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1089ブログ

4つの列品解説を楽しむ「古典の日」

11月1日は、「古典の日」です。
日本の古典文学を顕彰する記念日として、2012年9月に法律で制定されました。

なぜ、この日が古典の日なのでしょうか。

平安時代の日記文学「紫式部日記」。寛弘5年11月1日(1008年12月1日)の日記に、紫式部に対して、貴族・歌人であった藤原公任が、「源氏物語」の登場人物の若紫(幼少時の紫の上の呼び名)を話題にしたという記述があるそうです。これが「源氏物語」が歴史上初めて記録されたものであるということから、11月1日を「古典の日」と定めることになったのです。


源氏物語図屏風(初音・若菜上) (右隻) 土佐光起筆 江戸時代・17世紀
源氏物語図屏風(初音・若菜上) (右隻) 土佐光起筆 江戸時代・17世紀
2013年11月12日(火) ~ 2014年1月13日(月・祝)まで、本館7室にて展示されます。こちらもあわせてご覧ください。



この日は、各地の文化施設や学校などで、広く古典に親しめるような行事や取り組みを行うこととなっています。
ここでいう「古典」ですが、法律では、文学のみならず、「音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産」と定義されています。


そこで、トーハクでも「古典の日」にちなみ、日本古来からの文化に親しんでいただこうと4つの列品解説を行います。
それぞれ時間も場所も異なっていますので、1日ゆっくり滞在して4つすべて参加するもよし、気になるテーマに絞るもよし、仕事帰りに夜の回に参加するもよし。

2013年11月1日(金)「古典の日」列品解説は下記のとおりです。

「聖徳太子絵伝について」

日本仏教史上、宗派を問わず民間信仰に至るまで重視された聖徳太子。
その生涯を絵画化した聖徳太子絵伝について紹介します。
時間:11:00 ~ 11:30
会場:東洋館-TNM&TOPPAN ミュージアムシアター
講師:沖松健次郎(保存修復室主任研究員)

国宝 聖徳太子絵伝(部分) 秦致貞筆 平安時代・延久元年(1069) 東京国立博物館蔵
国宝 聖徳太子絵伝(部分) 秦致貞筆 平安時代・延久元年(1069) 東京国立博物館蔵
2013年11月12日(火)~12月8日(日)まで法隆寺宝物館第6室にて展示



「日本陶磁の展開」
平安時代から江戸時代までの日本陶磁の展開を、東アジアにおける陶磁文化の交流という視点も加えて解説します。
時間:14:00 ~ 14:30
会場:本館13室
講師:齊藤孝正(上席研究員)


「国宝 良源遺告」
平安時代の延暦寺を築いた高僧の書を読みます。
時間:16:00 ~ 16:30
会場:本館2室
講師:田良島哲(調査研究課長)


「法隆寺献納宝物と聖徳太子伝承」
法隆寺献納宝物には聖徳太子にまつわる物語が幾つも伝えられています。
今回は美術的な側面とともに、作品と伝承世界との関わりについて解説します。
時間:18:30 ~ 19:00
会場:法隆寺宝物館 第4室
講師:三田覚之(工芸室研究員)



「古典の日」を機に、日本古来の文化芸術に親しんでいただければ幸いです。
 

カテゴリ:news教育普及

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2013年10月27日 (日)

 

清時代の書─碑学派─ 勃興期@トーハク

特集陳列「清時代の書 ―碑学派―」(2013年10月8日(火)~12月1日(日)、平成館企画展示室)は、今回で11回目を迎える台東区との連携企画です。
東京国立博物館、台東区立書道博物館の他、台東区立朝倉彫塑館を加え、台東区内に近接する3館が連携して、碑学派の主な書人の代表作を紹介し、碑学派の流れを概観します。
トーハクでは、碑学派の前期に重きを置き、主として勃興期に焦点をあてます。

清時代に最盛期を現出した乾隆帝が1799年に崩御した頃、中国の書は実に大きな変革期を迎えようとしていました。1400年以上も命脈を保ってきた王羲之を中心とする流麗な書の流れが終焉を迎え、やがて野趣あふれる青銅器や石碑の文字を書の基本とする碑学派が一世を風靡するようになるのです。

乾隆から嘉慶にかけて、知の巨人として学術界に君臨した翁方綱(おうほうこう)は、王羲之の書法を伝える歴代の法帖に執拗なまでの情熱を注ぎ、その考証に腐心していました。現存する名帖の多くには、翁方綱の緻密な識語が書き込まれ、学識の深さを伝えています。

翁方綱は、唐時代の碑を推賞しました(図1)。初唐の能書たちは、宮中に収集された王羲之の原跡を心ゆくまで堪能し、王羲之の書法を体得したうえで碑文を揮毫しているので、唐碑の研究はとりもなおさず王羲之書法の解明につながると考えたのかも知れません(図2)。

模九成宮醴泉銘冊 翁方綱模 中国 清時代・乾隆56年(1791)  高島菊次郎氏寄贈
図1 模九成宮醴泉銘冊 翁方綱模 中国 清時代・乾隆56年(1791)  高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
これは翁方綱が、唐時代の欧陽詢「九成宮醴泉銘」の得がたい拓本から、気になる文字を写し取った手控えの資料。
文字の輪郭を先に写し、後で中を墨でうめています。



図2 双鉤填墨蘭亭序(部分) 翁方綱  中国 清時代・18世紀(展示未定) 東京国立博物館蔵
これは今回の出品ではありませんが、翁方綱が蘭亭序を写しとった手控え資料。それにしても細かな文字!!!。
86歳の長寿を全うした翁方綱は最晩年まで細かな字を書き、細かな字が書けなくなったと周囲にこぼした年に亡くなりました。

翁方綱より37歳年少の李宗瀚(りそうかん)が豊かな経済力を背景に、歴代の弧本を収集したいわゆる臨川李氏(りんせんりし)の4宝、あるいは10宝と呼ばれるコレクションは(図3)、翁方綱の考えを継承するものです。

晋唐小楷冊 中国 原跡=晋~唐時代・4~8世紀 高島菊次郎氏寄贈
図3 晋唐小楷冊 中国 原跡=晋~唐時代・4~8世紀 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵(2013年11月4日(月・休)まで展示)
李宗瀚が入手した拓本の名品に収められた、翁方綱の手紙。翁方綱は李宗瀚に手紙を出して、購入の指南をしていました。
が、翁方綱自身はついにこの名品を見ることなく他界してしまいました。

清時代の初期には、康熙帝が好んだ董其昌(とうきしょう)や、乾隆帝が好んだ趙孟頫(ちょうもうふ)の書風が流行し、ややもすると柔弱に過ぎるきらいがありましたが、翁方綱の唐碑推賞によって新風が吹き込まれることとなりました。
 
翁方綱より31歳年少の阮元(げんげん)は、乾隆帝に抜擢されて、宮中に所蔵される歴代の書跡や絵画の整理に従事、勅撰の『石渠宝笈(せっきょほうきゅう)』を刊行し、自らも『石渠随筆』を著しました。阮元はこのとき、王羲之の書を収めた数々の名帖をたっぷりと鑑賞したことでしょう。しかし阮元は、出土資料を論拠として王羲之の蘭亭序は偽物であると確信、48歳の時に『南北書派論』『北碑南帖論』を刊行し、歴代の法帖より、石碑の拓本に高い価値を認めます(図4)。

行書文語軸 阮元筆 中国 清時代・18~19世紀 台東区立書道博物館蔵
図4 行書文語軸 阮元筆 中国 清時代・18~19世紀 台東区立書道博物館蔵
阮元は碑学派の理論を提唱しましたが、自らは王羲之の流れを汲む美しい流麗な書を書いていました。
帖学派から碑学派への過渡期に活躍した人物であることが分かります。



翁方綱によって是正された清初の書の流れは、阮元の著作によって大きくその方向を転換し、碑学派が隆盛を迎えるのです(図5)。

隷書崔子玉座右銘横披 鄧石如筆 中国 清時代・嘉慶7年(1802) 個人蔵
図5 隷書崔子玉座右銘横披 鄧石如筆 中国 清時代・嘉慶7年(1802) 個人蔵
今年、生誕270年を迎えた鄧石如(とうせきじょ)は、碑学派の祖と称される偉大な人物。
生涯を在野に過ごし、独学で書を学び、篆書や隷書を復興させました。



鄧石如の故居(安徽省懐寧県)


関連事業のお知らせ
列品解説「清時代の書-碑学派-」 2013年10月29日(火) 14:00~ 平成館企画展示室


 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 富田淳(列品管理課長) at 2013年10月26日 (土)

 

上海博物館展特別企画~湊信幸氏に聞く、中国絵画への想い~

特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」担当研究員・塚本麿充が、2009年まで東京国立博物館の副館長をつとめた湊信幸氏に、中国絵画への想いについてお話を伺いました。
今回はそのインタビューの模様をお伝えします。


会談の様子
左:湊信幸氏 右:塚本研究員


展示室に満ちる「清澄の気」


塚本(以下T):本日はお時間をいただき誠に有難うございます。どうぞ宜しくお願いいたします。

湊(以下M):こちらこそ、宜しくお願いします。

T:東京国立博物館では、毎年秋に特集陳列「中国書画精華」を行っています。

M:昔、台北の故宮博物院で毎年秋に「書画精華展」がおこなわれていたのですが、ちょうど、北京の故宮博物院でも秋は書画の名品展をしていましたので、これに合わせて東京でも「中国書画精華」をやろうということで始めたものです。
毎年秋に東京に来れば中国書画の名品がみられるということで、次第に知られるようになり、国内のみならず中国や欧米からも、たくさんの人がみえるようになりました。
特に日本に伝わった宋元画は、中国や欧米に伝わったものとはかなり異なる日本独特のものがありましたので、両故宮の書画精華をご覧になった多くの人は、その違いにお気づきになったかと思います。

T:そして今年の秋は「上海博物館展」を開催中です。まずは展示をご覧になった感想などをお聞かせください。

M:展示室に入ると、「文人の世界」というようなものを感じました。
特に倪瓚の「漁荘秋霽図」や多くの文人の跋をもつ銭選の「浮玉山居図巻」は、作品がその場を支配しているように感じますね。
作品は文人たちの生きた証であり、おのずと気を発しているようです。清澄の気、とでも言いましょうか。
おそらく、どなたでもその空気を感じることができるでしょう。そこには文人の追い求めた世界があるように思われます。


げいさん  せいべんいんきょず  展示風景
(左)一級文物 漁荘秋霽図軸(ぎょそうしゅうせいずじく)
倪瓚筆 元時代・1355年 上海博物館蔵
展示期間:10月27日(日)まで

(中央)一級文物 青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)
王蒙筆 元時代・1366年 上海博物館蔵
展示期間:10月29日(火)~11月24日(日)

(右)展示風景


せんせん
一級文物 浮玉山居図巻(ふぎょくさんきょずかん)(部分)
銭選(せんせん)筆 元時代・13世紀 上海博物館蔵

展示期間:10月27日(日)まで


東博の毎年秋の中国書画精華もそうですが、日本で中国絵画の名品展を開催すると、東山御物をはじめとする、李迪、馬遠、夏珪などの南宋の院体画、牧谿、梁楷、因陀羅などの水墨画や寧波あたりの宋元仏画などが中心になってしまいますが、今回はそれとは全く違います。
日本にはほとんど存在しなかった、しかし、中国できちんと伝来してきた元の倪瓚、王蒙や明の呉派を代表する文人たちの、中国絵画の「本流」といわれるものが来日していることです。これは誠に意義深いですね。

T:湊さんは20年前にも上海博物館展を担当され、今回も本展覧会の開催にご協力いただきました。

M:20年前の上海展は、中国の宋元の書画が初めて海外で公開されたことで大変話題になりました。
当時、上海博物館は10件の宋元画を出品する用意がありましたが、来日がかなったのは6件でした。
何が最後に残るかは分かりませんでしたので、その6件のなかに、一番来日を望んでいた倪瓚の漁荘秋霽図軸と王蒙の青卞隠居図軸が残っていたのは、本当にほっとしましたね。この2件は中国においてその後の文人画の規範となった作品で外せないものでしたから。
今回は、宋元だけで20件も来ていますね。大変感慨深いです。倪瓚と王蒙の2件は、その後、上海では会っていますが、20年をへて東京で再び会うことができたことも大変嬉しく思います。


湊さん


上海と東京の、素敵な関係


T:湊さんの、中国絵画との出会いを教えてください。

M:私の通っていた大学には当時、山根有三、秋山光和、鈴木敬という大先生がおられ、それぞれの先生から実にいろいろなことを教わりましたが、中国絵画との出会いとなると、鈴木先生の元代絵画史研究という講義を聴いたことから始まります。
卒論のテーマを決める時期になった頃、ある日、鈴木先生が、「これをやってみないか」と、台北の故宮博物院にある元時代を代表する文人画家で元末四大家の一人である黄公望の「富春山居図巻」のコロタイプの複製巻を持ってこられました。
宋画というものは、見ればそれなりに何か分かるような気がするものですが、元の黄公望の「富春山居図巻」という水墨の山水長巻は、なかなかつかみどころがないように思えました。
卒論を書いた翌年の1973年に鈴木先生の調査グループの一人として台北の故宮博物院を訪問して、初めて本物を見たのですが、その淡い水墨の表現の見事さは、想像をはるかに超えるもので感動しました。
鈴木先生が「これをやってみないか」とおっしゃった意味をようやく悟ったような気がしたものです。

T:湊さんが日中国交回復後の中国に初めて行かれたのはいつでしょうか。

M:1984年の秋です。島田修二郎先生、鈴木敬先生を中心とする中国絵画調査団の一人として北京故宮、遼寧省博物館、吉林省博物館、天津芸術博物館など北の方をまわりました。
そして、翌年、上海博物館をはじめ、南京、揚州、鎮江、蘇州、杭州、寧波などの南の方をまわりました。

寧波では大変な発見(?)がありました。
南宋時代の寧波の仏画師で陸信忠というのがいますが、その作品には「慶元府車橋石板巷 陸信忠」という落款があります。
(参考図版:重要文化財 仏涅槃図(陸信忠筆  南宋時代・13世紀 宝寿院旧蔵 奈良国立博物館蔵)
「千年丹青展」でも出品された作品です。落款部分は画像右下あたりにありますので、画像を拡大してご覧ください。)
慶元府は寧波のことです。調査団には鈴木先生と宋元仏画の総合調査を長くされていた戸田禎佑先生、海老根聰郎先生がいらっしゃったのですが、皆で、陸信忠の落款にある車橋の石板巷という場所を探そうということになり、苦労した末に、とうとう石板巷という地名にたどりつき、皆で大騒ぎしました。
この顛末については海老根先生が「國華」誌に報告を書いています。
また、杭州では牧谿がいたという西湖畔の六通寺址を訪ねたのですが、牧谿の水墨画のように霧の深い日でした。
牧谿の弟子に蘿窓というのがいて、東博に竹鶏図という有名な作品がありますが、その霧深い中に鶏がいたので、みんなで「あ、蘿窓のニワトリだ!」と、冗談を言ったりして、なかなか楽しい旅でした。


竹鶏図
重要文化財 竹鶏図    
蘿窓筆 南宋時代・13世紀 東京国立博物館蔵



この二度の中国訪問では、中国の博物館に所蔵されている作品もたくさん見せてもらうことができました。
中国に伝わっている作品を見ていくと、鎌倉時代以降、日本に伝わった中国絵画、日本でいわゆる「唐絵」といわれている日本趣味の中国絵画は、中国に伝わっているものとはかなり異なるものであることを、改めて感じましたね。
ですから、20年前の上海展では、日本には伝わらなかった中国絵画、特に文人の作品に重点をおいて選択して東京に持ってきたのです。


93年図録表紙 
1993年開催の「上海博物館展」図録表紙


T:20年前は調査に関してもいろいろとご苦労があったと思います。

M:海外からの展覧会を開催する際、従来は先方の美術館側が選んだ作品をパッキングして持ってくる、ということが一般的でした。
しかし、当時の東洋課では、課長だった西岡康宏さんを中心に新しい展覧会の在り方というものを求めようという機運があり、先方が選んだ作品をそのまま持ってくるのではなく、自分の眼でちゃんと作品を見たうえで出品作品の選定をしようということになったのです。
ですから当時海外展ではまだ一般的ではなかった事前調査をしたのです。
今日は10月11日ですが、今からちょうど21年前の10月11日に事前調査の第一陣(絵画、書跡、彫刻)として上海入りし、それから1週間かけて、上海博の宋元の書画を富田さん(現・列品管理課長)と一緒に全部見せてもらいました。

T:全部ですか!?

M:そう、全部です。毎日たくさん調査するからフィルムが足りなくなって大変でした(笑)。
当時は中国で「中国書画古代図目」が出版されていましたので、その小さな白黒写真をもとにして作品をリクエストし、全部見た後で、何を東京にもってきて展示するかを決めたのです。


中国古代書画図目 中国古代書画図目
「中国古代書画図目」は資料館で閲覧できます。中面、右ページの上段左側に漁荘秋霽図軸が。


T:今では考えられない特別の待遇ですね。

M:そうですね。上海博がわれわれの気持ちをよく理解してくれた結果だと思います。
他の分野もすべて事前調査をさせていただきました。大変有難かったです。
上海博とは、この時以来、強い信頼関係が出来たように思います。
その後、2006年には「書の至宝―日本と中国」展を東京と上海で行いましたが、この時も、お互いがいろいろ困難な問題を乗り越えて誠意をつくしました。


対談 

その後2008年になって、上海博の陳克倫副館長から、上海万博の開催にあわせて日本所蔵の宋元絵画の展覧会を開催したいとのお話がありました。

T:それが「千年丹青-日本・中国珍蔵唐宋元絵画精品展-」ですね。ほとんどが国宝、重要文化財という破格の47件が初めて中国で公開された大展覧会でした。

M:日本にある宋元画は、中国の人は一部の研究者を除いて、ほとんど見たことがなかったのです。
日本に伝わった宋元画は中国にはほとんど伝わっておらず、中国に里帰りさせて、中国の人々に見ていただくのは大変意味のあることだと思いました。
「千年丹青展」は、日本にある宋元画と中国にある宋元画の名品を一堂に集めて展示するものとなり、初めて中国絵画史における宋元画の全体像がみえてくるという画期的な展覧会になったといえます。
日本と中国の多くの関係者の協力を得て、おかげさまで「千年丹青」展は実り多いものとなりました。

T:そのお返し展が今回の展覧会です。
図録ではそのために、展示作品のみならず、東博を中心として日本所蔵の中国絵画を挿図としてたくさん用い、中国絵画の全体像がわかるようにしました。
上海博物館と東京国立博物館は、本当に良い関係を築き上げてきましたね。

塚本さん 湊さん


アジアの未来を、東洋館で


T:学生時代以来、中国絵画の研究はどのように変化したとお感じですか?

M:現在、この展覧会で展示されているような中国絵画の一級の名品が見られるようになったのは、つい最近のことで、戦前までは、そもそも、どこにどのくらい、いいものがあるのか、充分に分かっていなかったと思います。
鈴木先生が創めた中国絵画総合図録の調査と資料公開により、中国絵画のコレクションに関しては世界的に情報公開が進んできたと思います。
また鈴木先生が、これからの中国絵画研究は中国人と中国語で議論できるようでなければいけないとおっしゃっていましたが、日中国交回復後、中国に留学して勉強して帰ってきた人材も増え、中国、欧米とともに日本においても、ようやくいろいろな意味でインターナショナルな研究の環境が整ってきたように思います。
塚本さんもその一人ですね。

T:リニューアルなった東洋館の魅力や、これからのご研究についてお聞かせください。

M:東洋館は、今回のリニューアルによって、従来、充分展示できなかったものも展示されるようになり、また、各分野の展示もとても見やすくなり、作品一つ一つが実によくみえるようになったと思います。
中国書画の展示室に関していえば、文人の部屋を作り、その鑑賞空間を再現したいと思ってきましたが、今回のリニューアルで、文人の机や文房具などを展示するコーナーが出来て、展示室の雰囲気が随分よくなったと思います。
東洋館は、アジア諸地域の文物をまとめて総合的に見ることのできる日本最大の施設であり、日本が絶えず外国とつながっていることを、作品そのものを通して知ることができる場所だと思います。
日本文化を知るためにも、アジアの他の地域の文化を知り、相互に比較する視点は大事だと思います。
例えば、近年、東アジアの絵画とよくいわれますが、これについても、従来は、中国、朝鮮、日本についての相互交流が専らであったと思いますが、これからは東アジアの絵画の中に琉球の存在も意識してみていくことが必要と思っています。
中国からの文物は寧波のみでなく、中国の福建-琉球-薩摩を通して日本に伝わったこともあるはずで、そのことに注意する必要があると思っています。
東洋館においても、そのようなアジア世界の多様性を、特集陳列などで展示してほしいですね。

T:これからも東洋館の面白さを、多くのお客様に伝えていきたいと思います。湊さん、本日は貴重なお話を有難うございました!


お二人の、中国絵画への熱き想いが感じられるインタビューでした。
ぜひ特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」を見て、文人気分を盛り上げていただければ幸いです。


二人の写真

湊信幸:1977年東京国立博物館東洋課研究員。中国美術室長、東洋課長、学芸部長、文化財部長などをへて副館長。2009年退職。現在は名誉館員・客員研究員。「米国二大美術館蔵 中国の絵画」、「上海博物館展」、「吉祥-中国美術にこめられた意味」、「千年丹青」展などの特別展を担当。

塚本麿充:東京国立博物館 東洋室研究員。特別展「北京故宮博物院200選」や、特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」の絵画担当。

カテゴリ:研究員のイチオシnews2013年度の特別展展示環境・たてもの

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2013年10月24日 (木)

 

【上海博物館展コラム】点描項元汴~史上最大の収蔵家は、渋ちんだった?~

巻物であれ、掛軸であれ、作品によっては画面いっぱいに様々な印が押してある場合があります。
これは所蔵者や鑑賞者だけに許された特権。今の我々にとっては、これらの印を整理することで、作品のおおまかな伝来をたどることができます。
作品に最も多い印を押したのは、おそらく乾隆皇帝でしょう。
画面はもとより、表具の上にまで実に堂々とした印を押し、画面に彩りを添えています(図1)。


参考図版1
(図1) 一級文物 浮玉山居図巻(部分)
銭選(せんせん)筆 元時代・13世紀 上海博物館蔵
展示期間:10月27日(日)まで

印も題識も乾隆皇帝。



では、民間人で最も多い印を押したのは誰でしょう?
答えは、明時代の項元汴(こうげんべん 1525~1590)。
特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」前期の作品であればNo.10の浮玉山居図巻(ふぎょくさんきょずかん)に、後期ならNo.17の青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)に、乾隆皇帝と項元汴がその数を競うように印を押しています。

青べん隠居図軸
一級文物 青卞隠居図軸
王蒙筆 元時代・1366年 上海博物館蔵
展示期間:10月29日(火)~11月24日(日)



浮玉山居図巻
一級文物 浮玉山居図巻(部分)


項元汴は、中国の歴史上、民間人としては最も偉大な収蔵家だったと言えます。
現在伝えられる名品のほとんどに、項元汴の印が押されていると言っても過言ではありません。
項元汴は日本の「いろは歌」に相当する、「千字文」の字を整理記号として作品に書き込み(図2)、余白にはおびただしい数の印を押しました(図3)。


参考図版2
図2 
一級文物 浮玉山居図巻(右下部分)
千字文の「其の祗植を勉む(そのししょくをつとむ)」の「祗」字を書きつけています

参考図版3
図3
一級文物 浮玉山居図巻(部分)
たとえば画面の左上、二行にわたって数々の印を押しています。


自ら入手の経緯を記し、時には購入価格までをも明記する場合があります(浮玉山居図巻は30金!でした)。
そのため、項元汴の印があるだけで、作品の出来ばえが保証されたようなものですが、一方では美しい作品を汚したと非難されることもあります。

さて、この項元汴とは、どんな人物だったのでしょうか?
項元汴の父・項詮(こうせん)は官途につくことなく、嘉興(かこう  浙江省)で豊かな財産を築きました。
項詮には、3人の息子がいました。項詮の没後、家業を継いで巨万の財産としたのが、末っ子の項元汴だったのです。
項家はどうやら質屋を経営していたようで、項元汴はいながらにして天下の珍宝の多くを入手することができました。
また自らも書画に眼が利いたので、普段の生活は徹底して節約し、収蔵品を増やしていきました。
ただ、蓄財に専心するあまり、本来の価値より高く購入してしまうと、悔しさを顔ににじませ、食事も喉を通らなかったそうです。

そんな弟の性格を熟知していたのが、兄の項篤寿(こうとくじゅ)でした。
項篤寿は嘉靖41年(1562)に進士に及第し、温和な性格の持ち主でした。
項篤寿はあらかじめ小僧を偵察に出し、項元汴が書画を高く買って鬱々と日々を過ごしていることを知ると、項元汴の家を訪ね、最近入手した書画を見せてもらいます。
そして高く買った作品が出ると、項篤寿はその書画を絶賛しまくり、項元汴が買った値段で引き取って帰るのでした(朱彝尊『曝書亭集』巻53)。

もっとも、項元汴の名誉のために一言。
徹底した吝嗇家であった項元汴ですが、万暦16年(1588)、干ばつに見舞われた江南が大飢饉となった時、項元汴は私財をなげうって多くの郷土の人々を助けたこともあります(図4)。


墓誌銘
(図4)
行書項墨林墓誌銘巻(ぎょうしょこうぼくりんぼしめいかん)
董其昌筆  明時代・崇禎8年(1635)  高島菊次郎氏寄贈  東京国立博物館蔵
項元汴と親交した董其昌が書いた、項元汴の墓誌銘です。



項元汴の集めた数々の名品は、兄の項篤寿が亡くなり、政界へのつてもなくなってしまうと、貪欲な官僚たちの餌食となり、さらに明末の動乱によって散逸してしまったのでした。
項元汴の偉大な収蔵品は、厚徳の兄・項篤寿に支えられていたと言えるかも知れません。

追記:
嘉興(浙江省)の出身であった朱彝尊は、項家と姻戚関係にありました。
項元汴の没後39年目に生まれた朱彝尊は、幼い頃に項元汴の築いた天籟閣(てんらいかく)に登ったことがあったそうです。
項元汴の所蔵していた青卞隠居図軸は、その後、北京の旧家が入手するところとなりました。
朱彝尊は初め清朝に仕えず、各地を遍歴して学問を積んでいましたが、康煕18年(1679)、51歳の時に博学鴻詞科(はくがくこうしか)に挙げられ、北京で『明史』の編修に従事するようになります。

これは朱彝尊が北京にいた頃のお話。
北京の旧家では、後に青卞隠居図軸をお針子に持たせて、この名画を市に売りに出しました。
たまさかこれを見かけた朱彝尊は、銭30緡(びん)の手付金を支払い、書斎に掛けること10日間、ためつすがめつ天下の傑作を堪能します。
ちなみに当時の青卞隠居図軸には、玉のように堅い薄緑色の官窯の軸がついていたそうです。
しかし朱彝尊は手元不如意、どうしても残金が支払えません。その頃、にわかに戸部尚書(こぶしょうしょ)の高い地位にあった梁清標(りょうせいひょう)が名乗り出て、白金5鎰(いつ)で購得しました。

晩年に宰相を務めた梁清標は、やがて郷里に帰り、その没後、愛蔵の書画は散逸してしまったそうです。
青卞隠居図軸の余白には、項元汴や乾隆皇帝の印とともに、梁清標の印も押されていますが、10日間の所有者、朱彝尊の印が押されることはありませんでした。

乾隆皇帝や項元汴を魅了した天下の名品・青卞隠居図軸は、10月29日(火)からの公開となります(イチオシ)。
全ての宋元作品と一部の明清作品も展示替え!!特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」後期展示もお楽しみに。

カテゴリ:研究員のイチオシnews2013年度の特別展展示環境・たてもの

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posted by 富田淳(列品管理課長) at 2013年10月23日 (水)

 

清時代の書に挑戦!

現在平成館企画展示室で開催されている特集陳列「清時代の書 ―碑学派―」はもうご覧になりましたか?
じつは台東区立書道博物館でも、同じ名前の展示を開催しています。
トーハクと書道博物館に展示している作品をお手本に、実際に書いてみよう!というファミリーワークショップ「清時代の書に挑戦!」を開催しました。

臨石鼓文軸
臨石鼓文軸 呉昌碩筆 中華民国・民国14年(1925) 東京国立博物館蔵(12月1日まで展示)
右は「馬」の拡大


トーハクに展示されている作品のなかの字です。
「馬」という字だとはかはわかるけれど、こんなふうに書いた事はなかなかありませんよね。
どんな書き順?
どうしたらもっと近づける?
こどもたちは戸惑いながらも考え、何度も練習し、トーハクと書道博物館の先生に相談します。
先生のアドバイスを受けながら笑顔で書いているかと思えば、書家のようなまなざしで書に向かいます。

練習

練習が順調にすすむと、段々こなれて自信がついてきたよう。試行錯誤の賜物ですね。
ついに色紙、うちわに直接清書です。
書道博物館で展示されている中村不折の作品からとった「知識」を書き続けた女の子は書道を習っているそうで、その集中力は目を見張るものがありました。
不折の雰囲気がでています。
「馬」を書いた男の子、大きく堂々とした書きっぷりです。
じつは午年なんだとか。ぜひ来年のお正月には今日書いた作品を飾ってくださいね。

清書

最後に印を押したら完成!みんなよく頑張りました!

完成

楽しかった、と口をそろえるこどもたちに、お手本にした展示作品についての感想を聞くといろんな答えが返ってきます。
「同じ字でもいろんな書き方があってかたちも違うから字を探すのが楽しそう」
「下手だけど印象に残るものがあって、その印象をあじわいといって、それもいい作品っていうことがわかった」
難しいことはともかく、純粋に作品を見て、書いて楽しんでほしい。そう思って開催したワークショップでした。
感想を聞いて、そして清書した色紙やうちわを大切そうに抱えて持ち帰る姿をみて安心しました。
目標は達成できたかな、と。

書をもっと知りたい方はもちろんですが、「わからないからいいや・・・」と食わず嫌いをしている方もぜひ、トーハクや書道博物館で開催している「清時代の書 ―碑学派―」で、まずは見て楽しんでみることから始めてみてはいかがでしょう?
書いてみたらもっと楽しめます。
書道博物館でもワークショップを企画しています(おとなも参加可)。
食わず嫌いを克服し、こどもたちにも負けないほど、清時代の書を楽しめるかもしれません。

カテゴリ:教育普及特集・特別公開

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年10月21日 (月)