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1089ブログ

イスラーム王朝が奨励した学問

イスラーム王朝が、世界史の中で果たした役割とは何でしょう?
答えの一つは、古代の学問を継承し発展させたことです。

私たちが普段使っている数字はアラビア数字で、科学や数学に関する言葉に、アラビア語起源の単語が含まれていることが知られています。
アルカリ、アルコール、ケミストリー、ガーゼ、ゼロ、アルゴリズム、アベレージ・・・などなど。
子供のころに読んだ星座図鑑では、星座がギリシャ神話とともに紹介されていましたが、実は、一般的な星の名前の大半はギリシャ語ではなく、アラビア語に由来するのだそうです。
例えば、今夜晴れていれば見える夏の大三角を作る1等星、ベガ、アルタイル、デネブはアラビア語です。

このような事例は、中世のイスラーム王朝が奨励した学問、特に天文学や数学、医学などが、
現代社会を形づくる科学文明の基層となった歴史を物語っています。

↑というような、文明史的な浪漫?もお楽しみいただきたく、本展を企画するにあたって、中世イスラームの学問に関する資料も出品していただいています!!

*以下、作品はすべてマレーシア・イスラーム美術館蔵

天文学に関する資料2点と、
左:天文学書(No.6), 右:天体観測儀(No. 141)
左:天文学書(No.6), 右:天体観測儀(No. 141)
*天体観測儀については本記事の後半で詳しくふれます。

医学に関する資料2点です。
左:『マンスール解剖書』写本(No.99), 右:解剖学用人形(No. 100)
左:『マンスール解剖書』写本(No.99), 右:解剖学用人形(No. 100)

今回は、イスラーム天文学について少し掘り下げましょう。
人類は大昔から、生活上の必要性から、天体に関する実用的な知識を備えていたと考えられますが、文明の発達とともに、高度な占星術/天文学になっていきました。
前5世紀のバビロニア(今のイラク)では、太陽の軌道を示す「黄道十二宮」が考案され、
前3世紀以降には、計算によって月食を予測するまでになりました。
西アジアの天文学はギリシャ世界に受け継がれ、当時の学問の中心地であったエジプトのアレキサンドリアで発展していきます。
アレキサンドリアで活躍した学者の1人、プトレマイオスが記した天文書『アルマゲスト』は、 古代ギリシャ天文学の到達点と位置づけられています。

ところが、古代ギリシャの高度な学問は、5世紀以降、すっかり廃れてしまいました。
西ローマ帝国が滅亡し、東ローマ帝国でも国教となったキリスト教が重視されたためです。
そして、存続の危機にあった古代の英知を積極的に吸収し、学問として発展させたのが各地のイスラーム王朝だったのです。
特に、アッバース朝による9世紀の翻訳事業がよく知られています。
首都バグダードでは、あまたのギリシャ語文献がアラビア語に翻訳され、様々な分野の学者が古代の学問を洗練させていきました。
ペルシャ人の占星術師アブー・マーシャルもその一人で、プトレマイオスの『アルマゲスト』を翻訳しました。
アラビア語の写本として残された『アルマゲスト』は天文学の基本書であり続け、16世紀に登場するコペルニクスの地動説の基礎資料にもなっています。

展示中の写本には、アブー・マーシャルによる天体観測儀に関する論考を要約した記事が収録されており、その部分を「天文学書」として紹介しています。
解剖学用人形(No. 100)

他のページをめくってみると、秤の平衡や三角法を解説している(ペルシャ語が読めない筆者にはそのように見える)記事もあり、実用的な科学的知識をまとめた便利な写本であったようです。

 

さて、天体観測儀は「アストロラーベ」とも呼ばれ、古代ギリシャで考案され、イスラーム世界で改良が重ねられた機械です。
イベリア半島では航海用に改良したアストロラーベも作られ、大航海時代の船乗りたちが手にしました。
表面
表面
裏面
裏面

アストロラーベはいくつもの部品を組み合わせて使う複雑な構造。
まず、外周に沿って360度の目盛が刻まれた円盤が本体です。
その上に、ある緯度における地平座標、方角、天頂、天の赤道などを示す線が刻まれたプレートを重ねます。
このプレートは、観測する場所に適したものに交換して使いました。
次に、リートと呼ばれる透かし彫りのような部品が取りつきます。
リートには、黄道(太陽の軌道)を示す円があり、その周囲に配される唐草文様の先端の鉤のような部分が、それぞれ特定の星の位置を示します。
手前には、アリダードと呼ばれる、時計の針のような目盛つきの部品が取りつけられています。
このアリダードの両側に、天体などを視準するための小さな穴があります。
背面も重要でした。
外周に沿って角度の目盛が刻まれ、その内側には、太陽高度を示す曲線、三角法の計算に使う方眼、影の長さから物体の高さ算出するシャドウスクエアなど、便利な目盛がたくさん刻まれています。

アストロラーベの主な用途は、
・天体の高度を図る、それによって緯度を算出する
・時刻を算出する
・地上の目標物の高さを三角測量で測る
・特定の日時における天体の位置を求める
などなど。
日常生活でも、砂漠でも、洋上でも、使い方次第で、様々な目的に応えてくれる実用的な機械でした。

写真:展示作業中に思わず北極星を観測する(妄想をする)学芸員
写真:展示作業中に思わず北極星を観測する(妄想をする)学芸員

分厚い真鍮でできているアストロラーベ。このように手にしてみると、ずっしりした重量です。
上部の輪を指などに吊るして使うので、多少の風があっても、本体の重量によって、垂直な状態を維持できました。

アストロラーベがイスラーム世界で発展した背景には、イスラーム特有のライフスタイルがありました。
例えば、イスラーム教徒は1日5回、礼拝します。
写真:展示室では、モスクと礼拝についてもスライドで紹介しています。
写真:展示室では、モスクと礼拝についてもスライドで紹介しています。

礼拝の時間になると、モスクから礼拝を呼びかけるアッザーンが聞こえてきますが、付近にモスクがない旅先ではどうでしょう?
そうです、アストロラーベがあれば、礼拝の時間も、マッカ(メッカ)の方向も知ることができます。

ラマダーン月のエジプトのカイロ市内

この写真はラマダーン月のエジプトのカイロ市内で撮った写真です。
ラマダーン中は、イスラーム教徒は特殊な事情がない限り、日中の飲食を控えます。
人々はテーブルに並ぶ夕食を前にしながら、今か今かと日没を知らせる空砲の合図を待っています。
このように、日の出や日没の時刻を知ることも、イスラーム世界での生活に必要だったと考えられます。
アストロラーベは、今でいうGPS付腕時計のようなもので、イスラーム世界で重宝したアイテムだったのです。

専門的な占星術から日常生活まで、様々な場面で用いられたアストロラーベ。
そこには、イスラーム王朝が古代ギリシャから受け継いだ天文学が凝縮されています。
天文学は天体の動きと位置を計算する高度な幾何学、数学とセットでもありました。
イスラーム王朝が奨励したこのような学問は、時を経て、私たちがその恩恵を享受している現在の科学文明へとつながっているのです。

 

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」

東洋館 12室・13室
2021年7月6日(火)~2022年2月20日(日)

展覧会詳細情報

「イスラーム王朝とムスリムの世界」バナー

カテゴリ:「イスラーム王朝とムスリムの世界」

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posted by 小野塚拓造(平常展調整室) at 2021年08月30日 (月)

 

世界にまたがるイスラーム文化

トーハク界隈にあるアメヤ横丁をぶらぶらしていると、ハラール、すなわちムスリム(イスラーム教徒)向けの食事を出す店を見かけるようになってきました。
もちろんムスリムでなくても食べてよく、私も時々おいしくいただいています。
近年では、日本国内でもムスリムの人々が身近で親しい存在になってきました。ただ、その割にはムスリムの背景にあるイスラーム文化に触れる機会は少ないように思われます。
そのような世相をふまえて、同僚たちとイスラーム文化を紹介する企画の必要性が話題になったこともありましたが、実のところ、トーハクの所蔵品にはイスラーム関係の作品が非常に少なく、独力では、多様なイスラーム文化を紹介する企画を組むのは困難であろうと考えていました。

アメヤ横丁 写真
アメヤ横丁
上野駅から御徒町駅までつづく商店街。このあたりではアジア料理を楽しむことができます。

ハラール 写真
ハラール
ハラールのマークがあるメニュー。ハラールとはアラビア語で「許されている」という意味。

 

そんななか、このたびマレーシアにあるイスラーム美術館の厚い協力を得て、イスラーム世界を見渡す展覧会を開催する機会に恵まれました。イスラーム美術館では、同館の地元であるマレーシアや東南アジア、あるいは聖地マッカ(メッカ)がある西アジアといったような、どこか特定の地域に限らず、広く世界中のイスラームの美術や資料を集めて、イスラーム文化を紹介しています。
イスラーム教は世界各地に伝わり、それぞれの土地の文化と結びついたので、各地の伝統的な造形や美意識に基づき、風土に応じた工芸技法を駆使して、モスクの建築や調度などが作られました。イスラーム美術館の館内を歩いていると、そのようなイスラーム文化の多様性を肌で感じることができます。

マレーシア・イスラーム美術館

マレーシア・イスラーム美術館 写真
マレーシア・イスラーム美術館
首都クアラルンプールにある美術館。屋上にあるターコイズ色のドームはランドマークとなっています。
Islamic Arts Museum Malaysiaの頭文字をとったIAMMの略称で親しまれています。

 

このたびの特別企画は、そのイスラーム美術館のエッセンスを紹介するものです。イスラームの世界や歴史は複雑で、簡単には理解しにくいですが、難しい話はさておき、まずは広大な地域のなかで長大な時間をかけて育まれた多彩な造形や美意識に親しんでいただければと思います。

 

*作品はすべてマレーシア・イスラーム美術館蔵(画像提供:マレーシア・イスラーム美術館)

「スルタン・マフムト一世の勅令」画像
スルタン・マフムト一世の勅令 トルコ 1733年
流麗な書体で記された本文の上方に、オスマン朝のスルタンの華麗なトゥーラ(花押)が表され、その左側には「君主の命に従え」という題字があります。

「宝飾ターバン飾」画像
宝飾ターバン飾 インド 18~19世紀
ムガル朝の皇族がターバンに付けたアクセサリー。力と生命を象徴する真っ赤なルビーと豊穣と繁栄を象徴する常緑のエメラルドがきらめいています。

「真鍮燭台」画像
真鍮燭台 エジプトまたはシリア 1293~1341年
マムルーク朝の宮殿の内部は多くの蠟燭で照らされていました。この燭台は真鍮製で、銀象嵌の装飾が施されており、上部に長い蠟燭を突き立てました。

「ラスター彩アルハンブラ壺」画像
ラスター彩アルハンブラ壺 スペイン 20世紀初
ナスル朝のもとで建造されたスペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿には赤みを帯びたラスター彩の壺が飾られました。洋梨形の胴に翼のような耳が付くのが特徴です。

「儀礼用バティック布」画像
儀礼用バティック布 マレー半島 20世紀初
マレーシアやインドネシアで行なわれるバティックという伝統的な染色技法で『クルアーン』の言葉などを表わした布。貴重な写本を包んだりしました。

「青花ペンケース」画像
青花ペンケース 中国 15世紀
オスマン朝の宮廷で用いるペンケースとして中国で注文製作された青花磁器。このままで完成とせず、さらに金具を付けたり、宝飾を施したのち、スルタンに献上されます。

 
マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」

東洋館 12室・13室
2021年7月6日(火)~2022年2月20日(日)

展覧会詳細情報

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カテゴリ:「イスラーム王朝とムスリムの世界」

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posted by 猪熊兼樹(特別展室長) at 2021年08月06日 (金)

 

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画「イスラーム王朝とムスリムの世界」の絵画を通してみたイスラーム世界の生活と文化

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画「イスラーム王朝とムスリムの世界」では、セクションごとに大画面の油彩画などを展示しています。
これらの絵の多くは、ヨーロッパの画家がイスラーム世界を訪れ、その文化に魅かれて描いたものです。したがって、ヨーロッパ人の目を通してみた当時のイスラームの文化だといえます。
しかし、当時のイスラームの文化を理解する上で有効な資料であることに違いありません。

イスラーム展 展示風景

今回は、額絵3点をもとに、イスラーム世界のさまざまな文化を読み解いていきたいと思います。

1枚目は「羊毛を紡ぐ人」です。
オーストリアの画家ルドルフ・エルンストは、二人の女性がテラスで羊毛を紡いでいる様子を描きました。
画面に向かって左下には、象嵌(ぞうがん)の小箱が置かれています。
この絵が掛けられたケースには、螺鈿箱も展示されています。この螺鈿箱は、絵に描かれた象嵌の小箱のように、女性たちが宝石などの大事なものをしまうために使っていたのでしょう。
また、この絵には3本の柱が描かれています。柱の上には、柱頭が置かれています。柱頭とは柱の上に梁(はり)をのせる大切な建築部位です。
セクション「はじめに:イスラーム王朝とムスリムの世界」で展示されている柱頭は、この絵に描かれているように、建物の柱の上に置かれ、梁を載せながら、また柱を飾っていたことがわかります。
そして絵の中央と右側に描かれた入口に立つ柱の前には、アルハンブラのツボが置かれています。
セクション「スペインと北アフリカ」のケース内に展示された1対のアルハンブラの壺は、この絵のように、入口の左右に置かれてていたであろうことがわかります。

「羊毛を紡ぐ人」解説画像

「羊毛を紡ぐ人」解説画像

2枚目は「祈り」です。
オーストリアの画家ルートヴィヒ・ドイッチュは、モスク内で男性が祈りを捧げる様子を描きました。
画面では男性が立つ絨毯(じゅうたん)の上に、クルアーン台が置かれています。またモスクの壁に近くには真鍮燭台(しんちゅうしょくだい)が置かれています。
セクション「モスクの芸術」で展示されていたメダイヨン文敷物やクルアーン台、そしてセクション「マムルーク朝」で展示されている真鍮燭台が、モスクの中ではこの絵にみられるような使われ方をしていたことがわかります。

「祈り」解説画像

「祈り」解説画像

3枚目は「モスク入口の貧者」です。
ポーランド出身の画家スタニスワフ・フレボフスキが、モスクの入口で貧者が物乞いをする様子を描いたものです。
モスクの大きな入口の左右両側には鉄格子の小窓が取り付けられていたようです。アーチ形のタイルが小窓の上を飾っています。
同じケースで展示されているミフラーブ・パネルも、おそらくはこの絵のようにモスクの壁面を飾っていたであろうと考えられます。
また画面の貧者は両手で鉢を持っています。その貧者の左側には修道僧の鉢を置いています。
同じケースに展示されている文字文鉢は本来、飲料水の容器であり、修道僧の鉢は托鉢用でした。
イスラーム教の修道僧の中には神と一体となるために、人から施しを受ける貧困生活に身を投じながら、ひたすら修行に励む者もいました。これらの鉢はこうした俗念からの心の開放を暗示しています。

「モスク入口の貧者」画像解説

「モスク入口の貧者」画像解説

以上、3点の絵画を通して、展示されているさまざまな作品が本来、どのように使われてきたのかを読み解いてみました。
いずれの作品もイスラーム世界の生活や文化、イスラーム教の信仰などを知る手掛かりになります。
大画面の絵画から、会場内に展示されているさまざまな作品を探し当ててください。

 

カテゴリ:「イスラーム王朝とムスリムの世界」

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posted by 勝木言一郎(上席研究員) at 2021年07月20日 (火)

 

一日でいい、旅がしたい。「イスラーム王朝とムスリムの世界」開幕です!

 本企画キービジュアル
本企画キービジュアル

7月6日(火)、当館東洋館の地下にある12,13室を使ったマレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画「イスラーム王朝とムスリムの世界」がはじまりました。

東洋館エントランス写真
東洋館エントランス

イスラーム=中東、と思われる方も多いのではないでしょうか。

この展覧会は、マレーシアにあるイスラーム美術館の全面協力を得て、同館の所蔵品204点をお借りし、時代的にも地域的にもとても幅広い範囲を網羅した、これまでにはなかったイスラーム文化の決定版ともいえる内容の展観会です。

会場入り口写真

東洋館の地下におりて奥の部屋が会場となります。
会場では、14の王朝や地域を時代順あるいはテーマに基づいて、計15セクションが展開します。

展示コーナー写真
モスクの中で使われるものを展示したコーナーもあります。

ミフラーブ・パネル写真
手前向かって右:ミフラーブ・パネル 14-15世紀 中央アジアまたはイラン(ティムール朝)
写真でみて想像していたよりずっと大きくて迫力があります。

展示コーナー写真

各セクションは、さまざまなイスラームの文物と、それらが描かれた絵画作品で構成されています。それぞれの展示品がどのように使われていたかわかるようになっています。

インドの細密画写真

インドの細密画と、その向かいにはそこに描かれているようなジュエリーがきらびやかに並びます。ゴージャスでボリュームのある品々にうっとりです。

イスラームの影響の及んだ範囲の広さ、そこから生まれた文化の多彩さをご覧いただけると思います。

開会に先立ち、オープニングセレモニーが行われ、駐日マレーシア大使および協賛社の皆さまにご参加いただきました。マレーシアはようやくロックダウンが解けましたが、イスラーム美術館の皆さまには、感染状況の厳しい中、作品貸与にあたって多大なご尽力をいただきました。

Zoomセレモニー画像

マレーシア・イスラーム美術館の運営財団Albukhary FoundationのZara副会長は、残念ながら来日がかなわず、Zoomでセレモニーにご参加いただきました

海外旅行のできない日々が続きます。展覧会を通して、異文化に触れて旅の気分を味わっていただければ幸いです。会期は来年(2022)の2月20日(日)まで。

 

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posted by 鬼頭智美(広報室) at 2021年07月07日 (水)

 

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