平成館 特別展示室
2013年1月22日(火) ~ 2013年3月3日(日)
中国4世紀の東晋時代に活躍した王羲之(おうぎし、303~361、異説あり)は従来の書法を飛躍的に高めました。生前から高い評価を得ていた王羲之の書は、没後も歴代の皇帝に愛好され、王羲之信仰とでも言うべき状況を形成します。王羲之の神格化に拍車をかけたのは、唐の太宗皇帝でした。太宗は全国に散在する王羲之の書を収集し、宮中に秘蔵するとともに、精巧な複製を作らせ臣下に下賜して、王羲之を賞揚したのです。しかし、それゆえに王羲之の最高傑作である蘭亭序(らんていじょ)は、太宗皇帝が眠る昭陵(しょうりょう)に副葬され、後世の人々が見ることが出来なくなりました。その他の王羲之の書も戦乱などで失われ、現在、王羲之の真蹟は一つも残されていません。そのため、宮廷で作られた精巧な複製は、王羲之の字姿を類推するうえで、もっとも信頼の置ける一等資料となります。
この展覧会では、内外に所蔵される王羲之の名品を通して、王羲之が歴史的に果たした役割を再検証いたします。
新発見資料 「王羲之尺牘 大報帖」について
※前期(1月22日(火)~2月11日(月・祝))と後期(2月13日(水)~3月3日(日))で展示替があります。

王羲之は西晋から東晋にかけて活躍した貴族です。実の父とは、王羲之が若い頃に離別してしまいますが、東晋の建国に大きく寄与した王敦や王導に可愛がられて育ちました。王羲之は幼いころ、癲癇(てんかん)を病み、吃音(きつおん)がありました。しかし成長すると雄弁になり、性格は剛直で、物事に動じず超然としていました。彼は東晋の有力な軍人であるち鑒(ちかん)に見込まれその娘と結婚します。はじめ宮中の図書をつかさどる秘書郎(ひしょろう)となり、のちに右軍将軍(ゆうぐんしょうぐん)・地方長官である会稽内史(かいけいないし)など官僚職を務めました。永和9年(353)には、有名な蘭亭の雅宴を開き、一代の最高傑作・蘭亭序が生まれます。しかし、以前から反りが合わない王述(おうじゅつ)が上司となって彼の官途を阻むようになったことから、王羲之は辞職。その後は山水を愛で、悠々自適な生活を送りました。













