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「顔真卿 王羲之を超えた名筆」 密かなつぶやき その1

年明けに始まった特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」も、気がつくといつのまにか折り返し地点を過ぎていました。連日多くのお客様にお越しいただいておりまして、関係者一同、心より御礼を申し上げる次第です。

開幕前は、「顔真卿って、誰っ!?」という状態で、はたしてどれくらいの人が展覧会を観に来てくださるのだろうかと、不安でいっぱいでした。
もちろん、展覧会の構成は顔真卿だけでなく、中国の書の歴史そのものを概観しつつ、顔真卿が生きた唐時代の書をたっぷりと紹介し、さらに唐時代の書が日本や後世に与えた影響も考えてみようという、壮大なスケールで準備をしてきました。
書は基本的に紙の白と墨の黒のモノトーンで繰り広げられる二次元の地味な世界です。そのハンディを克服すべく、本展は、書の歴史上もっとも華やかな唐時代に重きを置き、展示作品数も唐時代の書を充実させました(選んだ作品が多すぎてケースに入りきれず、泣く泣くあきらめたものも多々ありましたが…)。

今回のブログでは、展覧会のキモである唐時代の書のなかから、チラシやホームページにはない、かくれたみどころをご紹介しようと思います。


王羲之の字姿のデパート
集王聖教序-孔氏嶽雪楼本- 王羲之筆
唐時代・咸亨3年(672) 香港中文大学文物館(北山堂寄贈)


唐時代の書は、太宗皇帝による王羲之崇拝と深い関係があります。
集王聖教序は、懐仁という弘福寺の僧が太宗より命じられ、宮中に所蔵される王羲之の真筆から文字を集めてつくった石碑です。王羲之の字姿を豊富に見ることができるので、手本としても尊ばれました。
本作は、清時代の収蔵家である孔広陶(1832~1890)の旧蔵品で、宋時代の貴重な拓本です。
香港中文大学文物館には、北山堂の堂名で知られる利栄森(1915~2007)の膨大なコレクションが収蔵されており、拓本だけでも2000件以上にのぼります。その中から特に優品10件を精選して「北山十宝」と名付けました。
今回、香港中文大学文物館よりお借りした4件は全て「北山十宝」の名品であり、もちろん、どれも初来日です!


ようこそ、日本へ!

九成宮醴泉銘-汪氏孝経堂本- 欧陽詢筆
唐時代・貞観6年(632) 香港中文大学文物館(北山堂寄贈)



李思訓碑-呉栄光蔵本- 李邕筆
唐時代・開元28年(740) 香港中文大学文物館(北山堂寄贈)



麻姑仙壇記-何紹基蔵本- 顔真卿筆
唐時代・大暦6年(771) 香港中文大学文物館(北山堂寄贈)




褚遂良の美のツボをおさえてます
金剛般若波羅蜜経残巻
唐時代・7世紀 三井記念美術館(2月13日より展示)


中国書道史は、100年ほど前まで拓本や模本を中心に編まれてきました。しかし20世紀初頭、敦煌莫高窟の第17窟から5~10世紀に至る肉筆の写本が大量に発見されたことで、隷書や楷書の変遷がつぶさに観察できるようになりました。
今回注目すべき唐時代の書のウリの一つがこの肉筆写本であり、美しい楷書の姿には本当に心を奪われます。
本作は、671年から677年頃の唐高宗の時代に、宮中の優秀なエリート写経生らによって書写された「長安宮廷写経」とよばれる経巻です。「長安宮廷写経」は、世に30点余りしか現存しません。
筆致や書風はもちろん、紙や墨にいたるまで、あらゆる点において最高の出来栄えを誇ります。書風は麗しく雅であり、張りのある線質で、晩年における褚遂良の艶やかな書の影響がうかがえます。


王羲之たちのゴシップあります
国宝 世説新書巻第六残巻-豪爽-
唐時代・7世紀 東京国立博物館(2月13日より展示)


唐時代は、敦煌莫高窟で発見された写本のほかに、遣唐使らによって日本に将来された写本があります。端正で美しく、力強い筆致で書かれた本作は、『世説新語』の名で知られる書物で、後漢時代の末から東晋時代にかけて活躍した名士のゴシップを集めたものです(今でいう週刊誌ネタのようなもの)。中には王羲之やその一族たちがやり玉に挙げられている内容も収録されています。いつの時代も有名人は苦労が絶えません…。
紙背には、平安時代末期の『金剛頂蓮花部心念誦儀軌』が書写されています。
日本への伝来の古さを物語っていると同時に、本作がいつしか日本でリサイクル紙として使われたことがわかります。平安時代の貴重な筆跡とともに、世説新書の残巻は我が国で大切に保存されてきました。




受験生の諸君、健闘をいのる
干禄字書 顔真卿筆
唐時代・大暦9年(774) 台東区立書道博物館


受験シーズン、まっさかり。受験生のみなさんは、毎日重圧に耐えながら一生懸命勉強をされていることと思います。
中国でも、官僚になるためには科挙という大変難しい試験を受けなければなりませんでした。
この干禄字書は、科挙の答案に用いるべき正しい字形を示した字書であり、受験生の必須アイテムでした。干禄とは、禄をもとめる、つまり官に仕えるという意味です。
顔真卿の叔父である顔元孫が著し、顔真卿が66歳の時に書写しました。字書の内容はもちろんのこと、顔法で書かれた楷書もまた後世に大きな影響を与えました。
さすがに科挙の受験バイブルとあって、石碑の拓本をとる人たちがあとを絶たず、この拓本からも碑面の文字が摩滅している状態がよくわかります。


さて、ほんの少しだけ唐時代の書をご紹介いたしましたが、まだまだみどころは語り尽くせません。
今回の展示総数177件のうち、唐時代の書は106件あります。海外からは8件お借りし、国内の所蔵作品は98件展示されています。
百聞は一見にしかず。ぜひ会場で、唐時代の書の魅力を感じてみてください!


 
関連展示
特別展「王羲之書法の残影ー唐時代への道程ー」2019年3月3日(日)まで
東京国立博物館東洋館8室、台東区立書道博物館にて絶賛開催中!

 

カテゴリ:研究員のイチオシ中国の絵画・書跡2018年度の特別展

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館主任研究員) at 2019年02月12日 (火)

 

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」10万人達成!

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」(1月16日〈水〉~2月24日〈日〉、平成館)は、2月8日(金)、10万人目のお客様をお迎えしました。
ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。

10万人目のお客様は、倉持英樹さん。本日は奥様の育美さんとご一緒に来館されました。

倉持英樹さんには、当館館長 銭谷眞美より、記念品として特別展図録と本展オリジナルトートバッグを贈呈。
贈呈式には当館広報大使トーハクくんも登場! セレモニーを盛り上げました。


左から倉持英樹さん、倉持育美さん、トーハクくん、当館館長 銭谷眞美

倉持さんは万年筆がお好きでよく字をお書きになるとのことで、特に「祭姪文稿」をご覧になりたいとお話しくださいました。
また、「王羲之が優れていると思っていたが、タイトルにある『王羲之を超えた名筆』を確認したい」という倉持さん、当館には二度目の来館で、奥様とは博物館・美術館によく一緒にお出かけされるとのことです。
ありがとうございます。

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」は、本日も多くのお客様にお越しいただいており、残すところ2週間あまりとなりました。

皆様のご来館を心よりお待ちいたしております。

カテゴリ:news2018年度の特別展

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posted by 柳澤想(広報室) at 2019年02月08日 (金)

 

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」開幕!

1月16日(水)、特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」がついに開幕しました!



2013年に開催した特別展「書聖 王羲之」では書が芸術に達した東晋時代に焦点を当てましたが、本展では書法が最高潮に達した唐時代に焦点を当てます

本展は、現代の明朝体に通ずる筆法を創出した顔真卿[がんしんけい]の作品を中心に、唐時代の書が果たした役割を検証するものです。国内外から名品がずらりと集まっています。
ぜひこの機会に、有名な書の名品を画像や写真ではなく、「実物」をご覧いただきたいと思います。

なぜ「実物」と強調するかと言いますと、書の作品は写真や画像で見ると筆の流れは止まってしまっていますが、実際の作品では筆の流れが生きていて、その筆の流れに込められた感情を追体験できるからです。また、実物を視ることで、作品に込められた筆者の魂や、形を超えたオーラを感じ取っていただけるかもしれません。

それではこの展覧会の見どころを紹介していきます。

みどころその1 
楷書[かいしょ]の美しさに触れる

唐時代に、楷書の美しさが法則化されました。唐時代の楷書は美しく、また、自分にはこんな美しい文字は書けないと思い知らされるような作品ばかりです。



篆書[てんしょ]から隷書[れいしょ]、隷書から楷書へと進化を遂げた過程を踏まえ、楷書の作品をご覧いただきます



九成宮醴泉銘[きゅうせいきゅうれいせんめい] 欧陽詢[おうようじゅん]筆 唐時代・貞観6年(632) 台東区立書道博物館蔵

こちらは楷書の最高傑作として知られている作品の拓本です。例えば1行目、上から3文字目の「宮」の字の「口」をご覧ください。口の1画目と2画目、何も考えないで書いたら1画目と2画目をくっつけてしまうと思いますが、こちらでは1画目と2画目が絶妙に離れています。この絶妙の離れ具合で「口」の風通しがよくなり、「宮」の字全体の美しさが際立ってくるように思います。このように極めて緻密に組み立てられた文字に要注目です。

見どころその2 
拓本を見比べる

本展では拓本の作品を数多く展示しています。拓本は石碑などに刻んである文字を写し取ったものですが、碑面は時間とともに次第に摩滅、損傷していき、写し取った時期によって、同じ作品の拓本でも文字の様子が変わってきます。その違いを見比べて、時の流れを感じることもおすすめです。



先ほど紹介した九成宮醴泉銘の拓本数件展示しています。ぜひ違いを見比べてください


見どころその3
情感の発露に触れる

美しく整った楷書もおすすめですが、筆者の感情がほとばしる書もおすすめです。



重要文化財 行書李白仙詩巻[ぎょうしょりはくせんしかん](部分) 蘇軾[そしょく]筆 北宋時代・元祐8年(1093)大阪市立美術館蔵

蘇軾は宋時代を代表する文人士大夫ですが、顔真卿の書をよく学びました。正直言って、楷書と比べると読みづらいとは思います。しかしながら、独特の右肩上がりの書風は筆力に富み、躍動感が溢れていて、筆者は何を思いながらこの作品を書いていたのかな、筆者はどんな人なのかなと、思いを馳せることで、何が書いてあるか正確に読めなくても作品を楽しめると思います。

見どころその4
天下の劇跡、祭姪文稿[さいてつぶんこう]!



祭姪文稿 顔真卿筆 唐時代・乾元元年(758) 台北 國立故宮博物院蔵 展示風景

そしてなんといっても本展の最大の見どころは、台北の國立故宮博物院から初来日の祭姪文稿です。昨年7月に行った報道発表会でもこの作品について紹介しましたが、思いの揺れを示す生々しい推敲の跡、悲痛と義憤に満ちた情感が溢れた紙面から顔真卿の思いが感じられるかのようです。祭姪文稿の現代語訳は展覧会公式ウェブサイトからご覧いただけますので、祭姪文稿の物語を知ってから、実際の作品をご覧になることもおすすめいたします。

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」の会期は2月24日(日)までです。
平成最後の「顔真卿」、ぜひお見逃しなく!

カテゴリ:2018年度の特別展

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posted by 柳澤想(広報室) at 2019年01月22日 (火)

 

デュシャンをみる〈考える〉ことで、日本美術を考える〈みる〉ことはできようか?

今年は、デュシャン没後50年にあたります。特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」(2018年10月2日(火)~12月9日(日))にも、連日多くの皆さまにご来場いただいており、ありがたいかぎりです。

第1部の展示の最後に《遺作》映像をみ終わると、頭の中は「デュシャン」の世界でいっぱいになって、「デュシャン脳」になってしまったのではないでしょうか。会場隅にある消火器をみても、「レディメイド?」と思ってしまうくらい、デュシャン作品の印象が強く、さまざまな思いがめぐっているのではと思います。

続く第2部「デュシャンの向こうに日本がみえる。」は、当館所蔵の日本美術の作品を展示しています。頭の中が「デュシャン」に占拠されている状態のまま、日本美術の作品をみたらどうなるか、という試みです。日本美術がデュシャンに先じているとか、デュシャンの作品と日本美術を「比較」してどちらが優れているか、という表層的なことを推奨しているわけではありません。

古く日本でつくられたものは、もともと西洋社会と異なる価値観で培われてきたものです。しかしその多くが現在は、美術館や博物館という場所で飾られ、ケースに入れられ、うやうやしく展示する、という形式でご覧になることが多くなっていると思います。
国宝や重要文化財という価値付けがなされているものや、教科書に載っていて多くの人が知っている文化財を、展示室で確認し、安心するということにも意味はあるでしょう。しかし、この展覧会では、また違った視点から日本美術を見てもらえればと思っています。

今回、デュシャンの世界を堪能されるたことで、「作品」「芸術」「アート」「美」ってなんだろう、ということも含めてさまざまに「考えて」いただける機会ですので、第2部ではデュシャンに浸った目を踏まえながら、5つのテーマを設けて各作品を紹介しています。

まず、第2部に向かう通路の突き当たりは「黒楽茶碗 銘 むかし咄」です。


網膜に映る像を拒否する茶碗

第1章「400年前のレディメイド」では、この黒楽茶碗と伝利休作「竹一重切花入 銘 園城寺」を展示しています。利休は唐物という高価な将来品で設えるものであった茶室の世界に、そこいらにあった竹を「ただ」切って花入としたり、また、真っ黒で手の感触が残ったような手づくねの楽茶碗を用いたりしました。利休が示したものは、竹や土がもともと持っていた価値の位相を、著しく変えてしまったといえるでしょう。


意外に大きな竹の筒

第2章「日本のリアリズム」は、浮世絵の中でも異端といえる写楽の作品と、より伝統的な浮世絵版画を合わせて展示しています。
浮世絵に描かれる人物の中でも役者絵は今でいうブロマイド(今時あるのかわからないですが、芸能人の生写真みたいなものでしょうか)で、役者の「かっこいい」姿が期待されます。ところが、写楽はより実物の特徴をはっきりと表して役者の顔を描きました。ちょっと大きすぎる鼻だったり、しゃくれた顎だったり。いまならフォトショで修正するところかもしれません。当時も多くの浮世絵は理想化(修正後)されたステキな姿を表していますが、写楽の役者絵は決してそうした姿ではありません。写楽は目に見えない、役者の内面が現れる表情を写そうとしたのでしょうか。デュシャンは目に見えないものを表現しようとしたかもしれませんが、写楽はそれまでの浮世絵における人物表現の枠から飛び出した役者を描いています。

 
写楽(向かって右)と国政(同左)が描いた同じ四世岩井半四郎。
ご本人はどちらを気にいったでしょうか。


第3章「日本の時間の進み方」は、絵画空間に「時間」を表現した絵巻を取り上げました。第1部第1章の《階段を降りる裸体 No. 2》では、人が階段を降りる様子が1画面に表されています。古く西洋でも同一場面に異なる時間を収めた絵画は、しばしば描かれていますが、近代ではその手法は取り上げられなくなりました。一方、日本の絵巻は古来、長い画面に同じ人物が時間を追って描かれる「異時同図法」と呼ばれる手法で、絵画の中に時間の経過を表しています。絵巻は本来、少しずつ順に開いて場面ごとに見ていくもので、展示しているようにすべての部分を一度に見るものではありません。1場面ずつ見てゆくことを想像しながら横長の絵をみてゆくにつれ物語が動き出すように見えてくる感覚が生じます。


酒吞童子絵巻 巻下(部分) 鬼の首が斬られ、その首が頼光を襲う

第4章は「オリジナルとコピー」です。「コピー」というと「真似」「模倣」として、価値を低くみることもあります。しかし古来芸術家は、ほぼ先達を「倣って」作品をつくってきました。日本の絵画でも、描く主題、またその表し方も「型」があって、絵師はその型を勉強し、繰り返し師匠や私淑する絵師の「作品」を模倣し、描き方と技術を身に着け、自身の作品を生み出しています。西洋絵画でも古典絵画であれば同様です。つまり「オリジナル」は「コピー」であり、その「コピー」もまた次の世代にとっては「オリジナル」となります。つまり、いわゆる「原品」であることが芸術的価値の高さを示すものではないといえます。
デュシャンはレディメイドのレプリカを作り、「デュシャン」という署名を記します(自身で書いたものばかりでない)。サインが、そのレプリカに記されている、ということのほうに大きな意味があります。そして日本の絵画でも作られた作品の形ではなく、「誰」が作ったか(「雪舟」が描いた、など)ということのほうがもっと重要なのです。
 


第4章「龍図」展示風景 (右)俵屋宗達筆 (左)狩野探幽筆

最後は第5章「書という芸術」です。東洋では書は伝統的に造形上の最高位に置かれ、絵画や立体作品の上とされました。
江戸時代の本阿弥光悦は「寛永の三筆」といわれた能書家です。その書は書かれた内容をただ「読む」のではなく、筆勢や墨の濃淡のリズムを感じ、下絵とされた絵との調和を味わう総合芸術となっています。
書は文字であるため、字を読もうとしてしまうのですが、「摺下絵和歌巻」をみてみると、全体の調和や墨色によるリズムもみえてきます。
デュシャンのたとえば《The》という作品で「The」の部分を★に変えたものや、目に映ったものを描いたわけではなく、概念〈コンセプト〉を表した《大ガラス》のような作品
を経験した後だと、字をみて内容を追わない見方も楽しめるかもしれません。


摺下絵和歌巻(部分)本阿弥光悦筆 
「袖」の字など濃い墨で書かれ、画面構成にリズムを生んでいる
 

デュシャンを通して日本美術をみる、あるいはその後もう一度、デュシャンに戻って考える、など、さまざまな「視点」から、デュシャンと日本美術をみて、考える楽しみを味わっていただければ、と思います。

デュシャンをきっかけにトーハクをより楽しんでいただければ幸いです。

 

カテゴリ:2018年度の特別展

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posted by 松嶋雅人(研究員・本展ワーキンググループチーフ) at 2018年11月30日 (金)

 

見逃せない!「デュシャン 人と作品」(The Essential Duchamp)

東京は秋も深まり朝晩は結構冷えます。トーハクでは、本館北側の庭園を開放、紅葉には早いですが日本の秋の風景をご堪能いただけます。

秋、といえば、芸術の秋。トーハクでは12月9日まで、東京国立博物館・フィラデルフィア美術館交流企画特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」を開催中です。準備段階のブログを1-2本上げたきりで肝心の中身を紹介しないままでおりましたら、すでに、新聞記事やテレビ番組、WEBサイト等でご紹介いただきありがたい限りです。そんな中、今さらではありますが、本展第1部「デュシャン 人と作品」展のおススメポイントなどご紹介したいと思います。

マルセル・デュシャン、というと、《泉》があまりに有名で、デュシャンの展覧会をやっている、と人に話すと「ああ、便器の…」といった反応があることもしばしばです。

しかし、「デュシャン 人と作品」展は、《泉》だけでなくもっと幅広くデュシャンの作品や活動、ひいては彼の人生や人となりについて知ることができる展示内容になっています。このような展覧会構成が可能となったのは、フィラデルフィア美術館のデュシャン・コレクションが質量ともに大変充実したもので、彼の人生を語るのに足る初期から晩年までの作品や写真、関係資料を幅広く所蔵しているからです。
フィラデルフィア美術館のティモシー・ラブ館長が何度かアジアを訪れた中、アジアにおけるデュシャンの影響力の大きさと、特に日本の熱心な研究者やファン(デュシャンピアン)の存在を知り、アジアを廻る国際巡回展として構想しました。当館とフィラデルフィア美術館は長年の交流があり、まず当館にご提案をいただきました。その結果、当館との交流展として第2部とともに実施、そのあと第1部のみソウル、シドニーを巡回します。

では、各章の「見逃せないポイント」(勝手ながら)をご紹介します。

第1章「画家としてのデュシャン」からは、彼が15歳の時初めて描いた油彩画《ブランヴィルの教会》です。

デュシャンというと、前述の《泉》など、とかく変わったことをした、というイメージがあるように思いますが、キャリアのはじめは画家でした。この作品は、当時フランスで大流行の印象派風の作品で、自宅から見た近所の教会を描いたものです。彼が洗礼を受けたのもこの教会で、会場にはデュシャンの生家と教会の写真も展示しています。デュシャンのキャリアのはじまりとして、見逃せない作品です。


第2章は、「『芸術』でないような作品をつくることができようか」と題し、カンヴァスに油絵具で描くという伝統的な絵画から離れた作品を紹介しています。
平成館展示室の広い空間の中で大きな存在感を放つのは、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》、通称《大ガラス》のレプリカです。


《彼女の独身者たちに裸にされた花嫁、さえも》(《大ガラス》) 1980年(レプリカ 東京版 / オリジナル1915-23)展示風景 東京大学駒場博物館蔵
© Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018  G1599


このレプリカは、デュシャンの死後、東京大学で、オリジナルが制作された過程を追体験することを目的として、できる限りオリジナルと同じ技法・素材でつくられました。世界で3番目に制作されましたが、欧米以外ではこの東京版しかなく大変貴重なものです。作品保存上の理由で輸送が難しいことから、東京会場にのみ出品が許可されました。
ちなみに、フィラデルフィア美術館にある本物は、同館の展示室床に固定してあるため移送できません。

上下2つのパートに分かれ、上が花嫁、下が独身者の装置を表します。各部分が何を表しているかは、駒場博物館の《大ガラス》展示パネルでご紹介いたします。

1. 花嫁/雌の縊死体 2. 銀河/高所の掲示 3. 換気弁 4. 9つの射撃の跡 5. 花嫁の衣装/水平線 6. 独身者たち/9つの雄の鋳型/制服と仕着せの墓場 (a)僧侶(b)デパートの配達人(c)憲兵(d)胸甲騎兵(e)警官(f)葬儀人夫(g)カフェのドアボーイ(h)従僕(i)駅長
7. 水車のある滑溝 8. 毛細管 9. 漏斗 10. はさみ 11. チョコレート摩砕器 12. トボガン(未完成の要素) 13. 眼科医の証人/検眼表/マンダラ
(出典:東京大学駒場博物館解説パネル)

性的な主題を扱った作品で、下の真ん中に描かれているチョコレート摩砕器を描いた作品も近くに展示しています。

原品の《大ガラス》は、過去に展覧会に出品された後、輸送途中で破損し、大きなひび割れがあります。今回出品のレプリカにはそのひび割れがないので、かなり違った印象かもしれません。原品は、レプリカの近くに写真でご紹介しています。

この同じ部屋には、《瓶乾燥器》および《泉》のレプリカ、また、《エナメルを塗られたアポリネール》《秘めた音で》のオリジナルが並び、レディメイドの作品を各種ご紹介しています。《泉》はできれば露出展示したかったのですが、作品保存上の理由でフィラデルフィア美術館からOKが出ず、ケース内展示となりました。東京の後2会場廻ることを考えるとやむを得ないことでしょう。




第3章「ローズ・セラヴィ」では、芸術作品自体の制作からも離れ、チェスや出版物、また自身の作品のミニチュア版レプリカの制作などに取り組んでいた時期を紹介しています。

ローズ・セラヴィというのは、デュシャン自身が女性としての別人格として名乗った名前で、この名前で言葉遊びや目の錯覚を利用したものをつくっています。デュシャンはハンサムな人だと思いますが、女装した姿も美しいです。

また、チェス・プレイヤーとしてもかなり有名であったデュシャンは、チェス大会のポスターや、チェスについての出版物の制作もしており、それら印刷物も展示しています。

このセクションにある「ロトレリーフ」という、厚紙でできた円盤は見て楽しい一品です。

ロトレリーフ展示コーナー

本来はレコードプレーヤー(当時で言えば蓄音機の回転盤)に載せ、ゆっくり回転させて、ぐるぐる回る画像が立体的に見えるのを楽しむ、というもので、発明大会のようなイベントで販売されました(売れなかったようです)。会場では、円盤自体とともに、回転する様子が見られるように作られた装置(ロトレリーフ・ボックス)を展示しています。意外に速く回っているような気がしますが、眺めているとなんとなく和みます。ただし、あまり長くみているとふらっとしてしまうのでご注意ください(実際会場で、ふらっとしてしまった来館者の方をおみかけしました。)その上部の「アネミック・シネマ」という実験映画(マン・レイとの共作)も回っているので、上下で回るイメージが不思議なコーナーです。

第1部最後は、デュシャンの死後発表された《与えられたとせよ 1. 落ちる水 2. 照明用ガス》、通称《遺作》を紹介する第4章「《遺作》 欲望の女」です。こちらでは、《遺作》の制作に向けたオブジェや写真のポジなどのほか、1950年代以降、デュシャンの回顧展が欧米の主要な美術館で開催されたときの写真を壁一面に展示しています。

第4章展示風景

《ドン・ペリニヨンの箱》(写真右下ケース内)は、《遺作》のステレオ画像を制作するためのポジやメモをシャンパンの入っていた空き箱に入れたものです。写真はどれも《遺作》に表された風景と女性のマネキンを写したものですが、このポジの中に1点だけ変わったものを持ったものがあります。先日現代美術家の藤本由紀夫さんが会場をご覧になった際に教えていただきました。
会場でぜひ探してみてください。原資料ならではの面白さです。

今回、第1部はいつもより解説文が長く、また完全和英対訳となっています。元が英文でそれを日本語に訳しました。普段の特別展では、特に英文では、これだけの解説を付けられていないので、ぜひゆっくり読んでみてください。

フィラデルフィア美術館は現在大規模改修プロジェクトの真っ最中ですが、デュシャンの展示室には《大ガラス》《遺作》は常時展示してあります。とはいえ、これだけ幅広くデュシャン作品や関係資料を日本で観られるチャンスは、そうそうないと思いますので、ぜひお見逃しなく、何度でもお運びください!

フィラデルフィア美術館 ティモシー・ラブ館長からも一言

 ラブ館長のインタビュー動画はこちら

 

カテゴリ:2018年度の特別展

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posted by 広報室 鬼頭 at 2018年11月21日 (水)

 

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