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1089ブログ

東北の三大薬師がトーハクに集結!

素朴で力強く、そして温かみのある東北の仏像。
東北6県を代表する魅力あふれる仏像を、トーハクでご覧いただけることとなりました。

当館では、特別展「みちのくの仏像」(1月14日(水)~4月5日(日) 本館特別5室)を開催します。


9月16日(火)には、平成館大講堂で報道発表会を開催し、
本展覧会の担当研究員・丸山士郎より、見どころと展示作品についてご説明いたしました。


作品解説中の丸山研究員


展覧会には、東北の三大薬師といわれる黒石寺(岩手県)・勝常寺(福島県)・双林寺(宮城県)の
薬師如来坐像がいらっしゃいます!
3体のお像が揃うのは初めて。三大薬師の記念すべき初顔合わせです。


国宝 薬師如来坐像
平安時代・9世紀 福島・勝常寺蔵

仏像ファンが愛してやまない、円空作の仏像もいらっしゃいます。
そのうちの1体、常楽寺(青森県)の釈迦如来立像は、円空初期の作品。
ノミ跡が荒々しい後期とは違って、表面を滑らかに仕上げ、細かなところまで表現しています。


釈迦如来立像
江戸時代・17世紀 円空作
青森・常楽寺像
(画像提供:須藤弘敏)


ちんまりとかわいらしいお像にも注目です。
秋田県・小沼神社の聖観音菩薩立像の頭部をよーくご覧ください。
頭部の大きなこぶに刻まれているのは、小さな愛らしいお顔。
その愛らしさに「まるで雪ん子!」と、丸山研究員もすっかり虜です。

                
聖観音菩薩立像                       (部分)        
平安時代・10世紀 秋田・小沼神社蔵
(画像提供:東北歴史博物館)

小さなお像の次には、大きなお像を。
給分浜(きゅうぶんはま)観音堂の十一面観音菩薩立像は、高さ約290cmという大きさ。
こちらのお像が安置される観音堂は、宮城県の給分浜を見下ろす高台に立っています。
東日本大震災では、給分浜は津波の被害に遭いましたが、お像は難を逃れました。


重要文化財 十一面観音菩薩立像
鎌倉時代・14世紀 宮城・給分浜観音堂蔵
(画像提供:東北歴史博物館)


丸山研究員は、「東日本大震災の折、被災地の人びとがみせた
忍耐強さや助け合いの精神に、私たちは心を動かされました。
東北の仏像の力強く、それでいて優しいお顔には、
そのような東北の人たちの気質が表れていように思えてなりません」
と、発表を締めくくりました。


報道発表会では、特別展「みちのくの仏像」と同時期に開催する、
特別展「3.11大津波と文化財の再生」(2015年1月14日(水)~3月15日(日))の概要も発表されました。

東日本大震災で発生した大津波は、文化財にも甚大な被害をもたらしました。
本展覧会は、そういった被災文化財再生への取組みをご紹介するものです。
実際に、再生のための処理を施した資料をご覧いただけます。

   
奥州市埋蔵文化財センターでの         安定化処理後の石川啄木歌碑拓本
拓本の安定化処理作業

さらに、文化財再生を通じて結ばれた絆の象徴として、
岩手県立高田高校の実習船「カモメ」も展示する予定です。
船が大津波で流され、アメリカの西海岸に漂着した、というニュースを
ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
漂着時には、びっしりと貝が付着して傷みも見られた船はクリーニングされ、
生まれ変わった「カモメ」は、2013年、高田高校に返還されます。
これは、アメリカの高校生の呼びかけにより、実現しました。


実習船「カモメ」と岩手県立高田高校の生徒たち
(画像提供:東海新報社)



2つの展覧会が、東北復興の一助となることを祈っています。
2015年に開催されるトーハク最初の展覧会、どうぞお楽しみに!

カテゴリ:news

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posted by 高桑那々美(広報室) at 2014年09月19日 (金)

 

絵につつまれて暮らす―屏風体験―

現代の私たちの生活では、家に屏風があるという人はめったにいないと思います。
美術館や博物館、あるいは結婚式場や料亭など、
特別な場所でしか目にすることのないものかもしれません。

屏風とは、今でいうパーテーションや衝立のように使われた移動式の壁とでもいうもので、
風除け、目隠し、間仕切りなどの目的に使われました。
昔の人たちにとっては、特別な美術作品というよりは、
日々の生活の道具だったわけです。

しかし、日常の道具といっても、そこにはいろいろな絵が描かれています。
絵につつまれて暮らすなんて、なんだかとても豊かに聞こえますね。
屏風を使う暮らしとは、どのようなものだったのでしょうか。
9月6日に行われたファミリーワークショップ「屏風体験!」では、
それを小学生とそのご家族の皆さんに体験していただきました。

まず、本館2階の7室で3種類の屏風を鑑賞。

屏風とは一体何に使われたのか、というお話を最初にしました。
そして二曲一双、四曲一隻、六曲一双など、
形状によって呼び名が違うこと、
白い紙だけでなく、金や銀の地に
墨一色で描かれたり、色を使っていたり、
描き方もそれぞれ違うことを確認しました。

次に、展示室を後にして博物館の庭園にあるお茶室、応挙館に向かいます。

ここではなんと、国宝『松林図屏風』(の複製)が皆を迎えてくれました!
(ひとめ見て「まさか、本物じゃないですよね…」
とつぶやいた親御さんがいらっしゃいました。残念ですが、複製です…)

こんなところに、『松林図屏風』が!
こんなところに、『松林図屏風』が!

キヤノン株式会社の「綴プロジェクト」の一環で
作成された『松林図屏風』の複製を使い、
応挙館での前半は「屏風の置き方」をテーマにした内容です。

まずは参加ファミリーを3チームに分け、
ミニチュア屏風を使いながら、
それぞれの「理想の屏風の置き方」を考えていただきます。

手で動かしているうちに、アイデアがわいてきます
手で動かしているうちに、アイデアがわいてきます

「自分を囲み込むように置いて、絵に包まれたい…」とか、
「一双を向かい合わせに立てて、松林の間を迷路みたいに歩き抜けたい」とか、
皆さんいろいろなアイデアが浮かんできたようです。

それぞれのチームのアイデア通りに、複製の屏風を置いていきます。
配置の仕方によって、描かれた松林の風景がぐっと広がってみえたり、
コンパクトに見えたり、自分がすっかりその中に入り込んでしまったように思えたりと、
見え方が大きく変わります。


展示室ではまず見ることのできない摩訶不思議な屏風の配置を見て、
「うちに屏風があったら、毎日置き方を変えて楽しむのに…」と
本気で思ってしまいました。

こんな屏風の置き方、見たことない!
こんな屏風の置き方、見たことない!

屏風の前で立ってみたりごろんと寝転んでみたり、
くぼみから顔を出してみたり、皆それぞれに屏風と遊んだひとときでした。

屏風に挟まれてリラックス   それぞれのプライベート空間
屛風に挟まれてリラックス…      それぞれのプライベート空間


休憩時間のあと、後半は「明かりが変わると屏風はどう見えるか」がテーマです。

今までついていた蛍光灯を消して見ると、
障子を閉めた日本家屋の中は、昼間でもかなり暗かったことが分かります。
さらに、夜に向けた明るさの変化を擬似的に体験していただくために、
雨戸を次々に閉めてみました。
とうとう真っ暗になり、もう松林が見えなくなったところで、
ろうそくの灯りをイメージした暖かな色合いの照明器具をつけてみました。
暗い中に、ぼんやりと松林が浮かび上がり、幻想的な光景です。
ろうそくのゆらめきのように調光してみると、
松林の奥行きがすっと変化するようです。

ろうそくをイメージした灯りで幻想的に
ろうそくをイメージした灯りで幻想的に

周囲が暗くなると、不思議と周りの音がよく聞こえてくるようでした。
参加者の皆さんも、集中して静かに屏風をごらんになっていました。

蒸し暑い日でしたが、障子越しの薄暗い自然光のもとで、
蝉の声をバックにじっと見る『松林図屏風』は、
一瞬別世界に連れて行かれるような、
格別の静けさと涼しさをもたらしてくれました。

自然光で見るのもまた素敵です
自然光で見るのもまた素敵です

昔の人は、暮らしの中でどんな配置で、そしてどんな明かりの下で
屏風と暮らしていたのか。
ファミリーワークショップ「屏風体験!」は、
それをゆっくりと体験できる、とても贅沢な時間でした。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ教育普及

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posted by 藤田千織(教育普及室主任研究員) at 2014年09月12日 (金)

 

元末四大家とともに―東アジア文人のふるさと―

今回展示されている中国絵画の目玉の一つに、元代文人画があります。元時代に活躍した四人の文人画家、黄公望(こうこうぼう)(1269-1354)、倪瓚(げいさん)、呉鎮(ごちん)、王蒙(おうもう)を特に「元末四大家」と呼びますが、今回はそのうち三人もの代表作が一挙に来日しています。
皇帝の至宝といえば、絢爛豪華な作品に目がいきがちですが、皇帝たちがもっとも愛してきたのはこの元末四大家の作品でした。そこには東洋の魂がこめられているからです。



「元末四大家」は中国人なら誰でも知っている、最も重要な画家です。例えるなら、ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)、ミケランジェロ(1475-1564)、 ラファエッロ(1483 -1520)のルネサンス三大巨匠の代表作が、全て東博に来日しているようなものです(もっとも、ルネサンスの画家たちは元末四大家よりも150年も後に活躍した人々なのですが…)。


張雨題倪瓚像図巻(ちょううだいげいさんぞうずかん) 元時代・14世紀 台北 國立故宮博物院蔵

倪瓚は、日本で例えれば西行や松尾芭蕉のような人。元末の戦乱を避けて、家や妻子を捨てて流浪の生活を送りました。その芸術作品は、どこまでも静かで寒々とした孤高を感じさせ、見る人の心に迫ります。

 
紫芝山房図軸(ししさんぼうずじく) 倪瓚筆 元時代・14世紀     台北 國立故宮博物院蔵
倪瓚の山水画は、一人も描かれないのが特徴です。画家の孤独な心象風景を象徴するようです。


世界の絵画史上もとても早い14世紀に、中国では故郷や友人との交流といった、とてもプライベートな事柄が描かれるようになります。画家たちは皇帝のために豪華な肖像や神話画を描きあげる職人ではなく、個人の内面世界を表現する“文人”となり、その理念が東アジア全体に広がっていったのです。

 
漁父図軸 呉鎮筆 元時代・至正2年(1342) 台北 國立故宮博物院蔵

呉鎮もまた清貧の生活を送った文人です。月光のもとで、ゆったりと船に乗る高士の姿は、呉鎮の自画像かもしれません。


具区林屋図軸(ぐくりんおくずじく) 王蒙筆 元時代・14世紀
 台北 國立故宮博物院蔵

見るもの誰もが「ぎょっ」となる王蒙の作品。彼もまた戦乱の世にあって悩み苦しんだ文人でした。ここでは右上に洞窟の入り口が描いてあることに注目ください。その道をぬけると、中には花咲く理想世界が広がっていた、という構図です。
想像してみてください。混乱した戦乱の世。自分の居場所はどこにもありません。しかし王蒙はこの、岩に囲まれ、隔離された小さな空間に、家族とともに暮らす理想郷を見出したのです。

 
湖から続く小さな洞窟を抜けると…。

 
戦乱を避けて、静かに読書する文人と、花を生ける女性の姿が描かれています。


ルネサンスがその後の西洋美術発展の礎となったように、元末四大家はその後の東アジア絵画の発展の基礎となりました。なぜ昔の人の絵は山や川ばっかりなのか、なぜ墨ばっかりで描いているのか、誰にもかけそうな絵がどうして国宝なの?  そんな疑問の全ての答えは、この元四大家の誕生にあります。
人間の精神に関心を持つ全ての方々にごらんいただきたい、東アジア文化の結晶なのです。その後、中国は度重なる戦乱に見舞われますが、それでも現代に至るまで人々がそのよりどころとし、必ず尊重してきたのは、この元末四大家の権力に屈せず精神の自由を守ろうとする生き方だったのです。
 


元末四大家が活躍したのは、江蘇省と浙江省にまたがる太湖の周辺でした。東アジア文人画のふるさとと言えます。


最後に一つ、私の大好きな絵を。これは王允同(おういんどう)という人が、地元である「荊渓(けいけい)」の風景を描いてもらい、12人の友人たちにその風光をほめてもらう詩を寄せ書きしてもらった作品です。

 
荊渓図軸 陳汝言筆 元時代・14世紀 台北 國立故宮博物院蔵
真ん中の橋は、この地を訪れた人々ならば必ず渡ったであろう「蛟橋(こうきょう)」でしょう。街のシンボルです。上にあるのが友人たちの寄せ書き。


人は誰でも故郷があります。そしてそこで友人や家族と幸せに暮らしたいと願っています。しかしそのことは、様々な原因で適うことはないのが普通です。その時、このような、理想化された風景が描かれていきます。この絵の前にたてば誰もが(それこそ皇帝から文人、現代の私たちに至るまで)、元代文人画が描こうとした、故郷への愛や友人との交わり、内面の充足といった、普遍的な感情を共有できるでしょう。
故宮文物はただ単に中国だけの宝ではありません。私たち東アジア共通の宝であるというのは、このような理由によるのです。じっくりとお楽しみくだされば幸いです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2014年09月11日 (木)

 

多宝格が象徴する乾隆帝コレクション-収集と「倣古」の意味-

故宮収蔵品の大部分は、中国歴代の皇帝が収集したコレクションを受け継いだもの。
皇帝コレクションは、4千年以上前の新石器時代から各時代・王朝を代表する文物とともに、後世それにならって作った「倣古(ほうこ)」のものから構成されています。
そこで、特別展「台北 國立故宮博物院ー神品至宝ー」の会場には、さまざまな時代の文物と倣古の作品を並べて展示した「倣古コーナー」を3箇所設けました。

 犠尊
(左)犠尊(ぎそん、元~明時代・13~14世紀)は、(右)犠尊(戦国時代・前4~前3世紀)の倣古

青磁弦文瓶
(左)青磁弦文瓶(せいじげんもんへい、清時代・18世紀)は、(右)青磁輪花鉢(せいじりんかはち、南宋時代・12~13世紀)のような南宋官窯青磁の倣古

文王玉方鼎
(左)文王玉方鼎(ぶんのうぎょくほうてい、清時代・乾隆年間(1736~95))、(右)文王方鼎(明時代・15~16世紀)ともに文王方鼎の原器(西周時代・前11世紀 現存せず)の倣古

中国の伝統的な価値観では、過去、とくに殷周時代(前16-前3世紀)以前は単なる過去ではなく、徳のある王や賢人が理想的な政治をおこなった神聖な時代とみなされてきました。
倣古は先人の崇高な精神やいにしえの理想世界を少しでも体現しようとして作られたのです。
清の乾隆帝(けんりゅうてい、在位:1735~95)は、歴代皇帝のなかでも、過去の文物の蒐集のみならず、倣古の制作にもっとも心血を注いだ人物のひとりとして特筆されます。
その乾隆帝コレクションの縮図ともいえる象徴的な作品があります。
紫檀多宝格(したんたほうかく)です。

約25センチ四方の小さな紫檀製の箱に、30点もの文物が整然と収納されています。
一体どのように中身を収めているのでしょうか。
その仕掛けは圧巻。

紫檀多宝格 紫檀多宝格
左:紫檀多宝格 清時代・乾隆年間(1736~95)
右:各側面の窓枠をスライドさせて取り外します


紫檀多宝格 紫檀多宝格
左:各側面の右半分に仕込まれた棚が回転しながら出てきます
右:底の台のなかにも整然とミニチュアの文房具を収納


側面を飾る書画は、いずれも宋元を代表する作家にならって作らせたもの。
箱の中身は大部分が青銅器・玉器・陶磁器・文房具など中国のさまざまな時代・材質の文物で占められています。
乾隆帝がもともと所蔵していたものと、新規に作らせたミニチュアの倣古に分けることができます。
たとえば、ある瓶の外面底部には北宋・徽宗(きそう、在位:1100~25)の元号である「宣和(せんな)」の銘をもつものがあります。

紫檀多宝格の白磁瓶
多宝格に収納された「宣和」銘の瓶

これは北宋の磁器にならって乾隆帝が作らせた倣古です。
乾隆帝は「東洋のルネッサンス」とも評される徽宗の文化事業[過去記事「徽宗コレクションから乾隆帝コレクションへ-故宮文物に出合う喜び-」を参照]を強く意識していました。

出土品・伝世品を集め、倣古を作って補完した歴代名品のコレクションは、先人の理想的なおこないを敬慕し、その文物を受け継ごうとする中国の皇帝にふさわしいものです。
実際の文物のほかに倣古のものを加えて、皇帝コレクションの何たるかを視覚化してみせた多宝格。
冒頭に紹介した3箇所の倣古コーナーは、この多宝格につづく伏線でもあるのです。

しかし、この多宝格のなかには、中国以外の地域のものも含まれています。
たとえば、ルビーの嵌めこまれた指輪は、その代表的なものです。

ルビーの指輪
多宝格に納められているルビーの指輪。ルビーは東南アジア産のものと推定されます

また、この青銅製の水差しは、西アジアから中国北方草原にかけて騎馬民族が使用した棍棒頭を上下逆さにして転用したものと考えられます。
孔にはもともと木製の柄が挿しこまれ、打撃用の武器として使われました。

青銅製水差しと杓 青銅製棍棒頭
左:棍棒頭から転用されたと思われる青銅製水差しと杓(手前)
右:青銅製棍棒頭(東京国立博物館所蔵 TJ-3909 径4.7、高3.1センチ 年代不詳) ※この作品は展示されていません

多宝格のなかに収められた古今東西の文物には、従来の中華世界の枠を越えて、その外側に広がる世界にも目を向けた乾隆帝の真骨頂を見てとることができます。

徽宗コレクションではじまる本展の会場は、この多宝格の周囲に実際の乾隆帝コレクションを配した空間でクライマックスを迎えます。
乾隆帝が作らせた倣古の器物や、中国の歴代王朝の文物に刻ませた詩には、中華世界の伝統文化を受け継ぐだけでなく、再編しようとする野心さえうかがえます。

鷹文玉圭 表面に刻まれた乾隆帝の詩
左:鷹文玉圭(ようもんぎょくけい、新石器時代(前2500~前1900年))
右:同作の表面に刻まれた乾隆帝の詩


一方、タイ国王から献上された金葉と螺鈿漆器の箱などには、中華世界の外側にも関心を寄せていた乾隆帝のスケールの大きさがうかがえます。

シャム金葉表文
シャム金葉表文(きんようひょうもん)は、シャム(タイ)のタークシン王(在位:1767~82)の使節が乾隆帝に上程した金の文書。奥の螺鈿漆器はその容器

会場ではこうした乾隆帝ならではのコレクションの数々を、その縮図ともいえる多宝格の周囲に配し、さらにこの展示空間をまるごと巨大な造作物で覆いました。

多宝格造作

この造作物は周囲が四角い箱状で、中央上部に緑色の円形の装飾がついています。
これが何の形を表しているか、おわかりでしょうか。

そう、多宝格です。

俯瞰した多宝格再現展示(イメージ) 俯瞰した多宝格
左:俯瞰した多宝格再現展示(イメージ)
右:俯瞰した多宝格


多宝格に象徴される乾隆帝コレクションは、中国の歴代皇帝コレクションの集大成であると同時に、従来の皇帝コレクションの枠を超えた壮大なスケールをもつものでもあります。
その特異な歴史的意義に、多宝格の「現代版倣古」ともいえるこの展示空間で少しでも触れていただけましたら幸いです。

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 川村佳男(平常展調整室 主任研究員) at 2014年09月04日 (木)

 

聖人たちのアトリビュート

特集「キリシタン関係遺品」(8月26日(火)~10月5日(日)、平成館企画展示室)では、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えた16世紀半ばから、キリスト教禁教令が廃止される直前の19世紀半ばまでの遺品と関係資料を約70点展示しています。美しい遺品として人気の高い「親指のマリア」もご覧いただけます。

キリシタン関係遺品について、知っているとちょっと得した気分で鑑賞できる情報を紹介します。それは「聖人たちのアトリビュート」です。

キリスト教美術に登場する聖人には、その人に由来する持ち物や小道具が添えられています。それらの物をアトリビュートといいます。アトリビュートは聖人を特定するヒントになります。今回の展示作品にも数々のアトリビュートをみることができます。

重要文化財 三聖人像(模写)
(左) 重要文化財 三聖人像(模写) 長崎奉行所旧蔵品 安土桃山~江戸時代・16~17世紀
(右) 部分拡大

三人の聖人たちが持っている物、これがアトリビュートになります。中央の聖人は殉教具の金網と棕櫚を持っているため、聖ロレンソ(ラウレンティス)とされています。これは聖ロレンソが格子状の金網で焼かれて殉教したという伝説に由来します。棕櫚の枝は殉教者共通のアトリビュートです。左側の聖人はマリアの純潔を象徴する百合と福音書(キリストの言行録)を持っているため、ドミニコ会の創始者である聖ドメニクス(ドミニコ)、あるいはパドヴァの聖アントニウスとされています。右側はキリストの磔刑を象徴する茨の冠をつけ百合を持っているため、シエナの聖カタリナだとされています。

重要文化財 聖人像
重要文化財 聖人像 長崎奉行所旧蔵品 安土桃山~江戸時代・16~17世紀

次は象牙の聖人像。さきほども登場した聖アントニウスだとされています。幼子キリストがアトリビュートです。これは聖アントニウスが幼子キリストの姿を幻視したという伝説に由来します。聖アントニウスにはほかにも魚、燃える心臓などのアトリビュートがあります。

重要文化財 板踏絵
(左) 重要文化財 板踏絵 無原罪の聖母  長崎奉行所旧蔵品  江戸時代・17世紀
(中、右) 部分拡大

板にはめ込まれているのは、信者から没収した大型のメダイです。星の冠、足元の三日月は聖母マリアのアトリビュートです。特に、穢れなくしてキリストを身ごもったマリアを象徴します。そのためこのマリアは「無原罪の聖母(御宿り)」とよばれます。マリアの姿はヨハネ黙示録12章にある「壮大なしるしが天にあらわれた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、その頭に十二の星の冠をいただいていた」に由来します。


重要文化財 親指のマリア
重要文化財 聖母像(親指のマリア) イタリア 長崎奉行所旧蔵品 17世紀

最後に「親指のマリア」にみるアトリビュートを。それは青いマントです。聖母マリアを「海の星」と称えた聖歌が由来のようです。海=青ということでしょう。このアトリビュートはとてもよく知られるもので、青色は聖母マリアを象徴する色になっています。ちなみに赤色は神の慈愛を示す色ですが、親指のマリアのマントの裏側にも赤色が見えます。

聖人たちのアトリビュート、いかがでしたか? そういえば、アトリビュートではないのですが、聖母マリアは泣いている表情で描かれることがしばしばあります。今回展示した親指のマリアも涙しています。彼女の美しい涙のしずくもお見逃しなく。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 神辺知加(教育講座室研究員) at 2014年08月27日 (水)