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東京国立博物館の寒山拾得図

本館特別1室では、11月5日まで、特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」を開催しています。本展示は、表慶館で開催中の「横尾忠則 寒山百得」展(~12月3日)の関連展示となります。

 
特集「東京国立博物館の寒山拾得図」展示風景
 
 
寒山と拾得は、中国、唐の時代に、天台山国清寺(浙江省)に住みついて、雑事をしていたという、伝説的な2人の人物です。
風変わりないでたちで、普通の人には理解できない言葉や行為を繰り返していたといい、現世や堕落した仏教界を批判するような内容の、寒山作という詩がのこっています。
のちに、常識にとらわれない生きざまや反骨精神が、禅の世界で尊敬されるようになり、中国ほか東洋絵画の主題として人気を博していきます。数百年にわたって、さまざまな画家が、いろいろに趣向を凝らしてこの画題をえがいてきたのです。
 
このブログでは、当館が所蔵する多くの寒山拾得図から、対照的な2つの名品を紹介してみようと思います。
 
 
 
重要文化財 四睡図
平石如砥、華国子文、夢堂曇噩賛 中国 元時代・14世紀 10月9日まで展示
 
 
「四つのねむり」と名付けられた作品です。画面下ほどに、身を寄せ合って眠る3人の人物と1匹の虎が見えるでしょう。
 
 
  
四睡図(部分)
 
 
左奥の僧侶は、寒山拾得と交流のあった、豊干(ぶかん)という唐時代の高僧で、どう猛な虎を手なずけていたという逸話が知られています。本作の豊干も、かわいらしい寝顔を見せる虎のふわふわの毛皮にもたれて眠っているようです。
その手前で体を絡ませあっているのが寒山と拾得。子どものような寝相ですが、顔にはしっかりと人生の年輪が刻まれています。
 
 
 
四睡図(部分)
 
 
人物の目鼻立ちや頭髪、衣は、非常に細く、緊張感のある墨線であらわされます。このように原則として色を用いない、線が主体の画法は、「白描(はくびょう)」と呼ばれます。
白描は、その清らかな趣から、文人士大夫(ぶんじんしたいふ)、そして彼らと趣味を同じくする禅の世界で愛された画法でした。元時代には特に、レース編みのように精緻な描写を誇る、技巧的な白描が流行します。本図もそのような流れのなかで制作された作品でしょう。
 
 
四睡図(部分)
 
 
背景の岩や地面に引き重ねられた細い波線、松の幹を埋める小さな渦、キノコのような霞の形態は、唐や宋時代などの、より古い時代の絵画を連想させるもので、本作に古めかしくみやびな印象を与えています。
 
 
重要文化財 寒山拾得図 
伝顔輝筆 中国 元時代・14世紀 10月11日から11月5日まで展示
 
 
古めかしく清らかでみやびな「四睡図」に対して、元時代の職業画家、顔輝筆という「寒山拾得図」は、どきつく、得体の知れない不気味さを伝える作品です。
2幅1対の右に腕を組む寒山、左に箒を持つ拾得をえがきます。2人はぼさぼさの髪で、目と口を三日月形にし、白い歯をむき出し、赤い舌をのぞかせて大きく笑っています。
 
 
寒山拾得図(部分)
 
 
目元や口元、小鼻などの輪郭には、墨線と色線が丁寧に重ねられ、生々しい肉体の実在感が表現されます。
対照的に、衣の線は太い筆であらあらしく引かれ、2人の高い精神性が抽象的に伝えられます。
 
 
寒山拾得図(部分)
 
 
寒山拾得は視線を鑑賞者に合わせ、やや身をかがめて、2人の世界に迎え入れるように虚空のなかに立っています。私たちが作品を見ているときには、作品もまた私たちを見ているのだということを感じ、どこか居心地悪くなりますが、このように、鑑賞者に内省を促すような表現が本作の最大の魅力と言えるかもしれません。
 
展示会場では、ここにご紹介したもの以外にも、さまざまな寒山と拾得がみなさまをお待ちしております。この機会にお気に入りの寒山拾得図を見つけていただければ幸いです。

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡絵画

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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2023年09月25日 (月)

 

仏画に描かれた自然景

こんにちは、研究員の古川です。
本館3-1・3-2室で特集「仏画のなかのやまと絵山水」(9月20日(水) ~ 12月3日(日))が始まりました!


特集「仏画のなかのやまと絵山水」の展示風景

本特集は、平成館で開催される特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(10月11日(水)~12月3日(日))に合わせ、仏画とやまと絵のかかわりについてご覧いただこうと企画しました。

平安時代に遡る二つの作例をご紹介しましょう。
11世紀に描かれた当館所蔵の国宝「十六羅漢図」は「第七尊者」(10月29日(日)まで展示)(図1)や「第十五尊者」(10月31日(火)から展示)(図2)の背景に自然が描かれています。
羅漢とともに描かれた建物や人物、動物を見ると、中国・唐時代の羅漢図の系譜に連なることが分かりますが、自然表現、とりわけ岩の形や樹木の描写は柔らかく、羅漢の温かみのある彩色と相まって、穏やかな雰囲気のある、情趣あふれる表現となっています。

図1 国宝 十六羅漢像(第七尊者)
平安時代・11世紀
図2 国宝 十六羅漢像(第十五尊者)
平安時代・11世紀


また、同じく11世紀に制作された作例に、藤原頼通が造営した平等院鳳凰堂壁扉画が挙げられます。展示では、江戸時代後期に活躍した田中訥言(たかなとつげん、1767~1823)が描いた模本をご覧いただきます。
本尊の阿弥陀如来像にちなみ、壁扉画には阿弥陀如来の来迎図などが描かれます。図様を見ると来迎する阿弥陀如来一行は、自然景とともに描かれ、山並みは丸みのある穏やかな景色です。仏を描く線は伸びやかで、緑の淡彩が美しい模本です。


平等院鳳凰堂壁画(模本)の展示風景

この他、「春日本地仏曼荼羅図(かすがほんじぶつまんだらず)」(10月29日(日)まで展示)や「諸尊集会図(しょそんしゅうえず)」(10月29日(日)まで展示)のような、仏の姿と自然が融合した、鎌倉時代の作例も展示しています。
展示作品に見られる自然景、すなわち山水は、なだらかな山並みに桜や紅葉、松や杉の樹木が描かれ、日本で見られる景色を描いています。この、日本で見られる身近な景色というのが、やまと絵の山水表現の重要な特色です。

仏画にはさまざまな種類があります。例えば、両界曼荼羅のように仏の姿が規則的に並ぶ作例では、背景は描かれません。一方、平等院鳳凰堂のように阿弥陀如来が現れる様子を描く来迎図や、日本各地の土地に根差した神の姿を仏の姿を借りて描く垂迹画(すいじゃくが)では、自然が背景に表されることが多い仏画です。こうした自然景を描くに際し、仏画の描き手たちはやまと絵の山水表現を大いに学んだことがうかがえます。
仏の姿に注目が集まる仏画ですが、背景に着目すると、同時代のやまと絵との関係が見えてきます。

特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」では日本美術史の王道たるやまと絵の名品がたくさん展示されます。
仏画とやまと絵との関わりについて、じっくり考えてみたいと思います!

 

カテゴリ:特集・特別公開絵画

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posted by 古川攝一(日本絵画) at 2023年09月22日 (金)

 

雲の合間にみえるもの

東洋館8室で開催中の特集展示「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」(2023年10月22日まで)に関して、今回は漆器のご紹介。
常盤山文庫のコレクションからは、薄造りの凛とした器形に、良質の漆を丁寧に塗り重ねた、宋時代のすぐれた漆芸の姿を窺うことができます。


彫漆雲文水注(ちょうしつうんもんすいちゅう )
南宋時代・12~13世紀 公益財団法人常盤山文庫蔵
[展示中、10月22日まで]

なかでも、今回とくに推したいのがこちらの水注です。一見して、どんな感想を持たれるでしょうか?
時計回りにぐるぐると回る渦巻文様がびっしりと彫り込まれる様子は、日本の造形伝統から見ればいかにも異様と映るかもしれません。
よく見ると単純な渦巻ではなく、漫画のフキダシのように弧状の短い線をつなげて作られた雲の形であることがわかります。つまりは「雲文」です。


彫漆雲文水注 雲文の拡大写真

雲文であることがわかるくらいまで近づくと、はじめてこれが赤と黒の漆層からできていることが見えてきます。
彫りが深いところで色漆層の数を数えてみると、赤、黒と交互に12層を重ねています。念のため申し上げておきますと、これは12回しか塗っていないということではなく、各色の1層を作るために何回も塗り重ねる必要があるので、実際に塗った回数はその数倍となります。

この漆層を綿密に、彫り目の色がよく見えるように幅広く彫っています。せっかく12層もの色漆層をつくったのだから、これは見せたいところですね。
複雑な形状の雲文を一つ一つ深く彫り込んでいくのは相当な手間ですが、工人の気持ちになって彫りの流れを目で追っていくと、なんとなく楽しく彫っていたのではないかという気がしてきます。すべての雲文はまったく同じ形はなく、厳格に決まった型通りの意匠というよりアドリブを交えた、のびのびとした仕事です。ざわざわと迫りくるような文様の生命感は、こうした力強く奔放なひと彫りひと彫りが集まって形成されたものと言えるでしょう。

ところで、この作品は宋時代の彫漆としては例のない姿をしています。本作のような金属胎(きんぞくたい)の彫漆自体は珍しいものではありませんが、腹部の膨らんだ長頸瓶(ちょうけいへい)に円座状の高台を持たせ、把手と注口をつけたような形状の彫漆器は他に見られません。この形はどこから来たのか。
この問題に関しては、X線撮影やCT撮影によってかなりのヒントがもたらされています。

たとえば注口の根本に近い部分を見ると、花の蕊(しべ)のような装飾があります。


彫漆雲文水注 注口部の拡大写真

本体の意匠から見るとやや唐突な観のある装飾ですが、今回CT撮影を通して詳しく調べたところ、注口の基部には本来、花形座があったことがわかりました。

彫漆雲文水注注口部のCT画像(撮影:宮田将寛)

下の画像は別作品ですが、イメージとしてはこんな感じでしょうか。


銅布薩形水瓶 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
(注)この作品は展示されておりません。


どこかの時点で注口部の修理が必要となり、この花形座は覆われることとなったようです。また把手より上の部分はすべて後補であること、高台部分は金属胎が折り畳まれたような、通常ではありえない状態であることなども明らかとなっており、これらを考慮すると、本作は伝世の過程で複数回の大規模な補修・改変が行われていることが推察されます。

それでは製作当初はどんな姿をしていたのでしょうか。
補修・改変の過程や理由を含め、全体像はまだまだ雲の中にあり、明確に判明したとは言えません。多くの謎と可能性を秘めている点もまた、本作の大きな魅力の一つなのです。

特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」会場に展示される彫漆雲文水注
展示会場の様子

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開工芸

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posted by 福島修(特別展室) at 2023年09月21日 (木)

 

上野に金色堂!? 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」のご紹介

2024年1月23日(火)~4月14日(日)、本館特別5室で、建立900年 特別展「中尊寺金色堂」を開催いたします。
 
本展ポスタービジュアル
 
中尊寺は岩手県平泉町にある、本坊と山内17ヶ院の支院で構成される寺院です。
参拝入口から月見坂と呼ばれる参道を登っていくと、自然豊かな境内の中に、本堂をはじめとする諸堂を見ることができます。
参道を進み、左手に見えるのが宝物館である讃衡蔵(さんこうぞう)で、その先の小高くなっているところに位置するのが現在の覆堂(おおいどう)です。
昭和まで金色堂は旧覆堂(重要文化財)の中にありましたが、金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在の覆堂内に移築されました。
 
 
中尊寺風景・夏(金色堂覆堂)
国宝 中尊寺金色堂(中央壇)
 
国宝・中尊寺金色堂は、天治元年(1124)藤原清衡(ふじわらのきよひら、1056~1128)によって建立された東北地方に現存する最古の建造物で、2024年に上棟(じょうとう)から900年を迎えます。
本展は、これを記念して開催するものです。
 
去る7月4日(火)、平成館大講堂で報道発表会を行いました。
 
報道発表会の様子
 
最初に、主催者である中尊寺貫首奥山元照(おくやまげんしょう)氏と、当館副館長富田淳がご挨拶いたしました。
 
天台宗東北大本山中尊寺貫首 奥山元照氏
当館副館長 富田淳
 
奥山貫首は、清衡が2つの合戦で自身の家族を亡くしたことをきっかけに金色堂を建立したことに触れ、「戦いによって失われた尊い命を、敵味方の隔てなく極楽浄土に導きたいという願いが金色堂の輝きには込められている。ひとりでも多くの方に東京国立博物館に足を運んでいただき、清衡の平和への願いを感じ取ってほしい。」とお話しくださいました。
 
富田からは、本展では金色堂中央壇上の国宝仏像11体そろってはじめて寺外で公開すること、また8KCGにより金色堂を原寸大で再現することをご紹介いたしました。
 
 
続いて、本展の2つの見どころを、当館主任研究員児島と、NHK メディア総局・第1制作センター統括プロデューサー国見氏より解説いたしました。
 
当館学芸研究部東洋室
主任研究員 児島大輔
NHK メディア総局・第1制作センター
統括プロデューサー 国見太郎氏
 
 
解説に沿って、本展のみどころをご紹介しましょう。
 
【みどころ1】中央壇上の国宝仏像11体をそろって展示
金色堂内には3つの須弥壇(しゅみだん、中央壇・西北壇・西南壇)が設けられており、その内部に奥州藤原氏の遺体が納められています。
中央壇内部の棺に眠るのが、奥州藤原氏初代にして金色堂を建立した藤原清衡です。本展ではこの中央壇上に安置される国宝の仏像11体をそろって公開します。
 
国宝 阿弥陀如来坐像 平安時代・12世紀
岩手・中尊寺金色院蔵
ふっくらと穏やかで優美な姿が特徴
国宝 増長天立像 平安時代・12世紀
岩手・中尊寺金色院蔵
腰が引き締まり動勢の激しい姿が特徴
 
 
 
【みどころ2】超高精細な8KCGで実物大の金色堂を大型ディスプレイ上に再現
超高精細8KCGにより、金色堂と壇上の仏像をはじめとする堂内空間を、幅約7mの大型ディスプレイ上に原寸大で再現します。
普段ガラスの外からしか拝観できない金色堂を、8KCGにより、まるで堂内に入ったかのように細部まで鮮明にご覧いただけます。
この世の浄土ともいうべき輝きに満ちた信仰空間を体感してください。
 
 
  
8KCGで再現した中尊寺金色堂 ©NHK
 
 
世界遺産平泉の黄金文化を上野でお楽しみいただける、またとない機会となっています。
会期は2024年1月23日から。どうぞご期待ください!
 

カテゴリ:「中尊寺金色堂」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2023年09月19日 (火)

 

特別展「京都・南山城の仏像」開幕!

浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」がいよいよ9月16日(土)より開幕します。


会場入り口

皆さんは「南山城(みなみやましろ)」をご存じですか?

「南山城」とは、京都府の最南部、奈良市に隣接する地域のことです。旧国名の「山城国(やましろのくに)」にちなんで「南山城(みなみやましろ)」と呼ばれています。

現在はお茶の産地として知られていますが、歴史的には数々の寺院が建てられた仏教の聖地でもありました。
南北に流れる木津川(きづがわ)に育まれた自然豊かなこの地には、京都と奈良、両方の文化の影響を受けて独自の仏教文化が花開いたのです。

本展の見どころ、阿弥陀如来坐像を含む九体阿弥陀(くたいあみだ)が安置されている浄瑠璃寺(じょうるりじ)も、もちろんこの地にあります。

京都から電車を乗り継ぎ、加茂駅からバスに揺られること30分。

山あいを進んだのどかな場所に浄瑠璃寺があります。


浄瑠璃寺九体阿弥陀堂 画像提供:飛鳥園

平安時代中期、仏の教えが正しく伝わらなくなる時代が来るという、末法思想(まっぽうしそう)が広がりました。そのため阿弥陀如来が住む極楽浄土に生まれ変わることを願う信仰が隆盛します。

教えによると現世での行いによって9段階の極楽往生の方法があるとされ、この9通りの往生の仕方を表した9体の阿弥陀如来像(九体阿弥陀)が作られました。


国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 京都・浄瑠璃寺 画像提供:飛鳥園 

当時(平安時代)の彫像とお堂が現存するのは浄瑠璃寺のみで、九体寺(くたいじ)とも呼ばれています。

このたび、明治以来およそ110年ぶりに、九体阿弥陀の大規模な修理が行われました。

特別展「京都・南山城の仏像」はその修理事業の完成を記念して開催されます。
いつもは浄瑠璃寺でしか見ることができない九体阿弥陀ですが、会場ではそのうちの1体を間近でご覧いただけます。


国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺


左)国宝 多聞天立像(四天王のうち) 平安時代・11~12世紀、(中央)国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀(右)国宝 広目天立像(四天王のうち) 平安時代・11~12世紀、すべて京都・浄瑠璃寺

さらに、本展では平安時代に作られた国宝・重要文化財を含む仏像18件(展示替えを含む)を展示します。

奈良の大寺院や中央貴族と結びつきを強めたこの時代には、優れた仏像が数多く作られました。出品作を通じて、およそ400年におよぶ平安時代彫刻の変遷を見渡すことができます。


重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 京都・海住山寺

明快に刻まれた十一面観音菩薩立像の衣のひだ


重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・10世紀 京都・禅定寺


(左)降三世明王立像、(中央)重要文化財 千手観音菩薩立像、(右)金剛夜叉明王立像、すべて平安時代・12世紀 京都・寿宝寺


実際に千本に迫る脇手を表現した千手観音菩薩立像

木津川流域の山岳寺院ゆかりのお像や、鎌倉時代に奈良で活躍した慶派(けいは)仏師の阿弥陀如来立像も見逃せません。


重要文化財 不動明王立像 平安時代・12世紀 京都・神童寺


 重要文化財 阿弥陀如来立像 行快作 鎌倉時代・嘉禄3年(1227) 京都・極楽寺

浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」は2023年11月12日(日)まで、本館特別5室で開催します。


会場の様子

本展をご覧になったあとは、ぜひ南山城へも足をお運びください。 

カテゴリ:news彫刻「京都・南山城の仏像」

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2023年09月15日 (金)