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1089ブログ

美術解剖学のことば 第1回「キックオフ」

美術解剖学 ―人のかたちの学び」(2012年7月3日(火)~2012年7月29日(日))が、
トーハクの特集陳列として開催されることは、
東京国立博物館が所蔵する美術解剖学資料を公開するチャンスであるとともに、
関連資料をお持ちの所蔵者・美術館の作品と、系統的にまたは対置してみることで、
相互の価値を際立たせて見ることができる、たいへん貴重な機会といえるでしょう。

僕が芸大1年生だった19歳の時に、
初めて「美術解剖学」の講義を聴いてからすでに27年の時間が過ぎましたが、
いまだその学びの奥行きに驚かされ、その興味は広がるばかりなのです。

さてこの1089ブログでは、「美術解剖学のことば」と題して、
「びじゅつかいぼうがく」とは何だ? そんな学問があるのか?
そんな疑問に、少しでもお答えしたいと思って、連載を試みることにしました。
美術を解剖するのか、美術のための解剖学なのか・・・そんな疑問もあるでしょう。

あるいは「解剖学」なんてキモチ悪いじゃない!という、あなたやあなたのために、
美術解剖学の先人たち、そして今回の展示に関係するような、
「ことば」の数々を紹介してみたいと思います。

登場するのは、
明治の文豪、医者であり、帝室博物館(東京国立博物館の前身)の総長でもあった森林太郎(鷗外)と、
東京美術学校で「美術解剖学」を長年にわたって教えた久米桂一郎、
そしてトーハクの黒田記念館でも知られ、近代絵画の巨匠とうたわれる、
黒田清輝の「ことば」を紹介してみたいと思います。

人体の美術解剖学 芸術家及び芸術愛好家の手引書
人体の美術解剖学 芸術家及び芸術愛好家の手引書 ユリウス・コールマン著 1886年出版(初版) 個人蔵
Plastische Anatomie des menschlichen Korpers, By Julius Kollmann, 1886 (Private collection )
(2012年7月3日(火)~2012年7月29日(日)展示 )


「美術解剖学の門」をくぐることで、少し違う美術の見方に気付くかもしれません。
まず初回は、黒田清輝の言葉から...(つづく)

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 木下史青(デザイン室長) at 2012年06月28日 (木)

 

書を楽しむ 第16回「写された書03」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第16回です。

今回も、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))から、
市河米庵(1779~1858)のふたつの「天馬賦」(てんばふ)をご紹介します。
「天馬賦」は、中国・北宋の米芾(べいふつ、米元章、1051~1107)の著作・筆跡として有名なものです。

まずは、米庵が17歳のときに写した「天馬賦」です。

天馬賦(模本)
天馬賦(模本) 市河米庵筆  江戸時代・寛政7年(1795) 市河三次氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)


双鉤塡墨(そうこうてんぼく、字の輪郭を線でとり中を墨で埋める)で
「天馬賦」を模写しています。
上の画像ではよく見えないかもしれませんが
右側のページは、「高君」という字の輪郭線のみです(双鉤といいます)。

わかりにくいかもしれませんので、
私が、米庵の「高君」を途中まで双鉤塡墨してみました。
(もちろんコンピュータのデータ上でのことです。ご心配なく)

恵美が書き込んだ天馬賦「高君」
恵美が書き込んだ天馬賦「高君」

双鉤塡墨、ということは、
米芾の「天馬賦」を忠実に写そうとしているということです。
輪郭をとることで、筆遣いを細部まで知ることができます。

もうひとつは、
米庵80歳のときに書いた「天馬賦」です。

臨天馬賦
臨天馬賦(部分) 市河米庵筆 江戸時代・安政5年(1858) 林督氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)


これは、臨書といいます。
米芾の「天馬賦」を横に置いて書いたものです。

17歳と80歳の「天馬賦」をもう一度並べてみます。

比較
比較 17歳(左)と80歳(右)の「天馬賦」 

17歳のときは忠実に写していますが、比較すると80歳では違う字になっています。

臨書には、
形を真似る臨書(形臨)と、筆意を汲みとっての臨書(意臨)とがあります。
80歳の「天馬賦」は、意臨なのです。

それにしても、
市河米庵が、17歳のときも写した「天馬賦」を80歳でも臨書する、
一生涯写し続ける、その姿勢が大切です。

意臨に続いて、
その雰囲気で別の文章を書く、倣書があります。
それが、さらに創作へとつながります。
いろいろと学んだことから、新たな書を創作する、
まさに、“古典から創造へ”、なのです。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月14日 (木)

 

等伯の肖像画―仏画の構図と極微(ごくみ)の世界

安土桃山時代の画家・長谷川等伯(1539~1610)は、国宝「松林図屏風」などの水墨画作品で広くその名を知られています。
等伯は40代半ばころまで「信春(のぶはる)」と名乗って、はじめ、生まれ故郷の能登地方を中心に活動していました。
そこでは、とくに日蓮宗に関連した寺院のために仏画を制作していました。
6月12日(火)より「書画の展開―安土桃山~江戸」(本館 8室)で展示中の「伝名和長年像」も「信春」時代を代表する肖像画です。

松林図屏風
国宝 松林図屏風 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀 (2013年1月2日(水)~2013年1月14日(月)展示

伝名和長年像
重要文化財 伝名和長年像 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀
(2012年6月12日(火)~2012年7月22日(日)
展示

この絵を収めた箱に、かつての所有者であった明治の政治家・福岡孝悌(ふくおか たかちか・1835~1919)が「伯耆守名和長年像」(ほうきのかみなわながとしぞう)と記しています。
名和長年(?~1336)は、南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に仕え建武の新政において重用されました。現在では、この肖像の人物は200年前の名和長年ではなく、等伯の生きた時代の武将を描いたと考えられています。

素襖(すおう)をつけて威厳に満ちた武将は、上畳に座り、その前に好物であったのでしょうか、枇杷が供えられています。そばにたまらなく愛くるしい小姓が、にこにことお茶を差し出しています。癒されますね。
馬丁が手綱をとるのは武将の愛馬であったのでしょうか。あるいは名馬を産出する地域を治める武将であることを示しているのでしょうか。
等伯は「信春」時代に重要文化財「牧馬図屏風」を描いています。あるいは、この肖像画の主人公が関わって「牧馬図屏風」を描かせたのかもしれません。

牧馬図屏風
重要文化財 牧馬図屏風 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀 (展示予定は未定)

このように、この絵には像主にちなんだ事物が描かれていて、この人物がいったい誰であるのかを考える上で、いくつかのヒントが表されているといってもよいでしょう。
描かれた人物の詮索は別の機会に譲り、今回はこの絵の表現上の特色を2つあげてみます。

ひとつめは画面にあらわされたモチーフの構図です。
まず、左へ顔をむけた武将を大きく描いています。右手には扇を持っています。茶を差し出す小姓が向かって右に侍り、暴れる馬をおさえる馬丁が左に控えます。
3人の人物が描かれていますが、この構図はまるで仏画でいう本尊と両脇侍を描く三尊形式を彷彿させます。
通例、肖像画は像主その人のみを描くことが多く、この画面形式は加賀藩祖の前田利家(まえだとしいえ)(1538~1599)が天正9年(1581)に七尾市にある長齢寺(ちょうれいじ)創建の際、父利春の菩提のために寄進した「前田利春像(まえだとしはるぞう)」と同様の形式です。
この絵は等伯が描いたものという説もあった作品で、北陸で活動した等伯に関わる長谷川家一門の絵師が得意とした画面形式だったのかもしれません。

さて、この絵はいったいどこを描いたものなのでしょうか?
馬がいるので野外でしょうか。背景をあらわす事物が描かれていないので不明瞭です。また画面の右に描いた刀をみてください。脇に置かれているものなのでしょうが、まるで画面の枠にもたれさせているようです。
また、像主の武将を大きく、侍者たちを小さく描いて、武将の存在感を強めていますが、位置関係をみると画面上で上下関係はあっても、人物の位置関係をみると、奥行が感じられません。いずれも現実的な空間が絵に反映されているように見えないのです。

このような表現もやはり仏画の多くに見られることです。
仏神の多くは、空や平面、空間など何もない状態をいう「虚空」に描かれます。その仏神の尊さを示すために、前後関係や背景を描いて、室内であることや特定の現実的な場所を描く必要がないのです。そこでは仏神のみを丹念に描くことが重要なのです。
それぞれモチーフが画面のなかで並列に置かれ、あるのは上下関係だけです。はじめにふれたように等伯の「信春」時代に描かれた仏画が、まさにこうした表現方法をとっています。
像主を単独で描く通常の肖像画の画面形式でなく、仏画でみられる画面構成で描くのも、等伯が信春時代に仏画の制作を主たる活動としていたことを強く示しているのでしょう。

ふたつめの特色は緻密な描写です。
武将の髭(ひげ)や顎鬚(あごひげ)の細かさ、馬の鬣(たてがみ)、刀の拵(こしらえ)にみられる凝った装飾など、拡大鏡がなければそれぞれの描写が判断できないくらいです。

小姓が差し出す天目台にのせた茶碗をみると、金泥によって天目台には鳳凰が、茶碗には梅が描かれているようです。さらに右手に握る扇は、金泥地に水墨で梅が描かれています。さらにはその絵には朱色の判子まで描きこんでいます。

 


この極めて細かな描写は、やはり等伯が信春時代に描いた多くの仏画にあらわれる特徴で、それらは鮮やかな色彩で、緻密に仏神が装飾されています。まるで仏教にかかわる言葉でいう最小の単位「極微(ごくみ)」の世界をあらわしているかのようです。
このように肖像画という画題において、信春時代の等伯は、仏画を描くことを専らとしていた画業の経験を活かして像主の威厳を高めているのです。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 松嶋雅人(特別展室長) at 2012年06月12日 (火)

 

『至宝とボストンと私』 #9 法華堂根本曼荼羅図

一番最初の展示室には、美しい仏画が並んでいますが、中でも一番奥の壁に展示されている一枚は抜きんでて貴重な作品とのこと。
『至宝とボストンと私』第9回目は、東洋室研究員の塚本麿充(つかもとまろみつ)さんと、もと東大寺の法華堂に伝わったという奈良時代の仏画、法華堂根本曼荼羅図(ほっけどうこんぽんまんだらず)を見てゆきます。

法華堂根本曼荼羅図
法華堂根本曼荼羅図 
奈良時代・8世紀



『仏画の根本。だから根本曼荼羅。』

広報(以下K):いきなりですが、この作品はどうして貴重なのか教えてください。

塚本(以下T):8世紀の仏画作品が、日本にどれくらいあるかご存知ですか?実はほとんど残っていないのです。さらに、8世紀の山水画がどんな風だったのかが分かる、世界でただ1つの作例ですので、本当に奇跡の一品と言っても過言ではありません。

この作品には大きく2つの魅力があります。
1つ目は仏様の端正なお顔立ち。

法華堂根本曼荼羅図 アップ

気品があり、若々しくハンサムで、胸がキュンとしてしまいます!

K:キュンですか…(-_-;)

T:これより後の時代になると、いわゆる「仏頂面」という、仏様のようなお顔になっていってしまうのですが。

K:仏様ですものね。

T:この作品が制作された当時、8世紀の日本は、東大寺などが創建され、「新しい国をつくるぞ!」という理想に燃えた時代でした。挫折を知らない、いわばロマンチックな時代です。
まさに国が盛り上がらんとするエネルギーに溢れていました。

K:行け行けどんどん!という勢いがあったのですね。

T:そうです。この作品からは、そういう力が感じられます。
体つきもピチピチして若い感じがするでしょう?

K: 確かに、はつらつとした印象をもちます。
2つ目の魅力はなんですか?

T:背景の山水画がすごいんです。

法華堂根本曼荼羅図 右上部分

法華堂根本曼荼羅図 右上部分
山々の稜線には緑青が使われており、色鮮やかであったことを彷彿とさせます。

この絵には、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)という山で説法をするお釈迦様が描かれています。
当時の中国では、山それ自体を神聖なものとする憧れがありますので、お釈迦様が説法していらっしゃるこの山は、中国人にとってはただの山ではありません。
この作品が、その後発展する中国山水画のスタートだったといえます。

K:なるほど。第3章「静寂と輝き~中世水墨画と初期狩野派」の内容とリンクしますね。
でもどこにどのように山水画が描いてあるのかよく見えません…。

T:8世紀に描かれている作品ですから損傷も激しくて、はっきりと見ることは難しいのです。どうぞ心の目で見てみてください。

K:はっ!説法を聞いている気分になってきました!
(作品の左隣に、赤外線調査をした時の画像がありますので、山水画はそちらをご覧ください。)
ところで、「根本曼荼羅」の「根本」とはどういう意味なのですか?

T:作品の背面に、この作品が「法華堂根本曼荼羅図」と称される、という内容が書かれた銘文があります。
当時のお坊さんは、出来れば皆インドに行きたいですよね。しかし実際には行くことは出来ません。
でもこの作品をかければ、お釈迦様に出会えるわけです。鎌倉時代にはこの作品を写した作品もつくられます。
南都(奈良)の仏画の規範、「根本」となった作品だから「根本曼荼羅」というのです。

K:仏画の根本、というわけですね!貴重とおっしゃる意味がようやく分かりました。

T:奈良・大和文華館の初代館長、矢代幸雄氏はこの作品を見て、「磁石が鉄を引き付けるように、この作品に吸い寄せられてしまう」という言葉をのこしました。
その気持ち分かるなあ!あぁ、この作品をこんなに間近で見られるなんて、なんて素晴らしいんだろう!私は今回初めて本物を見たのですが、わしづかみにされましたね、キュンとしてしまってほんとに…(以下省略)。

仏画の展示室の様子


『奇跡の一品』

K:しかし、それほどまでに貴重な作品なのに、手放さざるを得なかった当時の日本の状況がしのばれます。
お客様のご意見でも、「こんなに素晴らしい作品が、今はアメリカにあるなんて」というご感想をよく目にします。

T:ここで重要なことがあります。
ビゲローがこの作品を購入したのは、たまたま安かったから買ったのではありません。この作品が、ビゲローやボストンにとって必要だったからです。
その地域の人がどういうものを守り、どういう文物を持っているのか、作品の収集は地域の人のアイデンティティーを形作ることにもつながります。
今もボストン美術館に行くと、たくさんの人が東洋美術の展示室で熱心に作品に見入っている姿に出会います。東洋の美術や、それによって表されている何かが、アメリカの社会にとって必要なものだったんだなあ、と思います。

奈良時代から明治の世までこの作品を守り続けた東大寺の精神もすごい。
そして近代、この作品をボストン市民として受け入れ、日本美術に敬意をはらい、後世に残そうとしているボストンの人たちの精神もまた素晴らしいと私は考えます。

K:改めて、ボストンの皆様に感謝するとともに、この作品が数奇な運命をくぐりぬけて現代に残っている奇跡の一品なのだということを、強く感じました。
塚本さん、どうも有難うございました。


塚本研究員
専門:東洋仏画 所属部署:東洋室

『至宝とボストンと私』はこれで終了です。どうも有難うございました!
特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」は6月10日(日)まで開催しています。奇跡の一品、ぜひお見逃しなく!

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.

 

カテゴリ:研究員のイチオシnews2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年06月08日 (金)

 

『至宝とボストンと私』 #8 弥勒菩薩立像

仏像の前では皆真剣な表情で、時間を忘れて仏像と対峙します。慌しい日々を過ごす私達にとって、大切な時間といえるかも知れません。
『至宝とボストンと私』第8回目は、教育普及室長の丸山士郎(まるやましろう)さんと、快慶作 弥勒菩薩立像(みろくぼさつりゅうぞう)を見てゆきます。

展示室
特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」弥勒菩薩立像のコーナー


『ヒントは銘文のなかに』

広報(以下K):最近、若い女性の間でも「仏像好き」が増えてきているようですね。
「仏像が見たくて、展覧会に来ました」というお客様も多くいらっしゃいます。
この展覧会で、メインの仏像作品といえばやはり…

丸山(以下M):快慶作 弥勒菩薩立像です。

弥勒菩薩立像
弥勒菩薩立像
快慶作 鎌倉時代・文治5年(1189)


K:展覧会のチラシにもご登場いただいた、麗しい仏像ですね。
どういう作品なのか教えてください。

M:海外にある日本美術の名品は多くありますが、仏像となるとあまり多くはありません。その中ではとても優れた作品といえます。
12世紀は、内乱が続き世が乱れたことで、多くの人々が絶望の淵にたたされていました。そういう時代に、正しい教えを説き衆生を救うとされた弥勒菩薩に信仰が集まったのです。

この像は、鎌倉時代を代表する仏師、快慶がつくりました。現存する快慶作品の中で最も年代が古い像、つまり快慶が最も若い時につくった像です。
そのためか、快慶独特の表現よりも顔つきがふっくらしていて、表現にういういしさが残っているように見えます。

K:快慶独特の表現というのは、どんな特徴があるのでしょうか?

M:知的な表情、細身の体型、絵画的に処理された衣文、すこしめくれ上がったような上唇です。

K:ところで、最も若い時につくったと、どうして分かるのですか?

M:明治39年にこの像を修復した際、像内から納入品が出てきました。

弥勒菩薩立像 像内納入品
弥勒菩薩立像 像内納入品(弥勒上生経、宝篋印陀羅尼)   
快慶奥書     鎌倉時代・文治6年(1190)

像内納入品 部分

この経典の奥書には、快慶が作ったということが記されていますのでご注目ください。
快慶は、ある時からすべての作品に快慶の名前を残しています。そのため、史料に恵まれた仏師といえます。

K:きらきら輝いていて、保存状態も良さそうですね。

M:表面の金色は近年に修復されたものですが、全体的に状態は悪くないです。
快慶は若い頃から腕が良く、高い技術をもっていたためか、お像は今も壊れずに丈夫に残っています。史料としての意味でも大変重要な作品で、作風も優れているので、後世に残したい逸品です。


『端正、知的、流麗』

K:この作品の見どころはどこですか?

M:やはり、整った端正なお顔だちでしょう。切れ上がった目、小さめの口。ちょっとクールで、知的な印象を与えます。

弥勒菩薩立像 部分

K:目の中がうるんでいるように見えます!

M:玉眼です。仏像の目の部分をくり抜いて、内側から凸レンズ状の水晶を当てています。仏像が生きているかのように見せる工夫です。この像がつくられる30~40年前から、仏像に玉眼が用いられるようになり、この頃には一般的になっていました。

フォルムが美しい仏像ですね。複雑な形ではないのですが、上手いな!と思います。なかなか出来る仕事ではありません。

K:丸山さんがこの作品を最初にご覧になった時、どんな印象を持ちましたか?

M:資料の写真で見ていたとおり、まとまりの良い作品だと思いました。ぴちっとした肉づきや、はつらつとした感じがとても良いなと。

K:丸山さん、なんだか嬉しそうですね。「快慶の作品大好き!」という感じが伝わってきます。

M:大好きです。お顔の感じが全体的に好きなんです。
運慶の陰に隠れてフィーチャーされない存在ですが、もっと人気が上がっても良いのではと思います。

K:今回の展覧会で、きっとファンがもっと増えたと思います!丸山さん、どうも有難うございました。


丸山研究員
専門:彫刻 所属部署:博物館教育課 教育講座室長

次回のテーマは「法華堂根本曼荼羅図」です。どうぞおたのしみに。

All photographs © 2012 Museum of Fine Arts, Boston.


 

カテゴリ:研究員のイチオシnews仏像2012年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2012年06月07日 (木)