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日本のたてものの「校倉造」

特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」では、文化庁が「模造事業」としてこれまで製作を行ってきた国宝・重要文化財の木造建造物の模型を中心とした展示を通して、古代から近世までの日本建築の成り立ちを紹介しています。
模型以外にもパネル展示も行っていますがご覧になりましたでしょうか。
パネル展示をしている正倉院正倉模型と唐招提寺宝蔵模型はともに校倉造ですが、今回は校倉造について紹介します。

正倉院正倉 1/10模型 平成16年(2004) 文化庁蔵
※会場では模型は展示していません



唐招提寺宝蔵 1/10模型 昭和39年(1964) 東京国立博物館蔵
※会場では模型は展示していません


校倉造は木材を水平に積み重ねてその上に屋根を載せるので、柱が無い建築構造で、日本建築では特異な存在です。
世界でも特異な存在ですが、ログハウスと呼ばれて北欧の伝統建築では一般的な構造です。

ノルウェーのログハウス倉庫(17世紀、ノルウェー民俗博物館)


じつは、会場の表慶館の裏側に抜けて外に出ると、校倉造の建物があるのです。
重要文化財 旧十輪院宝蔵がそれで、鎌倉時代に建てられ、明治15年に奈良の十輪院から東京国立博物館に移築されました。

重要文化財 旧十輪院宝蔵(校倉)
※柵の中にはお入りいただけません

小さな建物ですが模型ではありません。床下を塞ぐように十六善神像を線刻した石をはめ込む、特異な校倉の中でも仏堂色の強い、さらに特異な校倉です。是非ご覧ください。

校倉造は、木材を隙間無く積み上げる都合上、まっすぐな木材が必要です。
その点において針葉樹は、まっすぐな木材が得られやすいので校倉造に向いています。
世界を見ても北欧のような北国や、中国雲南省北部のような高山地帯など、針葉樹が多い地域にログハウスは多いのです。
しかし、旧十輪院宝蔵をはじめとして日本の校倉のように、木材を断面三角形(厳密には五角形)に精密に仕上げて意匠に優れたログハウスは海外に例を見ません。
展示中の長寿寺本堂(模型)などの優美な檜皮葺も、針葉樹であるヒノキの樹皮を利用したものですが、樹皮葺屋根をここまで美しく昇華した建築は海外にはありません。

長寿寺本堂 1/10模型 昭和62年(1987) 国立歴史民俗博物館蔵


日本人がどのように針葉樹を活かしたか、「日本人と自然」・「日本の美」の一端を垣間見られるポイントです。

※本展の入場は事前予約が必要です。展覧会公式サイト等でご確認ください。

カテゴリ:2020年度の特別展

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posted by 黒坂貴裕(文化庁文化財調査官) at 2021年02月10日 (水)

 

特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」を紹介するほ!



2020年12月24日(木)から特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」を開催しています。
トーハクくんとユリノキちゃんが会場の様子を紹介します。

ほほーい、ぼくトーハクくん! 早速だけど今から特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」を見にいくほ。事前予約も済ませてあるからバッチリだほ!
トーハクくん、どんな展覧会か知っているかな?
模型が展示してあることは知っているけど、あまり知らないほ。
この展覧会は国立科学博物館と国立近現代建築資料館とトーハクの3会場で開催しているのよ。
ほー。3会場に分かれているってことは、それぞれ違う模型を展示しているほ?
そうよ、国立科学博物館は「近代の日本、様式と技術の多様化」、国立近現代建築資料館は「工匠と近代化―大工技術の継承と展開」、そしてトーハクは「古代から近世、日本建築の成り立ち」、それぞれのテーマに沿ってそれぞれ模型を展示しているわ。

どの会場でもいろんな模型が見れそうだほ。
トーハクでは、国宝や重要文化財などの木造建造物の模型を展示してるわ。自然素材を駆使する伝統的な技と知恵を、模型を通じて鑑賞することができるのよ。
なんだか、日本のたてものならではの造形を見ることができそうだほ。
それじゃー、見に行きましょうか!

会場は表慶館だほ、さっそく大きな模型がお出迎えしてくれてるほ。


画像左:一乗寺三重塔 1/10模型 昭和50年(1975) 国立歴史民俗博物館蔵
画像中:法隆寺五重塔 1/10模型 昭和7年(1932) 東京国立博物館蔵
画像右:石山寺多宝塔 1/10模型 昭和38年(1963) 東京国立博物館蔵


これらはお寺の搭の模型だわ。法隆寺五重搭の模型には、製作した工匠の、法隆寺に伝わる飛鳥時代の木匠の技を継承する「最後の宮大工」と言われた西岡常一さん(1908~1995)の名前が記されているのよ。
まさに日本の伝統的な技の粋だほ! 一番下の階の扉が開いていて、中も見れるほ!


法隆寺五重塔の内部に作り込まれている塔本塑像も見ることができるわ! 
模型の内部も見どころよ。この機会にしっかり見ましょうね。


ユリノキちゃん、見て見て! 真っ二つだほ。


唐招提寺金堂 1/10模型 昭和38年(1963) 東京国立博物館蔵

唐招提寺は鑑真が開基して、金堂は8世紀末頃に建立されたのよ。もちろん、模型も奈良後期の建築様式を正確に表しているわ。


模型内部の様子がよーく見えるほ

お、これは今にも鐘が鳴りそうな模型だほ。


東大寺鐘楼 1/10模型 昭和41年(1966) 東京国立博物館蔵

本物の鐘も大きいけど、模型でも大きいわね。がっしりとした構造と、軒下と柱の間の装飾はそれぞれ異なる建築様式が取り入れられていて、珍しい建築らしいわよ。

2階にいくほ。お、なんだか雰囲気が少し変わったほ。


春日大社本社本殿 1/10模型 昭和62年(1987) 国立歴史民俗博物館蔵

仏塔から神社のコーナーにきたからだね。これは奈良の春日大社本殿の模型よ。
日本のたてものでよく見る屋根の形しているほ。
切妻【きりつま】造っていうのよ。正面に庇【ひさし】がついているのも神社でよく見るわね。



これは昔のうちだほ?


登呂遺跡復元住居 模型 東京国立博物館蔵

昭和18年に発見された弥生時代の登呂遺跡の住居を復元した模型だわ。
何か教科書で見たことがある気がするほ。
弥生時代の暮らしの様子が思い浮かぶわね!

これはお茶室みたいに見えるほ。


如庵 1/5模型 昭和46年(1971) 国立歴史民俗博物館蔵

織田有楽斎が元和4年(1618)に建てたお茶室よ。国宝のお茶室は少ないから、代表例として製作された模型なの。間取りも特徴的だから内部もよく見てみましょうね。

2階建てだほ。これも家とかを二つにわけた模型ほ?


東福寺三門 1/10模型 昭和54年(1979) 国立歴史民俗博物館蔵

門の模型よ。1階にも2階にも屋根がある二重門と呼ばれる造りよ。本物の高さ22メートルが伝わるような、とてもスケールの大きい模型だわ。

これはぼくでもわかるほ。お城の模型だほ。


松本城天守 1/20模型 昭和38年(1963) 東京国立博物館蔵

姫路城天守とともに五重天守の代表的な建築よ。ここでは、交易によって城下町が栄えた城郭を紹介しているわ。
これだけほ?
平成館ガイダンスルームにあるよ。


首里城正殿 1/10模型 昭和28年(1953) 沖縄県立博物館・美術館蔵

沖縄県外に初出品の首里城正殿の模型よ。2019年10月に首里城正殿は焼失したけど、この展示を通して、首里城復興に思いを馳せていただきたいわ。
松山城とは同じお城でも雰囲気が全然違うほ!
琉球建築として独特の手法が使われているのよ。
説明してほ。
もう時間もないからここで終わりよ。特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」は2021年2月21日(日)まで開催しています、ご観覧には事前予約が必要なので、展覧会公式サイトをご確認ください。
(逃げたほ・・・)

※国立科学博物館会場は1月11日(月・祝)で閉幕、国立近現代建築資料館会場は2月21日(日)で閉幕いたします。

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん2020年度の特別展

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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2021年01月06日 (水)

 

並べて比べた花鳥図のみどころ

特別展「桃山―天下人の100年」も後期になりました。
10月末には、樹木を描いた狩野永徳筆「檜図屛風」、長谷川等伯筆の「松林図屛風」と「楓図壁貼付」が並んでいました。金地濃彩の「檜図」と「楓図」が力と華やかさを対比させて燦然とした光を放つ桃山らしいゴージャスな競演でしたが、その間に、柔らかい光と空気感を宿した「松林図」がこの時代の別な一面を見せていました。
これで、利休の侘茶につながる。展示企画者としては、ちょっと安堵の思いで見ていたのですが、11月3日からの展示では、「檜図屛風」に代わって「唐獅子図屛風」が展示されました。
大きさと迫力、「これぞ桃山!」が登場し、あたりは二頭の獅子に食われてしまった感があります。「松林図」の深く静かな世界が、などと言ってはいられません。松林図って小さいのもあったの?と質問される始末です。やっぱり「唐獅子図屛風」が時代を代表する1点だったと思わざるをえません。



右 唐獅子図屛風 狩野永徳筆 安土桃山時代・16世紀 東京・宮内庁三の丸尚蔵館蔵
左 国宝 松林図
屛風 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵


さて、この展覧会は、室町時代末から江戸時代初めにかけての100年間の美術を通して、我々が桃山文化と言っている「桃山」ってどんなもの?かを感じてもらおうという企画です。
それなら、100年を並べて比べて見ようというのが、実は面白いところ。11月3日からは、「変革期の100年―室町から江戸へ―」のコーナーに、室町時代に狩野派の基を築いた狩野元信(1477~1559)、その孫で桃山画壇の寵児、狩野永徳(1543~90)、永徳の孫で江戸狩野のスタイルを作り出した狩野探幽(1602~74)の、それぞれ代表作とされる水墨画の花鳥図が並びました。永徳はおじいさんの元信にかわいがられ、そのスタイルをまねて絵の勉強をしたはずです。
今展示されている「花鳥図襖」に続く別の襖には、右側に展示中の元信筆「四季花鳥図屛風」をもとにした描かれた図が続いています。そちらを展示すれば元信と永徳が比べ易いのにと言われそうですが、今回は、名古屋城の探幽筆「雪中梅竹遊禽図襖」と比べてもらうことを優先して展示しました。



右 国宝 花鳥図襖 狩野永徳筆 室町時代・16世紀 京都・聚光院蔵 
左 重要文化財 雪中梅竹遊禽図襖 狩野探幽筆 江戸時代・寛永11年(1634) 愛知・名古屋城総合事務所蔵



図版などの写真でも、木の枝ぶりなどその類似や影響関係が指摘できる一方、永徳の豪放と探幽の瀟洒と言われる画風の違いが際立って感じられます。それが桃山狩野派と江戸狩野派の違いです。と、言うのが常ですが、二つが並んだ時、一緒に展示作業をしていた室町絵画を専攻している高橋研究員と奇しくもオゥッ!!と、声をあげてしまいました。「本当によく似てる。絶対に見てたね。」と、違いよりも「同じ、同じ」感が沸き起こり、ちょっと興奮気味に騒いでしまいました。もちろん探幽が永徳の作品を見て描いたとの共感です。
写真では、同じサイズで見てしまいますが、実際は、名古屋城の襖のほうが一回り大きいのです。それが永徳に負けない迫力を生み出しています。瀟洒という思い込みではなく、力強さもある作品だと感じた瞬間でした。
大きさや質感、光の影響。本物を見て感じることの大切さと深さ。この時代にこそ、その重みが増しているように思います。


 

カテゴリ:2020年度の特別展

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posted by 特別展「桃山」担当 田沢裕賀(学芸企画部長) at 2020年11月13日 (金)

 

茶の湯のやきものを通して「桃山」に開眼!

前回の打刀のお話につづきまして、やきもの担当の三笠より特別展「桃山-天下人の100年」の茶陶の見どころについてお話しいたします。

さまざまな分野から「桃山」に迫ったこの展覧会。私もとても楽しみにしていた作品がたくさんあります。
たとえば「洛中洛外図屛風」の名品群。京都市中の景観と風俗を描いた図を楽しむには、まず天下人になった気持ちで俯瞰する眼と、虫メガネで見るような超微視的な眼、二種類の視点が必要なのだと、実物を目の前にして強く感じ入りました。

空間構成を破綻させずに、グググっと「個」のレベルまでズームアップできる絵師たちの力量もさることながら、当時の人びとの精確なモノの見方に驚かされます。
乱世を生き抜くには、理非を見分けるだけでなく、マクロかつミクロの視野が必要だったのでしょうか。
金雲に覆われた殷賑な都市の図には、この時代特有の高揚感とともに、隅から隅まで緊張感が張りつめているように感じられ、少し息苦しい気もしました。



国宝 洛中洛外図屛風(舟木家本)岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵


じつは同じような視線は、当時流行した茶の湯の道具にも向けられました。
当時の茶会記には、茶人たちが道具をその場で記憶し、記録した様子をみてとることができます。

例えば、天正14年(1586)12月19日に開かれたとされる津田宗及(つだそうぎゅう、?~1591)の会。
参席した博多の豪商神谷宗湛(かみやそうたん、1551~1635)は、四畳半の茶室の床に掛かった牧谿(もっけい)の軸の表装、絵の様子、賛、印について、さらに釜、茶碗(薄茶は高麗茶碗、濃茶は天目とある)、棗、袱紗、手水鉢、水指、建水、蓋置に至るまで、詳細を記録しています(『宗湛日記』より。展示予定はございません)。

天目については、次のように記されています。
「一天目、口三寸七八分、高二寸二三分、式の高一分半ほどに、外の薬はげ高にかかる、下の薬は白く黄うすようなるに、上薬黒き内に、しじらの如くにして、ちぼちぼと上に星の如く細いひかるようなるものあり、内に茶置一段くぼく、そばに細き木の枝の如くなる少高き白けたるものあり、底に朱の印のあとが少残る、そこの面落つ、白ふくりん」

口径は14㎝くらい、白みがかった黄色の釉の上に黒釉というように、釉薬は二重に掛かっていたのでしょうか。「しじら(縮緬)のように星のように光る」というのは釉の変化の様子を表しているよう。
また、見込みには茶溜りと、「細い木の枝のような」焼成時の付着物か削りの痕か、何か特徴があったらしいことがわかります。さらに口には銀か何か金属の覆輪が施されていたようです。
千利休、今井宗久(いまいそうきゅう)とともに天下の茶人として名を馳せた宗及が、唐絵に取り合わせた天目の姿、だんだんと目に浮かんできます。

このように、茶会において一期一会であった道具ひとつひとつ、形だけでなく、寸法、土や釉の色、質感を一瞬で把握するのは容易なことではありません。メモ書きを後から整えたであろうとはいえ、これだけ生き生きとした描写は、若き神谷宗湛にも相当に鍛えられた眼があってのことでしょう。
また、道具個々の良し悪しの判断は、多くのモノを見知った目利きだからできるもの。

まさに全体を把握する俯瞰的視点と、至近距離から捉える視点、どちらも必要なのです。
そうした眼力を持ったうえで、より良い道具を手にすることが、当時の茶人のステイタスであったと考えられます。



灰被天目(はいかつぎてんもく) 中国 元~明時代・14~15世紀 東京国立博物館蔵 
室町将軍家のコレクションの評価と飾りの次第についてまとめた『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』によると、灰被天目は「常用」、つまり日用に使う茶碗として、将軍には必要のないものといいます。
しかし、堆朱の台に載った姿は凛として、曜変や油滴の華やかさとは異なる威風を感じさせます。神谷宗湛になった気持ちで、360度じっくりご覧ください!



では、この「より良い道具」とは何でしょうか。

私は、「高麗茶碗」こそ、桃山茶人の眼を映すきわめて重要なカギではないか。「より良い道具」を求めた茶人たちが高麗茶碗に目を向けたことが、茶の湯の歴史、そして日本のやきものの歴史をより豊かなものに導いたのではないか、と考えています。

高麗茶碗に「雑器」のイメージを持っていらっしゃる方も多いでしょう。たしかに、16世紀の日本で見立てられた高麗茶碗とは、朝鮮半島で日用に焼かれた器であったと考えられています。釉薬の掛け残しがあったり、大きく歪んでいたり、粗野なつくりが印象的です。かつて私自身も、武将たちが覇を競った時代に見いだされた茶碗であるから、力強い豪放な作風が好まれたのだろう、と十把一絡げに考えていました。

ところが、高麗茶碗にはじつに豊富な種類があり、それぞれに個性があることを特別展「茶の湯」(2017年 東京国立博物館)で知りました。
薄く鋭い茶碗もあれば、おっとり柔らかな印象の茶碗、釉色が華やかで典雅な茶碗もあり、表情はさまざまに異なります。そうやって一碗一碗比べてみると、何の変哲もない器に見えた東京国立博物館所蔵の「有楽井戸(うらくいど)」、なんとも穏やかに映るのです。



大井戸茶碗 有楽井戸 朝鮮 朝鮮時代・16世紀 東京国立博物館蔵


この茶碗を所持した織田有楽斎(おだうらくさい、1547~1621)といえば、あの信長の弟。厳しい世を生き抜いた人物がこんな優美な茶碗を手にする姿を想像してみると、茶の湯がより豊かで奥深いものに見えてくるでしょう。まさに「桃山」に開眼!
ぜひ展覧会で、心に響く茶の湯のやきものを見つけてみてください。


同時開催
特集「破格から調和へ―17世紀の茶陶」本館14室 ~11月29日(日)
8Kで文化財「ふれる・まわせる名茶碗」東洋館1階ラウンジ 11月10日(火)~11月23日(月・祝)(「ふれる・まわせる名茶碗」についてのブログはこちら

カテゴリ:2020年度の特別展

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posted by 特別展「桃山」担当 三笠景子(特別展室主任研究員) at 2020年11月05日 (木)

 

比べて、並べて!「洛中洛外図屛風」のみどころ(絵画編)

前々回のブログに続いて、特別展「桃山-天下人の100年」に関連するお話を。

▼100年間の表現の変化を追う
本展覧会では、同じ時代の作品を横並びに見るだけではなく、前後の時代とも比べていただくことで、それぞれの特徴を感じていただけるのではないかと考え、同じ主題や素材を使った室町時代、安土桃山時代、江戸時代のものを並べるというコーナーをいくつか作りました。

絵画ですと、洛中洛外図、源氏物語図、韃靼人狩猟図などのコーナーがそれにあたります。どれもオススメですが、このうち私が最も興奮したのは、展覧会冒頭の洛中洛外図屛風コーナーです…!現存する洛中洛外図屛風のうち、最も古い「歴博甲本(旧町田本)」(千葉・国立歴史民俗博物館蔵、重要文化財)と、二番目に古い「上杉家本」(山形・米沢市立上杉博物館蔵、国宝)、そして名前こそ洛中洛外図ではありませんが同じく京中を描く「聚楽第図屛風」(東京・三井記念美術館蔵)の3つが、至近距離で並びます。



桃山展 第1会場展示風景(11月1日まで)


「洛中洛外図屛風」は京の市中と郊外を描いた屛風で、室町時代後期から幕末まで長く描かれ続け、現在100件以上の作品が残っています。このうち歴博甲本と上杉家本は最も古いツートップであるだけでなく、人々のイキイキとした様子、景観の精緻さ、保存状態の良さなど見どころ満載で、日本絵画史だけでなく、さまざまの分野の専門家が大注目している作品なのです。そのふたつが、こんな至近距離で並ぶなんて…!自分もついお客様と同じ目線になってウルウルと感動してしまいます。

今回は、私の記憶にある限りでは初めての光景ですので、ふたつを並べて感じたことを書いてみたいと思います。



▼ふたつの洛中洛外図屛風
洛中洛外図屛風は京を地図のような正確さで描こうとするのではなく、注文主のリクエストによって建物のセレクトや扱いの大きさ、構図などが異なります。また時代ごとの新しいランドマークをドンドン取り入れる傾向があるので、時代を映す鑑のようでもあります。

歴博甲本は、向かって右に鴨川や内裏を、左に北山や嵐山、将軍や有力武家の邸宅などを描き、内裏(天皇や公家)と将軍家などを対比する構図になっています。もともと1520年ごろの景色を描いているのではないかと考えられていましたが、近年、大永5年(1525)に細川高国が将軍足利義晴のために造営し、ほんのわずかな期間だけ使用された「柳の御所」が描かれていることが明らかになり、高国が描かせたのではと話題になりました。

対する上杉家本は、「狩野永徳が描き、織田信長が上杉謙信に贈った」と記録されているもので、現代まで大切に守られてきた上杉家の家宝のひとつです。こちらも近年新しい史料が紹介され研究が進んだことで、現在では多くの研究者から「永禄8年(1565)に将軍足利義輝が狩野永徳に描かせ、上杉謙信に贈ろうとしたもの」であると考えられています。


▼印刷物ではわかりにくい違い
それでは実際に両者を並べてみるとどんなことに気がつくでしょうか。まず目に飛び込んでくるのが屛風サイズの差です。歴博甲本は縦138.2cm、上杉家本は160.4cmと、歴博甲本が20cm近く小さいことがわかります。室町時代の屛風は、安土桃山時代や江戸時代の屛風に比べて総じて少し背が低いことが知られており、この辺りからも年代の差を読み取ることができます。

次に気がつくのは金色の差です。歴博甲本がほんのりと穏やかに輝くのに対して、上杉家本は光を強く反射して画面全体が輝いているかのようです。
歴博甲本が金粉を絵の具のように溶かした金泥を主体に、輪郭線を明確にしない雲や霞のようなものを描いているのに対して、上杉家本は地面にも金雲にも金箔を使い、雲の輪郭にはさらに金泥を塗り重ね、箔の重なりや金泥との境目がわかりにくくなるように磨いてあります。金泥よりも不純物の少ない金箔はよく光りますし、磨けば磨くほどその輝きは増します。上杉家本はあらゆる方法を駆使して、画面全体が光り輝くよう工夫しているのです。歴博甲本の金泥による雲や霞の表現は室町時代によくみられる技法ですが、上杉家本はそこから離れ、より輝きを強調し、華々しい京の表現を目指しているといえます。

このほかにも、どこからの視点で構図が出来上がっているか、四季の表現や季節の行事をどのように埋め込んでいるかなど、作品の前に立つと気がつくことはたくさんあると思います。今回は前期展示の2作品について取り上げましたが、11月3日(火・祝)からはじまる後期展示でも、このような視点を持ちながら御覧いただければ、いつもと少し違った楽しみ方をしていただけるのではないでしょうか。

そして最後にもうひとつ。第2会場にて展示中の「日吉山王祇園祭礼図屛風」(東京・サントリー美術館、11月1日まで)の左隻(祇園祭礼図隻)も、洛中洛外図屛風と同様、京の市中を描いたものです!こちらは室町時代末期の土佐派によるもので、歴博甲本の後、上杉家本の少し前の作品と考えられています。少し離れていますが、こちらも併せて比べて見ていただければ、と思います。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2020年度の特別展

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posted by 特別展「桃山」絵画担当 金井裕子(平常展調整室主任研究員) at 2020年10月31日 (土)

 

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