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1089ブログ

サムライの芸術・日本刀と国宝刀剣の間

皆様こんにちは。東京国立博物館(以下、東博または当館)の刀剣担当研究員の佐藤です。
東博の創立150年を記念した特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」(~12月11日(日))も、お陰様で連日大盛況のうちに会期終盤に差し掛かってきました。
今回の1089ブログでは、本展のキーワードである「89件の国宝」と「150年の歴史」と並んで、大きな注目を集めている国宝刀剣19口(注1)と「国宝刀剣の間」を切り口に、その見方や見どころを紹介します。
 (注1)刀剣の数え方の単位には、振、本、などいくつかあり、東博では口を用いています。
 

1 国宝刀剣の間 ~国宝刀剣19口で最高の刀剣鑑賞体験~
本展では、東博史上はじめて、所蔵する国宝89件すべての公開が実現しました。このうち刀剣19口については、一つの展示室で全件全期間ご覧になることができます。
これが名付けて「国宝刀剣の間」で、これまで東博が培ってきた刀剣展示のノウハウを結集して、理想の刀剣展示室を目指しました。
刀剣の配置は、「童子切安綱」を導入部に、「三日月宗近」を中央部に独立して配置し、続く17口を時代、産地、種別によってグループ分けして壁面の三方に配置して、あたかも国宝刀剣に囲まれるような空間としました。
壁面造作は黒色で統一し、全体照明を最小限にすることで刀身の姿を浮き上がらせ、さらに手に取って見るのと同等のクオリティで鑑賞できるよう、ガラス面と刀身の距離、高さを設定し、見どころである地鉄(注2)や刃文(注3)が引き立つよう、刀身の角度と部分照明を微調整しました。さらに展示ケース内には、外観からは見えませんが、作品保護のための調湿材と地震対策の免震装置を組み込んでいます。
このように、日本刀の世界にどっぷり没入してもらえるよう徹底的にこだわり抜いた「国宝刀剣の間」の実現には、私自身がこのような刀剣展示を見てみたいという気持ちと、写真や言葉では伝えきれない日本刀の美を皆様に理解してもらいたい、という思いがありました。
 (注2)刀身の表面に表われた木目のような模様。刀身を製作する工程である「折り返し鍛錬」により生まれる。
 (注3)刀身の刃に表われた明るい文様。刃を強化する熱処理である「焼入れ」により生まれる。
 


東京国立博物館が所蔵する国宝刀剣19口


国宝刀剣の間
誰も見たことがない国宝刀剣だけの展示空間。刀剣の展示方法にも注目してください。中央の「三日月宗近」は、刀身の両面を見てもらえるよう特製ケースとアクリル製刀掛けで展示しています。
その他の刀剣は、木製刀掛け+正絹白布の伝統的な展示方法です。個人的な好みもありますが、この伝統的な展示方法は刀剣を格調高く上品に見せることができるので、なるべく続けたいと思います。
ただし、白布を美しく整えるのは手間と技術が必要です。

 


国宝 太刀 銘 安綱(名物 童子切安綱) 平安時代・10~12世紀
安綱は鉄産地である伯耆国(鳥取県)を拠点とした日本刀成立期の名工で、本作はその最高傑作に挙げられます。
「童子切」の号は、源頼光が酒呑童子という鬼を本作で斬ったという伝説に由来します。古来より名刀として知られ、天下五剣の一つに数えられます。

 


国宝 太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)三条宗近 平安時代・10~12世紀 渡邊誠一郎氏寄贈


国宝 太刀 銘 三条(名物 三日月宗近) 拡大
京・三条で活躍した日本刀成立期の名工宗近の代表作。古雅で優美な太刀姿を示し、「三日月」の号は三日月形の刃文があることに由来します(写真下)。
天下五剣の一つに数えられる名刀で、豊臣秀吉の正室高台院、将軍徳川秀忠が所持し、徳川将軍家に伝来しました。

 

2 日本刀の美 ~感覚的で抽象的な日本独特の美~
近年の刀剣ブームにより、世代や性別をこえた新しい刀剣ファンが生まれ、日本刀の美に魅了されています。一方で、実物の刀剣の見どころを理解するのは難しく、専門用語も難解で、近寄り難い印象があるのは確かです。また、どれも同じに見えて違いや良さが分からない、という方も多いでしょう。私は、日本刀の美は、感覚的で抽象的な日本独特のものだと考えています。
その理由として、次の三つが挙げられます。一つ目に、刀剣は武器です。その武器としての「切る」という機能を極限まで追求することで生れた機能美が、日本刀の美の源泉にあります。二つ目に、伝統的な素材と製作技術によって生まれた地鉄や刃文といった鉄の美的な要素が、高度な研磨技術によって引き出されています。それゆえに「鉄の芸術」とも呼ばれ、日本だけでなく世界的にも高く評価されています。三つ目に、刀剣は日本の歴史や文化とも深く関わっています。「武士の魂」という言葉の通り武士の心の拠り所となり、また、神仏の力が宿る神器として信仰の対象となり、さらに権威の象徴として贈答に用いられました。このように、優れた日本刀は単なる武器を越えた存在であり、日本美術工芸においても大きな位置を占めています。この感覚的で抽象的な日本刀の美を、我々の祖先たちは古くから愛でてきました。
そして、長い刀剣鑑賞の歴史の中で、理解しがたい日本刀の美を表現するために培われたのが専門用語であり、いわば、日本刀の美を論理的、具体的に理解するための道標といえます。今回の「国宝刀剣の間」もまた、奥深い日本刀の世界に皆様を誘い、その美をより深く理解していただくための最高の道標を目指したものであります。
 

3 国宝刀剣の見どころ ~造形と由来伝来~
国宝刀剣は、美術的価値と歴史的価値を兼ね備えた名刀です。そして、その造形や由来伝来にもとづく尊称である「号」を与えられたものが多くあります。さらに、「名物」という冠が付せられた刀剣は、刀剣研磨・鑑定の権威である本阿弥家が江戸時代にまとめた『享保名物帳』に掲載されたもので、現在でも高い評価を受けています。
その典型例として、国宝「太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)」を紹介します。作者の包平は、備前(岡山県)で活躍した刀工です。力強く長大な刀身、精美な地鉄、冴えた刃文と、三拍子揃った完全無欠の名刀であり、日本刀の横綱とも称されます。号の由来として、『享保名物帳』に「寸長く大きなる故」とあり、その雄大な造形への畏敬の念が込められています。江戸時代には岡山藩主池田家に伝来し、歴代当主に引き継がれた、まさに伝家の宝刀です。


国宝 太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)古備前友成 平安時代・12世紀
 

4 地域による作風の違い
そして、国宝刀剣19口を一堂に展示した「国宝刀剣の間」ならではの、もう一つの貴重な鑑賞体験として、刀剣の作風が地域によって異なることを、見比べることで直感的に理解できます。
今回の国宝刀剣は、主に三つの地域、山城(京都)、備前(岡山)、そして相模(神奈川)で製作されたもので、ここで培われた刀剣の作風を、山城伝、備前伝、相州伝といいます。
これらの作風を一言で表現するならば、山城伝は「優美」、備前伝は「華麗」、相州伝は「覇気」といえます。この作風の違いは、それぞれの地域文化に根差していると考えられます。
まず、山城伝は京都で生まれたが故に貴族の美意識と価値観を色濃く反映しており、その作風はあくまで優美です。備前伝は万人好みの華麗な作風を追求し、さらに良質の鉄資源に恵まれていたことから、日本最大の刀剣産地として栄えました。 そして、相州伝は武士の都である鎌倉で生まれたので、武士好みの覇気あふれる作風に徹しました。この作風の違いを、「国宝刀剣の間」で実物を通して確かめていただきたいと思います。

山城伝「優美」


国宝 太刀 銘 来国光 嘉暦二年二月日 来国光 鎌倉時代・嘉暦2年(1327)
国光は京・来派の名工です。本作は地刃の出来栄えと健全さから代表作に挙げられ、精美な地鉄に端正な広直刃の刃文を焼入れています。
徳川将軍家に伝来し、徳川家達から東宮(大正天皇)に献上されました。

 

備前伝「華麗」


国宝 太刀 銘 吉房(岡田切) 福岡一文字吉房 鎌倉時代・13世紀
絢爛豪華な作風で知られる吉房の最高傑作として名高い名刀。「岡田切」の号は、織田信長の次男信雄が、家臣の岡田重孝を本作で斬ったことに由来します。
明治時代に益田孝から東宮(大正天皇)に献上されました。

 

相州伝「覇気」


国宝 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上本阿(花押) 相州正宗 鎌倉時代・14世紀
地刃の鍛えと沸の美を強調した相州伝の大成者として名高い正宗の典型作。その号は、城和泉守昌茂が所持し、本阿弥光徳が正宗の作と極めたことに由来します。
弘前藩主津軽家の伝来品で「津軽正宗」とも呼ばれます。

 

5 太刀と刀
次に、博物館や美術館での刀剣展示では、刀身の刃を下にしたものと、刃を上にしたものがあります。意外に知られていませんが、これは刀剣の種類の違いを表わしています。
刃を下にして刀身の反りが上に向いた状態で展示されているのが太刀、刃を上にして刀身の反りが下を向いた状態で展示されているのが刀なのです。
この違いは、刀剣を刀装(拵)に収納して、左腰に装着している状態を示しています。
つまり、太刀は刃を下にして腰帯から吊り下げて装着します。これを「佩(は)く」といいます。刀は刃を上にして腰帯に通して装着します。これを「指す」といいます。
一見、同じ形状をした刀身であっても、太刀と刀では装着の仕方が根本的に異なるのです。
そして、太刀と刀では、一般的に太刀は刀身が長く、刀は太刀に比べると刀身が短いといえます。さらに、時代によって主に使用された年代が異なります。
大きな流れとして、およそ500年前の戦国時代を境に太刀から刀へと移行していきます。これには主に二つの理由が連動していると考えられます。一つ目が、刀剣を扱う技術、つまり剣技の進化です。太刀の場合は、1:鞘から抜刀して、2:構え直して、3:攻撃する、という3段階が必要です。一方、刀の場合は、1:鞘から抜刀して、2:そのまま攻撃する、ことができます。太刀より刀の方が一段階すばやく攻撃でき、その一瞬が生死を分かつということが経験的に理解されるようになり、刀剣の主流は太刀から刀へと変化していきます。二つ目が、合戦のあり方、すなわち戦闘方法の変化です。太刀は平安時代後期の日本刀成立期から、その当時の戦闘方法の主流である少数精鋭の騎馬戦で用いられました。互いに馬上で戦いますので、刀身の長い方が有利なことから、太刀は自ずと刀身が長くなります。一方、戦国時代になると戦闘方法は徒歩集団戦が主流となり、密集した状態での乱戦となります。
そのため、抜きやすく扱いやすい、刀身の短い刀が用いられるようになりました。
さらに、話がややこしくなりますが、本展で展示している国宝刀剣19口のうち、刀は3口ありますが、実はいずれも本来は鎌倉時代に製作された太刀で、戦国時代に刀へと仕立て直されたものなのです。
この太刀から刀への仕立て直しを磨上げといいます。長大な太刀を扱い易いよう短く切り詰めるのですが、鋒を切り詰めては武器としての機能を損なってしまいます。そこで柄に納める茎の方を切り詰めて、刀身の手元側を新たに茎に成形し直すのです。
そして、重要なこととして、戦国武将たちは、当時つくられた刀ではなく、古い時代につくられた名刀を手挟むため、太刀を磨上げて刀にしたのです。ここに、刀剣が持つ権威の象徴としての性格が表われています。
 


国宝 太刀 銘 備前国友成造 古備前友成 平安時代・11~12世紀 山本達郎氏寄贈
友成は古備前といわれる初期の備前刀工。本作は、やや細身の刀身に、小丁子に小乱を交えた刃文を焼入れています。将軍徳川家宣から江戸幕府老中で常陸国笠間藩主の井上正岑が拝領し、同家に伝来しました。
 


国宝 刀 無銘 正宗(名物 観世正宗) 相州正宗 鎌倉時代・14世紀
正宗の代表作の一つとして名高く、躍動感のある地刃の働きが見どころ。号は能楽の観世家が所持していたことに由来し、明治維新の際に徳川慶喜が有栖川宮熾仁親王へ献上し、高松宮家に伝えられました。
 

6 武将と名刀
そして、先ほどの太刀を磨上げて刀にする話と関係しますが、腕に覚えのある武将、名のある武将ほど名刀を求めました。その代表例として、国宝「太刀 銘 長光(大般若長光)」を紹介します。
本作は、備前(岡山)を拠点に日本最大の刀工流派として栄えた長船派を確立した名工長光の代表作です。「大般若」の号は、この太刀の代付が六百貫という破格の高値だったことから、六百巻からなる大般若経になぞらえたことに由来します。刀身はがっしりとした太刀姿で、よく鍛えられた地鉄に、華やかな刃文を焼入れています。本作は足利将軍家の伝来品で、後に織田信長が所持し、姉川合戦の武功により徳川家康へ贈られ、さらに長篠合戦の武功により奥平信昌が賜った、まさに武勲の象徴といえます。このように、名刀は武家としての歴史や家格を表わすものでもあるのです。
 


国宝 太刀 銘 長光(大般若長光) 長船長光 鎌倉時代・13世紀
 

7 東京国立博物館の国宝刀剣
現在、国宝に指定されている刀剣は計122口(刀装を含む)あります。東博はこのうち19口を所蔵しており、一つの博物館が所蔵する数としては全国最多で、当館所蔵の国宝89件に占める分野別の比率でも絵画に次いで高いです。
その理由は東博の歩んできた150年の歴史にあります。東博所蔵の国宝刀剣19件の来歴は、大きく次の四つに分けられます。

(1)購入したもの  2口
 短刀 銘 吉光(名物 厚藤四郎)
 太刀 銘 長光(大般若長光)
(2)寄贈を受けたもの  3口
 太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)渡邊誠一郎氏寄贈
 刀 無銘 貞宗(名物 亀甲貞宗)渡邊誠一郎氏寄贈
 太刀 銘 備前国友成造 山本達郎氏寄贈
(3)文化財保護委員会及び文化庁が購入し、管理換されたもの  7口
 太刀 銘 安綱(名物 童子切安綱)
 太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)
 短刀 銘 行光
 刀 金象嵌銘 城和泉守所持正宗磨上本阿(花押)
 刀 無銘 正宗(名物 観世正宗)
 太刀 銘 助真
 太刀 銘 長光
(4)宮内省から移管されたもの  7口
 梨地螺鈿金装飾剣
 太刀 銘 定利
 太刀 銘 来国光 嘉暦二年月日
 群鳥文兵庫鎖太刀 刀身銘 一(上杉太刀)
 太刀 銘 吉房
 太刀 銘 吉房(岡田切)
 太刀 銘 備前国長船住景光 元亨二年五月日(小龍景光)

このうち、7件と数が多い(3)は当館の独立行政法人化(2001年)により現在は行われていません。次に、同じく7件の(4)が東博の歴史と深く関わっています。
これらは江戸時代から戦前にかけて、将軍家、大名家、公家、政治家、実業家などから皇室や皇族に献上されたもので、とくに刀剣を愛好された明治天皇の存在が大きかったとみられます。
そして、明治19年(1886)に宮内省の所管となった当館に収蔵され、昭和22年(1947)に国立博物館への移管という形で引き継がれることになりました。
 


国宝 群鳥文兵庫鎖太刀 刀身銘 一(上杉太刀) 福岡一文字派 鎌倉時代・13世紀
上杉氏から三嶋大社(静岡県三島市)に奉納されたという伝承から上杉太刀と呼ばれ、三嶋大社から明治天皇に献上されました。刀装(写真上)は、帯執に兵具鎖を用いた兵庫鎖太刀で、群鳥文を表わした蒔絵と金物の装飾が見どころです。付属する刀身(写真下)は、「一」の銘と作風から、備前(岡山)の福岡一文字派の作と考えられます。

以上、特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」の大きな見どころである国宝刀剣19口と「国宝刀剣の間」を切り口に、その見方や見どころを紹介しました。
創立150年というメモリアルイヤーだからこそ実現した「国宝刀剣の間」で、一つずつじっくり鑑賞するのもよし、時代や地域による作風の違いを見比べるのもよし、それぞれの刀剣がもつ物語に思いを馳せるのもよし、国宝刀剣のオーラを全身で浴びながら、その魅力にどっぷり没入していただきたいと思います。
そして、総合文化展での定期的な公開の機会はこれからもあります。 ぜひ、博物館での本物との出会いを通して、日本刀のもつ美しさ、気高さ、凄味を、感じていただければと思います。最後になりましたが、「国宝刀剣の間」の実現にあたり、技術面で御尽力いただきました会場造作業者の皆様、そして同僚の酒井元樹研究員に深く感謝いたします。

カテゴリ:東京国立博物館創立150年刀剣

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posted by 佐藤寛介(登録室長) at 2022年12月02日 (金)

 

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