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1089ブログ

若き時 持ものとてや びんかがみ

江戸時代までは、鏡といえば銅製が普通でした。青銅(銅に少量の鉛(なまり)や錫(すず)などを混ぜた合金)で鋳造し、鏡面はピカピカに仕上げ、背面にさまざまな文様や図柄を表しました。美術史学や考古学でも、背面の文様の形式や意匠構成は、銅鏡の様式分類のポイントであり、美術館や博物館の展示でも、背面の文様表現を鑑賞いただくことになっています。
現在、本館13室金工の展示室では、8月17日(日)まで、取っ手のついた柄鏡を展示しています。

柄鏡は室町時代16世紀ころより多く作られ始めるようになります。初期の柄鏡は当時の円鏡に、柄を付けたような形式で、径に対して柄が長いものでした。図1は現在展示している柄鏡、図2は柄のない円鏡です。文様構成がよく似ていますね。また、鏡と接する部分で、柄の根元が縁に沿って左右に広がっているのがわかります(「持ち送り」)。

図1、図2
左:図1 橘鶴亀柄鏡  室町時代16世紀 東京国立博物館蔵
右:図2 橘鶴亀鏡  室町時代16世紀 東京国立博物館蔵(この作品は展示されていません)



戯作者(げさくしゃ)として有名な山東京山(さんとうきょうざん、同じく戯作者山東京伝(さんとうきょうでん)の弟 1769-1858)の著作に『歴世女装考』があります。鏡、櫛(くし)、簪(かんざし)など女性の装身具について述べた書で、戯作というより、歴史や由緒に分け入った考証学の感があります。その一節、「柄鏡」には興味深い記述も。たとえば平安時代『枕草子』の柄鏡の記録。あるいは中国・宋時代の「持ち送り」のある柄鏡の例を引いて、日本の柄鏡との影響関係を示唆し、その銘文に「整衣冠」(いかんをととのえ)云々とあることから、冠や襟などを見るために柄を付けたのだろうと考証します。

ただし、京山は「今のように鏡といえば柄があるようになったのは、わずかに100年来のことである。古い柄付の鏡はみな小さい。これを鬢鏡(びんかがみ)といい丸いものを紐鏡(ひもかがみ)という」とも述べ、柄鏡の流行は近年のものであること、時代の古いものは径が小さく、鬢(頭の左右の髪)を見るためのものであったとしています。

京山の時代、柄鏡の背面には有力者から庶民まで、広く人々の趣向を反映して、花鳥山水や人物故事など、バラエティにとむ図柄が表されるようになりました。径は大きく、対して柄は短くなっていきます(図3)。これは太平の世に、髪型がいっそう技巧的になるにつれて、鏡面を大きくしていったためといわれています。手持ちするには重くてやや使いづらかったのでしょうか、鏡掛にかけて使っていたようです(図4)。


梅竹柄鏡 銘「天下一津田薩摩守」 
図3 梅竹柄鏡 銘「天下一津田薩摩守」 江戸時代・18~19世紀 東京国立博物館蔵


浮世七ツ目合 寅申
図4 柄鏡の描かれた浮世絵
浮世七ツ目合 寅申 喜多川歌麿筆 江戸時代18世紀 東京国立博物館蔵(この作品は展示されていません)

 

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posted by 伊藤信二(広報室長) at 2014年06月13日 (金)