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特集「西日本の埴輪 -畿内・大王陵古墳の周辺-」の見方3-造形・変遷編-

本特集「西日本の埴輪-畿内・大王陵古墳の周辺」(2014年9月9日(火)~12月7日(日):平成館考古展示室)も、残すところ1ヶ月余りとなりました。
今回の特集展示では、普段、当館ではなかなかお目にかけることができない(畿内地方最盛期の)“本場”の埴輪をご覧頂いています。

展示全景
展示全景

もちろん、畿内地方の円筒埴輪の雄大な大きさや、人物埴輪・動物埴輪の秀逸な造形も大変魅力的です。
しかしながら、当館の人気者(?)で、独特の“風合い”を感じさせる関東地方を中心とした人物・動物埴輪との関係に、想い(疑問?)が及んだ方も多いかと思います。
今回は、その誕生の“秘密”についてお話しします。


第1回で紹介しましたように、埴輪には主な種類だけでも、実に多種多様な器種があります。
もちろん、古墳に配列される場合は円筒埴輪・壺形埴輪などが圧倒的多数を占めます。
しかし、古墳時代前期から中期(4世紀中頃~5世紀初頃)にかけて、実にさまざまな器財埴輪や人物・動物埴輪などが次々と出現し、次第に種類が増えていったことが明らかにされています。

その造形には、製作技術が異なる二つの大きな“潮流”がありました。
まず、最初に誕生したのは、いわば“土器系の埴輪”です。
埴輪の起原は、弥生土器が変化して誕生した円筒埴輪や壺形埴輪で、後にこれらを組み合わせた朝顔形埴輪も登場しました。瀬戸内から近畿地方で成立したとみられています。

その誕生からおよそ100年後、次に出現したのはさまざまな道具(器物)を表現した器財埴輪でした。
4世紀中頃に現れた家形埴輪に続いて、貴人に差しかける日傘を象った蓋形埴輪をはじめ、武器・武具を象った甲冑・盾・靫形埴輪や船形埴輪などが、次々と登場したことはすでにご紹介したとおりです。


このうち、“土器系の埴輪”(円筒埴輪・壺形埴輪・朝顔形埴輪)は、第2回で解説しましたように、粘土紐を巻き上げる技法で造られています。
縄文・弥生時代以来の伝統的な土器造りの製作技術で作られた埴輪です。

これに対し、器財埴輪は粘土板を多用し、輪郭を刀子状の工具で切り抜くように整形した、実にメリハリ(!)の効いた造形が特色です。
船形埴輪の舳先(へさき)・艫(とも)にそそり立つ飾板や、家形埴輪の破風(はふ)や軒先(のきさき)にみられるシャープな輪郭からは、その造形技法の鋭さを感じ取って頂けるものと思います。

船形埴輪と家形埴輪
(左) 重要文化財  埴輪 船 古墳時代・5世紀 宮崎県西都市  西都原古墳群出土 
(右)
重要文化財  埴輪 入母屋造家 古墳時代・4~5世紀 奈良県桜井市外山出土


一方、中期から後期(5世紀後半~6世紀初頃)にかけては、新たに人物・動物埴輪や水鳥形埴輪などの多様な形象埴輪が出現しました。
これらの埴輪は、細部には人物の服飾や頭髪などに写実的な部分も見られますが、基本的には円筒形を基本にしていることが特徴です。
人物・動物の胴部や頭部は、円筒埴輪・壺形埴輪などの“土器系”の埴輪と同じく、粘土紐巻き上げを基本とする製作技術で作られています。
そのため、外形の輪郭は丸みを滞びた滑らかなカーブを描き、全体に柔らかな造形が特色です。

とくに、人物埴輪は器台部から頭部に向かって、粘土紐を繰り返し巻き上げることで製作されています。
その結果、下半部は上半部を支える“土台”の役割を果たすため、上半身は一般的に下半身に比べて「小振り」に製作されていることに特徴があります。
多くはしっかりとした下半身や胴体部分の表現に比べ、頭部は小さめの表現が印象的です。
すでにお気づきのように・・・、人物埴輪の頭部が“小顔”で愛らしいことには、必然的な理由(!)があった訳です。

猪形埴輪と巫女形埴輪
(左) 埴輪 猪 古墳時代・5世紀 大阪府藤井寺市 青山4号墳出土 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵
(右)
埴輪 女子(巫女) 古墳時代・5世紀 大阪府藤井寺市 蕃上山古墳出土 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵


また、ほぼ同じ時期の器財埴輪にも、製作技術上の変化を認めることができます。
家形埴輪に代表されるように粘土板と刀子状工具の使用が衰退し、同じく粘土紐巻き上げ技法を基本とするようになります。
もともと家形埴輪は建築物を象った埴輪ですので、“角張った”外形と必要な室内空間から生み出されたバランスのよいシルエットが特徴でした。
しかし、この時期の家形埴輪は、壁の隅部が著しく丸みを帯びた形に変化していることがお判り頂けると思います。
必要以上にずいぶんと“ノッポ”な外形で、まるで西洋の教会建築を思わせるような外観です。

とくに屋根部は、実際の建物ではあり得ないような傾斜をもつ例が増加し、これも壁部の変化に呼応した変化と考えられます。
とりわけ、6世紀後半の関東地方の家形埴輪の中には壁部分が“円筒化”し、断面形がほとんど楕円形(!)に近い例まで現れます。
とても、実際の建物を写実的に表現していると考えることはできません。

家形埴輪
(左)埴輪 寄棟造家 古墳時代・5~6世紀 奈良県磯城郡三宅町石見出土
(中)埴輪 寄棟造倉庫
 古墳時代・6世紀 群馬県伊勢崎市上植木出土
(右)埴輪 切妻造家
 古墳時代・6世紀 群馬県桐生市新里町出土(船田祐研氏寄贈) ※この作品は現在展示されていません。

このように人物・動物埴輪の出現をきっかけに、形象埴輪には単なる写実とは異なる新たな独特の表現が生み出されました。
すると、当館の人気者の愛らしい(?)人物・動物埴輪などは、関東地方でこのような新たな表現がさらに発達して洗練された結果であったということができそうです。
いわば、新たな埴輪独自の造形表現が完成された姿ということができます。

盛装女子、男子、犬埴輪
(左)埴輪 盛装の男子 古墳時代・6世紀  群馬県太田市四ツ塚古墳出土
(中)
重要文化財 埴輪 盛装の女子 古墳時代・6世紀 群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土  ※この作品は現在展示されていません。
(右)埴輪 犬
 古墳時代・6世紀 群馬県伊勢崎市大字境上武士字天神山出土


   
このように古墳時代後半期においても、畿内地方で生み出された形象埴輪の器種や製作技法の変化は、再び地方の埴輪生産に大きな影響を与えることになります。
やはり、畿内地方の埴輪は全国の埴輪造りの基準であり続けていたのです。


もちろん、その背景には、埴輪が古墳時代の葬送儀礼に深く関わっていた(切っても切れない関係)とみられることが、もっとも大きな要因と考えられます。
古墳時代終末期(7世紀)を迎えると、全国で造り続けられていた前方後(後方)円墳は、突然ともいえる早さで急速に築造されなくなります。
その関係性を証明(?)するかのように、あれだけ盛行していた埴輪の製作も、ほぼ同時に一切見られなくなるのです。

展示全景

まさに埴輪は、日本列島独自の墓制である前方後円墳の誕生・終焉と軌を一にした、古墳文化そのものを“体現”した存在といえそうです。
それ故に通常、遺物や遺構だけでは判らない、目に見えにくい古墳文化の“風景”を後世の現代に具体的に伝えてくれます。


20世紀はしばしば「映像の世紀」ともよばれます。
歴史研究の方法として映像の果たす役割は、その再現性はもちろん、デジタル技術でカラー化が可能となった現在、ますます重要性が高まっていることをご存じの方も多いかと思います。
埴輪は、文字のない時代の人々の営み・行動(所作)を含め、当時の人々と道具などの関係性(情景)を造形(3D)で伝えてくれる、実に貴重な「証言者」ともいえる存在なのです。

このように多種多様な埴輪の一見素朴な味わいの外観と魅力的な造形には、古くから多くの方が惹きつけられてきました。
しかし、その誕生と移り変わりの背景には、当時の社会や人々の行動を考える多くのヒントが隠されていました。

本特集展示をとおして、埴輪のもつ独特な造形とその変化に秘められた「時代のうねり」や、(まさに“3D化”された・・・)「当時の人々のメッセージ」を感じ取って頂ければ幸いです。


ギャラリートーク

円筒埴輪と形象埴輪の見方」 2014年11月7日(金) 18:30~19:00  東洋館ミュージアムシアター

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特集・特別公開

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2014年11月05日 (水)

 

研究員のイチオシ作品! ~東アジアの華 陶磁名品展・韓国編~

2014年日中韓国立博物館合同企画特別展「東アジアの華 陶磁名品展」
見どころのひとつとして、韓国国立中央博物館から出品された
高麗(こうらい)(918~1392)の貴重な青磁が挙げられます。

日本において貴族に代わり武士が台頭し、政治や文化の担い手として動き出した12世紀、
中国と朝鮮半島では格調高い青磁がつくり出されました。
それが、北宋(960~1127)の汝窯(じょよう)青磁、そして高麗の「翡色(ひしょく)」青磁です。

「翡色」青磁について有名なエピソードがあります。
1123年(宣和5)、北宋末の皇帝、徽宗(きそう)の時代。
徐兢(じょきょう)という人物が高麗を訪れ、見聞を記しました(『高麗図経』)。
このなかで彼は高麗には青くて美しいやきものがあり、「翡色」と呼ばれていると
驚きをもって伝えたのです。

朝鮮半島において青磁が焼かれるようになったのは、およそ9世紀の頃。
中国江南の越窯の技術が導入されたと考えられています。
今回、中国国家博物館から出品された2級文物「青磁碗」。唐(618~907)の宮廷に納められ、
「秘色(ひしょく)」と呼ばれたこの美しい青磁を焼いたあの越窯です。
初めは中国の技法に倣った製品がつくられていましたが、次第に独自に洗練された姿となりました。
飲食の器、祭器、文房具、化粧道具など種類は多岐にわたり、高麗の高貴な人々に大変愛された
器であったことがわかります。
そして、その美しさは青磁を生んだ地、中国の人々をも驚かせるものであったのです。

それは天下の汝窯青磁とならび称されました。
特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」に出品されていた汝窯青磁と比べてみると、
白玉にたとえられる汝窯青磁の釉色とは異なり、「翡色」青磁の釉色はつややかで
透明度が高く、それでいて深みのある青色。落ち着きがあって気品漂う色調です。

精巧な形もまた魅力的です。いかにも貴族好みの薄く軽やかな形(写真1)や、
可塑性をいかして獅子や麒麟、亀、龍などの形をした器(写真2、3)もつくられました。


(写真1) 青磁輪花皿
伝黄海北道開城付近出土 高麗時代・12世紀
韓国国立中央博物館蔵



(写真2) 国宝96号 青磁亀形水注
黄海北道開城付近出土 高麗時代・12世紀
韓国国立中央博物館蔵



(写真3) 青磁双龍筆架
黄海北道開城付近出土 高麗時代・12世紀
韓国国立中央博物館蔵


このようなきわめて複雑な形の器は、中国青磁の模倣から解き放たれ、
自由で充実した造形感覚をもってうみ出された高麗青磁独自の姿といえます。

高麗青磁の特性は、装飾にもみてとることができます。
線刻や貼付け、鉄絵を施したものがみられますが、とりわけ注目されるのは
素地に彫り文様をあらわし、凹部分に白や赤(黒色を呈する)の色の異なる土を埋めて
青磁釉を掛けて焼きあげる象嵌(ぞうがん)青磁。


青磁象嵌牡丹文枕
黄海北道開城付近出土 高麗時代・13世紀
韓国国立中央博物館蔵


金工の技法を青磁に応用したもので、12世紀後半~13世紀に盛期を迎えたこの象嵌装飾は、
洗練された形、静謐な翡色の釉調と見事に調和しています。

汝窯や官窯、龍泉窯など釉調にこだわり、その色や表情、質感を追求した中国青磁と、
さまざまな技法をもちいて器面を華麗に装ってゆく高麗青磁。
東アジアではこのように性質を異としながらも、権力者はじめ多くの人々を虜にした
きわめて美しい青磁がまさに同じ頃に花開いたのです。


陶磁器の研究もさかんに行なわれている韓国国立中央博物館

今回の展示は小規模ながら、このように見どころのある高麗青磁の名品を
お借りすることができました。
「翡色」青磁の生みの親ともいうべき、中国・越窯の「秘色」青磁とならんで
展示されるのも、3国合同企画ならではのこと。
またとない貴重な機会、ぜひお見逃しなく。

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 三笠景子(保存修復室研究員) at 2014年10月31日 (金)

 

「日本国宝展」10万人達成!

日本国宝展」(2014年10月15日(水)~12月7日(日)、平成館特別展示室)は、
10月31日(金)午後に10万人目のお客様をお迎えしました。
多くのお客様にご来場いただきましたこと、心より御礼申し上げます。

10万人目のお客様は、神奈川県三浦郡葉山町よりお越しの倉田みなみさんです。
倉田さんには、東京国立博物館長 銭谷眞美より、記念品として展覧会図録と、
「縄文のビーナス」ぬいぐるみなどの展覧会グッズを贈呈しました。

10万人目のお客様
「日本国宝展」10万人セレモニー
倉田みなみさん(左)と館長の銭谷眞美(右)
10月31日(金)東京国立博物館 平成館エントランスにて


倉田さんは、日ごろより仏像に興味をもっておられるとのこと。
駅に貼ってある日本国宝展のポスターや看板で、奈良・安倍文殊院所蔵の善財童子立像のすがたに目をひかれ、
現在大学4年生として忙しい日々を過ごしておられる中、展覧会に足を運んでくださったそうです。

いろいろと意見を闘わせつつ、ポスターなどを作ってきた関係者にとって、
なんと心あたたまるお言葉でしょう…(感涙)
倉田さんの注目はやはり、善財童子像とのことです。

また、「国宝がこれだけ出ているのだから、これはぜひ見にいかねばならない!」と思っておられたそうです。
そう、そうなんです!この一言も、私の心をグッとつかんで止みません…(感涙²)


「日本国宝展」での、期間を限定した正倉院宝物特別出品は、いよいよ11月3日(月・祝)までとなりました。
「鳥毛立女屏風 第1・3扇」、「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶」など、ご宝物の中でも有名な11件が展示されています。

ぜひお見逃しなく!

 

カテゴリ:news2014年度の特別展

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posted by 伊藤信二(広報室長) at 2014年10月31日 (金)

 

日本国宝展の見方~善財童子~

彫刻を担当している、研究員の西木です。
今日は、「日本国宝展」の最後に展示されている国宝 善財童子立像(ぜんざいどうじりゅうぞう)についてご紹介します。


日本国宝展ポスター


展覧会のポスターにも出ている、合掌する愛らしい子どもは善財童子といいます。
安倍文殊院では、隣に立つ仏陀波利(ぶっだはり)というお坊さんと一緒に、獅子に乗る文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の両脇にひかえています。

さらに、その奥で獅子の手綱を引く優填王(うでんのう)という異国の王さま、
そして頭巾をかぶる最勝老人(さいしょうろうじん)の5人セットで、
海をわたる「渡海文殊(とかいもんじゅ)」と呼ばれて信仰を集めています。


安倍文殊院
渡海文殊(安倍文殊院の堂内にて)


なかでも、歩きながら文殊菩薩たちをふりかえる姿が印象的なのは善財童子です。


善財童子立像


絵画作品でも、ひとり先頭に立ち、一団を先導しているようにみえます。


では、なぜ善財童子が文殊たちの先頭をいくのでしょうか。
そもそも善財童子は、文殊菩薩の導きで識者を訪ねてまわり、智恵を得る菩薩です。


華厳五十五所絵巻
国宝 華厳五十五所絵巻(けごんごじゅうごしょえまき)(部分)
平安時代・12世紀 奈良・東大寺蔵 11月11日(火)~12月7日(日)

聖人のもとを歴訪する善財童子。ここでも合掌をしています


まだ幼い子どもなのに、なぜ一団を先導する姿なのか不思議です。
そのなぞを解くヒントは、文殊の乗る獅子と、その手綱をとる異国人の王さまにありました。


もともと、飛鳥時代に日本へ伝わった仮面劇の伎楽(ぎがく)や、行道(ぎょうどう)という仏教のパレードでは、
獣の王者である獅子と、鼻が高い異国人の治道(ちどう)、そして師子児(ししこ)と呼ばれる子どもが、
最初に登場して道を清めたといいます。


治道 師子児
(左)重要文化財 伎楽面 治道、(右)重要文化財 伎楽面 師子児
いずれも飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館蔵
11月24日(月・休)まで法隆寺宝物館第3室にて展示



文殊菩薩と一緒になってからも、
魔よけとして先導する役割を期待されたのでしょう。
汚れを知らない無垢な子ども、
だからこその大役といえるのかも知れません。


展示の様子
日本国宝展 展示室の様子
国宝
善財童子立像・仏陀波利立像(文殊菩薩および眷属のうち)
快慶作 鎌倉時代・建仁3年
(1203)~承久2年(1220) 奈良・安倍文殊院蔵

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻2014年度の特別展

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posted by 西木政統(絵画・彫刻室アソシエイトフェロー) at 2014年10月29日 (水)

 

特集「西日本の埴輪 -畿内・大王陵古墳の周辺-」の見方2-技術編-

特集「西日本の埴輪-畿内・大王陵古墳の周辺」(2014年9月9日(火)~12月7日(日)、平成館考古展示室)がはじまり、はや1ヶ月余りがたちました。
たくさんのお客様にお越しいただき、心から感謝しています。

考古展示室前・看板(猪形埴輪)、館内サイン(家形埴輪)
左:考古展示室前・看板(猪形埴輪)、右:館内サイン(家形埴輪)

この特集展示では、古墳時代の中心地域であり、大王のお墓(大王陵古墳)が多数含まれるとみられる大阪府古市古墳群の埴輪をたくさん展示しています。
展示の概要については、前回のブログをご覧ください。
今回は、その埴輪の造り方をキーワードに、見どころのポイントについて解説いたします。


まず、今回展示をした作品のなかですぐに目に付くのは、土管のような形をした大きな円筒埴輪です。
大きなものでは160㎝以上もあり、大人の背丈ほどもある大きさです。
大王陵級の古墳にたてられた円筒埴輪ともなると、このようにかなり大きかったようです。

5世紀前半の円筒埴輪(大阪府土師の里遺跡出土 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)
5世紀前半の円筒埴輪(大阪府土師の里遺跡出土 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)

この円筒埴輪はずいぶんと大きいので、造るのには相当大変だったことと思います。
板状や棒状に伸ばした粘土を輪にして、その輪を積み重ねることで筒状の埴輪ができあがります。
でも、この粘土は乾燥する前に一気に積み上げると重みで崩れてしまいます。私も実験で円筒埴輪を作ったことがあるのですが、何度も「倒壊」させてしまいました(笑)。

それを防ぐためには、ある程度の高さになったら一旦作業をとめて乾燥させる必要があります。
そして乾燥が終わると、ふたたび粘土を積み上げ、その繰り返しによって大きな筒をつくることができます。
とても手間と根気のいる作業です。

次に、円筒埴輪の表面に帯のように横にめぐる突帯をご覧ください。その間隔が一定なことに気がつかれたことと思います。
この突帯は、じつは定規のようなものを使って間隔が均一になるように、正確に計って(!)造られているのです。
しかも、横一直線に整然とめぐらせています。相当高い技術で造られていることがわかります。


さらに、この突帯の間には、横にめぐる細い線状の痕でびっしりと埋められていることがご覧いただけることと思います。
これはハケメ(刷毛目)と呼ばれる痕跡で、埴輪の表面を整えるために板状の木の工具でつけられた木目の跡です。

横方向のハケメ(左:写真2左の円筒埴輪の拡大、右:ハケメの微細写真)
横方向のハケメ(左:ハケメの微細写真、右:突帯間にあるハケメ)

まず、粘土を積み上げる過程で、粘土同士を密着させるために縦方向のハケメを施します。これは一次ハケメと呼ばれます。
次に、突帯を貼り付けた後に、狭い突帯の間に再度ハケメを施します。これを二次ハケメと呼んでいます。
このように、2回にわけてハケメを施すことによって表面を丁寧に整えてゆきます。
実は、この二次ハケメについては、1970年代から考古学的に重要な特徴がわかってきました。

当初、縦方向に施していた二次ハケメは、4世紀後半頃になるとランダムな横方向(A種)に変化してゆきます。
5世紀になると、横方向のハケメは断続的にめぐらされ、美しいリズミカルな模様を描くようになります(B種)。
さらに5世紀後半には、突帯の間を一周する切れ目のないハケメ(C種)に変化することがわかりました。
どうも円筒埴輪が回転する台の上で製作されるようになり、二次ハケメは回転台の力を利用して施すようになったと考えられています。

ハケメの変遷(円筒埴輪の編年 大阪府立近つ飛鳥博物館編2009『百舌鳥・古市古墳群展』を参考に作成)

このような製作技術の移り変わりは、1980年代以降、円筒埴輪の年代を推定する重要な指標として広く学会に受け容れられました。
とくに簡単に発掘できない大型古墳では、年代観の基礎データとなり、遺跡の研究や保護に大きな役割を果しています。
埴輪は古墳の地表面からも採集できますので、発掘調査をしていなくても古墳の時期や性格を知ることができる“すぐれもの”なのです。


次いで5世紀の後半から6世紀になると、円筒埴輪の製作にも大きな変化がみられます。
本展示では、小型の埴輪を6点展示しています。先ほどの大型の円筒埴輪と見比べてみましょう。


5世紀後半から6世紀の円筒埴輪(大阪府青山2号墳・蕃上山古墳・矢倉古墳 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)

一見して、とりわけ顕著な変化はその大きさです。腕の長さで納まる程度に小さくなります。
しかし、十分な乾燥期間をとらずに粘土の積み上げを一気におこなったために、埴輪がゆがんでしまうこともしばしばあります。

また、横方向のハケメを省略したため、二次ハケメでみえなかった縦方向の一次ハケメが表面に現れます。
突帯も、真っ直ぐではなくとも、多少斜めに曲がっていてもおかまいなしです。
この省略化や、造形美への“こだわりの薄さ”というのが、5世紀後半以降の埴輪のキーワードになっています。

縦方向のハケメと歪んだ突帯(左:縦方向のハケメ、右:歪んだ突帯 矢倉古墳 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)
縦方向のハケメと歪んだ突帯(左:縦方向のハケメ、右:歪んだ突帯 矢倉古墳 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)

このように埴輪の製作技術は、時期によって大きく変化します。
それゆえに、古墳の築造時期や性格を探る大きな手がかりともなっているのです。


ところで、ご紹介しました大型の円筒埴輪は5世紀の土師の里遺跡から出土しました。
この遺跡は、全国2位の規模をもつ伝応神天皇陵古墳(墳丘長:425m)に隣接し、古墳造営や埴輪生産に関わる伝承をもつ氏族、土師氏の本貫地と推定されています。
この埴輪は、中に人が入いる埋葬用のお棺として使われた特殊なもので、丸く刳り貫いた透孔も少なく、埋葬時にはこの孔も埴輪の破片で塞いでいました。

160㎝以上もある“巨大な”円筒埴輪を精巧につくるには、もちろん熟練した技術が必要です。
この埴輪もトップレベルの造り手の製品であるに違いありません。
そのような埴輪製作者や、埴輪製作者を統率していたリーダーが、この円筒埴輪に葬られたのかもしれません。
もしかしたら、「埴輪とともに生き、埴輪とともに死す」という世界観があったのでしょうか…。

展示室風景
展示室風景

畿内地方は、古墳時代の政治や経済の中心地であるとともに、埴輪生産の中心地でもありました。
古市古墳群周辺をはじめ、畿内地方で培われた埴輪製作技術が、各地方へと伝播してゆきます。
精巧に造っている段階でも、省略化した段階でも、全国の埴輪づくりの基準であることに変わりはありませんでした。


埴輪は見た目の印象でも充分に楽しめますが、その造り方に注目して細かく観察してみると、さらに楽しみは倍増します。
ぜひ、実物の資料を間近にご覧いただき、埴輪製作者の“情熱(?)”や想いというものを体感してみてください。

 

ギャラリートーク
円筒埴輪と形象埴輪の見方」 2014年11月7日(金) 18:30~19:00  東洋館ミュージアムシアター

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特集・特別公開

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posted by 河野正訓(考古室アソシエイトフェロー) at 2014年10月28日 (火)