今年も残すところひと月となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
以前このブログでご紹介いたしました、平成館企画展示室にて開催中の特集「南太平洋の生活文化」(12月23日(金・祝)まで)も残すところ2週間余りとなりました。展示や展示作品に関するエピソードは、11月15日の「南太平洋の生活文化」現地レポート(セピック川の日々)をご覧いただくとして、今回は民族作品の魅力を身近に感じていただくヒントをいくつかご案内したいと思います。
ヒントその1:作品の形や色づかいを楽しむ
この特集で展示しているのはオセアニアと台湾の作品です。オセアニアはオーストラリア大陸、メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアを含めた南半球の広大な地域です。日本人観光客でにぎわうハワイ、ニュージーランド、モアイ像で有名なイースター島など、魅力あるたくさんの島々があります。広大な地域から構成されているため、気候や自然環境などが多様であり、そこに育まれた文化も地域ならではの素材や技術で作られたものばかりです。まずはそうした作品の形や色づかいをお楽しみください。
左:腰巻(女用) ミクロネシア、サイパン島 19世紀後半~20世紀初頭 (後藤充蔵氏寄贈)
中:褌(男用) ミクロネシア、サイパン島 19世紀後半~20世紀初頭 (後藤充蔵氏寄贈)
右:腰簑 ミクロネシア、パラオ 19世紀後半~20世紀初頭 (坂本須賀男氏寄贈)
左:袖無上衣 台湾、プユマ族 19世紀後半~20世紀初頭
中:脚絆 台湾、ツアリセン族 19世紀後半~20世紀初頭
右:袖無上衣 台湾、パイワン族 19世紀後半~20世紀初頭 (佐藤正夫氏寄贈)
ヒントその2:作品の質感を楽しむ
作品が露出展示されているわけでもなく、またハンズオンのように直接触れるわけでもないのに、どうやって質感を楽しむのか…難問かもしれません。しかしながら、作品に直接触らなくても質感を間接的に楽しむことはできます。例えば、下の写真をみてください。こちらはワニを捕まえるための木製の釣り具です。ワニの口に引っ掛ける、ルアーのような道具と考えらます。2枚目は向かって右側の逆「く」の字状になった屈曲部分を拡大したものです。よくご覧いただくと、木の表面が縦にギザギザに剥がれたり擦れているのがお分かりになるのではないでしょうか。なんだか痛々しいようすです。実は、この痕はワニを釣り上げる際に付けられたものと推測されます。イメージを膨らませるならば、大あばれするワニを引き上げる際にできた傷かもしれません。作品がどのように使われたものかを考え、じっくり観察すると、色々な状況証拠が残っています。そんな魅力がたくさん隠れているのも民族作品ならでは、と思います。
触らなくても楽しめる質感、いかがでしょうか。
ワニ釣針 メラネシア、ニューブリテン島 19世紀後半 (吉島辰寧氏寄贈)
ヒントその3:異なる時代、地域の作品を比べて楽しむ
次の写真は今回展示している木製の仮面です。メラネシアに属するパプアニューギニアの作品です。木を刳りぬいて作っています。アーモンド形をした面長の顔に楕円形の目。口元は笑っているようにも見え、何もよりも鉤鼻をした大きな鼻が印象的です。
精霊の仮面 メラネシア、ニューギニア島北東部 20世紀初頭 (藤川政次郎氏寄贈)
一方、下の作品は、日本の縄文時代後期の土面です。丸い顔にややつり上がった目。粘土を貼り付けて眉を盛り上げています。丸い鼻とぽっかり空いたような口があどけない印象を与えていますが、見方によってはすごみを効かせた表情にもみえます。こちらの土面は企画展示室の隣にある平成館考古展示室に展示してあります。材質、顔の構成部分、表情など、比べてみると、似ているところ、異なるところがまだまだ沢山ありそうです。こうしたお面をつけて一体どのような衣装で踊っていたのでしょうか。
土面 縄文時代(後期)・前2000~前1000年 長野県松本市波田上波田出土 (徳川頼貞氏寄贈) ※平成館考古展示室で展示中
さて、次の写真はアプークと呼ばれるパラオ諸島の木製のうつわです。舟形に刳りぬいて、両端の耳の部分には貝殻の象嵌が施されています。その下はアイヌの木器です。本館16室に展示されています。向かって左側の作品は舟形をしていてアプークと形は似ています。アプークのような貝殻の模様はありませんが、アプークよりも深めに作られており、汁物を盛り付ける容器としても使えそうです。赤道に近い熱帯と、冷涼な北海道という環境が全く異なりながらも、似たような物質文化が育まれたことが不思議だとは思いませんか? 器にどのようなものが盛り付けられたか考えながら眺めてみてください。
食器(アプーク) 19世紀後半~20世紀初頭、ココヤシ匙 19世紀後半~20世紀初頭 (いずれも柴田定次郎氏寄贈)
椀 樺太アイヌ19世紀 (徳川頼貞氏寄贈) ※本館16室にて2016年12月18日(日)まで展示中
足早ではありましたが、いかがだったでしょうか。日本とは自然環境も文化も異なる、はるか南太平洋の民族作品ではありますが、見方をちょっと変えるだけで作品が色々と語りかけてくれます。また、本館、東洋館、平成館考古展示室をはじめ、似ている他の分野の作品を探し歩くのもトーハクならではの楽しみ方かと思います。
民族作品をより身近に感じて頂く際の何かのヒントになれば幸いです。何かと気忙しい年末に、ちょっと一息ついてみませんか。
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posted by 井出浩正(考古室研究員) at 2016年12月09日 (金)
今年のトーハクの展示も残すところ2週間余りとなりました(年内は12月23日(金・祝)まで開館)。
ということは……東洋館8室で開催中の「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻(てんこく)の軌跡―印の世界と中国書画コレクション―」(~12月23日)をご覧いただけるのも、残りわずかなのです。
本展は11月29日(火)から後期に突入し、展示作品も大幅に入れ替わりました。
メインの小林斗盦(1916~2007)が刻した印のほか、斗盦が収集した古印や中国書画の優品など、後期展では新たに87件がお目見えし、前期後期を通して展示されるものを含めて、現在160件以上の作品が皆さんのご来場をお待ちしております。
さて、前置きが長くなりましたが、斗盦の制作に関する展示を取り上げた前回に続き、今回は、斗盦の収蔵家としての一面を伝えるコレクションについてお伝えしようと思います。
制作に関する展示:プロローグ「篆刻家 小林斗盦」、第1部「古典との対峙」、第2部「作風の軌跡」、第4部「制作の風景」、第6部「翰墨の縁」、エピローグ「刻印の行方」
収集に関する展示:第3部「篆刻コレクション」、第5部「中国書画コレクション」
左:第3部「篆刻コレクション」、右:第5部「中国書画コレクション」
斗盦の師である篆刻家の河井荃廬(かわい せんろ、1871~1945)や古印学者の太田夢庵(おおたむあん、1881~1967)、あるいは中国文物のコレクターとして著名な林朗庵(りんろうあん、1898~1968)らが所蔵したものなど、時に旧蔵者との親密な交流を背景として入手に至った斗盦のコレクションには、篆刻書画いずれにおいても名品が少なくありません。
第3部 篆刻コレクション
斗盦が収蔵したおよそ戦国時代から南北朝時代の古印のなかでも、太田夢庵の没後に、ご令室のご厚意により譲渡された夢庵遺愛の玉印8顆が特筆されます。
斗盦はこの玉印を自身の所蔵印の中で「最高の瓌宝」として愛蔵し、夢庵への謝意を込めて、書斎の名を「懐玉印室」と命名しました。本展では、そのうちの6顆が出品されています。
秦・漢の時代に確立された官印の制度下では、玉製の印は皇帝の璽に限られ、多種ある材質のなかでもとりわけ玉は、中国古来より神聖な対象として特別視されてきました。
展示中の玉印には、緑色や淡く青色がかった白色、また珍しい黒色など、多彩な玉材が使用され、玲瓏という玉の透き通るような美しさは見る者の目を奪います。
そして、材としてだけではなく当時の文字資料としても貴重で、このような様々な時代の古印の様式を斗盦は学び、自身の篆刻の糧としたのです。
左:「信城侯」白文印 中国 戦国時代・前5~前3世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
中:「宋嬰」白文印 中国 前漢時代・前1世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
右:「程竈」白文印 中国 後漢時代・1世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
上から印全景、印面、印影
また、斗盦は清時代以降の名家の刻印、例えば鄧石如(とうせきじょ)から呉昌碩(ごしょうせき)に至る鄧派と称される一派の作なども体系的に収集しました。
清時代の乾隆・嘉慶期に活躍した鄧石如(1743~1805)は、従来主流であった漢時代の古印を基調とする様式を一変させます。鄧石如の新様式は、秦・漢時代の書に素地を得た自身の篆書を印面に表現するというものでした。
これに追随した呉熙載(ごきさい、1799~1870)、徐三庚(じょさんこう、1826~1890)、趙之謙(ちょうしけん、1829~1884)、呉昌碩(1844~1927)ら鄧派の諸家の作を、斗盦は熱心に収集し、その作風を研究したのです。
左:「見大則心泰礼興則民寿」白文印 鄧石如刻 中国 清時代・18~19世紀 原印=個人蔵、印影=個人蔵
中:「三退楼寓公」白文印 呉熙載刻 中国 清時代・19世紀 原印=個人蔵
*印影は小林斗盦氏寄贈印譜『乙酉劫余継述堂印存』より展示
右:「如夢鶯華過六朝」朱文印 徐三庚刻 中国 清時代・19世紀 原印=個人蔵
*印影は小林斗盦氏寄贈印譜『似魚室印蛻』より展示
上から印面、印影
これらの印のほか、斗盦は質が高い膨大な量の古今の印譜を収蔵し、日中でも有数のコレクションを誇りました。
平成14・15年度には、コレクション中の稀覯印譜(きこういんぷ)と篆刻資料、都合423件を当館にご寄贈いただき、平成16・18・20年にはそのうちの一部を東洋館8室で特集陳列いたしました。
本展の第3部では、一部の印をそれが捺された寄贈印譜と並べて展示し、斗盦の幅広い篆刻コレクションの一端を窺います。
画像左:「為五斗米折腰」朱文印 趙之謙刻 中国 清時代・19世紀 原印=個人蔵
画像右:趙撝叔印譜第2冊 趙之謙作 中国 中華民国時代・民国5年(1916) 東京国立博物館(小林斗盦氏寄贈)
第5部 中国書画コレクション
斗盦の中国書画コレクションの骨子は、青銅器や石碑など金石の書に魅せられた清時代以降の諸家の作品でした。
例えば、碑学派に先行して金石の書に眼を向けた揚州八怪の一人、金農(1687~1763)の書画を斗盦は熱心に収集し、一連の論考を雑誌『書品』(東洋書道協会)などに発表しました。
隷書冊 金農筆 中国 清時代・乾隆9年(1744) 個人蔵
倣金冬心墨梅図 小林斗盦筆 昭和23年(1948) 個人蔵 *第2部「作風の軌跡」にて展示
金農の墨梅図に倣った斗盦32歳時の作。
また、鄧石如、呉熙載、徐三庚、趙之謙、呉昌碩らの書跡は、碑学派による篆書・隷書の作風の展開をたどるうえで、あるいは諸家の書と篆刻との関係性を窺ううえで貴重な作品群で、斗盦の学究的な態度が垣間見られます。
*鄧石如、呉昌碩の書は現在展示しておりません
篆書漢書礼楽志安世房中歌横披 呉熙載筆 中国 清時代・19世紀 個人蔵
隷書張衡霊憲四屛 趙之謙筆 中国 清時代・同治7年(1868) 個人蔵
河井荃廬から譲り受け、そのため東京大空襲による焼失を免れたという呉熙載「梅花図軸」などは、斗盦が荃廬や西川寧(にしかわやすし、1902~1989)らとともに鑑賞した逸話を伝えて興味深い作品です。
斗盦は師との鑑賞を介して中国書画の眼識を一層確かなものとして、充実したコレクションを築いていったのでしょう。
第5部「中国書画コレクション」では、金石書画を愛好した先人たちへの眼差しを窺います。
梅花図軸 呉熙載筆 中国 清時代・咸豊11年(1861) 個人蔵
制作に必要不可欠な篆刻や書の古典研究を行うかたわら、斗盦は自らも古典となる璽印や印譜、中国書画の収集に情熱を注ぎました。周辺分野の所産に直に触れて、常に篆刻という文化を見つめ続けたのです。
コレクションには、所蔵者の人となりや交遊などが投影されます。本展を通して、生涯を篆刻に捧げた小林斗盦の収蔵家としての一面に想いを馳せていただければ幸いです。
本展図録をミュージアムショップにて販売中!
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
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posted by 六人部克典(登録室アソシエイトフェロー) at 2016年12月06日 (火)
教育普及室の川岸です。
みなさんは書や絵画に、普段使うハンコとは違うデザインの印が押されているのをみたことはありますか?
実はこれは、作者のサインのひとつ。この印をつくることを篆刻といいます。
11月26日(土)、東洋館8室で開催中の特集「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻の軌跡 ―印の世界と中国書画コレクション―」(~2016年12月23日(金・祝))に関連したワークショップ「篆刻体験 自分だけの印をつくろう!」を行いました。
午前は小学生とその保護者、午後はおとなの方を対象にした全2回。その様子をご紹介します。
参加者のほとんどが篆刻初体験!
今回は自分の名前のなかの一文字を印にしました。
自分の名前のなかの一文字がすでに付された印材を手に、篆刻の道具がならべられた席に着くと、始まる前からもう期待が高まっているよう。
反転した文字が書き入れられた印材
まずは謙慎書道会の岩村節廬先生、河西樸堂先生による説明から。
こどももおとなも、みんな真剣!
説明のあとはいよいよ体験です。
岩村先生、河西先生のほか、
國定青陽先生、尾崎早織先生、中田聰山先生、谷崎桃薫先生、山本青郁先生も指導に加わってくださいました。
手を切らないように、素敵な印ができるように。真剣に。丁寧に。
先生が印刀を持つと、参加者の皆さんのときとは全く違う石の削れる音が響き、石の粉が舞います。
やっぱり違う!とみんなで驚きながら、教えてもらいそれぞれコツをつかんでいきます。
やっぱり印は捺してみないと!
ということで、展示作品の趙之謙筆「楷書斉民要術八屛」(11月27日(日)で展示終了)から一文字を選んで筆で書き、自分の印を捺してみました。
できあがった作品です。
改めて・・・・完成した印の陰影を見てみましょう。
私たちの名前には、こんな子に育ってほしいという願いや、たくさんの愛情をこめられていたはず。
きっとそれはきちんと伝わり、名は体をあらわす、のかもしれません。
自分の名前を自分で篆刻した印には、人柄が表れるような気がします。
字体の選定や、印材への文字の書き入れまでは事前に先生がしてくれましたが、印刀を握り彫ったのは参加者自身。
緊張して、変に力が入ってしまった部分もあるのかもしれません。
慎重に少しずつ少しずつ彫ったかもしれません。
楽しくてテンポよく豪快に彫りすすめたかもしれません。
本人の気分や力の入れ具合により、線の強弱、印の雰囲気が作られるのではないでしょうか。
だとすればこの印は、来年の自分には作れない。
いまの自分にしかできない印。
まさに、いまの自分の「しるし」になる特別な印。
ある小学生は、印が大事すぎて、お母さんに預けたり、かばんに入れたりしたくないと握り締めて帰りました。
どうぞ大切に使ってください。
ワークショップの最後には、富田研究員から展示についての説明がありました。
小林斗盦は、ただデザイン性の高い印をつくるのではなく、書はもちろん、中国の古い時代の文字や絵画などについても深く学び、その知識や経験をいかして、生涯を篆刻に捧げたのだそうです。
たしかに展示室には、甲骨文字や青銅器が展示されています。
「こんな古いものに書かれている文字まで研究して印を作っていたの?」
「彫った跡の雰囲気が自分の印の彫った跡とぜんぜん違う!」
参加者同士話しながら、展示をお楽しみいただきました。
どんな言葉や文字を、どんな線で、どんな材に彫り、どんな作品に捺すのか。
小さな印の奥に、それをつくった人の姿や、それを捺した作品の世界が見えるのかも。
そういうところが、印や篆刻の楽しみだと気づかされたワークショップでした。
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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2016年12月01日 (木)
みなさん、こんにちは。ユリノキちゃんです。
今日は、現在開催中の特集「ドレッサーの贈り物―明治にやってきた欧米のやきものとガラス 」(2016年9月27日(火)~2016年12月18日(日))をみなさんにご紹介しようと思って、本館14室にやってきたの。
美しいやきものとガラス
展示室に入ってみたら、ビックリ…!
いつもトーハクの展示室で見るのとはちがう種類の、とっても綺麗なやきものやガラスがいっぱい。
写真左: 「多彩釉花唐草貼付文飾壺」 イギリス ミントン社 1873年
写真右: 「緑彩茶彩葉文脚付瓶」など ルイス・C・ティファニー/アメリカ ティファニー社 19世紀 ルイス・C・ティファニー氏寄贈
これらのやきものやガラスのキャプションには「ミントン社」とか「ティファニー社」とか書いてあるけれど、あの有名な陶磁器メーカーや宝飾デザイナーのことかしら…。ドレッサーさんとどういう関係があるのかしら。
ドレッサーさんってどんな人??
ドレッサーさんは、イギリスのデザイナー。19世紀末のイギリスの有名な製陶会社として知られるミントン社や、リンソープ・アート・ポタリー社という新しい製陶会社でデザインをしていたようね。それらのやきものは当時の流行の最前線だったそうよ。すごい!
アメリカのティファニーさんとは深い親交があって、ドレッサーさんが1876年から日本に滞在した際は、ティファニーさんのために美術品を収集したりしたんですって。どうやら、ドレッサーさんは日本とも関係があるようね。
写真左: イギリスを代表する製陶会社の一つミントン社にドレッサーがデザインを提供して焼かれたもの
写真右: 「茶褐釉渦文鉢」など イギリス リンソープ・アート・ポタリー社 19世紀 ※ドレッサーと、美術商で評論家のチャールズ・ホーム氏が一緒に当館へ寄贈したもの
きっかけは、ウィーン万国博覧会
明治政府が初めて公式にウィーン万国博覧会に参加したのは1873年で、この時の博覧会事務局が後のトーハクになるらしいの。何だかとても勉強になるわ。
ウィーン万国博覧会会場風景
そして、ウィーン万国博覧会が終わり、日本への帰路の途中、フランス船ニール号が…、なんと、沈没!有望な技術者や船に積んでいた出品作品や購入品など、多くを失ってしまったそう…。
沈没したニール号引き揚げ作品
右: 「色絵金彩婦人図皿」 ドイツ・バイエルン 19世紀
左: 「銹絵葡萄図角皿」 乾山 江戸時代・18世紀
日本への到着を目前に、伊豆、南入間沖で沈没したニール号から奇跡的に引き揚げられたうちの2点なのだそうよ。右のお皿に描かれているのは、バイエルン国王マクシミリアン2世の王妃マリー様なんですって。
日本への贈り物
その悲報をうけて、日本と親交のあったイギリスのサウス・ケンジントン博物館長は、ヨーロッパの美術品を日本へ贈ることを呼びかけ、彼の手紙と多くの寄贈品を携えたクリストファー・ドレッサーが来日したというわけね。なるほど。
右手: 「多彩釉四耳瓶」など イギリス ドルトン社 19世紀
ドレッサーさんはそれらの寄贈品の選定と収集に深く関わっていて、この寄贈には日本の博物館や技術者への教育の意味もこめられていたんだそうよ。う~ん、ドレッサーさんと日本の博物館って、深い関わりがあったのねぇ。
生まれ変わったガラスのうつわ
生まれ変わる?ってなんだろう…。
それにしても、とっても綺麗なガラスのうつわね。こんなに薄くて儚いガラスが今でも残っているなんて。うっとり…
割れたり、汚れていたりしたところを、このたび最新の技術を用いて修理し、140年前の姿を取り戻すことができました。修理にあたったのは、北野珠子さん(陶磁器修復たま工房)と当館保存修復課アソシエートフェローの野中昭美さん
トーハクが草創期に受け入れた欧米のやきものやガラスをご紹介しましたが、いかがでしたか?
はじめに「いつもトーハクの展示室で見るのとはちがう種類の」って思ったけれど、そのはず。ドレッサーさんが博物館に持ってきたものの多くは工業見本として各地に分けられ、散逸してしまったそう。もったいない…。
でも、最近は近代美術の動向に注目が集まるようになって、これら欧米の工芸作品を受け入れた意義も見直されているとのこと。
みなさんも、この機会(~12月18日(日)まで)にぜひトーハクに足を運んでくださいね~。
カテゴリ:特集・特別公開
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posted by ユリノキちゃん at 2016年11月28日 (月)
もう何年か前、私が東京国立博物館(トーハク)に勤めはじめたころ、とある収蔵庫の片隅に石のお金が無造作に置いてあるのを見つけました。白い石でできた大きなドーナツみたいな貨幣です。ほかに、ワニの釣針やココナッツジュースの容器なんかも見かけました。これらは19世紀後半から20世紀初頭にトーハクにもたらされた南太平洋の工芸品ですが、当時はそのような南洋資料はほとんど展示されておらず、館員でもなかなか見ることがなかったので、とてもめずらしく思われました。
石貨 ミクロネシア、ヤップ島 19世紀後半 東京国立博物館蔵(田口卯吉氏寄贈)
その後、東洋館の改装(リニューアル)が行なわれ、南洋資料も少しずつ展示されるようになってきました。このたび「南太平洋の生活文化」(2016年11月15日(火)~12月23日(金・祝)、平成館企画展示室)と題して、南洋資料をいくらかまとめて展示するにあたり、それらが現地ではどのように扱われているのかを調査する機会にめぐまれました。南太平洋には無数の島があれば、それらの島々を見てまわるのは難しいので、トーハクの所蔵品の内容を検討し、まずはパプアニューギニアのジャングルを流れているセピック川の流域を調査地に選びました。ここの人々には自分たちの先祖をワニだとする信仰があり、現在でも男子が成人する時には、その体にカミソリでワニの鱗(うろこ)のような傷をつけてゆく儀式があります。私たちの調査に同行してくれた案内人のフィリップさん(現地には西洋風の名前をもつ人がいます)の体にも見事な鱗が刻まれていました。
ニューギニア島のジャングルを流れるセピック川。ワニがいる。
ワニ像 メラネシア、ニューギニア島北東部 19世紀後半~20世紀初頭 東京国立博物館蔵(藤川政次郎氏寄贈)
調査に同行してくれたフィリップさん。胸にワニの鱗が刻まれている。
現地での交通手段はカヌーが中心で、となりの村に行くにもカヌーです。カヌーを作るのは専門の職人ではなく、成人した男子であれば、自分の力で家族のためのカヌーを作ります。そして地図もなく、地形を目印にして、複雑に流れている大小の川をこぎまわります。フィリップさんは銛(もり)を使うのがとても上手く、疾走するカヌーから水面下のウナギを一発で仕留めました。そのウナギはブツ切りにして、そのまま石をならべた炉(ろ)で焼いて、私たちにふるまってくれました。裂き方といい、焼き方といい、野生味あふれたものです。
細長いカヌーに並んで座る。この状態で何時間もかけて川を行き来する。
家族のためにカヌーを作る。たくましい男の仕事。
ブツ切りウナギを炉におく。関東風とも関西風とも異なるワイルドな焼き方。
飲み物はもちろんココナッツ(椰子の実)のジュースです。濃厚な甘い味だと思われがちですが、実際はポカリスエットみたいなすっきり味です。現地の男の子が椰子の木を器用によじ登って、実をねじ切って、下の川にボチャンと投げ落としてくれます。それを女の子が拾いあげて、大きなナイフでバカッ、バカッと叩き割ってくれます。セピック川に沿っていくつもの村を訪れましたが、どこでも子供たちがやって来て、私たちについてまわりました。ここの人々は大きな目をしていて、特に黒目が丸くてきれいですが、その顔を見ていると、ニューギニア島の東方にあるニューアイルランド島の石像の印象的な瞳を思い出しました。
枝のない椰子の木を上手に登って、実をねじり取る男の子。
調査の見物にきた子供たち。みんな目がきれい。
女性像(クラプ) メラネシア、ニューアイルランド島 19世紀後半 東京国立博物館蔵(吉島辰寧氏寄贈)
このように書いていると、現地では今なお伝統的で豊かな暮らしが行なわれているようですが、いろいろ見たり聞いたりすると、やはり生活の変化はいちじるしく、このような生活様式がいつまでも続くかは分かりません。彫刻と彩色で飾られる儀式用の精霊小屋(ハウスタンバラン)も建て直されなくなってきています。現地の人々にトーハクの南洋資料の写真を見てもらうと、すでに見かけなくなったものがあると教わりました。まだ人々の記憶があるうちに、多くのことを確かめておかなくてはならないと痛感する調査となりました。
現地の人々との対話は夜遅くまで行われた。
建て直されずに骨組みだけが残った精霊小屋。
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posted by 猪熊兼樹(出版企画室主任研究員) at 2016年11月16日 (水)