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考古学と美術の出会い「特集陳列 うつす・つくる・のこす」のみどころ(1)

10月20日(日)まで本館2階特別2室で開催中の特集陳列「うつす・つくる・のこす-日本近代における考古資料の記録-」のみどころをご紹介します。
今回の特集陳列では、考古学と美術の出会いとも言える、考古学のために描かれた絵画作品を多く展示しています。

まず、皆様をお迎えするのは、大正時代に活躍した洋画家・長原孝太郎や二世五姓田芳柳が描いた大きな油絵です。
 
展示風景
現状の把握コーナー(遺跡を描いた油画と、関連する考古資料や写真を展示しています。)

これらの絵画は考古陳列室に展示するために、帝室博物館(昔のトーハク)から画家へ制作が依頼されました。本作に求められていたのは、遺跡の現状を伝えて理解を助ける、現代でいうところの展示パネルの役割でした。
ケース右手前の《貝塚図》では、土器片が非常に丁寧に描かれていることが眼をひきます。長原は初代東京人類学会会長の神田孝平のもとで古物の整理をしていた経験から、実際に縄文土器をよくみる機会があったのかもしれません。

細部に注目してみると、作品には画家の遊び心がちょっと顔をのぞかせています。
《貝塚図》のサインは土器片に装飾的に組み込まれています。絵画の手前には、モチーフとなった陸平貝塚から実際に出土した土器片も展示していますので併せてご覧ください。
大正時代の考古展示も、こんな風に行われていたのかも知れませんね。

長原孝太郎筆 貝塚図
貝塚図(部分) 長原孝太郎筆 大正5年(1916)頃 現地=茨城県美浦村土浦字陸平 陸平貝塚 東京国立博物館蔵

奥へ進んで、ケースの左端には《群集横穴図》を展示しています。
モチーフとなった吉見百穴は、古墳時代後期から終末期(6~7世紀)に造られた横穴墓群です。明治時代初期には先住民とされた土蜘蛛の住居跡とも考えられ、いわゆる「穴居論争」の舞台になりました。

右下には、横穴の入り口部分が別窓で説明的に描かれていますね。一枚の絵画として鑑賞しようとすると、この入り口の部分が唐突に見えてしまいますが、考古学の展示解説のパネルとしては、十分にその機能を果たしていたことでしょう。
しかも、この入り口部分はもっとも気合いを入れて(?)描かれていて、サインもこの部分にあります。そこだけ切り取ってみると、立派な秋の風景画(!)です。

二世五姓田の義理の兄・五姓田義松も明治11年(1878年)にH・V・シーボルトと吉見百穴を訪れて絵を描いたそうですが、その絵はまだ見つかっておりません。義松の百穴図はどんな絵だったのか、ぜひ見てみたいものです。
 

二世五姓田芳柳 筆 群集横穴図
左:群集横穴図 二世 五姓田芳柳筆 大正2年(1913)頃 現地=埼玉県比企郡吉見町北吉見 吉見横穴 東京国立博物館蔵
右:群集横穴図(部分)


次に、対面する壁付ケースは、重要文化財の武人埴輪から始まります。
吉見百穴の発掘にも関わった埼玉県の素封家・根岸武香の旧蔵品で、有名な埴輪のために絵画資料もたくさんあります。本展覧会では、お雇い外国人のW・ゴーランドの著書に登場する図を併せてご覧いただきます。
外国の方が描くとちょっと外国人風…です。

こちらのケースでは、昭和初期の杉山寿栄男による色鮮やかな復原図の掛け軸を中心に、出土遺物をもとに復原された模造品を展示しています。
 
過去の復元コーナー
過去の復元コーナー(装身具や武具を身に着けた様子がよくわかる人物埴輪と復原模造品、復原図を展示しています。)

さて、進んで中央の昭和初期に制作された2幅の男子像などは、現代的なデザイン画を連想させますね。それは作者がデザインの教育を受けて、印刷業界で活躍された方だからでしょう。
これらの絵画作品の特長は、当館所蔵の考古遺物がそれとわかるようにしっかりと描かれていることです。きっと当時の研究員と繰り返し相談しながら描いたことでしょう。

たとえば、憂いを含んだ瞳が印象的な《上古時代女子図》の女性の耳には、当館所蔵の埴輪と同じかたちの耳飾りが描かれています。額(ひたい)の櫛の使い方は絵画の方がずっとわかりやすいですね。
これらの絵画作品と実際の考古遺物や模造品は一緒に展示していますので、両方を見比べて杉山の視点をぜひ実感してみてください。

杉山寿栄男筆 上古時代女子図 と 埴輪      
左:上古時代女子図(部分) 杉山寿栄男筆  昭和5年(1930)頃 東京国立博物館蔵
右:埴輪 腰に鈴鏡をつける女子
(部分)  群馬県伊勢崎市下触町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵

当館の所蔵するこれらの考古学に関する絵画作品を見ていくと、明治・大正時代は「現状の把握」が第一義で、遺物や遺跡をありのままに「うつす」ことが求められたようです。
次の昭和初期には、「うつす」だけでなく考古学者と造形作家が一緒に展示品を「つくり」、「過去の復元」に努めていった様子がわかります。

また会場中央の覗き込みケースや行燈ケースには、遺物を発掘された状態のままにうつす「現状模造」や、遺物が造られた当時の状態を再現する「復原模造」などを実物と比較して展示しています。これらは、仕様や素材をさまざまに変えながら、考古学者と工芸作家が工夫を重ねた模造品の数々です。こちらもぜひご覧ください。

今回展示する作品は、近代の日本における考古資料の記録であるだけでなく、文化財を後世に遺(のこ)し伝えていくために、博物館の考古学者と造形作家が協働してきた証でもあります。
それはまた、写真と油画の関係や、古物収集家と美術の関係など、日本美術の研究においても多様な広がりを含んでいます。
それぞれの立場から、さまざまな読み取り方をしていただければ幸いです。

ところで、今回の展示の油彩画3点の修理には、館内設置の募金箱にお寄せいただいたご芳志を使用させていただきました。
ご協力くださいました皆様には、心より御礼申しあげます。
このような今回の展示の準備を通じて、文化財を「のこす」活動はご来館くださる皆様によって支えられているということを感じさせられました。

140年の歴史のあるトーハクで多くの方に支えられて守られてきたこれらの作品を、皆様もぜひ実際にご覧ください。
ご来場を心よりお待ちしております。

10月1日(火)(14:00~14:30)は会場で列品解説を行います。どうぞお運びください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 鈴木希帆(登録室) at 2013年09月23日 (月)

 

五感で味わう酒井抱一筆「四季花鳥図巻」

トーハクのWEBサイト企画、「四季花鳥図巻 あなたが好きな場面は?
もうご投票くださいましたか?

どの場面もすてき。迷ってしまいます。
まんまるの朝顔や白菊、グラデーションが美しい蔦もみじ、
おっとりした顔の鳥、生き生き動きだしそうな虫。
それにしても、場面ごとに雰囲気が違う。いろいろな描き方が混じってる・・・?

その通り。
近づいてよく見ると、朝顔は目にもあざやかな群青が重ね塗りされて宝石のようにきらきらします。
白とピンクの菊は胡粉を盛り上げた厚みが干菓子のよう。
蔦もみじは絵具をうすくのばしてうっすら透けています。
鳥は筆数少なくあっさり、いっぽう虫は図鑑のように精緻です。
  
四季花鳥図巻
四季花鳥図巻 下巻(部分) 酒井抱一筆 江戸時代・文化15年(1818)  東京国立博物館蔵
写真では感じとれない美しさ。ぜひ実際にご覧ください。


描いたのは酒井抱一(1761~1828)。
尾形光琳(1658~1716)の絵を好み、光琳の展覧会をひらいたり、
作品を集めた本を出版したりと、光琳の良さを広く知らせるために尽力しました。
「四季花鳥図巻」の丸い朝顔や菊は、光琳の描く花によく似ています。
木の幹の、にじみを活かした「たらしこみ」も、
光琳や、光琳が好んだ俵屋宗達の絵にしばしば用いられる技法です。

抱一の「四季花鳥図巻」、とくに私が好きなのは、<はじめ>と<おわり>です。
<はじめ>は半円形の月と、その前に優美な曲線の枝を重ねる萩が
すずしげでさわやかな印象です。萩には鈴虫、その下に松虫が。
秋の夜、虫の音が聞こえてきます。
 
四季花鳥図巻(巻頭)
巻頭部。小鳥は左を向いて次の場面へと視線を導きます。

花鳥すなわち草木花に鳥の組み合わせは、日本でも古くから描き継がれてきました。
これに虫が加わるのは、おもに江戸時代後半からです。
ちなみに、抱一の「四季花鳥図巻」に近い時期には、
お殿様自らがたくさんの虫を描きためたアルバムも作られています。
伊勢長島藩藩主・増山正賢(号・雪斎)筆「虫豸帖(ちゅうちじょう)」です。

虫豸帖
東京都指定文化財 虫豸帖 増山雪斎筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
(2013年10月1日(火) ~ 2013年11月10日(日)、本館8室にて展示予定)


中国の花鳥図巻にはしばしば虫が含まれています。
ただし、中国画では鳴声のきれいな秋の虫はあまり選ばれていません。
抱一は虫の音すだく、親しみ深い日本の秋を表現しているのです。
(岡野智子「酒井抱一筆「四季花鳥図巻」にみる草虫表現―中国絵画との関連をめぐって―」『MUSEUM』551号、1997年)

<おわり>は雪つもる白梅の枝に呼応しあう鶯、藁囲いをかぶせた水仙です。
白に白を重ね、香りに香りを重ねる清々しい場面です。
 
四季花鳥図巻

四季花鳥図巻 巻末部
巻末部。まだ寒い中にも、鶯の呼び声が春の近付きを知らせます。

虫の音、花の香り。
抱一の描写からは、目に見えない季節感まで感じることができます。
色あざやかな花や紅葉より、時にいっそう四季を感じるのです。

巻物としての<はじめ>と<おわり>も見てみましょう。

題せん
巻物の内容をしるす、いわば“本のタイトル”部分。

<はじめ>の部分を見えるように展示しています。
巻物をすべて巻くと、この部分が表紙となります。
かなで「あきふゆのはなとり」と書かれています
(ちなみに上巻は「春夏乃花鳥」と漢字で書かれています)。

落款
「文化戊寅晩春 抱一暉真写之」の署名と「雨華」・「文詮」の印。


<おわり>には、描いた人のサインが入っています。
ここから、抱一が文化15年(1818)春の終わりに描いたことがわかります。
この数年後、抱一は銀箔の「夏秋草図屏風」を描きます。

酒井抱一の「四季花鳥図巻」・「夏秋草図屏風」は、それぞれ8・7室にて展示中。
来週末、9月29日(日)までです。

トーハクで、あなたの秋を見つけてください。

蟻
この蟻がどこにいるのかも見つけてください。

カテゴリ:研究員のイチオシ秋の特別公開

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posted by 本田光子(絵画・彫刻室研究員) at 2013年09月21日 (土)

 

Free admission for foreign student!! 9/21(土)は「留学生の日」!

9/21(土)は、毎年恒例「留学生の日」です。

トーハクでは、日本で学ぶ外国人留学生の皆さんに、日本の文化や伝統に触れ、理解を深める場として利用していただくために、毎年秋に「留学生の日」を設け、留学生とその同行者の方は、総合文化展観覧料金を無料としています。

 
今年のポスター・チラシはコチラ。4カ国でしつこいほどに「留学生無料!」。

 
当日は観覧料が無料となる他にも留学生を対象としたさまざまなイベントを実施!

とくに応挙館でのお茶会は、配布開始後すぐに整理券がなくなるほどの大人気となっています。
 

お茶会で日本文化を体験!


また、ボランティアによる「日本美術の流れ」英語ガイド(10:00~11:00、15:00~16:00、本館2階 1、3、4、5・6、10室)も、大変わかりやすいと好評です。
 

英語ガイドの様子。お気軽に声をおかけください
 

当日のイベントの詳細は留学生の日のページをご覧ください。当日の館内案内マップもダウンロードできます。


さらに!

 

今年はなんと、「留学生の日」が「秋の特別公開」の期間と重なっている大チャンス!

トーハクが誇る大人気のアレや、この機会を逃すと次はいつ見られるかわからないアレも、全部無料で見られる大変おトクな機会です。

 
留学生の方自身はもちろん、ご友人・お知り合いに留学生がいらっしゃる方はチャンス到来!

皆様、お誘い合わせの上、ぜひぜひご一緒にご来館ください。
 

カテゴリ:news催し物

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posted by 田村淳朗(広報室) at 2013年09月19日 (木)

 

西域の美術「二菩薩立像幡」の見どころ

秋の特別公開に際し、東洋館3室 西域の美術では「地蔵菩薩像幡」「菩薩立像幡」「二菩薩立像幡」の3点が展示されます。

西域の美術
(左)地蔵菩薩像幡 中国・敦煌莫高窟蔵経洞 ペリオ探検隊将来品 唐時代・9世紀 ギメ美術館交換品
(中)菩薩立像幡 中国・敦煌莫高窟蔵経洞 ペリオ探検隊将来品 唐時代・9世紀 ギメ美術館交換品
(右)二菩薩立像幡 中国・敦煌莫高窟蔵経洞 ペリオ探検隊将来品 五代~北宋時代・10世紀 ギメ美術館交換品
いずれも東京国立博物館蔵。秋の特別公開(2013年9月18日(水)~9月29日(日))にて公開。

はじめに、幡(ばん)について説明しましょう。
幡とは仏殿内の柱や天蓋、高座に掛けたり、堂外に掲げたりする荘厳具(しょうごんぐ)の一つです。
幡の形態は幡頭・幡身・幡手・幡足からなります。幡頭は三角形、幡身は長方形で、その左右に幡手を、また下の縁に幡足をそれぞれ着けます。
幡頭には釣鐶(ちょうかん)をつけ龍頭の顎に掛けるのです。その光景はまるで大きなイカを干しているかのようです。

つぎに、なぜ敦煌にあったこれらの作例が当館の所蔵になったのか、簡単に説明しましょう。
1900年、中国の甘粛省 敦煌莫高窟から、これらの作例をはじめ絵画や経典、文書などが大量に発見されました。後にそれらが発見された敦煌莫高窟の洞窟は蔵経洞(第17窟)と名付けられます。
1908年、フランス人東洋学者ポール・ペリオは敦煌莫高窟を訪れると、蔵経洞の内部に収められていた品々に対する調査、収集を行いました。
ペリオがフランスに持ち帰った資料のうち、経典や文書類はフランス国立図書館に、絵画はギメ美術館に収蔵されます。
そして1981年、これらの作例はギメ美術館交換品として当館の所蔵となったのです。

最後に、明日9月19日(木)の列品解説で私が取り上げる「二菩薩立像幡」について説明しましょう。
私はこれがはたして本来的に幡といえるのかと考えています。
『列品記載簿』という館蔵品に関する博物館の記録を見ますと、実はこの作例がギメ美術館から当館に移された際、「二菩薩立像」と記され、「幡」とは書かれていませんでした。
この作例は寸法が縦167.5cm×横132.0cmと大きく、麻布2枚を縫い合わせてつくったものです。また上方の縁には、あたかものれんに棒を通すための「チギレ」のような部分、すなわち「羂(わな)」が縫いつけられています。
周囲を墨で四角形に縁取った中に、菩薩立像2尊を大きく描き、その下に男女の供養者6人を配置しています。

二菩薩立像幡 ちぎりと縁取り
二菩薩立像幡の羂(わな)と縁取り

私はこの作例を、洞窟の内外を荘厳(しょうごん)した道具としての幡でなく、礼拝対象としての尊像画ではないかと考えています。
第一の理由は、幡とみなす根拠と考えられてきた、「羂」や縁取りをもった尊像画が、大英博物館やギメ美術館に所蔵される敦煌絵画に多数認められることです。
大英博物館所蔵の「観世音菩薩像」(北宋時代 開宝4年(972))、「観世音菩薩像」(北宋時代 太平興国8年(983))、そしてギメ美術館所蔵の「釈迦説法図」(北宋時代 10世紀後半)、「不空羂索観音菩薩図」(北宋時代 10世紀後半)には、絵画でありながら「羂」が認められます。

第二の理由は、幡として知られる図像に、供養者像を描き込む作例が見られないことです。
いっぽう、先述の大英博物館所蔵の二つの「観世音菩薩像」、そしてギメ美術館所蔵の「不空羂索観音菩薩図」のほか、ギメ美術館所蔵の「幡を持つ観音菩薩立像」2面(五代時代~北宋時代 10世紀)などには供養者像が描かれていますが、幡の形態をなしていません。

第三の理由は、幡本来の使い方から見て、この幅の広い絵を竿に吊るして、練り歩く、あるいは天蓋に吊すなどの使用が考えがたいからです。
例えば、先述のギメ美術館所蔵の「幡を持つ観音菩薩立像」のほか、敦煌莫高窟第172窟東壁北側壁画文殊菩薩図(盛唐 8世紀)、第9窟東壁北側壁画文殊菩薩図(晩唐 9世紀半ば~10世紀初め)、ギメ美術館蔵の「引路菩薩図」(五代時代 10世紀)などでは幡を竿に吊して持っている、また敦煌莫高窟第332窟南壁上部壁画涅槃変相(初唐 7世紀)では龍頭の顎に幡を吊す、そして敦煌莫高窟第302窟前室南壁画仏説法図(隋時代 6世紀末~7世紀初め)や第305窟西壁北側壁画仏説法図(隋時代 6世紀末~7世紀初め)では天蓋に幡を吊す図像が見られ、当時の敦煌における幡の使い方を知ることができます。
いずれも細長い幡がひらひらと風に翻るように描かれます。

以上の三つの点から見れば、「二菩薩立像」を幡と見ることは難しいと考えます。

この絵は公開後、修理される予定で、しばらくの間見ることができなくなります。
ぜひこの機会にこの絵画をお楽しみください。

秋の特別公開 江戸琳派の粋 酒井抱一 「夏秋草図屏風」など9件を、2週間限定で公開
2013年9月18日(水)~9月29日(日)

列品解説
「秋の特別公開 西域美術鑑賞入門」
2013年9月19日(木)   14:00 ~ 14:30 東洋館3室
講師:勝木言一郎(出版企画室長)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ秋の特別公開

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posted by 勝木言一郎(出版企画室長) at 2013年09月18日 (水)

 

「夏秋草図屏風」の見どころチェック!

東京国立博物館が誇る名品の一つとしてすっかり定着した感のある酒井抱一筆「夏秋草図屏風」。
今回はその見どころについて、少しご紹介いたしましょう。
まず、みなさんにチェックしていただきたいポイントがあります。

(1)画面には何が描いてありますか?
(2)この作品の裏側には何が描いてありましたか?

この2つがスラスラと答えられる方は、作品の見どころの初級編は見事合格です! 
どれか一つでも不安のある方、では順に見てまいりましょう。

夏秋草図屏風
重要文化財 夏秋草図屏風 酒井抱一筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵



まず(1)「画面には何が描いてありますか?」。ひと目見て、銀色の背景に草花が揺れていることはおわかりいただけますが、実はここにはヒルガオ、ユリ、オミナエシ、クズ、フジバカマなど多種多様な植物が描かれています。

昼顔 ユリ
左:ヒルガオ、右:ユリ

 フジバカマとススキ
左:クズ、右:フジバカマとススキ

そしてよく見ると、向かって右側の屏風(右隻とよびます)に夏草、左には秋草がまとまっていることに気付きます。この屏風は右隻「夏草図」と左隻「秋草図」に分かれているのです。

夏草たちをさらによくみると、葉先をほぼ真下にむかって垂らしていますね。また画面の右上には水溜りのようなものも見えます。これは、夏特有の夕立のような激しい雨の様子を、雨粒を描くことなく表現しているのです。

では「秋草図」の草花の様子はどうでしょうか。夏草たちに比べ、葉先は横方向になびき、蔦の葉が宙を舞っています。抱一が目に見えない秋風の姿を、秋草のかたちを借りて表現していることに気付きます。



さて次は(2)「この作品の裏側には何が描いてありましたか?」です。正解は、尾形光琳(1658~1716)筆「風神雷神図」(重要文化財、東京国立博物館蔵)。「夏秋草図屏風」は、光琳の「風神雷神図」の背面に、酒井抱一が後から描き入れたものです。(現在は二つを分けてそれぞれ屏風の形にしています)

風神雷神図屏風 尾形光琳筆
重要文化財 風神雷神図屏風 尾形光琳筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵

ここで両者の関係性を確認してみましょう。「風神雷神図」の右隻は「風神図」、左隻は「雷神図」。「雷神図」の裏面に「夏草図」、「風神図」の裏面に「秋草図」が描かれたことになります。つまり、雷神により降らされた雨に打たれる夏草と、風神によって巻き起こる風になびく秋草という関係を描いているのです。

夏秋草図屏風と風神雷神図屏風

もともと光琳の「風神雷神図屏風」は、俵屋宗達の同名作品を踏襲したもので、四季を意識した作品ではありませんでした。抱一が裏面に夏秋草図を描くことで、風神雷神図は夏と秋を描いた四季絵として取り込まれてしまったとも言えます。

このような発想は、作者の抱一が絵だけでなく、歌・能・茶などにも通じた文化人でもあったことに由来するようです。では、酒井抱一とはどのような人物だったのでしょうか?


初級編はここでおしまいです。
今日ご紹介した内容は、今月2回開催する列品解説の中でお話しする予定ですが、ここからさらに一歩踏み込んで、
中級編(3)「作者はどんな家柄出身で、絵を描く以外にどんなことが得意な人でしたか?」(4)「この作品は誰の依頼で描かれたものですか?」などにも触れる予定です。いずれも「博物館ビギナー向け」と銘打ち、普段あまり博物館美術館で江戸時代の絵画をご覧にならない方を対象にしていますので、どうかお気軽にお立ち寄りください!


秋の特別公開 江戸琳派の粋 酒井抱一 「夏秋草図屏風」など9件を、2週間限定で公開
2013年9月18日(水)~9月29日(日)

列品解説
「秋の特別公開 酒井抱一と夏秋草図屏風」
2013年9月18日(水)   14:00 ~ 14:30
2013年9月25日(水)   14:00 ~ 14:30
本館地下1階 教育普及スペースみどりのライオン
講師:金井裕子(特別展室研究員)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ秋の特別公開

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posted by 金井裕子(特別展室研究員) at 2013年09月15日 (日)