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親子でエジプト探検 in ナイト・ミュージアム

2015年8月22日(土)、ファミリーワークショップ「親子でエジプト探検 in ナイト・ミュージアム」が行われました。
家族連れ19組、52名の皆さんが参加されました。

このワークショップは、東洋館2階3室で行われている特集、親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」と、ミュージアムシアターで上演している「東博のミイラ デジタル解剖室へようこそ」に関連して行われました。

閉館時間の6時から始まったワークショップ。
東洋館のミュージアムシアターに、夕方から続々と親子連れの皆さんが集まり始めました。
シアターにて

まずはごあいさつ。
エジプトの壁画の研究を長年されている村治笙子先生と、探検隊ふうのいでたちの研究員(私です)が今日の案内役となります。
ごあいさつ

本日、ナイト・ミュージアムを探検するにあたり、参加者の皆さんのミッションは「古代エジプトの人たちの死生観について知ること」「ミイラについてくわしく知ること」です。

それでは展示室に出発!

…と思ったら、展示室のシャッターが閉まっていたので、すぐに警備スタッフの方に、開けていただきました。

…が!なんとシャッターの向こうの展示室が真っ暗です!
暗い展示室をのぞこうしたら、参加者のお一人が、「今日は探検だと思ったから」とヘッドライトを持参されていました。
準備万端、すばらしいです。
探検隊長(私です)のヘッドライトは、電池切れでした…。
展示室へ

無事に電気もついて、展示室に入ることができました。
3室の親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」では、まずいろいろな動物さがしをしました。
展示室

ネコ、ライオン、ヤマイヌ、トキ、ハヤブサ、カバなど、さまざまな動物が展示室に隠れていました。
村治先生によると、これらは、古代エジプトで信仰されていた神さまが、動物たちの姿で表わされているものなのだそうです。
動物たちは、人間にはない素晴らしい能力を備えた神聖な存在だったのですね。
神さまたちは「芸術」「知恵」「豊穣」「子宝」など、それぞれの守備範囲があり、その力を動物の姿であらわしたようです。

展示室にて解説

次はミイラのお話です。
参加者全員でミイラを取り囲みながら、観察して気がついた点を子どもたちが教えてくれました。
顔がまっくろ、髪の毛がない、布が巻かれている、いれものがまっくろだけど、字が書かれている!など、いろいろな意見が出ました。
村治先生からも、くわしくお話をしていただきました。

古代エジプトでは、死後の世界でも、永遠の命を授かり、生前と同じような暮らしを送ることが理想とされました。
そのために魂が戻る先として、体をミイラにして永遠に保存しようとしたのだそうです。

ミイラをみる子どもたち

このミイラ、パシェリエンプタハさんという男性なのですが、この日は50人以上の参加者の皆さんに取り囲まれて、かなり賑やかでうれしかったのではないでしょうか。

このあと、子どもたちは「古代エジプトでは、死んだらどうなる?」というワークシートに挑戦しました。
ワークシート

4つのミステリーを解いたワークシートを機械にかざすと、ミイラがあらわれ「最後の暗号」を教えてくれるというもの。
あちこちで、「おぉー!」という驚きの声が上がっていました。

そして最後に、ミュージアムシアターに戻り、
スクリーンの上でミイラについて詳しく説明された映像を見ます。
ここで探検隊にかわって村治先生と共に皆さんを案内してくださるナビゲーターは、八木ファラ夫さんです。
再登場された村治先生は、なんとエジプトの王妃のようないでたちです!

村治先生と八木ファラ夫さん

ファラ夫さんが映像を操作し、パシェリエンプタハのミイラをCTスキャナーで撮影してわかったことを教えてくれました。

ミイラ映像の解説


また、展示室で見たときにはまっくろに見えたカルトナージュ棺にはどんなもようが、どんな色で描かれていたのかも映像で再現されました。
展示室で見るのとは全くちがったその色鮮やかな様子に、驚いた方も多かったようです。

棺にはほかに、ヒエログリフという絵文字でさまざまな情報が書かれており、それも村治先生が解読してくれました。
「パシェリエンプタハさんに、神さまから供物と食料が与えられますように」
という内容で、彼が死後の世界で永遠に生きるために、のこされた人たちが願いをこめてこのミイラを作ったことがうかがえます。

今日のワークショップでは、古代エジプトの人たちが、死ぬことをどれだけ重く、大切に考えていたのかがよく分かりました。
死んだ人のためにお墓を建てたり、お墓参りに行く私たち日本人と、共通するところもあるような気がしますね。

夜8時までのワークショップでしたが、参加者の皆さん、目を輝かせながら最後まで楽しんでくださいました。

参加者

ナイト・ミュージアムは、また内容を変えていつかぜひ行いたいと思っています。
お楽しみに!



  親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」(東洋館3室)は、9月13日(日)まで、
VR作品「東博のミイラ デジタル解剖室へようこそ」(東洋館ミュージアムシアター)は、10月12日(月・祝)まで開催中です。
 

カテゴリ:教育普及特集・特別公開

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posted by 藤田千織(教育普及室主任研究員) at 2015年09月03日 (木)

 

後水尾院ってどんな人? 特集「後水尾院と江戸初期のやまと絵」

出版企画室の遠藤楽子です。暑いですね。みなさん夏休みの宿題は終わりましたか。
8月11日(火)から9月23日(水・祝)まで本館特別2室で行なわれる特集「後水尾院と江戸初期のやまと絵」を担当しています。展示作業をしていたところ、ユリノキちゃんが原稿の取立てにやってきました。

ユリノキちゃん
もとこさん、原稿はまだかしら?

みなさん、後水尾院はご存じですか。後水尾天皇と書かれることもあります。いけばながお好きな方は、よく立花の会を開いたということをご存知かもしれません。京都でお寺めぐりをする方なども、お寺の縁起などで名前を見かけたことがあるのではないでしょうか。後水尾院にはたくさんの皇子・皇女があり(早く亡くなった子どもを除いても26人はいたそうです)、門跡寺院の主となったり、お寺を開創したりしています。また、きものや琳派の絵がお好きな方は、尾形光琳の実家の呉服屋であった雁金屋が「東福門院」の御用達だったという話をお聞きになったことがあるかもしれません。その東福門院というのは後水尾院の中宮、つまりきさきです。徳川秀忠の娘で、家光の妹でした。江戸から京都の御所へ輿入れする様子はそのころの京都を描いた屏風絵などに華やかに表されて、江戸幕府の存在を京都の人々に強くアピールしました。東福門院は、徳川家の強大な経済力を背景に、後水尾院を支えたといいます。このように、後水尾院の話題を始めようとすると、それぞれの方向に果てしなくお話が広がっていきます。


立花図屏風 筆者不詳 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
立花図屏風は六曲一双のうち一隻の展示です。


三夕図
三夕図 土佐光起筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
暦の上では秋、にちなんで「三夕図」。ユリノキちゃんが見ているのは藤原定家です。

十二ケ月歌意図巻 下巻
十二ケ月歌意図巻 下巻  土佐光起筆  江戸時代・寛文4年~8年(1664~68) 東京国立博物館蔵
「十二ヶ月歌意図巻」は下巻の展示です。


では、江戸時代の絵画に後水尾院はどのように関係しているのか?というところに今回は着目しました。江戸時代の朝廷は、幕府が制定した「禁中並公家諸法度」によって、実質的な権力の及ぶ範囲は学問や文化に制限されていました。そのなかで、後水尾院はもともと和歌を好み、指導も行ないました。桂離宮の主として知られる八条宮智仁親王からさずかった「古今伝授」という和歌(具体的には古今和歌集)に関する秘伝を、当時の朝廷のおかれた状況に合わせた「御所伝授」というシステムに整理したともいわれています。秘伝ということは、限られた人たちにしか伝わらないということであり、その限られた人たちが、その世界では最も尊重される存在である、ということになります。つまり、後水尾院は教養をたしなむだけでなく、権威を活かす頭脳派だったのではないか?と考えられるのです。和歌をはじめとした古典文学が学問や文化の基本であるということは、それを絵に表わしたやまと絵やその制作にも、後水尾院の影響力は及んでいたにちがいありません。


在原業平と同じポーズをしてみたユリノキちゃん

ユリノキちゃん、みなさん、続きはぜひ展示室で見てみてください。江戸時代を見る目がさらに広がっていくはず・・・です!

 
関連論文
「東京国立博物館所蔵土佐光起筆十二ヶ月花鳥図巻の制作背景について―後水尾院との関係を中心に―」
ミュージアムショップにて8月21日(金)より販売予定のMUSEUM657号に掲載されます


カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 遠藤楽子(出版企画室研究員) at 2015年08月11日 (火)

 

トーハクくんがいく!~夜の東洋館でミイラに会うほー その2~  

ほほーい!ぼくトーハクくん。
前回に続いて、ぼくとユリノキちゃんは、夜の東洋館に潜入中だほ。


東洋館展示室の2人

トーハクくん、ワークシートの問題とけた? 私はあと1問。
ミイラのからだの中には何が入っているの? 


かんたん! かんたん! ユリノキちゃん、ミイラの作り方をおさらいしてみようか。
まず死んだ人のおなかに穴をあけて、中の内臓を取り出して、よく乾燥させ・・・


きゃー、やめて! 無理~~!!!!



ユリノキちゃん、こわがりすぎだほ。えーと、ミイラのからだの中には、内臓のうちいちばん大切だと思われたものを戻したんだほ。



いちばん大事? 脳ミソかしら。



ぶぶー。 脳は、あまり重要ではなくて、捨てちゃったらしいほ。
ユリノキちゃん、いちばん大事なのは、ハートだほ! 


そっか。こたえは ●●●● ね。
このワークシートをといてみたら、古代エジプトの人々が考えていた死後の世界について、少しわかってきたわ。


4つのこたえのなかに2回以上出てくる文字を選んで、四角いマスをぬりつぶすんだって。



きっちり、濃くぬることがコツですって。


 

ワークシートのマス塗りつぶす


ぬりつぶしたら、東洋館ラウンジとミュージアムシアターの入り口にある、答え合わせステーションにかざしてみるほ。



答え合せステーション

キャー、うれしい。正解だわ!!



ワークシートの内側のぬり絵の面を答え合わせステーションにかざしてみるほ。
 


うわーーーー。
塗り絵にきれいな色がついたわ!
 


4色再現の様子

なるほど、実はこんなにきれいな棺だったのね。
あ、ミイラが最後の暗号を教えてくれたわ。
この暗号をインフォメーションに伝えると、プレゼントがもらえるんですって!

みんなもクイズに挑戦するほー。



夏休みは東洋館の親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」にぜひお越しくださいね。



さすが、ユリノキちゃん。締めだけはしっかりしてるほ。
じゃ、ボクからもお知らせ。「ミイラとエジプトの神々」をテーマに、8月29日(土)に子ども質問箱「教えて!エジプトのひみつ」を開催するほ! 研究員さんがみんなの質問になんでも答えてくれるんだほ。
というわけで、ただいま質問大募集中~!

質問箱
待ってるほ!

子ども質問箱「教えて!エジプトのひみつ」の質問は東洋館エントランスと「ミイラとエジプトの神々」会場に設置された質問箱にご応募ください。
ウェブサイト、はがきでの応募も受け付けています。
詳しくはこちら

質問募集中


親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」 

9月13日(日)まで 東洋館3室にて開催中
ワークシートは東洋館ラウンジ、展示室などで無料配布

VR作品「東博のミイラ デジタル解剖室へようこそ」
10月12日(月・祝)まで   毎週 水・木・金・土・日・祝
東洋館 TNM&TOPPAN ミュージアムシアターにて上演中
料金:高校生以上 500円
※9月13日(日)まで、小・中学生のシアター鑑賞料無料

 

カテゴリ:教育普及特集・特別公開

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posted by トーハクくん at 2015年08月06日 (木)

 

トーハクくんがいく!~夜の東洋館でミイラに会うほー その1~  

ほほーい!ぼくトーハクくん。今日は、古代エジプトのミイラさんに会うために、夜の東洋館に潜入するほ。今は夏休み企画 親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」も開催してるんだほ~。


展示室入り口のトーハクくん

ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ~。どんどん先に行かないで!
なんだか面白そうだからついてきちゃったけど、やっぱりこわい。
東洋館といえばミイラでしょ・・・もしよみがえったりしたら・・・


ほー。びっくりだほ、ユリノキちゃんにもこわいものがあったのかほ!?



だって、ミイラって、死んだ人のからだでしょ? ほんとに古代エジプトのお墓に入ってたんでしょ。



ぼくだって、古墳育ちだほ。死んだ人との付き合いは長いほ。だから、ぜんぜんこわくないほ。
ほら、これがパシェリエンプタハさんのミイラだほ。


ミイラを見る二人


な、なんで名前知ってるの?



だって、ミイラさんの棺に書いてあるんだほ。



え? トーハクくん、さすがに詳しいのね。
カラダは布でくるまれているけど、頭蓋骨は出ているのね。やっぱりこわい!!!


ほんとうは全身が亜麻布というエジプトの布でくるまれていたんだほ。
昔のエジプトでは、人は死ぬとこうやってミイラにされたんだほ。
まずはおなかに穴を開けて、からだの中から内臓を取り出し・・・


きゃー、やめて! トーハクくん。無理!無理無理無理!



(しょうがないなあ。ミイラの作り方について知りたい人は、展示室で解説を読んでくださいだほー)
じゃ、ユリノキちゃん、このミイラの入っている棺をよく見てみて。



パシェリエンプタハのミイラ(部分) 
パシェリエンプタハのミイラ エジプト、テーベ出土 第3中間期(第22王朝)・前945~前730年頃 エジプト考古庁寄贈
ミイラが入れられているカルトナージュ棺は、もとはミイラを包むケースのような形でした。
明治37年(1904)に、エジプトの考古庁からトーハクに贈られたあと、こうやって身と蓋のように切り分けられ、中のミイラが見えるように展示されることになったのです。


真っ黒だけど・・・あら?
よく見ると、きれいなもようが描いてある。



棺に描かれた模様

この棺にはもともときれいな絵が描かれていたのに、真っ黒い液体のようなものをかけられてしまったんだほ。何を、どうしてかけたのかは、トーハクの研究員さんもわからないって言ってたほ。


もとの絵を見てみたいわね。



うん、研究員さんたちもそう思ったんだほ。それで、赤外線撮影や、高精細3D撮影をやってみたら、描かれていた絵の線が見えてきたんだほ。
おまけに、古代エジプトの象形文字ヒエログリフも書いてあったんだほ。だから、ミイラさんの名前もわかったんだほ。ヒエログリフを解読したら、ミイラさんのためのお願い事も書いてあったんだほ。

願い事ってなに?

パシェリエンプタハさんのために「神さまから供物と食べ物が与えられますように」って書いてあるんだほ。


なぜ死んだ後も食べ物が必要なの?

 
ほー、ユリノキちゃん、いいとこついてくるほー。
古代エジプトでは、人は死んだ後、死後の世界の王オシリスのところに行って、裁判を受けなくてはならないと信じられていたんだ。そこで、生前悪いことをしなかったことは証明されると、死者は永遠の命をもらうことができるんだほ。

永遠の命? じゃあ、死んだあとは何をしているの?


エジプトの人たちは、生きているときとおなじように、ナイル川のほとりで畑を耕して豊かな恵みをもらう、そんな暮らしがずーっと続くと思っていたんだほ。ずーっと生き続けるためには、永遠に腐らないからだが必要だったんだほ。だから、死んだからだをミイラにしたんだほ。
 

イアルの野
エジプト センネジェムの墓の壁画
古代エジプトの人々がイメージしていた死後の世界「イアルの野」。
豊かな恵みをもたらすナイルのほとりで生きているときと同じような暮らしが続くと思っていました



じゃあ、このミイラさんもずっと生きているの? でも、死んだ後も今と同じように畑を耕したり、働いたりなんて、私はごめんだわ。


古代エジプトにもユリノキちゃんのような考えの人がいて、死んだ人のかわりに働いてくれるウシャブティというミイラ型の人形をお墓に入れたんだほ。ほら、これがそのウシャブティ。



ウシャブティ
アメン神官のウシャブティ 末期王朝時代時代・前664~前332年 エジプト出土 (百瀬治・富美子氏寄贈)
手にスキとツルハシを持ち、背中には籠をしょっています


へえ、至れり尽くせりね。


ほかにも死者のためにいろいろな仕事をする人たちの人形をお墓に入れて、死者があの世で困らないようにしたんだほ。


じゃあ、この真黒な棺に絵はどんな絵が描かれていたの?


説明するのはちょっと難しいけど、死と再生に関係のある神様、死者を守る神様たちが描かれていたんだほ。
たとえば、ミイラさんの頭の上にはこんな絵。


フンコロガシの姿のケプリ神
カルトナージュ棺の頭の上の部分に描かれている模様の彩色復元。
フンコロガシの姿のケプリ神


えーっ? 虫?!


これは、フンコロガシの一種、スカラベという虫だほ。動物の糞を丸めて転がしていくところが、太陽を押し上げているように見えることから、復活と再生のシンボルとされたんだほ。


じゃ、この大きな翼をもった人はだれ?(下写真右)



カルトナージュ棺に描かれている模様の彩色復元
カルトナージュ棺に描かれている模様の彩色復元

これは、死者を守る女神さま。イシスとネフティスだほ。
棺に描かれていた絵に興味がある方は、ぜひミュージアムシアターにいくといいほ。
きれいな色もついた再現映像がたっぷりみられるほ。ミイラさんをCTで撮影したとっておきの映像もたっぷり公開中~。


ほんと? じゃあ行きましょう!


ユリノキちゃん、いまはもうしまってるほ。明日、開館中に行くほー。


うーん、明日まで我慢できない!!!
あら? トーハクくん、楽しそうなワークシートがあるわよ。


ワークシート
ワークシートは東洋館ラウンジ、展示室にて配布しています


ほー! ほんとだ。一緒にやってみるほ。



(続く)
「ミイラのワークシートに挑戦!」の巻は次回のお楽しみ!



親と子のギャラリー「ミイラとエジプトの神々」 
9月13日(日)まで 東洋館3室にて開催中
ワークシートは東洋館ラウンジ、展示室などで無料配布

VR作品「東博のミイラ デジタル解剖室へようこそ」
10月12日(月・祝)まで   毎週 水・木・金・土・日・祝
東洋館 TNM&TOPPAN ミュージアムシアターにて上演中
料金:高校生以上 500円
※9月13日(日)まで、小・中学生のシアター鑑賞料無料
 
 

カテゴリ:教育普及特集・特別公開

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posted by トーハクくん at 2015年08月03日 (月)

 

養生と医学~江戸の養生を見直してみる~

日本の医学は、江戸時代の中頃にオランダから入ってきた西洋医学の影響をうけて、大きく進歩しました。それに対し、古くから日本で行われていたのが「養生」です。養生とは、健康に注意し,病気にかからず丈夫でいられるようにつとめるという意味です。近年、さまざまな養生のあり方が、病気を予防する医学の立場から注目されています。
現在、本館15室では「養生と医学」(2015年7月7日(火) ~2015年8月30日(日))をテーマに特集展示をしています。
 

神農図
神農図 楊月筆
室町時代・16世紀 
東京国立博物館蔵
まず古代中国の伝説上の神である神農図(しんのうず)をごらんください。頭には角がはえていて牛のようですが、薬としての効果を調べるために自ら草の根や木の皮をなめ、毒に苦しみながらも、薬草の力でよみがえり、ついに薬草を発見したといわれています。民衆の生活のなかで長く信仰の対象とされてきました。
 
銅人形
重要文化財 銅人形  岩田伝兵衛作
(展示では胸部は開けていません)
江戸時代・寛文2年(1662)
東京国立博物館蔵(松平頼英氏寄贈)
では、人体の仕組みについて、昔の人はどのように考えていたのでしょうか。江戸時代には体がつらいときや長期の旅行の前などに、「つぼ」に鍼(はり)や灸(きゅう)をすることが広く行われていました。東洋医学では、人体は内臓の総称として用いられていた五臓六腑などに「気」「血」を送る十二経絡によって構成されるとしています。病気は、その流れが滞ることであると考えられているため、「つぼ」を使って、気の滞りを解消するわけです。
17世紀ころになると、この十二経絡や「つぼ」を、紙製や木彫りの銅人形に付けて学習する方法が普及し、胴(銅)人形師という職人も登場しました。さきほどの神農図の横で、ややうつむきかげんにしている銅人形は、金属の網の表面に色分けした十二経絡を巡らし、内部の骨格や内臓の様子が見えるのが特徴です。同じ人物が製作したものが、ドイツのハンブルグ州立民俗学博物館に所蔵されていますが、両者の表情がずいぶん違っているので、おそらく何人かのモデルがいたのだと思います。
 
銅人形
銅人形  康野忠房作
江戸時代・貞享元年(1684)
東京国立博物館蔵
人体解剖模型
人体解剖模型
江戸時代・19世紀  
東京国立博物館蔵
ここで振り返ると、少し高さのあるケースのなかに、木製の銅人形と、人体骨格模型が横たわっていることに気づかれるでしょう。この人体骨格模型は手足など一部が欠失しているのが残念ですが、胃・脾・腸・腎・膀胱をはじめ、隔膜・脈管などが含まれている点で、類例が少ないものといえます。
 
医心方
国宝  医心方 巻第22 婦人部
丹波康頼編 江戸時代・17世紀
東京国立博物館蔵
一番長いケースは、日本で最も古い医学書である『医心方』ではじまります。古代の中国の文献を引用し、編集したもので、中国ではすでに失われてしまっているものが多く含まれている点でもたいへんに貴重です。短気を治す方法などが書かれている巻第9と、妊娠中の女性が気をつけるべき事を図入りで解説した巻第22を展示しています。
 
つぎの巨登富貴草(ことぶきぐさ)は、フランスで発明されたリユクトシキップという飛行船に乗った主人公が、不老長寿の「霊剤」を求めて、色欲・大酒・過食の国を旅行するなかで、日々の節制の大切さを知るという養生のお話です。何と「竜伯国」では、巨人の体内に迷い込み、巨人のくしゃみで脱出する場面もあります。
 
巨登富貴草
巨登富貴草 (左は巨人のくしゃみで脱出した主人公の拡大図)
多紀元悳著、粟田口蝶斎筆  
江戸時代・18世紀   東京国立博物館蔵(徳川宗敬氏寄贈)

江戸時代中頃の養生論は、その目的が長寿にあり、神気を養い、色欲を遠ざけ、飲食を節することにありました。でも、人々の生活にゆとりがでてくると、養生の内容も変化してきます。したいことをがまんするよりも、「よく生きる」ことや、身体を動かすための武道が奨励され、「生活の病」にかからないための方法を説いた養生書などが登場してきます。
 
覆載万安方
覆載万安方  巻第54
梶原性全著、坂璋筆
江戸時代・天保5~6年(1834~35)
東京国立博物館蔵
一方、これまでの東洋医学の五臓六腑という考え方だけでなく、日本最初の西洋解剖書の本格的な翻訳書である『解体新書』などの影響をうけて、人体に関する最新の知識が普及してきます。次第に『解剖図』も詳細に描かれるようになるので、ちょっと不気味な感じの場面が多くなってきますから、あまりじっと見つめないように、気を付けてごらんください。
 

一般には、江戸時代の庶民について、貧しい生活のなかで、病気に対する知識をもたず、ろくに医師の診察も受けられなかったというような印象が持たれています。ところが、実際には医療について関心をもち、灸をすえたり、湯治に出かけるなどして健康の維持につとめ、必要に応じて医師の診断を受けていた人が少なくありませんでした。
現代では、薬や注射で、手間をかけずに病気を治せると考えてしまいがちですが、病気にならずに長生きするために日頃何をしたらよいかを求めていた江戸時代の人々の考え方を、もう一度見直すことも大切ではないでしょうか。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 高橋裕次(保存修復課長) at 2015年07月24日 (金)