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1089ブログ

やちむん―沖縄のやきもの

6月25日(火)より、本館14室にて特集「やちむんー沖縄のやきもの」が始まりました。
この特集は、明治18年(1885)に沖縄県から購入した壺屋焼を中心に、約20件の収蔵品を紹介するものです。

いまから○△年前、卒論のテーマ探しに追われた学生の私は、図書館で「運命の本」と出会いました。
濱田庄司の『沖縄の陶器』です。

いわゆる「民藝運動」や、やきものの歴史も知らなかった20歳の私のまっさらな眼に飛び込んできたのが、沖縄県那覇市壺屋で焼かれた「壺屋焼」でした。
その力強さとのびやかさにすっかり魅了され、自分なりに考えて「なぜ壺屋で白いやきものが焼かれたのか」という疑問を得たことが、陶磁器研究の出発点となりました。

その後、東京国立博物館に着任して、初めて寄贈を受けたのもじつは壺屋焼でした。


ジシガーミ(厨子甕) 沖縄本島 壺屋焼 第2尚氏時代・18~19世紀 堤里志氏寄贈

こんなご縁がありながら、厖大(ぼうだい)で難解な中国や日本の陶磁器に日々立ち向かうなかで、壺屋焼について考える時間も機会も失っていました。

一方、トーハクは2010年代に入ると本館の展示体系に変化がありました。
その一つが「アイヌと琉球」の展示です。
平成26年度(2014)から単発の特集ではなく、リニューアルした本館16室において常設展示が始まったのです。


本館16室の風景

この流れのなか、考古担当の研究員を中心に琉球資料の見直しが行われ、長く展示に活用されることがなかった作品も日の目を見ることになりました。

収蔵庫に眠っていた壺屋焼のなかには、収蔵時からと推測される古いキズや割れがあるものがありました。
また、壺屋焼と認識されてきた作品に中国清朝の磁器が含まれていたことも新たに判明しました。


蓋マカイ(粉彩鹿鶴文蓋付碗・五彩吉祥文字文蓋付碗) 中国 景徳鎮窯 清時代・19世紀
「道光年製」「咸豊年製」銘が施された貴重な作例。直接中国と交流のあった琉球王朝ならではの伝世品です。
詳細はMUSEUM680号をご参照ください。


今回の特集は、修理を経て、トーハクの壺屋焼をまとまって紹介する初の展観となります。

あらためて作品を見てみると、新しい疑問が湧いてきます。
他の壺屋焼にはあまりみられない素地(化粧をしていない真っ白い胎)であったり、珍しい装飾が施されていたりするのです。


チューカー(色絵梅竹文水注) 沖縄本島 壺屋焼 第2尚氏時代・18世紀末~19世紀


マカイ(緑釉蓮葉文鉢) 沖縄本島 壺屋焼 第2尚氏時代・18世紀末~19世紀

明治18年に購入され、当館に収められた壺屋焼は、いったいいつどのような背景で焼かれたものなのか、残念ながら詳細は今のところわかっていません。

しかし作行きをみる限り、世に伝わる壺屋焼や首里城から出土した資料と比べても、きわめて特殊な一群であることは確かなようです。そして、戦争という悲劇を免れて今日に残る貴重な一群でもあります。

かつて私が学生なりに考えた「なぜ白いやきものが焼かれたのか?」という問題然り、壺屋焼の展開にはまだわからないことが多く残されています。

中国や東南アジアのやきもの、さらに薩摩焼や伊万里焼など日本のやきものの影響を受けて、独自に花ひらいた沖縄の壺屋焼。トーハクの作品に光を当て、研究の一助となるようにこれからも努めたいと思います。

 


本館14室 特集展示の様子
特集「 やちむん―沖縄のやきもの」
本館14室 2019年6月25日(火)~9月16日(月・祝)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 三笠景子(特別展室) at 2019年06月25日 (火)

 

トーハクくん、密教彫刻に驚く



・・・ほっ! これは、チャンスだほ。

また、本館14室では特集「密教彫刻の世界」を6月23日(日)まで開催しております。
トーハクが誇る密教彫刻の数々を、ご寄託品も含めて大公開!
特別展「国宝 東寺」を見終わったら、本館にもぜひお立ち寄りください。

今後1089ブログでも取り上げる予定なので、あわせてご覧いただければ幸いです。


-1089ブログ
【国宝 東寺展】仏像曼荼羅の歩き方より-

 

 

 

ほほーい! ぼくトーハクくん。いま本館14室の特集「密教彫刻の世界」を見にきてるんだほ。
西木研究員がブログで予告してた特集を、ぼくが紹介しちゃえって展示室に来ちゃったほ。



ほー、密教彫刻がたくさん並んでるほ。腕がたくさん、お顔がいっぱい。おっ、こっちのは怒ってるほ?
なんだかちょっと変わった形の仏像ばっかりほ。


特集「密教彫刻の世界」展示会場の様子


(チラッ)

ほー、こっちはえーっと・・・
うーん、広報大使としてがんばろーと思ったけど、作品のことがよくわかんないほ。
やはり西木研究員と一緒にくれば良かったほ。

あれートーハクくん、ここで何してるの?

ほほーい、西木研究員(嬉)!
特集「密教彫刻の世界」を紹介しようと思ったんだけど、一人じゃ無理だったほ。

紹介してくれるのかい。嬉しいな。わかんないことがあったら何でも聞いて。

ありがほー。早速だけど、密教ってなんだほ?

うん、そっからだと思ったよ。
密教は秘密仏教の略で、特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」で紹介されている空海が説いた仏教のことだよ。
秘密じゃない、いうなら普通の仏教のことを顕教というけど、空海はこの顕教と対比させて、自分が中国で勉強してきた仏教のことを秘密の教え、“密教”と言っていたんだ。

じゃ、密教は空海さんが日本に広めた仏教、って覚えればいいんだほ。

おー、さすがはトーハクくん。それがね・・・

ほ?

この特集でみなさんにご覧になっていただきたいのは、まさにそこなんだ。
密教=空海、それだけ? ってことさ。

つまり・・・

密教は、ヒンドゥー教が主流のインドの地で、5世紀ごろから始まった仏教なんだよ。
その歴史は5世紀から12世紀ごろまで、経典が書かれた時期の違いから初期、中期、後期に大きく分けることができて、空海の密教は中期密教にあたるんだ。
この中期密教がいわゆる日本の密教イメージなんだけど、本当はその前にも後にも密教がある。この特集ではそこを紹介したくて、全部ひっくるめた密教を感じてほしいと思って企画したんだよ。

ほー確かに。東寺展の仏像曼荼羅は作品リストをみると9世紀の作品が多いほ。つまり中期ってことだほ。

そう。でもね、この十一面観音菩薩立像を見てほしいんだけど、これは中期密教以前に中国で作られ、7世紀にはすでに日本に伝わっていたものらしい。日本に現存する密教彫刻では一番古い仏像だよ。


重要文化財 十一面観音菩薩立像 中国奈良・多武峯伝来 唐時代・7世紀

7世紀っていったら、鐘が鳴るなり法隆寺の時代?

そうそう。東寺の仏像も制作されたのは平安、鎌倉時代だけど、形自体はもっと早い時期に伝わっていたわけ。ただ、当時の人はこれが密教の教えのものだとは認識してなかった。

昔を振り返ってみたら、これも密教だったのか、ってこと?

そうだよ。この展示室の仏像でざっというと、十一面観音、不空羂索観音、如意輪観音、千手観音、これらは初期密教の教えにある仏様。
密教といえる所以は、頭がたくさんあったり、腕が何本もあったり、千手観音なんて手が千本。こういう通常の人体と異なる表現をしていることがもう、密教の仏様の特徴なんだよ。


如意輪観音菩薩坐像 鎌倉時代・13世紀


千手観音菩薩坐像 南北朝時代・14世紀

そっか、ちょっと変わった形の仏像だなって思ったのはつまり、密教の世界を体感しちゃってたってことだほ。

そうだよ。さすがだね、トーハクくん。

もう何年も広報大使やってるんだほ。
ところで西木研究員、空海さんはこの初期密教の仏像を見て、“おー、これは密教だ”って分かったのかほ?

うーん、分からなかったと思う。空海は当時、中国からすでに日本に入ってきた密教経典を読んで、これをちゃんと本場で勉強したいという決意で中国に渡ったといわれているんだ。
そして空海は中国で勉強して思いを強くしたんだね。これは密教として日本に持ち帰ろうって。

そーなんだほ。それで、時代的にそれが中期密教だってのは大体わかったほ。
じゃあ、初期密教と中期密教の経典だと何がちがうんだほ?

大日如来、不動明王、愛染明王、この辺が全部、中期密教の経典になって新しく出てくる仏様だよ。
この時代の密教では、大日如来が中心。大日如来がすべての仏、世界そのものを生んだ源にある、そういう考えなんだ。


重要文化財 大日如来坐像 平安時代・11~12世紀


重要文化財 愛染明王坐像 鎌倉時代・13世紀

でもなんか、この展示室には名前が漢字じゃないカタカナの仏像もあるほ。

うーん、やはりさすがだねトーハクくん。話が進めやすいよ。
初期密教、中期密教ときて残るのは・・・

後期密教!

インドでは、空海が勉強した時点の密教よりもさらに先に進んだ、発展していった密教があって、カタカナの仏像たちはまさに後期密教の代表なんだ。
いうなれば、われわれ日本人が知らない密教の到達点といえる存在だね。

ぜんぜん見たことない形の仏像だから、ちょっとびっくりしたほ。

そうだよね。後期密教はインドやネパール、チベットで発展したんだけど、清時代の中国でも盛んに信仰されたんだ。ところが、日本にもこの後期密教は断片的に入ってきてたけど、一切目にしてはいけない秘義として隠され、排除もされてきた。つまり受け入れられなかったんだね。

なんでだほ?

後期密教の仏像には初期密教、中期密教にはない強烈な特徴があるからかな。

おっ? いったいなんだほ?

インド風さ。

インドふう?

そう。一番わかりやすいのが、頭がたくさんあったり、腕が何本もあったりという異形の姿、人とは異なるその形だよ。

それは、初期密教も中期密教もそうだほ。

後期密教の仏像は本当にインドっぽい、インパクトのあるビジュアルが特徴で、これが密教彫刻の一番の魅力といってもいいくらい。
密教はそもそもインド起源の宗教なので、インド風ていうのがすごく大事なんだ。

インド風が濃厚って、例えばどんなことだほ?

さっき見せた初期密教の十一面観音菩薩立像は、本面(正面の顔)以外の顔が小さくて飾りみたいになってる。本面の上に頭上面がくるっと配置されてるの対し、一方、後期密教の八臂十一面観音菩薩立像を見てみると、頭上面はもっと大きい顔だし、上に積み上げていく造形でしょ。


十一面観音菩薩立像の頭上面

 
八臂十一面観音菩薩立像 中国 清時代・17~18世紀、頭上面

トーテムポール見たいだほ。

3面づつ3段だよ。見るからに、うぉーって形をしてる。
日本人からすると顔がどんどん上に重なっているの、すごい違和感があると思うよね。

うぉー

どうした、トーハクくん。

西木研究員、このバジャバジャなんとかってのはもう、怪獣にしかみえないほ。


ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像 中国 清時代・17~18世紀 東ふさ子氏寄贈

ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像だよ。これは男性の仏ヴァジュラバイラヴァと奥さんである女性の仏が抱き合ってる姿なんだ。
少し話したけど、中期密教では大日如来がほかの仏さまを生みだす存在だったよね。
後期密教ではもっと現実的な考え方になって、大日如来が仏様を生むとか抽象的な感覚で説いていたのも、本来は男女の営みがないと生まれないじゃないかっていう話に変わっていったんだ。

??

子どもがいるところには、お父さんとお母さんがいるでしょ、ってこと。
経典の主役になる本尊(男性の仏)とあわせて、その配偶者が想像されるようになり、両者セットで信仰されるようになった。それがこんどは、経典に出てくるほかの仏様たちが生まれてくるのを表現するために抱き合っている形になって、この抱き合った姿こそが最強の姿だとして信仰されていく。
これには、当時インドで爆発的な人気を誇った女神信仰の影響もあったみたい。

ふーん。ってことはインドやチベットの人みんな、この密教界最強の仏像を崇拝したのかほ?

ううん。それがそうじゃなくって、決して一般的なわけではなかったんだよ。
やっぱり、きわどい表現だということで、普通の人が立ち入れるエリアには安置されなくて、あるいは安置されても腰から下に布をかけられて結合部分が見えないようにしてあったんだ。

配慮されてたんだほ。

そう、秘仏だったんだね。ただ、限られた僧侶とかには、こういうもののほうが力があると信仰されていた。

力がある?

力があるんだよ。
トーハクくん、怪獣みたいっていったよね。ヴァジュラバイラヴァのこの顔は水牛で、この水牛はヒンドゥー教の死神ヤマの象徴なんだ。


ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像の顔

西木研究員のブログに書いてあったほ。東寺展の大威徳明王騎牛像の水牛も確か・・・

そ、どっちも同じ死神ヤマを象徴したものだよ。水牛に乗っかっちゃったのが大威徳明王騎牛像、いっそ顔にしちゃえってのがヴァジュラバイラヴァだね。
結局、ヒンドゥー教よりも優れていることを広めるために、こうやって相手の概念を使わないと説明できなかったわけだ。

ヴァジュラヴァイラヴァはさらに奥さんも参戦したってわけなんだほ。

このチャクラサンヴァラ父母仏立像の足元もぜひ見てほしいなぁ、トーハクくん。
こっちは、ヒンドゥー教のシヴァ神夫婦を踏んでいる。

 
チャクラサンヴァラ父母仏立像 中国・チベットまたはネパール 15~16世紀 服部七兵衛氏寄贈

ヒンドゥー教のシヴァを踏んづけているってことで、ヒンドゥー教より優れた仏教だというのを表現したほ?

分かってきたね。
ヒンドゥー教の影響をうけて密教ができた、あるいはヒンドゥー教に対抗して密教ができた。
ここに皮肉があって、インドではヒンドゥー教のほうが圧倒的だったのは火を見るよりあきらかなのに、対抗してても結局その表現を借りないと、密教の優位性を説明できない。
けど、その時点でもう優位性がないってことになっちゃう。
この特集に展示してある仏像はすべて、そういう概念のもとに生まれた仏像なんだよ。

なんか密教の背景をちょっと知っただけで、もっとじっくり見たくなってきたほ。
西木研究員、抱き合ってる姿が最強ってことは、5歳のぼくが言うのもなんだけど、愛が最強かほ?

愛、ラブ、・・・(ふふっ)どうだろう。それについては秋にでもまた、お話ししたいね。
さあトーハクくん、広報大使として締めくくりの時間だよ。

ほほーい! 特集「密教彫刻の世界」は本館14室で6月23日(日)まで開催だほ。
初期密教は日本現存最古の十一面観音菩薩立像、中期密教の大日如来坐像、後期密教ならではのバジャバジャ父母仏立像(ヴァジュラバイラヴァね)などなど、まさに密教彫刻の世界が満載!
東寺展を見る前でも後でも、ちょーオススメだほ。

みなさんのご来館を、お待ちしてまーす!


カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻特集・特別公開トーハクくん&ユリノキちゃん

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posted by トーハクくん at 2019年05月17日 (金)

 

特集 中国の青磁―蒐集と研究の軌跡

こんにちは。中国陶磁を担当する三笠です。
突然ですが、平成26年(2014)は、トーハクにとって、そして未熟ながら中国陶磁を研究してきた私にとって、記念すべき1年でした。

その理由は第一に、東洋陶磁コレクションの寄贈者、横河民輔(1864~1945)の生誕150年にあたる年であったこと。1年の長きにわたり、東洋館5室において100件を超える横河コレクションの名品を展示しました。

第二に、特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」が開催され、台北故宮が所蔵する第一級の中国美術コレクションが公開されたこと。陶磁器は、4点の汝窯青磁(じょようせいじ)を筆頭に、宋時代から清時代までおよそ30点の優品がやってきました。

そして、この「神品至宝」展に合わせて、東洋館で横河コレクションの青磁作品とともに、特集「日本人が愛した官窯青磁」を開催したことです。この時、日本に伝わった貴重な汝窯青磁の盤が出品されました。翌年、トーハクに寄贈されたあの盤です!

青磁盤 中国・汝窯 北宋時代・11~12世紀 香取國臣・芳子氏寄贈
青磁盤 中国・汝窯 北宋時代・11~12世紀 香取國臣氏・芳子氏寄贈 東京国立博物館蔵
北宋王朝がつくらせたと伝わる稀少な汝窯の青磁。この盤は、1950年代に日本国内で発見され、のちに小説家の川端康成(1899~1972)が手にしたことでも知られます。


今回この1089ブログで紹介する特集「中国の青磁―蒐集と研究の軌跡」は、汝窯青磁が加わって一層の充実をみたトーハクの中国青磁コレクション形成の歴史を、蒐蔵品に沿ってたどるものです。とくに注目していただきたいのは、中国陶磁コレクションの中核を担う横河コレクションの寄贈(計7回行なわれ、第1回は昭和7年(1932)9月。)以前、おもに明治期の様相です。

まず、明治7年(1874)、トーハクの中国青磁第1号の蒐蔵品となったのは、こちらの作品でした。

青磁牡丹唐草文大瓶 中国・龍泉窯 明時代・15世紀 田中芳男氏寄贈
青磁牡丹唐草文大瓶 中国・龍泉窯 明時代・15世紀 明治7年(1874) 田中芳男氏寄贈 東京国立博物館蔵
室町時代以降に日本にもたらされ、寺院で荘厳の道具として使用されていたと考えられます。翠緑色の釉が美しい逸品です。


寄贈者の田中芳男(1838~1916)といえば、博物学者で「博物館の父」ともいわれる人物。博物館開設の礎となった明治5年(1872)の文部省博覧会に町田久成(1838~97)とともに携わり、のち長く草創期の博物館を率いました。田中による寄贈品は、文房具や万国博覧会の土産品のほか、銀貨や考古遺物、石碑など多岐にわたり、中国陶磁では本作品に加えて、現在重要文化財に指定されている元青花(げんせいか)の優品「青花魚藻文壺」が知られています。

ただし、当時、列品の増大を目指す博物館の蒐集は、寄贈ではなく購入が圧倒的な割合を占めていました。陶磁器には、寺院から流出したと思われる道具類や、古渡(こわたり)の茶湯道具、懐石道具などがみられます。それらのほとんどは日用品であり、今日の私たちの眼から見れば「鑑賞する」には程遠いものばかりです。

ところが、明治20年代以降になると購入品の性格が一変します。政治的な背景のもと、中国や朝鮮半島において採集、または現地で購入された作品が増加するのです。たとえば「青磁蓮唐草文瓶」のような高麗青磁の優品も、この頃博物館に蒐蔵されたものです。

青磁蓮唐草文瓶 朝鮮 高麗時代・12世紀 明治25年(1892)
青磁蓮唐草文瓶 朝鮮 高麗時代・12世紀 明治25年(1892)購入 東京国立博物館蔵
高麗青磁の最盛期、12世紀の一級品。2019年10月20日(日)まで東洋館5階10室にて展示中です。合わせてご覧ください。


そのような高麗青磁の購入品のなかに、中国青磁も交じっていました。蒐蔵当時は高麗青磁と考えられた耀州窯の「青磁印花唐草文碗」などです。

青磁印花唐草文碗 中国・耀州窯 北宋時代・11~12世紀 明治34年(1901) 青磁印花唐草文碗 中国・耀州窯 北宋時代・11~12世紀 明治34年(1901)
青磁印花唐草文碗 中国・耀州窯 北宋時代・11~12世紀 明治34年(1901)購入 東京国立博物館蔵
現在の陝西省銅川に発見された耀州窯は、北宋~金時代の華北地方を代表する青磁窯の一つ。優品は北宋から高麗へ贈答品として送られました。本作品もおそらくその一例で、高麗の貴人墓から見つかったものかもしれません。

さらに明治も末になると、古代の王陵が集中する中国の開封・洛陽間をつなぐ汴洛鉄道(べんらくてつどう・1904年着工)に象徴されるように、清朝末期に各地で行なわれた鉄道敷設工事にともなって漢、唐時代の遺物が地下から大量に発見されました。この頃の蒐蔵品には、たとえば三彩や加彩の俑のほか、岡倉天心の助手として中国へ渡った早崎稉吉(1874~1956)がもたらした唐~五代の「青磁壺」などがあります。

青磁壺 中国 唐~五代・10世紀 明治41年(1908)
青磁壺 中国 唐~五代・10世紀 明治41年(1908)購入 東京国立博物館蔵 ※本作品は展示されていません

そして、明治45年(1912)の春、開館したばかりの表慶館において、中国・朝鮮・日本の青磁を400点以上も集めた大規模な特別展覧会「和漢青磁器」が開催されるのです。

表慶館
東宮御慶事(大正天皇御成婚)奉祝記念として、明治42年(1909)5月に開館した表慶館。
総出品数400点以上って・・・いったいどんな展観だったのでしょうか。


この展覧会については、作品名と生産地、そして出品者を表記した目録(『明治四十五年特別展覧会列品目録』明治45年4月刊行)が残るのみ。残念ながら企画の背景や企画者についてはよくわかっていません。
しかしこの目録によると、帝室博物館(現、東京国立博物館)から52件、うち中国の青磁は28件出品されていました。写真が残らないため確かな照合は難しいものの、その多くは明治33年(1900)以降に蒐蔵されたものであることがわかりました。

明治33年といえば、帝室博物館の美術工芸部長兼美術部長に今泉雄作(1850~1931)が着任した年。昌平坂学問所に学び、明治10年(1877)にフランス・リヨンへ渡り、ギメ東洋美術館の客員をつとめたという人物です。帰国後文部省へ出仕し、東京美術学校(東京藝術大学美術学部の前身)や京都市美術学校(現、京都市立芸術大学)草創期の教育に携わったのち、博物館において美術行政に力を注いだことが知られます。

「横河以前の中国青磁蒐集に、今泉雄作あり!」

と、大きな声を挙げたいところですが、今泉が具体的に何を考え、なぜ青磁に注目したのか、ここから先の謎解きにはもう少し時間がかかりそうです。詳細は拙稿(「東京国立博物館の中国青磁コレクションと研究動向について」『東京国立博物館紀要』第54号、2019年3月)をご参照ください。

今回の特集では、当館の蒐集と研究の軌跡をたどりながら、横河コレクションをはじめとして、明治から平成までおよそ150年のあいだに東京国立博物館が蒐集した中国青磁のなかから、選りすぐりの名品を展示しております。時代や生産地によってさまざまに異なる魅力を放つトーハクの中国青磁を、たっぷりとお楽しみください。

特集 中国の青磁―蒐集と研究の軌跡

東洋館 5室
2019年4月23日(火)~ 2019年7月15日(月)
特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」 台北故宮 会場写真(塚本撮影)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 三笠景子 at 2019年05月14日 (火)

 

【国宝 東寺展】仏像曼荼羅の歩き方

こんにちは。彫刻担当の西木です。
特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」にはさまざまな見どころがありますが、やはり最後の展示室に展示されている東寺講堂の仏像群は欠かせません。

21体で構成される仏像群から、本展では史上最多である15体をお借りし、会場に講堂を再現しました。

 

会場風景

ところで、東寺講堂の仏像群は「立体曼荼羅」ともいいますが、古くは「羯磨(かつま)曼荼羅」と呼ばれました。
「羯磨」とは、本来「行為」を意味することばですが、そこから派生して仏の「動作」や「活動」、また「供養」といった、さまざまな意味が生まれました。
空海はその著作で何度も言及し、
「羯磨曼荼羅は、金属や木、土でつくる」(『即身成仏義』など)
と説明しているため、「立体曼荼羅」と言い換えて間違いありません。

そして、「曼荼羅」とは「仏を規則的に配置した図」のことですから、講堂の仏像群はまさに立体曼荼羅の代表といってよいでしょう。

本展で最大のポイントのひとつは、この立体曼荼羅を満喫できる点にあります。

もちろん、本尊の大日如来坐像や不動明王坐像など未出品の仏像もありますし、講堂の厳粛な雰囲気はやはり現地に行かなければ体感できません。

 

東寺講堂の様子

しかし!

お寺では、仏像はすべて高い須弥壇(しゅみだん)に整然と安置されるため、1体1体の仏像をじっくりご覧いただくのが難しいのも事実です。
会場では、仏像を360度からご覧いただけるように展示しているため、普段は決して見られない横顔や後ろ姿、台座まで見ることができます。

といっても、何となく通り過ぎてしまう方もおられると思います。

そこで、「見逃し厳禁!仏像曼荼羅の鑑賞ポイント」をいくつかご紹介します。


ポイント①
ハリのある菩薩の背中


    
国宝 金剛法菩薩坐像
平安時代・承和6年(839) 東寺蔵


いきなり背中で恐縮ですが、正面から拝しても肩幅が広く、ウエストの引き締まった菩薩たちは、背中もきちんと背筋が表わされており、弾力すら感じさせます。
プロポーションは、空海が中国から持ち帰ったであろうインド風の濃厚な下図に拠ったと思いますが、みずみずしい肉体や、写実的な衣のひだは、奈良時代の伝統を受け継ぐ官営工房の職人が手がけたからこその表現。


ポイント②
降三世明王の第4の顔


   
国宝 降三世明王立像
平安時代・承和6年(839) 東寺蔵 


降三世明王立像は、正面から見ても、顔が3つ、腕が8本という人間ばなれした姿ですが、
じつは後ろからみるともう一つ顔が!



光背から顔をのぞかせます。

明王という仏の種類は、インドの神さまの特徴を採用して生まれたと考えられますが、インドでは東西南北の四方に顔を向けるブラフマー神(梵天)のような神さまがいます。その特徴を取り入れたのでしょう。
降三世明王といえば、足元にシヴァ神夫婦を踏みつけることで有名なように、ヒンドゥー教をしのぐ力を持つことをアピールするために考え出されました。

 

シヴァ神夫婦については、ぜひ丸山研究員のブログをご参照ください。

ところが、さきほど述べた顔や手足が多い点や、青黒い身色、額に第三眼をもつところなど、結局はインドの神さまのような姿になってしまったのです。


ポイント③
大威徳明王の水牛のお尻


    
国宝 大威徳明王騎牛像
平安時代・承和6年(839) 東寺蔵 


大威徳明王坐像は、足が6本あるため、ひときわ異彩を放つ明王ですが、ぜひ乗り物にもご注目ください。
立派な体格の水牛がうずくまっております。

 

大威徳明王の脚が3本見えます。6本脚が衝撃的なためか、日本では六足尊とも呼ばれました。

水牛は、インドでは悪魔の使いと考えられ、神々に退治される役で知られます(コブ牛はシヴァ神の使いとされますので、対照的ですね)。また、死神であるヤマ神(閻魔天)の乗り物でもあります。
一方、大威徳明王はそのヤマ神を倒すために生み出された仏で、大威徳明王のサンスクリット語名はなんと「ヤマーンタカ(ヤマを倒すもの)」です。
降三世明王もそうでしたが、密教では倒したい相手の特徴を取り入れることがよくあり、大威徳明王も、ヤマ神の乗り物である水牛に座ります。

それはともかく、見てください、この水牛のプリッとしたお尻!

 


尻尾もくるっと丸まって愛らしいですね。
いつもは五大明王のなかでも向かって左奥にいるため、今こそ水牛を愛でるチャンスです。


いささかマニアックな視点になってしまいましたが、これもあくまでごく一部。
ぜひみなさんでご自分のイチオシポイントを見つけてください。

そして、仏像をご覧になる際には、ぜひ目の前の仏像だけでなく、視線を少し周りにめぐらせてください。
そうすると、自分が「仏像曼荼羅のなかにいる」ことに気づかれるはず。

空海は曼荼羅の説明のなかで「曼荼羅の仏は整然と森の木のように並び」(『性霊集』)と書いています。

そう、今なら「仏像曼荼羅の森」に入ることができるのです。
こんな機会、もう二度とないかもしれません。

62日間限りの曼荼羅体験、ぜひお見逃しなく!!



また、本館14室では特集「密教彫刻の世界」を6月23日(日)まで開催しております。
トーハクが誇る密教彫刻の数々を、ご寄託品も含めて大公開!
特別展「国宝 東寺」を見終わったら、本館にもぜひお立ち寄りください。

今後1089ブログでも取り上げる予定なので、あわせてご覧いただければ幸いです。

カテゴリ:研究員のイチオシ2019年度の特別展

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posted by 西木政統 at 2019年05月08日 (水)

 

親と子のギャラリー ツノのある動物

連日、特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」(~2019年6月2日(日))で多くのお客様でにぎわっている平成館。
その平成館1階の“一角”にある企画展示室にて、特集「親と子のギャラリー ツノのある動物」が開催中です(~2019年5月26日(日))。



この特集は、東京国立博物館(トーハク)、東京都恩賜上野動物園、国立科学博物館の3館園連携事業「上野の山で動物めぐり」の一環として企画したものです。
これまでのテーマは、ひとつの動物にターゲットをしぼったものでした(過去のテーマは、サルキジ科の鳥トラなどです)。
しかし、13回目となる今回のテーマは、趣向を変えて「ツノのある動物」です。

シカやウシ、サイなどの動物に生えている「ツノ」。
みなさんは、「ツノ」に対してどんなイメージをお持ちでしょうか。
かっこいい? 強そう? はたまた、怖い?

自分たちには生えていない「ツノ」に対して、ヒトはイメージをふくらまし、美術工芸品のモチーフとしたり、自分たちが使う道具の材料としたりしてきました。
約12万件あるトーハクの所蔵品のなかの「ツノ」にまつわる作品とともに、そうした「ツノ」とヒトの関係をご覧いただきます。


第1部「ツノを見比べよう!」では、「ツノ」のある動物であるシカ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、サイをモチーフにした作品を集めました。
見比べてみると、「ツノ」の形や大きさがさまざまであることがわかります。
「ツノ」のある動物を昔のヒトたちがどのように捉えて、表現したのかご覧ください。


「谷の覇者」 原本:エドウィン・ヘンリー・ランドシーア筆 19世紀 グラスゴー博物館寄贈

今回、ウェブサイトやリーフレットなどで大活躍のこのシカは、幾重にも枝分かれした太い立派な「ツノ」をもっています。
展示している作品は印刷ですが、その原本はスコットランドを代表する油彩画のひとつで、ウイスキーのラベルデザインにも採用されています。


第2部「ツノが○○に大変身!」では、ヒトの創造力と想像力をご覧いただきます。
ヒトは、「ツノ」のある動物に出会い、その生態を観察するなかで、「ツノ」にヒトがもっていない特別な力を感じとりました。
そして、その特別な力をヒトの生活に取り入れるため、動物の「ツノ」を加工した美術工芸品をつくり上げたり、ツノのある実在の動物や空想の動物を神聖なものとしたりするようになります。
動物の「ツノ」が、ヒトの創造力と想像力によってどのような姿に変身していったのか、ぜひ展示室でご確認ください。


蓮華葡萄彫犀角杯 中国 清時代・18世紀 広田松繁氏寄贈

1本のサイの「ツノ」から彫り出された、蓮の花とブドウと唐草。とても優美かつ繊細で、その技術に驚嘆します。


風神雷神図(模写) 原本不詳 鶴沢守保模写 明治時代・19世紀

紙面いっぱいに描かれている自然を操る風神と龍。ヒトの力ではどうすることもできない自然の脅威を、「ツノ」のある恐ろしい姿で表現しています。


今回は、展示デザインも見どころです。
トーハクに何度も足を運ばれている方は、会場に入ると、いつもの企画展示室と雰囲気が大きく違うと思われるのではないでしょうか。


展示室内の様子
解説文や展示室の中央にあるアーチなど、春らしいラズベリー色で統一しました。


作品を見ているときに、いつもと少し目線が違うかもしれません。
「親と子のギャラリー」として、小さなお子さんが作品を見やすいように、展示台の高さをわざと低めにしています。
また、解説はお子さんもわかりやすいように、できるだけ平易なことばを使い、漢字にはふりがなを振るように心がけました。
子どもが見やすい展示とはどのようなものか、考える良い機会でもありました。


今回の特集は、普段の総合文化展ではなかなか一緒に展示されることのない、さまざまな分野、素材、地域の作品たちが、「ツノ」というテーマのもと、同じ空間に集結する今までにない機会です。
なかには、あまりお客様の前には出ない作品もあります。

さまざまな「ツノ」を探しに、ぜひ会場にお越しください。



展示室入口
よく見ると、角角角角角角角角角角……とたくさんの「ツノ」が!

 

親と子のギャラリー ツノのある動物
平成館 企画展示室 2019年4月16日(火)~2019年5月26日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ教育普及特集・特別公開

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posted by 阿部楓子(教育講座室) at 2019年04月26日 (金)