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日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「書聖 王羲之」

  • 『行穰帖 (部分)  原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 プリンストン大学付属美術館蔵 Princeton University Art Museum / Art Resource, NY』の画像

    行穰帖 (部分) 原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 プリンストン大学付属美術館蔵 Princeton University Art Museum / Art Resource, NY

    平成館 特別展示室
    2013年1月22日(火) ~ 2013年3月3日(日)

    中国4世紀の東晋時代に活躍した王羲之(おうぎし、303~361、異説あり)は従来の書法を飛躍的に高めました。生前から高い評価を得ていた王羲之の書は、没後も歴代の皇帝に愛好され、王羲之信仰とでも言うべき状況を形成します。王羲之の神格化に拍車をかけたのは、唐の太宗皇帝でした。太宗は全国に散在する王羲之の書を収集し、宮中に秘蔵するとともに、精巧な複製を作らせ臣下に下賜して、王羲之を賞揚したのです。しかし、それゆえに王羲之の最高傑作である蘭亭序(らんていじょ)は、太宗皇帝が眠る昭陵(しょうりょう)に副葬され、後世の人々が見ることが出来なくなりました。その他の王羲之の書も戦乱などで失われ、現在、王羲之の真蹟は一つも残されていません。そのため、宮廷で作られた精巧な複製は、王羲之の字姿を類推するうえで、もっとも信頼の置ける一等資料となります。
    この展覧会では、内外に所蔵される王羲之の名品を通して、王羲之が歴史的に果たした役割を再検証いたします。

    新発見資料 「王羲之尺牘 大報帖」について

    ※前期(1月22日(火)~2月11日(月・祝))と後期(2月13日(水)~3月3日(日))で展示替があります。

1089ブログ「2012年度の特別展」 展覧会の見どころなどを紹介しています。

東京国立博物館 資料館 特別展「書聖 王羲之」関連図書コーナー設置

開催概要

会  期 2013年1月22日(火)~3月3日(日)
会  場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、3月1日(金)は20:00まで開館)
休館日 月曜日 ※ただし2月11日(月・祝)は開館、翌12日(火)は休館
観覧料金 一般1500円(1300円/1200円)、大学生1200円(1000円/900円)、高校生900円(700円/600円)
中学生以下無料
( )内は前売り/20名以上の団体料金
障がい者とその介護者一名は無料です。入館の際に障がい者手帳などをご提示ください。
前売券は、東京国立博物館 正門チケット売場(窓口、開館日のみ、閉館の30分前まで)、展覧会公式ホームページ、チケットぴあ(Pコード=765-417)、ローソンチケット(Lコード=30103)、セブン-イレブン(セブンコード=019-719)、イープラスほか、主要プレイガイドにて、2012年11月10日(土)~2013年1月21日(月)まで販売。前売券の販売は終了しました。
お得な早割りペア券(2枚1組セットで2000円)を、展覧会公式ホームページ、チケットぴあ(Pコード=早割りぺア:765-418)ほか、主要プレイガイドにて、2012年10月19日(金)~12月22日(土)までの期間限定で販売。(早割りペア券は、東京国立博物館では販売しません) 早割りペア券の販売は終了しました。
 特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」(2013年1月12日(土) ~4月7日(日) 本館 特別5室 )は別途観覧料が必要です。
「東京・ミュージアムぐるっとパス」で、当日券一般1500円を1400円(100円割引)でお求めいただけます。正門チケット売場(窓口)にてお申し出ください。
東京国立博物館キャンパスメンバーズ会員の学生の方は、当日券を1000円(200円割引)でお求めいただけます。正門チケット売場(窓口)にて、キャンパスメンバーズ会員の学生であることを申し出、学生証をご提示下さい。
特別展「書聖 王羲之」会期終了後の2013年3月5日(火)~3月24日(日)まで、本特別展半券を当館正門チケット売場にてご提示いただければ、当館総合文化展を半額の割引料金でご覧いただけます。
託児サービス 会期中(2013年1月~2月)、託児サービスを実施します(事前予約制)。
詳細は「東京国立博物館 託児サービスのご案内」ページをご覧ください。
交  通 JR上野駅公園口・鶯谷駅より徒歩10分
東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分
主  催 東京国立博物館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション
特別協力 朝日新聞社
後  援 外務省
特別協賛 大和ハウス工業
協  賛 あいおいニッセイ同和損保、トヨタ自動車、日本写真印刷、ゆうちょ銀行
協  力 内田洋行、全日本空輸、東京中国文化センター、二松学舎大学、毎日書道会
カタログ・音声ガイド 展覧会カタログ(2500円)は、平成館2階会場内、および本館地下ミュージアムショップにて販売しています。音声ガイド(日本語のみ)は500円でご利用いただけます。
お問合せ 03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会ホームページ http://o-gishi.jp/
展覧会公式サイトは会期終了時をもって終了いたしました。

関連事業

平成館 大講堂  2013年2月2日(土)   13:30 ~ 15:00   受付終了
平成館 大講堂  2013年2月10日(日)   13:30 ~ 15:00   受付終了
平成館 ラウンジ  2013年1月31日(木)   14:00 ~ 16:00   当日受付
平成館 小講堂  2013年2月13日(水)   14:00 ~ 15:30   受付終了

ジュニアガイド

特別展「書聖 王羲之」の鑑賞の手引きとして、ジュニアガイドを制作しました。PDFをダウンロードし、プリントアウトしてご活用ください。
 ジュニアガイドのページへ

展覧会のみどころ


書聖の実像に迫る
  王羲之とは  第一章 王羲之の書の実像
世界で十指に満たない精巧な唐時代の摸本から、選りすぐりの作品を特別公開!
名品「行穣帖」(プリンストン大学付属美術館蔵)、「喪乱帖」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)、
国宝「孔侍中帖」(前田育徳会蔵)、「妹至帖」(個人蔵)などが一堂に。

蘭亭序、百花繚乱   蘭亭序とは 第二章 さまざまな蘭亭序
名家に所蔵されていた由緒ある蘭亭序がトーハクに結集、絢爛たる美を競います!

王羲之の受容と展開  第三章 王羲之書法の受容と展開
法帖による帖学派と、石碑による碑学派の対立、そして王羲之神話の崩壊まで。

 

 

新発見資料  王羲之尺牘 大報帖(おうぎしせきとく たいほうじょう)について

王羲之尺牘 大報帖   王羲之尺牘 大報帖(おうぎしせきとく たいほうじょう)
原跡=王羲之筆 東晋時代・4世紀 唐時代・7~8世紀摸 個人蔵

本作品は、本展覧会に関わる作品調査によって、王羲之の字姿を伝える新資料であることが判明しました。「妹至帖」以来、40年ぶりに発見された王羲之の新資料が世界初公開されます。
これまで作品に付された極札(きわめふだ)から小野道風の書と考えられてきましたが、東京国立博物館列品管理課長 富田淳らが行った調査で、文章の内容・書風・搨摸(とうも)の技法・料紙などの状況から、極めて精緻なこの摸本は、唐の宮中で作られ、遣唐使らによって日本に舶載された 王羲之尺牘(手紙)の一つと考えられることが明らかになりました。
付属の極札から、手鑑に残されていたことが明らかで、現在は24文字が3行に書かれています。最初から2文字目の「大」は、王羲之の書簡にたびたび登場する人物で、王羲之の祖父の兄の子、王導の子・
王劭
(おうしょう)を指すと考えられ、2文字あとの「期」も王羲之の書簡にしばしば見える人物で、王羲之の息子の一人、王延期と考えられます。ほかにも「日弊」(日々疲れる)、「解日」(日を過ごす)など、王羲之が書簡で用いる常套句が見えます。また、料紙も、「喪乱帖」「孔侍中帖」「妹至帖」と同様の、いわゆる縦簾紙(じゅうれんし)を用いています。
今回の発見は、王羲之書跡の研究において、重要な意義をもちます。

 

王羲之とは

王羲之の生涯
王羲之王羲之は西晋から東晋にかけて活躍した貴族です。実の父とは、王羲之が若い頃に離別してしまいますが、東晋の建国に大きく寄与した王敦や王導に可愛がられて育ちました。王羲之は幼いころ、癲癇(てんかん)を病み、吃音(きつおん)がありました。しかし成長すると雄弁になり、性格は剛直で、物事に動じず超然としていました。彼は東晋の有力な軍人であるち鑒(ちかん)に見込まれその娘と結婚します。はじめ宮中の図書をつかさどる秘書郎(ひしょろう)となり、のちに右軍将軍(ゆうぐんしょうぐん)・地方長官である会稽内史(かいけいないし)など官僚職を務めました。永和9年(353)には、有名な蘭亭の雅宴を開き、一代の最高傑作・蘭亭序が生まれます。しかし、以前から反りが合わない王述(おうじゅつ)が上司となって彼の官途を阻むようになったことから、王羲之は辞職。その後は山水を愛で、悠々自適な生活を送りました。
書聖と称されるほど書に巧みで、その子・王献之とあわせて、二王と尊称されています。
 

なぜ「書聖」と呼ばれるのか
王羲之の書は、歴代の皇帝が愛好しましたが、王羲之の地位を書聖にまで押し上げたのは、唐の太宗皇帝でした。太宗は王羲之の書を崇拝し、東晋時代の歴史書を編纂させた時には、王羲之の伝記を自ら執筆したほどです。さらに全国に散在する王羲之の書を収集したため、民間人はほとんどその真跡を見ることができなくなってしまいました。最高傑作である蘭亭序にいたっては、昭陵に副葬させています。こうした太宗の王羲之の書に対する熱愛や執着が、王羲之を中国書法史において絶対的な存在としたのです。

書技と芸術性
王羲之は後漢時代の張芝(ちょうし)の草書や、後漢末期から三国時代・魏の鍾よう(しょうよう)の楷書を学び、新しい書風を創出しました。その書は、瀟洒(しょうしゃ)な美しさや爽やかさの上に、当時にあっては先進的な造形と高い響きを盛り込んだ、革新的な書風であったと言うことができます。中国書法史上、晋時代と唐時代は、書が最も高い水準に到達した時代でした。王羲之の書は、唐の太宗が「善を尽くし美を尽くした」と絶賛するほど、普遍的な美しさを先取りしたものだったのです。

真跡がない理由
人々の手によって伝えられた書跡は、唐時代のものですら、ごく僅かしか残されておらず、それ以前の東晋の王羲之も例外ではありません。
王羲之の真跡は歴代の皇帝によって悉く宮中に収集された結果、王朝の交替に伴う戦乱などによって大量に失われてしまいました。民間の手に残っていたものも、長い年月を経るうちに次第に消滅していったと考えられます。

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第一章 王羲之の書の実像

 書聖として知られる王羲之は、しばしば大学入試にも出題されるほど著名な人物ですが、残念ながら真跡は1点も残されていません。王羲之の没後、王羲之の書は歴代の皇帝に愛好され、宮中に集められました。
唐の太宗皇帝は、宮中に専門の職人を雇い、王羲之の摸本を作らせました。この複製事業は、国家的な規模で行われただけに、墨のニジミや筆のカスレ、虫食いの箇所まで忠実に再現された、極めて精巧な出来ばえでした。このような摸本のうち、現存するのは、世界でも十指に満たないほどです。
この章では、最も信憑性の高い唐時代の摸本などの資料を通して、王羲之の書の実像に迫ります。

 

 国宝 孔侍中帖   国宝 孔侍中帖(こうじちゅうじょう)(部分)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 前田育徳会蔵
[展示期間:2013年2月19日(火)~3月3日(日)]

唐時代の宮廷で作られた精巧な摸本です。全9行の形で残っているうち、前半の3行が「哀禍帖(あいかじょう)」、後半の6行が「孔侍中帖」です。かつては、後の3行を「憂懸帖(ゆうけんんじょう)」とする意見もありましたが、現在はこの6行で一つの書簡と考えられています。江戸時代の記録から、元和2年(1616)の時点では、「孔侍中帖」の前に、「群従彫落帖(ぐんじゅうちょうらくじょう)」が接していたことが分かります。実はもっと長かった孔侍中帖。その前半が、いつの日か再発見されると良いですね。

 

喪乱帖(そうらんじょう)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 宮内庁三の丸尚蔵館蔵
[展示期間:2013年1月22日(火)~2月11日(月・祝)]

唐時代に宮廷で作られた精巧な摸本の中でも、「喪乱帖」は「孔侍中帖」と共に、とりわけ素晴らしい出来ばえです。全17行のうち、最初の8行「喪乱帖」が一通の書簡をなし、続く5行「二謝帖(にしゃじょう)」は一行ずつの断簡、最後の4行「得示帖(とくしじょう)」がもう一つの書簡となっています。冒頭の「喪乱帖」は、その内容から、永和12年(356)、王羲之が官を辞し、会稽(かいげい)の逸民となっていた54歳の時の書であり、晩年の書風を伝える貴重な作例と考えられています。
 
喪乱帖

 

  行穰帖
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 行穰帖(こうじょうじょう)  (部分)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 プリンストン大学付属美術館蔵
Princeton University Art Museum / Art Resource, NY

唐時代の『右軍書目(ゆうぐんしょもく)』に記録され、宋時代には徽宗(きそう)皇帝のコレクションとなり、徽宗が金泥(きんでい)で書いた題簽(だいせん)が今も付されています。明時代に作成された名跡を集めてその筆跡を刻した『餘清斎帖(よせいさいじょう)』にも収録された名品です。清時代には宮廷に入り、乾隆帝が「龍 天門に跳ね、虎 鳳閣(ほうかく)に臥す」と絶賛しました。
後に民間に流出し、一時は日本にありました。皇帝の印が鮮やかに捺(お)され、明の董其昌(とうきしょう)の跋文(ばつぶん)が華を添えています。王羲之の若い時期の書と考えられています。

 

 妹至帖   妹至帖(まいしじょう)
原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 個人蔵
[展示期間:2013年2月13日(水)~3月3日(日)]

「妹至帖」は、さる大名家伝来の手鑑の中から発見され、昭和48年(1973)に初めて世に公開されました。
手鑑とは、歴代の名筆を数行に切りとり、冊頁(さっけつ)に納め、鑑定家が古筆を鑑定する際の比較資料としたものです。「妹至帖」もわずか2行17文字に裁断されていますが、「喪乱帖」「孔侍中帖」と同様の紙、同様の技法を用いた、王羲之の書の精巧な摸本で、おそらくは奈良時代にわが国に舶載された王羲之帖の一つだったのでしょう。中国の歴代の著録にこの文章は見られず、王羲之研究の新資料として重要なものです。

 

楽毅論(越州石氏本)(がっきろん(えっしゅうせきしぼん))
王羲之筆  原跡=東晋時代・永和4年(348) 東京国立博物館蔵

奈良時代の光明皇后も臨書をした楽毅論とは、燕(えん)の武将である楽毅の人物を論じた文章です。三国時代、魏の夏侯玄(かこうげん)が文章を作り、王羲之が書写しました。唐時代の文献が集成された『法書要録(ほうしょようろく)』には、楷書の第一に挙げられています。梁の時代に宮廷の真跡から摸本が作られ、真跡は梁の末に失われてしまいました。のちに、唐の太宗が蘭亭序とともに、楽毅論の摸本を入手し、さらに摸本を作ったとされます。しかし、梁の摸本も、唐の摸本も失われ、現在はいくつかの拓本が伝えられるのみです。
 
楽毅論(越州石氏本)
 
臨本と模本
左:模本 右:臨本(王鐸臨)

臨本(りんぽん)と摸本(もほん)

世に唯一無二の名品があれば、その複製を作って共有したいというのは、人々の自然な思いでしょう。複製には、原本を隣におき臨書したものと、原本に紙をかぶせ、丁寧に字形をなぞったものとがあります。前者を臨本といい、後者を摸本といいます。臨本は、個人の主観が反映しがちですが、気脈は貫通し、筆づかいも自然です。一方、摸本の場合、躍動感に欠けるきらいがありますが、字形は正確です。臨本も摸本も、それぞれに長所があり、魅力はつきません。
褚模蘭亭序(王羲之筆 原跡=東晋時代・永和輪9年(353) 東京国立博物館蔵)の巻後には、摸本や数々の臨本がおさめられている。画像はその一部。

 

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第二章 さまざまな蘭亭序

唐時代の太宗皇帝はその在世中、能書の臣下には蘭亭序の臨本を、宮中の専門職人には摸本を作らせました。蘭亭序は、はじめ臨本や摸本が珍重されましたが、次第にその数は少なくなり、やがて拓本が重んじられるようになりました。拓本も版の複製が繰り返されていくうちに、さまざまな系統に枝分かれしていきました。
南宋時代には蘭亭序の拓本ブームが巻き起こり、上層階級である士大夫(したいふ)の間で一家に一石の蘭亭序を所有する風習が広まりました。当時は著名な蘭亭序だけでも800本を数えたといいます。明の董其昌(とうきしょう)は、「蘭亭に下拓(げたく)なし」という名言を残しました。蘭亭序の拓本につまらないものはなく、すべてに由緒があります。その来歴を読み解くのは実に楽しいものです。

 

定武蘭亭序─許彦先本(ていぶらんていじょ(きょげんせんぼん)) (部分)
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 東京国立博物館蔵

唐時代の欧陽詢(おうようじゅん)が臨書したと伝えられる、定武蘭亭序として名高い一本です。蘭亭序の後ろに、煕寧5年(1072)9月4日に、許彦先が見たという識語があり、北宋時代に珍重されていた事が分かります。
清時代の大家である王じゅ(おうじゅ)の雍正5年(1727)の跋や、画家として名高い改琦(かいき)らの跋でも、まぎれもない宋拓の優品と認めている、大変貴重な拓本です。
   武蘭亭序(許彦先本)

 

 定武蘭亭序(独孤本)   定武蘭亭序独孤本(ていぶらんていじょ(どっこぼん))
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353)  東京国立博物館蔵
[展示期間:2013年1月22日(火)~2月11日(月・祝)]

元時代の至大3年(1310)、呉興(ごこう、浙江)から舟で大都(北京)へ向かう趙孟ふ(ちょうもうふ)は、見送りに来た独孤淳朋(どっこじゅんぽう)から宋拓の定武蘭亭序を譲り受けました。趙孟ふは一ヶ月余りの船旅で、蘭亭序を日々愛玩し、13本の感想を書き付けます。そのため独孤本は、蘭亭十三跋とも呼ばれることもあります。この十三跋には、趙孟?の書に対する考えを知る上で、極めて貴重な内容が盛り込まれています。ちなみにこの蘭亭序が火災に遭ったのは、清の嘉慶14年(1809)。所有者の英和が、清朝四大家の翁方綱(おうほうこう)に装丁を依頼し、収蔵家の李宗瀚(りそうかん)が現状のように仕上げました。

 

定武蘭亭序韓珠船本(ていぶらんていじょ(かんじゅせんぼん))
王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 台東区立書道博物館蔵

韓栄光(かんえいこう)が旧蔵していたことから、韓珠船本として知られる一本です。帖末には13家の観記や跋文があるほか、拓本の部分には、蘭亭序の本文に続いて、唐時代の乾符元年(874)で始まる奥書きが刻されています。奥書きに、この原本は僖宗(きそう)の初年、宮中に所蔵されていた蘭亭序を、蝋をしみ込ませた紙を用いて複製し、近臣に下賜したものであると記されています。唐人の奥書きが残る蘭亭序は、極めて珍しい作例です。
 
定武蘭亭序(韓珠船本)

 

 蘭亭図巻(万暦本)
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 蘭亭図巻万暦本(らんていずかん(ばんれきぼん))(部分)
原跡=王羲之等筆 明時代・万暦20年(1592)編 東京国立博物館蔵

明時代の永楽15年(1417)、憲王(けんおう)は蘭亭序と北宋の李公麟(りこうりん)の描いた蘭亭図を刻した蘭亭図巻を作成しました。万暦年間には益王(えきおう)も蘭亭図巻を作成、乾隆45年(1780)には、乾隆帝が益王の残石をもとに乾隆本を作成しました。図は益王の万暦本。
蘭亭の雅会に参列した42人の様子を活き活きと描き、興味深い内容となっています。

 

楷書七言聯(かいしょしちごんれん)
宣統帝筆 清時代・20世紀 東京国立博物館蔵

全324文字からなる蘭亭序は、古くから名文として人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)されてきました。多くの文人たちが、全文を諳(そら)んじていたと思われます。こうした状況を背景に、蘭亭序で使われる文字を任意に選んで、左右で重層的な意味をなす対句を作る風潮が高まりました。碑学派の大成者である趙之謙(ちょうしけん)にまで、蘭亭序の文字を集めた対聯(ついれん)があるほどです。図はラストエンペラー宣統帝溥儀(せんとうていふぎ)による七言の対句。蘭亭序の文字を集めたと添え書きはありませんが、当時人々はこの対句を見ると、すぐに蘭亭序からの集字であると分かりました。
 
楷書七言聯

 現在の蘭亭

蘭亭序とは

永和9年(353)3月、王羲之は会稽山陰の蘭亭に41人の名士を招き、詩会を催しました。これが有名な、蘭亭の雅宴です。王羲之を含め都合42人が曲水の畔に陣取り、上流から觴(さかずき)が流れ着くとその酒を飲み、詩を賦(ふ)します。しかし、詩が出来上がらなければ、罰として大きな觴の酒を飲まなければなりませんでした。
この日、四言と五言の2編の詩をなした者11人、1編の詩をなした者15人、詩をなせず罰として大きな觴に3杯の酒を飲まされた者は16人でした。
酒興に乗じて王羲之は、この詩会でなった詩集の序文を揮毫(きごう)しました。世に名高い蘭亭序です。28行、324字。王羲之は酔いが醒めてから何度も蘭亭序を書き直しましたが、これ以上の作はできず、王羲之も自ら蘭亭序を一生の傑作として子孫に伝えました。

参考写真:現在の蘭亭

 

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第三章 王羲之書法の受容と展開

王羲之の最高傑作「蘭亭序」は、隋時代に7代目の子孫・智永(ちえい)が所蔵していました。智永は王羲之の書法を伝えようと、30年間も楼上にこもり、800本もの「千字文」を書写して諸寺に奉納しました。唐時代には王羲之が神聖視され、宋・元・明・清時代に大きな影響を与えます。
清時代、18世紀の末になると、考証学・金石学の発展にともない、王羲之を中心とする法帖の流れに疑問が持たれるようになります。翻刻を繰り返した法帖よりは、石碑や青銅器の拓本の方が、書の本来の面貌を伝えるとの認識が広がり、やがて碑学派が帖学派を凌ぐようになります。ここに千年以上に渡って続いた王羲之神話は崩壊し、中国の書の流れは大きく変貌をとげるのでした。

 

行書蘭亭十三跋   行書蘭亭十三跋(ぎょうしょらんていじゅうさんばつ)
趙孟頫筆 元時代・至大3年(1310) 東京国立博物館蔵
[展示期間:2013年2月13日(水)~3月3日(日)]

趙孟頫は、独孤淳朋(どっこじゅんぽう)から譲り受けた蘭亭序を愛玩し、自らの書に対する意見を余白に書き込みました。趙孟ふは王羲之の書を学び、とくに蘭亭序を至上の作品として幾度も臨書しています。この作品は蘭亭序の旧拓本を座右に置いて書いたもので、ひときわ素晴らしい出来ばえとなっています。残念ながら嘉靖14年(1809)に火災に遭ってしまいますが、それ以前に『快雪堂帖』に刻されているので、焼残前の姿を見ることができます。

 

 国宝 真草千字文   国宝 真草千字文(しんそうせんじもん)
智永筆 隋時代・7世紀 個人蔵
[2月5日(火)、2月19日(火)に頁替あり]

日本のいろは歌に相当する千字文は、1文字も重複のない1000字を、覚えやすいように4字ずつ、250句としたものです。身の回りの自然から説き始め、やがては人の生き方にまで及んでおり、中国では幼い子供たちの必修テキストとして現在も用いられています。これは王羲之の7代目の子孫・智永が書いた真筆です。智永は楼上に30年も閉じこもり、800本もの千字文を揮毫、諸寺に奉納しましたが、現在は中国にも原本はなく、唯一の真筆が日本に伝来しています。王羲之の蘭亭序を持っていた智永は、王羲之の筆法を後世に伝えようと、並々ならぬ努力をはらったのですね。

 

臨二王諸帖軸(りんにおうしょじょうじく)
王鐸筆 清時代・順治8年(1651) 静嘉堂文庫美術館蔵
[展示期間:2013年2月13日(水)~3月3日(日)]

王鐸(おうたく)は明・清の二朝に仕えた人物として後世から非難されていますが、その書は古典を深く学んだ素晴らしいものです。特に王羲之の臨書に力を注ぎ、多くの臨書の作例が残されています。
図は王羲之・王献之の法帖を臨書したもの。ただし、臨書とはいっても自らの美意識を押し出し、本来の字姿からは懸隔(けんかく)のある書きぶりとなっています。
 
臨二王諸帖軸

 

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