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書を楽しむ 第15回「写された書02」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第15回です。

今回も、本館特別1室で開催中の、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))からご紹介します。

写す、
ということが基本中の基本であることは、
何回も言ってきました。

その、写すことに
人生を捧げた人がいます。
田中親美(たなかしんび、1875~1975)です。

親美は15歳のときに、多田親愛(ただしんあい、1840~1905)の門に入りました。
多田親愛は、当時、帝国博物館(トーハクの前身)で働いていて、
親美に、博物館所蔵の古筆(こひつ、平安から鎌倉時代の能書の筆跡)を写させました。

また、親美の父親は、画家の田中有美(ゆうび、1840~1933)、
父親の従兄弟は、冷泉為恭(れいぜいためたか、1823~1864)です。
冷泉為恭は、幕末の動乱期にあって、自らの絵を探求するために模写を続けていました。
その為恭の影響と、多田親愛の教えがあって、
親美は若い頃から、古筆や絵巻などの模写をするようになります。

紫式部日記絵巻、源氏物語絵巻、元永本古今和歌集…今日に残る名品の数々です。

もちろん、原本があっての模本ですが、
模本にもドラマがあります。

大正9年(1920)、
厳島神社の依頼により、国宝「平家納経」の模本を作ることになります。
親美はすでに、書や絵の模写だけでなく、料紙の再現まで行っていました。
「平家納経」では、さらに、軸首や発装、題箋、紐、経箱などの工芸品の模造まで監督。
関東大震災にも遭遇しましたが、5年かかって完成した「平家納経模本」33巻は、厳島神社に納められました。
その後さらに作ったのが、今回展示の「平家納経模本」です。

平家納経模本 平家納経模本 拡大
平家納経(模本)厳王品 田中親美筆 大正時代・20世紀 松永安左エ門氏寄贈 (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 厳島神社所蔵 平安時代・長寛2年(1164)


料紙や題箋などの工芸や絵は、弟子たちと協力して作りましたが、
書は、田中親美自身が全部写したそうです。

ふつう模写は、
字をそっくりに写すことに集中してしまうため、
行間や筆の動きなどが不自然になってしまいます。
でも、
田中親美の模写は、不自然さを感じさせません。

一行ごとの原寸大の写真を、左に、上に、真下において、
何度も何度も見て、目に焼き付けて、書を写していきました。
自分を捨てて、執筆した人になりきって、書を再現することに集中する。
それはとてもたいへんな作業であったと、本人も述べています。

今回の特集陳列「写された書 ―伝統から創造へ―」では、ほかにも、田中親美が模写した
「本願寺本三十六人家集模本」などを展示しています。

本願寺本 本願寺本 拡大
本願寺本三十六人家集(模本) 田中親美筆 明治40年(1907) (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 西本願寺所蔵 平安時代・12世紀


平安時代の作品を、明治・大正時代にこれだけ再現する、
その熱意と苦労の継続を想像してみてください。

文化財の保護と伝統文化の継承という
ふたつの大きな仕事を成し遂げています。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月04日 (月)

 

生まれ変わった東洋館!~耐震補強編2~

「生まれ変わった東洋館!」シリーズは今回で2回目です。
「耐震補強編2」として今回は、前回のブログでご紹介した「耐震補強方法」を用いて実際に行われた東洋館の「耐震補強工事」についてお話いたします。



1)鉄骨ブレース

前回のブログでお話した通り、作品を展示しない附属棟においては鉄骨ブレースを主に採用しました。
図1は鉄骨ブレースを設置した壁を正面から見た図もの。灰色のところが建物の壁で、赤く着色された逆Vの部分が鉄骨ブレースです。

図1

さて、それでは実際にどのように工事するのか見ていきましょう!


図1のように逆Vの字のまま鉄骨ブレースを設置場所まで持っていければいいのですが、廊下などを経由して
持っていかなければならないため細かく工場で分断されて搬入されます。


台車に載せて壁にぶつけないように一つづパーツをこのようにえっちらおっちら運び・・・

すべて運び終えました! さあ、組み立てです!

まず、工場であらかじめ作製した鉄骨ブレースをこのようにおいて…


上記の写真でばらばらに離れていた部分を溶接して繋げます。


繋ぎ合わせた鉄骨ブレースをいよいよ起こしあげていきます!

 
起き上って壁に固定されました。右の画像の赤く囲った部分にコンクリートを流して、鉄骨と建物を一体化させます。


最後は壁の色と合わせた塗装を行い完成です!



2)耐震壁

こちらは、鉄骨ブレースの工事に比べると、ちょっと大変です。
まず、耐震壁の増厚をする個所について、展示ケースの撤去作業を初めに行いました。写真では、カメラフラッシュに現場の粉塵が反射して雪のよう舞っています。これだけ粉塵が舞っているので作業員の方々もマスクをして作業しています。私もマスクしてこの工事現場に入ることがありました。歩いているだけでも息苦しく感じました。ここでの作業は、相当苦しかったのではないかと想像できます。



次は、埋設物探査です。壁の増厚はただ厚くするだけでなく、鉄筋を組んで強固なものにしなければなりません。鉄筋は文字通り人間でいう「筋」みたいなもので、これがなければいくら壁を厚くしても耐久力がでないため、あまり意味がありません。
さらにその鉄筋を既存の壁と一体化するため、既存の柱にアンカーボルトを打ち込みます。また、コンクリートを流すための型枠を固定するボルトを設置します。それらの作業の際に、コンクリートの内部にある鉄筋などを傷つけないようにするため、予め埋設物探査行いました。

 
まずは、壁の中の鉄筋など埋設されているものの位置を探ります。


次はアンカーボルトを打ち込む作業です。


こうして、「鉄筋」が組みあがりました。


コンクリートの型を作るための「型枠」を設置します。
この型枠の裏側(鉄筋が見える側)にコンクリートを流します。

 
さあ、いよいよコンクリートを流し込みます。
コンクリートポンプ車でコンクリートを圧送し、型枠が組み終わった耐震壁に流します。


コンクリートを流し込んだ際に、型枠が崩れないよう鉄パイプでガチガチに固めているため、型枠の表面がほとんど見えていません。
コンクリートの圧入口はこの壁一枚で3か所あります。
一つの圧入口ではこの壁すべてにコンクリートが流し込めないからです。
画像下の圧入口(1)からコンクリートを入れ、その後、上の圧入口(2)、(3)から入れるという段取りです。ただ圧入するだけでは内部に鉄筋もあるため隅々まで行き渡らないので、作業員の方が木槌で型枠を叩いたり、携帯電話のバイブレーションのように振動する機械などで型枠の振動を利用して隅々までコンクリートを行き渡らせます。
なお、コンクリートが隅々まで行き渡っているかは測定器で調べることができます。



こうしてコンクリートを流し込んで所定の日数が過ぎたら型枠を取り外して…
これで「完成」です!




以上、耐震補強工事についてご紹介いたしました。
いかがでしたでしょうか?

これで作品も人も守ることが可能となりました。
このように何の変哲もない壁にも様々な技術を駆使し多くの手間をかけて施工をしています。
因みに、2011年3月11日の東日本大震災の時にはこの耐震工事のおかげさまで東洋館の建物自体は無事でした。
しかしながら、この震災により工事を中断しなくてはならない事態が発生し、現在、その残工事を行っているところです。
余談になりますが筆者はこの3月11日に東洋館の地下1階にいました。
この話についてはまた次回以降にでも・・・。


ここまで、読んでいただきありがとうございました!
次回は「タイル編」としてタイルの製作についてのエピソードをご紹介したいと思います。

カテゴリ:展示環境・たてもの

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posted by 白澤利紀(環境整備室係長) at 2012年05月30日 (水)

 

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」 入場者40万人達成!

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」は、2012年5月29日(火)午前、40万人目のお客様をお迎えしました。
多くのお客様にご来場いただき、心より御礼申し上げます。

40万人目のお客様は、浦和市よりお越しの高原芳子さんです。
お友達で板橋区からお越しの前田千恵子さんと一緒にお越しくださいました。
東京国立博物館長 銭谷眞美より、記念品として、本展図録とオリジナルグッズのふろしきを贈呈いたしました。

左から、前田千恵子さん、高原芳子さん、銭谷眞美館長
2012年5月29日(火) 東京国立博物館平成館にて


高原さんも前田さんも、東京国立博物館にはよく特別展を観にきてくださるとのこと。
今回の展覧会も、以前ご来館いただいたときに手に取ったチラシがきっかけで、ご興味をもたれたそうです。
注目の作品を伺ったところ、「大きくて迫力があると聞いている雲龍図」とのことです。

特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」は6月10日(日)まで開催しています。
かつて海を渡った、まぼろしの国宝とも呼べる日本美術の至宝を、ぜひお見逃しなく!

カテゴリ:news2012年度の特別展

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posted by 広報室 at 2012年05月29日 (火)

 

東洋の青磁

現在、本館14室で展示中の、東京国立博物館140周年特集陳列「東洋の青磁」(~2012年7月29日(日))の展示作品についてご紹介します。

青磁輪花鉢は、コレクター横河民輔氏が昭和9年(1934)に紆余曲折の末に入手した際、「この鉢が入って、僕のコレクションは画龍点睛だよ」と語ったというエピソードがあります。その当時このように貫入と呼ばれる釉薬のひび割れが生じた青磁は注目されていませんでした。南宋時代(1127~1279)に都が置かれた臨安(現在の浙江省杭州)に郊壇下官窯(こうだんかかんよう)が発見され、この種の青磁は南宋時代に宮廷向けに焼かれた官窯の製品であることが明らかになりました。
この鉢は昭和12年(1937)に当館に寄贈され、以来館を訪れる多くの人々に親しまれています。


重要文化財 青磁輪花鉢 南宋官窯 南宋時代・12~13世紀 横河民輔氏寄贈

耀州窯(ようしゅうよう)は陝西省銅川市(せんせいしょうどうせんし)に位置し、北宋時代にオリーブグリーンの釉下にきびきびとした文様が刻まれた青磁を焼きました。このような青磁は、昭和初期には文献に名高い汝窯(じょよう)の青磁ではないかと考えられたことがありますが、戦後耀州窯が発見され、この種の青磁の中心的な生産窯であったことが明らかになりました。


青磁唐草文香炉 耀州窯 北宋時代・11~12世紀 広田松繁氏寄贈


耀州窯は中国の窯址の中でも、学術的な発掘が最も進んだ窯の一つです。調査の成果により、その起源は唐時代にまで遡り、五代(907~960)には文様の無い、青緑色の青磁が焼かれていたことが判明しました。


青磁碗 耀州窯 五代~北宋時代・10~11世紀 島田謹一郎・みつ子氏寄贈

この種の青磁は五代の後周の官窯とされる柴窯、あるいは北宋時代に都開封の東南にあったとされる東窯との関係が取りざたされています。陶磁史研究の進展により、幻の名窯は少しずつその実像が明らかになってきています。


国宝 青磁下蕪瓶 南宋時代・13世紀 アルカンシエール美術財団蔵

国宝に指定されている青磁下蕪瓶は、かつて南宋官窯の一つである修内司(しゅうないし)官窯の作ではないかと考えられていましたが、その後杭州に老虎洞窯址が発見され、修内司官窯説は否定される方向にあります。ただし、龍泉窯においてもこの瓶と完全に一致する資料は発見されていません。この瓶のもつ気品と風格をどのように解釈するか、中国の青磁の歴史は、核心に迫る部分にまだまだ大きな謎が残されています。


(関連事業)
列品解説 国宝 青磁下蕪瓶について 2012年6月1日(金) 当日受付

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 今井敦(博物館教育課長) at 2012年05月28日 (月)

 

『至宝とボストンと私』 #7 平治物語絵巻

第2章の展示室には、在外二大絵巻といわれる「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」が全巻展示されています。こんなに豪華な展示は、ボストン美術館でもなかなか出来ないそうです。
『至宝とボストンと私』第7回目は、絵画・彫刻室研究員の土屋貴裕(つちやたかひろ)さんと、平治物語絵巻を見てゆきます。

第2章展示室
特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」絵巻のコーナー


『研究員の目はマニアック?』

広報(以下K):絵巻は、内容を知らなくても絵を追っていくだけで楽しいです。
さて、今回は全巻を全期間展示という素晴らしい企画ですね。

土屋(以下T):まさにそうですね。巻替えもなく、全場面を見ることが出来て大変嬉しいです。

平治物語絵巻
平治物語絵巻 三条殿夜討巻(さんじょうどのようちのまき)(部分)
鎌倉時代・13世紀後半

実は私はこの「平治物語絵巻」にはご縁がありまして、大学生の時に名古屋ボストン美術館での展覧会で、そして昨年、調査のために訪れたボストン美術館の収蔵庫で拝見する機会がありました。
今回で3度目の機会になりますが、何度見てもすごい作品です。

K:どんなところがすごいのか、ポイントを教えてください。

T:それではまず、武士たちの脚に注目してみてください。

平治物語絵巻 足部分

皆引き締まっていてたまらないですね!馬も良い脚してます。
ふくらはぎのもりもり感、すね側のすっきり感、そして足首にかけてのライン!

K:土屋さん…(汗)。でも、私も脚フェチなのでよく分かります!

T:そうでしょうそうでしょう!これを描いた人はきっと、脚の表現にこだわりがあったのだと思うのです。
この作品に限らず絵巻は、一人で描くのではなく工房で複数の人間が手分けして描くものですが、絵師によって画風がバラバラだと作品に統一感がなくなってしまいますよね?
それで、工房の親分のような人が、スタイルを指導するのです。
総合文化展(本館2室 国宝室)で展示中の国宝 平治物語絵巻 六波羅行幸巻(5月27日まで)でも、その表現が貫かれています。

K:脚の描き方まで、親分がしっかりディレクションしていたのですね。確かに、皆さんそろって脚が速そうです。しっかり作品を見たつもりでしたが、脚の表現までは注目していませんでした。
その他に注目のポイントはありますか?

T:やはり、火炎の表現です。

平治物語絵巻 炎部分

炎の勢いはいよいよ激しく、煙はもくもくと立ち昇り、そして火花が舞い散る。本当にリアルな表現です。
この火の粉には「吹墨(ふきずみ)」という技法が使われています。
絵具をつけた筆に息を吹き付けたり、筆の柄の部分をトントンと叩いて絵具を飛ばす技法です。炎をより恐ろしく、リアルに描こうとする絵師のこだわりを感じますね。
ちなみに、一番最後の詞書の部分をよく見てみてください。

平治物語絵巻 最後部分

最後の行に、赤い点があるのが見えますか?

平治物語絵巻 いの字の上

K:んー、小さい点ですが、確かに見えます。

T:実は、東博のOBでもある故秋山光和先生がこの赤い点を発見されました。40年前、ボストン美術館の名品展が当館で行われていた頃です。
この火の粉の跡によって、この詞書の左側にも火炎表現が描かれていた可能性があったのではないか、と発表されました。

K:現在では失われてしまった部分に絵が存在していた、ということですね?それをこの小さな点々から明らかにされたなんて、恐れ入ります!そこまで見るか!という感じです。

T:細部をじっくりと観察する。これぞ「プロの仕事」ですよね!私も常にそういった態度で作品に接したいと考えています。


『無残な表現は何のため?』

K:見れば見るほど、細かい表現が気になりますね。絵師たちの集中力、気迫が感じられます。

T:そうですね。例えば絵の中盤、屋根の下あたりをご覧ください。

平治物語絵巻 下書き部分 

下描きの線が見えますね。絵を描く途中で、構図の変更があったことがわかります。絵師が大変苦労してこの絵巻を完成させたことが伝わってきます。

K:確かに、一旦描いてしまったら簡単に消したり出来ないですもんね!神経をつかいそうです…。

T:こうやって、絵師の苦労に思いを馳せるのも、絵巻を楽しむポイントのひとつです。

K:楽しむといえば、この絵巻は誰かが鑑賞して楽しむものだったのでしょうか。何のために描かれたのですか?

T:それは、はっきりとは分かっていません。
この巻で特に繰り返し描かれる残虐な場面。これを鎌倉時代の人たちがワクワク楽しんで見ていたのか、私自身大変疑問に思います。
詞書にもこの三条殿での惨状が記されているのですが、ここまで詳しく描かないという選択もできたわけです。
ましてや殺されているのは、女房や御所に仕えるなど非武装の人たち。それを何故このようにリアルに描いたのか、誰が何の目的で描かせたのかは、謎のままです。
ただ、これだけ大きな作品をつくるとなると、莫大な資金も必要になるため、それなりの高位の身分の人間が依頼し、絵師たちは相当の覚悟をもって制作に挑んだはずです。
 
K:たくさんの謎、たくさんのトリビアが詰まった絵巻ですね。ボストン美術館展のハイライトと呼ぶに相応しい作品です。

T:ちなみに、本館3室で6月3日まで展示されている重文 天狗草紙絵巻と、重文 北野天神縁起絵巻も、この絵巻と同じ流れを汲んでいる工房の作品と考えられます。合わせてチェックしてみてくださいね。

K:土屋さん、どうも有難うございました。


土屋研究員
専門:日本中世絵画 所属部署:絵画・彫刻室

次回のテーマは「仏像」です。どうぞおたのしみに。

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

カテゴリ:研究員のイチオシnews2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年05月25日 (金)