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1089ブログ

ポンペイ入門(2) 街の様子編

考古室研究員の山本です。
前回に引き続いて、今回はポンペイの街の様子や特産品などの特色について解説します。

ポンペイの城壁で囲まれた街の広さはおおよそ66ヘクタールほど。
東京国立博物館がある上野公園は53ヘクタールですから、上野公園より少し広いくらいです。
城壁の外にも裕福な市民たちが建てた別荘が点在していました。
ポンペイではこれまでに全体の3分の2ほどの面積が発掘されています。


ポンペイ市街図 Ⅰ~Ⅷ区の区域分けは古代のものではなく、発掘に際して新たに付されたものです。

街は南北に1本(スタビアーナ通り)、東西に2本の大通り(北からノーラ通り・アッボンダンツァ通り)で区切られています。
街の主要な建物は南西のほうに固まっていました。
中心に位置するのがフォルムと呼ばれる広場。その周りに役所や裁判所などの公的機関、市場や神殿が集まっていました。
フォルムは上下二重に柱が並んだ廊に囲まれ、市場のほかにも多くの露店が並びにぎやかな情景でした。


フォルムの日常風景 1面 62~79年 ポンペイ、「ユリア・フェリクスの家」、アトリウム出土 フレスコ ナポリ国立考古学博物館所蔵

さらにフォルムの南東にあるのが大劇場と小劇場(音楽堂)。
劇場はギリシャ都市によくみられる建物の一つですが、ポンペイが位置するカンパニア地方では仮面を付けて演じる笑劇(アテラナ劇)が発祥したと言われ演劇が盛んだったようです。

 
:俳優(悲劇の若者役)、:俳優(女性役、おそらく遊女) 1世紀後半 ともにポンペイ、「カロリーナ王妃の家」、庭園出土 土製 ナポリ国立考古学博物館所蔵

ここであらためてポンペイの地図を見てみてください。
ここまでで見てきた街でも南東にある多くの公共建物が集まる地区は道や地区の形が雑然として配置された印象を受けます。
いっぽうでそれ以外の地区は大通りに沿って整然と区画されているように見えます。
おそらく、古くからの街の中心が南西のほうにあり、それ以外は宅地として順に整備されたのでしょう。
ただし、こうした場所から離れて位置する建物があります。
それが円形闘技場と大運動場です。

特に円形闘技場は、城壁の南東の角を取り込むように利用して建てられています。
劇場がギリシャ文化を下地にする要素とすると、円形闘技場はまさしくローマ的な建築物。
一説には円形闘技場で行われた剣闘士試合もカンパニア地方が起源と言われます。


円形闘技場での乱闘 1面 59~79年 ポンペイ、円形闘技場での乱闘の家、ペリステュリウム出土 フレスコ ナポリ国立考古学博物館所蔵
紀元後59年に円形闘技場で起きた、ポンペイとヌケリア両市民の乱闘の模様を描いたフレスコ画。背後の城壁とともに闘技場の姿を写実的に描いています

ちなみにこの円形闘技場、かつてのローマ世界に含まれる地域の中で現在まで残っている事例としては最も古いもの。
上の作品で見た円形闘技場乱闘事件の際、ちょうどローマ皇帝だったのがネロでした。
同じころローマではネロの巨大な像〈コロッスス〉が建てられており、彼の死後にこの像の跡地に巨大闘技場が建設されることになります。これがローマのコロッセオです。
ポンペイの円形闘技場はコロッセオよりも古くに作られたものなのです。

次に名産品について見てみましょう。
ポンペイには3つの特産品がありました。
ワイン、オリーブオイル、ガルム(魚醤)です。


バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山 1面 62~79年 ポンペイ、「百年祭の家」アトリウム出土、東壁 フレスコ ナポリ国立考古学博物館所蔵

この絵を見ると、ヴェスヴィオ山の麓に葡萄棚が広がっているのがわかります。
画面左の葡萄を身にまとったバックスは酒の神であり、下の蛇は葡萄を守護する神アガトダイモンの象徴です。この絵じたいがワイン製造業者の家に飾られたものとも言われています。
大プリニウスは、ポンペイのワインは深酒すると翌日に残りやすいと書き残しています。
当時のワインはアルコール度数が16~18度と高く、ふつう水で割って香辛料や海水や石灰などの添加物で味や色を調整していたそうです。今とずいぶん違いますね。


単把手付きガルム(魚醤)用小アンフォラ 1口 1世紀 ポンペイ、「ファウヌスの家」出土 土器 ナポリ国立考古学博物館所蔵

ガルムは魚を発酵させて作る調味料で魚醤の一種です。
イタリアでは現在でもアンチョビの副産物として製造されているものがあります。
魚醤はかつて日本でも一般的な調味料でしたが、仏教の影響もあって次第に大豆を原料とする醤油が広く使われるようになったと言われています。
現代の日本では目にする機会が少ないですが、秋田の「しょっつる」のように親しまれている地域があります。
ローマ世界ではこのガルムをいろいろな料理に用いていました。
ガルムには発酵によりグルタミン酸が多く含まれており、いわゆる「うま味」が強く作用したことが当時の人々に好まれた理由のようです。

当時の食生活に触れておくと、裕福な人々の家では台所で奴隷たちがさまざまな料理を作っていました。


目玉焼き器、あるいは丸パン焼き器 1個 1世紀 ヴェスヴィオ山周辺出土 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館所蔵

そうではない多くの人々は、食堂(テルモポリウム)で食事を食べたり料理を買って持ち帰ったりして食べていたようです。
ちなみに特別展会場のうち第2会場入り口に設けてあるグッズ売場は、2020年末にポンペイ遺跡で実際に発掘された食堂をイメージしてデザインしています。

水は誰でもふんだんに使うことができました。
紀元前1世紀、イタリア半島を縦断するように位置するアペニン山脈を源とする上水道がポンペイにも引かれてきます。
上水は街のいちばん高いところにあるヴェスヴィオ門わきの浄水場でろ過されたのち、鉛製の水道管で街じゅうの水汲み場に運ばれました。
ただし下水道は存在せず、生活排水は道路の側溝などに流されていました。


水道のバルブ 1個 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館所蔵
鍛冶組合の管理のもと、工業製品には高い技術が用いられていました。

いかがでしょうか?ポンペイの街と歴史を理解するのに少しでもお役に立てたなら幸いです。
さて、次回からは「そこにいた」人々の生き様を語る出品作品にクローズアップしましょう。

カテゴリ:「ポンペイ」

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posted by 山本亮(考古室研究員) at 2022年01月31日 (月)

 

ポンペイ入門(1) 歴史編

こんにちは!考古室研究員の山本です。

現在、平成館特別展示室で開催中のポンペイ展
その展示を深く知るために、このブログではポンペイがどんな街だったか解説します。
今回はまずポンペイの街の歴史について見ていきましょう。

ポンペイはイタリア中南部の中核都市、ナポリからヴェスヴィオ山を挟んで向かい側に位置する遺跡です。
 

ポンペイはヴェスヴィオ山の南方10kmほどの場所にあります。

紀元後79年このヴェスヴィオ山が大噴火。
天高く噴煙が吹き上がる、いわゆるプリニー式噴火であったとされます。

この噴火の影響により、ポンペイはエルコラーノなど周辺の町とともに埋没してしまいました。ポンペイでは人口1万人のうち2千人ほどが亡くなったと言われています。
噴火当日午前から火山灰や軽石が降り注ぎ、翌朝に高温の火砕流と火砕サージが到達し、街は厚い火山噴出物の層に閉じ込められました。
しかしそのために、こうした火山由来の堆積物が乾燥剤のような役割を果たし、当時の文化的な遺物が多く残ったのです。
噴火の日付は長らく大プリニウスの息子である小プリニウスの記述から8月24日とされてきましたが、近年は10月24日とする説も有力です。
 

円形火鉢 1台 1世紀 ポンペイ、「竪琴奏者の家」、エクセドラ出土 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館所蔵
近年の発掘調査で見つかった壁の落書きの日付に加え、こうした寒い時期に活躍する道具が出土することも噴火を10月末とする説の証拠とされます。

ポンペイが埋没した、ちょうどそのころはローマが帝国となって100年ほどが経った時代。
皆さんもポンペイと言えばローマ時代、という印象を持たれているのではないでしょうか。

実際に、これまでも日本でポンペイが話題に取り上げられるときにはこの噴火が起きた時代=ローマ時代がクローズアップされてきました。
たしかに都市としてのポンペイの歴史はこの噴火で幕を閉じました。
しかし、今回の特別展では特段「ローマ」という言葉を前面に出していません。
ポンペイにはローマの支配下に入る以前にも長い歴史があるからです。
次に街の成り立ちについて見ていくことにしましょう。


オスキ語の銘文のある小祭壇 1個 1世紀 ポンペイ、「ファウヌスの家」、アトリウム出土 トラバーチン ナポリ国立考古学博物館所蔵

ポンペイはもともと在来の人々であるオスク人に加え、イタリア北方のエトルリア人や地中海で広く植民活動を行っていたギリシャ人を中心に町ができ、紀元前6世紀には現在も見られる城壁の輪郭が出来上がったとされています。
ローマ社会では公用語してラテン語が用いられましたが、旧家ではオスク人が用いたオスキ語が記された遺物も見つかっています。

その後、紀元前5世紀に山岳部から進出してきたサムニウム人により町は占領されますが、この時代に大きく発展を遂げることになります。
やがて東地中海との交易も活発化し、紀元前2世紀にはヘレニズム文化の影響を大きく受けるようになります。
特にエジプトではそれまでの文化とギリシャ文化が融合し、ナイル川河口の都市アレクサンドリアを中心に地中海一円に強い影響力を持ちました。


イセエビとタコの戦い 1面 前2世紀末 ポンペイ、「ファウヌスの家」、トリクリニウム出土 モザイク ナポリ国立考古学博物館所蔵
アレクサンドリアの学問的な背景をもとに、地中海世界で広く流行した主題と言われます

このころまでに、ポンペイが位置するカンパニア地方にもローマの力が及ぶようになります。
ポンペイがローマの同盟市になったのは紀元前290年。
カルタゴのハンニバルがイタリアに攻め入ってきた第2次ポエニ戦争(紀元前219~201)で近傍の街であったヌケリアが破壊されると、ポンペイはカンパニア地方を代表する都市となります。
このヌケリア、大きい都市だったようでその後もポンペイのライバル的(?)存在として登場することがあります。(次回入門編②をご参照ください。)

大きな転機となったのは紀元前89年の同盟市戦争です。
主にイタリア南部でローマと同盟を結んでいた都市がローマ市民権などの権利を求めて蜂起しました。
ポンペイははじめローマに忠誠を示していましたが、後に他の同盟市とともに反旗を翻し、スッラ率いるローマ軍に敗れてしまいます。
しかしローマもポンペイをはじめとする同盟市を無視することはできず、ついに市民権を与えます。
一方でポンペイは紀元前80年にはローマの植民市となり、多くの退役軍人をはじめとする人々がローマからやってきたことで、ローマ化が一層進むことになりました。


ミネルウァ小像 2軀 1世紀 ポンペイ、「竪琴奏者の家」エクセドラ出土
ナポリ国立考古学博物館所蔵
ローマの植民市になると、ローマにならってフォルムの北にあったユピテル神殿にユノとミネルウァも併せて祀られるようになりました

紀元後62年、ポンペイを大きな地震が襲います。
この時の被害は甚大で、17年後の噴火の際にも多くの建物が復興の途上にあったことが知られています。
特に浴場はフォルム北側にあった1か所を除き、最大のスタビア浴場をはじめほとんどが閉鎖されたままだったことがわかっています。
哲学者のセネカは『自然研究』の中で、ポンペイを含むカンパニア地方ではこれまでにも地震があったものの被害があまりなかったので、その恐ろしさを忘れていたのだと記しています。
寺田寅彦の言葉を借りれば、まさしく「天災は忘れた頃にやってくる」だったのです。

そして運命の79年を迎えます。
ポンペイは1748年に本格的な発掘調査が行われるようになるまで長い眠りについたのです。

(ポンペイ入門(2) 街の様子編に続きます)

カテゴリ:「ポンペイ」

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posted by 山本亮(考古室研究員) at 2022年01月28日 (金)

 

特別展「ポンペイ」開幕したほ(後編)



ほほーい、ぼくトーハクくん! 特別展「ポンペイ」の開幕ブログ後編だほ!

前編はこちらです。じゃあ、続きの第4章「ポンペイ繁栄の歴史」にいきましょう。まずはこちら、ファウヌスの家の3DCGの大画面がお迎えしてくれます。



どんな家なのか説明してほ。

ポンペイでも古くて最大規模の家なのよ。とても有名なモザイク装飾が残っていたの。

この映像のことほ?



そう「アレクサンドロス大王のモザイク」よ。実物は展示していないけど高精細映像で細部を見ることができるの。実際のファウヌスの家の部屋の一部を再現して、「アレクサンドロス大王のモザイク」と、その手前のモザイク画「ナイル川風景」をシートにして、床の本来あった位置に貼ってあるの。

ポンペイの繁栄を象徴しているような家の雰囲気がわかるほ。

この章では、この「ファウヌスの家」と「竪琴奏者の家」、「悲劇詩人の家」の出土品と家の一部の再現展示でポンペイ繁栄の歴史を紹介しています。

この像がもしかして名前の由来になったほ?


踊るファウヌス 前2世紀

そう、この像が「ファウヌスの家」から発見されたのよ。これはオリジナルの作品で、今回日本初公開なのよ。髭の乱れ具合とかポーズとか今にも踊りだしそうで躍動感がすごいね。ほかにもこの家由来の作品を紹介するよ。


ナイル川風景 前2世紀末

コブラの左にいるのはマングースらしいよ。昔からコブラの天敵だったのかな?


ネコとカモ 前1世紀

食糧庫に忍び込んだネコがいるね。

今見てもきれいで、描かれているものがよくわかって、とても埋まっていたなんて思えないほ。おっ、次の家が見えてきたほ。


「竪琴奏者の家」再現展示

ポンペイでもとても大きい「竪琴奏者の家」の再現展示ね。真ん中にブロンズのイノシシと犬がいるね。ヘビの像の内部には水道管があって、口から水を噴き出すようなつくりになっているのよ。ほかにもこんな動物もいるよ。


【右】ライオン 1世紀
【左】シカ 1世紀

ライオンが飾ってあるってことはすごい家だった気がするほ。次は三つ目の家だほ。


「悲劇詩人の家」再現展示
【右】プリセイスの引き渡し 50~79年
【左】ヘレネの略奪(あるいはクリュセイヌの帰還) 50~79年

「ファウヌスの家」や「竪琴奏者の家」よりもかなり小さいけど、数多くの神話画が飾られていたらしいわ。真ん中にプールみたいなものがあるけど、実際の家では上に天窓があって、落ちた雨水を貯めていたみたいよ。

いよいよ次で最後の章、第5章「発掘のいま、むかし」だほ。

ヴェスヴィオ山の噴火ではポンペイ以外にも、エルコラーノ、ソンマ・ヴェスヴィアーナが埋没したの。これらポンペイも含めて3遺跡の発掘の、18世紀から今までの歴史を振り返る章よ。

これはポンペイ以外から出土したほ?


へプロスを着た女性(通称「踊り子」) アウグストゥス時代(前27~後14年)

エルコラーノから出土したんだけど、エルコラーノはポンペイと違って硬い溶岩に覆われていたから、作品の保存状態も違うのかしらね。

これはどこから出土したほ?


ヒョウを抱くバックス(ディオニュソス) 前27~後14年頃 ノーラ歴史考古学博物館蔵

これは、ソンマ・ヴェスヴィアーナから出土したんだけど、472年の噴火で埋没したから、ポンペイとは埋没した時期が違うのよ。

ほー、すごい作品がたくさんあったほ。最後の部屋にも映像があるほ。

発掘の歴史や現在進行中の文化財の修復作業などを紹介しているね。そろそろ終わりにしましょうかトーハクくん。

ぼくのおすすめのお犬さんを紹介するの忘れていたほ。


猛犬注意 1世紀

今のお家にも「猛犬注意!」って看板が出ているお家もあると思うけど、それと同じ感じで出ていたらしいほ。でもこれは可愛いから、注意しないでお家に入っちゃうかもしれないほ。これをモチーフにしたオリジナルグッズも特別展ショップで販売しているからおすすめだほ!

※所蔵表記のない作品は、全てナポリ国立考古学博物館蔵。
※入館は事前予約(日時指定券)を推奨します。詳細は展覧会公式サイトをご覧ください。

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん「ポンペイ」

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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2022年01月24日 (月)

 

特別展「ポンペイ」開幕したほ(前編)



ほほーい、ぼくトーハクくん! 特別展「ポンペイ」が1月14日(金)から開幕したから、さっそくやってきたほ。

この展覧会は事前予約(日時指定券)推奨だから、予約しておいたわ。

すっかり慣れたもんだほ。さっそく会場にいくほ。

最初は序章で「ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没」よ。噴火前のポンペイとその結末を象徴する出土品を序章として紹介しているわ。この作品はヴェスヴィオ山を描写した唯一の作例らしいよ。


バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山 62~79年

これはなんだほ?


女性犠牲者の石膏像 79年/1875年

これは噴火の堆積物の層に空洞があって、石膏を注いで固まってから掘り出したものよ。

実際にそこにいた人たちがいたんだほ。身が引き締まる思いがするほ。見てユリノキちゃん、この大画面にはCGでポンペイの街と噴火の様子が映っているほ。



会場のグラフィックとあわせてみるとより大迫力! 今回は作品はもちろんだけど、会場内のディスプレイやいくつかの映像も見どころね。

序章が終わって、次は第1章「ポンペイの街―公共建築と宗教」だほ。

円形闘技場などの公共施設に関係する出土品や、神様さまの信仰に関する出土品を展示しているわ。

昔にこんな施設があったなんてびっくりだほ。

そのほかにも体育施設や公共浴場もあったのよ。ポンペイには今と同じ生活様式があったんだね。

すごいほ。会場バナーとかの青い空が昔のポンペイから今に続いているみたいだほ。

ちょっと何言っているかわからないわ。これは、俳優の像よ。


【左】俳優(悲劇の若者役) 1世紀後半
【右】俳優(女性役おそらく遊女) 1世紀後半

俳優ほ?テレビもないけど、どこで俳優が活躍するほ?

ポンペイには劇場があって、重要な娯楽施設だったのよ。この作品はお家の装飾として、劇場関係のテーマが流行していたことを表しているらしいわ。

これはなんだほ。東洋館でも似たような像を見たことがある気がするほ。


食卓のヘラクレス 前1世紀

作品名になじみがあるよね。この作品はアレクサンドロス大王のために制作された「食卓のヘラクレス」像のコピーなんだって。神様となった英雄も宴会に参加するのかな?人々の信仰の様子がうかがえる気がするわ。

第2章は「ポンペイの社会と人々の活躍」です。まずはこの作品から。


エウマキア像 1世紀初頭

誰だほ?

貴族ではないけど、裕福なお家の女性で、毛織物業者の組合を管理するなど活躍していたのよ。この章では当時活躍した人々を紹介したり、ポンペイは貧富の差が激しかったからそのことを示す作品を紹介したりしているわ。これはお金持ちが持っていたのかな~。


ライオン形3本脚付きモザイク天板テーブル モザイク・細部:前1~後1世紀、テーブルとしての再構成:18~19世紀

大きくてライオンの飾りがあってとっても豪華だほ。そろそろ次の章にいくほ。第3章「人々の暮らし―食と仕事」にきたほ。これはパンだほ?


炭化したパン 79年

白パンや、黒パン、油で揚げたパン、様々なパンを作っていたみたいよ。今回の展覧会グッズ売り場ではパンをモチーフにした商品もあるの。何か買ってくれないかなー。ちらっ。

ちょっと何言っているかわからないほ。これは何だほ、タコ焼き器みたいだほ。


目玉焼き器、あるいは丸パン焼き器 1世紀

これは目玉焼き器か丸パン焼き器らしいわ。ヴェスヴィオ山周辺諸都市ではブロンズ製の容器が3,000点以上発見されているんだって。機能的な日用品が昔からあるなんてすごいね。

食べ物関連の作品見ていたらなんだかおなかすいてきたほ。一休みするほ。

後編に続きます!

※所蔵表記のない作品は、全てナポリ国立考古学博物館蔵
※入館は事前予約(日時指定券)を推奨しています。詳細は展覧会公式サイトをご覧ください。

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん「ポンペイ」

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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2022年01月20日 (木)

 

特別展「ポンペイ」見どころを紹介するほ!


特別展「ポンペイ」ポスター

ほほーい!ぼく、トーハクくん。博物館ニュースはこれからの展示や今の展示を知るのに便利だほ。おっ、これはなんだほ、2022年1月14日(金)から4月3日(日)まで特別展「ポンペイ」っていう展覧会が開催するほ。「ポンペイ」ってなんだほ?
「ポンペイ」はイタリアの南のほうにあった、古代都市の名前よ。
古代都市!?どれくらい昔ほ?
約2000年前くらいにあった都市だわ。でもね、紀元後79年にポンペイの近くのヴェスヴィオ山が噴火して、町は地中に埋まってしまったの。
・・・(絶句だほ)
でもね、その埋まってしまったものの発掘は18世紀ごろからはじまって今も続いているの。発掘した膨大な遺物をコレクションしているのがナポリ国立考古学博物館。そのナポリ国立考古学博物館の至宝約150点をこの展覧会で紹介するのよ。
長い間埋まっていたなら、ボロボロになっていると思うほ。展示できるものがあるほ!?
見てごらん。


通称「青の壺」

とてもきれいだほ。細かい模様もあってすごいほ!
カメオ・ガラスと呼ばれる技法で制作された容器で、完全な形のまま残っているのはとても貴重らしいわ。
どんな作品がくるかわくわくしてきたほ。こういうポンペイの人たちが使っていた作品を展示するほ?
ポンペイの街にあった施設に関係するものや、暮らしや仕事ぶりがうかがえるもの、ポンペイが栄えた歴史を示すものなどが展示されるのよ。
ポスターに書いてある「そこにいた。」ものを見つけられそうな気がしてきたほ。ユリノキちゃん、ほかの作品も教えてほ!
じゃあ、いくわよ!まず、ポンペイの街の施設に関係する作品よ。


辻音楽師

チラシに載っている作品だほ。まん中の人はカスタネットみたいなものもっているほ。
喜劇の仮面をかぶって、楽器を演奏する小さな楽団が、どこかの家を訪問している場面らしいわ。今の日本だと想像しにくい場面だけど、ポンペイがあった地方は演劇が盛んだったのよ。
ほー。ということはなんだほ?
演劇の会場となる劇場が賑わう様子を想像できない!? 次は、ポンペイの人びとに関係する、こちらの作品よ。


書字板と尖筆を持つ女性(通称「サッフォー」)

女の人の絵だほ。何かメモしようとしているほ?
そうね、筆をもっているし、何か考えているような表情だわ。ナポリ国立考古学博物館で最も有名な肖像の一つなのよ。
とてもかしこそうにもみえるほ。頭の髪飾りも金に見えて、豪華だほ。
次は暮らしに関係する作品よ。


パン屋の店先


炭化したパン

パン屋さんとこれはパン?2000年前にもパン屋さんがあったなんてびっくりだほ。
当時も主食はパンだったのよ。この絵に描かれたものと似た形のパンを発掘できたから、あわせて展示するの。最後はポンペイが栄えた歴史に関係する作品よ。


踊るファウヌス

誰だほ?
牧神ファウヌスとされるブロンズ像よ。ポンペイで最も大きくて、とっても古い家から発見されたの。この像があったからこの家は「ファウヌスの家」と名づけられたのよ。ほかにも「竪琴奏者の家」、「悲劇詩人の家」っていう、ポンペイが栄えた歴史を示す家に関連した作品や、その頃の家の様子の一部を会場内に再現するのよ。
すごい気合の入れようだほ。
すごいのよ。「ポンペイ」展は日本、そして世界のいろいろな博物館で開催しているけど、特に「ファウヌスの家」に関連した作品がナポリ国立考古学博物館を出て、まとめて展示されることがとても珍しいの。最大の見どころだと思うわ。
ユリノキちゃん、なんか今回はいつにもまして詳しいほ。なんかずるしているほ?
あれ、トーハクくんは10月18日(月)に開催した報道発表会に行かなかったの?私はそこに行って予習したのよ。
がーんだほ。見逃したほ。
展覧会公式Twitterでも作品を紹介しています。皆様そちらもぜひご覧くださいね。

※所蔵表記のない作品図版はすべてナポリ国立考古学博物館蔵 Photos©Luciano and Marco Pedicini
※日時指定券は2022年1月5日(水)より販売開始予定。
「日時指定券」の事前のご購入・ご予約(オンラインのみ)をお勧めしています。会場でも当日券をご購入いただけますが、混雑状況により入場をお待ちいただく場合や、当日券の販売が終了してている場合があります。
詳細は展覧会公式ウェブサイトでお知らせします。

 

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん「ポンペイ」

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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2021年10月29日 (金)

 

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