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伎楽面のX線CT調査報告を楽しもう!(前編)


N-211 呉女 X線断層(CT) 前後方向のワンシーン
法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査 関連動画 より



X線CTといえば、「わたしもやったことある」という方も多いと思います。
これはもちろん医療用CTのことですが、物質を透過するX線の特質を利用し、外からは見えない内部を観察する目的で活用されています。
通常のX線撮影では、一方向の情報がすべて重なりますが(健康診断のレントゲン撮影と同じです)、X線断層(CT)は、対象となる物質に360度の方向から照射されたX線をコンピュータ上で計算し、3Dデータとして生成されるため、対象を立体的に把握できる利点があります。

医療用の他にも産業用CTがあり、これが文化財の撮影にも広く使われるようになって、当館でも2014年に導入しました。
その成果のひとつとして、たとえば2017年の特別展「運慶」出品作品の撮影データは、『MUSEUM』誌にまとめてご報告しております。


「特集 運慶展X線断層(CT)調査報告」
『MUSEUM』696号、2022年2月

「特集 運慶展X線断層(CT)調査報告II」
『MUSEUM』703号、2023年4月



ただし、CTデータを公開するにあたって課題なのは、データそのものが簡単には見られないことです。
比較的高スペックのPCに高額なソフトをダウンロードしなければ見られませんし、誰にでも簡単に操作できるソフトでもありません。運慶展のCT調査報告にあたり公開方法を試行錯誤するなかで、このときは、最低限の静止画像を掲載し、概要を示す解説を添えることで中間報告としました。


東京国立博物館 十二神将立像 辰神 X線断層(CT)(『MUSEUM』703号、2023年4月、80~81頁)


これをご覧いただいた方は「もっと別の角度から見たいのに」と、もどかしい思いをもたれたかもしれません。
そこで、このたび館蔵品である伎楽面のCT調査報告『法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査』(以下、報告書)を刊行するにあたり、報告書をPDFで無料公開するとともに、データを動画形式で公開する試みを始めました。

出版・刊行物 PDFファイルダウンロードページで報告書、関連動画を見る
 


N-208 伎楽面 師子児(報告書10頁)

N-208  X線断層(CT)(報告書12頁)



そもそも伎楽面とは、飛鳥時代に大陸から伝わった芸能である伎楽に使われた仮面です。
中世には廃絶したため、今日には法隆寺や東大寺で制作された遺品しか現存しません。
このうち、飛鳥時代に遡る最古の伎楽面が含まれるのは、法隆寺に伝来し、明治天皇に献納されて今日当館に収蔵される法隆寺献納宝物です。

法隆寺献納宝物は、飛鳥時代から奈良時代にかけて制作された古代美術を中心とするコレクションであり、その重要性から、昭和54年(1979)年度から原則として毎年、館内外の研究者と共同で特別調査を実施してきました。
その調査報告が『法隆寺献納宝物特別調査概報』です。

『法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査』はその最新号ですが、なんと最初の概報は『法隆寺献納宝物特別調査概報 I 伎楽面』(1981年)でした。
さらに、この概報を増補改訂して豪華本『法隆寺献納宝物 伎楽面』(1984年)も刊行しており、これは伎楽面の研究に欠かせない基本文献となりました。

彫刻史だけでなく漆工や金工の専門家まで、館の内外から参加者が集まり、X線撮影、蛍光X線撮影といった当時最新の研究手法も取り入れた画期的な調査だったことがわかります。

「なぜまた伎楽面を対象にするのか?」と疑問に思われるかもしれません。
さすがに43年も経過すれば技術も進歩しており、当時目新しかったX線撮影に対して、いまはX線CT撮影ができるようになりました。
素材(金属等)の元素分析を行なうための蛍光X線分析や、赤外線の吸収率が高い炭素(墨等)の性質を生かした赤外線撮影も、当時より精度が上がり、なおかつ比較的手軽に行えるようになっています。

本来は、当時と同じく総合的な調査とすべきでしょう。
しかし、当時の法隆寺宝物館(旧館)は毎週木曜日だけ公開していたのに対し、現在の法隆寺宝物館は館の開館日程通り毎日公開しており、その中で伎楽面を展示する第3室は保存状態に配慮しつつ毎週金・土に開館するため、調査時間は限られます。
また、同時に複数の調査を行なうのは危険がともなうため、今回はもっとも新知見が見込まれるX線CTにしぼって調査を実施することになりました。


X線CT撮影風景

CT担当者と執筆者によるデータ検証



CTでわかることに、たとえば部材の接合箇所や木目の方向、異なる素材の使用等があります。
いずれも、基本的には素材によってX線の透過率が異なる性質を利用しており、X線を通しにくい材質ほど白く映るため、その濃淡や連続性で判断します。
これは従来のX線撮影と同じですが、立体的な把握ができる点で得られる情報量は飛躍的に増大しました。
これにより、表面観察では見分けられなかった接合箇所や、表面に露出しない金属の使用(釘頭の折損はもちろん、釘が腐朽により脱落した後でも、周辺に鉄成分が付着していることで釘穴とわかります)等が判明します。

たとえば、力士の面を見てみましょう。
X線の透過度による見え方を強から弱へ段階的にかえていくと、もっともX線を通さない材質が白く残ります。
右の画像はその中間のものですが、頭頂部に釘が残り、曲げられていることがはっきりわかります。
なお、おぼろげに表面の輪郭がわかるのは、彩色に使われた顔料が鉱物質であることによります。


N-228 伎楽面 力士(報告書127頁)

N-228 X線断層(CT)(報告書131頁)



こちらは、その垂直断面と水平断面です。
垂直断面というのは、データを左右に輪切りにしたもので、これは顔の中間あたりです。
水平断面は、上下の輪切りで、これは鼻の孔あたりです。
シマシマに木目が見える部分が木製で、表面が光っているのは鉱物質の顔料によるもの。
木製の部分に多い小穴は虫食いによるもので、取扱いに一層の注意が必要でしょう。


N-228 X線断層(CT) 垂直断面(報告書129頁)

N-228 X線断層(CT) 水平断面(報告書130頁)



垂直断面の眉のあたり、水平断面の頬のあたりにその中間程度の濃さの部分がありますが、木でも金属でもない物質(表面観察では、漆に木粉等を混ぜた木屎漆とわかります)を表面の形にあわせて盛りつけています。

CTでわかるのは、あくまで物質の内部構造であり、厳密にはその材質まで特定することはできません。
そのため、表面観察と組み合わせることで、木屎漆と推定される部分が実際にどの程度あるかわかるようになります。

ただし、紙媒体の刊行物に掲載できる挿図で示せるのは、本来の情報量のごく一部といわざるを得ません。
そこで、少しでもその情報量を増やすため、方向別にデータが見られる1分前後の短い動画を作成しました。


法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査 関連動画


垂直断面は左右方向と前後方向、水平断面は上下方向の計3種類です。
好きな部分で止められるので、スクリーンショットを撮れば、報告書に掲載されるCT画像のようにご覧いただけます。

これまで、紙媒体では報告書本文の記述をすべて挿図で示すのは難しかったのですが、十分とは言えないまでも、動画でわれわれの報告書の記述を検証することもできるでしょう。
最終的には、データそのものをご覧いただけるように整備したいと考えておりますが、動画公開はその試みの一環としてご利用ください。

しかし、報告書の見どころはCTデータだけではありません。
伎楽面の新撮画像を、正面、側面、裏面等、さまざまなカットでお楽しみいただけます。
これについては後編で詳しくご紹介したいと思いますので、ぜひ報告書をダウンロードして、動画もご覧いただければ幸いです。

 

リンクまとめ
法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査
法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査 関連動画
法隆寺献納宝物特別調査概報
法隆寺宝物館 第3室 伎楽面
MUSEUM(東京国立博物館研究誌)
 

カテゴリ:彫刻調査・研究

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posted by 西木政統(登録室) at 2024年05月01日 (水)

 

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」報道発表会

2024717日(水)~98日(日)、当館平成館で創建1200年記念 特別展「神護寺空海と真言密教のはじまり」を開催します。

神護寺(じんごじ)といえば、「紅葉(もみじ)の名所」としてご存知の方もいらっしゃるでしょう。京都駅からバスと徒歩で1時間30分ほどの場所にある寺院です。


青紅葉も美しい神護寺の金堂

天長元年(824)、高雄山寺(たかおさんじ)と神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり神護寺が誕生しました。今年は神護寺創建1200年、そして神護寺とゆかりの深い、空海生誕1250年の年にあたります。本展では、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、文化財の数々をご覧いただきます。

214日(水)には本展の報道発表会を行いました。

まずは、主催者の高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照(たにうちこうしょう)氏と、当館副館長の浅見龍介がご挨拶しました。


高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照氏


当館副館長 浅見龍介

続いて、本展の見どころについて、当館の古川攝一研究員が解説しました。


研究員 古川攝一

特別展「神護寺空海と真言密教のはじまり」は5章に分かれています。
ここでは、それぞれの章の概要と作品の一部をご紹介します。
 

【第1章 神護寺と高雄曼荼羅】
唐から帰国した空海が活動の拠点とした場所が高雄山寺です。「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海が中国から請来(しょうらい)した曼荼羅が破損したため、それを手本に制作されたものです。本章では約230年ぶりに修復された「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」や、院政期の神護寺に関連する作品をご覧いただきます。


現存最古の両界曼荼羅
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)

平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示
814日~98日)、右の【胎蔵界】は前期展示717日~812日)


等身大の迫力 日本肖像画の傑作
国宝 伝源頼朝像
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(717日~812日)

 
【第2章 神護寺経と釈迦如来像―平安貴族の祈りと美意識】

「神護寺経」は神護寺に伝わった「紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)」の通称です。一方、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる「釈迦如来像」は、細く切った金箔による截金(きりかね)文様が美しい平安仏画を代表する作例です。平安貴族の美の世界をお楽しみいただきます。


鳥羽天皇発願 金泥で書かれた一切経
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(部分)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示


繊細優美な平安仏画の傑作
国宝 釈迦如来像
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)

 
【第3章 神護寺の隆盛】

僧である文覚(もんがく)による復興後、弟子によって伽藍(がらん)整備が進められ、神護寺はさらに発展していきます。本章では中世の神護寺の隆盛が伺える「神護寺絵図」や、密教空間を彩る美術工芸品の数々を展示します。


密教儀礼の場にしつらえられた屛風
国宝
 山水屛風
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)


【第4章 古典としての神護寺宝物】

幕末に活躍した絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)は数々の古画を模写しました。神護寺宝物では「山水屛風」や「伝源頼朝像」を写しています。また、「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海ゆかりの作例として、平安時代後半から曼荼羅の規範となり、仏の姿が写されました。神護寺の寺宝が古典として、江戸時代後半から明治時代に再び注目された様子をご紹介します。


国宝「山水屛風」を丁寧に写した摸本
山水屛風
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)

【第5章 神護寺の彫刻】
「薬師如来立像」は、神護寺が誕生する以前につくられており密教像ではありませんが、空海は本尊として迎えました。深い奥行きや盛り上がった大腿部、左袖の重厚な衣文(えもん)表現は重量感にあふれており、日本彫刻史上の最高傑作といえます。本章では、5体が勢揃いした「五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)」や変化にとんだ姿の「十二神将立像」などをご覧いただきます。

寺外初公開 厳しい眼差しのご本尊
国宝 薬師如来立像
平安時代・89世紀 京都・神護寺蔵 通期展示

本展は、約半世紀ぶりに開催される神護寺展となります。
空海も見つめたであろう彫刻・絵画・工芸の傑作をはじめ、密教美術の名品を展示する貴重な機会です。

今後も展覧会公式サイト当館サイトなどで最新情報をお伝えしていきます。ぜひご注目ください!

 

カテゴリ:news彫刻絵画工芸「神護寺」

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年02月29日 (木)

 

平泉の日々

今から20数年前の夏のこと、私は1ヶ月ほど、岩手県の平泉に滞在していました。

当時、私は工芸史を専攻する大学院生で、特に蒔絵や螺鈿といった日本の漆工史についての研究に取り組んでいました。
そして夏季休暇の過ごし方として、それまで図版などでしか見たことがなかった中尊寺の金色堂や工芸品を、何日間か滞在して見学してみたい気持ちがあり、そのことを実家で話したところ、ちょうど父の長年の友人である故・荒木伸介(あらきしんすけ)先生(水中考古学の第一人者)が平泉郷土館長をされていたので相談させていただきました。
のちに荒木先生から伺ったところでは、先生が居酒屋でその話をされていたところ、そこに居合わせられた平泉町役場の関宮治良(せきみやはるよし)様が「うちに下宿させてあげよう」とご提案くださり、そのご厚意により関宮様のお宅で1カ月ほど居候させていただくことになりました。
 
金色堂の中央須弥壇
金色堂の堂内には3つの須弥壇があり、各壇に11体の仏像が安置されます。堂内は、螺鈿や蒔絵という漆工のほか、金工や木工などを駆使して、まばゆい極楽浄土が表現されています。
 
平泉での滞在中は、研究の合間に、下宿代として町の仕事をお手伝いすることとなりました。町内の発掘現場で発掘をし、中尊寺の境内にある白山神社での薪能の会場整備や案内をし、中尊寺のふもとにある駐車場で誘導をし、送り盆には奥州藤原氏や源義経を供養する束稲山(たばしねやま)での大文字送り火や北上川での燈籠流しの準備などをして、平泉の方々と一緒に汗を流しました。もちろん私に気を遣わせないご配慮でした。
 
私は東北地方に縁戚がなく、その言葉にもなじみがうすく、高齢の方の言葉などはきちんと聞き取れなかったので、町のなかで顔なじみになったおばあさんから「どさ(どこに行くのさ)」と話しかけられても、それが挨拶の言葉なのだろうと思い、笑顔で「どさ」と返していました。ある晩、関宮様の奥様が近所を訪問されるのにおともしたとき、訪問先で「おばんでがんす」とおっしゃるのを聞いて、その上品な言葉のひびきに感動しました。平泉の方々は大変に親切で、泉橋庵(せんきょうあん)という鰻屋さんがおいしいウナギをご馳走してくださったこともありました。いずれも楽しい思い出です。
 
白山神社の中尊寺能
中尊寺の境内にある白山神社の能舞台は、江戸後期に建てられました。茅葺きで、鏡板には堂々とした松が描かれた格調高い能舞台です。中尊寺では、僧侶の方々が能楽を伝承されています。
画像提供:中尊寺
 
肝心の研究については、当然ながらガラス越しではありましたが、じっくりと金色堂や讃衡蔵(さんこうぞう。中尊寺の宝物館)を見学させていただいたばかりでなく、長い滞在のうちには讃衡蔵の破石澄元(はせきちょうげん)様から金色堂や寺宝のお話を伺い、毛越寺の藤里明久(ふじさとみょうきゅう)様から庭園遺跡のお話を伺う機会もありました。空いた時間には自転車で達谷窟(たっこくのいわや)まででかけたり、当時はまだ整備されていなかった柳之御所や無量光院などの遺跡を散策したりしました。恵まれた学問の時間でした。
 
その後、幸運にも博物館で工芸史の研究員として働くことができ、20年以上が過ぎたのですが、このたび金色堂の建立900年を記念して開催される建立900年 特別展「中尊寺金色堂」の仕事に携わることとなりました。あの頃はガラス越しに眺めた金色堂の仏像や讃衡蔵の寺宝を、博物館の研究員として直(じか)に調査し、展示に携わらせていただけたことは、私にとって感慨深いものがありました。平泉からいただいた恩恵に比べるとわずかではありますが、ようやく学恩に報いることができたように思います。
 
特別展の会場風景
金色堂は奥州藤原氏の初代・清衡によって建立されました。本展では、清衡が葬られた中央の須弥壇の仏像、御遺体を納めていた金棺、美しく装飾された工芸品や経典が展示されています。
 

カテゴリ:彫刻工芸「中尊寺金色堂」

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posted by 猪熊兼樹(保存修復室長) at 2024年02月22日 (木)

 

金色堂の仏像(2)

いよいよ開幕いたしました、建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
そのみどころから、前回に引き続き国宝仏像11体について、今回は阿弥陀三尊像をご紹介いたしましょう。
 
国宝 阿弥陀三尊像(左から:勢至菩薩立像、阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像) 展示風景
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
金色堂中央壇の中心に安置される阿弥陀三尊像は、いわば金色堂のご本尊です。嫌味や誇張のない円満な姿で、ふっくらとしたやわらかい表情が特徴です。
制作者の名は残念ながら知られませんが、当時の一流仏師の作と見てよいでしょう。平安時代後期より仏像の世界を席巻した大仏師定朝の系譜を正統に受け継いだ仏師の作と見られます。
 
とは言え、その魅力は単に京都の仏像に引けを取らないというだけにとどまりません。
阿弥陀如来像に注目してみましょう。
円満なお顔のはち切れんばかりのプリッとした頬の表現は、鎌倉時代の仏像様式を先取りしたかのようです。
 
阿弥陀如来坐像(部分)
 
背面にまわってみましょう。後頭部の螺髪(らほつ)の刻み方は、左右に振り分けるようにあらわします。
パンチパーマのセンター分けとでも呼ぶべき(?)、この螺髪のあらわし方は、実は鎌倉時代以降に流行するのです。
 
 
阿弥陀如来坐像背面(部分)
 
もうひとつ、右肩にかかる袈裟の表現をご覧ください。隙間が見えます。
つまり、衣を別材で造って貼り付けているのです。こうした表現手法が平安時代に全く見られないわけではありませんが、例えば仏像を裸に造って実際に衣を着せるような表現は鎌倉時代以降に流行します。この衣の一部を別材製とするのもこうした表現の先取りと言ってよいでしょう。
 
阿弥陀如来坐像(部分)
 
このように、阿弥陀如来像には当時の最先端を行く表現が用いられている可能性があります。
なぜでしょうか。
 
おそらく、当時の京(みやこ)の貴族文化が前例主義にとらわれていたのに対し、奥州藤原氏は京の文化を巧みに取り入れながらも前例に縛られることなく良いものを積極的に受け入れる先進性と柔軟性を持ち合わせていたのではないかと考えられます。そして、これこそが平泉の仏教文化の真骨頂だと思うのです。
 
ところで、このようにちょっとムチムチとした阿弥陀三尊像の姿は、前回ご紹介した地蔵像の頭部を小さくつくるプロポーションや胸を平板にあらわすスリムな体形と、二天像のやはり頭部を小さくつくり激しい動きを示す姿とは一線を画します。これは制作年代の違いと考えられます。
 
金色堂中央壇諸仏展示風景
 
また、地蔵像と二天像がカツラ材製であるのに対して、阿弥陀三尊像はヒバないしはヒノキと見られる針葉樹材製です。素材の点からも今の中央壇諸仏はもともとセットではなかった、寄せ集めなのではないかと考えられます。
 
金色堂内には3基の須弥壇が設置され、それぞれに11体ずつ計33体の仏像が安置されています。各壇の11体の構成は共通していて、阿弥陀三尊像(3体)・六地蔵像(6体)・二天像(2体)です。実は、これらの仏像は長い歴史の中でその安置される壇を移動している可能性が高いことがわかっています。
 
その移動が意図的なものか、あるいは混乱による偶然のものなのか定かではありませんが、残された仏像の造形表現や素材・構造を検討・分類することで、それぞれの仏像の原位置を推定できるようになっています。
その詳細は本展会場に掲示しているパネルもしくは図録をご覧いただくことにして結論を申し上げると、阿弥陀三尊像は元々中央壇に安置されていた仏像と考えられます。つまり、藤原清衡(きよひら)が夢見た極楽浄土の阿弥陀三尊像として造像されたとみられるのです。
 
(手前)国宝 阿弥陀三尊像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
(奥)重要文化財 金箔押木棺 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
そして、制作年代が異なる可能性を指摘した六地蔵像と二天像は、阿弥陀三尊像より後の時代、おそらく二代基衡(もとひら)の壇に安置されていた像と考えられます。その壇の中心には、現在西北壇に安置されている阿弥陀如来像が坐していたと推定できます。
 
阿弥陀三尊像は金色堂上棟の天治元年(1124)から清衡の没した大治三年(1128)頃の制作と考えられます。
これに対して六地蔵像と二天像が基衡壇に安置されていたとするならば、その制作年は基衡の没した保元二年(1157)頃と推定されます。その差は約30年です。
是非その年代観を会場で体感してください。
 
これまでに中尊寺金色堂を訪れた経験のある方もたくさんいらっしゃることでしょう。その際、ガラス越しで少し遠くにご覧いただいた仏像たちのお顔はわかりましたか?
金色堂の輝きに目を奪われ、おそらくはっきりとはわからなかったのではないでしょうか。
本展で間近に国宝仏像をご覧いただくことで、きっと身近に感じ、今回それぞれの個体識別ができるようになるのではないかと考えています。
 
阿弥陀如来坐像と金箔押木棺
 
スポーツ観戦や観劇をされる方にはご理解いただけるのではないかと思いますが、選手や俳優の顔やしぐさを知っていれば、球場や劇場で豆粒ほどにしか見えない選手や俳優でも、ちゃんと識別して見えていますよね。あ、砂かぶりのいい席でご覧いただいている方々でなくともという話です。
仏像もそれと同じことです。やはり展覧会だけで満足せずに、本来あるべき姿、つまり金色堂に安置されている仏像をご覧いただきたいのです。
今回、本展で仏像を間近にご覧いただき親しむことで、次に金色堂を訪れた際にも「東博で会ったあのアゴの上がったお地蔵さんだ!」と認識できるようになる、そんな展覧会になればいいなと願っております。
 

カテゴリ:彫刻「中尊寺金色堂」

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posted by 児島大輔(東洋室主任研究員) at 2024年02月08日 (木)

 

金色堂の仏像(1)

いよいよ開幕いたしました、《建立900年 特別展「中尊寺金色堂」》。ここでは、展覧会のみどころのひとつ、国宝仏像11体についてご紹介いたしましょう。

中尊寺金色堂には須弥壇(しゅみだん)が3基築かれています。この須弥壇内は奥州藤原氏歴代が今なお眠る厳粛な聖空間です。
本展ではこのうち初代清衡(きよひら)が眠る中央壇上に安置されている国宝仏像11体を展示しています。
 
会場展示風景
 
持国天・増長天の二天像は大きく腕を振り上げ、それに呼応して袖が翻るダイナミックな動きが見どころです。 
 

国宝 増長天立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

国宝 持国天立像
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
 
 
この姿を模したと思われる仏像がいくつか見つかっており、平泉が流行の発信源であったことがわかります。中世では、この二天像が中尊寺で一番有名な仏像だったかもしれません。キュッと引き締まったウエストは、鎧を脱いだらいったいどれだけ細い体なのでしょうか。 
 
持国天立像の引き締まったウエスト
横から見た姿
 
 
それでも、横から見るとぷっくり膨れています。不思議な体形ですが、このようにやや誇張された姿は神将形像の典型的なプロポーションです。
 
ユーモラスな姿が魅力の、踏みつけられている邪鬼はおそらく明治期の修理時に補作したものと見られます。  
 
持国天立像邪鬼
 
なんと、オリジナルグッズとして邪鬼のぬいぐるみを本展オリジナルショップで販売中です。時には踏んづけ、時には抱きしめ、時には踏まれる邪鬼に同情してあげてください。
  
ショップに並ぶ「邪鬼ぬいぐるみ」 価格:3,850円(税込)
 
次にご紹介するのは、とても愛らしい地蔵菩薩像です。
 
 

国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

六体セットのいわゆる六地蔵です。六地蔵とは釈迦の滅した後の無仏時代に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道を輪廻転生して苦しむ衆生を救い極楽往生へと導いてくれる存在です。
極楽浄土の阿弥陀三尊だけでなく六地蔵を安置するところに、奥州藤原氏の「絶対に極楽往生する!」という強い意志を感じます。たとえ極楽往生できずに六道を輪廻しても、六地蔵が救ってくれるのです。可愛らしい見かけによらず、とても心強い味方です。
 
こちらは前期(3月3日まで)展示中の国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅(こんこうみょうおうさいしょうおうきょうきんじほうとうまんだら) 第三幀です。画面左下方にご注目いただきましょう。
 
 
国宝 金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第三幀 全図及び部分 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺大長寿院蔵
前期展示:2024年1月23日(火)~3月3日(日)
 
この錫杖(しゃくじょう)を持つ僧形は金光明最勝王経では妙幢菩薩(みょうとうぼさつ)と呼ばれていますが、実は地蔵菩薩のことです。殺生するのを見届けているようですね。この後、殺されたものだけでなく殺生して地獄に落ちた者も救ってくれるのでしょう。できれば、殺したり殺されたりする前に救われたいのですが、いずれにせよ、殺生して地獄に落ちても救ってくれるのがお地蔵さんです。
 
普段、金色堂ではこの6体の地蔵菩薩像は阿弥陀三尊像の左右に3体ずつ縦に並んでいるのですが、本展会場では横一列に整列しています。せっかくの機会ですので、6体それぞれと親しく向き合ってみてください。全部同じに見える? いえいえ、実はちゃんと個性があるのです。ここでは、顎の角度にご注目いただきましょう。
 
左列内側に展示している前方の像はグッと顎を引き、中央の像はスーッと正面を見据え、外側に展示する後方の像は顎をクイッと上げます。 
 
アゴを引く(内側・前方)
正面を見据える(中央)
アゴを上げる(外側・後方)
 
 
今回の展示は横一列に並んでおりますので、内側からグッ、スーッ、クイッの順でご覧いただけます。横からご覧いただくと分かりやすいですよ。
 
地蔵菩薩立像展示風景
 
集合写真で後ろに並んだ方が写りこむよう一生懸命顎を上げている、そんな風にも見えてきます。なんとも、いじましい姿ですね。 
 
この順序で並んでいるのがいつのことからか定かではありません。ただ、左右両列ともこの順序で並んでいるのは、こうすると顔が見えやすいことにどこかの段階で気づいて並べなおした結果かもしれません。もしかすると、当初からこうした並び順を意識して制作した可能性すらあります。というのも、その証拠に顎を上げている左列後方像は、首の後ろのお肉がムニュっと盛り上がっているのです。顔の向きと顎の角度とに有機的に連動した肉付き。ちょっとリアルで、なんともかわいい。。。ぐるっと360度ご覧いただける展覧会ならではの醍醐味です。
 
地蔵菩薩立像(背面)
 
ところで、こちらは先ほどご覧いただいた国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第三幀の右上方に描かれる釈迦如来です。釈迦の白毫から放たれた光が六道(傍題では四趣)を照らすという同経の内容を描いています。光の筋の先に地獄や餓鬼、畜生の姿が見えていますね。 
 
 
金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第三幀(部分)
 
これを参考にするならば、顎を上げて一生懸命顔を見せてくれようとする姿は、実は六道輪廻する衆生を救済し極楽往生へ導こうとする地蔵菩薩の本願を見事にあらわした姿なのかもしれないことに気づかされます。つまり、六道をしっかりと見据えようと顎を上げてくれているのです。そう思うと、いじましいだけでなく、有難さもひとしおです。是非、会期中に間近でご覧ください。
 

カテゴリ:彫刻「中尊寺金色堂」

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posted by 児島大輔(東洋室主任研究員) at 2024年02月06日 (火)

 

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