上野に金色堂!? 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」のご紹介
カテゴリ:「中尊寺金色堂」
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posted by 天野史郎(広報室) at 2023年09月19日 (火)
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」がいよいよ9月16日(土)より開幕します。
会場入り口
皆さんは「南山城(みなみやましろ)」をご存じですか?
「南山城」とは、京都府の最南部、奈良市に隣接する地域のことです。旧国名の「山城国(やましろのくに)」にちなんで「南山城(みなみやましろ)」と呼ばれています。
現在はお茶の産地として知られていますが、歴史的には数々の寺院が建てられた仏教の聖地でもありました。
南北に流れる木津川(きづがわ)に育まれた自然豊かなこの地には、京都と奈良、両方の文化の影響を受けて独自の仏教文化が花開いたのです。
本展の見どころ、阿弥陀如来坐像を含む九体阿弥陀(くたいあみだ)が安置されている浄瑠璃寺(じょうるりじ)も、もちろんこの地にあります。
京都から電車を乗り継ぎ、加茂駅からバスに揺られること30分。
山あいを進んだのどかな場所に浄瑠璃寺があります。
浄瑠璃寺九体阿弥陀堂 画像提供:飛鳥園
平安時代中期、仏の教えが正しく伝わらなくなる時代が来るという、末法思想(まっぽうしそう)が広がりました。そのため阿弥陀如来が住む極楽浄土に生まれ変わることを願う信仰が隆盛します。
教えによると現世での行いによって9段階の極楽往生の方法があるとされ、この9通りの往生の仕方を表した9体の阿弥陀如来像(九体阿弥陀)が作られました。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 京都・浄瑠璃寺 画像提供:飛鳥園
当時(平安時代)の彫像とお堂が現存するのは浄瑠璃寺のみで、九体寺(くたいじ)とも呼ばれています。
このたび、明治以来およそ110年ぶりに、九体阿弥陀の大規模な修理が行われました。
特別展「京都・南山城の仏像」はその修理事業の完成を記念して開催されます。
いつもは浄瑠璃寺でしか見ることができない九体阿弥陀ですが、会場ではそのうちの1体を間近でご覧いただけます。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺
(左)国宝 多聞天立像(四天王のうち) 平安時代・11~12世紀、(中央)国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀、(右)国宝 広目天立像(四天王のうち) 平安時代・11~12世紀、すべて京都・浄瑠璃寺
さらに、本展では平安時代に作られた国宝・重要文化財を含む仏像18件(展示替えを含む)を展示します。
奈良の大寺院や中央貴族と結びつきを強めたこの時代には、優れた仏像が数多く作られました。出品作を通じて、およそ400年におよぶ平安時代彫刻の変遷を見渡すことができます。
重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 京都・海住山寺
明快に刻まれた十一面観音菩薩立像の衣のひだ
重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・10世紀 京都・禅定寺
(左)降三世明王立像、(中央)重要文化財 千手観音菩薩立像、(右)金剛夜叉明王立像、すべて平安時代・12世紀 京都・寿宝寺
実際に千本に迫る脇手を表現した千手観音菩薩立像
木津川流域の山岳寺院ゆかりのお像や、鎌倉時代に奈良で活躍した慶派(けいは)仏師の阿弥陀如来立像も見逃せません。
重要文化財 不動明王立像 平安時代・12世紀 京都・神童寺
重要文化財 阿弥陀如来立像 行快作 鎌倉時代・嘉禄3年(1227) 京都・極楽寺
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」は2023年11月12日(日)まで、本館特別5室で開催します。
会場の様子
本展をご覧になったあとは、ぜひ南山城へも足をお運びください。
カテゴリ:news、彫刻、「京都・南山城の仏像」
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2023年09月15日 (金)
現在、東洋館8室で開催中の特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」では、「茉莉花図」が9月24日(日)まで展示されています。
このブログではこの作品について、少し詳しく説明してみようと思います。
重要文化財 茉莉花図(まつりかず)
伝趙昌筆 南宋時代・12~13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
[展示中、9月24日まで]
インド、アラビア原産の茉莉花(=ジャスミン)は、中国でも古くから知られていましたが、これを楽しむ風潮が普及したのは北宋・南宋時代(960~1279)といいます。清潔な白い姿と馥郁(ふくいく)たる香が文人士大夫たちに愛されて詩文に詠まれ、庭園での栽培や、髪飾りとしての利用が流行しました。薬効も知られるようになり、茉莉花茶を始め、飲食にも用いられました。
茉莉花が絵画に描かれるようになる背景には、このような宋時代における愛好文化の盛り上がりがあったのでしょう。
「茉莉花図」は、小さな画面に枝先のみを描く、折枝(せっし)と呼ばれるタイプの花卉図(かきず)です。現在の掛軸表装は日本でされたもので、もとは画冊の一頁、あるいは団扇であったと推測されています。
南宋の宮廷では、小画面の折枝図制作が盛んに行われますが、本作もその頃の作と考えられています。
細部をよく観察してみましょう。花や葉、枝はそれぞれ複雑に重なり、奥行が意識されています。花の角度や葉の翻り方にも細かな差異がつけられます。
また、左上の蕾は、中央下ではやや開き、右上で満開になっており、時間の経過に伴う花の姿の変化も考慮されています。
茉莉花図
葉は、墨の輪郭線を目立たせる鉤勒法(こうろくほう)、花は輪郭線を白く塗り込める没骨法(もっこつほう)で表現し、それぞれの質感の違いを見せています。葉脈から周縁にかけての緑のグラデーションや、花びらのふちにかけられたうすい青緑など、彩色も非常に丁寧です。
茉莉花図(部分)
日本の人々は、このような精緻で可憐な南宋の折枝図を大変好んできました。「茉莉花図」の伝来は古く、室町時代、足利将軍家所蔵品目録『御物御画目録』「小二幅」の項に記載される「花 趙昌」のうちの一幅であったと考えられています。
御物御画目録(部分) 伝能阿弥筆 室町時代・15世紀 東京国立博物館蔵
(注)本作品は展示されていません。
また、複数の文献から、山上宗二(やまのうえそうじ、1544~90)ら安土桃山時代の茶人たちの間で、菊屋樵斎(きくやしょうさい)という人物所蔵の逸品として評判であったことがわかっています。現在の表装はそのときのものとほぼ同じです。
さらに、本作には17世紀頃に記されたと想定される「趙昌花之絵由緒書」が付属しています。これには、菊屋樵斎所蔵時に豊臣秀吉(1537~98)の参加した茶会に供されて称賛され、その後菊屋家代々の名物として伝えられたのち、東本願寺の宣如(せんにょ、1604~58)から徳川将軍家に献上されたという由緒が記されています。
趙昌花之絵由緒書(茉莉花図付属)
[展示中、9月24日まで]
卓越した表現と華麗な来歴を誇る「茉莉花図」は、まさに常盤山文庫を代表する逸品です。この機会にぜひ会場でご堪能いただければと思います。
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2023年09月14日 (木)
特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」(東洋館8室にて、2023年10月22日まで)では、これまでお目にかける機会の少なかった常盤山文庫コレクションの工芸作品も多くご覧いただけます。
特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」展示風景
私が初めて、常盤山文庫の菅原春雄(1930~2019)前理事長にお会いしたのは大学院生の時でした。
文学部の美術史学専攻では、授業は作品中心、つまりその作品はいつ誰がどこでどのような背景のもとにつくったのか、そしてそれは歴史の中にどのように位置づけることができるのかという基礎的な内容が中心でした。
そのため、世の中に美術品を蒐集(しゅうしゅう)していた、またはいま現在蒐集している人がいるということはわかっていても、大学院生になるまで蒐集家の方を直接知る機会はありませんでした。
最初は、青山のご自宅で「送海東上人帰国図」(9月26日から展示)を床にかけ、その前に青磁袴腰香炉(今回未出品)を置いていただきました。
青磁袴腰香炉 中国・龍泉窯 南宋時代・13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
(注)本作品は展示されておりません。
当時は陶磁器を研究しなければという焦りで頭がいっぱいの日々でしたが、船に乗って中国を離れる友人に別れを惜しみ無事を祈る人びとが描かれたなんとも素敵な絵と、同時代の美しい青磁がいまもこのように日本で大切にされていることに感動し、なぜかふっと心が軽くなった記憶があります。
以来、博物館に着任した後も陶磁器研究会の末席に加えさせていただき、ご縁があっていろいろなご所蔵品を楽しく拝見しました。
同時に、春雄氏から古美術を蒐蔵(しゅうぞう)することの重みを教えていただいたように思います。
常盤山文庫のコレクションが当館に寄託される以前のことですが、春雄氏がご所蔵の「青磁鳳凰耳花入」(9月26日から展示)を館に持って来られたことがありました。
青磁鳳凰耳花入(せいじほうおうみみはないれ) 中国・龍泉窯 箱書 金森宗和 南宋~元時代・13世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
(9月26日から展示)
ちょうど2000年から2010年代にかけて、中国で越窯(えつよう)や官窯(かんよう)、汝窯(じょよう)などの窯跡発掘成果が報告され、宋時代の青磁研究への関心が高まった時期でした。日本では、江戸時代以来もっとも美しいと評価されてきた「砧(きぬた)」青磁にあらためて注目が集まりました。
そのような頃、春雄氏と一緒に、自然光の入る当館の会議室で鳳凰耳花入と東博所蔵の青磁などを比較したのですが、龍泉窯最盛期の優品である常盤山文庫の鳳凰耳花入の美しさが際立って見えました。
この時の感動は春雄氏もしばらく忘れがたいものであったようです。孫くらい年の離れたひよっこの私に何度かお電話いただきました。
「あれはほんとうに良かったよねえ」
「やっぱりさ、自然光で見ないとダメなんだよな」
いまも声が聞こえるようです。
こうした青磁研究会がきっかけとなり、
2014年当館で開催した特別展「台北國立故宮博物院 神品至宝」で台北故宮収蔵の汝窯・官窯青磁が展観されるのにあわせて、常盤山文庫と当館の共同による特集「日本人が愛した官窯青磁」(東洋館5室)の展示を行ないました。
このとき、特集にご出品いただいた香取芳子様所蔵の青磁盤がのちに当館に寄贈されることになりました。
戦後まもなく国内で発見され、川端康成が所持した貴重な北宋汝窯の作例です。
当館の中国陶磁コレクションに欠かすことのできない逸品であることは言うまでもありません。
付属の箱の蓋裏には、川端康成が「康成」と珍しく自ら名前を書き付けています。
亡くなられたお母様がこの盤の入手にあたって川端に箱書きをお願いされた、という貴重なエピソードを香取様のご子息からうかがいました。
ちなみに、この汝窯盤を手にされたのは昭和43年(1968)のことだったそうです。ひとりの若い女性の慧眼にも驚かされます。
じつは香取芳子様は、現在常盤山文庫が所蔵する青磁盤(展示中。10月22日まで展示)の旧蔵者でもありました。
この作品もやはり川端康成が手にしたもので、未だ解明されていない南宋期龍泉窯、および官窯の青磁の実態を探るうえで重要な手がかりとなるであろう作品です。
香取様はこの鉢を手放された後、青磁蒐集で知られた常盤山文庫の菅原春雄氏が次に入手されたことを知り、とても喜んでおられたそうです。
これら二つの盤は、宋時代を象徴する第一級の美しさをそなえており、日本人が見いだして今日まで大切に伝えてきたという事実は私たちにとって大変心強いものです。
人と作品。このような出会いと縁を大切にしながら、未来へ文化財を伝えていく使命があると痛感する日々です。
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posted by 三笠景子 at 2023年09月11日 (月)
まずはこの箱をご覧ください。
河口慧海請来風俗資料 19~20世紀 宮田恵美氏・上原スミ氏・水谷マサ氏寄贈
アクセサリーや、お金、数珠など、3つの箱にいろいろなものが丁寧に収められていて、まるで宝箱のようです。
それぞれに名前を書いた小札も貼られていて、この箱を整理した人は、とても几帳面だったのかなと想像されます。
その人の名は、日本人として初めてチベットの都ラサに到達した河口慧海(かわぐちえかい、1866~1945)。
幕末に大阪・堺の職人の家に生まれながら、志して僧侶となった慧海は、東アジアというフィルターを通した従来の仏教に飽き足らず、仏陀が生きた時代に近い仏教を求めて、すでに仏教が衰退していたインドではなくチベットを目指します。
ところが、当時はイギリスとロシアがユーラシア大陸で覇権を争う激動の時代であり、外国勢力を警戒したチベットは鎖国状態にあったため、世界中から探検隊が派遣される秘境として知られていました。
そこに単身乗り込んだのが、河口慧海でした。
西蔵服の河口慧海師肖像 高村真夫筆 昭和6年(1931) 宮田恵美氏・上原スミ氏・水谷マサ氏寄贈
(本館18室「近代の美術」にて9月12日から12月10日まで展示)
ただいま本館14室では、特集「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」(2023年8月22日~10月9日)を開催しており、慧海の姪である宮田恵美氏らからご寄贈いただいた慧海コレクションを一堂に公開しております。
さきほどご紹介した箱もその一つです。
百科事典や人名事典で「河口慧海」を調べると、「僧侶」「仏教学者」に続いて「探検家」と説明されることが多いのですが、鎖国状態にあったチベットへ密入国したエピソードがひろく知られているからでしょう。
とくに有名になったのは、帰国直後に新聞記者からの取材を受け、口述筆記を出版した『西蔵(チベット)旅行記』がきっかけでした。
現在もさまざまな版が刊行されていますが、初版は国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができます。
国立国会図書館デジタルコレクション『西蔵旅行記』上へ移動する
国立国会図書館デジタルコレクション『西蔵旅行記』下へ移動する
刊行は明治37年(1904)ですから、決して読みやすい文章とはいえませんが、河で溺れたり強盗に遭ったり、次々に紹介されるエピソードにハラハラドキドキが止まらず、ついページをめくってしまいます。
【参考画像】河口慧海著 『西蔵旅行記』上,博文館,1904. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993942 (参照 2023-09-07)
(注)本作品は展示されておりません。
もう一つ、慧海の名前を世に知らしめたのは、探検から持ち帰った様々な文物でした。
このうち、初めてのチベット探検から帰国して直後に、東京美術学校(現 東京藝術大学)で開催された展覧会には、冒頭で紹介した箱も出品されました。
このときに刊行された図録も、国立国会図書館のデジタルコレクションでご覧いただけます。
国立国会図書館デジタルコレクション『河口慧海師将来西蔵品図録』へ移動する
図書102-943(図書) 河口慧海師将来西蔵品図録 東京美術学校校友会編 明治37年(1904)
展示室でも原品をご覧いただけますが、木版画をデザインした黄色い背表紙、チベット文字と篆書体のタイトルが目をひきます。
このうち、目次にある、
45 西蔵婦人の胸掛外十四点
46 金剛手菩薩外十三点
47 古銀貨等三十五点
が、展示中の3箱に該当します。
図録に掲載される名称は、それぞれの箱の向かって右上にあるものの名前を抜粋しただけで、便宜的なもののようです。
現在、当館では「河口慧海請来風俗資料」と呼んでいますが、寄贈当時は「密教法具、儀式風俗資料その他」として登録されました。単品であれば分野ごとに名づける法則はありますが、このように混在しているものの名づけは難しく、わかりにくいのですが仕方ありません。
この宝箱、本人は何と呼んでいたのでしょうか。
名前はともかく、この図録に掲載される写真と現品を見比べてみると、いかがですか?
45 西蔵婦人の胸掛外十四点(左上:原品 右下:『河口慧海師将来西蔵品図録』)
46 金剛手菩薩外十三点(左上:原品 右下:『河口慧海師将来西蔵品図録』)
47 古銀貨等三十五点(左上:原品 右下:『河口慧海師将来西蔵品図録』)
右写真はすべて以下より。
東京美術学校校友会 編『河口慧海師将来西蔵品図録』,画報社,明37.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12683820 (参照 2023-09-07)
寄贈時点ですでに失われていたティンシャと呼ばれるシンバルを除き、当時のままであることがおわかりいただけたと思います。
もちろん、このままの状態で伝えられた訳ではなく、汚損や痛みが酷かったため、2021年に解体したうえクリーニングを施し、内装の裂も補強するなどの修理を経て、ご覧いただけるようになりました。
修理の詳細は2022年の特集展示「東京国立博物館コレクションの保存と修理」のページ内に掲載しているパンフレットをご参照ください。
完全に分類できる訳ではありませんが、図録で45に挙げている箱には、チベットやネパールの主に女性が身に着けた装飾品、46の箱には仏像やお守り、数珠といった信仰に関するもの、47の箱にはチベットやネパールの硬貨や切手、印章、鍵、筆といった実用品から、各地で採集した化石や石を収めているようです。
このたび、小札をすべて読み直し、リーフレットや展示室のパネルで紹介しておりますので、ご参照いただければ幸いです。
客員研究員で、チベットの仏教美術がご専門の田中公明先生に監修していただき、仏像の名前や地名を訂正したり補ったりしていますが、チベット文字の名称については、現在と異なっているものも多く今後の課題といえます。
この他、2回目のチベット探検からの帰国後にも展示会を開催しており、報道関係者や研究者ばかりでなく、多くの人々に驚きを与えたようです。
これらの図録はデジタル化されていませんが、『河口慧海著作集』別巻2(うしお書店、2001年)に写真が掲載されているので、ぜひ資料館でご覧ください。
これらの作品は、図録のうち『美術資料』印度之部やネパール之部に掲載されています。
慧海コレクションの大半は、その没後に各地へ寄贈されました。
たとえば、仏像や仏画、法具や民俗資料など、1,500点に及ぶコレクションが、慧海の甥にあたる河口正(あきら)氏によって東北大学へ寄贈されています。
常時展示はされていませんが、主要な作品はデジタル化され、写真と解説がホームページで公開されています。
東北大学総合学術博物館 河口慧海コレクションへ移動する
また、今年はちょうど慧海が1回目のチベット探検から帰国して120年にあたるため、これを記念して出身地にある堺市博物館では企画展「河口慧海 仏教探究の旅」(2023年9月2日~10月15日)が開催されます。
当館への寄贈後もご遺族の元に残された関連資料が一挙に公開される機会で、本特集とあわせてご覧いただくことで、慧海がぐっと身近に感じられることでしょう。
慧海がどんな思いでこれらを集め、また箱に整理したのか、じっくり見ていると、慧海が隣で「これはなあ、、、」と、人々を夢中にさせた独特の語り口で、思い出まじりに解説してくれるような気がします。
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posted by 西木政統(登録室) at 2023年09月07日 (木)