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来舶清人とその交流―豊かな地域文化に触れる―

多くの人々の長年の努力によって開催の運びとなった「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」。同時期に東洋館では名品を公開しています。この記念すべき歴史的展覧会で、東洋館では何を展示すべきなのか、迷った末に選ばれたのが「来舶清人」というテーマでした。

江戸時代の日本に最も影響を与えた画家は、「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」展で展示されている趙孟頫(ちょうもうふ)でも倪瓚(げいさん)でもありません。彼らの真筆は國立故宮博物院が開院するまでほとんど見ることができなかったからです。その代わり、日本に大きな影響を与えたのは、「来舶清人」(らいはくしんじん)と呼ばれる、長崎にやってきた中国の文人たちでした。

展示風景
日本にやってきた中国画家たち─来舶清人とその交流─」の展示風景(東洋館8室にて、7月27日(日)まで展示)


彼らには大きな特徴があります。ほとんどが浙江や福建(閩浙(びんせつ)地方といいます)の出身なのです。当時、政治文化の中心であった北京とは遠く離れた、いわば、「地方」文人ということになります。


富士真景図
富士真景図  方済(ほうさい)筆 中国 清時代・18~19世紀 個人蔵
富士山を得意とした中国人画家・方済による作品。安房の国(千葉)に漂流する途中で富士山を見たと言われています。
中国人が富士山を描くなんて、不思議な気分ですが、当時の日本人も珍しがって求めたのでしょう。



蘭竹石図
蘭竹石図 羅清(らせい)筆 中国 清時代・光緒元年(1875) 個人蔵
羅清は広東省出身の文人画家。来日し、なんと浅草寺で、友人の松本良順のために描いた作品です。「指頭画(しとうが)」とよばれる、筆ではなく「指」で描いた作品です。


絢爛たる北京の書画に見慣れた私たちの眼にうつる彼らの作品は、とても個性的です。たとえば沈南蘋(しんなんぴん)。その画風は、北京で流行していた清廉な正統文人画と比較すれば、濃彩を多用した、保守的なものです。しかし江戸時代の日本人は、宋から明の花鳥画の趣を残した沈南蘋の画風を愛し、積極的に受容しました。


鹿鶴図屏風
「鹿鶴図屏風」 沈南蘋筆 中国 清時代・乾隆4年(1739) (山崎達夫氏寄贈)
中国にも残っていない沈南蘋の代表作! 中国にはない日本屏風の形式であることからも、帰国した沈南蘋に日本から「注文制作」された作品と考えられています。

禽獣図巻(模本)
「禽獣図巻(模本)」 模者不詳 明治13年(1880)
その画風が明治初年まで大きな影響を与えていたことは、東博に所蔵される模本類からも知られます。

また、浙江省の出身の張莘(ちょうしん)。清初に一世を風靡した惲寿平(うん じゅへい)の画風にならう華麗な花鳥画は、その後、椿椿山(つばきちんざん)らの絵画に影響を与えました。しかし、彼らは中国ではほとんど無名の地方画家たちなのです。浙江・福建と長崎を通じた日本との交流。ここで重要なのは、絵画史は北京にだけにあるのではなく、その周辺の地域や地方にも豊かな絵画文化が息づいているということでしょう。


 石榴図、牡丹図、雑花果蔬図
(左)石榴図、牡丹図(2幅)  張莘筆 中国 清時代・18世紀(林宗毅氏寄贈)
台湾出身の実業家でコレクターであった、
林宗毅氏による寄贈。林氏の来歴は、8室映像トランクでも紹介しています。
(右)雑花果蔬図 椿椿山
筆 江戸時代・嘉永5年(1852) (2014年10月28日(火)~12月7日(日)まで本館8室にて展示予定)
椿椿山は張莘から清朝花鳥画の描法を学んだといわれています。



東京国立博物館にはたくさんの中国絵画の名品が所蔵されていますが、世界各地からご来館される皆様に見ていただきたいのは、中国絵画の歴史だけではありません。それを守り伝えてきた私たちの地域の歴史もまた、絵画の重要な歴史の一部分として、ご覧になっていただきたいと思っています(そのことは2013年の「江戸時代がみた中国絵画」でも展示してきました)。
國立故宮博物院がある台湾には、中華文明だけではない、豊かな地域文化が息づいています。来舶清人の故郷である福建は、台湾に多くの移民を送り出し、今でも同じ閩南(びんなん)語が話されています。これら来舶清人たちの作品は、地域の交流の歴史を教えてくれる、重要な証人と言えるでしょう。

中国文人の書斎展示風景
「中国文人の書斎」展示風景
   

書斎展示作品
(左)蔬菜竹彫筆筒  「芷巌周灝」銘 中国  青山杉雨旧蔵 清時代・18世紀 (青山トク氏寄贈)
(右)蟠夔鼎(
はんきてい) 中国 清時代・19世紀
中国文人の書斎」のコーナーでも、「
台北 國立故宮博物院―神品至宝―」展にあわせて、「白菜」の筆筒と「人と熊」と同じ技法の作品が、取り合わせてあります。


アジアの歴史を、一つだけの原則や、統一された一つの価値観で語ることは、決してできません。「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」展とともに、東洋館で出会うアジア美術、そして日本に伝えられた中国絵画からは、そのような複眼的なアジアが、豊かな地域文化が息づくアジア世界の姿が、きっと見えてくるに違いありません。
 

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2014年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2014年07月05日 (土)

 

特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」10万人達成!!

特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」(6月24日(火)~9月15日(月・祝))は、
7月3日(木)午後に10万人目のお客様をお迎えしました。
多くのお客様にご来場いただきましたこと、心より御礼申し上げます。

10万人目のお客様は、墨田区よりお越しの坂本貴美子さんとお孫さんの吉田梨奈さんです。
坂本さんには、東京国立博物館長 銭谷眞美より、記念品として特別展図録を贈呈しました。


10万人セレモニー
特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」10万人セレモニー
吉田梨奈さん(左)、坂本貴美子さん(中央)と館長の銭谷眞美(右)
7月3日(木)東京国立博物館 平成館エントランスにて



坂本さんは書家として活動されているとのことで、
「(10万人目の来場者となったことについて)本当にびっくりしました。
本日は『草書書譜巻』を目当てに来場しました。主に仮名をやっていますが、仮名のもとは草書。
台北で『草書書譜巻』の展示を見たこともあり、ふだんから同作品の複製で練習をしています。
今日は久々に本物を見たくて来場しました。」
と、お話いただきました。

本展覧会の目玉の一つ、「翠玉白菜」は、7月7日(月)まで、
同作品の展示期間中は連日20時まで開館しています。
(入館は閉館の30分前まで、ただし7/7(月)は特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」会場のみ開館)
「翠玉白菜」の展示期間も残すところ、あと3日。

どうぞお見逃しのないように、ご来館をお待ちしています。

カテゴリ:news2014年度の特別展

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posted by 田村淳朗(広報室) at 2014年07月04日 (金)

 

特別展とあわせて見たいトーハクの名品

6月24日(火)から、特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」が始まりました。
台北 國立故宮博物院の神品といえば「翠玉白菜」(6月24日(火)~7月7日(月)まで本館特別5室にて展示)ですが、トーハクにも玉器工芸の名品があるのです。

こちらは本物そっくりの石榴。種子の部分にはルビーがはめ込まれています。

瑪瑙石榴
瑪瑙石榴(めのうざくろ) 中国 清時代・19世紀 神谷伝兵衛氏寄贈
(12月7日(日)まで、東洋館9室にて展示)


東洋館9室「清時代の工芸」のコーナーでは、「翠玉白菜」同様、石材がもつ色彩の分布の違いを活かした「俏色(しょうしょく)」という技法による作品をご覧いただけます。


碧白玉双鯉花器(へきはくぎょくそうりかき) 中国 清時代・19世紀 神谷伝兵衛氏寄贈
(12月7日(日)まで、東洋館9室にて展示)



東洋館8室では「日本にやってきた中国画家たち―来舶清人とその交流―」(7月27日(日)まで)というタイトルで、中国絵画の展示を行っています。
江戸時代、長崎を通じて清朝の文化が多く日本に流入し、それらとともに、来日した画人も多くいました。
ここでは、浙江の画風をもたらし、江戸時代の画家に大きな影響を与えた沈南蘋(しんなんぴん)の「鹿鶴図屏風」などを展示しています。

鹿鶴図屏風
鹿鶴図屏風(ろくかくずびょうぶ) 沈南蘋筆 中国 清時代・乾隆4年(1739) 山崎達夫氏寄贈
(7月27日(日)まで、東洋館8室にて展示)



乾隆平定両金川得勝図(けんりゅうへいていりょうきんせんとくしょうず) 中国 清時代・乾隆42~46年(1777~81)
(7月27日(日)まで、東洋館8室にて展示)

こちらは、おそらく初公開となる、乾隆帝が外征の戦勝を記念してフランスで制作させ、天保3年に長崎を通じて流入した銅版画です。
台北 國立故宮博物院にも1セット所蔵されています。
江戸と清の深いつながりを感じさせる作品です。


また、東洋館5室では、「織繡(おりぬい)珍品選」と題し、書画を染織で表現する中国伝統の染織の数々を紹介しています。
台北 國立故宮博物院-神品至宝-」でも展示される「刺繍九羊啓泰図軸」などと見比べてみてください。

織繡
「織繍 珍品選」展示風景
これまであまり展示機会のなかった珍しい作品です



同じ展示室では、特集「日本人が愛した官窯青磁」(10月13日(月・祝)まで)も開催中です。
台北 國立故宮博物院-神品至宝-」では清の宮廷に伝わった貴重な北宋汝窯、南宋官窯の青磁が展示されますが、
こちらでは、日本で守り伝えられた貴重な官窯青磁の名品をご覧いただけます。


官窯青磁 
特集「日本人が愛した官窯青磁」展示風景


「翠玉白菜」だけではない!
台北 國立故宮博物院の至宝の数々とトーハクの名品をあわせて、見比べて、お楽しみいただければ幸いです。
 
 

カテゴリ:2014年度の特別展展示環境・たてもの

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posted by 奥田 緑(広報室) at 2014年06月28日 (土)

 

若き時 持ものとてや びんかがみ

江戸時代までは、鏡といえば銅製が普通でした。青銅(銅に少量の鉛(なまり)や錫(すず)などを混ぜた合金)で鋳造し、鏡面はピカピカに仕上げ、背面にさまざまな文様や図柄を表しました。美術史学や考古学でも、背面の文様の形式や意匠構成は、銅鏡の様式分類のポイントであり、美術館や博物館の展示でも、背面の文様表現を鑑賞いただくことになっています。
現在、本館13室金工の展示室では、8月17日(日)まで、取っ手のついた柄鏡を展示しています。

柄鏡は室町時代16世紀ころより多く作られ始めるようになります。初期の柄鏡は当時の円鏡に、柄を付けたような形式で、径に対して柄が長いものでした。図1は現在展示している柄鏡、図2は柄のない円鏡です。文様構成がよく似ていますね。また、鏡と接する部分で、柄の根元が縁に沿って左右に広がっているのがわかります(「持ち送り」)。

図1、図2
左:図1 橘鶴亀柄鏡  室町時代16世紀 東京国立博物館蔵
右:図2 橘鶴亀鏡  室町時代16世紀 東京国立博物館蔵(この作品は展示されていません)



戯作者(げさくしゃ)として有名な山東京山(さんとうきょうざん、同じく戯作者山東京伝(さんとうきょうでん)の弟 1769-1858)の著作に『歴世女装考』があります。鏡、櫛(くし)、簪(かんざし)など女性の装身具について述べた書で、戯作というより、歴史や由緒に分け入った考証学の感があります。その一節、「柄鏡」には興味深い記述も。たとえば平安時代『枕草子』の柄鏡の記録。あるいは中国・宋時代の「持ち送り」のある柄鏡の例を引いて、日本の柄鏡との影響関係を示唆し、その銘文に「整衣冠」(いかんをととのえ)云々とあることから、冠や襟などを見るために柄を付けたのだろうと考証します。

ただし、京山は「今のように鏡といえば柄があるようになったのは、わずかに100年来のことである。古い柄付の鏡はみな小さい。これを鬢鏡(びんかがみ)といい丸いものを紐鏡(ひもかがみ)という」とも述べ、柄鏡の流行は近年のものであること、時代の古いものは径が小さく、鬢(頭の左右の髪)を見るためのものであったとしています。

京山の時代、柄鏡の背面には有力者から庶民まで、広く人々の趣向を反映して、花鳥山水や人物故事など、バラエティにとむ図柄が表されるようになりました。径は大きく、対して柄は短くなっていきます(図3)。これは太平の世に、髪型がいっそう技巧的になるにつれて、鏡面を大きくしていったためといわれています。手持ちするには重くてやや使いづらかったのでしょうか、鏡掛にかけて使っていたようです(図4)。


梅竹柄鏡 銘「天下一津田薩摩守」 
図3 梅竹柄鏡 銘「天下一津田薩摩守」 江戸時代・18~19世紀 東京国立博物館蔵


浮世七ツ目合 寅申
図4 柄鏡の描かれた浮世絵
浮世七ツ目合 寅申 喜多川歌麿筆 江戸時代18世紀 東京国立博物館蔵(この作品は展示されていません)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 伊藤信二(広報室長) at 2014年06月13日 (金)

 

日本人が愛した官窯青磁

官窯(かんよう)、ここでは皇帝の命によって青磁を焼造したと考えられる窯を指します。

この特集「日本人が愛した官窯青磁」(2014年5月27日(火)~10月13日(月・祝)、東洋館5室)は、中国・宋時代の官窯の器を、この一世紀のあいだ、日本人がどのように考えてきたのか、という問題についてとりあげたものです。特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝」が開催される本年、日本所蔵の汝窯青磁の盤や、国宝の下蕪瓶など貴重な作品が東洋館にならび、夢のような展示が実現しました。

ちょうど私が大学で青磁の勉強をはじめた2000年代の初めごろ、中国・河南省で北宋時代の汝窯青磁に関わる発掘調査が行なわれていました(清凉寺窯・張公巷)。汝窯は、古い文献に「汝窯は宮中の禁焼なり」という記述があることから北宋の皇帝にまつわるものとして注目される窯です。また浙江省では、南宋の古都杭州において官窯があったと推測される地点より窯址が発見されました(老虎洞窯)。こうした考古学的な発掘調査の成果によって、官窯青磁研究は活況を呈していました。

そして私が博物館に着任した2006年、中国で開催された「中国古陶瓷学会」のテーマは「青磁」でした。この学会に参加して、杭州市博物館や浙江省博物館、南宋官窯博物館を訪問し、市内から発見された大量の官窯青磁片を観ることができました。

そこで観た陶片は一つ一つ形も色もさまざまでした。「官窯」という言葉からは、徹底した管理のもと、決められた材料で規格化された器がつくられ、納品される。そんなイメージを持っていましたが、どうもそうではないらしい。ということがわかりました。じつは「官窯」の実体はよくわかっておりません。生産体制の全容がわかる発掘調査報告はまだなされていませんし、古く南宋時代の文献に登場して以来、今日まで語り継がれてきた北宋と南宋の「官窯」ですが、それらを語る言葉の裏側には文人や鑑定家などさまざまの眼が複雑に絡み合っているということを忘れてはなりません。

「官窯青磁とは何か?」
そう思い、あらためて日本国内に所蔵されている南宋官窯の作品を観てみると、薄いもの、厚いもの、軽いもの、重たいもの、黒っぽい胎や白っぽい胎といったように、やはり個々に異なる特徴をそなえていることがわかりました。なかには「米色」と呼ばれる黄褐色を呈した独特の青磁(写真1)もあります。それでもこれらは1点1点、日本人が「官窯」と考えてきた大切な作品です。

米色青磁
1: 米色青磁瓶 官窯 南宋時代・12~13世紀 常盤山文庫蔵

20世紀初頭、清の宮廷コレクションの汝窯・官窯青磁の存在が世界に明らかになったとき、中国や欧米ではこれらをもとに研究が進められました。しかし、この故宮コレクションを間近にすることができなかった日本では、別の視点から研究が進められます。

それは杭州で発見された南宋官窯「郊壇下」窯址で採集され、持ち帰られた陶片資料です。昭和初期、杭州領事をつとめた米内山庸夫(よないやまつねお、1888~1969)は、「郊壇下」官窯址を探査し、大量の陶片・窯道具を日本に持ち帰りました。いわゆる「米内山陶片」です。これらは戦後、繭山龍泉堂と東京国立博物館に分割して収められることになります。

この米内山陶片によって、似た特徴をそなえる作品が日本国内において次々に見いだされてゆきました。その代表的な作品が横河コレクションの「重要文化財 青磁輪花鉢」(写真2)です。これは古い箱に納められ、「高麗青磁鉢」の墨書があることから、早い時期に日本に将来されたものと考えられる貴重な作品です。

重要文化財 青磁輪花鉢
2  重要文化財 青磁輪花鉢  官窯 南宋時代・12~13世紀 東京国立博物館蔵

また、米内山陶片のなかには釉調が黄色を帯びたものが一定量ふくまれており、日本人はこれら「米色青磁」を偶然にできた失敗作ではなく、意図してつくられた南宋官窯の青磁として考え、伝世品を見いだしてゆきます。この米色青磁は清の皇帝によってみとめられることがなかったのでしょう。台北故宮には1点もないといいます。現在、世界に4点しかない完形の米色青磁はすべて日本にあり、そのうち3点が常盤山文庫に収蔵されています。(3点すべて特集において展示中)

日本は古来大量の中国青磁を将来してきました。それは日本人にとってとても貴重なものであり、憧れの器でありました。こうした文化的な背景が日本人の青磁を鑑る眼をきたえてきたのだと思います。


汝窯盤とかつて南宋官窯「修内司」と位置づけられた盤
汝窯盤とかつて南宋官窯「修内司」と位置づけられた盤。文豪川端康成が見いだした究極の美をご堪能ください。
3() 青磁盤 汝窯 北宋時代・11~12世紀 個人蔵(川端康成旧蔵)
4()青磁盤 南宋時代・12~13世紀 常盤山文庫蔵(川端康成旧蔵)


今回出品されている作品のなかには、現在のところ生産窯がわからない作品も含まれています(写真4・5)。出土資料との比較から、どこか似ている特徴があればすべて生産窯をあてはめて考えようという傾向が大勢を占める中国陶磁研究の昨今ですが、たとえ故宮コレクションに無くても、生産窯が見つからなくても、日本人が「官窯」、つまり青磁のなかでも際立ってすぐれていると考え、大切にまもり伝えてきた作品がいま眼の前にあります。この特集「日本人が愛した官窯青磁」は、私はこれらをどう伝えていけばよいのか、自らに問うための展示でもありました。

青磁下蕪瓶
5国宝 青磁下蕪瓶 南宋時代・12~13世紀 アルカンシエール美術財団蔵

この企画にご協力くださった常盤山文庫はじめ、多くの皆さまに深く感謝申し上げます。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 三笠景子(保存修復室研究員) at 2014年06月06日 (金)