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1089ブログ

国宝「観楓図屏風」公開

吹く風がふと冷たくなり、心地よかった秋涼もすっかり肌寒く感じられるようになりました。
深まる秋の景色は厳しい冬へと向かう寂しさを感じさせます。
そのようななか、北から徐々に色づき、山々を紅と黄金に染める紅葉は、私たちの心を晴れやかで明るい気持ちにさせてくれるものです…。

現在、本館2室 国宝室にて展示されている観楓図屏風にはそうした秋の日に、紅葉狩りを楽しむ人々の姿が描かれています。


国宝 観楓図屏風 狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 (~2011年12月11日展示)
(注)以下画像はすべて観楓図屏風(部分)

画面右上の雲間にみえる伽藍が神護寺のものとするならば、ここは京の洛北、紅葉で名高い高雄でしょうか…。そうであれば、群青の川の流れは清滝川でしょう。遠く銀雪をたたえた愛宕社が早くも冬の到来を告げています。

この屏風では、寺社や名所を舞台とすることで、神仏への祈りとともに季節の移ろいを描く「四季名所絵」の伝統が踏まえられています。おそらく右隻にあたる「春夏」の一隻がかつて存在したことを思わせます。


愛宕社らしき鳥居…すっかり冬の気配。


これは神護寺の宝塔でしょうか?

 
また、この屏風は「四季名所絵」であるとともに、当時の人々の姿を丹念に描き込んでおり、「野外遊楽図」のもっとも古い作例とも位置づけられています。


車座になり酒宴に興じる男たち…。


鼓を奏でる男は「辻が花」を着ています。衣裳や調度にいたるまで丹念に描かれています。


扇をもって舞う男は、この一行の主人でしょうか?


一服一銭(いっぷくいっせん)の姿も。

「一服一銭」は室町時代(15世紀)から安土桃山時代にかけて、縁日や名所などで抹茶一服を一銭で売っていました。
ここでも「担い茶具」で立て売りする様子が細やかに描かれています。


一服ずつ立てています(立て売り)。


「紅葉を見ながらいただくお茶は、おいしいな…。」


こちらでは女性たちが子供らを伴って、茶や酒を楽しんでいます。


扇を片手に茶を楽しむ尼の姿も。手前の女性の杯を持つ手の描写に注目ください…。


人差し指を少し浮かせ、親指、中指、薬指で杯を支え、小指を反らすこの描写をみても、人物表現はけっして定形化しておらず、この画家(秀頼)の優れた描写力をみてとれます。

この屏風を描いた狩野秀頼の活躍期から、制作年代は永禄年間(1558~70)頃といわれています。
この頃は、応仁の乱(1467~1477)で荒廃した都がやっと復興し、穏やかな平和な時がおとずれた頃だったでしょう…。
そこに描かれた人々は、平和を謳歌し、輝くような魅力を放っています。

 

この屏風をみつめると、川のせせらぎ、人々の歓びの笑い声、橋上の笛の音などが聞こえてくるようです…。
ぜひトーハクの秋の庭園とともに、この「観楓図屏風」もあわせてお楽しみください。
心よりお待ちしております。

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 小野真由美(出版企画室) at 2011年11月17日 (木)

 

板谷家豆発見

こんにちは、平常展調整室の瀬谷です。

今日は、特集陳列「板谷家の絵画とその下絵」(~2011年12月4日(日))をご紹介します。

10月25日(火)から始まっていますが、あっという間に3週間。
あともう3週間しかありませんが、まだ展示をご覧になっていない方に、
豆発見(?)を耳打ちいたしましょう。

本館2階の特別2室入口
会場は、本館2階の特別2室です。
エレベーターのすぐとなりですから、
1階インフォメーションや、地下のミュージアムショップからもアクセスしやすいのです。

パンフレット画像
会場を入ると、すぐ右手に展覧会概要のパネルがありますが、
その右下のテーブルには、パンフレットが置いてあります。

こちらのパンフレット、
会場内にはない解説なども盛り込んだ、豪華8ページオールカラー。
なんと無料です!
みなさん、ぜひお手にとってお持ち帰りください。

肖像が展示の様子
さて、
最初のケースには肖像画を展示しています。

右の3人の肖像画のうち、一番左の方の顔をみてみましょう。

板谷広当像
(左)板谷広当像 住吉広尚筆 江戸時代・18世紀 清野長太郎氏寄贈、(右)(左)画像の拡大

板谷家初代、板谷広当(いたや・ひろまさ、1730~97)です。
大きく力強い目に、高い鼻、大きな耳。
当館所蔵の「住吉広守・住吉広行・板谷広当像」のうちのひとつです。

では、この左にある「板谷家伝来資料」の板谷広当像をクローズアップしてみましょう。

板谷広当像
(左)板谷広当像 板谷家伝来 江戸時代・18~19世紀 板谷廣起氏寄贈、(右)(左)画像の拡大

やはり鋭い目に、高い鼻、大きな耳。

それと・・・?
左目の下にしみのようなものが・・・!?
どちらにもある!

着色像だけみていたときは、ただの汚れかと思っていましたが、
こうして比べてみますと、これは広当の顔にあったシミをわざわざ描きこんでいるのだとわかりました。

ひとつだけみていてもわからないことが、
いくつもの資料が出会うことによって、
新しい発見につながります。


先日、この「板谷家伝来資料」をご寄贈くださいました板谷廣起さん(8代目、1907-2008)の奥様がご来館されました。
いろいろお話をさせていただくなかで、こんなことをうかがいました。

「ほんとうに不思議なことですけれども、この顔は主人にそっくりなんです。
鼻が高くて、耳が大きくて。
目は、主人のほうがもう少し穏やかな目をしていましたけれども。
目の下にもシミがありました。
何代たっても、やはり血がつながっているというか。
この絵をみるとそのことを思い出します。」


200年の時を超えてつながる板谷家。
絵画と下絵とともに、ぜひこの機会にご覧ください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 瀬谷愛(平常展調整室) at 2011年11月16日 (水)

 

法然と親鸞展 研究員おすすめのみどころ その1(書跡)

特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」(~2011年12月4日(日))が開幕して早いものでもう3週目に入りました。

今回はこの展覧会のワーキンググループのチーフをつとめています、
好きな作品と展覧会でこだわった点について、高橋裕次博物館情報課長にインタビューしたいと思います。


高橋 裕次課長 専門:書跡 所属部署:学芸企画部博物館情報課
いつも朗らかで、楽しそうに作品の魅力を語る高橋さん。
「こう見えて、学生時代は柔道部でした。今はもう無理かな・・・」

江原(以下E):では、高橋さんよろしくお願いします。
この展覧会は36日間という短い期間の中、189件(展示替含み)の作品が出ます。
その中で、高橋さんが好きな作品をご紹介していただきたく思います。

高橋(以下T):そうですね、今回はこの展覧会のために多くの方からご協力を賜りました。
この場をお借りして、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。
私の好きな作品・・・どれも好きなので悩みますが、ではその中から2点ご紹介します。
まず一点目ですが、「源空(法然)書状」です。

 
重要文化財 源空(法然)書状 法然筆 鎌倉時代・13世紀 奈良・興善寺蔵
(2011年11月15日(日)~12月4日(日)展示)

E:こちらは、後期展示の一つで11月15日より出る作品ですね。
この作品名は「源空(法然)」とありますが、「法然」は房号、「源空」は諱ですよね。
意外と「法然」と「源空」が同じと知っている方は少ないのではないかと思います。
ではこの書状が好きな理由を教えて下さい。

T:この書状は昭和37年4月に興善寺の阿弥陀如来立像の像内より発見された書状類の一つです。


重要文化財 阿弥陀如来立像 鎌倉時代・12~13世紀 奈良・興善寺蔵 
(~2011年12月4日(日)展示)


T:法然が正行房に宛てたものと弟子からの書状と合わせて、これらの紙背にはおよそ1500人にのぼる名前が記されています。

E:法然と正行房はどのような関係だったのでしょうか。

T:正行房は法然の弟子というよりは親しい友人のような存在でした。身辺に弾圧の危機が迫ってきたので弟子たちに京都から離れ地方で活動するよう伝えます。
この書状では、正行房が無事に奈良に到着したのを喜びながらも 少し寂しくなったと書いています。
このように正行房との交流をとおして、法然の危機管理に対する意識の高さと温かい人柄を感じることができるのが好きな理由です。

E:友人や弟子たちを遠くに行かせるのは心寂しくても、弾圧から守り、それぞれの場所で布教することによって万人を救おうとお考えになったのかもしれませんね。
先ほど、これらの書状の紙背には1500人の名前があるとのことですが、それはこの薄く写っている部分(写真)のことでしょうか。
この部分だけでも8人の名前があるように見えます。



T:そのとおりです。裏に薄く書かれている名前が見えます。これまで法然や弟子からもらった手紙の裏に結縁した人々の名前を書いて入れたのです。

E:なぜもらった手紙の裏に結縁した人々の名前を入れたのでしょうか。

T:それは法然と弟子たちと交わした手紙を後世まで残したいという思いと、法然、弟子、またこのお像を作るにあたって関係したおよそ1500人皆が極楽往生できるようとの思いが込められていたと考えられます。

E:正行房の法然や弟子に対する思い、また結縁した人々への思い、いろんな思いが込められた書状なのですね。
ではもう一点はどの作品でしょうか。

T:西方指南抄です。

 
国宝 西方指南抄 親鸞筆 三重・専修寺蔵
(~2011年12月4日(日)展示、この画像のページは2011年11月13日(日)まで展示)

E:この作品の好きな点はどういったところなのでしょうか。

T:この作品は、法然の言行録として最古のもので、法語、書状、行状など全二十八篇を収録する六冊は、すべて親鸞が書写しています。

E:では法然に関わることがぎっしり書かれているということなのですね。

T:そうです。内容もさることながら、これを書写したのは晩年、親鸞が84歳の時で、康元元年(1256)10月から翌正月までのわずか3ヶ月間で、6冊(およそ900ページ)を書写したことが奥書によってわかります。

E:そんな短い期間で、およそ900ページを書写しているとは親鸞の強い想いを感じます。

T:そうなんです。こうした親鸞の精力的な執筆の背景には、親鸞が20年間の布教を行った関東では次第に親鸞の教えを誤って理解する人々があらわれ、京都に戻ってからはこれが深刻化しまして、沈静化するために実子の善鸞を関東に送りますが、反って混乱が起きてしまい 親鸞は善鸞を勘当します。
その義絶事件が起こったのが康元元年五月ですが、十月にはこの本の書写をはじめています。
親鸞は関東の状況を安定させるためにも法然の法語、書状、行状をまとめ、 正しい教えを弟子に伝えようとしたのではないかと考えられます。

E:親鸞にとって我が子を勘当することは大変辛かったと思いますが、弟子たちへの思い、教団への思いなど様々な思いの中で決断され、執筆活動に集中されたのですね。

T:また、この作品を読むと親鸞が法然への敬慕の気持ちが深かったことを感じますし、他の活動を行いながら執筆された親鸞の驚異的な精神にも惹かれます。

E:親鸞は九十歳の入滅直前まで教行信証(浄土真宗の根本聖典)の改訂を続けられていたことがわかっています。それと合わせても親鸞の熱い思いを感じます

E:それでは、次に今回の展覧会でのこだわりを教えて下さい。

T:まず何よりも、わかりやすく、見やすさを考えました。また、ご覧いただいた方に法然と親鸞の気持ちが伝わってくるような会場にしたいという思いがありました。
今回の特別展を担当している横山さんが 書いているブログにもご紹介していますように、色やマークも工夫しています。
法然は「緑」、親鸞は「青」と色分けをして、どちらに由来した文化財かがわかるようにしています。

 

E:ではこちらも注目していただきたいですね。
気になったのですが、二室の巻物類を展示している部屋は少し導線に違和感を感じました。
手前から奥に進んでまた手前に戻ってきます。

T:そこもこだわった点です。巻物は右から左に見るものですから、そのような導線になるよう、また、お客様がま迷わずにご覧いただけるよう考えました。
先日、都内で講演をした時、お客様より“巻物が右から左に見ることができとても見やすかった”と おっしゃっていただき嬉しかったです。

E:今回の作品は、どれをとってもお二人のゆかりの名宝なだけに貴重な作品がそろっています。
それらは、各宗派それぞれ伝来されてきているものですが、この作品がなぜここに伝わったのかと思うことがあります。

T:実は私は、作品の伝来や作られた背景、またどうして現在の形態で存在するのかを突き詰めていくことが研究のテーマなんです。

E:えーっそうだったのですか!!高橋さんは書跡のご専門で文字はもちろんですが、紙の素材分析をするための顕微鏡などがお部屋に置いてあり、研究内容は伺っていましたが、 そのような思いで研究されているとは知りませんでした。

T:なので今回の作品もいろいろな思いで見ています。

E:そうだったのですね。では最後に一言お願いします。

T:展覧会にまだお越しいただいていない方はもちろん、もうすでにお越しいただいた方でも 11月13日で前期展示が終了し、大きな展示替を行います。
15日からの後期展示作品もおすすめのもがたくさんありますので ぜひお越しいただければと思います。

E:ちなみに後期のおすすめ作品はどれでしょうか。

T:たくさんあるので困ってしまいますね。
山越阿弥陀図、当麻曼荼羅縁起(来迎場面)、親鸞聖人像(鏡御影)、恵信尼自筆書状類、その他たくさんあるんですけど・・・
(その後、次々と作品名がでてきましたが、書ききれなくなってしまうので省略します)

E:それだけおすすめが多いということですね。私もこの4点だけでも今からとても楽しみにしています。
ではこちらはぜひごお越しいただき見ていただきたいですね。 高橋さんどうもありがとうございました。

次回は絵画担当研究員よりみどころを紹介します。
お楽しみに。

カテゴリ:研究員のイチオシ2011年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2011年11月12日 (土)

 

書を楽しむ 第3回「きれいな紙」

書を見るのはとても楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第3回です。

今回は、紙。

書が書かれた紙のことを、「料紙」と呼びます。
じつは、料紙には、きれいなものがたくさんあって、それだけでも楽しめます。

いま、トーハクの本館3室(宮廷の美術)(~2011年12月11日(日)展示)に、きれいな料紙が並びました。

展示室で一番左は、荒木切(あらきぎれ)。
荒木切
荒木切(古今和歌集) 伝藤原行成筆 平安時代・11世紀 深山龍洞氏寄贈(~2011年12月11日展示)
(注)右画像は上記作品の部分、拡大画像


拡大してみると、お花と葉っぱが見えます。
展示室では、この文様が見えにくいですが、
そういう時は、ガラスに顔を近づけたり、しゃがんで下から見たり、横から見たり。
角度を変えると見えてきます。

二番目は、本阿弥切(ほんあみぎれ)。
本阿弥切
本阿弥切(古今和歌集) 伝小野道風筆 平安時代・12世紀 森田竹華氏寄贈(~2011年12月11日展示)
(注)右画像は上記作品の部分、拡大画像


右の青い方も文様はあるのですが、やはり見えない!
白く見えるのは、花崗岩に含まれる雲母(うんも)です。料紙工芸では、雲母と書いて「きら」と呼びます。
光の加減でキラキラ見えるためでしょうか。

三番目は、巻子本(かんすぼん)。
巻子本
巻子本古今和歌集切 藤原定実筆 平安時代・12世紀 森田竹華氏寄贈(~2011年12月11日展示)
(注)右画像は上記作品の部分、拡大画像


これは、「蝋箋(ろうせん)」と呼ぶ料紙で、中国から輸入されたものです。
つややかで蝋を塗ったように見えるから、この名前で呼ばれます。

四番目は、了佐切(りょうさぎれ)。
了佐切
了佐切(古今和歌集) 藤原俊成筆 平安時代・12世紀 古筆了悦氏寄贈(~2011年12月11日展示)
(注)右画像は上記作品の部分、拡大画像


三番目までの文様は、版木を用いて摺ったものですが、了佐切は、筆で描いた文様のようです。
金色の雲、いかがですか?
じつは、これは後世に描き加えられたものです。

さいごに、通切(とおしぎれ)。
通切
通切(古今和歌集) 伝藤原佐理筆 平安時代・12世紀(~2011年12月11日展示)
(注)右画像は上記作品の部分、拡大画像


右の写真のように拡大すると、あみ目が見えるでしょう。
これ、紙の裏側です。紙を漉くときに、ふるいに布をひいていたため、布の目がついています。

以上のように、文様や絵のある料紙のことを「装飾料紙」と呼びます。
今回は、装飾料紙が5つも並んでいますが、全部『古今和歌集』が書かれています。
花や雲の文様の料紙に和歌を書くのは、平安貴族の美意識でしょうか。


ちなみに!
美麗をつくした装飾料紙といわれる「本願寺本三十六人家集」(国宝)が、
現在、平成館で開催中の特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」(~2011年12月4日(日))で展示されています!
装飾料紙の代表作ですので、ぜひ御覧ください。
(「本願寺本三十六人家集(素性集・重之集・能宣集下)」は展示替があります。
詳しくは作品リスト のNo.186 をご覧ください。)

書だけでなく、
展示室でしゃがんで見たり、横から見たりして、きれいな紙も楽しんでください!

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2011年11月09日 (水)

 

中国書画精華(前期) 宋画のひみつ

トーハクで中国書画の展示担当、塚本です。
1089ブログでは、中国書画について、その魅力や見どころをご紹介したいと思います。
私ごとで恐縮ですが、学生時代は仙台に住んでおり、毎年、中国書画精華を見に上野にやってくるのがとても楽しみでした。
当時は立ち食い蕎麦屋でバイトしていて、お金を貯め、在来線や高速バスを使ってやって来ました。
今回、初めて中国書画精華(前期:2011年10月18日(火)~11月13日(日)後期:2011年11月15日(火)~12月11日(日)、本館特別1室)の展示担当になりました。
今回の中国書画精華では、前期には宋代絵画の名品を元代絵画と比較しながら展示しています。

さて今回は宋代絵画について考えてみましょう。
宋代絵画の特徴はその高度な画面描写にあります。
あたかも鑑賞者の心を映し出すかのような写実性こそは、宋画のみにゆるされた高い精神世界と言えます。
それでは宋画はどのように描かれているのでしょうか。


国宝 紅白芙蓉図
国宝 紅白芙蓉図 李迪筆 南宋時代・慶元3年(1197)
~2011年11月13日(日)展示


大半の宋画は画絹(がけん)と呼ばれる絹に描かれます。
画絹は半透明性のシルクで織られた繊維なので、そこに顔料や様々な表現の工夫をすることによって、実に多様な描写ができます。
まず「紅白芙蓉図」の拡大写真を見てみましょう。

紅芙蓉図(部分) 
(左)紅芙蓉図(部分)、(右)一般の画絹(目が粗く裏が透けているのがわかります。)

顔料が絹目に食い込み、不均一にひろがることで、まるでパステルのパウダーを塗ったような質感が表現されているのがわかります。
ゆっくり変化するピンク色と白の色面が、実に美しいですね。
これが展示場で離れて見てみると、ふわっとした芙蓉の存在感として表現されているのです。
一般に宋画の絹はとても細かく、現在市販されている絹とは全く別のものです。
このような目のこまかい絹こそが、宋画の神秘的ともいえる存在感の表現を可能にしていると言えます。


重要文化財 猿図
(左)重要文化財 猿図 伝毛松筆 南宋時代・13世紀
(中)頭部分の拡大。
(右)画像(中)の赤で囲んだ部分の拡大。墨線に交じって金泥線が見えます。
~2011年11月13日(日)展示


絹は半透明ですから、裏から彩色をしたり(裏彩色(うらざいしき))、裏から金を貼ったり(裏箔(うらはく))したりすることで、直接的ではない、微妙な色感を表現することができます。
猿図」(南宋時代)は、ただのサルではなく、まるで考え事でもしているかのような猿の図として有名です。
拡大してみると体毛は金泥で表現されていることがわかります。(右図)
これが、ふんわりとした毛のひみつ。
次に、眼を拡大してみましょう。

重要文化財 猿図(部分)
(左)猿図(部分、眼の部分を拡大)、(右)(左)の画像の青で囲った部分の拡大。金色の部分がはみ出ているのが確認できます。

眼球の後ろにキラキラしたものが見えませんか。
眼上の線(画像、右の赤丸で囲った部分)から絹下にややはみ出ていることからみても、おそらくこれは絹の下に金箔を貼っているのだと思われます。
絹の表から金を使うと、金色が目立ちすぎてつり合いがとれずに俗っぽくなり、「考えるサル」にはなりません。
でもサルのきらっとした眼球の質感は表現したい・・・。
絹裏から金を使うことは、画家のこの相反した二つの表現の欲求をかなえてくれるものだったのでしょう。


現在、このブログでご紹介した「紅白芙蓉図」の制作工程模型を作製しています。
東京芸術大学の学生ボランティアの協力を得て、エックス線撮影などの科学技術を使って研究を進めながらの作業です。
来年3月頃には完成予定で、2012年度中に本館20室にて展示される流れとなっています。
東洋絵画の最高峰とも言われる宋画のひみつを解くためには、まだまだ時間がかかりそうです。


本館で中国書画精華が展示されるのは、これで最後。
トーハク全体でも、東洋館が開館するまでの間、中国書画の展示はありません。
前期は国宝「紅白芙蓉図」をはじめ、国宝「夏景山水図」(山梨、久遠寺蔵)など、2件の国宝と6件の重要文化財が並ぶ、超豪華ラインナップ!
前・後期ともに、どうかお見逃しなく。


中国書画にご興味のある方に耳より情報!
中国の花鳥画-彩りに込めた思い-」(黒川古文化研究所にて2011年11月13日(日)まで開催)
この展示は「関西中国書画コレクション展」の参加展示です。

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2011年10月23日 (日)