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『至宝とボストンと私』 #7 平治物語絵巻

第2章の展示室には、在外二大絵巻といわれる「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」が全巻展示されています。こんなに豪華な展示は、ボストン美術館でもなかなか出来ないそうです。
『至宝とボストンと私』第7回目は、絵画・彫刻室研究員の土屋貴裕(つちやたかひろ)さんと、平治物語絵巻を見てゆきます。

第2章展示室
特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」絵巻のコーナー


『研究員の目はマニアック?』

広報(以下K):絵巻は、内容を知らなくても絵を追っていくだけで楽しいです。
さて、今回は全巻を全期間展示という素晴らしい企画ですね。

土屋(以下T):まさにそうですね。巻替えもなく、全場面を見ることが出来て大変嬉しいです。

平治物語絵巻
平治物語絵巻 三条殿夜討巻(さんじょうどのようちのまき)(部分)
鎌倉時代・13世紀後半

実は私はこの「平治物語絵巻」にはご縁がありまして、大学生の時に名古屋ボストン美術館での展覧会で、そして昨年、調査のために訪れたボストン美術館の収蔵庫で拝見する機会がありました。
今回で3度目の機会になりますが、何度見てもすごい作品です。

K:どんなところがすごいのか、ポイントを教えてください。

T:それではまず、武士たちの脚に注目してみてください。

平治物語絵巻 足部分

皆引き締まっていてたまらないですね!馬も良い脚してます。
ふくらはぎのもりもり感、すね側のすっきり感、そして足首にかけてのライン!

K:土屋さん…(汗)。でも、私も脚フェチなのでよく分かります!

T:そうでしょうそうでしょう!これを描いた人はきっと、脚の表現にこだわりがあったのだと思うのです。
この作品に限らず絵巻は、一人で描くのではなく工房で複数の人間が手分けして描くものですが、絵師によって画風がバラバラだと作品に統一感がなくなってしまいますよね?
それで、工房の親分のような人が、スタイルを指導するのです。
総合文化展(本館2室 国宝室)で展示中の国宝 平治物語絵巻 六波羅行幸巻(5月27日まで)でも、その表現が貫かれています。

K:脚の描き方まで、親分がしっかりディレクションしていたのですね。確かに、皆さんそろって脚が速そうです。しっかり作品を見たつもりでしたが、脚の表現までは注目していませんでした。
その他に注目のポイントはありますか?

T:やはり、火炎の表現です。

平治物語絵巻 炎部分

炎の勢いはいよいよ激しく、煙はもくもくと立ち昇り、そして火花が舞い散る。本当にリアルな表現です。
この火の粉には「吹墨(ふきずみ)」という技法が使われています。
絵具をつけた筆に息を吹き付けたり、筆の柄の部分をトントンと叩いて絵具を飛ばす技法です。炎をより恐ろしく、リアルに描こうとする絵師のこだわりを感じますね。
ちなみに、一番最後の詞書の部分をよく見てみてください。

平治物語絵巻 最後部分

最後の行に、赤い点があるのが見えますか?

平治物語絵巻 いの字の上

K:んー、小さい点ですが、確かに見えます。

T:実は、東博のOBでもある故秋山光和先生がこの赤い点を発見されました。40年前、ボストン美術館の名品展が当館で行われていた頃です。
この火の粉の跡によって、この詞書の左側にも火炎表現が描かれていた可能性があったのではないか、と発表されました。

K:現在では失われてしまった部分に絵が存在していた、ということですね?それをこの小さな点々から明らかにされたなんて、恐れ入ります!そこまで見るか!という感じです。

T:細部をじっくりと観察する。これぞ「プロの仕事」ですよね!私も常にそういった態度で作品に接したいと考えています。


『無残な表現は何のため?』

K:見れば見るほど、細かい表現が気になりますね。絵師たちの集中力、気迫が感じられます。

T:そうですね。例えば絵の中盤、屋根の下あたりをご覧ください。

平治物語絵巻 下書き部分 

下描きの線が見えますね。絵を描く途中で、構図の変更があったことがわかります。絵師が大変苦労してこの絵巻を完成させたことが伝わってきます。

K:確かに、一旦描いてしまったら簡単に消したり出来ないですもんね!神経をつかいそうです…。

T:こうやって、絵師の苦労に思いを馳せるのも、絵巻を楽しむポイントのひとつです。

K:楽しむといえば、この絵巻は誰かが鑑賞して楽しむものだったのでしょうか。何のために描かれたのですか?

T:それは、はっきりとは分かっていません。
この巻で特に繰り返し描かれる残虐な場面。これを鎌倉時代の人たちがワクワク楽しんで見ていたのか、私自身大変疑問に思います。
詞書にもこの三条殿での惨状が記されているのですが、ここまで詳しく描かないという選択もできたわけです。
ましてや殺されているのは、女房や御所に仕えるなど非武装の人たち。それを何故このようにリアルに描いたのか、誰が何の目的で描かせたのかは、謎のままです。
ただ、これだけ大きな作品をつくるとなると、莫大な資金も必要になるため、それなりの高位の身分の人間が依頼し、絵師たちは相当の覚悟をもって制作に挑んだはずです。
 
K:たくさんの謎、たくさんのトリビアが詰まった絵巻ですね。ボストン美術館展のハイライトと呼ぶに相応しい作品です。

T:ちなみに、本館3室で6月3日まで展示されている重文 天狗草紙絵巻と、重文 北野天神縁起絵巻も、この絵巻と同じ流れを汲んでいる工房の作品と考えられます。合わせてチェックしてみてくださいね。

K:土屋さん、どうも有難うございました。


土屋研究員
専門:日本中世絵画 所属部署:絵画・彫刻室

次回のテーマは「仏像」です。どうぞおたのしみに。

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

カテゴリ:研究員のイチオシnews2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年05月25日 (金)

 

書を楽しむ 第14回「写された書01」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第14回です。

本館特別1室で、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))がはじまりました。

写す、ということで、
まずは、私がエンピツで写した画像をお見せします。


エンピツの写し

今年のはじめに当館の特別展「北京故宮博物院200選」(2012年1月2日(月)~2月19日(日))に展示されていた、
中国の黄庭堅(こうていけん、1045~1105)の書をエンピツで写したつもりですが…。

上手ではありませんが、
エンピツでも写すと、黄庭堅がどういう字だったのかは、しっかりと頭に残ります。

写す、
という作業は、書にとって、とてもとても重要です。
手を動かすことで、見ただけよりも鮮明に記憶に残ります。
写すことによって、美しい文字の造形を、眼でも手でも鑑賞できます。
こうした伝統を基盤にして、新たな創造もはじまります。


 
(左)臨知足下帖 西川寧筆 昭和2年(1927)日本書道作振会展出品作 昭和2年(1927) 西川杏太郎氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
(右)十七帖(王文治本) 王羲之筆 原跡:東晋時代・4世紀江川吟舟氏寄贈(展示予定未定)



左の画像は特集陳列に展示する作品で、右の画像を「臨書」したものです。
ようするに、右の画像を手本として書いています。

右の手本は、中国の書聖・王羲之(おうぎし、303?~361?)の拓本「十七帖」。
古くから、さまざまな能書が王羲之の書を学んできました。

左の作品は、西川寧(にしかわやすし、1902~1989)の25歳のときのもの。
昭和から平成初期の書壇を代表する書家です。

西川寧は、『自選集』という作品集で、この作品を一番目に紹介しています。
「つたないながら、若い日の苦悶にはちがいない」
「私なりの探求の跡が残っている」
と自身で述べています。

苦悶しながら、写し続ける。
これは、じつは楽しい作業でもあります。
音楽やスポーツと同様に、
レッスンやトレーニングをして、できるようになる。
それと似た感覚でしょうか。

そこから新しい作品が生まれる。
書は、その繰り返しなのかもしれません。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年05月22日 (火)

 

『至宝とボストンと私』 #6 仏画

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」の最初の展示室は、仏画が16点並んでいます。まさに国宝級の作品がずらり。その様子は圧巻の一言です。
気合を入れて、時間をかけてご覧になるお客様が多くいらっしゃいます。
『至宝とボストンと私』第6回目は、特別展室主任研究員の沖松健次郎(おきまつけんじろう)さんと、この仏画のコーナーを見てゆきます。

仏画のコーナー
特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」仏画のコーナー


『信仰心と、美の追求』

広報(以下K):展覧会に入ってすぐの展示室から、いきなり超一級の作品が並んでいて圧倒されますね。

沖松(以下O):そうですね。本当に素晴らしい作品が里帰りしていて、このコーナーだけでも展覧会がひとつ開けてしまいそうなくらいです。

K:それでは、どのあたりが素晴らしいのか具体的にお聞きしてみたいと思います!

O:そうですね…。
この中には、日本に残っていたなら間違いなく国宝や重文に指定されるべき作品が多く展示されています。
作品の美しさ、質の高さ、保存状態、歴史的意義などを考えても、これだけのレベルの仏画のコレクションはなかなかありませんから。

K:あの…、まずは「仏画」とはどういうものなのか教えていただけますか?

O:仏画とは、文字通り「ほとけの画(え)」ということです。
厳密に言うと「ほとけ」とは、完全な智慧で宇宙万物の真理を覚り、大きな慈悲で人々を救う「如来」のことを意味します。
しかし一般的に言う「仏画」には、自分の修行の功徳で広く人々を救おうと誓願を立てた、如来に次ぐ「菩薩」や、守護神としての役割をもつ「天」、如来の化身としての「明王」や、仏教の中でも密教独特の世界観を表した「曼荼羅」など、さまざまな主題を含んで用いています。

K:それでは、仏画は礼拝や祈祷の対象として描かれた、ということなのでしょうか?

O:そうです。あるいは空間の荘厳、つまり仏堂を美しくおごそかに飾るために描かれました。

馬頭観音菩薩像
馬頭観音菩薩像(ばとうかんのんぼさつぞう)
平安時代・12世紀中頃
 

たとえばこの作品。
馬頭観音菩薩は、あらゆる人を救うとされる観音様のひとつの姿です。特に、理性なく本能のままに生きる、苦しみ多く楽少ないという畜生道におちた人を救う観音として信仰されてきました。
正面の冠に馬の頭部を着けています。これは、力強い馬のエネルギーを借りるためです。

この作品がつくられた平安時代、財力のある貴族たちは、最高の絵師に最高の材料で仏画をつくらせました。
貴族好みの「美麗な」装飾をほどこし、贅の限りを尽くします。
この行為そのものが功徳につながる、という信仰上の理由もあり、この時代の仏画は絢爛さがどんどんエスカレートしてゆき、度を越した美麗の追求が取り締まりの対象になるほどでした。

K:それくらい、仏教への信仰心が篤かったということですね。

O:単純に信仰心が篤いというと美しい感じがしますが、政争に明け暮れ、人生を翻弄された貴族にとって、信仰は切実なものだったようです。根底にあったものは、とても生々しい欲求だったと思います。
そのような信仰性と、貴族の美意識とが合致して、美しい作品が次々と誕生しました。
そして、そのような美の世界を実現できるだけの技術をもった人たちがいた、ということもまた驚くべきことです。

K:よく見ると、とても細かい模様が描かれていますね。

O:はい。
少し見えづらいのですが、金箔押しや截金(きりかね)による装飾が施されています。
截金というのは、金箔・銀箔などを数枚焼き合わせ、髪の毛くらい細い線に切ったものを画面に貼り、細かい文様を表す技法です。

馬頭観音菩薩像(部分)

衣に描かれている文様の金色の細い線や、蓮弁の脈の部分にご注目ください。精緻な表現と確かな技術力には驚くばかりです。
当時はろうそくの揺らめく光の中で見たので、金がよりきらめいて見えたのではないでしょうか。
 

『ほんものを見る、ということ』

K:当時は一般庶民が目にする機会は無かったのですか?

O:発願者は貴族の中でも位が上の方ですし、仏画は元々法要の際に使われるものですから、法要に参加できる立場の人間しか目にすることは出来ませんでした。

K:では、私のような人間が目にすることができるのは、現代だからなのですね!なんだか嬉しくなります。
沖松さんは、この作品をご覧になってみてどんな感想をお持ちですか?

O:これらの作品を図版で見る機会は多くありましたが、今回間近で見てみて、本当に良い作品だと感じました。
穏やかでバランスのとれた姿、優美で華やかな彩色、精緻で手の込んだ装飾、どれをとっても一級の作品です。
やはり図版ではなく、実際に見てみないとだめだと改めて思います。

K:なぜこれほどまでに素晴らしい作品が、アメリカに渡ったのでしょうか?

O:明治時代の廃仏毀釈運動により、寺院・仏像・仏具などが破壊され、仏教が危機的状況にありました。
そんな中で、馬頭観音菩薩像などの一級品も売りに出されてしまいます。

K:そこでフェノロサの登場ですね。

O:そうです。捨て去られようとしていた仏画等を、日本の文化、美術の所産として評価・購入し、ボストンの地でしっかりと守ってくれました。

K:そのおかげで、今私たちは作品を目にすることが出来るのですね。
有難みがぐっと増したような気がします。そしてその貴重な作品をたくさん出品してくださったボストン美術館にも感謝です!
沖松さん、どうも有難うございました。


第1章 仏のかたち 神のすがた
専門:仏画 所属部署:特別展室


次回のテーマは「絵巻」です。どうぞおたのしみに。


All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

カテゴリ:研究員のイチオシnews2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年05月21日 (月)

 

『至宝とボストンと私』 #5 水墨画

色鮮やかな絵巻の展示のあとには、墨一色の水墨画の世界が広がります。小さな画面の中に、大きな空間の拡がりを見せる作品たち。
『至宝とボストンと私』第5回目は、貸与特別観覧室長の救仁郷秀明(くにごうひであき)さんと、水墨画のコーナーを見てゆきます。

第2章 展示風景
特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」水墨画のコーナー


『水墨画=禅宗の絵画、ではない?!』

広報(以下K):色鮮やかな絵巻のコーナーから一転して、水墨画のコーナーは渋い色使いになりました。でも落ち着きがあって日本人の感性にしっくりくるような感じがします。
救仁郷さん、初歩的な質問なのですが、まずは「水墨画」の成り立ちについて教えてください。

救仁郷(以下ク):平安~鎌倉時代の絵画にはだいたい色がついていますが、室町時代には色のない「水墨画」が大きく発展します。
水墨画が盛んになり始めるのは鎌倉時代後期。建長寺や円覚寺などの禅宗寺院が鎌倉に建立され、北条時宗が活躍する時代です。
この頃、中国からは偉い禅僧が来日するようになり、日本からもたくさんの僧が中国に留学し、日中の交流が盛んになります。

K:そこで、さまざまな文化が日本に入ってくるわけですね?

ク:はい。水墨画もそのひとつです。
日本においての水墨画は、室町時代中頃までは禅宗と密接な関係がありました。
この作品をご覧ください。

山水図
山水図 
祥啓(しょうけい)筆 室町時代・15世紀末~16世紀初

 
ボストン美術館の所蔵品の中でもとても有名な作品です。この作者の祥啓という人は、建長寺の絵画を専門とする画僧でした。

K:お坊さんが描いていたということは、水墨画も禅画の一種なのですか?

ク:いいえ、全てが禅宗的だったかといわれると、そうでもありません。
水墨画は禅宗というパイプを通じて中国から伝わったため、日本では主に禅僧が水墨画を描いていました。
そのため、作品の内容も禅宗と関連があるかのように思われがちなのですが、水墨画のスタイルは中国では普通の人も見るようなごく一般的な美術でした。

K:当時の中国でいう、「現代美術」だったのですね。

ク:そうですね、南宋~元時代にかけての現代的な絵画のスタイルだったといえます。

K:作者の祥啓は、建長寺の画僧とおっしゃっていましたが、どうしてこんな素敵な作品が描けたのでしょうか。誰かに教わったのですか?

ク:祥啓は、夏珪(かけい)という中国・南宋時代の宮廷画家の作品を学んだのだと考えられます。
夏珪は宮廷画家の中でも最高ランクの称号をもつ人物で、特に水墨山水画を得意としました。日本においてもこの人の作品が手本とされ、大変人気があったようです。
もちろん、夏珪とは生きている時代が違いますので、直接教えを受けたわけではありません。

K:それでは祥啓は、日本にあった夏珪の作品を見て学んだ、ということでしょうか?

ク:そうだと思います。
夏珪の作品は、足利将軍家にコレクションされていました。そのコレクションを管理したり、偉いお客様がいらしたときにお座敷を飾ったりする芸術上のブレーンに、芸阿弥(げいあみ)という人物がいました。この人は自分でも絵を描く人です。
祥啓は1478年に京都に出向いていますが、このとき芸阿弥のもとで足利将軍家のコレクションを見せてもらったり、手ほどきを受けています。
つまり祥啓は、芸阿弥を介して夏珪の様式を学んだと考えていいでしょう。

現在、東京・畠山記念館で開催中の展覧会「唐物と室町時代の美術」で、伝夏珪筆の山水図(重要文化財)が展示されています。(展示期間:5月27日(日)まで。本展図録117ページに挿図を掲載しています。)
夏珪の作品と、夏珪の様式を学んだ祥啓の作品を、ぜひ見比べてみてください。新たな発見があるかもしれません。


『絵の中を、旅するのです』

K:救仁郷さんは、この作品はお好きですか?
 
ク:もちろん大好きです。

K:どういうところがお好きなのですか?

ク:絵の中を物見遊山できるのです。
この作品に限らず、水墨山水画は絵の端から端までなめ尽くすように見ないことには、良さが分かりません。下(手前)から上へと視線をうつしてゆくと、遠くの景色へと引き込まれてゆく構造になっています。

まずは近景から見てゆきましょう。右下の水辺に庵が建っています。

山水図 庵の部分

こんな水辺に建物を建てたらすぐに悪くなってしまいそうですが、良い景色が見られるベストスポットなんだから、そんなことは関係ありません。
窓辺に肩肘をついて外を見ている人がいますね。左下にある舟を見ているのでしょうか。

山水図 舟の部分

この舟には船頭と客2人が乗っています。その少し奥にある滝を見に来たのかも知れません。

K:救仁郷劇場が展開していますね…

ク:この滝は名所で、きっと絶景スポットなのでしょう。滝壺の音が、ドボドボと聞こえてきませんか?

山水図 滝の部分

K:おお!なんて詩的な!

ク:滝を徒歩で見に行く人のための沿道が手前から伸びて、恐らくは左上の建物に続いているのでしょう。ここに上ると更に良い景色が広がっているのではないでしょうか。そして、、

(救仁郷劇場はこの後更なる展開があったのですが、文字数の関係上省略させていただきます。)

K:すごいです!下から上へと視線をうつしてゆく、という見方がとても良く分かりました!

ク:水墨画は一見地味ですが、絵の中を旅して、散策してみてください。
都会に住んでいると、自然に触れる機会って少ないですよね。山水図はその代用として、オアシスのような役割を果たしてくれると思います。

K:見れば見るほど細かい描写に気付き、ストーリーが拡がってゆくのですね。じっくりと見て、絵の中を旅しようと思います。
救仁郷さん、どうも有難うございました。


救仁郷研究員
専門:中世水墨画 所属部署:貸与特別観覧室

次回のテーマは「仏画」です。どうぞおたのしみに。

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

 

カテゴリ:研究員のイチオシnews2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年05月17日 (木)

 

『至宝とボストンと私』 #4 屏風

色鮮やかな作品が連なる第4章『華ひらく近世絵画』。有名な絵師たちの個性がひしめき合っています。
『至宝とボストンと私』第4回目は、絵画・彫刻室研究員の金井裕子(かないひろこ)さんと、屏風のコーナーを見てみましょう。
 

屏風の展示室

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」屏風のコーナー


『作品の力を、自らの力に』

広報(以下K):「華ひらく近世絵画」は、まさに華のある作品がそろっていて楽しいです。特に長谷川等伯筆 龍虎図屏風など、屏風の作品が目を引きますね。

金井(以下カ):そうですね。近世、つまり江戸時代に入ると、富裕層に拡大に伴って、大きな部屋を区切ったり、彩りを加えたり、空間をデザインしたりする屏風が多く作られるようになります。

K:なるほど!確かにこれだけの大きな屏風を飾るとなると、相当大きなお屋敷でないと難しいかもしれませんね。

カ:この第4章では、ぜひ色々なお部屋に入っていく気持ちで見てみてください。

K:さて、この中から金井さんのおすすめはどちらの作品ですか?

カ:私のおすすめはこの作品です。

韃靼人朝貢図屏風
韃靼人朝貢図屏風(だったんじんちょうこうずびょうぶ)
伝狩野永徳筆 安土桃山時代・16世紀後半


K:とてもきらびやかで、素敵な屏風ですね。
ところで、「韃靼人」とはどこの国の人ですか?

カ:もともとは中国中央部の人々が、北方(現在のモンゴル東部)の民族を指して呼んでいた言葉です。
中国の南宋時代、北方民族を描いた作品が流行しまして、それが日本でも人気の画題となったようです。

K:なぜ日本人が韃靼人の絵を欲しがったのでしょうか?

カ:歴代の中国の中央政権は、常に北方民族からの攻撃に悩まされていました。そのため、「韃靼人は強い民族」というイメージが定着したようです。
この作品は、その韃靼人をはじめとする異民族が朝貢、つまり貢物を捧げるために皇帝の下へ訪れる光景を描いていますので、作品を見る側は「強い民族を従えている」というイメージをもって見ることが出来るというわけです。

K:それは大変気分が良いですね。

カ:そうですよね。
龍や虎などは、強いイメージがあるでしょう?それと同じように、日本では、韃靼人にも強いイメージがあったので、画題として人気がありました。

K:欲しがる理由が分かる気がします。
海からも陸からも、いろいろなところから集まってくる様子がいきいき描かれていますね。

カ:ええ。でも元々はもっとたくさんの人が描かれていた可能性があります。
画面の人々は、向かって左の方向に進んでいますね。実はこの作品はもっと左にも絵が続いていたようなのです。
というのは、滋賀県の観音寺に「王会図屏風」という作品があるのですが、その中にこの屏風とよく似た部分があり、そこには本図からは失われてしまった韃靼人たちの行き先が描かれています。
しかもこの屏風、元々は襖絵だった可能性があるんです。

K:襖絵?これは屏風になっていますが…

カ:元々襖絵だった作品の一部が、後の時代になって屏風に改装されたようです。
襖絵は、火事や建物の改築の際に失われてしまうことが多かったので、このような形で一部が遺される例が時々あるんですよ。
両端をよく見てみてください。引手の丸い跡が残っています。

引き手の跡
画像では分かりづらいので、ぜひ会場でご覧になってみてくださいね。


『良き画題は世代を越えて』

K:細かい描写も色使いもとても美しいですね。
伝狩野永徳筆とありますが、どうして永徳だと分かるのでしょうか。

カ:ずばり、絵が上手いからです!

K:おぉ!わかりやすい!

カ:ちょっとそれは言いすぎましたか(笑)。
この作品は画中に名前が記されていませんので、「永徳筆」と言い切ってしまうことは出来ません。
しかし、他の永徳の作品とも作風がよく似ています。
顔つきを見てください。目元がキリッとしてとても整っているでしょう?

韃靼人朝貢図屏風(部分)
K:確かに、皆さま男前でいらっしゃる。

カ:韃靼人であることを意識して、特に鼻を高く、彫りを深く描いているのですが、決して醜い顔にはなりません。
馬でさえバランスよく描けています。
永徳筆かどうかは不明ですが、少なくとも同じ時代に永徳周辺で描かれたことは間違いないと思います。

K:本当ですね!このあたりは見どころですね!

カ:はい。また、本展覧会の第3章では、永徳の祖父にあたる狩野元信の「韃靼人狩猟図」も展示されています。
韃靼人を主題とした作品は、日本ではちょうど元信の頃から狩野派の得意とする画題となっていきます。
同じモチーフが描かれたこの2枚の時代差を楽しんでいただくのも、また面白いかと思います。

K:良い画題が、世代を越えて受け継がれていくのですね。
世代間の比較が、ひとつの展覧会で出来るというのも面白いです。そういうところに着目して、もう1回第3章に戻ってみようと思います。
金井さん、どうも有難うございました!


金井研究員
専門:中近世日本絵画 所属部署:絵画・彫刻室


次回のテーマは「仏画」です。どうぞおたのしみに。


All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.
 

カテゴリ:研究員のイチオシnews2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年05月08日 (火)