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特集「西日本の埴輪 -畿内・大王陵古墳の周辺-」の見方1-誕生・伝播編-

特集「西日本の埴輪-畿内・大王陵古墳の周辺-」(2014年9月9日(火)~12月7日(日)、平成館考古展示室)がはじまりました。
今回の特集展示は平成26年度考古相互貸借事業の一環として、大阪府立近つ飛鳥博物館と相互交換でお借りした埴輪を中心に構成しています。

展示全景
展示全景

展示室見取図
展示室見取図

当館の埴輪展示は、考古展示室に常設2ヵ所の展示コーナー(ステージ)があります。
いつも多くのお客さまに楽しんで頂いていますが、今回は普段、なかなかお目にかけることができない西日本の埴輪が「主役」です。


そもそも「埴輪の起原」は岡山県を中心とした瀬戸内から近畿地方にあります。
古墳時代の始まり(3世紀後半)と共に出現した(土管のような・・・)円筒埴輪と壺形埴輪が最初です。
発掘などの調査・研究活動の結果、1960年頃から次第に、その「誕生の秘密」が明らかにされてきました。

それは、弥生時代終末頃(3世紀前半頃)の墳墓(墳丘墓)で、祖先を祭る祭祀に用いられたと考えられている特殊器台形土器とよばれる“筒形”の土器と、それに載せていた壺形の土器が変化して生まれたというものです。
埴輪といえば、誰もが想い出す(おなじみの・・・)さまざまなカタチの形象埴輪は、かなり遅れて登場することも明らかになってきました。

形象埴輪は、まず4世紀中頃から後半に家形や蓋(きぬがさ)形、甲冑・盾・靫(ゆき)形や船形などの器財埴輪や、鶏・水鳥形などといった鳥形埴輪が現れます。

家形埴輪ステージ
家形埴輪ステージ(中央:家形埴輪群(群馬県伊勢崎市赤堀茶臼山古墳出土、
前列左端
:短甲形埴輪(群馬県藤岡市白石稲荷山古墳出土)、前列右端:蓋形埴輪(奈良県磯城郡三宅町石見出土)

やがて5世紀後半には、新たに人物・動物埴輪が加わります。
葬送儀礼に関わるさまざまな場面を表現する形象埴輪が、次第に揃っていった様子がうかがわれます。
1970年代以降には、このような埴輪群が5世紀末頃までに、日本列島の東北南部から九州南部地方にまで拡がっていったことも明らかにされました。

人物・動物埴輪ステージ
左:人物・動物埴輪ステージ(手前:巫女形埴輪(群馬県伊勢崎市古海出土))、右:猪形埴輪・犬形埴輪(群馬県伊勢崎市天神山古墳出土)


一方、畿内地方の巨大な大王陵古墳と地方の大型前方後円墳の墳丘は、しばしば相似形であることが注目されてきました。
当然、巨大な墳丘を築くにためには高度な測量や土木技術が必要であることはいうまでもありません。
また、日本列島各地で築造された大型古墳には、このような器財埴輪を含む埴輪群を備えた例が多いことにも注意する必要があります。

大型前方後円墳測量図
大型前方後円墳測量図 左:九州・宮崎県女狭穂塚古墳(西都市:全長176m)、右:畿内・大阪府伝仲津媛陵古墳(羽曳野市仲ッ山古墳:全長283m)

このような墳丘や埴輪にみられる「文化伝播の背景」には、古墳の築造に必要な墳丘構築と(土器と比べて“超”大型の焼き物である・・・)埴輪製作における密接な技術交流があったとみられます。
まさに、畿内地方の埴輪は全国の「埴輪造りの基準」であったのです。


今回の主役の埴輪が生まれた奈良県や大阪府は、畿内と呼ばれた古代日本の中心地の一つです。
世界最大の墳墓遺跡である伝仁徳天皇陵古墳(大阪府堺市大山古墳:全長486m)をはじめとした巨大な大王陵古墳が多数築造されたことで知られます。
とくに大阪平野では、巨大な古墳が4世紀末頃から5世紀に次々と築造され、現在世界遺産への登録を目指している古市・百舌鳥古墳群といった巨大古墳群が形成されました。

もちろん古墳時代(3世紀後半~7世紀)の中枢地域ですので、もっとも多量に大型の埴輪が生産された地方でもあり、人物・動物埴輪などの形象埴輪の主な新たな器種が最初に造られた可能性がもっとも高い地方でもあるのです。


さて、当館の埴輪はご承知のように、関東地方の家形埴輪や人物・動物埴輪が中心です。
そのため、残念ながらこのような畿内地方の埴輪ほとんどありません。

今回は、畿内中枢地域の埴輪を展示出来る絶好の機会ですので、(当館の人気者?である)人物・動物埴輪が生み出されたプロセスも併せてご覧頂けるようにテーマの構成を組み立てています。
1. 西日本の埴輪
2. 畿内地方の円筒埴輪
3. 人物・動物埴輪の出現

1. では、古墳時代前半期の埴輪のうち、畿内と地方の代表的な形象埴輪を中心にご覧頂きます。
大型船を象ったと考えられる宮崎県西都原古墳群出土の船形埴輪と、東日本ではみられない立派な入母屋造屋根をもつ奈良県出土の家形埴輪はその典型です。
いずれも重要文化財にも指定されており、器財埴輪として戦前から有名なものです。

左:西日本(前半期)の埴輪(全景)、右:器財埴輪模式図(阪口編2014より)
:西日本(前半期)の埴輪(全景)、右:器財埴輪模式図(阪口編2014より)

一方、4~5世紀の畿内地方で著しく発達した埴輪は、古墳時代中期(4世紀末~5世紀末)には東北の岩手県から九州の鹿児島県まで伝播します。
当然・・・、畿内地方との技術交流の存在が想定でき、人々がダイナミックに交流する姿が浮かび上がります。
まず、畿内(中央)と地方の埴輪における技術的な親縁性や文化伝播の背景を感じ取って頂ければと思います。

次に、2. では大王陵古墳が集中する大阪平野の古市古墳群の円筒埴輪を展示しています。
なかでも最大の大型円筒埴輪は高さ160㎝を超える雄大な大型品で、(普段目にしている・・・)小型の埴輪からは想像できないほどの労力(情熱?・エネルギー?)が注がれたことは容易に想像できます。
用途は円筒棺とよばれる埴製の棺ですが、その雄大な規模や近年の発掘調査の事例から、大王陵古墳の円筒埴輪とほぼ同等な製品であると考えられています。

 左:畿内(古市古墳群)の埴輪(全景)、右:古市古墳群分布図
:畿内(古市古墳群)の埴輪(全景)、右:古市古墳群分布図

出土した大阪府藤井寺市土師の里遺跡は、古市古墳群の“ド”真ん中に存在します。
1970年代から発掘調査によって、古墳群の築造開始とともに成立した、多数の埴輪窯を伴った埴輪生産に携わった人々の集落遺跡であることが判明しました。
円筒埴輪の技術で製作される円筒棺は、大王陵古墳をはじめとした古墳造りで当時の王権を支えた集団のリーダーであった人物のための特別な棺であったとみられます。
畿内地方における大王陵古墳周辺の埴輪の規模と質感、(あるいは・・・)製作した人々の息吹も“実感”して頂けるのではないかと思います。

最後は、3. の古墳時代後半期の埴輪です。
形象埴輪群の構成・造形の移り変わりにおいて、もっとも大きな変化(画期)を紹介します。
器財埴輪はこれまでと大きくフォルムを変え、家形埴輪に代表される埴輪独自ともいえる独特な造形が確立する時期です。
しかし、もっとも大きな特色は、なんといっても新たに登場した人物・動物埴輪の出現でしょう。

左:後半期の埴輪(全景)、右:猪形埴輪(大阪府藤井寺市青山4号墳出土)
:後半期の埴輪(全景)、右:猪形埴輪(大阪府藤井寺市青山4号墳出土)

5世紀中頃に出現する女子(巫女)形・馬形埴輪に続いて、5世紀後半にはさまざまな人物埴輪・動物埴輪が登場します。
人物埴輪は少数の全身像と大多数の半身像のさまざまな男女像で構成されています。
その種類は男子埴輪を中心にして、盛装の男女形をはじめ、武人・楽人・力士形などなど、実に50以上もあります。

一方、動物埴輪には鹿・猪・犬・猿形などや水鳥形などの鳥形埴輪がありますが、なかには猪・犬形埴輪が狩人とみられる人物埴輪とセットで狩猟場面を表す例などもあります。
いずれも群で表現される物語性をもった造形であることが、これまでの埴輪にはない大きな特色のひとつです。


一口に埴輪と言っても、その誕生から終焉の間には、劇的な変化が起きていたことがお解り頂けたことと思います。
このような変化は1970年代以降の研究によって、埴輪が突如として造られなくなる6世紀末ごろまで全国共通の変化であることも明らかにされてきました。
その“震源地”は常に畿内地方で、全国の埴輪造りに大きく関わっていたことも近年の研究でいよいよ明らかになってきています。


埴輪に限らず、「原点(原資料)」を見つめることは、多くの事実やヒントに気づかせてくれます。
今回の特集展示では、“原点の埴輪”を比較・観察して頂くことによって、時代の変化とともに移り変わっていった埴輪群の構成や造形の変化のありさまをじっくりご覧頂けることと思います。

このような変化の“原動力”とその歴史的な意味を明らかにすることができれば、当時の人々の世界観の一端に触れることが可能となる日もそう遠くないに違いありません。

それには、やはり今一度、埴輪自身を見つめることが第一歩です。
次回は、埴輪のカタチや造形の特色を決定づける「製作技術の秘密」についてお話しします。


ギャラリートーク
西日本の埴輪の造形・変遷と伝播」2014年10月21日(火) 14:00~14:30  平成館考古展示室
円筒埴輪と形象埴輪の見方」 2014年11月7日(金) 18:30~19:00  東洋館ミュージアムシアター

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特集・特別公開

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2014年10月03日 (金)