特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」開催のお知らせ
蒸し暑い日が続きます。この梅雨が明ければ、夏本番!
すでにこの夏の特別展については、「青山杉雨の眼と書」(7月18日(水)~9月9日(日)平成館)の
開催をご案内しておりますが、実は、もうひとつ、本館特別5室でも特別展を開催することになりました。
「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」です。(7月31日(火)~8月26日(日)本館特別5室)
北京の中国美術館は10万点以上のコレクションを誇る中国最大の美術館ですが、
なかでも近代の中国絵画のコレクションは国内屈指のもの。
今回はそのなかから20世紀の画家28人による山水画の代表作50件を厳選してご紹介します。
中国の20世紀といえば、辛亥革命、新中国の成立、改革開放といった大きな変革を経験した激動の時代でした。
その中で画家達は創作とどう向き合ってきたのか。
この展覧会では「伝統への挑戦」、「西洋画法への挑戦」、「社会・生活への挑戦」という三つの視点から、
作家と作品へのアプローチを試みます。
平成館の「青山杉雨の眼と書」では、中国の古典に根ざしつつ、自らの創作の道を拓いた20世紀日本の書家、青山杉雨の作品をご覧いただきます。
奇しくも同じとき、同じ場所で開かれる二つの展覧会。
合せてご覧いただくことで、また新たな発見がありそうです。
いずれもお見逃しなく!
1089ブログでは、特別展の見どころや舞台裏について、担当研究員がお知らせします。
会期の短い展覧会ですので、ヘビロテでお届けする予定です。
乞うご期待!
展覧会ポスターイメージ
新中国の新しい山水画の象徴として、江南の豊かな水と実り、そして人々の暮らしを描いた
「常熟田(じょうじゅくでん)」(銭松喦(1899~1985)筆 1963年 中国美術館蔵)をメインビジュアルとしました。
※特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」は総合文化展観覧料金でご覧いただけます。
※特別展「青山杉雨の眼と書」は、特別展料金ですが、あわせて特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」および総合文化展をご覧いただけます。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2012年度の特別展
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posted by 小林牧(広報室長) at 2012年07月16日 (月)
1887年2月の日付のある久米桂一郎と黒田清輝の裸婦デッサン。二人がイーゼルを並べて描いていたことがわかります。
(左)裸婦習作 久米桂一郎筆 明治20年(1887) 東京・久米美術館蔵
(右)裸婦習作 黒田清輝筆 明治20年(1887)
大きな椅子の肘掛けに座る裸婦。なんと難しい構成なのでしょう。
久米は裸婦を画面の中心に入れ、椅子は必要なところだけを描いています。
一方、黒田は消したり描いたりを繰り返しながら、裸婦を描くのと斉しい興味をもってどっしりとした椅子を描いています。
椅子が大きすぎるので裸婦が小さく見えてしまいますが、
このどっしりとした椅子にも魅力を感じていたのでしょう。
実はこの一ヶ月前まで、黒田は「ただ焼炭で、石や土でこしらえた人形を大きく描く」ことをしていました。今で言う石膏デッサンでしょうか。
それから比べると、デッサンの対象は生きていて動くのですから、人体デッサンは石膏デッサンとは全く違います。
ようやく生身の人体と対峙して描くことができる喜びが、黒田のデッサンから感じられます。
一方、久米はデッサンの数も、また人体構造への理解もすでに深く、膝や胸郭の表現などに骨格や筋の内部構造との関係を意識して描いています。
後に久米が美術解剖学に専心することを、すでに暗示するかのように内部構造への興味が顕れています。
でも、両者のデッサンとも輪郭線がはっきりし、やや説明的な意識も強いのかな、と思います。
二ヶ月後、久米と黒田はパリに二間と小さな台所のついたアパルトマンを借り、共同で住み始めました。
窓の大きい日差しの降り注ぐ、植物のある優雅な室内で、お互いの姿を室内風景の中に油画で描いたりしています。
椅子の裸婦から8ヶ月後、10月15日の日付の入ったデッサンを見てみましょう。
(左)裸体習作 久米桂一郎筆 明治20年(1887) 東京・久米美術館蔵
(右)裸体習作 黒田清輝筆 明治20年(1887)
モデルは豊かな髭を蓄えた高齢の男性です。「説教するヨハネ」のような絵になるポーズですね。
久米の人体構造への理解は表現としてもいっそう深まり、久米の最も充実したデッサンの一つに見えます。
一方、黒田の方は手と腕が短縮法で描かねばならず難しいアングルで、紙には消したり描きなおしたり、試行錯誤の跡が見えます。
顔と頭部の描写は、久米がモデルの表情をリアルかつ細やかに捉えているのに対し、黒田は立体的に捉え、雰囲気があります。
「先便より度々申上候通り今年ハ法律ノ方ハ全ク打チ棄て畫學專修の積ニ決心仕候ニ付左樣御承知被下度候 畫學教師コラン先生も不相變深切ニ致呉候間仕合の事ニ御座候」
前年より、法律の勉強と画学という二足の草鞋を履いていた黒田でしたが、1887年は黒田の心の中で絵を描いてゆく決心を固め、
画の道への強い志を、日本の父への手紙の度に切々と伝えるようになります。
人体デッサンと美術解剖学は切り離すことの出来ない描画の基礎で、普通、展覧会ではあまり表に現われることがありません。
本展では黒田と久米の油画制作の背後にある人体との格闘を、二人がどのようにひとのかたちの見方を深めていったのかを、
二人が同じモデルを描いた1887年の12枚のデッサンを通してご覧いただきたいと思います。
※作品はすべて特集陳列「美術解剖学―人のかたちの学び 」( 本館特別1室、 2012年7月3日(火) ~ 2012年7月29日(日) )にて展示。
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posted by 宮永美知代(東京国立博物館 客員研究員・東京藝術大学 美術教育(美術解剖学II)助教) at 2012年07月15日 (日)
東京国立博物館では、毎年1回設備保守点検のために全館を休館して点検作業を行います。
この日は電気も使えませんので、点検を担当する部署以外の職員は、館内で仕事が出来ないことになります。
この日にあわせて出張や研修に頑張る職員もいますが、今年の私は、休みを取って何人かの仲間と歴史の跡を巡るリフレッシュ旅行に出かけました。
運慶作の仏像がある願成就院と、国宝「鷹見泉石像」(7月22日(日)まで本館8室で展示)を描いた渡辺崋山と親交の深かった江川英龍(坦庵)が建造した韮山反射炉。そして修善寺です。
修善寺には、建仁寺の開基である鎌倉幕府第2代将軍源頼家の墓があります。その墓の様子を見ておきたいというのもこの旅の目的の一つでした。
そして夜は、伊豆のホタル見物。ホタルというと闇の中をゆらゆらと動くはかない光。情趣に浸って虫の姿を忘れていますが。浮世絵では、しっかりと虫として描かれています。ホタルは日常的に姿を目にする虫だったのです。
(左)江都夏十景・不忍か池 鳥居清長筆 江戸時代・18世紀
(右)同左部分。右の女性の手の先には、ホタルが描かれています。
鳥居清長の「江都夏十景・不忍か池」には、博物館に近い不忍池の畔でホタルを追う女性が描かれています。そこに描かれているのは飛ぶ「虫」のホタル。江戸の水辺にはホタルが沢山いたのです。
夏の浮世絵には、ホタルと女性が組み合わされてよく描かれていますが、女性の手に欠かせないのが、団扇。夏の風俗を集めた今月の陳列には、団扇がよく描かれています。そして、涼を求めた庶民の姿。江戸っ子の自慢は隅田川での舟遊び。隅田川に架かる新大橋の遠近を誇張して隅田川を広く描いた鳥文斎栄之筆「大橋下の涼み船」は珍しい5枚続きのワイド画面で、男の姿は少なく、大勢の女性が描かれています。
大橋下の涼み船 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀
浮世絵の夏のイベントといえば、吉原でのコスプレ「俄」。さすがに暑い夏には、吉原に出かける気も失せるもの。そこで客集めのためにサンバカーニバルならぬ「俄か芝居」が組まれ、大勢の見物が押し寄せたといいます。この顔見世的興行を歌麿は度々描きました。
青樓仁和嘉女藝者之部・扇賣 団扇賣 麥つき 喜多川歌麿筆 江戸時代・寛政5年(1793)
そして歌麿は、呉服店で仕入れられた夏のファッションブックとして「夏衣裳當世美人」のシリーズも出版しています。
浮世絵は芸術というより出版広告としての機能も果たしていました。夏らしい構成の浮世絵が本館10室(7月10日(火)~8月5日(日))に並んでいます。
夏衣裳當世美人・亀屋仕入の大形向キ 喜多川歌麿筆 江戸時代・19世紀
8月7日(火)からの展示は、団扇絵を中心にしました。こちらも夏の浮世絵です。
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2012年07月12日 (木)
美術解剖学のことば 第3回「ベルリンの鷗外とユリウス・コールマン」
偶然ですが2012年は、森鷗外こと森林太郎(1862~1922)の生誕150年に当たります。
トーハクでは、帝室博物館(現在の東京国立博物館)の総長でもあった、 鷗外に関する展示が特集されます。
(東京国立博物館140周年特集陳列 「歴史資料 生誕150年 帝室博物館総長 森鴎外」 本館16室、2012年7月18日(水) ~ 2012年9月9日(日) )
このブログで紹介している特集陳列「美術解剖学 ―人のかたちの学び」(本館特別1室、2012年7月3日(火)~7月29日(日))では、医学を修めていた時期の、鷗外に関係した資料が展示されています。
画像はベルリンにある「森鷗外記念館」です。
僕は2002年9月にベルリン博物館調査の際に立ち寄ることができました。
鷗外は、明治17年(1884)夏から明治21年(1888)秋までドイツに留学しました。
ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘンと所を移して、1887年にベルリンに移るのですが、
そこで1886年に出版されて間もない、ユリウス・コールマンの美術解剖学書
『Plastiche Anatomie』(1886初版)と出会い入手したのでは?と年期的な符合から想像できます。
このコールマンの書『Plastiche Anatomie』と内容的に多く一致している書が、
『鷗外全集著作篇 第二十九巻』に収められている、鷗外短著の『藝用解體學』(げいようかいたいがく)です。
本書は奥付を欠いて発行年不明ですが、明治30年前後に書かれたものとされています。
お待たせしました! 森鷗外の「美術解剖学のことば」を紹介します。
鷗外は直接の解剖をあまり重んじることはなかったといわれますが、
以上の記述から、大局的な視点で<美術解剖学>をとらえる姿勢を感じます。
おそらくこの見地はコールマンの述べるところと同じですが、
さらに続きを読み進むと、鷗外以前の、江戸時代の「蔵志」(山脇東洋)などの例をあげて、
「皆解体学各論の芽ばえと看做(かんさ)さるべきものなり」 と述べていて、
美術解剖学の範囲を超えて、鷗外のスケールの大きさ・教養の奥深さに身が震えてきます。
鷗外は東京美術学校で美術解剖学、考古学、美学・美術史を講義した時期もあります。
ドイツ仕込みの哲学的であり文学的ともいえる教育内容は、後に紹介する、
ポール・リッシェ等フランス流の美術解剖学に学んだ久米桂一郎とは趣の違いを感じます。
▼おまけ
森鷗外「藝用解體學」を収める『鷗外全集著作篇 第二十九巻』は、
トーハク・資料館にて読むことができます。
(閉架図書につき、閲覧受付カウンターにておたずねください)
そのほか鷗外が帝室博物館総長兼図書頭であった時代のしごとである、
『鷗外自筆帝室博物館蔵書解題』を閲覧することができます。(こちらは開架図書です)
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posted by 木下史青(デザイン室長) at 2012年07月09日 (月)
書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第17回です。
仮名消息、
仮名(平仮名)で書いた手紙のことです。
いま、本館3室に、たくさんの仮名消息が並んでいます。
(左) 仮名消息 平安時代・12世紀 塚越正明氏寄贈 (2012年7月16日(月・祝)まで本館3室「宮廷の美術」にて展示)
(右) 国宝 延喜式 巻四 紙背仮名消息 平安時代・11世紀 (2012年7月16日(月・祝)まで本館3室「宮廷の美術」にて展示)
ふたつとも、裏に文字が見えます。
左の画像は、消息の紙の裏(紙背)に、聖教(しょうぎょう)を書いています。
消息を書いた故人をしのんで供養するために、その人の手紙の裏にお経を書く習慣がありました。
右の画像は、消息の紙背に『延喜式』(律令の施行細則である式の集大成)が書かれています。
紙は貴重でしたので、手紙や文書などに使った紙背を再利用したのです。
消息(手紙)は個人的な文章ですので、捨てられてしまうことが多かったでしょうが、
紙背を再利用したものは残りました。
とくに、仮名の消息でいまに伝わるものは少なく、とても貴重です。
といっても、さらさらと書かれた仮名は、
美しいですけど、読めません…。
わりと読みやすい仮名消息をご紹介します。
書状案断簡 文覚筆 鎌倉時代・12~13世紀 (2012年7月16日(月・祝)まで本館3室「仏教の美術」にて展示)
字の上から線を引いて、訂正しています。
このまま出すのではなく、清書して手紙は出されます。
これは、手元に置かれた「書状案」です。
私は、「きみの」や「もんかく」(文覚)の字が好きなので、写してみました。
(左)文覚の書状案断簡の拡大図、(右)エンピツ写し
「きみの」は、ゆったりしたように見える字のかたちが好きです。
「き」の一画目と二画目が交わっていないため、空気の通りがよく、文字も明るく見えます。
「もんかく」は、「も」と「ん」がつながっているところがいいです。
(「も」と次の字をつなげることは、よく行われていました。)
私は最近、手紙を書くように心がけています。
電子メールのやりとりは簡単ですが、
手紙の方が喜ばれるようです。
筆をつかって、さらさらと手紙を書いてみたいですが、
それはなかなか難しい!
みなさんも、久しぶりに手紙を書いてみませんか?
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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年07月08日 (日)