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博物館でお花見を(予告)

ひと雨ごとにあたたかくなる、そういった感じのお天気ですが、それでも今年の冬は、寒が強かったためでしょうか、全国的に梅の開花も遅れているようです。
梅は咲いたか、桜はまだかいな・・・春のおとずれが待ち遠しい今日このごろです。

さて、今年も恒例「博物館でお花見を」がやってきます。
2012年3月20日(火・祝) ~ 4月15日(日)の期間、トーハクは内も外も、桜の花ざかり。
展示室では、桜をモチーフにしたかずかずの作品が、みなさんをお待ちしています。
屏風、浮世絵、焼き物の器、漆の調度・・桜を詠んだ漢詩・・豪華なラインナップは当館ならでは。

桜にちなんだ作品
(左) 色絵桜樹図透鉢 仁阿弥道八作 江戸時代 19世紀 (本館13室、2012年2月14日 ~ 5月6日展示)
(中央) 名所江戸百景・隅田川水神の森真崎 歌川広重筆 江戸時代・安政3年(1856) (本館10室、2012年3月20日 ~ 4月15日展示)
(右) 瓢形酒入 船田一琴作 江戸時代・天保14年(1843) (本館8室、2012年3月27日 ~ 6月24日展示)


桜の姿かたち、色、配置も、けっして一様ではありません。桜をいかに美しく表すか、さらには、桜というモチーフにことよせて、画面や器、詩の芸術世界を作り上げるか。それにしても、私たちはなんと昔から、桜を愛でていたことでしょう。

建物を出れば、外のお庭では、ヨシノシダレ、ミカドヨシノ、オオシマサクラ、エドヒガンシダレ、ケンロクエンキクザクラ、ギョイコウザクラといった、さまざまな種類の桜をご覧いただけます。


庭園風景 エドヒガンシダレと茶室春草廬
庭園風景 エドヒガンシダレと茶室春草廬(昨年の庭園の様子)

国宝 花下遊楽図屏風」(2012年3月20日(火・祝) ~ 4月15日(日)展示)はじめ、桜をテーマとした作品の解説や、お庭の桜ガイド、お茶会、桜セミナー、コンサートなど関連イベントも盛りだくさん。桜の作品をめぐるスタンプラリーでは、開館140周年記念バージョンの桜缶バッジをプレゼント。「花の雲鐘は上野か浅草か」(芭蕉)。館内に設置した俳句ポストに、あなたの一句をぜひどうぞ。トーハクならではの桜を、ぜひご堪能ください。

カテゴリ:博物館でお花見を

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posted by 伊藤信二(教育普及室長) at 2012年03月16日 (金)

 

酒宴のうつわ

3月6日(火)から、本館14室において「酒宴のうつわ」と題し
当館所蔵の陶磁器の酒器を集めた特集陳列を行っています。(~5月13日(日))

酒器、とひとことで言っても、いくつかの種類があります。
今回は、お花見の季節に合わせて主に宴席で用いる徳利や銚子、酒呑、杯など
33件を集めて構成しました。
いずれの酒器も、用いられる場所や場面、席主や客の好みなどに応じて創意工夫がされ、
さまざまな意匠のものがあちこちの産地でつくられてきました。
ここでは、バラエティーに富んだ酒器から、いくつかをご紹介します。
(掲載の画像の作品は全て2012年5月13日(日)まで展示)


まずは、土(陶)の酒器
よく焼き締まった徳利は存在感があります。

(左)褐釉菊水文大徳利 志戸呂 江戸時代・万治3年(1660)
(中)黄瀬戸酒呑 美濃 安土桃山時代・16世紀 広田松繁氏寄贈
(右)自然釉徳利 備前 室町時代・16世紀 山梨謙蔵氏寄贈




次に、磁器の酒器から伊万里の染付のものなど4点。
伊万里焼の酒器は、コレクターのなかでも特に人気がありますが、
伊万里だけでも、これだけ多様な形があるのです(これはその一部にすぎません)
   
(左)黒地点斑文瓶 伊万里 江戸時代・17世紀 広田松繁氏寄贈
(中左)染付花卉図角徳利 伊万里 江戸時代・17世紀 横河民輔氏寄贈
(中右)瑠璃地金銀彩山水図徳利 伊万里 江戸時代・17世紀
(右)染付松竹梅文徳利 伊万里 江戸時代・17世紀



二つの銚子。
もとは漆や金属などでつくられた酒器を、やきもので表現しています。
 
(左)染付銹絵龍田川図銚子 京焼・御菩薩池 江戸時代・18世紀
(右)色絵花鳥文銚子 伊万里(古九谷五彩手) 江戸時代・17世紀



地方窯の徳利から、特にユニークな二つ。
讃窯の徳利は、別名「髭徳利」とも呼ばれ、ドイツに本歌があります。
鴨徳利は、囲炉裏の灰の中で燗をつけるために、通常の徳利が横に倒れたかたちをしています。
 
(左)褐釉人面貼付文徳利 讃窯 江戸時代・19世紀 小倉安之氏寄贈
(右)緑釉鴨徳利 小杉 江戸時代・19世紀



そして、中央のケースには、伊万里、景徳鎮、唐津を取り合わせてみました。
皆さんならどんな組み合わせの酒器を用いたいと思われるでしょうか?

(奥)色絵祥瑞文瓢形徳利 伊万里(祥瑞手) 江戸時代・17世紀
(点前左)古染付捻文杯 景徳鎮窯 中国 明時代・17世紀 広田松繁氏寄贈
(点前右)黄釉酒呑 唐津 江戸時代・17世紀 広田松繁氏寄贈



やきものは、日常生活と接した身近な美術工芸品です。
鑑賞者は、願わくば作品を手にとって、
掌中におさめたときの感じまでをも体験できることが望ましいのですが、
博物館ではそれは叶いません。


展示をするときは、やきものができるだけ生き生きとして見えるように、
いつも並べ方、置く位置などに工夫をするように心がけています。
今回も、先輩研究員のアドバイスを受けながら、自分なりに納得いくまで
何度も何度も何度も…置き直しました。
たとえば器は、向きを少しひねるだけでも、途端に表情が変わることがあります。
これはやきものという立体作品ならではの面白さ、奥深さだと思いますし、
何より「☆!(ピン!)」とくるポイントが見つかると、
実はこっそり小躍りしたくなるほど嬉しかったりします。


展示室でも、可能な限り(ほかの鑑賞者の方の妨げにならない限り)、
ぜひケースの横にもぐるっと回ってご覧になってみてください。
前から見ていただけでは見えなかった、思いがけない発見があるかも・・・しれません。


ゆるやかに描かれた鉄絵がユニークな朝鮮の瓶と杯

(左)鉄砂草花文瓶 朝鮮 朝鮮時代・17世紀
(右)絵刷毛目杯 朝鮮 朝鮮時代・15~16世紀 広田松繁氏寄贈



横から見てみると・・・

「☆!」 瓶の中の人が楽しく酒盛りしています♪

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posted by 横山梓(特別展室) at 2012年03月15日 (木)

 

黒田清輝-作品に見る「憩い」の情景2

本ブログは、特集陳列「黒田清輝-作品に見る「憩い」の情景」(~ 2012年4月1日(日))で展示される作品をご紹介する全3回のブログのうちの、第2回です。

黒田は1893年夏にフランスから帰国します。同年秋、生まれて初めて京都を訪れ、「始めて日本と云ふ一風変つた世界の外に在る様な珍しい国に来た様な心持」がしたといいます。特に舞妓に興味を抱き、「天下無類」「実に奇麗なものだと思ひました」と語っています。≪舞妓≫(1893年)はそうした折の作品です。モデルとなったのは小野亭の小ゑんという舞妓で、画面の右に後姿で描かれているのが仲居候補のまめどんです。近づいてきたまめどんに話しかけられて応えようとする瞬間の表情がとらえられています。お座敷に出ているときとは異なるくつろいだ自然な表情です。


重要文化財 舞妓 黒田清輝筆 明治26年(1893)
(~2012年4月1日まで展示)



日本に帰ってからの黒田は、フランス留学で学んだことを踏まえて日本の油彩画を制作しようとしていきます。フランスのサロンに出品されていたような絵画を日本の主題、モチーフで描くことを意識して、帰国後最初に取り組んだのが≪昔語り≫の制作でした。


昔語り下絵(構図Ⅱ) 黒田清輝筆 明治29年(1896)
(~2012年4月1日まで展示)

≪舞妓≫を描いた1893年秋の京都滞在の折、黒田は清水寺周辺を散策し、清閑寺という寺で平家物語にまつわる寺の由来を居合わせた老僧から聞きます。清閑寺は高倉天皇の寵愛を受けたために平清盛に恨まれた小督の局が出家させられて住んだ所です。その話を聞き、まるでその時代に居るような心持になった黒田は、いつか人が話をする情景を絵にしようと思ったと語っています。老僧を若い男女が囲んで話を聞く構図は、フランス留学中に黒田が作品への助言を受けに訪ねたピュヴィス・ド・シャヴァンヌの≪休息≫という壁画を参考にしているという指摘があります。シャヴァンヌは19世紀後半に壁画の大家として活躍し、フランスの公共建築内部に多くの作品を残しています。≪休息≫は≪労働≫と対を成す作品で、ひろやかな自然景観の中に古代風の人物を配して、自然に働きかけて日々の糧を得、休息時には長老の話を聞いて知識を得る生活を表しています。黒田はこの作品に深い共感を抱いていたようです。
 

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posted by 山梨絵美子(東京文化財研究所 企画情報部近・現代視覚芸術研究室長) at 2012年03月12日 (月)

 

書を楽しむ 第10回「屋外の書」

東京国立博物館の展示室で書をごらんになった皆さん、「博物館の書は展示室で見るもの」と思っておられませんか。実は建物の外にも書はあるのです。
まず、正門。門標の「東京国立博物館」(画像1)は見過ごしてしまいますが、これも書です。筆者は明記されていませんが、おそらく館名が「国立博物館」から「東京国立博物館」に変更された昭和27年(1952)当時の館長であった浅野長武(1895-1969)の筆になるものではないかと考えられます。浅野は広島藩主の家に生まれ、大戦前から美術史家として著名で、逝去まで18年にわたって館長を務めました。

正門の門標(画像1)

表慶館の階段右側の植え込みには中世の板碑が立っています(画像2)。建武元年(1334)の年号があります。大ぶりでそれほど上手とは言えませんが、約670年前に書かれた無名の筆者の文字です。

表慶館の階段右側の植え込みにある中世の板碑(画像2)

平成館の玄関前には「平成館(舘)」という標石があります(画像3)。これまた「あるのは当然」みたいに思ってしまいますが、実はこれもただの文字ではありません。裏側へ回ってみてください。由来が書いてあります。当館所蔵の国宝「元暦校本万葉集 巻十八」の中から「平」「成」「舘」の文字を抜き出してきたものです。このような作業を「集字」と呼び、書籍の表紙に題名を付けるときなどにも行われます。最近はコンピュータによる検索で便利になりましたが、昔の集字は、長大なテキストから目当ての文字を探すめんどうな仕事でした。

平成館の玄関前の標石「平成館(舘)」(画像3)

2012年3月10日(土)~4月15日(日)まで「春の庭園開放」で、本館裏手の庭園を散策いただけます。道すがら、石碑が2基、目につくでしょう。一つは回遊路沿いにやや小ぶりなものが立っており、もう一つは茶室「春草蘆」の前に高くそびえています。「第二回内国勧業博覧会碑」(画像4、5)と「町田石谷君碑」(画像6、7)です。
「内国勧業博覧会碑」は博物館が上野に移転してきた明治14年(1881)に開催された産業振興のための博覧会を記念し、その経緯を述べたものです。「撰文」つまり文章を考えたのは「正七位内藤恥叟」、「書」すなわちその文章を揮毫したのが「成瀬温」と、文末に記されています。内藤恥叟は水戸の人で名を正直と言い、漢学者として知られ、帝国大学教授も務めました。成瀬温は号を大域、賜硯堂と称し、書家として明治前期に活躍した人です。その時代、当時の清(中国)から、六朝時代の碑文の拓本が多くもたらされ、書の潮流が大きく変わり始めていました。大域はそのような流れに抗して、唐の顔真卿の書風を守ろうとしました。「博覧会碑」はいわば政府による公式の記念碑ですから、奇をてらうことなく、初唐風の鋭く謹厳な書体で一貫しています。
 
第二回内国勧業博覧会碑 (右)左画像の拡大部分(画像4、5)

「町田石谷君碑」は、当館の初代館長に当たる博物局長を務めた町田久成(1838~97)をしのんで明治43年(1911)に建てられました。町田は薩摩藩の高級武士の家に生まれ、幕末に藩の留学生として英国に渡りました。維新後は博物館の創設を主導し、英国で見た「ミュージアム」を日本に作ることに半生を捧げました。碑の建設は時期から見て十三回忌にちなんだものでしょう。上部の篆書の題は井上馨、碑文は撰が重野安繹、書は杉孫七郎という顔ぶれです。井上馨は長州藩士として幕末に活躍し、維新後は外務卿などを歴任した政治家として著名です。重野は町田と同じ薩摩藩出身の学者で近代日本の歴史学の基礎を築いた人物です。杉孫七郎は長州出身で長く官僚を務めた人ですが書家としても知られ、長三州、野村素軒とともに「長州の三筆」と称されました。井上も杉も欧州留学の経験があり、それぞれ町田とは縁があったのでしょう。
 
町田石谷君碑 (右)左画像の拡大部分(画像6、7)

最後に、もし子ども図書館や寛永寺、谷中方面に足を延ばされる機会があれば、観覧のお客様が通られることの少ない「東京国立博物館西門」の門額(画像8)に目をとめてください。現副館長の島谷弘幸が揮毫したものです。

「東京国立博物館西門」(画像8)

当然のことですが、書があるのは博物館の敷地の中だけではありません。街中を歩けばあちこちに書を見つけることができます。実は、書はそれくらい、私たちのくらしの中に溶け込んでいます。その昔、寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と宣言しましたが、「書をさがしに、町へ出る」のもまた楽しいものです。機会があればそちらもご紹介したいと思います。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 田良島哲(書籍・歴史室長、調査研究課長) at 2012年03月11日 (日)

 

人と文化財について改めて考えてみる「保存と修理見学ツアー」

3月1日(木)、2日(金)に建学ツアー「保存と修理の現場へ行こう」が行われました。その様子を教育講座室、神辺がレポートいたします。

このツアーは、平成館企画展示室にて、現在行われている特集陳列「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(~2012年4月1日(日))の共催企画で、一般の方に、当館で行っている修理の現場を保存修復課研究員の解説付きで見学していただき、文化財の保存について知ってもらうことがねらいです。

今年で12回目となるこのツアーは事前申し込み制ですが、大人気の企画で毎年多くの応募があります。今年も約2倍の倍率を潜り抜け、各日40名が当選されました。

4班に分かれて、いよいよツアーに出発です。


まず、特集陳列「東京国立博物館コレクションの保存と修理」で今年度の修理を終えた作品を見学します。当館の修理は、文化財本来の姿を損なわないミニマムトリートメントが基本。修理材料は文化財を傷めないよう安全第一で、後世文化財のオリジナル部分から修理材料を文化財に負担を与えることなく除去できるようなやり方で行います。

次は本館17室「文化財を守る‐保存と修理‐」でレクチャー。文化財を長く後世に伝えるためには、文化財を修理しなくても良い状態に保つことが理想です。そのため当館では修理技術の向上ばかり目指すのではなく、文化財を取り巻く環境を整えること、いわゆる「予防保存」に重点を置いています。

そして地下の長い長い廊下を歩き、次はX線写場。文化財の破損を未然に防ぐため、見た目では分からないところをX線で撮影し、文化財の診断、調査を行います。現在撮影画像がフィルムからデジタルデータとなり、より正確な分割撮影や分析が可能となりました。仏像の内部、ミイラの骨格、屏風の下絵などを詳細に知ることができ学術研究の幅も広がります。

余談ですが、昨年の見学ツアーは3月11日に行われ、ツアーの最中にあの大地震が起こりました。揺れ続ける真っ暗な廊下を走りぬけゴーという地響きの中、このX線写場から建物の外へツアー参加者を必死に誘導しました。その時の情景が思い出されます。

さて、次は本館の地下廊下のつきあたりにある実験室へ向かいます。室内の温度を一定に保つための二重扉の向こうに、静かで清潔な部屋があります。文化財の救急医療室である実験室では、処置に使用する接着剤の成分にも心を砕き、文化財に与える負担を最小限に抑えようと研究を重ねています。文化財の保存環境を整えるための保存箱製作も重要な仕事です。

最後は刀剣修理室です。刀剣は研ぐと確実に減ります。そのため、当館では研がなくても良い状態に保つ環境づくりに心血を注いでいます。それでもどうしても刀剣にさびができやすい状態になってしまう場合があります。そのような状態を素早く見つけ、さびが進行するのを未然に防ぐため最低限の研ぎをします。

約1時間半のツアー終了後には、参加者からの質問コーナーがありました。当館の修理理念から具体的な修理方法まで様々な質問が出ました。

印象的だったのは、放射能が文化財に及ぼす危険について質問が出た際の神庭保存修復課長の言葉。「文化財にとって放射能は確かに危険だが、放射能のせいで人が文化財に近づけず、文化財の状態を判断できる人が文化財のそばにいないことの方が危険なこと。」さらに「博物館での文化財保存は、保存と公開は両輪であり、どちらが欠けても次世代に文化財は伝えられない。」とも。

人が生み出した文化財を守るのも人で、人に伝えるのも人。この当たり前の流れについて再認識できるツアー。

あなたも来年参加してみてはいかがでしょう。

カテゴリ:教育普及

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posted by 神辺知加 at 2012年03月08日 (木)