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養生と医学~江戸の養生を見直してみる~

日本の医学は、江戸時代の中頃にオランダから入ってきた西洋医学の影響をうけて、大きく進歩しました。それに対し、古くから日本で行われていたのが「養生」です。養生とは、健康に注意し,病気にかからず丈夫でいられるようにつとめるという意味です。近年、さまざまな養生のあり方が、病気を予防する医学の立場から注目されています。
現在、本館15室では「養生と医学」(2015年7月7日(火) ~2015年8月30日(日))をテーマに特集展示をしています。
 

神農図
神農図 楊月筆
室町時代・16世紀 
東京国立博物館蔵
まず古代中国の伝説上の神である神農図(しんのうず)をごらんください。頭には角がはえていて牛のようですが、薬としての効果を調べるために自ら草の根や木の皮をなめ、毒に苦しみながらも、薬草の力でよみがえり、ついに薬草を発見したといわれています。民衆の生活のなかで長く信仰の対象とされてきました。
 
銅人形
重要文化財 銅人形  岩田伝兵衛作
(展示では胸部は開けていません)
江戸時代・寛文2年(1662)
東京国立博物館蔵(松平頼英氏寄贈)
では、人体の仕組みについて、昔の人はどのように考えていたのでしょうか。江戸時代には体がつらいときや長期の旅行の前などに、「つぼ」に鍼(はり)や灸(きゅう)をすることが広く行われていました。東洋医学では、人体は内臓の総称として用いられていた五臓六腑などに「気」「血」を送る十二経絡によって構成されるとしています。病気は、その流れが滞ることであると考えられているため、「つぼ」を使って、気の滞りを解消するわけです。
17世紀ころになると、この十二経絡や「つぼ」を、紙製や木彫りの銅人形に付けて学習する方法が普及し、胴(銅)人形師という職人も登場しました。さきほどの神農図の横で、ややうつむきかげんにしている銅人形は、金属の網の表面に色分けした十二経絡を巡らし、内部の骨格や内臓の様子が見えるのが特徴です。同じ人物が製作したものが、ドイツのハンブルグ州立民俗学博物館に所蔵されていますが、両者の表情がずいぶん違っているので、おそらく何人かのモデルがいたのだと思います。
 
銅人形
銅人形  康野忠房作
江戸時代・貞享元年(1684)
東京国立博物館蔵
人体解剖模型
人体解剖模型
江戸時代・19世紀  
東京国立博物館蔵
ここで振り返ると、少し高さのあるケースのなかに、木製の銅人形と、人体骨格模型が横たわっていることに気づかれるでしょう。この人体骨格模型は手足など一部が欠失しているのが残念ですが、胃・脾・腸・腎・膀胱をはじめ、隔膜・脈管などが含まれている点で、類例が少ないものといえます。
 
医心方
国宝  医心方 巻第22 婦人部
丹波康頼編 江戸時代・17世紀
東京国立博物館蔵
一番長いケースは、日本で最も古い医学書である『医心方』ではじまります。古代の中国の文献を引用し、編集したもので、中国ではすでに失われてしまっているものが多く含まれている点でもたいへんに貴重です。短気を治す方法などが書かれている巻第9と、妊娠中の女性が気をつけるべき事を図入りで解説した巻第22を展示しています。
 
つぎの巨登富貴草(ことぶきぐさ)は、フランスで発明されたリユクトシキップという飛行船に乗った主人公が、不老長寿の「霊剤」を求めて、色欲・大酒・過食の国を旅行するなかで、日々の節制の大切さを知るという養生のお話です。何と「竜伯国」では、巨人の体内に迷い込み、巨人のくしゃみで脱出する場面もあります。
 
巨登富貴草
巨登富貴草 (左は巨人のくしゃみで脱出した主人公の拡大図)
多紀元悳著、粟田口蝶斎筆  
江戸時代・18世紀   東京国立博物館蔵(徳川宗敬氏寄贈)

江戸時代中頃の養生論は、その目的が長寿にあり、神気を養い、色欲を遠ざけ、飲食を節することにありました。でも、人々の生活にゆとりがでてくると、養生の内容も変化してきます。したいことをがまんするよりも、「よく生きる」ことや、身体を動かすための武道が奨励され、「生活の病」にかからないための方法を説いた養生書などが登場してきます。
 
覆載万安方
覆載万安方  巻第54
梶原性全著、坂璋筆
江戸時代・天保5~6年(1834~35)
東京国立博物館蔵
一方、これまでの東洋医学の五臓六腑という考え方だけでなく、日本最初の西洋解剖書の本格的な翻訳書である『解体新書』などの影響をうけて、人体に関する最新の知識が普及してきます。次第に『解剖図』も詳細に描かれるようになるので、ちょっと不気味な感じの場面が多くなってきますから、あまりじっと見つめないように、気を付けてごらんください。
 

一般には、江戸時代の庶民について、貧しい生活のなかで、病気に対する知識をもたず、ろくに医師の診察も受けられなかったというような印象が持たれています。ところが、実際には医療について関心をもち、灸をすえたり、湯治に出かけるなどして健康の維持につとめ、必要に応じて医師の診断を受けていた人が少なくありませんでした。
現代では、薬や注射で、手間をかけずに病気を治せると考えてしまいがちですが、病気にならずに長生きするために日頃何をしたらよいかを求めていた江戸時代の人々の考え方を、もう一度見直すことも大切ではないでしょうか。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 高橋裕次(保存修復課長) at 2015年07月24日 (金)