特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」
法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌 特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」 / 平成館 特別展示室 2011年10月25日(火) ~ 2011年12月4日(日)

重要文化財 善信聖人絵(琳阿本)(部分)
法然から『選択本願念仏集』と肖像画を伝授される親鸞
詞書覚如筆 鎌倉時代・14世紀
京都・西本願寺蔵
[展示期間:2011年10月25日(火)~11月13日(日)]
法然から『選択本願念仏集』と肖像画を伝授される親鸞
詞書覚如筆 鎌倉時代・14世紀
京都・西本願寺蔵
[展示期間:2011年10月25日(火)~11月13日(日)]
保元・平治の乱などの戦乱や地震などの天変地異が続き、政治・社会が混迷した平安末期。来世の往生を願った富者は財を尽くして功徳を積み、僧侶は教義論争に明け暮れるなか、鎌倉仏教の先駆者・法然(1133~1212)は現れました。民衆を含む万人の救済を考えた法然は、「念仏をとなえれば誰もが救われる」と阿弥陀如来の名号をとなえることを説き、浄土宗の宗祖となりました。
その教えを受けたのが、40歳年下で、のちに浄土真宗の宗祖となる親鸞(1173~1262)です。法然と同じく比叡山での修行を積んだ後、29歳のとき法然に出会い、たとえ地獄におちようとも、その教えを信じて念仏をすると決断しました。しかし専修念仏の教えは既成教団から弾圧を受け、法然は四国へ、親鸞は越後へ流罪となります。その後、二人が再会することはかないませんでしたが、親鸞は越後への配流後、関東などでの布教活動を経て、京都に戻り、真摯な研鑽を続けて思索を深めました。
この特別展は、法然没後800回忌、親鸞没後750回忌を機に、両宗派からの全面的な協力を得て、法然と親鸞ゆかりの名宝を一堂にあつめ、その全体像をご紹介する、史上初の展覧会です。国宝・重要文化財が半数を占める第一級の美術品およそ190件をとおして、二人の生き方やその魅力をご紹介します。大震災に見舞われ、社会の転換期を迎える今日、二人の教えと生き方は現代人にも大きな示唆を与えるに違いありません。
1089ブログ「2011年度の特別展」 展覧会の見どころなどを紹介しています。
開催概要 |
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会 期 | 2011年10月25日(火)~12月4日(日) | ||||||||||||||
会 場 | 東京国立博物館 平成館(上野公園) | ||||||||||||||
開館時間 | 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで) (ただし、会期中の金曜日は20:00まで開館) |
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休館日 | 月曜日 | ||||||||||||||
観覧料金 | 一般1500円(1300円/1200円)、大学生1200円(1000円/900円)、高校生900円(700円/600円) 中学生以下無料
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交 通 | JR上野駅公園口・鶯谷駅より徒歩10分 東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分 |
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主 催 | 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社 | ||||||||||||||
後 援 | 文化庁 | ||||||||||||||
協 賛 | トヨタ自動車、日本写真印刷、三井住友海上火災保険 | ||||||||||||||
特別協力 | 知恩院、増上寺、金戒光明寺、知恩寺、清浄華院、善導寺、光明寺(鎌倉市)、善光寺大本願、光明寺(長岡京市)、禅林寺、誓願寺、遊行寺、 西本願寺、京都 東本願寺、専修寺、佛光寺、興正寺、錦織寺、毫摂寺、誠照寺、専照寺、證誠寺 |
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カタログ・音声ガイド | 展覧会カタログ(2500円)は、平成館2階会場内、および本館地下ミュージアムショップにて販売しています。音声ガイド(日本語のみ)は500円でご利用いただけます。 | ||||||||||||||
お問い合わせ | 03-5777-8600 (ハローダイヤル) | ||||||||||||||
展覧会ホームページ | http://www.honen-shinran.com/ 展覧会公式サイトは会期終了時をもって終了いたしました。 |
関連事業
<講演会・講座>
記念講演会(1)「特別展『法然と親鸞 ゆかりの名宝』について」
平成館 大講堂
2011年11月19日(土)
13:30 ~ 15:00

<講演会・講座>
記念講演会(2)「法然上人に近づく」
平成館 大講堂
2011年11月26日(土)
13:30 ~ 15:00

<講演会・講座>
記念講演会(0)「法然と親鸞」
平成館 大講堂
2011年10月28日(金)
18:00 ~ 18:45

ジュニアガイド
展覧会のみどころ |
法然と親鸞 合同展の意義 |
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法然と親鸞の師弟としての交流は、親鸞が29歳から6年間のごく短期間でしたが、入門4年目にして親鸞は、法然の思想をあらわした主著『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』の書写と肖像画を描くことを許されています。生涯戒律を守り通した法然、肉食妻帯をした親鸞と、生き方は異なりますが、親鸞は師の教えを真摯に受けとめ、研鑚につとめました。 本展覧会では、鎌倉仏教を代表する二つの宗派の宗祖となった法然と親鸞ゆかりの名宝が一堂に集まります。その内容や制作の経緯、伝来などから、作品は相互に深い関わりをもっていることがうかがえ、あたかも法然と親鸞が800年ぶりに再会したかのようです。各宗派で大切に守り伝えられた文化財を合わせてご覧いただくことで、浄土教の二大宗祖である二人の考え方や人物像について、より理解を深めることができるまたとない貴重な機会といえます。 |
第一章 人と思想 |
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法然と親鸞の面影を写実的に表現した肖像画や彫像、肉筆の資料には、多くの人々をひきつけた親しみのある人柄や、新しい主張がよみとれます。さらに、著作、言行録、その思想の背景となった作品などをとおして、二人の存在を身近に感じることができます。
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重要文化財 選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)
鎌倉時代・12~13世紀 京都・廬山寺蔵 [展示期間:2011年10月25日(火)~11月13日(日)] 法然の著作になる浄土宗の根本聖典です。建久9年(1198)前関白の九条兼実(くじょうかねざね)の懇請により著しました。様々な経典や著述より念仏の要文を抄出し、念仏の要義を述べています。阿弥陀仏が諸行のなかから念仏のみを選択して本願の行とされたという、専修念仏としての立場を明らかにしたものです。本書はその最古写本で、草稿本といわれ、巻頭の内題にあたる「選択本願念仏集 南無阿弥陀仏〈往生之業/念仏為先〉」の21文字は法然の真筆と伝えられています。 |
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国宝 教行信証(坂東本)(きょうぎょうしんしょう(ばんどうぼん)) 第1冊
親鸞筆 鎌倉時代・13世紀 京都・東本願寺(京都市烏丸七条)蔵 [展示期間: 第1・第2冊 2011年10月25日(火)~11月6日(日)、 第3・第4冊 2011年11月8日(火)~11月20日(日)、 第5・第6冊 2011年11月22日(火)~12月4日(日)] 親鸞の主著です。正しくは『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょぎょうしょうもんるい)』といい、広く経・論・釈の文章を集めて、浄土真宗の教義を明らかにした根本聖典です。教・行・信・証・真仏土・化身土の六部門で構成されています。『教行信証』の唯一の親鸞自筆本であり、全体にわたって、記号や朱筆、書き直しや新たな綴入れなどがみられ、親鸞自身によって晩年に至るまで改訂が続けられていたことが明らかにされています。坂東報恩寺に伝来したことから「坂東本」とも称されます。 |
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重要文化財 二河白道図(にがびゃくどうず)
鎌倉時代・13世紀 京都・光明寺蔵 [展示期間:2011年10月25日(火)~11月13日(日)] 二河白道は中国唐時代の浄土教家・善導(ぜんどう)が説いたたとえ話です。清浄な信心を現世と極楽浄土をつなぐ細く白い道にたとえ、火の河(瞋憎(しんぞう))や水の河(貪愛(どんあい))などの煩悩に惑わされてもこの道を一心に渡る(念仏する)ことで極楽へいくことができるといいます。法然が『選択本願念仏集』で、親鸞が『教行信証』でこの話にふれており、鎌倉時代以降に絵画化されました。光明寺本はその最古の遺品です。本展ではこの他に3点が出品されます。 |
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重要文化財 歎異抄(たんにしょう) 上巻
蓮如筆 室町時代・15世紀 京都・西本願寺蔵 [展示期間: 上巻 2011年10月25日(火)~11月13日(日)、 下巻 11月15日(火)~12月4日(日)] |
親鸞の没後、東国の門弟たちの間で師説との異義が生じたことを嘆き、遺訓を守るべきとの意図で書かれました。親鸞から直に聞いた教説を書き記したもので、常陸国河和田(ひたちのくにかわだ)の門弟である唯円(ゆいえん)がまとめたとされています。「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」で知られる悪人正機説など親鸞の思想を端的に示しています。本書は末尾に流罪記録を収めた唯一のものとして史料的価値が高く、蓮如筆になる現存最古の写本としても貴重です。
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第二章 伝記絵にみる生涯 |
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波乱に富んだ生涯のなかで、法然と親鸞がどのように考え、行動したかをたどります。伝記として描かれた絵画には、その構成や内容に、それぞれの特色があります。最近の研究によって、制作の背景や、各絵伝相互の関係などが明らかになってきたことで、その資料的価値がさらに評価されています。
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![]() 巻第6 第3段、吉水の草庵で人々に専修念仏の教えを説く法然 |
国宝 法然上人行状絵図(ほうねんしょうにんぎょうじょうえず)
巻第6 (部分) 鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 [展示期間: 2011年10月25日(火)~11月6日(日)] |
数ある法然上人行状絵図のなかで最も大部を誇る絵巻です。『無量寿経(むりょうじゅきょう)』に説かれる阿弥陀如来が衆生を救済するために立てた48の誓願にちなみ、48巻で構成されます。法然の生涯や教え、さまざまな帰依(きえ)者や門弟、高僧の事跡など内容は多岐にわたります。この場面は巻6第3段で、法然が京都東山の吉水で多くの人々に対して極楽浄土と専修念仏について説く記念的場面を表します。
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重要文化財 善信聖人絵(琳阿本)(ぜんしんしょうにんえ(りんあぼん)) 詞書覚如筆 紙本著色 鎌倉時代・14世紀 京都・西本願寺蔵
[展示期間:巻上 2011年10月25日(火)~11月13日(日)、 巻下 2011年11月15日(火)~12月4日(日)] 巻上 第4段 選択付属 (部分) 上下2巻からなる親鸞の伝記絵巻で、巻頭に「向福寺琳阿弥陀仏(こうふくじりんあみだぶつ)」と旧蔵者の署名があることから「琳阿本」と呼ばれます。この場面は親鸞33歳のとき、法然から自らの御影と『選択本願念仏集』を写すことを許可され、その正当な後継者の一人として認められたことを伝えています。 |
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巻上 第5段 信行両座 (部分)
同じく親鸞33歳のころ、法然のもとに集まった弟子たちに親鸞が信と行どちらが重要か問いかけました。多くの弟子が行の座につく中、聖覚(せいかく)、信空(しんくう)、遅れて駆けつけた法力(ほうりき)(熊谷直実(くまがいなおざね))、親鸞が信の座についたところ、法然も信の座についたということです(奥で数珠(じゅず)を持つのが法然、左手前で筆を執(と)るのが親鸞、頭を掻きながら親鸞のほうへ向かうのが法力です)。 |
第三章 法然と親鸞をめぐる人々 |
弟子との間でやりとりされた書状などを中心に、法然と親鸞およびその周辺の人々の活動を具体的に示す資料をとりあげます。法然を慕う多くの人々の結縁によって没後に造立された阿弥陀如来立像や、親鸞の妻である恵信尼などの書状を通して、二人の魅力ある人間像をうかがいます。 |
![]() 巻5第2段 親鸞聖人の行状絵を制作する覚如 重要文化財 慕帰絵(ぼきえ) 巻5 (部分)
藤原隆章・隆昌・久信筆 南北朝時代・観応2年(1351) 京都・西本願寺蔵 [展示期間: 巻4 2011年10月25日(火)~11月6日(日)、 巻5 2011年11月8日(火)~11月20日(日)、 巻6 2011年11月22日(火)~12月4日(日)] 親鸞の曾孫であり、親鸞・如信(にょしん)に次ぐ本願寺三世にあたる覚如が没した年に、その往生(帰寂)を哀しみ慕って(=慕帰)制作された伝記絵巻で す。覚如は法然上人伝である「拾遺古徳伝(しゅういことくでん)」や親鸞聖人伝(高田本、琳阿本、康永本として知られる伝絵です。いずれも重要文化財です。本展に出品されます。)をまとめ自ら詞書を執筆するなど、多くの功績を残しました。絵師とともに伝絵を制作する様子を表したこのめずらしい場面は、 11月8日(火)~11月20日(日)に展示されます。 |
![]() 重要文化財 阿弥陀如来立像 (あみだにょらいりゅうぞう) 鎌倉時代・建暦2年(1212) 浄土宗蔵 法然の弟子源智(げんち)が師の一周忌供養にあわせて造った像です。像内に源智の造立願文のほか、源頼朝、後鳥羽院をはじめとした4万6千人ほどの姓名を 記した文書が納められていました。仏師快慶の作風に近いとされていますが、衣文の彫りなどに相違が見られ、別の有力な慶派仏師の作と考えられています。 |
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重要文化財 恵信尼自筆書状類
(えしんにじひつしょじょうるい) 恵信尼筆 鎌倉時代・13世紀 京都・西本願寺蔵 [展示期間: 2011年11月15日(火)~12月4日(日)] |
親鸞の妻恵信尼が京都にいた娘覚信尼に宛て越後から書き送った書状類で、親鸞の素顔を知る貴重な史料です。親鸞の訃報に接して書かれた弘長3年(1263)2月10日の書状には、親鸞が、京都の六角堂に参籠して聖徳太子の夢告をえて、これを機に法然の門下になったことや、経典読誦(きょうてんどくじゅ)による自力の功徳への執着を内省し、絶対他力へと向かったことなど、ありし日の親鸞の様子が、格調高い豊かな言葉で、迫真的に生き生きと綴られています。
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第四章 信仰のひろがり |
浄土宗や浄土真宗の各寺院などに伝来する名宝の数々をご紹介します。法然や浄土宗にゆかりの阿弥陀如来像、晩年の親鸞が道場の本尊として用いた自筆の名号、さらに先徳祖師として法然、親鸞が仰いだ善導像、聖徳太子像などがあります。また教えを受け継いだ人々によって守られてきた文化財は、信仰の歴史を伝えるとともに、美術品としても極めて高い価値をもっています。
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![]() 国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎) (あみだにじゅうごぼさつらいごうず(はやらいごう)) 鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵 [展示期間:2011年10月25日(火)~11月13日(日)] 鎌倉時代の来迎図を代表する作品です。全身を金色に輝かせた阿弥陀聖衆(あみだしょうじゅ)が、経巻を前に合掌する往生者を迎える様子を描いています。急な山の斜面にそって来迎する構図が、スピード感を与えることから、「早来迎」の名で知られてきました。多くの化仏(けぶつ)と化宮殿(けきゅうでん)が描かれることから、最上ランクにあたる上品上生(じょうぼんじょうしょう)の来迎を表していることがわかります。 |
![]() 国宝 本願寺本三十六人家集(重之集) (ほんがんじぼんさん じゅうろくにんかしゅう(しげゆきしゅう)) (部分) 平安時代・12世紀 京都・西本願寺蔵 [展示期間: 重之集 2011年11月8日(火)~11月20日(日)] 藤原公任の撰になる三十六歌仙の私家集のまとまった最古写本で、装飾料紙の限りを尽くした冊子本に、当時指折りの能書(のうしょ)20人が分担して書写した調度手本です。白河上皇の60歳の賀を祝うために作られたものと推定されています。また華麗な料紙と筆跡の見事さを競って揮毫(きごう)した冊子合せの遺品とする説もあります。天文18年(1549)に後奈良天皇より本願寺第10世の証如(しょうにょ)が賜ったことが知られています。書道史、美術史、国文学史上極めて貴重な遺品です。このほか、素性(そせい)集と能宣(よしのぶ)集下も出品されます。 |
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![]() 巻下 第3段 本願尼の往生 |
国宝 当麻曼荼羅縁起
(たいままんだらえんぎ) 巻下 (部分) 鎌倉時代・13世紀 神奈川・光明寺蔵 |
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[展示期間:巻上 2011年10月25日(火)~11月13日(日)、巻下 2011年11月15日(火)~12月4日(日))]
奈良・当麻寺の本尊である当麻曼荼羅(奈良時代)の縁起を二巻にわたって描いた絵巻です。紙を縦に使用して継いだ大きな画面に、当麻寺の由来から本願尼の阿弥陀信仰、当麻曼荼羅の織成、往生までをつづっています。巻下の最終段では、織りあがった当麻曼荼羅の前で念仏する本願尼のもとへ阿弥陀二十五菩薩が来迎しています。化宮殿(けきゅうでん)と化仏(けぶつ)をともなう上品上生(じょうぼんじょうしょう)の来迎で、一番前では観音菩薩がひざまずいて本願尼に蓮台を差し出し、これに乗るよう促しています。 |
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重要文化財 阿弥陀三尊坐像
(あみださんぞんざぞう) 鎌倉時代・(中尊)正安元年(1299)・(両脇待)13世紀 神奈川・浄光明寺蔵 浄光明寺は鎌倉幕府第6代執権北条長時(ながとき)が創建した浄土宗諸行本願義派の思想に基づく浄土・真言・華厳・律などの諸宗兼学の寺です。現在は真言宗泉涌寺派です。阿弥陀如来坐像の像内に正安元年(1299)の年紀と、平久時(たいらのひさとき)の名前を記した文書が納められていました。久時は長時の孫です。中尊が説法印を結び、両脇侍が坐った形の像は鎌倉時代にはきわめてめずらしいものです。阿弥陀如来坐像の総高(台座の下から光背の頂部まで)は3m83cmです。 |
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重要文化財 地獄極楽図屏風
(じごくごくらくずびょうぶ) 鎌倉時代・13~14世紀 京都・金戒光明寺蔵 [展示期間: 2011年10月25日(火)~11月13日(日)] 二曲一双の大画面を3つに区分し、大海の彼岸となる画面上部に極楽浄土、此岸となる画面下部に地獄(左)と現世(右)の様子を描いた屏風です。現世では多くの善行悪行が描かれ、その結果としての地獄と極楽、また清浄な信心を持つことにより悪行を積んでも往生できることを示します。金戒光明寺には対として伝来した山越阿弥陀図屏風(やまごしあみだずびょうぶ)があります。 |

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