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1089ブログ

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」20万人達成!

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」(6月16日(金)~9月3日(日))は、8月12日(土)午後、来場者20万人を突破しました。
多くのお客様に足をお運びいただきましたこと、心より御礼申し上げます。

これを記念し、12日、千葉県印西市からお越しの加納さんご家族に、当館館長藤原誠より記念品を贈呈いたしました。
 
記念品贈呈の様子。左から2番目、館長の藤原誠
 
加納さんご家族はお友達のご家族グループといっしょにご来館。
コロナのためなかなか外出して遊ぶ機会がありませんでしたが、お友達から古代メキシコ展に行こうとお誘いがあり、今回初めて当館にお越しになったそうです。
 
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」は9月3日(日)まで。
また、金・土・日曜日は本特別展のみ19時まで開館します(最終日9月3日(日)は17時まで)。
日本で古代メキシコの至宝をご覧いただける貴重な機会です。どうぞお見逃しなく。

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2023年08月16日 (水)

 

「台東区立書道博物館・東京国立博物館 連携企画」毎日書道顕彰特別賞受賞と20年の歩み

令和5年(2023)6月12日、台東区立書道博物館と東京国立博物館は、毎日書道会より第36回毎日書道顕彰特別賞を受賞し、7月23日の表彰式において両館に賞状が授与されました。


表彰式の様子
左から富田淳(東京国立博物館副館長)、藤原誠(東京国立博物館長)、山中翠谷氏(毎日書道会総務、独立書人団常務理事)、丸山昌宏氏(毎日書道会理事長)、服部征夫氏(台東区長)、荒井伸子氏(台東区立書道博物館長)、鍋島稲子氏(台東区立書道博物館主任研究員)、金子大蔵氏(毎日書道展審査会員、創玄書道会評議員

毎日書道顕彰は、昭和63年(1988)に創設され、書道に関する芸術・学術・教育の振興に著しく貢献した個人、およびグループを一般財団法人 毎日書道会が顕彰するもので、平成12年(2000)より「毎日書道顕彰特別賞」も加えられました。

台東区立書道博物館と当館は、徒歩15分で往来できる近距離にあります。両館の収蔵する中国書画は、収集の時期や内容など共通する部分も少なくありません。これらの利便性や共通点を活かして、平成15年(2003)に開催時期や展示内容を連携させる展覧会を始めました。

今でこそ他館との連携による展覧会は各地で行われていますが、20年前はほとんど実施されていませんでした。書道博物館と当館の連携企画は、その先駆けといえるでしょう。単館では不可能な企画も、複数館なら実現できます。この連携企画は両館を軸にしつつ、連携館を増やして開催することもありました。区立と国立、時には私立を加えた異なる組織が一緒に展覧会を行うのは容易ではありませんが、各館が実現可能な範囲の仕事を請け負って続けてきました。

当初は予算が少なく、他館からの作品借用はもちろん、図録の刊行もありませんでした。細々と続けるうちに、次第に他館からの借用や、図録の制作も可能になり、展覧会が少しずつ充実してきました。海外から作品をお借りした例もあり、平成24年(2012)の第10回では、香港中文大学文物館が所蔵する「蘭亭序」の名品7件を展示しています。

連携企画の図録は、第7回より毎回制作しています。図録は(1)図版が美しく、(2)気軽に読むことができ、(3)知的興奮が得られる等の点に留意しながら、読みやすく楽しい内容を目指しています。また書跡のみに偏らず、絵画(注)もふんだんに盛り込み、文化史的なアプローチを心がけています。
(注)1089ブログ「『王羲之と蘭亭序』その2 蘭亭雅集の様子を想像してみよう!」

連携企画は小さな展覧会ですが、その積み重ねが大きな展覧会の構想につながり、平成25年(2013)に特別展「書聖 王羲之」、平成31年(2019)にも特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を開催するに至りました。

連携企画が、東京国立博物館での特別展に結実したことは、連携企画に携わってきたスタッフの誇りでもあります。また近年は、連携企画が海外からも注目されるようになってきました。

令和5年(2023)1月31日から4月23日まで開催した、節目となる第20回の創立150年記念特集「王羲之と蘭亭序」では、多数の外国人来館者のほかに、海外からも多くの図録の注文を受けました。


「王羲之と蘭亭序」会場の様子


特集展示の内容は、オンラインギャラリートーク 2月「創立150年記念特集 王羲之と蘭亭序」をご覧ください。
中国と日本の文人たちが憧れた王羲之の書。最高傑作「蘭亭序」や制作背景となった雅集などについて、展示作品からご紹介しています。

当館ではこのたびの受賞を励みとして、さらに充実した連携企画を目指したいと思います。

 

カテゴリ:news書跡中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希・富田淳・六人部克典(台東区立書道博物館・東京国立博物館 連携企画担当) at 2023年08月07日 (月)

 

古代メキシコのマスク

【はじめに】

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」を担当している考古室長の井出浩正です。
本展も残すところひと月程となりました。皆さまご覧になられましたでしょうか。
 
突然ですが、みなさんは、「目は口ほどに物をいう」ということわざをご存知でしょうか。目つきやまなざしから言いたいことや気持ちが伝わることのたとえです。
あるいは「目力(めぢから)」という言葉はご存知でしょうか。一般的には、目の表現や視線で相手に与える迫力の程度を指す言葉です。
 
なぜ、そのようなことをいうかというと、この展覧会の注目作品のひとつである赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクの目力がすごく強いと私は感じるからです。
 
【赤の女王のマスク】
 
 
赤の女王のマスク・冠・首飾り
マヤ文明 7世紀後半
パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
 
赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクをご覧ください。
端正で力強い直線的なまなざしは、王族としての揺るがない強い意思とともに、慈愛に満ちているように思われます。見つめているうちに、だんだんとこちらの心が見透かされ、やがてその瞳に吸い込まれてしまいそうではないでしょうか。
見つめ合い続けられずに私は思わず目をそらしてしまいます。
でも、もしかしたら、私と同じような感覚を覚える方もいらっしゃるかもしれませんね。
 
赤の女王(レイナ・ロハ)のマスクは孔雀石(くじゃくいし)の小片を組み合わせて作られたマスクです。頭蓋骨周辺から116個もの破片の状態で発見されました。瞳には黒曜石、白目には白ヒスイ輝石岩を嵌めています。硬質なヒスイではなく、軟らかい孔雀石を用いた、豊かな表情が特徴です。
 
続いて、テオティワカン文明やアステカ文明のマスクを比べてみましょう。
 
【テオティワカンのマスク】


マスク
テオティワカン文明 150年~250年
テオティワカン、太陽のピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵

マスク
テオティワカン文明 350年~550年
テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
 
 
のマスクは、太陽のピラミッドの中心付近で出土しました。地下に存在したであろう王墓への奉納品と推測されています。
瞳が黄鉄鉱で作られており、当初はキラキラと輝いていたと思われます。
このマスクは、テオティワカンで現在確認されている最古のマスクです。テオティワカンのマスクは、これまで550点ほど見つかっています。
のマスクは、ラ・ベンティージャ複合施設の工芸家区域で出土したものです。一部が未完成か、製作直後に未使用のまま遺棄された可能性があります。白目には貝、瞳に黄鉄鉱が象嵌(ぞうがん)されています。口元には、先ほどのマスクと同様に貝で歯の一本一本を表現しており、目や口の象嵌によってよりリアリティがある造形です。
 
【アステカのマスク】
マスク
テオティワカン文明 200~550年
テンプロ・マヨール、埋納石室82出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
 
耳飾り
アステカ文明 1469~81年
テンプロ・マヨール、埋納石室82出土
テンプロ・マヨール博物館
 
アステカの世界観を凝縮した力強い彫刻作品が特徴的です。
中央のマスクは、テオティワカンの仮面に、メシーカ人が目や歯、耳飾りをつけるなどして、手を加えたものです。彼らは過去の文明の遺物を掘り起こし、それらを魔術的な力をもつ聖なるものとみなし、大神殿に奉納していました。
 
先ほどご紹介したテオティワカンのマスクと見比べてみると、目や口元の表現がよく似ていると思いませんか。アステカの人々がテオティワカンの遺産を継承し、そして、アステカの人々にとっても白目と瞳をもつ目の表現が意識されていたことが窺えます。
 
【おわりに】
いかがでしたでしょうか。
今回は、レイナ・ロハのマスクをきっかけとして、テオティワカン、マヤ、アステカのマスクをご紹介いたしました。
ある一つの造形や表現に注目して鑑賞してみると、お互いに似ているところや似ていないところなど、それぞれの特徴が改めてみえてくるかもしれません。
ぜひ会場でみなさま独自の着眼点で古代メキシコの至宝を心ゆくまでご堪能いただければ幸いです。

カテゴリ:「古代メキシコ」

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posted by 井出 浩正(考古室長) at 2023年08月03日 (木)

 

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」に行ってきたほ!

手をあげるトーハクくんほほーい!ぼく、トーハクくん。特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」にやってきたほ。
 
ほほえむユリノキちゃんこの展覧会は日時指定不要。だけど正門チケット売場は混雑することがあるから、事前にオンラインで当日券を買っておいたわ。
 
喜ぶトーハクくんさすが準備がいいほ。スムーズに入館だほ。
 
 
会場入口。全作品写真撮影OKです。
 
傾くユリノキちゃん第一章「古代メキシコへのいざない」では、序章として3文明に通じる「多様な自然環境」「トウモロコシ」「天体と暦」「球技」「人身供犠」というキーワードをもとに、各文明の作品を紹介しているよ。
 
腕を組むトーハクくんこれはなんだほ。
 
オルメカ様式の石偶
オルメカ文明、前1000~前400年
セロ・デ・ラス・メサス出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
 
解説するユリノキちゃんメソアメリカ最古の文明と言われるオルメカ文明の作品よ。ヒスイでできた幼児の像は、人とジャガー両方の特徴を持つとされるわ。
 
両手をあげるトーハクくんジャガー!わかるようなわからないような…。この恰幅のよい土偶はなんだほ。腰に何か巻いているほ。
 
球技をする人の土偶
マヤ文明、600~900年 ハイナ出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
 
考えるユリノキちゃん腰に厚い防具を着けて、大きく重たいゴムのボールを打つ球技がメソアメリカ各地で行われていたのよ。特にマヤの王侯貴族にとって、球技は戦争や、人間を神への生贄とする人身供犠とも深くつながる重要なものだったみたいよ。
 
驚くトーハクくん戦争や自分の命運をわける球技…想像を絶する世界だほ。
 
微笑むユリノキちゃん続いて第二章「テオティワカン 神々の都」。テオティワカンは海抜2300メートルのメキシコ中央高原にある都市遺跡で、死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、居住域などが整然と立ち並んでいたの。
 
第二章 会場風景
 
喜ぶトーハクくんピラミッドの写真が迫力あって、世界遺産に囲まれているみたいだほ。この作品はなんだほ。光を放っているようにも見えるほ。
 
 
死のディスク石彫 
テオティワカン文明、300~550年
テオティワカン、太陽のピラミッド、太陽の広場出土
メキシコ国立人類学博物館蔵
 
喜ぶユリノキちゃんこの作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表すと考えられているの。メキシコ先住民の世界観では、太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていたのよ。
 
元気なトーハクくんこっちはなんだほ。 
 
左から「シパクトリ神の頭飾り石彫」「羽毛の蛇神石彫」
テオティワカン文明、200~250年
テオティワカン、羽毛の蛇ピラミッド出土
テオティワカン考古学ゾーン蔵
 
解説するユリノキちゃん背景の写真は「羽毛の蛇ピラミッド」。羽毛の蛇神とシパクトリ神の頭飾りは、ともに王権の象徴とされているのよ。
 
喜ぶトーハクくん背景があるから、現地の様子が分かりやすくて、展示室を歩いていて楽しいほ。旅行気分だほ。
 喜ぶユリノキちゃん私もトーハクくんと旅行できて楽しいわ。次は、第三章「マヤ 都市国家の興亡」にいってみましょう。
 
第三章 会場風景
 
驚くトーハクくんまっかっかだほ!
 
元気なユリノキちゃんマヤ地域に碑文や王墓を伴う王朝が明確に成立したのは1世紀頃。この頃、ピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦をはじめ、力強い世界観を持つ王朝文化が発展したの。なんと当時のマヤの都市の神殿は真っ赤に塗られていたみたいよ。
 
腕を組むトーハクくん厳かな雰囲気の部屋にやってきたほ。
 
「赤の女王」展示空間
 
喜ぶユリノキちゃんこの展覧会一番の注目作品である「赤の女王」の展示空間よ。赤の女王は都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王の妃と言われているわ。
 
赤の女王のマスク・冠・首飾り
マヤ文明、7世紀後半
パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
 
頬を赤らめたトーハクくん表情がやわらかい感じがするほ。
 
解説するユリノキちゃん「赤の女王のマスク」をはじめ、王妃の墓の出土品は王朝美術の傑作ともいわれているのよ。女王の人柄がなんとなく伝わるような作品ね。
 
第四章 会場風景
 
元気なトーハクくん最後は第四章「アステカ テノチティトランの大神殿」だほ。
 
解説するユリノキちゃんアステカは14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明よ。首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市で、中央に建てられたテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿にウィツィロポチトリ神とトラロク神が祀られていたの。アステカも、他の文明の伝統を継承して、王や貴族を中心とする支配者層によって他の地域との儀礼や交易、戦争が行われていたのよ。
 
鷲の戦士像
アステカ文明、1469~86年
テンプロ・マヨール、鷲の家出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
 
関心するトーハクくん巨大な彫刻があるほ。鳥の口の中に人の顔が見えるほ。
 
明るいユリノキちゃんテンプロ・マヨールの北側、鷲の家で見つかった像で、戦闘だけでなく宗教においても重要な役割を担ったアステカの勇敢な軍人とされているのよ。
 
  
トラロク神の壺
アステカ文明、1440~69年
テンプロ・マヨール、埋納石室56出土
テンプロ・マヨール博物館蔵
 
驚くトーハクくんこっちの青い壺は…2本の鋭い牙がついてるほ。これに噛まれたら痛そうだほ。
 
解説するユリノキちゃん雨の神であるトラロクはメソアメリカでもっとも重要視され、多くの祈りや供え物、生贄が捧げられたの。水を貯えるために壺にトラロク神の装飾を施すことで、雨と豊穣を祈願したの。展示はここまでね。
 
寝転ぶトーハクくんばっちり記念写真を撮っていくほ。
 
本展オリジナルグッズ「トゥーラのアトランティス像」ショルダーバッグ(左)と
当館公式キャラクター「トーハクくん」(右。非売品)
 
口に手を当てるユリノキちゃんトゥーラのアトランティスさんじゃない!ツーショットうらやましいわ!
 
喜ぶトーハクくんオリジナルグッズも盛りだくさんだほ。
 
明るいユリノキちゃん会期は9月3日(日)までよ。お見逃しなく!
 

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん「古代メキシコ」

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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2023年07月31日 (月)

 

踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト 「埴輪 踊る人々」修理報告 2

当館を代表する名品「埴輪 踊る人々」と「見返り美人図」を、皆様からの寄附で未来につなぐ「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト」。
いただいたご寄附で修理が進む様子をシリーズでお知らせして参ります。
第2回目の今回は修理が進む埴輪 踊る人々について、修理に伴う解体作業の様子をご紹介します。

あれ? 修理するはずなのに解体しちゃうの?

と思われる方もいらっしゃいますでしょうか?
前回のブログ「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト 『埴輪 踊る人々』修理報告 1」でもご紹介しましたが、今回の修理では「昭和初期の修理時に施された石膏(せっこう)等の経年劣化」に対応することが目的の一つになっています。
古墳に並べられていた埴輪が、元の形で出土することはまれ。破片となっているものをつなぎ合わせたり、欠損している部分を補うために、石膏や他の接合材料が使われるのですが、使われた材料が劣化したり、剥離してくると作品を安全に取り扱うことが難しくなります。
埴輪 踊る人々の2体についても、各部の接合や腕や頸(くび)、円筒部分の復元に石膏等が使われており、今回の修理は解体を行って古くなった石膏等を除去するところから始まるというわけです。

今回拝見したのは、埴輪のオリジナル部分と石膏による復元部分を切り離したり、石膏を削ったりする作業。
作業前の埴輪を見せていただくと、石膏の劣化状況を調査するために、2体のうち1体の埴輪の腕は既に取り外された状態となっていました。

埴輪 踊る人々の腕の部分に見えている、昭和初期の修理で使われた石膏の写真 

上の画像の中で腕の部分に見えている白い部分は、昭和初期の修理で使われた石膏です。オリジナル部分と色を合わせるために施されていた補彩も取り除かれ、肩から胴体にかけての旧修理による接合部分も露出しています。

胴体部分などで色が少し濃くなっている理由は、ひびが入っている場所を固定・強化するために今回の作業の前段階でアクリル樹脂が入れられているため。安全に作業を進めるために施されているものですが、修理の進行に合わせて除去されるそうです。
この胴体部分のひびの大きさは、館内の調査でも把握されていたところですが、修理技術者の方から見ても「この状態でよく今までもっていたな…」という印象を受けた、とのこと。
愛らしい顔と姿の裏に、そんな大きな傷を抱えていたなんて…。
今回の修理にご支援をいただいた皆様にあらためて御礼を申し上げます。

さて、関係者でここまでの作業状況や作品の状態を共有し、いよいよ本日の作業開始です。
ここは、百聞は一見に如かず、ということで、実際の解体作業の様子を動画でご覧いただきましょう。


円筒部分の石膏の切除作業(動画)

リューターと呼ばれる小型のドリルのような電動工具によって大胆に進んでいく作業に圧倒されますが、ご安心ください。動画の中で切除されている部分は石膏による復元部分。オリジナルと接合する箇所については後程丁寧に削られていくそうです。
とはいえ、考古担当の研究員でもなかなか見たことのない貴重な作業の様子。私は「なにひとつ邪魔してはならない」と、部屋の隅でそれこそ埴輪のように固まっておりました。

切除作業はまず顔のある前面から。鼻などの表現のある顔を下に向けることはできるだけ避け、はじめに円筒部分の前面を切り離し、その後に内側から後ろ側を切り離すといった手順で進みます。

埴輪 踊る人々の修理の様子の写真。リューターで古い石膏を削る。

後ろ側の切除の際には、上の画像のようにクッションと埴輪の間に布を巻いたものが挟み込まれました。これはリューターが埴輪の下に敷かれているクッションを巻き込むことがないようにするための工夫。
かけがえのない文化財を修理する技術者の方が、いかに作品の安全に配慮して作業をされているかが垣間見えます。
 
埴輪 踊る人々の切り離された円筒部分の写真

切り離された円筒部分がこちら。今回の修理では、石膏ではなくエポキシ樹脂で新たに復元される予定となっています。

今回はもう一つ、先ほど冒頭でご覧いただいた腕部分の石膏を少しずつ削っていく作業も見せていただきました。


腕部分の石膏のはつり作業(動画)

過去の修理によっては、石膏のなかに埴輪の破片が紛れていることもあり、慎重に少しずつ古い石膏を削りながら、オリジナル部分へとにじり寄るように進んでいきます。
X線CT撮影した画像があるなど、事前の情報はあったとしても、もし削りすぎてしまえばやり直しがきかない作業。
石膏を削っていくのは非常に繊細な作業だと、修理技術者もおっしゃられていました。

修理序盤にして、最大の山場ともいえる解体作業。この解体が終わると、クリーニング→破断面などの強化接合へと作業は進み、調査や修理の中で得られた最新の知見を活かしながら復元が行われることになります。

来年春の完了まで、修理作業はまだまだ前半。今後も皆様と一緒に進捗を見守って参りたいと思います。どうぞお楽しみに。

カテゴリ:保存と修理

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posted by 田村淳朗(総務部) at 2023年06月29日 (木)