江戸時代が見た中国絵画(3) いくつもの「中国絵画史」へ―江戸の中国絵画研究―
ある論文で東博のOB研究員が『君台官』という書物を引用していたことがあります。最初は有名な「君台観左右帳記」の間違いかと思っていましたが、当該箇所が見あたらずにいました。「君台観左右帳記」とは、室町時代に成立した座敷飾りに関する秘伝書で、中国画人の目録が収められているものです。ところが東博には『君台官』という江戸時代に出版された中国画家の書画落款集が所蔵されており、戦前戦後にかけての研究者が、江戸の中国書画研究をしっかり身につけていたことを知りました。
君台官 江戸時代・承応元年(1652) 東京国立博物館蔵
細かな書き込みは、京城帝国大学美術史学教授であった田中豊蔵(1881-1948)のものです。
(言い訳するようですが)私がこの本を知らなかったのも理由があります。「客観的事実」を探求する美術史のなかでは、『君台官』は重視されておらず、というのもそれが、おそろしく“ばかばかしい”本だからで、あり得ない印章がたくさん含まれているからです。たとえば、南宋の夏珪の項には間違って足利義満「天山」印が入っていますし、「高然睴」、「西金居士」というのも、中国には存在しない日本人が作り出した架空の中国画家です。しかしここには、彼らがあたかも過去の日本で生きていたかのように、その生の証である「印章」が所収されているのです。
『君台官』より、夏珪・西金居士・高然睴・蘇東坡
有名な北宋の文人・蘇軾や、郭煕・李成といった画家の印章もありますが、ほとんどは偽印です。
これらは言わば、“事実”としてはいなかったけれども、江戸時代には確実に“存在”していた不思議な画家と印章たちです。“客観的事実”を重視する立場から、これらを否定、もしくは無視することは簡単です。しかし、それは本当に意味のないものなのでしょうか。
和刻本 図絵宝鑑 夏士良編 江戸時代・18世紀、原本=元時代・至正25年(1365)序 東京国立博物館蔵
“純粋”なものほど"正統"に近いという考えは再考の余地があるでしょう。混雑した文化(クレオール)にも魅力があり、大切な価値を持っていると考えています。
江戸時代に出版された中国絵画に関する書籍には、非常に興味深い傾向が見られます。本来難しい漢文で書かれた書物を、日本での「中国絵画史」の需要にあわせて、内容や体裁を変化させていくことです。
たとえば元時代の『図絵宝鑑』。展示中の日本で出版された『図絵宝鑑』では、中国版にはなかった日本人が編集した「君台官」を附しています。いわば日本で勝手に出版された海賊版のようなものですが、これを「ばかばかしい」とは言えないでしょう。なぜなら、当時の日本人読者のなかには、「図絵宝鑑」に載る“正統”な中国画家たちよりも、もっと身近な、室町時代から日本に舶来されていた画家のことを知りたいという欲求があったはずで、いわば、自分たちに必要な「中国絵画史」を作り出しているからです。どちらもとても重要な、文化的営みだったと言えるでしょう。
(左) 清書画名人小伝 相馬九方編 江戸時代・嘉永元年(1848) 東京国立博物館蔵
平易な読み下し風に書いてあります。いろはに順の索引も便利です。
(右) 清書画人名譜 浅野梅堂撰、鷲峰逸人編 江戸時代・嘉永7年(1854)写 東京国立博物館蔵
「西土」の辞書にならい、なんとイロハニ順に中国画家をならべちゃいました。中国からしたら「邪道」ですが、日本人にはすこぶる使いやすい辞書です。
これら一見、“正統の歴史”から取り残された作品や、それに関わったさまざまな人々の歴史に光を当てることが今回の展示の大きな目標です。そしてそこから、「中国絵画史」が、決して一つではないこと、すなわち「いくつもの中国絵画史」が存在していたことをも知りました。
元画録 翠渓老人編 江戸時代・文政4年(1821) 東京国立博物館蔵(徳川宗敬氏寄贈)
日本で編集された元時代の画家の名鑑ですが、よく見ると名前の上に○●の印がついています。
このことに気付いていたらしい、江戸の画学書があります。当時流行していた元画についてまとめた『元画録』です。
元画録 翠渓老人編 江戸時代・文政4年(1821)より
●は日本で評価されているもの。
○は中国で評価されているもの、もしくは真跡の未だ見ざるもの。
この本の作者は、中国も日本のこともよく勉強していたのでしょう、中国の画史書で評価されている画家が日本では評価されず、日本で評価されている画家が中国では評価されていないことを発見していました。
これを作者は「●」と「○」で表しており、現在、当館でも重文になっている孫君沢、顔輝、宋汝志が「●」、すなわち「日本だけで知られている中国画家」として分類されています。一方、趙孟頫、倪瓚、王蒙、黄公望は、それぞれ「○」。すなわち中国でのみ評価されている画家、もしくは、まだ作品をみたことのない画家です。
これらの画家の真作を日本人が実際に見ることができるようになったのは、大正時代以降でした。この時期、日本では関西の財閥を中心に、世界有数のコレクションが形成され、●の画家よりも○の画家、すなわち中国の“正統”こそが評価されていきます。この時期にこれほどの中国絵画コレクションが短期間に形成されたのも、江戸時代以来の中国絵画研究の濃厚な蓄積があったからとも言えますが、それはまた、日本の長い中国絵画鑑賞史の大きな転換点でもあったのです。
秋林隠居図 王紱筆 明時代・建文3年(1401)
最後に展示されている、20世紀に日本に入ってきた新渡りの作品です。すっきりとした文人表具も、日本伝来の中国絵画とは全く違うのがわかります。
(左)「藍瑛十八皴法」 素山高喜筆(江戸時代・安政4年(1857)写)、に図示された「折帯皴」(蕭散体、しょうさんたい)の描き方
(右)「秋林隠居図」の本場の「折帯皴」(蕭散体)
江戸時代にも中国画法の知識の蓄積がありましたが、20世紀になってはじめて本物の「折帯皴」をみた人は、どう思ったことでしょう?
10月1日(火)より開催する「上海博物館中国絵画名品展(仮称)」(~11月24日(日)、東洋館8室)では、この、王蒙、倪瓚など「○」の画家、すなわち「江戸時代が“見られなかった”中国絵画」の名品を一堂に展示します。
(左) 王蒙「青卞隠居図」 (右) 倪瓚「漁荘秋霽図」(上海博物館蔵)
いずれも「江戸時代が見られなかった中国絵画」です。
「上海博物館中国絵画名品展(仮称)」(2013年10月1日(火)~11月24日(日)、東洋館8室)で展示予定
二つの展覧会をご覧になれば、「いくつもの中国絵画史」が存在している豊かさ、そしてその重要性に気がつかれるでしょう。
「中国絵画」の歴史は、地理上の「中国」より広く、それを受け入れた多様な人々の歴史でもあります。
現在開催中の特集陳列には南蘋も黄檗もありませんが、世界でも東博にしか出来ない、大切な展示となりました。あらためて先人の残した豊かな遺産に、多くのことを教えられた思いです。
作品たちも久しぶりに本館で昔の仲間たちに出会えて喜んでいるかもしれません。東洋館に帰る前に、ぜひお楽しみくだされば幸いです。
特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」は、6月16日(日) まで、本館 特別1室・特別2室にて開催中です。
シリーズブログ
江戸時代が見た中国絵画(1) “国家”を超える名画・馬遠「寒江独釣図」
江戸時代が見た中国絵画(2) 東博所蔵の木挽町狩野家模本について
カテゴリ:研究員のイチオシ
| 記事URL |
posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2013年05月31日 (金)
ほほーい!ぼくトーハクくん!
今日は井上研究員といっしょに「国宝 大神社展」を見に行くほ。
「第2章 祀りのはじまり」について教えてくださいだほー!
待っていたよトーハクくん!最終回は、考古遺物を紹介しよう。
お願いしますほ!
この章では、「国宝 大神社展」のなかで一番古い時代のものを展示しているんだほ?
そうだよ。日本には神道のもととなった思想が、仏教伝来以前からあったわけだ。そのあたりを見てゆこう!
はいっ!(うぷぷ、井上さんの戦隊ヒーローモノみたいな語り口がたまらんほ!)
人々は、山や海、岩や木など、自然のものに神を見出して、畏れ敬ってきた。
第2章の展示は、この展覧会のコンセプトの基底をなす部分だけど、それをきちんと表現するには、少なくとも縄文時代の状況から説明しなければならない!
なにしろ縄文時代だけで1万年以上あるんだから、それだけでひとつの展覧会が出来てしまうくらいだ!
しかしそれには全然スペースが足りない!
苦悩する井上さんと、なす術のないトーハクくん。
そういうわけで、数ある遺跡のなかでも、神社が成立する以前の神マツリの状況が伝わりやすいであろう、2つの遺跡に絞って紹介することにした。
人々が何故山や海を信仰するようになったのか、それが神社創建にいかにつながっていったのかをご覧いただこう。
山ノ神遺跡出土品
古墳時代・5~6世紀 東京国立博物館蔵
奈良県の山ノ神遺跡は、山自体を御神体として祀っている大神神社(おおみわじんじゃ)に深く関わる祭祀遺跡、つまり、神を祀り、祈りをささげたところだよ。
ほ~、なんだかボク、親しみを感じるほ。
そりゃそうさ、古墳時代・5~6世紀の遺物だから、キミの誕生とほぼ同時期だ。
ほー!それはご縁だほー!
(トーハクくんは5歳ですが、モデルになった「埴輪 踊る人々」は古墳時代・6世紀の遺物です。)
お皿とかツボみたいな、いろんな形をしているけど、何かの道具なのかな。
うむ。鋭いな。これは、お酒をつくる道具という説が有力だ。
杵(きね)と臼(うす)で脱穀した米を箕(みの)でふるって、柄杓(ひしゃく)で汲んだ清水(せいすい)を加えて坩(かん。つぼのこと)で醸(かも)す。
ほう。こんなにミニサイズの道具でお酒がつくれるほ?
おそらくこれは儀式用につくられたものだから、小さくつくられている。
でも酒造りは実際に行われていて、その工程を模したんだろう。
なるほ。
でも不思議だほ、山の神さまなのにどうしてお水やお酒と関係があるほ?
それはだねトーハクくん。
水は山から湧いてくる。湧いた水は泉になり、川になり、やがて海にたどり着く。
水は、山に住む動植物を育てる。田畑をも潤す。
その水と、水が育んだ米で造られる酒は、まさに神と人とを結びつけるものなんだ。
ポエム!
井上さん、ボク今ちょっと感動しちゃったほ。そういう大事なことをどうしてもっと早くに教えてくれなかったほ!
それはキミが早く取材に来ないからだろう!
ぎくっ!
まあいい、とにかく水の生まれ出るところは生命の根源、神聖な場所として崇められることが多いんだ。
そっか。なんだかボク、そういう感じが懐かしいような気分がするほ。
山の神様は、たくさん恵みを与えてくれるんだね。
そうだ。しかし同時に山は、土砂崩れ、地すべり、噴火など、いつも穏やかな顔ばかりじゃない。
だからこそ人々は山や自然を畏れ、敬うんだ。これが、神社創建に関わる思想的ルーツとも言えるんだな。
さて、もうひとつの作品を見てみよう。
国宝 方格規矩鏡
古墳時代・4~5世紀 福岡・宗像大社蔵
福岡県の沖ノ島祭祀遺跡から出土した鏡だ。
オキノシマ?
島全体が御神体ともいわれている島だよ。古くから祭祀が行われていたから、遺跡がたくさんある。
もともとは一氏族が、航海の安全や一族繁栄のために祭祀を執り行っていたようだが、弥生時代以降、大陸との交流が盛んになることで、古墳時代には大和政権が国家的事業として祭祀に取り組むようになっていった。
この島で出土した遺物が、これだ。
グラフィカルでかっこいいデザインだほ!
うむ。中央にある鈕(ちゅう。丸い部分)の周りを四角で囲み、その四方にはT・L・Vの形の文様がならぶ。
TとLは定規を、Vはコンパスをあらわしているとされている。
模様がとっても細かくて、いい仕事しているほ!デザインがあんまり日本っぽくないように感じるけど。
たしかに。そう感じるのは、この鏡に中国からきた四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)の思想が盛り込まれているからだろう。
このデザインは、その思想を巧みに和様化したものだととらえている。
沖ノ島からはこうした精緻な銅鏡がたくさん発見されているが、その中でも目を見張るデザインと言えるだろう。
ねえ井上さん、もしかして沖ノ島にはまだたくさん遺物が眠っているんじゃないの?
そうさ!まだまだ眠っているに違いないんだ!ここは通称「海の正倉院」と呼ばれているくらいすごい場所なんだよ。
もしさらに調査が進むのであれば、古代の人々の祈りの実態がもう少し深く分かってくるはずだ。
今後の調査に大いに期待したい!
ミステリーがいっぱいありそうでワクワクするほ!
そうか。いまボクたちは神社へお参りに行くけど、神社ができる前は、山や海とか自然そのものに対してお祈りしたり、お祀りしていたんだね。
ここが神社のスタート地点だったんだ!
井上さん、アツいお話をどうも有難うございました!
ミスター銅鐸とトーハクくん。
日本人の祈りのルーツが、自分の誕生するずっと前から脈々とあったんだと思うと、ちょっと胸が熱くなったトーハクくんなのでした。
~おわり~
カテゴリ:研究員のイチオシ、考古、2013年度の特別展
| 記事URL |
posted by トーハクくん at 2013年05月28日 (火)
江戸時代が見た中国絵画(2) 東博所蔵の木挽町狩野家模本について
絵画というと、展覧会に並んでいるものというイメージが強く、画家はその個性を競いあって作品を描いていた。そう思っている人が多いでしょう。今回の特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」には、江戸時代の絵師が中国絵画を見て描いた多くの模本が並んでいます。本物と見まがうような精巧に描かれた模写は、コピーではなく作品としてみることが出来るような「本物」感のあるものもあります。これらは、狩野派模本と呼ばれており、木挽町(こびきちょう)狩野家に伝来したとされています。実際には、何度かに分けて博物館に収蔵され、狩野派以外の絵師が制作したものとの区別が難しいものもあります。また模本類は、明治になって、博物館で制作されたものを加えて再整理が行われており、1点1点確認をおこなわないと正確な伝来を確定するのが難しいのが現状です。しかし、仕立ての様子や、模本に添えられた絵師のメモから、狩野探幽の弟尚信の家系である木挽町狩野家が関与したものが大量にあることは間違いありません。
木挽町狩野家は、尚信の息子常信が江戸時代前半の幕藩体制の確立期、諸大名が藩の組織を確立する時期に活躍して多くの藩の御用を勤めたため、以後も子孫が各藩の御用を継承し、前例と家系を重視する江戸時代に、御用絵師集団の中心的存在として君臨しました。同家8代目の狩野伊川院栄信は、古画に学んだ堅実な画風で知られ、その子晴川院養信は幼い頃から模写を行っていました。パパの教育の成果でしょうか、15歳で写した「竹図(模写)」は、筆のかすれを写すという至難の業をこなし、墨の濃淡も巧みに写しています。
(左) 竹図(模写) 狩野晴川院(養信)模 江戸時代・文化7年(1810) 東京国立博物館蔵
(右) 竹図(原本) 伝趙孟頫筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵
それに対してその子勝川院雅信の「林檎折枝図(模写)」は、13歳という2歳のハンディはあるものの、原本である南宋時代の「折枝画」の特徴を写そうという意識は感じられません。これを見た父はどう思ったことでしょう?会場には精緻な模写「林檎図(模写)」もありますから比較して見てください。模写を通して作品の質、そして画家の呼吸を感じ取るような訓練が、写す行為の中にはあります。
子供の頃、習字の塾では先生が書いたお手本を写すように書き、それが認められると次のお手本に進んで書道を習いました。狩野派でも同様な段階を追った学習をしていました。私の場合は、残念ながら入門1年後に家を引っ越したため、お習字レベルは、小学校2年で止まったままですが。
(左) 林檎折枝図(模写) 狩野勝川院(雅信)模 江戸時代・天保3年(1832) 東京国立博物館蔵
(中) 林檎図(模写) 筆者不詳 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
(右) 林檎図(原本) 伝李迪筆 中国 南宋時代・13世紀 個人蔵 (本特集ではパネル展示のみ)
模写作品は、写真の代わりになるもので、現在無くなってしまった作品の記録として重要なばかりでなく、写す行為によって描いた画家を理解していく体験でもありました。
橋本雅邦は、勝川院雅信の弟子で、木挽町狩野家の様子を記した「木挽町画所」(『国華』3号 明治22年)の中で、これらの模本がどのように管理されていたかを語っています。長老格の弟子により厳重に管理され、月に2度の点検が行われ、隔年に修繕もされました。こうして大事にされた模本が展示されているのです。これらは、江戸時代に絵師の見た絵画の資料庫であるばかりでなく、中国絵画を含んだ古画理解の源でもありました。
今回の特集陳列を、そんなことを改めて思いながら見たのでした。
カテゴリ:研究員のイチオシ
| 記事URL |
posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2013年05月27日 (月)
トーハクくんがゆく!「国宝 大神社展」 其の五(PG12の絵画篇)
ほほーい!ぼくトーハクくん!
今日は土屋研究員といっしょに「国宝 大神社展」を見に行くほ。
絵画について教えてくださいだほー!
こんにちはトーハクくん。今回は、絵画作品を紹介するね。
古神宝や神像の影にかくれがちだけど、絵画作品も奥が深くて見どころがたくさんあるんだよ。
土屋さん、今回のタイトルに「PG12の絵画」って書かれているのが気になるほ。
ぼくまだ5歳なんだけど大丈夫かなあ?
じゃあさっそく見に行こうか。
えっ、土屋さん、置いていかないでほ!
おすすめの作品はたくさんあるんだけど、今回は2作品を中心にお話します。
1つめはこちらです。
重要文化財 琴弾宮縁起絵(ことびきのみやえんぎえ)
鎌倉時代・14世紀 香川・観音寺蔵
香川県の琴弾八幡宮の草創縁起が描かれています。
そーそーえんぎ?
お宮がつくられた起源や由来、っていう意味だよ。
八幡大菩薩が、大分の宇佐八幡宮から京都に向かう途中でこの地に立ち寄られた、という伝承をもとに描かれたんだ。
八幡大菩薩さんが立ち寄ったの?どこに描かれているの?
左上のほうに、細く白い雲がたなびいているのが見えるかな?
この雲こそが、八幡大菩薩がこの地に降りたった様子を描いているんだよ。
「その雲は虹のようだった」と言われていて、この雲も虹みたいに見えるでしょ?
ほ~!お宮からけむりが出ているのかと思ったほ。
けむりじゃなくて、雲が空のほうから地におりてきているんだ。
神様の姿は直接は描かれないことが多いんだよ。
そっか!神様は目に見えないもんね!ちょっと面白いルールだほ。
少し下に目をうつすと、一艘の船が浜辺に寄せているのを、お坊さんたちがお迎えしている姿が見えます。
こういうひとつひとつに実は細かいエピソードがあるんだよ。(くわしくは図録270ページをご覧ください)
しかしすごいほ、ヘリコプターに乗って空から見ているみたいだほ。
これって元々、景色を楽しむためのものだったの?
おっ、いい質問だねトーハクくん。
楽しむというのとはちょっと違うんだ。
たとえば仏教美術には仏や菩薩の像が描かれているよね。神道美術では、「風景」が信仰の対象として描かれるんだよ。
社殿やそれを中心とした神域を描いた絵画を、家にかけて礼拝することで、実際にそこに行って礼拝したことと同じ効果があると考えられていたんだ。
なるほー!遠いところに住んでいたら、毎日は通えないもんねえ。こりゃ助かるほ。
では、もうひとつの作品を見てみましょう。
那智山宮曼荼羅(なちさんみやまんだら) 室町時代・16世紀 和歌山・熊野那智大社蔵
こちらは、那智大社を知らない人に向けて参詣にきてくださいって宣伝をするための絵。
熊野ってこんなところですよって紹介するガイドにもなっている、いわば「熊野攻略マップ」だね。
熊野比丘尼(くまのびくに)っていう尼僧たちが、この絵を折りたたんで諸国をめぐり歩き、さまざまな場所で絵解きをして、
熊野のPR活動や勧進(資金を集める)したそうだよ。
ほお!どうりで、みんな楽しそうにしていて、なんだか行ってみたい気持ちになるほ。
みんな楽しそう?よーく見て。みんなじゃないかもよ。
えっ、ごめんだほ、まだちゃんと見ていなかったほ。
何気ないところにも、熊野にまつわるエピソードが描かれているんだよ。
たとえば画面右下。
浜辺から船が3艘出ているね。これは「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の様子なんだ。
当時は南の海の向こうに、観音様が住まう「補陀落浄土」というところがあると考えられていた。
それで、小型の木造船(右側の船)に行者が乗り込み、出られないように釘で屋根を打ちつけたうえで、そのまま沖に出てゆくというものだったんだ。
その後、伴走している船が沖まで曳いていって、綱を切って見送る。
場合によってはもともと船に穴を開けていて、その穴をふさいでいた栓を自分で抜いて沈めたりしたそうだよ。
ちょ、ちょ、ちょっと待ってだほ(汗)、それじゃ中に乗った人はどうなるほ?
浄土へ行くんだろうな…。
ふがぁ!そ、そんなことを実際にしていたほ?!
さあ今度は画面右上の滝の部分を見てみよう。
土屋くんっ、質問に答えていないほ!
これは滝に打たれて修行していた文覚上人(もんがくしょうにん)というお坊さんが気を失ってしまった場面。
不動明王に仕える矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)に助けられています。
この人は、出家する前のプライベートがちょっとワケアリなんだ。
彼は、とある人妻に恋をしてしまう。それで彼女の夫を殺そうと計画する。
お風呂から出てきた長髪の夫の首を掻き切ろうとするんだけど、実は殺したのは、身代わりになった愛する人だったんだ。
その罪をあがなうために出家し、那智の滝で荒行をしたとされています。
土屋くん。
なに?
その話、5歳のボクにはちょっとオトナすぎるほ。いけないほ!
いやいや、私が言いたいのは、この1枚の絵の中にはそれくらい濃いエピソードがたくさん詰まっているということだよ。
こうやって絵解きすることで、昔の人たちも熊野に興味をもって、いつかは参詣したいと思っていたと思うんだ。
トーハクくんも熊野や他の神社に行ってみたくなったでしょ?こういった絵画は、そんな役割も果たしていたんだよ。
なるほ!たしかに、神社に行って実物を見てみたくなったほ!この絵を見てから行ったほうがもっと楽しめそうだほ!
そして今も昔も、神社が日本人の暮らしと人生に深く関わっているようすがよく分かったほ。
土屋さん、シゲキ的なお話を有難うございました!
土屋研究員とトーハクくん。
土屋さんもそうですが、研究員という人種はきわどいエピソードを淡々と話す人が多いなと目まいがしたトーハクくんなのでした。
カテゴリ:研究員のイチオシ、news、2013年度の特別展
| 記事URL |
posted by トーハクくん at 2013年05月24日 (金)
5月19日(日)、上野動物園、国立科学博物館、東京国立博物館を1つのテーマでめぐるイベントを開催しました。
今年のテーマは「サル」。
小学校4年生から大人まで、大勢の参加者の方が朝の上野動物園に集まりました。
まずは動物園からスタート。
動物解説委員の小泉祐里さんと一緒に「生きたサルの観察」です。
ケージの中を活発に動き回る姿や、毛並み、手や足の動きについて、みんなで観察していきます。ひとことで「サル」といってもとてもたくさんの種類。特徴もさまざまです。
エサを食べたり、ケージの中を飛び回って遊んだり…
すっかりサルの動きに見入ってしまいつつ、続いての国立科学博物館へ向かいます。
科学博物館では動物研究部の川田伸一郎さんに「サルの骨格」をテーマにお話を伺いました。
動物園で見たサルそれぞれのちがいについて、実物の骨格を前に説明していただきました。
実際に骨格に触ってみます。
思ったよりすべすべして、ずっしり。もちろん骨格も種類によって大きさや特徴がちがいます。
お昼ごはんのあとは、最後のトーハクへ。
教育講座室の小島有紀子さんが、平成館企画展示室(特集陳列「猿」 2013年6月16日(日)まで)などで「美術の中のサル」についてお話しました。
動物園や博物館で見たサルの特徴がとても分かりやすい作品もあれば、イメージで作られたものも。古くから続く日本人とサルとの特別な関わりがよく分かります。
(左) 猿印籠牙彫根付 線刻銘「正民」 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
(右) 猿蟹 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
作品の説明だけでなく、小泉さんと川田さんも交えて作品の中のサルについても観察し、作品の見方がまた広がりました。
上野ならではのこのイベント。来年はどんな動物をテーマにするか、鋭意計画中です。
どうぞお楽しみに。
| 記事URL |
posted by 長谷川暢子(教育講座室) at 2013年05月23日 (木)