういうことだほ?

 作品名を見てみて。大小の暦の類をあつ(聚)めたってことで、これは暦を描いているの。

 そうなんだ。

 江戸時代の暦は現代と違って、月の満ち欠けを基にした、大の月(30日)と小の月(29日)が年ごとに変わる、そういう暦だったの。

 ほー。

 お正月になると、その年の月の大小を示す絵暦を交換したりして楽しむようになって、デザインに干支を表わすおめでたい図柄も多く採用されたってわけ。
これもイノシシの大小によって月の大小がわかるというユーモアあふれる絵暦なのよ。




 じゃぁこれは、亥年の暦ってことですね?

 そう、200年以上前の寛政3年(1791)の絵暦です。

 暮らしぶりが粋なんだほ。

 うん、江戸時代の人たちは、いろいろと粋なことをして楽しんだのよ。
この「見立富士の巻狩」もそう。


見立富士の巻狩 葛飾北斎筆 享和3年(1803)

 葛飾北斎さんだほ。

 本来は、源頼朝の富士の裾野での狩りを題材にした「富士の巻狩」っていうのがあって、その中に頼朝に向かって突進してきたイノシシを退治した話があるんだけど、それを北斎は七福神がしているように見立てたわけ。つまり・・・

 パロディー!

 大黒天がイノシシに跨って、打ち出の小槌でしっぽを切ろうとする仕草が描かれていて、昔の人もパロディーを楽しんだっていうのが分かる作品なのよ。



 大橋さん、こっちは? イノシシの団扇を持っている人に蛇のオモチャでいたずらしてる人が描かれてますよ。

 むっ、悪さをする子は、ぼくが許さないんだほ。


浮世七ツ目合・巳亥 喜多川歌麿筆 江戸時代・19世紀

 二人とも十二支は言える?

 はい。子ぇ、丑、寅、卯ぅ、辰、巳ぃ

 午、未、申、酉、戌、亥ぃ・・・

 あ、巳年、蛇もでてくるわね。

 そう、この作品は「浮世七ツ目合・巳亥」といって、亥年のイノシシと巳年の蛇がモチーフになってるの。

 どうして、この組み合わせなのかしら?

 ある干支と、それから数えて七つ目の干支の組み合わせは幸運を招くとされていたからなのよ。亥年から七つ目は巳年なの。
この喜多川歌麿の作品は、いたずらしてるように見えて、じつは幸運を招く縁起の良さが描かれているのね。

 ほ! 巳年から数えたら七つ目は亥年だほ。この浮世絵はきっと、7年後の特集展示にも出てくるほ。

 トーハクくんて、ときどき妙にピントが合ったこと言うのね(まぁ、数えるなら6年後だけど・・・)。

 トーハクくん、イノシシさんの楽しい見方がいっぱい詰まった特集展示ね。

 ユリノキちゃん、そうなんだほ。みんなにもぜったい見てほしいんだほ。

 うん。じゃ、そろそろほかの展示室に行こうか?


 ちょっと待ったぁー!!!

  強烈に聞き覚えのある声。

 おいおいおい。水くさいじゃないか二人とも。

  井上副館長!

 そうだよ。井上副館長だよ。

 井上さん、そんなに興奮して、   ここにある国宝、目につかないかい? 国宝「袈裟襷文銅鐸」だよ。

 (食い気味にきたほ)画数の多い漢字は苦手だほ。


国宝 袈裟襷文銅鐸 伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀

 この部分にイノシシが描かれているんだ。見てごらん。



 あっ、ほんとだ。ほかに小さい動物と人間もいますね。

 そ、これはもう弥生絵画の傑作だよ。
いいかい、まずイノシシ、それに立ち向かっていこうとする5匹の犬。そして矢を放とうとする人間。つまり当時の犬追い狩猟の様子の在りのままがここに再現されているんだ。
縄文時代はリアルなイノシシだって皿井さんが言ってたように、この弥生時代の銅鐸に描かれたイノシシもまた、イノシシそのものをうまく表現している。素晴らしいだろ?

 イノシシらしい鼻先、耳、しっぽ。イノシシにしか見えないわね。

 銅鐸にイノシシが描かれることは非常にめずらしい。多く描かれているのは鹿なんだよ。縄文時代の土製品などはイノシシが大変多いんだが、それが弥生時代に入ると、イノシシに代わって鹿が多くなるんだ。

 どうしてだほ?

 それには縄文時代と弥生時代の生業の違いが関係しているようだね。縄文時代は狩猟・漁労・採集といったものが人々の生活を支えていたんだ。ところが、弥生時代になると大陸から米作りが伝わり、人々の生活は大きく変化する。

 そうなんですか?

 おそらく、縄文人は獰猛で多産なイノシシにパワーを感じ、弥生人は稲作のシンボルとして田の豊穣をもたらす神、ひいては子孫の繁栄をもたらす神の象徴として鹿にパワーを感じていたんだな。稲作が始まって、狩猟採集から食料の栽培生産へと変化したために対象獣も変わったんだよ。
時代は変われど、人間は動物にさまざまな願いを託していたことを分かって欲しいんだ。そして大切なことは、この絵画が示すように、弥生人は稲作を始めたからと言って狩猟というものを止めたわけじゃないんだよと。

 たったこれだけの中に、それだけの情報が詰まっているのね。

 そう。ただし、他の遺物との比較があってのことだけどね。

 比較から、そういう考察が生まれるよってことだほ。

 そう、考察が生まれ、え?

  (トーハクくん、どうしちゃったの?)

 ん、二人ともなんだほ?

 だから、絵画、彫刻、歴史資料、いろいろなイノシシが会場にはいるけれど、ぜひこの銅鐸も見ていってほしんだな。

 うん、分かった。井上副館長、いろいろ教えてくれて、どうもありがとうなんだほ。

 皿井さん、河野さん、大橋さんもどうもありがとうございました。
さてトーハクファンのみなさん、私たちの紹介で、この特集に興味を持ってくれたかしら?

  特集「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」は1月27日(日)までです。
みなさんのご来館をお待ちしてまーす!

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開トーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくんとユリノキちゃん at 2019年01月15日 (火)

 

2018年もありがほー



2018年も今日で終わり、平成最後の年越しだほ! それでは、トーハクの2018年をプレイバックだほ!


今年も1月2日から開館したわ。  今年の干支にちなみ、戌(いぬ)をテーマとした作品が展示されていたわね。


1月16日からは特別展「仁和寺と御室派のみほとけー天平と真言密教の名宝」が開幕したほ。秘仏や本尊を含む仏像など66体が集まったんだほ。


1週間後には「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」が開幕だったね。
アラビックコーヒー美味しかったほ!


春には毎年恒例の「博物館でお花見を」を行ったわ。今年の春の庭園開放の期間は過去最長だったのよ。
庭園のライトアップもきれいだったほ。




  4月13日からは、特別展「名作誕生-つながる日本美術」が開幕。若冲、宗達、等伯、まさに名作しかなかったわね。


今年の夏はとても暑かったほ。でも、夏の展覧会もとても熱かったほ!
そうね、7月3日からの特別展「縄文―1万年の美の鼓動」は、縄文時代の国宝全6件が初めて揃うなど、見所満載だったわ。


ほほーい! 7月24日から始まった、NHK Eテレ「びじゅチューン!」とのコラボレーション企画として開催された、親と子のギャラリー「トーハク×びじゅチューン! なりきり日本美術館」もとっても楽しかったほ。そういえばイーブイにも会えたほ。


暑い夏にぴったりのBEER NIGHTが今年もあったわね。
まだ暑さが残る中、9月4日から、「博物館でアジアの旅」が始まったほ。テーマは「インドネシア」。みんなジャランジャランしたほ?


博物館でアジアの旅開催中に、毎年恒例の「博物館で野外シネマ」があったね。細田守監督のヒット作、『サマーウォーズ』(2009年)、楽しかったわ。


そして10月2日(日)から2つの特別展が開幕したほ!
特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」展と特別展「京都 大報恩 快慶・定慶のみほとけ」ね。


会期中の10月14日に群馬県藤岡市で開催された「群馬古墳フェスタ2018」に行ってきたほ。群馬でもたくさんトーハクをPRしてきたほ。
トーハクくんだけ行って、ずるかった・・・。
ユリちゃん、11月24日に「世界キャラクターさみっとin羽生」に一緒に行ったから、勘弁してほ。

 
まっ、いっかな。少し戻って、10月30日からは特別企画「中国近代絵画の巨匠 斉白石」が始まったね。  斉白石は中国ではかなり有名な中国近代絵画を代表する巨匠なのよ。


2018年の締めくくりは、去年も実施した「トーハク感謝DAY」だほ。ぼくとユリちゃんも登場したほ! ユリちゃん、2019年のお正月の告知をお願いだほ!
すっかり定番の「博物館に初もうで」を1月2日から開催します。2日・3日は和太鼓や獅子舞のイベント、そして、特集「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」をお楽しみください。
僕たちも1月2日に登場予定だほ!


2018年もご来館いただき、ありがとうございました。2019年もトーハクにぜひお越しください!

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2018年12月31日 (月)

 

トーハクくん、童子切安綱で刀剣の凄みを知る!

ほほーい、ぼくトーハクくん。
今日は刀剣の部屋に来たんだほ。この間の「大包平」にも負けず劣らずの、すごい刀剣が展示されてると聞いて、さっそく、すっかり友達、酒井研究員に会いにいくんだほ。


ごめん、トーハクくん。ちょっと仕事がたてこんでて、「童子切安綱」を案内する時間がないんだ。また今度にしてくれる?

(ガーン)せっかく来たのに、それはないんだほー!

トーハクくん、僕でよかったら案内するよ。

ほ!? その声は10月にトーハクへ来た佐藤研究員!
やったほー、これでまた刀剣に詳しくなれるほ。

それじゃあ大包平と並び “日本刀の横綱” といわれる天下の名刀、「童子切安綱」を見に行くほ!

(なんだかこの人、ノリが良さそうだほ…)

トーハクくん、これが今回ぜひ紹介したい国宝「太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱)」です。
さて、この題箋に書かれている名前、どう読むか分かるかい?

国宝 太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱) 平安時代・10~12世紀



むっ、佐藤研究員、こう見えて僕は広報大使なんだほ。トーハクの文化財のことは任せてほ。えーと…
こくほう たち はく(うーん)なんとかかんとか めいぶつ なんとか?

正解はルビにあるとおり、「こくほう たち ほうきやすつな(めいぶつ どうじぎりやすつな)」だよ。

(ズコっ。ルビがあったほ)
ということは、古備前包平ふうに考えると、伯耆の安綱さんっていうこと? 伯耆ってなんだほ?

うん、その「ふう」の考えは間違ってないね。「ほうきやすつな」、伯耆は地名で安綱は人名。
安綱は、今から約千年前、平安時代の終わり頃に、伯耆国、現在の鳥取県西部で活躍した刀工です。
実は伯耆国は、備前国(岡山県)や山城国(京都府)のような、メジャーな刀剣産地ではないんだけど、ここは良質な鉄の産地で、その素材の良さが名工・名刀を生み出したんだね。

茎に打たれた銘「安綱」

ふーん、いい素材がある地にはいい刀工…、うん納得だほ。
じゃあ、そのあとの「名物 童子切安綱」っていうのはなんだほ?

まず、名物っていうのは分かるかい?

むっ、佐藤研究員まただほ! 見くびってもらっては困るんだほ。
その土地にしかないような特産品、早い話が、おいしいお菓子のお土産のことだほ。

 ・・・

(ちょっと空気が変わったほ)

  「名物」というのは、江戸時代に八代将軍徳川吉宗が、家来に命じて作らせた名刀リストである『享保名物帳』に掲載された刀剣のことを指すんだ。

 あの暴れん坊がそんな刀剣カタログを作ってたんだほ。

そう、暴れん坊が作った刀剣カタログ。そこには「名物 ○○」と名刀がいくつも記載されているんだ。
トーハクくんは、酒呑童子って聞いたことあるかい?

お酒が好きな子供? まあまあ不良だほ。

惜しい(わけない、全然)。童子切安綱の童子は、丹波国(京都府)の大江山にいたという酒呑童子と呼ばれた鬼のこと。

 鬼?

そう。藤原道長に仕えた武将源頼光が、この安綱の太刀で酒呑童子を斬ったという伝説が名前の由来なんだよ。

 童子を切った安綱… えーっ! 今ここに展示してあるのは、酒呑童子を斬ったホンモノなんだほ!

でも、すごく大きかった大包平に比べると、安綱さんが作ったこの太刀は細い感じがするけど…

そうだね、でもよーく見てみて。
まず姿。すらりとした刀身が強く弓なりに反って緊張感のある曲線を描いている。そして地鉄と刃文。パッと見は地味に見えるけど、じっくり見ていくと複雑で細やかな変化に富んでいることが分かる。
目が肥えると見えてくることがたくさんある、通好みの作風ともいえるんだよ。
展示室にはこの童子切安綱のほかにも、それぞれに特徴がある刀剣が多く展示されているから、見比べてみてほしいな。


小乱(こみだれ)と呼ばれる不規則で複雑な変化に富んだ波文

うんうん

安綱の作風には、備前刀工の躍動美、山城刀工の端正美とは異なる、いい意味での素朴さ、野趣があるといわれてるんだ。その最高傑作がこの「童子切安綱」。

ぼくにも見えてきたほ。でも、通好みだから国宝になったほ?

酒井研究員に聞いたと思うけど、国宝に選ばれる文化財は、美術品として優れているだけでなく、華麗なる由来伝来を持ち合わせているんだよ。
「童子切安綱」は安綱の最高傑作であり、その造形の素晴らしさが酒呑童子伝説と結び付いたっていうのは今言った通り。そして、 “天下五剣” の一つとして古くから名高く、足利将軍家→豊臣秀吉→徳川家康・秀忠→越前松平家→津山松平家と伝えられてきたという。
さらに保存状態が抜群にいい。その証拠に茎(なかご)の目釘穴が一つしかなくて、製作当初の姿をほぼ留めていることが分かるね。これは文化財としてとても重要なことなんだ。
いかに大切にされてきたか分かってもらえるかな。

童子切安綱の茎には目釘穴が一つしかない


重要文化財 太刀(部分) 備前景依 鎌倉時代・12~13世紀
拵(こしらえ)が作り直されるたび、柄を固定する目釘の穴があけられている
[本館13室(刀剣)にて、2019年2月17日(日)まで展示中]


うん、分かるんだほ。それで、実際に手に取った感じはどうなんだほ?

「童子切安綱」は数十口ほど現存する安綱の作刀の中でも群を抜いた、いわば破格の造形。だからこそ作風や由来伝来に応じた名前「童子切安綱」が付けられたんだけど…。
うーん、そういうものには神が宿る。
僕には刀身から何か気が放たれているように感じるよ。実際、展示するときに鞘から抜いた瞬間、ビビッとくるからね。
「童子切安綱」や「大包平」など「名物 ○○」のような名前が付けられたものは、もう単なるモノではなくて、この世で一つの命を吹き込まれた存在とも言えるんじゃないかな。

なんだか、とーっても凄みを感じる刀に見えてきたほ。もっとトーハクファンのみんなに教えたいほ!

そうだね。またとない機会だから、僕もぜひみんなに見に来て欲しいんだほ。

良い作品は良い研究員を育てる。ついでに、トーハクくんに触れた研究員はトーハクくんのファンになる。佐藤研究員が熱くなるのもムリないほ。

国宝「太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱)」は、本館13室(刀剣)で2019年2月17日(日)まで展示してるから、年末年始にトーハクに遊びに来たときは、ぜひ見ていってほしいんだほー!


※東京国立博物館は、年末は2018年12月25日(火)まで、年始は2019年1月2日(水)から開館します。
 

カテゴリ:研究員のイチオシトーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくん at 2018年12月21日 (金)