本館 16室
2012年7月18日(水) ~ 2012年9月9日(日)
鷗外森林太郎は大正6年(1917)、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に任命され、同11年に在職のまま死去しました。この時期は、世界的にはロシア革命、第一次大戦の終結、社会主義・民族主義の台頭、国内では、デモクラシーの発展、米騒動、政党内閣の成立など大きな時代の変わり目でした。
鷗外は、4年余りの在任中誠実にその職務を務め、創設から 50年近くを経た博物館を、時代の要請に応じた姿に改める役割を担いました。決裁を待つ書類に目を通しつつ、展示の改革、来館者の拡大、調査研究成果の公開に取り組み、当時博物館の管轄下にあった正倉院宝物の管理や上野公園の運営の改善などにも意を用いました。また、自ら館蔵の古典籍をひもとき、厖大(ぼうだい)な解題を書き残しました。鷗外自身はこの時期の業績についてほとんど語ることなく亡くなりましたが、現在まで残された公文書等からは、その精励ぶりをうかがうことができます。
この特集では日本近代を代表する文豪の、知られることの少ない博物館長としての一面を、歴史的な資料を通じて明らかにします。