こんにちは、研究員の古川です。
本館3-1・3-2室で特集「仏画のなかのやまと絵山水」(9月20日(水) ~ 12月3日(日))が始まりました!
特集「仏画のなかのやまと絵山水」の展示風景
本特集は、平成館で開催される特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(10月11日(水)~12月3日(日))に合わせ、仏画とやまと絵のかかわりについてご覧いただこうと企画しました。
平安時代に遡る二つの作例をご紹介しましょう。
11世紀に描かれた当館所蔵の国宝「十六羅漢図」は「第七尊者」(10月29日(日)まで展示)(図1)や「第十五尊者」(10月31日(火)から展示)(図2)の背景に自然が描かれています。
羅漢とともに描かれた建物や人物、動物を見ると、中国・唐時代の羅漢図の系譜に連なることが分かりますが、自然表現、とりわけ岩の形や樹木の描写は柔らかく、羅漢の温かみのある彩色と相まって、穏やかな雰囲気のある、情趣あふれる表現となっています。
また、同じく11世紀に制作された作例に、藤原頼通が造営した平等院鳳凰堂壁扉画が挙げられます。展示では、江戸時代後期に活躍した田中訥言(たかなとつげん、1767~1823)が描いた模本をご覧いただきます。
本尊の阿弥陀如来像にちなみ、壁扉画には阿弥陀如来の来迎図などが描かれます。図様を見ると来迎する阿弥陀如来一行は、自然景とともに描かれ、山並みは丸みのある穏やかな景色です。仏を描く線は伸びやかで、緑の淡彩が美しい模本です。
平等院鳳凰堂壁画(模本)の展示風景
この他、「春日本地仏曼荼羅図(かすがほんじぶつまんだらず)」(10月29日(日)まで展示)や「諸尊集会図(しょそんしゅうえず)」(10月29日(日)まで展示)のような、仏の姿と自然が融合した、鎌倉時代の作例も展示しています。
展示作品に見られる自然景、すなわち山水は、なだらかな山並みに桜や紅葉、松や杉の樹木が描かれ、日本で見られる景色を描いています。この、日本で見られる身近な景色というのが、やまと絵の山水表現の重要な特色です。
仏画にはさまざまな種類があります。例えば、両界曼荼羅のように仏の姿が規則的に並ぶ作例では、背景は描かれません。一方、平等院鳳凰堂のように阿弥陀如来が現れる様子を描く来迎図や、日本各地の土地に根差した神の姿を仏の姿を借りて描く垂迹画(すいじゃくが)では、自然が背景に表されることが多い仏画です。こうした自然景を描くに際し、仏画の描き手たちはやまと絵の山水表現を大いに学んだことがうかがえます。
仏の姿に注目が集まる仏画ですが、背景に着目すると、同時代のやまと絵との関係が見えてきます。
特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」では日本美術史の王道たるやまと絵の名品がたくさん展示されます。
仏画とやまと絵との関わりについて、じっくり考えてみたいと思います!
| 記事URL |
posted by 古川攝一(日本絵画) at 2023年09月22日 (金)
東洋館8室で開催中の特集展示「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」(2023年10月22日まで)に関して、今回は漆器のご紹介。
常盤山文庫のコレクションからは、薄造りの凛とした器形に、良質の漆を丁寧に塗り重ねた、宋時代のすぐれた漆芸の姿を窺うことができます。
彫漆雲文水注(ちょうしつうんもんすいちゅう )
南宋時代・12~13世紀 公益財団法人常盤山文庫蔵
[展示中、10月22日まで]
なかでも、今回とくに推したいのがこちらの水注です。一見して、どんな感想を持たれるでしょうか?
時計回りにぐるぐると回る渦巻文様がびっしりと彫り込まれる様子は、日本の造形伝統から見ればいかにも異様と映るかもしれません。
よく見ると単純な渦巻ではなく、漫画のフキダシのように弧状の短い線をつなげて作られた雲の形であることがわかります。つまりは「雲文」です。
彫漆雲文水注 雲文の拡大写真
雲文であることがわかるくらいまで近づくと、はじめてこれが赤と黒の漆層からできていることが見えてきます。
彫りが深いところで色漆層の数を数えてみると、赤、黒と交互に12層を重ねています。念のため申し上げておきますと、これは12回しか塗っていないということではなく、各色の1層を作るために何回も塗り重ねる必要があるので、実際に塗った回数はその数倍となります。
この漆層を綿密に、彫り目の色がよく見えるように幅広く彫っています。せっかく12層もの色漆層をつくったのだから、これは見せたいところですね。
複雑な形状の雲文を一つ一つ深く彫り込んでいくのは相当な手間ですが、工人の気持ちになって彫りの流れを目で追っていくと、なんとなく楽しく彫っていたのではないかという気がしてきます。すべての雲文はまったく同じ形はなく、厳格に決まった型通りの意匠というよりアドリブを交えた、のびのびとした仕事です。ざわざわと迫りくるような文様の生命感は、こうした力強く奔放なひと彫りひと彫りが集まって形成されたものと言えるでしょう。
ところで、この作品は宋時代の彫漆としては例のない姿をしています。本作のような金属胎(きんぞくたい)の彫漆自体は珍しいものではありませんが、腹部の膨らんだ長頸瓶(ちょうけいへい)に円座状の高台を持たせ、把手と注口をつけたような形状の彫漆器は他に見られません。この形はどこから来たのか。
この問題に関しては、X線撮影やCT撮影によってかなりのヒントがもたらされています。
たとえば注口の根本に近い部分を見ると、花の蕊(しべ)のような装飾があります。
彫漆雲文水注 注口部の拡大写真
本体の意匠から見るとやや唐突な観のある装飾ですが、今回CT撮影を通して詳しく調べたところ、注口の基部には本来、花形座があったことがわかりました。
彫漆雲文水注注口部のCT画像(撮影:宮田将寛)
下の画像は別作品ですが、イメージとしてはこんな感じでしょうか。
銅布薩形水瓶 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
(注)この作品は展示されておりません。
どこかの時点で注口部の修理が必要となり、この花形座は覆われることとなったようです。また把手より上の部分はすべて後補であること、高台部分は金属胎が折り畳まれたような、通常ではありえない状態であることなども明らかとなっており、これらを考慮すると、本作は伝世の過程で複数回の大規模な補修・改変が行われていることが推察されます。
それでは製作当初はどんな姿をしていたのでしょうか。
補修・改変の過程や理由を含め、全体像はまだまだ雲の中にあり、明確に判明したとは言えません。多くの謎と可能性を秘めている点もまた、本作の大きな魅力の一つなのです。
展示会場の様子
カテゴリ:研究員のイチオシ、工芸、「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」
| 記事URL |
posted by 福島修(特別展室) at 2023年09月21日 (木)
上野に金色堂!? 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」のご紹介
カテゴリ:「中尊寺金色堂」
| 記事URL |
posted by 天野史郎(広報室) at 2023年09月19日 (火)
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」がいよいよ9月16日(土)より開幕します。
会場入り口
皆さんは「南山城(みなみやましろ)」をご存じですか?
「南山城」とは、京都府の最南部、奈良市に隣接する地域のことです。旧国名の「山城国(やましろのくに)」にちなんで「南山城(みなみやましろ)」と呼ばれています。
現在はお茶の産地として知られていますが、歴史的には数々の寺院が建てられた仏教の聖地でもありました。
南北に流れる木津川(きづがわ)に育まれた自然豊かなこの地には、京都と奈良、両方の文化の影響を受けて独自の仏教文化が花開いたのです。
本展の見どころ、阿弥陀如来坐像を含む九体阿弥陀(くたいあみだ)が安置されている浄瑠璃寺(じょうるりじ)も、もちろんこの地にあります。
京都から電車を乗り継ぎ、加茂駅からバスに揺られること30分。
山あいを進んだのどかな場所に浄瑠璃寺があります。
浄瑠璃寺九体阿弥陀堂 画像提供:飛鳥園
平安時代中期、仏の教えが正しく伝わらなくなる時代が来るという、末法思想(まっぽうしそう)が広がりました。そのため阿弥陀如来が住む極楽浄土に生まれ変わることを願う信仰が隆盛します。
教えによると現世での行いによって9段階の極楽往生の方法があるとされ、この9通りの往生の仕方を表した9体の阿弥陀如来像(九体阿弥陀)が作られました。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 京都・浄瑠璃寺 画像提供:飛鳥園
当時(平安時代)の彫像とお堂が現存するのは浄瑠璃寺のみで、九体寺(くたいじ)とも呼ばれています。
このたび、明治以来およそ110年ぶりに、九体阿弥陀の大規模な修理が行われました。
特別展「京都・南山城の仏像」はその修理事業の完成を記念して開催されます。
いつもは浄瑠璃寺でしか見ることができない九体阿弥陀ですが、会場ではそのうちの1体を間近でご覧いただけます。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺
(左)国宝 多聞天立像(四天王のうち) 平安時代・11~12世紀、(中央)国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀、(右)国宝 広目天立像(四天王のうち) 平安時代・11~12世紀、すべて京都・浄瑠璃寺
さらに、本展では平安時代に作られた国宝・重要文化財を含む仏像18件(展示替えを含む)を展示します。
奈良の大寺院や中央貴族と結びつきを強めたこの時代には、優れた仏像が数多く作られました。出品作を通じて、およそ400年におよぶ平安時代彫刻の変遷を見渡すことができます。
重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 京都・海住山寺
明快に刻まれた十一面観音菩薩立像の衣のひだ
重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・10世紀 京都・禅定寺
(左)降三世明王立像、(中央)重要文化財 千手観音菩薩立像、(右)金剛夜叉明王立像、すべて平安時代・12世紀 京都・寿宝寺
実際に千本に迫る脇手を表現した千手観音菩薩立像
木津川流域の山岳寺院ゆかりのお像や、鎌倉時代に奈良で活躍した慶派(けいは)仏師の阿弥陀如来立像も見逃せません。
重要文化財 不動明王立像 平安時代・12世紀 京都・神童寺
重要文化財 阿弥陀如来立像 行快作 鎌倉時代・嘉禄3年(1227) 京都・極楽寺
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」は2023年11月12日(日)まで、本館特別5室で開催します。
会場の様子
本展をご覧になったあとは、ぜひ南山城へも足をお運びください。
カテゴリ:news、仏像、「京都・南山城の仏像」
| 記事URL |
posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2023年09月15日 (金)
現在、東洋館8室で開催中の特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」では、「茉莉花図」が9月24日(日)まで展示されています。
このブログではこの作品について、少し詳しく説明してみようと思います。
重要文化財 茉莉花図(まつりかず)
伝趙昌筆 南宋時代・12~13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
[展示中、9月24日まで]
インド、アラビア原産の茉莉花(=ジャスミン)は、中国でも古くから知られていましたが、これを楽しむ風潮が普及したのは北宋・南宋時代(960~1279)といいます。清潔な白い姿と馥郁(ふくいく)たる香が文人士大夫たちに愛されて詩文に詠まれ、庭園での栽培や、髪飾りとしての利用が流行しました。薬効も知られるようになり、茉莉花茶を始め、飲食にも用いられました。
茉莉花が絵画に描かれるようになる背景には、このような宋時代における愛好文化の盛り上がりがあったのでしょう。
「茉莉花図」は、小さな画面に枝先のみを描く、折枝(せっし)と呼ばれるタイプの花卉図(かきず)です。現在の掛軸表装は日本でされたもので、もとは画冊の一頁、あるいは団扇であったと推測されています。
南宋の宮廷では、小画面の折枝図制作が盛んに行われますが、本作もその頃の作と考えられています。
細部をよく観察してみましょう。花や葉、枝はそれぞれ複雑に重なり、奥行が意識されています。花の角度や葉の翻り方にも細かな差異がつけられます。
また、左上の蕾は、中央下ではやや開き、右上で満開になっており、時間の経過に伴う花の姿の変化も考慮されています。
茉莉花図
葉は、墨の輪郭線を目立たせる鉤勒法(こうろくほう)、花は輪郭線を白く塗り込める没骨法(もっこつほう)で表現し、それぞれの質感の違いを見せています。葉脈から周縁にかけての緑のグラデーションや、花びらのふちにかけられたうすい青緑など、彩色も非常に丁寧です。
茉莉花図(部分)
日本の人々は、このような精緻で可憐な南宋の折枝図を大変好んできました。「茉莉花図」の伝来は古く、室町時代、足利将軍家所蔵品目録『御物御画目録』「小二幅」の項に記載される「花 趙昌」のうちの一幅であったと考えられています。
御物御画目録(部分) 伝能阿弥筆 室町時代・15世紀 東京国立博物館蔵
(注)本作品は展示されていません。
また、複数の文献から、山上宗二(やまのうえそうじ、1544~90)ら安土桃山時代の茶人たちの間で、菊屋樵斎(きくやしょうさい)という人物所蔵の逸品として評判であったことがわかっています。現在の表装はそのときのものとほぼ同じです。
さらに、本作には17世紀頃に記されたと想定される「趙昌花之絵由緒書」が付属しています。これには、菊屋樵斎所蔵時に豊臣秀吉(1537~98)の参加した茶会に供されて称賛され、その後菊屋家代々の名物として伝えられたのち、東本願寺の宣如(せんにょ、1604~58)から徳川将軍家に献上されたという由緒が記されています。
趙昌花之絵由緒書(茉莉花図付属)
[展示中、9月24日まで]
卓越した表現と華麗な来歴を誇る「茉莉花図」は、まさに常盤山文庫を代表する逸品です。この機会にぜひ会場でご堪能いただければと思います。
カテゴリ:特集・特別公開、中国の絵画・書跡、「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」
| 記事URL |
posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2023年09月14日 (木)