このページの本文へ移動

1089ブログ

特集陳列「南九州の古墳文化」特別講演会へのいざない

今回の特集陳列「南九州の古墳文化」(平成館企画展示室、3月3日(日)まで)を記念して、2月23日(土)に開かれる特別講演会(シンポジウム形式)の司会・コーディネーターを務めることになりました横浜市歴史博物館長の鈴木靖民と申します。
専門は、日本と東アジアの古代史です。
 
企画展示室入口風景
企画展示室入口風景

「南九州の古墳文化」展は、平成24年度の文化庁考古資料相互活用促進事業(考古資料相互貸借事業)の一環として開催されています。
大正年間の発掘から著名な西都原古墳群に建設された宮崎県立西都原考古博物館の所蔵資料と東京国立博物館所蔵資料で、宮崎県と鹿児島県内から出土した豊富な考古資料が展示されており、大変見ごたえのある内容です。
これまで東京をはじめとする東日本では、あまり紹介されることがなかった南九州地方の特色ある古墳文化を知る絶好の機会といえます。

概説パネル
概説パネル

従来、8世紀の古代の南九州(主に宮崎県、鹿児島県)は、「隼人」とよばれた人々が住む、ほかの地方とは異なる自然環境にあり、稲作農業のない辺境であるとされてきました。
考古学では、古墳時代(3~7世紀)の多様な墓制の中でも、他の地方には見られない特異な地下式横穴墓や板石積(いたいしづみ)石棺墓、立石土坑墓という特殊な墓の存在が明らかにされ、その証拠だと考えられていた時代もありました。
しかし、地域は限られますが、古墳時代前期から大型の前方後円墳も出現し、最近では地下式横穴墓と併存する場合さえあることも明らかにされつつあり、注目を浴びています。

宮崎県地下式横穴墓出土遺物・西都原古墳群出土埴輪 全景
宮崎県西都原古墳群出土埴輪(左:東京国立博物館蔵)・同 地下式横穴墓出土遺物(右:宮崎県立西都原考古博物館蔵)

これをどう理解するか。
私が専門とする文献史学の立場からも、「隼人」が異民族ではなく、7世紀の天武朝期以後の大和の王権が作り上げた擬制的な集団に過ぎないという説が出されています。


そこで、今回は宮崎県と鹿児島県から第一線の考古学、文献史学の研究者を招き、一堂に会して、この地域独自の特色の実態を捉え直し、
そして、講演とディスカッションを通じて、南九州の地域社会の特色、大和や瀬戸内地方、北部九州との関係に迫り、日本古代の豊かな文化と歴史を究明したいと考えています。
 

特別講演会「南九州の古墳文化 ―日本古代国家成立と九州南部地域文化の展開―」
2013年2月23日(土)  13:00 ~ 16:15 平成館大講堂
当日先着380名 聴講無料(ただし当日の入館料が必要)

 

カテゴリ:news考古

| 記事URL |

posted by 鈴木靖民(横浜市歴史博物館長) at 2013年02月17日 (日)

 

生まれ変わった東洋館―東洋館には「オアシス」がある!

「オアシス」というと、砂漠の中でほっと一息つける、水や木陰のある場所のイメージでしょうか?
東洋美術をめぐる旅がテーマの東洋館では、旅の途中に一休みして、気分転換できるオアシスを設けています。ひとつは、旅の提案をする場所。もうひとつは、これからご紹介する「アジアの占い体験」のコーナーです。

皆さま、お正月には神社やお寺でおみくじをひきましたか? 私たちの身近なところにも占いはありますが、アジアの各国でも占いがあるようですよ。そのいくつかを、オアシスでお試しいただくことができます。

まずは、モンゴルのシャガイ占いです。羊のシャガイ(くるぶしの骨)を4つ、サイコロのように転がして占います。ひとつのシャガイには上下左右4つの面があり、それぞれの面には「馬」「ラクダ」「羊」「ヤギ」という名前がついています。どの面がいくつ出たかの組み合わせで、運勢がわかります。4つのシャガイを転がしたときにすべて「馬」の面が出たり、「馬」「ラクダ」「羊」「ヤギ」の面がそれぞれ一つずつ出れば、最高の運勢!気軽に今日の「東洋館の旅の運勢」を占ってみてください。ボランティアの活動時間は、本物のシャガイを手にとって、占うことができます。どの面が出たかもボランティアが一緒に確認するので、ご安心のうえ、お楽しみ下さい。

シャガイ占い
ボランティアと一緒に、シャガイ占い体験

次は、夢占い。天蓋が付いたアジア風のベッドの上に、りんごや樹木、飛んでいる人などの不思議な図柄が刺繍してあるクッションが置いてあります。古代エジプト、メソポタミア、中国の夢占いから取った図柄です。クッションを手にとり、裏返してみると、それぞれの夢占いの結果が書いてあります。どんな結果かは、実際に来て試してくださいね。ふかふかのベッドに腰掛けることもできますが、夢をみるほど熟睡はしないように。

夢占い
「飛ぶ夢」は何を暗示しているのかな?クッションを裏返すとわかります


最後に、ラッキーアイテムのスタンプを押してみましょう。ここでは、アジアの国の神様や縁起の良い動物のモチーフを立体的なエンボスで押すことができます。一番人気は、スカラベ。シャガイ占いや夢占いで、あまり良い結果が出なくても、ここで、スタンプを押せば、運を良いほうに転じられるかも。

スタンプ
好きなラッキーアイテムを押して、運気UP!?


東洋館オアシス「アジアの占い体験」は、開館中いつでもお楽しみいただけます。特に、ボランティアの対応する時間帯がおすすめです。(10:30~16:00・月曜を除く)。
オアシスでゆったり旅の行方を占い、エネルギーをチャージしたら、東洋館の旅をさらに続けて楽しんでください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ教育普及展示環境・たてもの

| 記事URL |

posted by 鈴木みどり(ボランティア室長) at 2013年02月16日 (土)

 

書を楽しむ 第31回「市河米庵の折手本」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第31回です。

特別展「書聖 王羲之」(~3月3日(日))、観ていただけましたか?

前回の「書を楽しむ」で、
王羲之の「蘭亭序」のお話をしましたが、
今回は、市河米庵(1779~1858)の「蘭亭詩」をご紹介します。

蘭亭詩
折手本蘭亭詩並後序 市河米庵筆 江戸時代・嘉永2年(1849) 加藤栄一氏寄贈 (2月24日(日)まで本館8室にて展示)

「蘭亭序」と「蘭亭詩」??
そのちょっとした違いに気付きましたか?

「蘭亭序」は、
王羲之が開いた曲水流觴の宴で、
各々の詩作の前文として王羲之が書いた序文で、
「蘭亭詩」というのは、
その時に詠まれた詩です。

市河米庵の「蘭亭詩」の王右軍(王羲之)の詩から、
気に入った部分を、エンピツで写しました。


(左)米庵の蘭亭詩より、(右)恵美のエンピツ写し

「乃」を力強くはらっていますが、
「携」は軽めで、筆の弾力を使って勢いよく書いています。
なにかの臨書をしたのではなく、
米庵自身の筆致でのびのびと書かれていて、かっこいいです。

市河米庵については、
このブログ「書を楽しむ」16回で、
米庵17歳と80歳で書いたふたつの「天馬賦」を
ご紹介しました。
今回の「蘭亭詩」は、捺された印章から、
米庵71歳のときのものであることがわかります。

これは、
弟子が手本として使いやすい、
折手本(おりてほん)という形式になっています。

幕末から明治、大正時代に作られた折手本は
たくさん残されていて、
私も先日、古本屋で、
明治時代の書家の折手本を
安く購入しました。

気に入った書の折手本を持つのは
特別な気持ちがします。

弟子が師匠の折手本を大切に伝えてきたように、
自分もなにか大切に伝えていきたいです。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

| 記事URL |

posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2013年02月12日 (火)

 

王羲之の書簡に思いを馳せる─「大報帖」

1月8日に流れた大報帖のニュースは、中国国内にもすぐに報道され、大きな反響を呼ぶこととなりました。事の発端は、ある愛好者の方が、妹至帖と大報帖は本来ひとつの書簡で、後に二つに分割されたのではないかとする主張でした。この主張を受けて、私の知る限り、すでに二人の学者が論考を発表しています。論点は二つ、一つは解釈の問題、もう一つは分割の可能性についてです。ここでは、解釈について少しご紹介してみましょう。

大報帖の文字は、以下のように読むことができます。

(便)大報期転呈也。知不快。当由情感如佳。吾日弊。為爾解日耳。

王羲之の書簡は、何と600余りも残されています。それらの書簡を調べると、親族の王劭を大、王延期を期と略称することがあります。ここでも大は、王導の息子の王劭、期は王羲之の兄である王籍之の息子・王延期と推測されます。王羲之は兄の王籍之が亡くなったあと、王延期を自分の息子として育てていました。

転差の用例
『淳化閣帖』巻6、「想小大皆佳帖」より
「転差」の文字


大報帖の文章で問題となるのは、「転呈」の「呈」の字です。字の形は明らかに「呈」なのですが、「呈」の草書は「差」の字にとても良く似ています。また、王羲之は他の書簡の中で、「転差」という表現を用いています。

「転呈」であれば、「大の報せは、期が連絡しました」と解釈できます。一方、「転差」であれば、「転(うた)た差(い)ゆる」、すなわち「次第に(病状が)快方に向かう」と解釈できます。中国でも、「転呈」を支持する方と「転差」を主張する方がいて、にわかに判断はできません。ただ、王羲之の他の書簡の用例を勘案すると、「転差」の方が当時の実情にあっているのかも知れません。そうなると、「大が、期の病状は次第に快方に向かっていると連絡してきました」となります。

もう一つは「為爾」。これは「爾(なんじ)のために」、すなわち「あなたのために」と読むことができます。しかし、「為爾」は「かくのごとし」という意味で用いることもあります。中国での解釈の一つには、「吾日弊為爾」、「私は日々疲れていることかくのごとし」とする説があります。ただし、文章の語感からすると、「為爾」は下の句につき、「私は日々疲れています。かくのごとく(以前と同様に、あい変らず)毎日を過ごしているだけです」なのかも知れません。

1700年近くも昔の文章ですから、王羲之の真意を窺うのは、決してたやすいことではありません。当時の文章は、短い語句に万感の思いをこめ、さらには字姿にも言葉では言い尽くせない胸懐を盛り込んでいたように思われます。王羲之の書簡をめぐって、さまざまな解釈に思いを馳せるのも、王羲之を楽しむ方法の一つと言えるでしょう。


新発見・世界初公開の「大報帖」は、特別展「書聖 王羲之」(平成館、3月3日(日)まで)にて、展示中です。

カテゴリ:2012年度の特別展

| 記事URL |

posted by 富田淳(列品管理課長) at 2013年02月08日 (金)

 

席上揮毫会を開催しました

1月31日午後、平成館にはいつもと違う香りがたちこめました。
墨の香りです。

そして平成館ラウンジには、大きなスクリーンが置かれ、いつにない黒山のひとだかり・・・

平成館ラウンジ

一体なにがあったのでしょう。


書家の先生方

特別展「書聖 王羲之」(2013年1月22日(火)~3月3日(日)、平成館)を記念しておこなわれた席上揮毫会(書のデモンストレーション)でした。
毎日書道会を代表する書家の先生方が、平成館ラウンジで毫(ふで)を揮(ふる)っていたのです。
多くのお客様が見つめるなか、先生の持つ筆が紙の上に置かれると、それまでざわざわしていた会場が一瞬にして緊張に包まれ、静まります。
皆さん真剣に筆の運びを見つめ、先生が最後の文字を書き終えると、ため息と拍手が会場を包みました。
この間、平成館が特別な空間となっていました。
墨の濃さ、筆や紙の種類など、先生のこだわりもうかがうことができ、気さくなお人柄に平成館ラウンジにも笑い声が響きます。
書、筆、墨と縁遠くなってしまった方も多いことと思います。展示ケースのなかの作品を見てもなかなか、書に向かう書家の姿、空気を感じることは難しいですよね。
こうした機会にぜひ書に親しんでいただければ幸いです。

席上揮毫会のあとは私自身、特別展「書聖 王羲之」をみる目も変わったように思います。
王羲之の作品は、どれだけ人々に日常とは違う心地よい空間を与えてきたのでしょうか。
王羲之はどんな紙や筆、墨をつかっていたのでしょうか。やはり緊張したのでしょうか。
王羲之の作品を写すときにはどうだったのでしょう。
作品をつくるときの姿に興味がわき、作品の前でつい想像してしまうのです。

展示の様子
今回の作品は1月31日の閉館まで平成館ラウンジに展示し、多くの方にご覧いただきました。
先生方、そしてお集まりいただきました皆様、ありがとうございました。
 

カテゴリ:教育普及催し物2012年度の特別展

| 記事URL |

posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年02月05日 (火)