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金色堂の仏像(2)

いよいよ開幕いたしました、建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
そのみどころから、前回に引き続き国宝仏像11体について、今回は阿弥陀三尊像をご紹介いたしましょう。
 
国宝 阿弥陀三尊像(左から:勢至菩薩立像、阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像) 展示風景
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
金色堂中央壇の中心に安置される阿弥陀三尊像は、いわば金色堂のご本尊です。嫌味や誇張のない円満な姿で、ふっくらとしたやわらかい表情が特徴です。
制作者の名は残念ながら知られませんが、当時の一流仏師の作と見てよいでしょう。平安時代後期より仏像の世界を席巻した大仏師定朝の系譜を正統に受け継いだ仏師の作と見られます。
 
とは言え、その魅力は単に京都の仏像に引けを取らないというだけにとどまりません。
阿弥陀如来像に注目してみましょう。
円満なお顔のはち切れんばかりのプリッとした頬の表現は、鎌倉時代の仏像様式を先取りしたかのようです。
 
阿弥陀如来坐像(部分)
 
背面にまわってみましょう。後頭部の螺髪(らほつ)の刻み方は、左右に振り分けるようにあらわします。
パンチパーマのセンター分けとでも呼ぶべき(?)、この螺髪のあらわし方は、実は鎌倉時代以降に流行するのです。
 
 
阿弥陀如来坐像背面(部分)
 
もうひとつ、右肩にかかる袈裟の表現をご覧ください。隙間が見えます。
つまり、衣を別材で造って貼り付けているのです。こうした表現手法が平安時代に全く見られないわけではありませんが、例えば仏像を裸に造って実際に衣を着せるような表現は鎌倉時代以降に流行します。この衣の一部を別材製とするのもこうした表現の先取りと言ってよいでしょう。
 
阿弥陀如来坐像(部分)
 
このように、阿弥陀如来像には当時の最先端を行く表現が用いられている可能性があります。
なぜでしょうか。
 
おそらく、当時の京(みやこ)の貴族文化が前例主義にとらわれていたのに対し、奥州藤原氏は京の文化を巧みに取り入れながらも前例に縛られることなく良いものを積極的に受け入れる先進性と柔軟性を持ち合わせていたのではないかと考えられます。そして、これこそが平泉の仏教文化の真骨頂だと思うのです。
 
ところで、このようにちょっとムチムチとした阿弥陀三尊像の姿は、前回ご紹介した地蔵像の頭部を小さくつくるプロポーションや胸を平板にあらわすスリムな体形と、二天像のやはり頭部を小さくつくり激しい動きを示す姿とは一線を画します。これは制作年代の違いと考えられます。
 
金色堂中央壇諸仏展示風景
 
また、地蔵像と二天像がカツラ材製であるのに対して、阿弥陀三尊像はヒバないしはヒノキと見られる針葉樹材製です。素材の点からも今の中央壇諸仏はもともとセットではなかった、寄せ集めなのではないかと考えられます。
 
金色堂内には3基の須弥壇が設置され、それぞれに11体ずつ計33体の仏像が安置されています。各壇の11体の構成は共通していて、阿弥陀三尊像(3体)・六地蔵像(6体)・二天像(2体)です。実は、これらの仏像は長い歴史の中でその安置される壇を移動している可能性が高いことがわかっています。
 
その移動が意図的なものか、あるいは混乱による偶然のものなのか定かではありませんが、残された仏像の造形表現や素材・構造を検討・分類することで、それぞれの仏像の原位置を推定できるようになっています。
その詳細は本展会場に掲示しているパネルもしくは図録をご覧いただくことにして結論を申し上げると、阿弥陀三尊像は元々中央壇に安置されていた仏像と考えられます。つまり、藤原清衡(きよひら)が夢見た極楽浄土の阿弥陀三尊像として造像されたとみられるのです。
 
(手前)国宝 阿弥陀三尊像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
(奥)重要文化財 金箔押木棺 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
そして、制作年代が異なる可能性を指摘した六地蔵像と二天像は、阿弥陀三尊像より後の時代、おそらく二代基衡(もとひら)の壇に安置されていた像と考えられます。その壇の中心には、現在西北壇に安置されている阿弥陀如来像が坐していたと推定できます。
 
阿弥陀三尊像は金色堂上棟の天治元年(1124)から清衡の没した大治三年(1128)頃の制作と考えられます。
これに対して六地蔵像と二天像が基衡壇に安置されていたとするならば、その制作年は基衡の没した保元二年(1157)頃と推定されます。その差は約30年です。
是非その年代観を会場で体感してください。
 
これまでに中尊寺金色堂を訪れた経験のある方もたくさんいらっしゃることでしょう。その際、ガラス越しで少し遠くにご覧いただいた仏像たちのお顔はわかりましたか?
金色堂の輝きに目を奪われ、おそらくはっきりとはわからなかったのではないでしょうか。
本展で間近に国宝仏像をご覧いただくことで、きっと身近に感じ、今回それぞれの個体識別ができるようになるのではないかと考えています。
 
阿弥陀如来坐像と金箔押木棺
 
スポーツ観戦や観劇をされる方にはご理解いただけるのではないかと思いますが、選手や俳優の顔やしぐさを知っていれば、球場や劇場で豆粒ほどにしか見えない選手や俳優でも、ちゃんと識別して見えていますよね。あ、砂かぶりのいい席でご覧いただいている方々でなくともという話です。
仏像もそれと同じことです。やはり展覧会だけで満足せずに、本来あるべき姿、つまり金色堂に安置されている仏像をご覧いただきたいのです。
今回、本展で仏像を間近にご覧いただき親しむことで、次に金色堂を訪れた際にも「東博で会ったあのアゴの上がったお地蔵さんだ!」と認識できるようになる、そんな展覧会になればいいなと願っております。
 

カテゴリ:仏像「中尊寺金色堂」

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posted by 児島大輔(東洋室主任研究員) at 2024年02月08日 (木)