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1089ブログ

大名婚礼調度の役割

こんにちは。東京国立博物館の猪熊です。
このたび平成館の企画展示室にて、特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」(2023年9月18日まで)を開催して、江戸時代の大名の婚礼調度をご覧いただいております。

特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」展示会場風景 打掛、乗物が展示されている写真
特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」展示会場 竹菱葵紋散蒔絵の道具の写真

特集「姫君婚礼につき―蒔絵師総出の晴れ舞台」展示風景

私は、工芸品の歴史を研究しているのですが、博物館の展示をご覧になると分かりますように、工芸品にはおもに形状・技法・意匠といった見どころがあります。なので、その研究には、まずは美術史的な観点があります。
ところで、現在はケースのなかできれいに展示されている工芸品も、かつては鑑賞のためばかりでなく、実際に使用するために作られたものであったことは申すまでもありません。したがって、工芸品の研究については、生活史的な観点からも考えなければなりません。

工芸品の使用については、衣食住などでの実用的な機能ばかりでなく、時代や社会ごとの制度や常識といった枠組みのなかでの社会的な機能もあります。前近代のような階層社会では、身分ごとに使用できる服飾や調度が定まっており、逆に言えば、服飾や調度には使用者の地位を示す役割もありました。現代でもドレス・コードという取り決めがありますが、その他にも、たとえば指輪というアクセサリーはファッション・アイテムですが、これを左手の薬指に付けると、装身具としての機能に加えて、既婚であるという使用者の社会的状況を示す場合があります。そのことは特に法律などで定めているわけではなく、その常識を共有する人々だけが読み取れるコードです。日本では、婚姻は婚姻届によって法的に承認されるのですが、新郎新婦のまわりにいる人々は、結婚式や披露宴に参加して新郎新婦が紋付袴や花嫁衣裳あるいはタキシードやウェディング・ドレスを着ている姿を目撃して祝福することで、社会的に承認する心理もありうるでしょう(近年は多様な仕方があるので、いささかステレオタイプなたとえですが)。

結婚は、人類にとって最古のルールのひとつとされています。聖書のアダムとイブの物語や、中国神話の伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)の伝説のように、日本神話では世界のはじまりに続いて、イザナギ男神とイザナミ女神の結婚の物語があり、そこでは男から女に求婚する作法が説かれています。
古代日本の結婚は「妻問い(つまどい)」といって男が女の家に通う方法で行われ、その求婚は夜中に忍んで通うことではじまり、男のほうでは、まわりに気付かれないように頭にかぶった烏帽子(えぼし)を御簾(みす)にひっかけないとか、扉や襖を開けるときには軽く持ち上げて音を立てたりしないような配慮をするのがマナーでした。
やがて武家が台頭するにつれて、男の家に女を迎える嫁取婚(よめとりこん)という方法が行なわれるようになります。さらに大名の家どうしの政略結婚が行なわれるようになると、姫が輿(こし)に乗って嫁いでゆくようになり、輿入れ(こしいれ)という婚礼の作法が発達しました。


将軍家の姫の輿入れ
徳川種姫婚礼行列図(とくがわたねひめこんれいぎょうれつず)(部分)
山本養和筆 江戸時代・18~19世紀
徳川将軍家の種姫が紀州徳川家に嫁いだ際の、江戸城から赤坂にあった紀州藩邸までの輿入れの行列を描いた図。


そして輿入れが華やかに演出されるよう、化粧具・文房具・遊戯具などから構成される豪華絢爛な婚礼調度が製作されました。なかでも名高いのは、徳川将軍家の千代姫(ちよひめ)が、尾張徳川家に嫁いだ際に製作された「初音蒔絵婚礼調度」(徳川美術館所蔵)でしょう。これは『源氏物語』「初音(はつね)」巻を題材とする意匠が高度な蒔絵技法で表された調度群です。細やかな情景意匠に目を奪われて、つい見落としてしまうのは三つ葉葵(みつばあおい)の家紋です。当時の婚姻は、現行憲法が定める「両性の合意のみに基づいて成立」するような個人を重んじるものではなく、家と家との結びつきであれば、家紋こそが婚礼調度の果たす役割を象徴していたのです。

このたびの特集では、紀州徳川家の豊姫(とよひめ)が11代将軍・徳川家斉(いえなり)の七男・斉順(なりゆき)と結婚した際の婚礼調度を展示しています。この婚礼調度は『源氏物語』などの文学意匠ではなく、梨子地(なしじ)に竹菱文(たけびしもん)が均一的に表されて、三つ葉葵紋が散らされています。


豊姫婚礼調度 江戸時代・文化13年(1816)
東京国立博物館には「豊姫婚礼調度」として化粧具や遊戯具など35件が伝わりますが、分散したものもあり、本来はもっと大規模なまとまりであったと考えられます。

竹菱葵紋散蒔絵提重(たけびしあおいもんちらしまきえさげじゅう)
(豊姫婚礼調度のうち)
梨子地に竹菱文を表して、徳川家の家紋である三つ葉葵紋を配する。


「なんだ、同じ文様ばかりか」と物足りなく思われるかもしれませんが、繁殖力が強い竹には子孫繁栄の意味が込められており、当時の婚礼の真意を示す意匠といえます。
豊姫の婚礼調度を見ていると、単調な竹菱文と家紋ばかりのためか、大名の婚礼調度が単なる生活用具などではなく、また鑑賞品でもなく、家と家との結び付きと繁栄という究極の目的が良く理解されるように思われます。

 

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 猪熊兼樹(保存修復室長) at 2023年08月23日 (水)

 

古代メキシコの遺跡を体感!

皆さまこんにちは、特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」担当研究員の山本です。
本展も残り期間が少なくなってまいりました。
このブログでは展覧会で取り上げているなかから、見逃せない2つの遺跡をご紹介しましょう。
 
まずはなんといってもテオティワカンです。
首都メキシコシティから20kmほど北東にある世界遺産にも登録されている遺跡です。
長さ3.3kmの「死者の大通り」と3つのピラミッドをもとに整然とした都市が築かれました。
本展覧会の監修である杉山三郎先生(岡山大学特任教授、アリゾナ州立大学研究教授)が長年調査に携わってこられた遺跡でもあり、今回の特別展では「死のディスク石彫」などメキシコ国立人類学博物館の有名作品をはじめ、杉山先生がピラミッドの発掘調査で発見した遺物を展示しています。
 
参考画像 2010年に発行された、テオティワカンをモチーフにしたメキシコの切手。切手の博物館、田辺龍太学芸員ご提供(切手の展示はございません)。
右上の「死のディスク石彫」、左下の「マスク」は本展展示作品。
左上の羽毛の蛇ピラミッドの「羽毛の蛇神石彫」は、本展ではピラミッドの別の場所に飾られていたものを展示。
 
 
いま、遺跡を訪れても灰色の石の世界が広がっていますが、本来は石に漆喰を塗り、その上を赤く塗っていました。
これは遠く離れたマヤ文明でも同じで、古代メキシコの建物の多くは赤い色をしていたのです。
またこうした建物の壁は色鮮やかな壁画で飾られました。
展覧会場でも、作品を通じてこうした古の遺跡の姿に思いを馳せていただくことができるでしょう。
 
羽毛の蛇神石彫
テオティワカン文明 200~250年
テオティワカン、羽毛の蛇ピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
よく見ると、目のわきや口などにわずかに色が残っているのがわかります。
嵐の神の壁画
テオティワカン文明 350~550年
テオティワカン、サクアラ出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
こうした赤色を基調として、様々な壁画が都市を飾っていました。
 

 

もうひとつご紹介したいのが、やはり世界遺産となっている、マヤ文明を代表する遺跡であるパレンケです。
パレンケはマヤ文明の都市のなかでは決して大きなものではありませんでしたが、建築や彫刻に傑作が多くマヤ文明の芸術の都とも呼ばれます。
 
参考画像 2008年に発行された、パレンケをモチーフにしたメキシコの切手。切手の博物館、田辺龍太学芸員ご提供(切手の展示はございません)
上段右の説明部分の右に、本展覧会では複製を展示している「パカル王とみられる男性頭像」、下段中央の建物が「碑文の神殿」で、その奥には赤の女王墓である13号神殿も描かれています。
上段中央の緑のマスクはパカル王のもの(本展では展示していません)。
 
 
この遺跡で見つかったのが、本展覧会の注目作品の一つである「赤の女王」墓の副葬品です。
赤の女王は、パレンケの中興の祖ともいえる偉大な王、パカル王の妃と考えられています。
赤の女王の墓は、パカル王の墓である「碑文の神殿」の隣の建物から見つかりました。
赤の女王の名は、棺の中が辰砂(しんしゃ、水銀朱)で真っ赤だったことに由来します。
 
参考画像 赤の女王の棺。辰砂の赤い色は血すなわち生命の象徴であり、また遺体を保護する効果もあったと言われます
 
 
赤の女王墓の副葬品は、石室に埋葬された状態をイメージした空間に展示しています。
会場には、このほかにも映像などで遺跡を体感できる仕掛けをいろいろと設けています。
展覧会を通じて、古代メキシコの奥深さが皆様に伝わりましたら幸いです。
 
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」の会期は9月3日(日)まで。この機会をぜひお見逃しなく。
 

 

 

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 山本亮(考古室研究員) at 2023年08月22日 (火)

 

生贄(いけにえ)とは何か?

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」を担当している学芸研究部長の河野一隆です。
 
メソアメリカ文明と向き合う重要な要素の一つに、人身供犠(じんしんくぎ)、いわゆる生贄があります(図1)。
現代のヒューマニズムの観点からすると、眉をひそめてしまう習慣ですが、当時の人々にとっては、社会の安寧秩序を保持するために、神々だけでなく自らをも犠牲にしなければならないという、利他精神に支えられた儀式でした。
 
図1 アステカの生贄儀礼(マリャベッキ絵文書)
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」図録より
 
神と人間とが協力して初めて成し遂げられるモニュメントの造営には、人身供犠が付きものです。それはメキシコ以外の文明でも例外ではありません。
たとえば、メソポタミア文明のウルの王墓では、調査によって人身供犠の儀式が最も詳細に解明されています。
 
図2 メソポタミア・ウルの王墓での殉葬場面(復元)
ウーリー(瀬田貞二・大塚勇三訳).『ウル』.みすず書房,1958年 より
 
図2の発掘者レナード・ウーリーの復元によれば、棺に入った王が墓室内に安置された後、戦車、人々や動物たちは斜めのスロープを下りて地下へ向かいます。兵士・楽師たちはそれぞれ手に自らの道具を携えて整列し、めいめいが陶器製の小さな盃を手にしていました。その中に入っていたのは毒薬です。儀式が最高潮に達すると、それぞれが盃をあおり、静かに墓の中に崩れ落ちます。そして、すべての儀式が終わると、土で埋め立てられ、王と死出の旅路を共にするのです。メソアメリカ文明同様、メソポタミア文明でも神に自身を捧げる行為はたいへん名誉なことでした。
また、歴史の父、ギリシャのヘロドトスも、黒海沿岸のスキタイ王の埋葬について記録しています。死せる王と共に殉死させられたのは、料理番、馬丁(ばてい)、侍従、馬などでした。さらに、1年後には最も王に親しく仕えた侍臣50名が選出され、馬に乗せた状態で王墓の周りに立て並べられました。
 
それでは、殉死者のすべてが望んで殉死したかというと、そういうわけでもないようです。
たとえば、『日本書紀』には、垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇后・日葉酢媛(ひばすひめ)の死に際し、生きたまま墓の周囲に立てられた人間や馬の代わりに埴輪を代用することを豪族の野見宿祢(のみのすくね)が進言したという埴輪の起源説話が記録されています(図3)。
 
図3 埴輪 盛装の男子
群馬県太田市 四ツ塚古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵
(注)現在展示していません
 
形象埴輪の起源が、この説話の通りでないことは、現代の日本考古学が証明していますが、神に捧げる対象が生身の人間や動物から仮器(模造品)に移行したことは重要です。この現象は、日本だけでなく世界各地の王墓でも知られているからです。
その代表例が、秦始皇帝陵(しんしこうていりょう)に付属する兵馬俑坑(へいばようこう)です。地下宮殿を守護する写実的に造形された衛兵たちは、それ以前の殷代の王墓で生贄を土壙(どこう)に投げ込んで神に捧げていた段階よりは、はるかに進化した社会のように見えなくもありません。
 
しかし、そうとばかりも言い切れないと私は思います。
 
神への捧げものが、なぜ実物から代用品へと移り変わるのでしょうか?
それは、決して社会における神の地位が低下したからではなく、反対に王墓の被葬者である王自身が神格化したからだと考えます。つまり、王も殉死者もさらには八百万の神々さえも、自らを犠牲にしなければ維持できなかった社会から、王が神となり、自身に奉仕することが社会秩序を安定させるための手段だと見なされた社会への移行です。エジプトのウシャブティなどはまさにこの典型例といえるでしょう。王に権力が集中するためには、王への奉仕者は、その役割がはっきりと分化していなければなりませんでした。時代が下るにつれて、マヤの土偶のように人物の造形描写がよりリアルなものへと変わってくるのはこのためです。
 
人身供犠の消滅は、現代の私たちにとっては喜ぶべきことのように見えます。しかし、当時の人々にとっては、王が神と肩を並べた絶対的存在として社会に君臨し、自らのむき出しの権力をいっそう強め、人民を抑圧し搾取するようになったと捉えられたのかもしれません。かくして、王墓や装飾墓などの「見せる埋葬」が、ますます鮮明になってくる時代が到来します。

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 河野一隆(学芸研究部長) at 2023年08月17日 (木)

 

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」20万人達成!

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(6月16日(金)~9月3日(日))は、8月12日(土)午後、来場者20万人を突破しました。
多くのお客様に足をお運びいただきましたこと、心より御礼申し上げます。

これを記念し、12日、千葉県印西市からお越しの加納さんご家族に、当館館長藤原誠より記念品を贈呈いたしました。
 
記念品贈呈の様子。左から2番目、館長の藤原誠
 
加納さんご家族はお友達のご家族グループといっしょにご来館。
コロナのためなかなか外出して遊ぶ機会がありませんでしたが、お友達から古代メキシコ展に行こうとお誘いがあり、今回初めて当館にお越しになったそうです。
 
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」は9月3日(日)まで。
また、金・土・日曜日は本特別展のみ19時まで開館します(最終日9月3日(日)は17時まで)。
日本で古代メキシコの至宝をご覧いただける貴重な機会です。どうぞお見逃しなく。

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2023年08月16日 (水)

 

「台東区立書道博物館・東京国立博物館 連携企画」毎日書道顕彰特別賞受賞と20年の歩み

令和5年(2023)6月12日、台東区立書道博物館と東京国立博物館は、毎日書道会より第36回毎日書道顕彰特別賞を受賞し、7月23日の表彰式において両館に賞状が授与されました。


表彰式の様子
左から富田淳(東京国立博物館副館長)、藤原誠(東京国立博物館長)、山中翠谷氏(毎日書道会総務、独立書人団常務理事)、丸山昌宏氏(毎日書道会理事長)、服部征夫氏(台東区長)、荒井伸子氏(台東区立書道博物館長)、鍋島稲子氏(台東区立書道博物館主任研究員)、金子大蔵氏(毎日書道展審査会員、創玄書道会評議員

毎日書道顕彰は、昭和63年(1988)に創設され、書道に関する芸術・学術・教育の振興に著しく貢献した個人、およびグループを一般財団法人 毎日書道会が顕彰するもので、平成12年(2000)より「毎日書道顕彰特別賞」も加えられました。

台東区立書道博物館と当館は、徒歩15分で往来できる近距離にあります。両館の収蔵する中国書画は、収集の時期や内容など共通する部分も少なくありません。これらの利便性や共通点を活かして、平成15年(2003)に開催時期や展示内容を連携させる展覧会を始めました。

今でこそ他館との連携による展覧会は各地で行われていますが、20年前はほとんど実施されていませんでした。書道博物館と当館の連携企画は、その先駆けといえるでしょう。単館では不可能な企画も、複数館なら実現できます。この連携企画は両館を軸にしつつ、連携館を増やして開催することもありました。区立と国立、時には私立を加えた異なる組織が一緒に展覧会を行うのは容易ではありませんが、各館が実現可能な範囲の仕事を請け負って続けてきました。

当初は予算が少なく、他館からの作品借用はもちろん、図録の刊行もありませんでした。細々と続けるうちに、次第に他館からの借用や、図録の制作も可能になり、展覧会が少しずつ充実してきました。海外から作品をお借りした例もあり、平成24年(2012)の第10回では、香港中文大学文物館が所蔵する「蘭亭序」の名品7件を展示しています。

連携企画の図録は、第7回より毎回制作しています。図録は(1)図版が美しく、(2)気軽に読むことができ、(3)知的興奮が得られる等の点に留意しながら、読みやすく楽しい内容を目指しています。また書跡のみに偏らず、絵画(注)もふんだんに盛り込み、文化史的なアプローチを心がけています。
(注)1089ブログ「『王羲之と蘭亭序』その2 蘭亭雅集の様子を想像してみよう!」

連携企画は小さな展覧会ですが、その積み重ねが大きな展覧会の構想につながり、平成25年(2013)に特別展「書聖 王羲之」、平成31年(2019)にも特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を開催するに至りました。

連携企画が、東京国立博物館での特別展に結実したことは、連携企画に携わってきたスタッフの誇りでもあります。また近年は、連携企画が海外からも注目されるようになってきました。

令和5年(2023)1月31日から4月23日まで開催した、節目となる第20回の創立150年記念特集「王羲之と蘭亭序」では、多数の外国人来館者のほかに、海外からも多くの図録の注文を受けました。


「王羲之と蘭亭序」会場の様子


特集展示の内容は、オンラインギャラリートーク 2月「創立150年記念特集 王羲之と蘭亭序」をご覧ください。
中国と日本の文人たちが憧れた王羲之の書。最高傑作「蘭亭序」や制作背景となった雅集などについて、展示作品からご紹介しています。

当館ではこのたびの受賞を励みとして、さらに充実した連携企画を目指したいと思います。

 

カテゴリ:news書跡中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希・富田淳・六人部克典(台東区立書道博物館・東京国立博物館 連携企画担当) at 2023年08月07日 (月)