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posted by 児島大輔(東洋室主任研究員) at 2024年02月08日 (木)
いよいよ開幕いたしました、《建立900年 特別展「中尊寺金色堂」》。ここでは、展覧会のみどころのひとつ、国宝仏像11体についてご紹介いたしましょう。
国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
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posted by 児島大輔(東洋室主任研究員) at 2024年02月06日 (火)
皆金色の極楽浄土! 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」が開幕します
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posted by 天野史郎(広報室) at 2024年01月22日 (月)
特別展「京都・南山城の仏像」。展覧会タイトルを見た人の「なんざんじょう?…」という反応が目に浮かびます。
山城は京都の古い呼び方、南はその南部。それでもピンとこないであろうから、「京都」をつけて、京都にかかわる仏像の展覧会であることがわかるようにしました。
南山城(みなみやましろ)は聞きなれませんが、そこにある浄瑠璃寺や岩船寺はよく知られたお寺です。海住山寺の十一面観音菩薩立像は美術全集に掲載されます。
とはいえ、馴染みのないお寺や仏像もあります。私は、出品作品中に見たことがなかったという仏像はありませんが、薬師寺、寿宝寺、松尾神社、現光寺、極楽寺には訪れたことがありません。
本展覧会は、交通の便が悪いため拝観の機会がない仏像を見ることができる、またとない機会です。そして、展覧会を見たら、仏像が本来置かれているお寺をぜひ訪れてください。素晴らしい風景がひろがります。
展覧会場には私にとって懐かしい仏像があります。禅定寺には十一面観音菩薩立像を含め多くの仏像があり、学生時代に仏像の勉強をする仲間と詳しく調査をさせていただきました。
重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・10世紀 京都・禅定寺
薬師寺の薬師如来像は京都府立山城郷土資料館に預けられていて、そこで調査をさせていただきました。
重要文化財 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 京都・薬師寺
さて、そのような仏像のなかから、私の気になる像をご紹介します。
重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺
阿弥陀寺の薬師如来像は9世紀前半に製作された像で、一木造り、翻波式衣文(ほんぽしきえもん、丸みのある大きな襞としのぎ立った小さな襞を交互に配する、おもに平安時代前期に用いられた衣の表現)、異相の表情とその時代の仏像の特徴がそなわります。
同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像。右袖の翻波式衣文をご覧ください
同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像(近赤外線写真)。ヒゲが描かれています
しかしさらに、製作した工房の作品の特徴が表れている可能性があります。
その工房の特徴を指摘したのは、学生時代に禅定寺や薬師寺の仏像調査を一緒にした奥健夫氏(現武蔵野美術大学教授)です。
学生時代に執筆された「東寺伝聖僧文殊像をめぐって」(『美術史』第134号、美術史学会、1993年)という論文のなかで、京都・東寺の聖僧文殊像(しょうそうもんじゅぞう)、空海が造立に関わった同寺講堂の五大明王像、奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像(国宝)には共通した特徴があり、それと同じ特徴をもつ像がほかに複数あって、それらは同一の工房で製作された可能性があるとしました。
奥氏は、その工房については多くの作品を検討しなければならないので稿を改めるとされましたが、新しい論文はまだないようです。
平安時代前期は仏師や造仏工房に関する資料が少ないことから、仏師の暗黒時代ともいわれています。そこで、ぜひ論じていただきたいという期待をこめて、阿弥陀寺の薬師如来像がその工房で製作された可能性があるということを述べたいと思います。
工房の作品の特徴とされる表現を、奈良国立博物館の薬師如来像(〈注〉本展には展示されません)と比較しながら見てみましょう。
(1)寸がつまった体形をしています。
(左)重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺 (右)国宝 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 奈良国立博物館
(2)口元を引いています(奥氏は論文では工房の特徴にあげていません)。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
(3)耳上部の輪郭線が折れ曲がるように耳の中心に向かい、その部分が平(たいら)です。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
(4)低平な帯状の大波としのぎ立った小波を等間隔に重ねます。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
(5)先端が茶杓形(ちゃしゃくがた)の衣の襞を、左右から対抗するように配置する衣文表現。
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像
奥氏はほかにも特徴を指摘しますが、それらは、阿弥陀寺の薬師如来像にはそなわっていません。
その理由は、阿弥陀寺の薬師如来像が奈良国立博物館の像よりも十年以上後につくられたためでしょう。時代が経つにつれ表現が変化したのです。そのことは変化しながらも同じ表現を長期間維持する工房が存在したことを示し、平安時代前期の造仏工房のありようがうかがえるのです。
このように、南山城には日本彫刻史研究にとっても貴重な仏像が伝わります。
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」にぜひお越しください。
(注)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像の画像はすべて出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
カテゴリ:研究員のイチオシ、彫刻、「京都・南山城の仏像」
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posted by 丸山士郎 at 2023年10月19日 (木)
現在、本館特別5室では、浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」が開催中です(11月12日(日)まで)。
京都府の最南部の南山城(みなみやましろ)地域に点在する寺社から、この地を代表する仏像が一堂に会しています。
展示風景
本展では、11の寺社から出品いただきましたが、すべてを実際に巡ろうとすると車で2~3日ほどかかります(通常は公開していない寺社もあります)。もちろん旅行がお好きな方にはぜひ現地を訪れていただきたいですが、遠出が難しい方には、南山城のエッセンスがぎゅっと詰まった本展をご覧いただいて、南山城の奥深さを感じていただきたいと思います。
展示室でひときわ強い存在感を放つ、金色の阿弥陀如来坐像。木津川市の浄瑠璃寺の本尊である九体阿弥陀(くたいあみだ)という9体の阿弥陀如来像のうちの1体です。
今回のブログではこの阿弥陀如来坐像および九体阿弥陀について紹介します。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺
平安時代半ばごろ、仏の教えが正しく伝わらない時代に至るという末法思想を背景に、この世での幸せよりも、死後、極楽浄土へ行って幸せを求める信仰が広まりました。極楽浄土の主である阿弥陀如来への信仰が高まって彫像や堂宇(どうう)の造立が盛んになり、その事例の一つとして、9体の阿弥陀如来像を作ることが行なわれました。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 京都・浄瑠璃寺 画像提供:飛鳥園
阿弥陀如来に関する『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』という経典によると、生前の行ないや信心深さに応じて、極楽往生の仕方には9段階あると説かれています。
一番上の段階では、多くの菩薩や飛天を引き連れて極楽浄土からやってきた阿弥陀如来にすぐに会うことができます。一番下の段階では、亡くなった人の魂を載せる蓮華の台だけがやって来て、その後、時間をかけて往生します。ただし、重要なのはどの段階であっても最終的には極楽往生できるという点です。
この9段階の極楽往生になぞらえて作られた9体の阿弥陀如来像を九体阿弥陀といい、9体を横一列に安置する横長の建物、つまり九体阿弥陀堂や九体堂と呼ばれる専用の堂宇も建てられました。
浄瑠璃寺九体阿弥陀堂
阿弥陀如来像の大きさは、仏像の大きさの基準のひとつである一丈六尺(約480センチ。坐った像では半分の約240センチ)が主流で、9体もの大きな阿弥陀如来像の制作や、それらを安置するための大きな堂宇の建立には、それに応じた財力や権力が必要でした。そのため九体阿弥陀の発願者は主に貴族でした。
九体阿弥陀と九体阿弥陀堂のセットは、記録上、約30例ほど確認できますが、平安時代当時の仏像と堂宇が現存するのは浄瑠璃寺だけです。
では、次に像を見てみましょう。
本展に出品されている浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像は、平安時代後期に流行した穏やかな作風を基調としています。丸い顔立ちに優しげな目線、抑揚をおさえた体つきなど、極楽往生を切に願う人々を安心させるような大らかさが感じられます。
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺(顔正面と左斜側面)
側面から見てみますと、正面の印象に比べて思いのほか上半身の厚みが薄いことに気づきます。
これは正面から見たときの美しさを重視した当時の傾向といえます。
同じく阿弥陀如来坐像(右側面と左側面)
また、本展は2018年度から5か年をかけて修理された九体阿弥陀の修理完成を記念して開催されるものです。仏像は作られてから幾度も修理されることで、後の時代へと伝えられます。この像もこれまで何度か修理されてきました。
その一端が光背の裏面に記されています。
阿弥陀如来坐像(光背裏面と光背裏面の赤外線撮影)
「勧進御光結縁人数之事」という書き出しで、何人かの人の名前が列記されています。これは、「御光」すなわち光背を修理した時に関わった人の名前です。そして末尾には、「文正元年丙戌六月三日」の日付が記されており、文正元年(1466)の修理記録であることが分かります。
今回の修理は明治時代以来、およそ110年ぶりです。
修理を契機に開催されている本展ですが、次に九体阿弥陀をお寺の外でご覧いただける機会は、さらに100年後かもしれません。
またとないこの機会に展示室でご覧いただき、そして、展覧会終了後は、ぜひ現地で9体そろった圧巻の情景をご覧いただけましたら幸いです。
堂内では通常は壇で隠れて全体が見えない台座も、会場では間近でご覧いただくことができます
カテゴリ:研究員のイチオシ、彫刻、「京都・南山城の仏像」
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posted by 増田政史 at 2023年10月06日 (金)